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仏教格言


 足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官(感覚器官)が静まり、聡明で高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

原始仏教経典 『スッタニパータ』 144

岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 P37 第1 蛇の章 八、慈しみ より
(究極の理想に通じた人の行うべきこと)


  何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

原始仏教経典 『スッタニパータ』 148

岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 P38 第1 蛇の章 八、慈しみ より
(究極の理想に通じた人の行うべきこと)


 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。また全世界に対しても無量の慈しみのこころを起こすべし。

原始仏教経典 『スッタニパータ』 149〜150

岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 P38 第1 蛇の章 八、慈しみ より
(究極の理想に通じた人の行うべきこと)


 憎む人が憎む人にたいし、怨(うら)む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。

原始仏教経典 『ダンマパダ』 42(『法句経』)

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P16 第3章 心 より


他人の過失をみるなかれ。他人のしたことと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたことと、しなかったことだけを見よ。

原始仏教経典 『ダンマパダ』 50(『法句経』)

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P16 第4章 花にちなんで より
 


 わたしには子がある。私には財があると思って愚かな人は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

原始仏教経典 『ダンマパダ』 62(『法句経』)

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P19 第5章 愚かな人 より


 戦場において百万人に勝つとしても、唯だ一つの自己に克つ者こそ最上の勝利者である。自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行いをつつしみ、自己をととのえている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神もガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。

原始仏教経典 『ダンマパダ』 103〜105(『法句経』)

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P25 第8章 千という数にちなんで より


 頭髪が白くなったからとて長老なのではない。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷(そこ)なわず、つつしみあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ長老と呼ばれる。

原始仏典 『ダンマパダ』 260-261

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P46 第19章 道を実践する人 より


 実に自己は自分の主である。自己は自分のよるべである。故に自己を整えよ。

原始仏教経典 『ダンマパダ』 380(『法句経』)

岩波文庫 ブッダ 真理のことば 感興のことば 中村元訳 P63 第25章 愛執 より


 思いによっていかなる方向におもむいても、自分よりさらに愛おしいものに達することはできない。このように他の人々にとっても自分がとても愛おしい。それゆえに、自己を愛する人は他人を傷つけてはならない。

原始仏典 『サンユッタ・ニカーヤ』 V・1・8

岩波文庫 ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤT 中村元訳 P169-170 第8節 マッリカー より


 功徳の少ない者は自慢するが、賢者は温和である。渓流はたえず音を立てるが、大海は騒がしくない。

チベット サキャ・パンディタの格言 104

岩波文庫 サキャ格言 今枝由郎訳 P52 より


 これから起こることを、起こる前に観察する時、賢者と愚者の違いが分かる。起こってから観察するのは愚者である。

チベット サキャ・パンディタの格言 27

岩波文庫 サキャ格言 今枝由郎訳 P17 より


 慈しみが過ぎると憎しみのもととなる。 世間の争い事の多くは親密さから生じる。

チベット サキャ・パンディタの格言 222

岩波文庫 サキャ格言 今枝由郎訳 P101 より


  けちな人の財産 ねたみ持ちの友達 愚者の知識 あっても嬉しくない。

チベット サキャ・パンディタの格言 224

岩波文庫 サキャ格言 今枝由郎訳 P52 より


劣った人が金持ちになると傲慢になり 立派な人が金持ちになると穏やかになる。

チベット サキャ・パンディタの格言 138

岩波文庫 サキャ格言 今枝由郎訳 P65 より


 仏の未来を定めて云く「法に依て人に依らざれ」。龍樹菩薩云く「修多羅(経典)に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり」。天台云く「復修多羅と合わせば録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず」。伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずることなかれ」。

日蓮聖人 『撰時抄』(真撰)

昭和定本 日蓮聖人遺文 1044頁 より

※ 修多羅(しゅたら) sutra(スートラ 縦糸) の音写で経典のこと、白論(びゃくろん) 汚れのない論、黒論(こくろん) 汚れた論、依憑(えびょう・いひょう) よりかかる。たのむ。

補足 中古天台本覚論をもととして日蓮教学から派生した一部の教学、修法(祈祷)に終始する一団。それらは密教的な口伝主義によって教義が歪められて来ている。そして、それらを信奉する者の勢力が白論を凌駕しているのが現状ではないだろうか。『撰時抄』は日蓮聖人の五大部のひとつで代表作である。もういちどこの文をかみしめる必要があるのではないだろうか。これは日蓮系だけでなく、全仏教的にいえることかも知れない。


 日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待つ事なし、風の前の露、尚譬えにあらず。かしこきも、はかなきも、老たるも、若きも定め無き習ひ也。されば先ず臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし。

日蓮聖人 『妙法尼御前御返事』(真撰)

昭和定本 日蓮聖人遺文 1535頁 より
 


 修験の法は平等の慈悲心を第一となす。一念に名利を亘れば必ず現罰あるべし。

仙寿院日閑 『本化別頭仏祖統紀』

 江戸時代初頭、積善坊流(身延山)の修法の開祖たる仙寿院日閑が弟子達を戒めた言葉である。もちろん、これは修法師(祈祷師)への戒めであるが、修験(霊験を得るための修行)をして現世利益を得ようとする信徒の立場ではどうだろう。名利ばかり求めていないだろうか。それは本来の仏教に合致する祈りだろうか?


 死に仕度 いたせいたせと 桜かな

 小林 一茶

 死を語るのを縁起でもないとタブー視する風潮がある。滅多に死なないのであればともかくも、人間の死亡率は100%である。本人にとっても身内にとっても、死は一度きり待ったなしのぶっつけ本番である。しかも何時来るかわからない。老いも若きも定めなきものである。「私は悪い子としたことないのに・・・どうして?」と言ってもはじまらない。常に生老病死の憂いがあるものである。それを忘れている、いや生老病死など無縁だという無知が日本人に蔓延している。現代教育では能力や学術的な高等な教育をする反面、信仰や思想を学ばないからである。
 何時かわからないが確実にやって来る病・死に対してよく考えて準備しておく必要がある。時代や地域を越えた信仰や先哲の智慧をもとに。


 仏神は貴し、仏神をたのまず。

宮本武蔵 『独行道』

岩波文庫 五輪書 P166

補足 『独行道(どっこうどう)』は宮本武蔵が亡くなる一週間前に、最後の力をふりしぼってしたためられた二十一箇条(十九箇条)の自省自戒の書。作家童門冬二さんによると「仏神は貴し仏神をたのまず」の意味は、仏や神は貴いが自分は頼ったことがないという意味であるそうだ。どうも得手勝手な祈願をすることが信仰だと思っている日本人が多い。仏は私たちの苦しみに対して慈悲をもって導いてくださる存在である。仏は頼むものではなく、拝むものではなかろうか。その教えに耳を傾け実践することに本来の仏教の意義がある。そうした仏教者に神祇も守護を加えられるのではないだろうか。


 仏教自体が滅びかかってる。ゴムをずっと伸ばしたら伸びる。しかし、伸ばしすぎたらもう戻らへん。お坊さんが、堕落すんのはかまへん。しかし、堕落して、堕落して、堕落して、堕落して、堕落していって伸びきったらもう戻らへん。戻れるうちに気づけやぁ。

三木随法

 末期癌に冒されながらも果敢にお説教を続けられた三木随法師。話の組み立ては五段法ならる余談法。ユーモアを交えた説法の中にも、仏教がなくなることを危惧されていた。クリスマス、バレンタインデー、教会での結婚式、仏式の葬儀で「天国で・・・」云々という弔事や弔電。こういうことに危機感を抱く坊さんは少ない。危機感を抱かないばかりか、道を求め続けるることもせず・・・。いや私の口から言うのはよそう。


 少而学、則壮而有為。壮而学、則老而不衰。老而学、則死而不朽。
(少にして学ばば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学ばば則ち老いて衰へず。老いて学ばば則ち死して朽ちず。)

江戸後期の儒学者 佐藤一斎

捕捉 あるお寺の客間に飾られた故小渕恵三元総理の色紙にこの言葉があった。色紙には「壮而学。老而不衰。老而学、死而不朽」とあった。この色紙を見て小泉節に私の感慨をいうと「感動したねぇ〜(笑)」


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