仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_1  001-100  101-200  201-300  301-400  401-500  501-600  600-end

00101 97/12/09 23:15 nubatama           はじめまして
始めまして。nubatamaと申します。
仏教関係でおもしろそうなところはないかな、と思ってうろついていたら、こちらに
たどり着きました。
仏教については高校時代に懐譲(道元和尚の弟子ですね)の書いた「正法眼蔵随聞
記」を読んでからいろいろと文献を漁るようになりまして、現在初期の仏教について
の著作をいろいろと読んでいます。とはいえ、読んでるだけで、1割も理解できない
でいたりするんですが‥‥。
まだまだ浅学ゆえ、的外れな意見を投稿することもあるかと思いますが、ご指導のほ
どよろしくお願いします。
00102 97/12/10 13:31 Eisai              RE:00101 はじめまして
ようこそ nubatama さん。
 ▼
 |\(*^^)v カンパーィ !!
  ̄
》仏教関係でおもしろそうなところはないかな、と思ってうろついていたら、
》こちらにたどり着きました。
 先般 Yahoo Japan にも「仏教ラウンジ BODHI」そのものを登録しました。その第
一号の方でしょうか。ようこそようこそ。
》仏教については高校時代に懐譲(道元和尚の弟子ですね)の書いた「正法眼蔵随聞
》記」を読んでからいろいろと文献を漁るようになりまして、現在初期の仏教につい
て
》の著作をいろいろと読んでいます。とはいえ、読んでるだけで、1割も理解できな
い
》でいたりするんですが‥‥。
 『正法眼蔵』は難しそうで奥が深そうですね。FUKU さんも禅に魅せられているよ
うです。そのような会議が出来ればよいですね。『正法眼蔵随聞記』についての1割
の理解に(感得したこと)ついて教えて頂ければ幸甚です。
 これは FUKU さんにも申し上げたことです。学者さんやお坊さんの話も良いですが、
一般の人が感動した仏教の話というのは凄い説得力があります。そして、とてもお聞
きたく思います。宜しければ披瀝して下さい。
》まだまだ浅学ゆえ、的外れな意見を投稿することもあるかと思いますが、ご指導の
ほ
》どよろしくお願いします。
 こちらこそ、浅学非才が僧侶をして会議室を作りました。宜しくお願い致します。
 『法華経』に対する質問であれば、宗派に関係ない回答ができるかも知れません。
チョコチョコ顔を出されるアリムタさんは『法華経』以外にも『華厳経』やサンスク
リット語(梵語)に詳しいと認識しています。
Eisai.
00103 97/12/10 19:51 FUKU               仏性
『増補新版 仏性とは何か』高崎直道 法蔵館 
という本を読みました。
冒頭、「改版に当たって」で、こんなことが書いてあります。
「仏性・如来蔵については、この書が出版された後にいろいろ
と批判的な見解が現われた。一言で言えば、「如来蔵の教えは
要するに外道の我の教えと同じだ」から、仏教ではない、という
ものである。」
Eisaiさんが引用された松本さんの話もこの批判の一つなのでしょう。
この本の中にその批判に対する回答があります。
要約すると
・「外道の我と同じではないか」ということに対しては、如来蔵を説く
 お経がみな気にしていて、これは我ではないと明言している。
・空の思想との関係により、そういう実体がないことははっきりしている。
・逆に、一切皆空と説くと全くの虚無主義に陥ってしまうおそれがあるから、
 ここにはほとけの本性があると、宝性論とか仏性論でいっている。
というようなことが書かれてます。
他にも大乗仏教と形成とヒンドゥ教の関係など、興味深い話があります。
// FUKU
00104 97/12/24 20:44 Eisai              仏教徒にとってのクリスマス
 管理人から御無沙汰して失礼しました
 いえいえ・・・Quantum の HDD が調子悪いのか、Windows95 のスキャンディスク
をするとここ1ヶ月ほどエラーが検出されます。てなわけで、再インストールを繰り
返し・・・。そんなわけで御無沙汰失礼しました。
         ◆  ◆
 ええ・・・今日はクリスマス・イブであります。昨今、若い僧侶の中にはクリスマ
スツリーなるものを部屋に飾っておる不届きものがおります。隠していれば可愛いも
のの、それを公言するから始末が悪い・・・などと思っていましたら、大先輩の僧侶
からクリスマスカードのメールが届きました。あわわ・・・。
 私ってかたすぎるのでしょうか?
 子供にクリスマスツリーをせがまれたことがありますが、「お寺の子供が何を考え
とんねん」っと一蹴してから子供達は諦めてくれています。
Eisai.
00105 97/12/25 09:18 KON                RE:00104 仏教徒にとってのクリスマス
  最近のクリスマスは、1つのイベントとなっているので特に宗教などには
 関係ないと思いますが・・・・
  そんな事考えているのは私だけでしょうか
 KON
00106 97/12/25 22:18 Eisai              RE:00105 仏教徒にとってのクリスマス
KON さん、どうもです。
いつも、御世話になっております。早速、アクセスカウンターもつけさせていただき
ました。
 >  最近のクリスマスは、1つのイベントとなっているので特に宗教などには
 > 関係ないと思いますが・・・・
 そうですね。
 仏教徒にとっての・・・というタイトルが余分だったでしょうか。
 お寺にとってはやはり不釣り合いに思ったのです。高校時代までは意識しませんで
したが、真剣に仏教を・・・と思い始めると引っかかります。
 > そんな事考えているのは私だけでしょうか
 そんなことは無いと思います。
 私も家内をプロポーズするにあたり、Christmas Eve を自分のデートに当ててくれ
るかどうかということは気にしました。以前の就職協定の 11/01 みたいなものです
ね・・・。
 そういえば・・・私も山下達郎さんの「クリスマスイブ」好きです。
 「きっと君は来ない・・・」「今日なら言えそうな気がした」
 何かこの辺の歌詞はプロポーズ前の当時としてはジーンとするものがありました。
 何だかわかりませんが、(Merry Christmas とは言いませんが)
 カンパ〜イ!!
 ▼
 |\(*^^)v 
  ̄
Eisai.
00107 97/12/26 19:53 FUKU               RE:00106  仏教徒にとってのクリスマス
> >  最近のクリスマスは、1つのイベントとなっているので特に宗教などには
> > 関係ないと思いますが・・・・
>
> そうですね。
> 仏教徒にとっての・・・というタイトルが余分だったでしょうか。
私は
ケッ、どいつもこいつも商人に踊らされやがって
と毎年思ってます。(^^;
確かに毎年、宗教とは関係の無い行事になってきてますね。
これはこれで異常だと思いますが。。
でも、お坊さんがクリスマスカードを送るんですね。
やっぱり、神の御加護がありますように。
とか書いてあるんでしょうか。
な、訳はないですね。(^^;
// Fuku
00108 97/12/26 19:54 FUKU               終末期の患者の精神的ケア
Internet Watchという電子メール新聞があります。
12/25の特集記事に、終末期の患者の精神的ケアをする宗教者の話が
載っていました。
キリスト教では古くからホスピスという場を作り、それに少し遅れて
仏教でもビハーラという名で同じような活動を始めているそうです。
私には興味深い話でした。
http://www.watch.impress.co.jp/internet/www/column/yomitoku/index.htm
以前、紹介した『仏性とは何か』にもこの話が少し載っていましたが、
そこでは、僧=葬式のイメージが強いため、僧衣を来た僧侶が病院を
歩くことに対して抵抗があるというようなことが書いてありました。
NHKテレビの「平成古寺巡礼」という、各地のお寺を紹介する番組
があります。
確か浄土教系のお寺だったと思いますが、
山の向こうにそびえる阿弥陀如来の絵の描かれた屏風がありました。
その屏風は死の床についた人の枕元に置き、それを示して
お坊さんが、これがこれからあなたが行くところだ、
というようなことを説明するためのものなのだそうです。
昔からこういうことはやられていたのですね。
// Fuku
00109 97/12/26 21:59 Eisai              RE:00107  仏教徒にとってのクリスマス
Fuku さん、どうもです。
フリーとはいえ、systems engineer というお商売は人が休暇を取る頃に忙しくなる
のでは無いでしょうか?
 > 私は
 > ケッ、どいつもこいつも商人に踊らされやがって
 > と毎年思ってます。(^^;
 私も同じくです。
 キリストという世界的歴史的偉人が生誕した日ということはキリスト教徒にとって
意義あることでしょう。そして仏教徒の私も尊重します。
 しかし日本人のそれは違います。欧米のロマンチックな雰囲気への憧れ、商
魂・・・そんなところではないでしょうか。ラジオやTVからクリスマスソングが流
れる度にチャンネルを変える毎日でした。欧米に滞在中に同様なことがあってもそん
なことはしなかったでしょう。
 > 確かに毎年、宗教とは関係の無い行事になってきてますね。
 > これはこれで異常だと思いますが。。
 クリスマスはともかく、結婚式は教会で、宮参りは神社、葬式はお寺・・・どうか
してますね。神社と寺は棲み分けがあるかも知れませんが、一神教のキリスト教がそ
れに加わるのは世界的常識からは非常識でしょうね。
 > でも、お坊さんがクリスマスカードを送るんですね。
 先輩やなかったら「何考えとんねん」と言ったでしょうね。有能で尊敬する先輩か
らのメールでしたから吃驚しました。
今日はイタリアワインをやってます・・・。
銘柄?・・・1500円程度のものですから・・・
かなり辛口で軽いです。それだけに味がシビアに伝わってきます。心地よい苦みだと
うれしいのですが、1988年って書いてあります・・・保存状態が悪い状態で9年も放
置したせいでしょうね。ううn・・・。

 ▼
 |\(*^^)v 
  ̄
Eisai.
00110 97/12/26 22:17 Eisai              RE:00108 終末期の患者の精神的ケア
Fuku さん、どうもです。
 > キリスト教では古くからホスピスという場を作り、それに少し遅れて
 > 仏教でもビハーラという名で同じような活動を始めているそうです。
 近所にも淀川キリスト教病院というのがありまして、末期医療のホスピスで全国的
に有名です。うちの檀家にもそこの看護婦さんがいるようですし、そこでホスピスを
受けていたかたのお参りを受けたことがあります。
 御子息の病気を期に法華系新興宗教に入信したものの、御子息を亡くしてからはう
ちの信徒となっていました。逆縁に遭った上に御自身もガン再発という憂うべき境遇
にいたかたです。
 キリスト教の病院ですが、本人が最期に息子の供養に行きたいという希望を叶える
ために、末期ガンの彼女に看護婦一人を同伴させて自坊に参詣させました。この辺の
判断は宗教を越えた寛容な人間愛の精神を感じました。
 > そこでは、僧=葬式のイメージが強いため、僧衣を来た僧侶が病院を
 > 歩くことに対して抵抗があるというようなことが書いてありました。
 仰るとおりです。御見舞どころか、僧侶本人の疾病でもいちいちユニホーム?(法
衣)を着替えて通院しなければならないのです。日本仏教が葬式仏教に墜ちた状況証
拠でしょう。
 > 山の向こうにそびえる阿弥陀如来の絵の描かれた屏風がありました。
 > その屏風は死の床についた人の枕元に置き、それを示して
 > お坊さんが、これがこれからあなたが行くところだ、
 > というようなことを説明するためのものなのだそうです。
 > 昔からこういうことはやられていたのですね。
 死に行く人に、死後の安心(あんじん)を与える。これは大切な宗教者・信仰者の
勤めでしょうね。すべてを仏陀に、教えに、聖人に委ねることで、老いること、病む
こと、死ぬことへの憂いが無くなる。それは信仰の最も本質的な姿だと思います。
Eisai.
00111 98/01/08 07:11 A.K             はじめまして。拙い自己紹介です。
こんにちは。はじめまして。あけましておめでとうございます。
私は学生の頃から(ちなみに今は32歳です)宗教的なものに興味をもってました。
(ま、いってみれば、「ムー」とかあの類ですが、、)
で、一時、神道系にはまり(出口王仁三郎とかです)かなり右翼的な思考をしていた
ときもありました。ですから仏教も法華経系の右よりなのが好きでした、、、、で、
いろいろありまして、、、結局いまは坐禅のみにおちついています。(すいません話
がまとまらなくて)
でも坐禅−−−師につかないとダメっていうじゃないですか。実際にお寺に行って坐
ってみたこともあるんですがなんか「弟子にして!」なんて言えそうもない、、、。
そんな人にも出会っていない、、、。結局ひとりで本読んで、漫然と坐っているだ
け、、、。そんな状態です。
なんかパッとしないんですが、それでもいいんでしょうかね〜〜。
それではまた。
00112 98/01/08 21:40 FUKU               RE:00109   仏教徒にとってのクリスマス
今日は、ここ関東は大雪です。
自宅で仕事をしているので、雪じゃのう、と思いながら
どんどん降り積もっていく雪を眺めているだけですが、
会社員の皆さんは大変です。
1年ちょっと前までは私もそうだったわけですけど。
南武線と小田急が止まってしまったので、今日も会社員をやっていたら
どうやって帰えるか困り果てていたところです。
この返事を書こうとしたときに、ここが腐って落ちてしまっていたので、
時期を逸してしまいましたが、せっかくなので上げておきましょう。
>フリーとはいえ、systems engineer というお商売は人が休暇を取る頃に
>忙しくなるのでは無いでしょうか?
お客さんからもらっている仕事はお客さんのカレンダー通りに仕事して
ます。相手が休みならこちらも休みます。(仕事が順調なら、です。)
でも、独自企画の仕事もあるので、仕事自体は正月を除いてやってました。
>クリスマスはともかく、結婚式は教会で、宮参りは神社、葬式はお寺・・・どうか
>してますね。神社と寺は棲み分けがあるかも知れませんが、一神教のキリスト教がそ
>れに加わるのは世界的常識からは非常識でしょうね。
ずっと疑問に思っているのですが、日本ではお寺と神社が同じ敷地に
あるところがありますよね。あれはどういった経緯でああなっている
のでしょうね。
仏像の回りに元ヒンドゥーの神々がいて、仏の守護神となっている
のは、仏教はヒンドゥーよりも上だということを誇示したかったの
かなあと思うのですが、
神社の場合は、同格として扱っているように見えます。
(特に根拠なく言っているので、間違いあったら指摘して下さい。)
あ、末筆になりましたが、
今年も宜しくお願いします。
// Fuku
00113 98/01/08 21:40 FUKU               RE:00111 はじめまして。拙い自己紹介です
>でも坐禅−−−師につかないとダメっていうじゃないですか。実際にお寺に行って坐
>ってみたこともあるんですがなんか「弟子にして!」なんて言えそうもない、、、。
>そんな人にも出会っていない、、、。結局ひとりで本読んで、漫然と坐っているだ
>け、、、。そんな状態です。
>なんかパッとしないんですが、それでもいいんでしょうかね〜〜。
初めまして。
私も禅に興味があって、お寺に行って座って見たことがあります。
ついでに、A.Kさんとは歳も近いです。
本気でやるなら、出家して師に付くのが一番、正統的な道だろうとは
思います。
私が行った事のあるお寺(横浜鶴見の総持寺)では、座禅会
の後、希望者は老師を囲んで話ができるようになっていました。
出家までしなくても、週一回だけでも、師と直接、話をする機会を
持てればそれだけでも違うのではないでしょうか。
道元さんの只管打坐という言葉にこだわって、まずはただ座ることが必要だと
思っていたこともありました。でも、必ずしも座る必要はないのでは
ないかと思っています。
日々の生活、食事をする時も掃除をする時も歩く時も、すべて
禅の行為と言って良いのではないかと思います。
良く、
飛ぶ鳥はその跡を残さない
という例えがありますよね。
とりあえず、日々の生活で常にこういう心境に近付いて見ようかと
最近、思ってます。
これは、上に挙げた総持寺の老師が仰っていた
鐘の音がごーんと聞こえてきたら、そのごーんになりきる
木魚のぽくぽくが聞こえてきたら、そのぽくぽくになりきる
というのと同じことを言っているのだと思います。
今、
「禅の思想」鈴木大拙
を読んでます。私には難しくて半分もわかっていないのですが、
わからないなりに読み進めてます。
この本では、禅の思想を
無知の知、無念の念、無心の心、無意識の意識、無分別の分別、
相非の相即、事事無礙、万法如如
と表現し、禅の行為を
無功用(むくゆう)、無行の行、無用の用、無作の作(むさのさ)
無求の求(むくのく)
と説明しています。
上の鳥の例えも含めてすべて同じことを言っているのだと
思います。この本でも全編を通して悟りというたった一つの
真理をいろいろな方法で説明しているのだと思います。
真理はただ一つで単純なのに、そこに到達するまでがものすごく
大変そうです。
とにかく、禅は奥が深いですよね。
なんて、偉そうな事を書いてしまいましたが、座禅会には一回
しか出たことはないし、あとはひたすら本を読んでいるだけの
人間です。
それに、本気でやって、本当にあっちの世界に行ってしまったら
と思うと、恐くて本気ではできないでいます。
だから、ここに書いたことは、信用しないで下さいね。
// Fuku
00114 98/01/09 09:10 Eisai              RE:00111 はじめまして。拙い自己紹介で
A.Kさん、はじめまして。
当ラウンジマスタの Eisai です。年末年始飲み疲れて居られるかもしれませんが、
(飲み疲れは私だけか?)ワインでも片手に仏教ラウンジ bodhi を宜しくお願い致
します。
 ▼
 |\(*^^)v  カンパーイ!
  ̄
 >  私は学生の頃から(ちなみに今は32歳です)宗教的なものに興味をもってまし
た。
 >  (ま、いってみれば、「ムー」とかあの類ですが、、)
 人生経験の浅い若年時代に宗教に凝るのは危険な面もあるようですね。A.Kさん
はそんなことは決してなかったでしょうけど・・・・内外に過激な活動をしている純
真な信仰者がいます。そこまで行かなくても首を傾げるような信仰活動をする若年者
は少なくないですね。
 >  で、一時、神道系にはまり(出口王仁三郎とかです)かなり右翼的な思考をして
いた
 >  ときもありました。
 大本教のことなのでしょうか。
----------------------------------------------------------------------
 出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)
  明治四・八・二二〜昭和二三・一・一九(1871‐1948) 明治〜昭和期の宗
  教家。丹波亀岡生れ。旧名は上田喜三郎(キサブロウ)。少年時代言霊(ゲンレイ)
  学を学ぶ。代用教員、車引などを経験。明治三一年山中の修行で神秘体験
  を持ち、静岡の稲荷(イナリ)講社で長沢雄楯(オタテ)より修行法を学ぶ。同年大
  本(オオモト)教開祖-出口ナオと出会い、三二年金明霊学会を設立。三三年ナオ
  の婿(ムコ)養子となる。一時建勲神社、御嶽(オンタケ)教にも勤めたが、四一年
  衰微した教団に帰り大日本修斎会を設立、大本教の広布、国際化を図る。
  大正五年(1916)教団は皇道大本と改称。一○年、昭和一○年と二度の弾圧
  を受けた。九年昭和神聖会を創設。戦後、愛善苑の名で教団再建中、死去。
----------------------------------------------------------------------
                         新潮日本人名辞典より
 >  ですから仏教も法華経系の右よりなのが好きでした、、、、で、
 戦前は法華系でも皇道仏教というのがありました。古来護国のお経としても法華経
は用いられていたようですし、日蓮聖人の遺文を右翼的に解釈するひとも少なくなか
ったようです。
----------------------------------------------------------------------
『立正安国論』日蓮聖人  昭和定本1013
  日本には神武天王よりは第三十代、欽明天王の御宇なり。欽明の御子、
  用命の太子に上宮王子仏法を弘通し給ふのみならず、竝びに法華経・
  浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給ひぬ。
----------------------------------------------------------------------
 日蓮聖人が指摘する原典に当たったことはないのですが、『法華経』は『浄名
経』・『勝鬘経』とともに鎮護国家の経典なのだそうです。その辺から右翼の方が好
きなのでしょうか。
 >  いろいろありまして、、、結局いまは坐禅のみにおちついています。(すいませ
ん話
 >  がまとまらなくて)
 いろいろ・・・をお訊きしたい気もしますが。
 >  でも坐禅−−−師につかないとダメっていうじゃないですか。実際にお寺に行っ
て坐
 >  ってみたこともあるんですがなんか「弟子にして!」なんて言えそうもな
い、、、。
 >  そんな人にも出会っていない、、、。結局ひとりで本読んで、漫然と坐っている
だ
 >  け、、、。そんな状態です。
 座禅も坐り方によると危険だと伺ったことがあります。
 「弟子にして!」といいたくなるような善知識に会うのは難しいですね。積極的に
あちらこちら顔を出していくしかないのでしょうか。
 しかし、このボードは座禅の話が増えてきましたね。どなたか、禅宗の御出家に来
ていただければ有り難いのですが。
 >  なんかパッとしないんですが、それでもいいんでしょうかね〜〜。
 お気軽に何でも書いて下さい。
Eisai.
00115 98/01/09 09:10 Eisai              RE:00112   仏教徒にとってのクリスマス
sub:廃仏毀釈
 FUKU さん、本年も宜しくお願い致します。
 
 >  今日は、ここ関東は大雪です。
 全国ニュースによるとかなり積もった様ですね。
 今朝の大阪は雪は降らないどころか、霜すら降りませんでした。
 >  ずっと疑問に思っているのですが、日本ではお寺と神社が同じ敷地に
 >  あるところがありますよね。あれはどういった経緯でああなっている
 >  のでしょうね。
多くは廃仏毀釈のためでしょう。
----------------------------------------------------------------------
 廃仏毀釈 はいぶつきしゃく
 明治政府によって1868年(明治1)以来とられた神仏分離政策に伴う,寺院を
 破却し僧侶を還俗(ゲンゾク)させるなどの仏教廃止運動をさす.
----------------------------------------------------------------------
                           岩波仏教辞典より
 この時、多くの寺院が無くなったり、あるいは土地を神社に摂取されました。うち
の寺も例外ではなく、寺院が管理していた妙見堂とその敷地を取られて今は神社とな
っています。かくして、うちの隣にも神社があるわけです。
 廃仏毀釈による影響は神社に土地を取られただけでなく、宗旨の教義面でも国家神
道に迎合したような変革を余儀なくされました。その影響は、現在にも色濃く残って
います。
 あと、神仏習合で寺院に神祇を奉っていることは多いと思います。浄土真宗や日蓮
正宗の系統は神祇を奉っていないようですが、真言・天台の密教をはじめ禅宗も日蓮
宗も神仏習合です。境内に鳥居があることも少なくありません。
Eisai
00116 98/01/09 21:05 A.K             特に題名と名づけるようなもんでも、、、
Eisaiさん、FUKUさん、早速のご返事ありがとうございます。
この時期お寺で坐禅なんて寒くていやだなぁー。それを我慢して坐るのが修行なんで
しょうかね。
僕はなるべく部屋をあったかくして坐ってます。インドはいつもあつかったみたいだ
ぞー(?)
僕が好きな禅の本は
「禅談」澤木興道
「生命の実物」内山興正
です。ともに何回か読み直しました。(理由・簡単だから)
ところで内山興正老師って、今も御在命なんでしょうか。知っているかたおられたら
教えてください。
失礼しました。
00117 98/01/12 09:41 ゆり               はじめまして
はじめまして、仏教の経典とか、よく、わかりません。
家には、お仏壇があります。
ご先祖様をまつる仏壇ですが、
日蓮上人さまの小さな「お像」が中央に鎮座してらっしゃいます。
我が家の「宗派」は「法華宗」というのではないかと、
思っています。
大正11年生まれの父は、毎日、お仏壇に向かって、お経をあげる
習慣があります。
仏教について、お勉強になるのではないかと、
入会登録をしてみました。
よろしくおねがいします。
00118 98/01/12 09:54 ゆり               RE:00097   アートマン(我)について
今日、入会した、ゆりHNです。
吉本ばななの「アムリタ」を読んだことが、あります。
読後、釈然としない気持ちが残ったような気がします。
仕事をもっています。(私)
それで、今日は、一番に仕事をしなければなりません。
ここは、仕事場です。
仕事場の事務所のパソコンを今使って投稿しています。
アムリタさん、というハンドルネイム素敵ですよね。
このフォーラムというのは、もっと、真摯な姿勢で参加すべき
場所でしょうか、
おちゃらかすつもりはないのですよ。
ご理解くださいね。
新人です。よろしくお願いします。
00119 98/01/12 13:05 Eisai              RE:00117 はじめまして
ゆりさん、はじめまして。
 ▼
 |\(*^^)v カンパーイ
  ̄
今日はカルベの栓を抜きました。どうぞどうぞ・・・トットットット
 > ご先祖様をまつる仏壇ですが、
 > 日蓮上人さまの小さな「お像」が中央に鎮座してらっしゃいます。
 > 我が家の「宗派」は「法華宗」というのではないかと、
 > 思っています。
 法華宗であればお題目の前に「事の一念三千 本化上行・・所伝・」(うろ覚えス
ミマセン)と唱えてからお題目を唱えるのでしょうか?
 法華宗本門流であれば近所に「本興寺」(尼崎市寺町)という大本山があります。
織田信長が打たれた場所として有名な京都の「本能寺」とともに法華宗の中核をなす
お寺です。「本興寺」には興隆学林というお坊さんの学校があります。
 私は縁あってここの教授である苅谷定彦先生に『法華経』を教わっています。また、
株橋先生と葬儀で同座させて頂いたこともあります。そのうち御書の講義を受けたい
ものです。
 > 大正11年生まれの父は、毎日、お仏壇に向かって、お経をあげる
 > 習慣があります。
 明治・大正の方の信仰の篤さはすごいですね。
ラウンジマスター Eisai
00120 98/01/12 14:28 ゆり               RE:00119  はじめまして
さっそくにレスをいただきまして、ありがとうございます。
お仏壇の前の経机の引き出しを開けてみましたところ、
「法華宗信報」という印刷物が何枚か出てきました。
それには、興隆学林教授  大平宏龍  という方のコラムが掲載されていました。
お正月にお寺さんから来た郵便物には、
「Q&A 法華信徒の生き方と知識」という小冊子も入っていましたが、
中に、法華宗の本山は、
大本山光長寺、大本山鷲山寺、大本山本能寺、大本山本興寺
とありました。
そんなわけで、我が家の「宗派」(?)は、
Eisaiさんのおっしゃる「法華宗本門流」であると思われます。
「事の一念三千本...」については、よくわかりません。
今度よく聞いてみます。
本興寺さんのお近くにお住まいとのことであれば、
生半可な仏教用語を使うのは、恐縮のかぎりですが、
(単なることわざかもしれないけど)〜
袖すり合うもたしょうの縁、
なにやら、えにしとやらを感じたりもいたします。
今日はこの辺で、
今後ともよろしくおねがいします。
ハンドルネイム  ゆり  より
00121 98/01/12 14:52 ゆり               (発言者削除)
00122 98/01/12 18:47 FUKU               RE:00115    仏教徒にとってのクリスマス
>sub:廃仏毀釈
> 全国ニュースによるとかなり積もった様ですね。
> 今朝の大阪は雪は降らないどころか、霜すら降りませんでした。
関東地方は今日もまた雪です。
前回の雪は家にこもっていたので、ひとごとに思っていたのですが、今日は
どうしても外出しなければならない用事があって、雪の中を往復1時間半程
かけて歩いてきました。
> > ずっと疑問に思っているのですが、日本ではお寺と神社が同じ敷地に
> > あるところがありますよね。あれはどういった経緯でああなっている
> > のでしょうね。
>
>
>        多くは廃仏毀釈のためでしょう。
> 廃仏毀釈による影響は神社に土地を取られただけでなく、宗旨の教義面でも国家神
> 道に迎合したような変革を余儀なくされました。その影響は、現在にも色濃く残って
> います。
なるほど。廃仏毀釈ではそういうこともあったのですか。
幕末の尊王攘夷の勢いで大陸からやってきた仏教をなくしてしまおうという意図の
元で廃仏毀釈をやって、ものの、たまねぎの皮を向くように、日本固有のものは何も
ないことがわかって、あきらめたという話を何かで読んだことがあったのですが、
教義面での干渉があったという話は始めて知りました。
>  あと、神仏習合で寺院に神祇を奉っていることは多いと思います。浄土真宗や日蓮
> 正宗の系統は神祇を奉っていないようですが、真言・天台の密教をはじめ禅宗も日蓮
> 宗も神仏習合です。境内に鳥居があることも少なくありません。
神仏習合というのはどういう理由でこうなったのでしょうね。
仏教が日本で根付くためなのでしょうか。
// Fuku
00123 98/01/13 17:23 Eisai              RE:00120  はじめまして
 >  お仏壇の前の経机の引き出しを開けてみましたところ、
 へそくりは出てきませんでした?
 >  「法華宗信報」という印刷物が何枚か出てきました。
 >  それには、興隆学林教授  大平宏龍  という方のコラムが掲載されていました。
 大平先生にもご挨拶したことがあります。背の高い先生だったように記憶していま
す。宗派は違いますが、私も2〜3年のうちに興隆学林で聴講生してみたいと思って
います。
 「法華経ラウンジ」に関連して書いておきます。
 今後ともどうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
Eisai
00124 98/01/13 17:23 Eisai              RE:00122    仏教徒にとってのクリスマス
FUKU さん、どうもです。
 >  神仏習合というのはどういう理由でこうなったのでしょうね。
 そのことを特別調べたことはありませんが、仏教が神祇を習合することは不思議で
ないかもしれません。仏教経典には、梵天王、帝釈天、鬼子母神・・・たくさんの神
祇が出てきます。
 >  仏教が日本で根付くためなのでしょうか。
 それもあるでしょうね。ある地域に布教するにあたり、その地域の氏神様や地神水
神様への信仰を止めさせようとして波風を立てるようなことは仏教は不得手だったか
も知れません。むしろ、それを巧みに取り入れて仏教は全国各地に浸透していったの
かも知れません。
 また、江戸時代は寺請制度があり、よその宗旨の檀信徒を布教することを禁じられ
ていたように習ったことがあります。そこで・・・妙見宮とかお稲荷様といった神祇
を奉るお堂を建立して他宗派の信徒を参詣させて大祭などでお説教を聞かせて布教し
たのではないかと思います。
 何の根拠もありませんが・・・。
Eisai.
00125 98/01/13 19:46 FUKU               RE:00124     仏教徒にとってのクリスマス
>  そのことを特別調べたことはありませんが、仏教が神祇を習合することは不思議で
> ないかもしれません。仏教経典には、梵天王、帝釈天、鬼子母神・・・たくさんの神
> 祇が出てきます。
この人たちは、もともとはインドの神々ですよね。
経典にどういう風に書いてあるのかは、知らないのですが、お寺に行くと
この人たちは、仏の守神のようにして置かれてますよね。
つまり、仏よりも格下の扱いのように見えます。
「あんたが毎日一生懸命祈っている神さんは、うちでは格下の神なんだぜ。
こっちに来な。」
という会話が交わされたかどうかは知りませんが、インドではこんな風にして
仏教徒を増やしていったのかもしれません。
ところが、日本の神はそうではなくて、対等な立場で祀られているように
見えます。
日本の神が本当に偉かったのか、あるいは、日本人的気質のためなのか
インドの神々のようには扱えなかったということなのかなあ、
と思っていたりします。
>  また、江戸時代は寺請制度があり、よその宗旨の檀信徒を布教することを禁じられ
>ていたように習ったことがあります。そこで・・・妙見宮とかお稲荷様といった神祇
>を奉るお堂を建立して他宗派の信徒を参詣させて大祭などでお説教を聞かせて布教し
>たのではないかと思います。
なるほど。そういうこともあったのかもしれませんね。
// Fuku
00126 98/01/14 22:16 Eisai              RE:00125     仏教徒にとってのクリスマ
 >  この人たちは、もともとはインドの神々ですよね。
 >  経典にどういう風に書いてあるのかは、知らないのですが、お寺に行くと
 初期の仏教経典では梵天勧請がありますよね。梵天(ブラフマン)がお釈迦様に仏
法をお説きになるようにお願いするというものです。また、本生譚(ジャータカ)に
は釈迦の前世物語としてしきりに帝釈様・梵天様が出てきます。FUKU さんは御存知
でしょうけど。
 >  この人たちは、仏の守神のようにして置かれてますよね。
 >  つまり、仏よりも格下の扱いのように見えます。
 >  ところが、日本の神はそうではなくて、対等な立場で祀られているように
 この辺を述べるには本地垂迹の勉強をしなくてはなりませんね。インドの神々とイ
ンド仏教、神祇と日本仏教の関わりを調べると面白そうですね。
 仏神を対等で祀るというと、仏さまよりこれらのインドの神様を本尊にするお寺も
あるようです。仏様ではなく菩薩や神祇が本尊というお寺は、仏様をどう捉えている
のでしょうか。
 >  「あんたが毎日一生懸命祈っている神さんは、うちでは格下の神なんだぜ。
 >  こっちに来な。」
 >  という会話が交わされたかどうかは知りませんが、インドではこんな風にして
 >  仏教徒を増やしていったのかもしれません。
 そのへんの事情は来月インドに行った時に雰囲気を感じ取ってきます。このへんの
話はアムリタさんがお得意なのですが・・・そろそろ出てきていただけませんでしょ
うか。
 >  日本の神が本当に偉かったのか、あるいは、日本人的気質のためなのか
 >  インドの神々のようには扱えなかったということなのかなあ、
 >  と思っていたりします。
 宗旨によっては、またそれなりの僧侶と信徒は、そのへんのことを弁えていると思
います。ただ、末端の寺院や檀信徒レベルに於いてはどうでしょう。
 >  なるほど。そういうこともあったのかもしれませんね。
 現世利益を目的とした神祇を奉ってそれが流行ると参詣者は激増して寺院の収入も
莫大だと思います。寺院と各僧侶がそれを方便として、集まった信徒に仏教の真理を
布教し、更なる布教への軍資金とし、檀徒の寺院への経済負担を軽減できればまだ良
いのでしょうけど・・・。
Eisai
00127 98/01/15 01:45 ゆり               RE:00126      仏教徒にとってのクリスマ
今日インドのことを思いました。
今、インドで興っている仏教について、思い起こしました。
インドでは、ヒンズー教徒の占める割り合が一番多いのでしょうか?
ヒンズー教は、私にとって、イスラム教とともに、
なじみの薄い宗教です。
質問ですが、お釈迦様のお生まれになる前、すでに、ヒンズー教、ヒンズー寺院
などは存在していたのでしょうか?
インドに行かれるとのこと、
インドにおける、ヒンズー教のようすを、帰ってきたら教えてください。
ヒンズー教という宗教には、カーストという、概念があり、制度となっているように
記憶していますが、(あてにならない記憶です)
  ある意味でキリスト教の偽善と対極をなすものと、
  考えるとすると飛躍が大きすぎますね。
  このことについては、また、あとで、よく考えて、
  飛躍を埋める文章を書いてみたいです。
ただし、そのカーストが固定化されてしまっている制度、
それにより、下層のカーストに生まれ、そこで、生き、死んでゆく人々の姿を、
わたしは、見たいとおもったのです。
冒頭の「今日インドのことを思いました。」
というのは、そういうことです。
わたしは、インドには行けませんが、できればEisaiさんから、
みてきてほしいとねがいます。
そして、その、カーストの弊害、そこから生まれる不幸にあえぐ人々に、
今、仏教がどのように救済を実践しているのか、
非常に興味が、あります。
きょうは、Eisaiさんの「インド紀行」のおねだりでした。
                                                          
00128 98/01/15 14:08 ゆり               RE:00118    アートマン(我)について
1997/10/24.10/25.10/27.10/28.10/30.付けの発言を、
ちらっと、読んでみました。
アートマンについて、の続きがない理由が、
うっすらと、理解できるような気がする私です。
というのは、
お釈迦様が、おなくなりになるとき、
知恵第1といわれたそうな舎利弗というかたに、
「仏の知恵というものは、はかりしれないほど深いものである。...
...悟りとは、諸仏にだけわかりあえる独自の世界であり、..」
というようなことをおっしゃったと、ききかじったことがあるからです。
私たちは、生身の人間として生きています。
それ以外の姿で存在するものについては、
さまざまな資料から、推察してみたり、
あるいは、私のようなものになりますと、自分の感性で想像するしかありません。
西洋で言う「自我」を仏教では否定的なものとしてとらえているのでしょうか?
それぞれの「自我」が他の「自我」をおもいやり、
がまんしたり、協調したり、そのかかわりあいかたが、あまり無理を感じないで、
やさしく、居心地のよい関係になったとき、
人って幸せを感じるものではないでしょうか?
そんな人間のしあわせを、諸仏は願っていらっしゃるのではないでしょうか?
やさしい心で、草木、人間以外の動物にも心をむけてみる人を、
諸仏は望んでいらっしゃるのではないでしょうか?
専門的なお勉強を全くしたことがない私が、
なんと大それた発言をしてしまったものです。
「知る」ことは大切なことだそうですね。
今後は、このラウンジでもっと知識を増やして、
正しく知るということができたらいいなと思っています。
よろしく、ご指導おねがいします。
今回は、ちと、肩のこるコメントになっていまいました。コリコリ←肩凝りの音
00129 98/01/15 14:51 FUKU               RE:00127       仏教徒にとってのクリスマ
ゆりさん、はじめまして。こんにちは。
ここ、関東は今日もまた雪です。隣の家の屋根に積もった雪が風で舞いあげられ
雪煙となり、さながら吹雪の様相です。ここは雪国かと錯覚してしまうほどです。
最近、ヒンドゥー教にも興味があります。(と、仏教フォーラムで明言するべき
ではないかもしれませんが。。)
アムリタさんがお詳しい分野だと思いますので、私のはそれまでのつなぎだと
思ってお読み下さい。
> インドでは、ヒンズー教徒の占める割り合が一番多いのでしょうか?
「ヒンドゥー教」M・B・ワング著 山口泰司訳 青土社
によると83%以上ということです。
ヒンドゥー教というのは面白い宗教で、他の宗教のように
特定の開祖が存在せず、多くの宗教的信仰や哲学学派が
一つに合流してできたものだそうです。
それに、インドの地に何世紀にもわたって花咲いたさまざまな
学派の考えや教理に、もともとヒンドゥーというラベルが貼られて
いたわけではないし、ヒンドゥー教と呼ばれる宗教があったわけでも
ないそうです。
以上、上記本からの要約です。
>質問ですが、お釈迦様のお生まれになる前、すでに、ヒンズー教、ヒンズー寺院
>などは存在していたのでしょうか?
お釈迦様の生まれたのが、紀元前500年頃とされていますが、ヒンドゥー教
の聖典の一つのリグ・ヴェーダは、紀元前5000年から紀元前900年の
間にできたと推定されているそうなので、すでにその理論体系はあったのだ
と思います。
仏教関係の書物では見ませんが、釈迦さんが苦行した方法はヒンドゥー教
だったのではないかと思ってます。(はっきりした根拠はないのですが)
で、それではだめだということに気付き、それをやめて悟って仏教を
興したと。
私もインドは行ったことがないのですが、その雰囲気を伝えてくれる本として
「深い河」遠藤周作
をお勧めしておきましょう。
あと、昔ちらっとここに書いた青山圭秀さんの本もインド人気質を良く伝えて
くれるのですが、誰にでも勧められる本ではないので、今日の所は
やめておきましょう。
// ふく
00130 98/01/15 14:53 FUKU               RE:00116 特に題名と名づけるようなもんで
>この時期お寺で坐禅なんて寒くていやだなぁー。それを我慢して坐るのが修行なんで
>しょうかね。
私が理解する限り、禅は決して苦行して耐えるものではないと思っています。
釈迦さんは苦行しても悟れないことを悟って悟ったわけですし。
この間見つけた東京・八王子の曹洞宗のお寺、 松門寺のホームページ
http://www.iijnet.or.jp/shomonji/
の「提唱」というところに、「自己に徹する」という題でいい言葉が
書かれています。
あと、ここには、正法眼蔵の全文があります。
>        僕が好きな禅の本は
>        「禅談」澤木興道
>        「生命の実物」内山興正
>        です。ともに何回か読み直しました。(理由・簡単だから)
どちらも読んだことがないです。今度読んでみたいと思います。
私が最初に感銘を受けた禅の本は
「般若心経の智慧」秋月龍みん(みんは王へんに民) PHP文庫
です。この本で禅というか仏教哲学に始めて触れ、カルチャーショック
を受けました。
// ふく
00131 98/01/15 17:34 FUKU               RE:00126      仏教徒にとってのクリスマ
>> 経典にどういう風に書いてあるのかは、知らないのですが、お寺に行くと
>
> 初期の仏教経典では梵天勧請がありますよね。梵天(ブラフマン)がお釈迦様に仏
>法をお説きになるようにお願いするというものです。また、本生譚(ジャータカ)に
>は釈迦の前世物語としてしきりに帝釈様・梵天様が出てきます。FUKU さんは御存知
>でしょうけど。
いえ、仏教を体系的に勉強しているわけではないので、あまり知らなかったり
します。(^^;
梵天勧請の話の方は知ってましたけど。
>> この人たちは、仏の守神のようにして置かれてますよね。
>> つまり、仏よりも格下の扱いのように見えます。
>
>> ところが、日本の神はそうではなくて、対等な立場で祀られているように
>
> この辺を述べるには本地垂迹の勉強をしなくてはなりませんね。インドの神々とイ
>ンド仏教、神祇と日本仏教の関わりを調べると面白そうですね。
これのことですね。
大辞林より。
-----
ほんじすいじゃくせつ【本地垂迹説】[1][1]−[4]
 本地である仏・菩薩が、救済する衆生の能力に合わせた形態をとってこの世に出現
してくるという説。日本では神道の諸神を垂迹と考える神仏習合思想が鎌倉時代に整
備されたが、その発生は平安以前にさかのぼる。垂迹である神と、本地である仏・菩
薩との対応は必ずしも一定していない。
-----
なるほど。これが神仏習合のことですか。
始めて知りました。勉強になります。
> 仏神を対等で祀るというと、仏さまよりこれらのインドの神様を本尊にするお寺も
>あるようです。仏様ではなく菩薩や神祇が本尊というお寺は、仏様をどう捉えている
>のでしょうか。
そうそう。菩薩が本尊というのはどういうことなのかなと、実は密かに前から
思ってました。
仏教は奥が深いですね。というか、幅が広いというべきか。
> そのへんの事情は来月インドに行った時に雰囲気を感じ取ってきます。このへんの
>話はアムリタさんがお得意なのですが・・・そろそろ出てきていただけませんでしょ
>うか。
楽しみにしてます。
// ふく
00132 98/01/16 11:34 ゆり               RE:00129        仏教徒にとってのクリス
FUKUさん、はじめまして、こんにちは。
インドにおけるヒンドゥー教徒の割合83%以上とのこと、
むずかしいご本を調べていただき教えていただきましたこと、感謝申し上げます。
「リグ・ヴェーダ」..
紀元前5000年から900年という時代、
インドの地には、すでに文字によってしるされた聖典があったということに、
新鮮な驚きをおぼえました。
(リグ・ヴェーダを教えていただいてほんとにありがとう)
「リグ・ヴェーダ」から「ウパニシャッド」。
その「ウパニシャッド」にアートマンとブラフマンとが、
本質的に同一であると知ること..→輪廻からの解脱..
というふうな教義が解かれているのでしょうか?
仏教は「ウパニシャッド」の教えを継承しつつ、
もしくはそれを超越した宗教なのでしょうか?
お釈迦様がお説きになった仏教って、
ほんとに奥深いお教えだと思います。
今日のこの新鮮な驚きはハピネスです。
このラウンジでまた新たなハピネスにめぐりあえますように☆
    ゆり
PS/「深い河」1冊、「青山圭秀さんの本」2冊、
           ゆりの本棚にもございます。(^ ^)       
00133 98/01/16 13:44 Eisai              インドの宗教と仏教
ゆりさん、どうもです。
何時までも「 仏教徒にとってのクリスマス 」というチェーンでは何ですので、新し
いチェーンにしました。
 > 今、インドで興っている仏教について、思い起こしました。
 現代の日本仏教は、インド原産でありながら、中国化した後に伝搬し、鎌倉仏教に
よって大衆化したものです。さらに明治維新以後は世俗化の波にあらわれています。
 伝統仏教宗派も新興宗教としての仏教も何か ? という感覚を持っています。一
僧侶として微力を尽くしたく思います。
 > 質問ですが、お釈迦様のお生まれになる前、すでに、ヒンズー教、ヒンズー寺院
 > などは存在していたのでしょうか?
 昔はバラモン教っていってたようですね。詳しいことをお知りになりたいときは下
記を参考にして下さい。
----------------------------------------------------------------------
婆羅門教 ばらもんきょう [Brahmanism]
 古代インドにおいて,仏教興起以前に,バラモン(_婆羅門)階級を中心に,_ヴェー
ダ聖典に基づいて発達した特定の開祖をもたない宗教.およそ前3世紀ころから,バ
ラモン教がインド土着の諸要素を吸収して大きく変貌して成立してくるヒンドゥー教
と区別するために西洋の学者が与えた呼称.バラモン教(婆羅門教)はその邦訳語.広
義にヒンドゥー教という場合にはバラモン教をも含んでいる.
 紀元前1500年ころを中心に,インド_アーリヤ人がパンジャーブ(五河)地方(インダ
ス河中流域)に進入し,さらに東進してバラモンの宗教・文化を確立し,バラモン階
級を頂点とする4階級からなる_四姓(シセイ)制度を発達させた.彼等は進入時からおよ
そ紀元前500年ころまでの間に,厖大な根本聖典ヴェーダを編纂した.その宗教の本
質は多神教であるが,_リグ_ヴェーダ_に始まる宇宙の根本原理の探求は_ウパニシャ
ッドにおいてその頂点に達し,_梵我一如(ボンガイチニヨ)の思想が表明されるにいたった.
またウパニシャッドで確立された_業(ゴウ)・_輪廻(リンネ)・_解脱(ゲダツ)の思想は,イ
ンドの思想・文化の中核となったばかりか,仏教とともにアジア諸民族に深く広い影
響を与えた.ヴェーダの神々のなかには,_帝釈天(タイシヤクテン)や_弁才天(ベンザイテン)の
ように,日本で崇拝されているものもある.
----------------------------------------------------------------------
                        岩波仏教辞典EB版より

 > ただし、そのカーストが固定化されてしまっている制度、
 古代、インドに侵入したアーリア人が先住民族を支配するため設けられたとか。し
かし、生まれが全てを決してしまう世界は日本人にとって厳しい世界ですね。インド
には豊臣秀吉はいないのでしょうか。
 お釈迦様は仏教の出家の世界にはカースト制を持ち込まないようにされたようです
ね。
 > きょうは、Eisaiさんの「インド紀行」のおねだりでした。
 ホームページで写真や音声入りの紀行を執筆するつもりです。機材が盗難に遭わな
ければ・・・。DVの小型ビデオカメラを持っていきます。
Eisai
00134 98/01/16 13:45 Eisai              RE:00128    アートマン(我)について
ゆりさん、どうもです。
 >  お釈迦様が、おなくなりになるとき、
 >  知恵第1といわれたそうな舎利弗というかたに、
 >  「仏の知恵というものは、はかりしれないほど深いものである。...
 >  ...悟りとは、諸仏にだけわかりあえる独自の世界であり、..」
 >  というようなことをおっしゃったと、ききかじったことがあるからです。
 法華経方便品第二の冒頭にそのような記述があります。いわゆる「三止三請」と言
われる部分です。
 >  私たちは、生身の人間として生きています。
 インドに於けるお釈迦様も生身の人間でした。
 >  それ以外の姿で存在するものについては、
 >  さまざまな資料から、推察してみたり、
 >  あるいは、私のようなものになりますと、自分の感性で想像するしかありません。
 自分の過去世や来世・・・それは想像すらしません。過去世がどうであれ、現世や
来世がどうなろうと、すべて私はお釈迦様に任せています。そういう気持ちで「南
無」の気持ちになっています。そうすると、そこそこ何かあっても老病死かららとき
はなたれたように気持ちが楽になにます。でも未だ四苦八苦の怨憎会苦・愛別離苦な
どは克服できません。
 >  やさしく、居心地のよい関係になったとき、
 >  人って幸せを感じるものではないでしょうか?
 そうでなくてはいけないとわかりつつ、そうできないのも人間ですね。生かし生か
される世界・・・それが仏教の慈悲の世界なんでしょうけど・・・。
 >  専門的なお勉強を全くしたことがない私が、
 >  なんと大それた発言をしてしまったものです。
 そんなことはないと思います。とくに大乗は心根を大切にしていると思います。専
門的な仏教知識を持って驕る人間より、ゆりさんの言われた気持ちが大切ということ
は経典にもあります。
 ただ、何もしないのは良くないでしょうね。お宗旨の修行というものなしに、お宗
旨の説くところの利益はないでしょう。日本人は棚からぼた餅の信仰が多いですね。
仏教による救済という言葉を勘違いして、何もしないでも利益(成仏を含む)を求め
る厚かましい民族です。
 私個人としては、お経文の原文を味読されることを勧めます。そこには、仏陀が私
たちを導こうとして説かれた巧みな表現に満ちています。
 あえて経典を引用して説明しません。もちろん経文を引用することはできますが、
私が引用できるのは法華経が95%くらいになってしまいます。ここを法華経だけの
会議室にしたくないのです。ただ、毎朝『法華経』69384文字を1/16ずつ読んでいて
感じたことを述べさせて頂きました。(さぼる日も多いのですが・・・。)
Eisai.
00135 98/01/16 18:44 FUKU               RE:00133 インドの宗教と仏教
> 何時までも「 仏教徒にとってのクリスマス 」というチェーンでは何ですので、新し
> いチェーンにしました。
コメント、こちらに付けさせてもらいます。
>インドにおけるヒンドゥー教徒の割合83%以上とのこと、
>むずかしいご本を調べていただき教えていただきましたこと、感謝申し上げます。
この本は、初学者向けの本で、ヒンドゥー教全般についてさらっと書いてあります。
ゆりさんも本屋で見かけたら、手に取って御覧になると良いと思います。
>        「リグ・ヴェーダ」..
>        紀元前5000年から900年という時代、
>        インドの地には、すでに文字によってしるされた聖典があったということ
に、
>        新鮮な驚きをおぼえました。
>        (リグ・ヴェーダを教えていただいてほんとにありがとう)
ヒンドゥー教の経典には二種類あって、一つは、「シュルティ」- 聞いて得たもの
(天啓聖典)、もう一つは「スムリティ」- 伝統もしくは記憶さるべきもの
(聖伝文学)があるそうです。
で、ヴェーダとウパニシャッドはシュルティのカテゴリに属するものだそうです。
これらは長いこと師から弟子へ口伝されて受け継がれてきたのだそうですが、
ある時期に、これらは文字化されたということです。(前述の本より)
紀元前5000年から900年というのは、この本の文脈からすると文字化された
聖典のことだと思うのですが、もしかすると違うかもしれません。(はっきり
読み取れない。。)
現存する最古のテキストは少なくとも紀元前300年までには存在していた
だろうとされているようです。
ちなみに、ヴェーダは4編あって、
リグ・ヴェーダ
ヤジュル・ヴェーダ
サーマ・ヴェーダ
アタルヴァ・ヴェーダ
だそうです。
有名なアーユルヴェーダはここには入ってないんですね。
>        「リグ・ヴェーダ」から「ウパニシャッド」。
>        その「ウパニシャッド」にアートマンとブラフマンとが、
>        本質的に同一であると知ること..→輪廻からの解脱..
>        というふうな教義が解かれているのでしょうか?
再び、上述の本から引用しましょう。
ヒンドゥー教徒は、人間の努力や行いはすべてカルマの法則に従って
いるのだから、物質的世界のなかで何かを成就したいという欲望など
いっそ消去してしまおうと考えている。この物質的世界で何かを
成就することに重きを置けば、いつかまた地上に生まれ変わる
ことに対する備えをしていることにほかならないからである。
解脱に達するためには、この世で何かを獲得しようとする行為
によるのではなく、神と一体化した自己の体験、つまり宇宙的実在
(ブラフマンすなわち梵)と自己(アートマンすなわち我)との一体化
の体験によるしかない。
(引用ここまで)
解脱を目的として輪廻転生を見る点は仏教と同じですよね。
一番の違いは、仏教では常住不変のものはないとし、ブラフマンやアートマンの
存在を認めない点だと思います。
>        仏教は「ウパニシャッド」の教えを継承しつつ、
>        もしくはそれを超越した宗教なのでしょうか?
私は、そんなふうに思ってます。
継承したというか、それが当時の常識だったので、必然的にその考えがいたる
ところにちりばめられているのかな、と思ってます。
>        PS/「深い河」1冊、「青山圭秀さんの本」2冊、
>        ゆりの本棚にもございます。(^ ^) 
そうでしたか。失礼しました。
同じ本を読んだ人と出会えるというのも何だか嬉しいものです。
ちなみに私は、青山さんの本は全4冊とも読みました。
// ふ
00136 98/01/16 22:28 FUKU               RE:00128     アートマン(我)について
>西洋で言う「自我」を仏教では否定的なものとしてとらえているのでしょうか?
>それぞれの「自我」が他の「自我」をおもいやり、
>がまんしたり、協調したり、そのかかわりあいかたが、あまり無理を感じないで、
>やさしく、居心地のよい関係になったとき、
>人って幸せを感じるものではないでしょうか?
以前、紹介した「般若心経の智慧」秋月龍みん
の言葉を使って仏教の自我について説明してみましょう。
ちなみに、秋月さんは、禅の人です。
自我とは、本来の自己(仏性)を外側に包み込んでいるもので、
普通、その自我を本来の自分のように思っています。
が、本当はそうではなくて、その自我を取り去ったところに本来の自己
があり、その本来の自己を見るのを悟りといいます。
自我(エゴ)を否定して、自己(セルフ)になる。
とこの筆者は表現しています。
これは、般若心経でいうと
「色即是空  空即是色」
の部分に相当します。
筆者はこれを
自我は無我だ(色即是空)、その無我こそが自己なのだ(空即是色)
と説明します。
衆生本来仏なりという言葉があります。
衆生にはもともと、仏になる可能性(仏性)がある
ということを言っています。しかし、自我を本来の自分だと
思っている限りは、仏にはなれません。その自我を本来の
自分だと思っている限りは、愛憎離苦に苦しむわけです。
その本来の自己を見るには、宗教体験が必要とされます。
だから、私にはわからないわけです。(^^;
さて、自分が悟りを開いたらそれでお終いかというと、
そうではありません。そこが大乗仏教の奥深い所で、
自己の悟りは、そのままただちに一切衆生のための慈悲
となってほとばしらせなければなりません。
仏教の深い慈悲を知ったのは、この本です
「ダライラマ生き方の探究」ダライラマ14世テンジン・ギャツォ 春秋社
チベット密教の菩薩(仏教の修行者)の心得を説いたもので、
その中にこうかかれています。
引用開始
あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ
悟りは他者のためを思うことより生ずる
それゆえ、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する
それが菩薩の実践である。
引用終了
として、自他を交換してみよ
と言っています。
仏教の考え方が唯一の真理とは思っていませんし、西洋的思想
を否定するべきだとも思いません。
できたら、両者のいいところを取り入れていけたらいいなあと思います。
といっても、仏教は、悟らない限りわからないので、
私には一生無理かなあとも思ってます。(^^;;
間違いとかあったら指摘して下さい。> 皆さん
// ふ
00137 98/01/17 00:51 A.K             RE:00130  特に題名と名づけるようなもん
ふくさん。コメントありがとうございます。早速ご紹介いただいたHP、ブックマー
クに入れました。
今年は、できるだけいろいろなお寺に行って、坐らせてもらおうと思っています。
>私が最初に感銘を受けた禅の本は
>「般若心経の智慧」秋月龍みん(みんは王へんに民) PHP文庫
>です。この本で禅というか仏教哲学に始めて触れ、カルチャーショック
>を受けました。
これはまだ読んでいないので早速買いに行きたいと思います。
ところで日本テーラワーダ協会というところでやっている「ヴィッパサナー瞑想」っ
てご存じでしょうか。
アルボムッレ・スマナサーラという方が提唱されているどちらかといえば上座仏教の
教えなのですが、この方が書かれた『人生はゲームです』という本に最近、感銘を受
けまして、出来ればご縁をいただきたいと思っています。
たしか月刊「大法輪」にも連載されておられます。
「禅」と決めたらそれ一筋にやり続けるべきなんでしょうが、まだいろいろと浮気し
てしまいます。良くないですね。
A・K
00138 98/01/18 01:38 ゆり               地球の景色を見に
今から何年前のことだろう。
私は地球の景色を観に宇宙からここにやって来た。
ふと、そう感じたことがあったような気がする。
その思いは、いつも、こころのどこか、めだたないところに
隠れていたのでしょうね。
ある年参加したスキーの合宿で、
高校生の女の子たちと同室になったとき、
会話がはずんで、冒頭のことを話したら、
同室の女の子たちはびっくりしたみたいだった。
あれっ、誰もが感じたり思ったりすることではなかったのかと、
改めて気がついて、私自身もすこし驚いた記憶がある。
その後のことだと思う。
家族が交通事故で病院に入院したことがあった。
自営業なので、働き手の中心が入院したことで、
家業の仕事は危機に直面した。
あいにくと年に1度の繁忙期に重なっていたのだった。
私としては、第一に、生活基盤である仕事に支障を来たすことだけは、
避けなくてはならないと考えた。
慣れない業務だったけど、
お客様への迷惑は、最小限にとどめたいと、仕事に関して
私なりに最大限努力したと思う。
ぎりぎり、時間を都合して、病院へ行った。
入院している家族は、仕事より、
自分の世話をしてくれることを優先して欲しかったと思う。
不満がたまっていたのでしょうね。
好物と思って買って行った焼きトウモロコシを、
手作りじゃないからといって私の見ている前でゴミばこに捨てた。
病院からの帰り道、車の窓から
私の住むふるさとの山並みと、暮れなずむ空と雲の景色が見えた。
「いいんだ、私は、この景色を見るために
地球に生まれて来たんだ。
ほかのことは、どうでもいいんだ。」
景色を見ながら泣きながら車を運転して帰ったこと、
覚えています。
00139 98/01/18 15:23 FUKU               RE:00138 地球の景色を見に
>病院からの帰り道、車の窓から
>私の住むふるさとの山並みと、暮れなずむ空と雲の景色が見えた。
>「いいんだ、私は、この景色を見るために
>地球に生まれて来たんだ。
>ほかのことは、どうでもいいんだ。」
>景色を見ながら泣きながら車を運転して帰ったこと、
>覚えています。
人に対して善かれと思ってやったことなのに、わかってもらえない
のは悲しいことですよね。
入院した家族の人も忙しい時期に交通事故にあっていらだって
いたために、ゆりさんの気持ちもわからずにそういう事をして
しまったかもしれませんね。
白状すると私は、人から傷つけられるのが恐くて人と深い付き合い
を避け、何ごとからも逃げてきた人間です。でも、最近、それでは
いけないと思うようになり、何ごとも真正面から受け止めるように
しています。仏教と出会ったのもそんな頃です。
『ダライ・ラマ生き方の探究』にはこんな言葉があります。
尽した相手が、理不尽にも私をひどく傷つけても
その相手を最高の友として見なすことができますように
私には、一生こんな心境にはなれないでしょうけど、
この言葉をいつも頭の片隅に置いておくようにしてます。
// ふ
00140 98/01/18 15:49 FUKU               RE:00137   特に題名と名づけるようなもん
>ところで日本テーラワーダ協会というところでやっている「ヴィッパサナー瞑想」っ
>てご存じでしょうか。
>アルボムッレ・スマナサーラという方が提唱されているどちらかといえば上座仏教の
>教えなのですが、この方が書かれた『人生はゲームです』という本に最近、感銘を受
>けまして、出来ればご縁をいただきたいと思っています。
そういう方面は良く知らないです。
その本、読んでみようかと思います。
>「禅」と決めたらそれ一筋にやり続けるべきなんでしょうが、まだいろいろと浮気し
>てしまいます。良くないですね。
いろいろな考えを知ることは悪いことではないと思います。
私は、広く浅くの性格なので、これと決めずに一生ふらふらしてると
思います。(^^;
// ふ
00141 98/01/18 15:50 FUKU               RE:00134     アートマン(我)について
> 自分の過去世や来世・・・それは想像すらしません。過去世がどうであれ、現世や
>来世がどうなろうと、すべて私はお釈迦様に任せています。そういう気持ちで「南
>無」の気持ちになっています。そうすると、そこそこ何かあっても老病死かららとき
>はなたれたように気持ちが楽になにます。でも未だ四苦八苦の怨憎会苦・愛別離苦な
>どは克服できません。
元の話題とはかなり変わりますが、、、
チベット密教などでは輪廻転生というものがかなり重視されているようですが、
日本の仏教ではあまりそういう話は聞かないような気がします。
輪廻転生という概念によって、今生で悟れなくても、今生の行いによって
来世が良くなるか悪くなるかが決まる。だから、今生でもあきらめずに
良い行いをせよ、という事を言っていると思います。
来世をお釈迦様に任せるというのは、法華経での考え方なのでしょうか。
それともEisaiさんのお考えなのでしょうか。
以前、アムリタさんが指摘されていたように、輪廻転生という考え方
は常住不変の実体はないとする仏教の考え方とは矛盾しているという
問題もあると思うのですが、輪廻転生を表に出して説く宗派は、これを
どう説明するのかという点にも興味あります。
> あえて経典を引用して説明しません。もちろん経文を引用することはできますが、
>私が引用できるのは法華経が95%くらいになってしまいます。ここを法華経だけの
>会議室にしたくないのです。ただ、毎朝『法華経』69384文字を1/16ずつ読んでいて
>感じたことを述べさせて頂きました。(さぼる日も多いのですが・・・。)
私は法華経に触れた事がないので、出来たらそのさわりだけでも
紹介して貰えたら嬉しいなあと思っていたりもします。
お忙しいでしょうけど、考えて貰えませんか。
// ふ
00142 98/01/18 21:23 ゆり               RE:00135  インドの宗教と仏教
今日は街の本屋さんまで出掛けて来ました。
ご紹介いただいた「ヒンドゥー教」M・Bワング著
がありませんでした。
注文では手元に届くまで日数のかかるのがで、(1冊しかなかった)を買って来まし
た。
難しそうなので、読み通せるか不安です。
その本屋さんの店頭に並んでいた、唯一のヒンドゥー教関係の本
「ヒンドゥー教」ニロッド・C・チョウドリー著
8240円もしました。
1996年発行、初版本です。
かなり、専門書に近い雰囲気がしたしますね..
まだ、目次にも目を通していません。(トホッ)
ただ400ページちょっとの本なので、
心がけてページをめくって行きたいと思います。
P/S
FUKUさんお奨めの、松門寺のホームページ、
行った見ました。
「正法眼蔵」全文、たしかにありました。(^ ^)
*くらべると今日買って来た本のほうが読破の可能性は高いと思われます。
..ゆり
00143 98/01/19 13:44 Eisai              RE:00141     アートマン(我)について
Fuku さん、こんにちは。雪はもう落ち着きましたか?
 >  チベット密教などでは輪廻転生というものがかなり重視されているようですが、
 >  日本の仏教ではあまりそういう話は聞かないような気がします。
 輪廻転生を言わない訳ではないと思いますが、誤解を招きやすいので話題にされる
ことが少ないかも知れません。
 >  輪廻転生という概念によって、今生で悟れなくても、今生の行いによって
 >  来世が良くなるか悪くなるかが決まる。だから、今生でもあきらめずに
 >  良い行いをせよ、という事を言っていると思います。
 これは大切なことだと思います。「悪いことをすると死んでからこんな目に遭う
ぞ!」と、子供に地獄草紙などの絵を見せるのは良いことだと思います。滅悪生善は
仏教の理想でしょう。そして、そういう考え方は悪事を働く宿命を持った私たち凡夫
のブレーキに成ってくれると思います。
 >  来世をお釈迦様に任せるというのは、法華経での考え方なのでしょうか。
 >  それともEisaiさんのお考えなのでしょうか。
 『法華経』ではないと思います。
 南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛、南無妙法蓮華経、南無観世音
菩薩・・・「南無」は仏教の一番大切な言葉だと思います、そして、「南無」とは帰
命という意味です。帰命とは・・・命がけで帰依いたします・・・という意味です。
 命がけの帰命とは・・・いろいろな言い方があるでしょうけど、一つの言い方とし
て・・・全てをゆだねるということだと思います。私はお釈迦様と仏教経典にすべて
をゆだねる気持ちでおります。来世だけでなく今生もお釈迦様に任せる気持ちであり
ます。
 >  以前、アムリタさんが指摘されていたように、輪廻転生という考え方
 >  は常住不変の実体はないとする仏教の考え方とは矛盾しているという
 >  問題もあると思うのですが、輪廻転生を表に出して説く宗派は、これを
 >  どう説明するのかという点にも興味あります。
 常住不変の「常」はどういう意味なのでしょうね。常=∞ なのでしょうか。単に
数え切れない程の大きな数値ということなのでしょうか。
 >  私は法華経に触れた事がないので、出来たらそのさわりだけでも
 >  紹介して貰えたら嬉しいなあと思っていたりもします。
 >  お忙しいでしょうけど、考えて貰えませんか。
 ありがとうございます。
 実は、ホームページに詳細な『法華経』解説をしようなどと意気込んでいます。そ
もそも「法華経ラウンジ」を作ったのも、そのへんのねらいがあるのです。
 ぼちぼち始めさせて頂きます。
 禅系統の書物にも『法華経』の引用が多いと思います。もし、何かご質問があれば
仰って下さい。宗派的な解釈にこだわらないよう回答させて頂きます。ROMの方も
どうぞ。
 偉そうなことを言って答えなければどうすんねん。いえいえ・・・独り言です。
Eisai.
00144 98/01/20 18:57 FUKU               RE:00142   インドの宗教と仏教
>        「ヒンドゥー教」ニロッド・C・チョウドリー著
>        8240円もしました。
>        1996年発行、初版本です。
>        かなり、専門書に近い雰囲気がしたしますね..
難しそうな本をお買いになりましたね。
頑張って下さい。面白い話があったらぜひ、紹介して下さいね。
ちなみに、題名のわかっている本を買う時に私がよく利用するのは、
http://www.maruzen.co.jp/
丸善さんです。
検索した本をその場で注文できます。
あ、クレジットカードは必須だったと思います。
>        「正法眼蔵」全文、たしかにありました。(^ ^)
>        *くらべると今日買って来た本のほうが読破の可能性は高いと思われます。
正法眼蔵は専門家も解釈に苦しむという代物だそうですから。。。
そういう私は、上に買いた本屋さんで
『正法眼蔵 〜七十五巻本〜』 道元 石井恭二 河出書房新社
全4冊をとうとう注文してしまいました。
正法眼蔵解説本はいくつかありますが、この本にした理由は、以前、
大きい本屋で見た時にこれが、一番字が大きくて読みやすかったから
というだけの理由です。(^^;
全部で2万円近くの出費です。(ひー。必要経費にしてやるー。(うそ))
// ふ
00145 98/01/20 18:58 FUKU               RE:00143      アートマン(我)について
>        Fuku さん、こんにちは。雪はもう落ち着きましたか?
日曜日に一日中降った雨のおかげでだいぶ溶けました。
すずめ達も久々に露出した地面のえさを争うようにしてついばんで
いるのを見ました。
> これは大切なことだと思います。「悪いことをすると死んでからこんな目に遭う
>ぞ!」と、子供に地獄草紙などの絵を見せるのは良いことだと思います。滅悪生善は
>仏教の理想でしょう。そして、そういう考え方は悪事を働く宿命を持った私たち凡夫
>のブレーキに成ってくれると思います。
博物館や美術館で夜、夢でうなされそうな地獄絵図とかを見たことがあります。
でも、悪いことをすると地獄に落ちるぞというよりは、良いことをしていれば、
来世かそのまた次では最終的な解脱ができるのだぞというような前向きな思考
の方が私の好みにはあってます。
>『法華経』ではないと思います。
>南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛、南無妙法蓮華経、南無観世音
>菩薩・・・「南無」は仏教の一番大切な言葉だと思います、そして、「南無」とは帰
>命という意味です。帰命とは・・・命がけで帰依いたします・・・という意味です。
>
>命がけの帰命とは・・・いろいろな言い方があるでしょうけど、一つの言い方とし
>て・・・全てをゆだねるということだと思います。私はお釈迦様と仏教経典にすべて
>をゆだねる気持ちでおります。来世だけでなく今生もお釈迦様に任せる気持ちであり
>ます。
これは、ただの確認ですが、すべてを任せるというのは、自分は何もしない
というわけではないですよね。
私は禅という、少し乱暴に言えば、「自分が釈迦になってやる」的な考え
を持った宗派の人の書いた本で始めて仏教思想に触れたので、いわゆる
他力本願という考えも仏教に含まれているというところにどうも違和感
を感じてしまいます。私の持つ仏教のイメージは、遠い昔に釈迦
が体験したのと同じことを自分が追体験する為の宗教なんですね。
でも、日本人に仏教の印象を聞いたら、ほとんどが他力本願的な「すがる」
対象として思っているのではないでしょうか。
>> 以前、アムリタさんが指摘されていたように、輪廻転生という考え方
>> は常住不変の実体はないとする仏教の考え方とは矛盾しているという
>> 問題もあると思うのですが、輪廻転生を表に出して説く宗派は、これを
>> どう説明するのかという点にも興味あります。
>
> 常住不変の「常」はどういう意味なのでしょうね。常=∞ なのでしょうか。単に
>数え切れない程の大きな数値ということなのでしょうか。
私は、時間軸上の「常」だと思ってますが。
「無常」の「常」のことではないのですか?
> 実は、ホームページに詳細な『法華経』解説をしようなどと意気込んでいます。そ
>もそも「法華経ラウンジ」を作ったのも、そのへんのねらいがあるのです。
>
>ぼちぼち始めさせて頂きます。
楽しみに待ってます。
// ふ
00146 98/01/21 13:43 Eisai              RE:00144   インドの宗教と仏教
 >  >        8240円もしました。
 >  難しそうな本をお買いになりましたね。
。
 >  『正法眼蔵 〜七十五巻本〜』 道元 石井恭二 河出書房新社
 >  全4冊をとうとう注文してしまいました。
 >  全部で2万円近くの出費です。(ひー。必要経費にしてやるー。(うそ))
 皆様熱心ですねぇ〜。
 私も書籍の購入費は馬鹿になりません。かといって、大都市の大きな図書館にも
超?専門的な仏教書は少ないです。大学図書館は出身校でなければ入りづらいですし
ね。私は宗旨の関連する立正大学(品川区大崎)に年間を通しての閲覧許可をもらっ
ています。しかし、ここでも超々?専門分野の本は○×研究室備付とかで容易に閲覧
できません。
 さて、書籍販売は再販売価格維持制度があります。音楽CDなどはマイナーなCD
を適正な価格で販売するためにも再販売価格維持制度が必要だと新聞記事にあったよ
うな気もします。ならば、書籍では地味な販売部数の仏教書も再販売価格維持制度で
安くならないものでしょうか。実は現状でも安くなっていたりするのでしょうか。
 >  ちなみに、題名のわかっている本を買う時に私がよく利用するのは、
 >  http://www.maruzen.co.jp/
 >  丸善さんです。
 これは良いですね。うちから大阪の大手書店まで行く時間がありません。是非利用
したいと思います。あと、本の題名などの検索ですが、
  http://www.books.or.jp/
 これは本をさがす(books.or.jp)が便利です。現在日本で入手可能な53万冊の本
の検索ができるそうです。故あって?店頭に並べることのできない本まで検索にヒッ
トしました。
Eisai.
00147 98/01/21 13:44 Eisai              他力本願?
 いつまでも「アートマン(我)について」というチェーンでは判りづらいので、新
たなチェーンにします。これは re 145 です。
Fuku さん、引き続きどうもです。
 >  これは、ただの確認ですが、すべてを任せるというのは、自分は何もしない
 >  というわけではないですよね。
 自分では何もしないのでは決してないと思います。
 日本人の現在の信仰は「救済」という言葉を誤解していると思います。仏事は母屋
任せ、長男任せ、嫁さん任せなんてよくある話です。自分は何の信仰しなくても修行
しなくても、口を開けていれば「棚からぼた餅」のごとく功徳が来ると思っているの
でしょうか。
 >  他力本願という考えも仏教に含まれているというところにどうも違和感
 >  を感じてしまいます。
 恐らく、他力本願は親鸞さんの系統である浄土真宗系だけのものでしょう。悪人正
機の他力本願にも惹かれるものがありますが、親鸞さんの他力本願はどういったもの
なのかは私は何とも言えません。親鸞主義者の方に教えて頂ければありがたいのです
が、どなたかROMしておられませんでしょうか。
 私は『歎異抄』しか読んだことありません。『歎異抄』は非常に誤解されやすい御
書だそうです。
 >  私の持つ仏教のイメージは、遠い昔に釈迦
 >  が体験したのと同じことを自分が追体験する為の宗教なんですね。
 う〜ん。
 妻子を捨て、財産を捨て、剃髪して、粗末な袈裟を着て、托鉢によって命をつなぎ、
瞑想する毎日・・・。インドやスリランカ(セイロン)などインド文化圏でないとで
きないかも知れません。そういう生活に憧れているかも知れない人を一人二人知って
いますが・・・。それがお釈迦様のされた修行ですよね。他の理由で妻子を捨てよう
とする人も・・・いえいえ(^_^;。
 出来る人は、精進されたら良いと思います。ただ、それが凡夫にはできないから大
乗仏教運動が興ったのでしょうね。『阿弥陀経』、初期『般若経』郡、『法華経』あ
たりは在家仏教的な意味合いが強いようですが、龍樹以後は出家仏教にもどったとか。
出家仏教における在家の仏教修行とはどういうものなのでしょう。
 >  でも、日本人に仏教の印象を聞いたら、ほとんどが他力本願的な「すがる」
 >  対象として思っているのではないでしょうか。
  ほぼ全国の農村を席巻した浄土真宗さんの他力本願
  中古天台本覚思想
  宗教の世俗化
  僧侶の堕落
  さしたる努力もしないで結果を得ようとする現在の風潮
 といった影響があるのでしょうね。
 私どもの宗旨でも、数年前まで大寒入ると檀信徒と団扇太鼓叩いて寒行をしたもの
です。ある人はお滝に打たれ、ある人は毎朝読経し、ある人はお寺の朝勤に参
り・・・誰に言われなくても、本山に登詣し、霊跡を巡り、霊峰の御来光を拝み、信
仰を深めていったのです。そして、僧侶も檀信徒も、仏祖や宗祖の伝記、経典の意味、
祖師の文章など相当読んでいましたし知っていました。力のあるものは「南無・・」
だけで済むわけでなく、「南無・・」を唱えながら、様々な修行に参加し、勉強し、
本を読み、より深く堅固な信仰に入っていったようです。
Eisai
00148 98/01/21 13:44 Eisai              RE:00145      アートマン(我)について
Fuku さん、どうもです。
 >  でも、悪いことをすると地獄に落ちるぞというよりは、良いことをしていれば、
 >  来世かそのまた次では最終的な解脱ができるのだぞというような前向きな思考
 >  の方が私の好みにはあってます。
 仰ることわかります。
 ただ、苦しい世界というのは具体的に想像しやすいですが、仏教に説くところの安
楽な境地というのはイメージとして表しにくいかも知れませんね。
 酒も美味いし、ねぇちゃんも綺麗だ〜♪
の世界ではないでしょうし (^_^;
Eisai
00149 98/01/24 17:04 FUKU               RE:00147 他力本願?
> 出来る人は、精進されたら良いと思います。ただ、それが凡夫にはできないから大
>乗仏教運動が興ったのでしょうね。
そうですね。
ただ、私が追体験と言ったのは、お釈迦さまの体験した至高体験の追体験の
ことでして、そこに至るための方法は特にお釈迦さまのやった方法をそのまま
真似なくてもいいのではないかと思っています。
実際、それに至る道がいくつもあるために、仏教にたくさんの宗派がある
とはいえないでしょうか。
> 妻子を捨て、財産を捨て、剃髪して、粗末な袈裟を着て、托鉢によって命をつな
ぎ、
>瞑想する毎日・・・。インドやスリランカ(セイロン)などインド文化圏でないとで
>きないかも知れません。そういう生活に憧れているかも知れない人を一人二人知って
>いますが・・・。それがお釈迦様のされた修行ですよね。他の理由で妻子を捨てよう
>とする人も・・・いえいえ(^_^;。
時々、そういう生活に憧れることもあります。(^^;
でも、それには相当な覚悟が必要ですし。。
ちなみに、私は妻子はいませんので、この方面は問題ありません。(^^;;
>  ほぼ全国の農村を席巻した浄土真宗さんの他力本願
>  中古天台本覚思想
>  宗教の世俗化
>  僧侶の堕落
>  さしたる努力もしないで結果を得ようとする現在の風潮
>
> といった影響があるのでしょうね。
浄土真宗にも興味が出てきました。ちょっと調べてみたいと思います。
> 私どもの宗旨でも、数年前まで大寒入ると檀信徒と団扇太鼓叩いて寒行をしたもの
>です。ある人はお滝に打たれ、ある人は毎朝読経し、ある人はお寺の朝勤に参
>り・・・誰に言われなくても、本山に登詣し、霊跡を巡り、霊峰の御来光を拝み、信
>仰を深めていったのです。そして、僧侶も檀信徒も、仏祖や宗祖の伝記、経典の意
味、
>祖師の文章など相当読んでいましたし知っていました。力のあるものは「南無・・」
>だけで済むわけでなく、「南無・・」を唱えながら、様々な修行に参加し、勉強し、
>本を読み、より深く堅固な信仰に入っていったようです。
すごいですね。
数年前までということは、今はやられていないのですか。
// ふ
00150 98/01/24 17:05 FUKU               RE:00148       アートマン(我)について
>> でも、悪いことをすると地獄に落ちるぞというよりは、良いことをしていれば、
>> 来世かそのまた次では最終的な解脱ができるのだぞというような前向きな思考
>> の方が私の好みにはあってます。
>
>仰ることわかります。
>ただ、苦しい世界というのは具体的に想像しやすいですが、仏教に説くところの安
>楽な境地というのはイメージとして表しにくいかも知れませんね。
>
> 酒も美味いし、ねぇちゃんも綺麗だ〜♪
>
>の世界ではないでしょうし (^_^;
そういえば、地獄図はあっても天国図っていうのは見ませんね。
浄土宗系だとたくさんの如来達が雲に乗って降りてくる、如来来迎図
がありますが、あれなんかが天国のイメージでしょうか。
あるいは、密教だと曼茶羅とか。
仏画とか仏像自体も天国のイメージなんでしょうか。
仏像の光背に天女みたいのがひらひらと空を舞っている像がくっついていたりも
しますね。
思想的には輪廻転生の輪を断ち切る解脱がその境地なのではないでしょうか。
// ふ
00151 98/01/26 21:41 Eisai              RE:00149 他力本願?
 >  実際、それに至る道がいくつもあるために、仏教にたくさんの宗派がある
 >  とはいえないでしょうか。
 凡夫が仏になるための道、凡夫に出来る修行は限られてくるかも知れませんね。
 >  時々、そういう生活に憧れることもあります。(^^;
 おお・・・ここにもインドや東南アジアでの頭陀行に憧れる方がおられました
か・・・。南インドの雰囲気を肌で感じ取ってきます。
 >  ちなみに、私は妻子はいませんので、この方面は問題ありません。(^^;;
 GFがいたら同じだったりして。いえいえ・・・。まあ、妻子(夫)を捨てて出家
しても良いわけですし。
 >  すごいですね。
 >  数年前までということは、今はやられていないのですか。
 寒行をするにも、夜にクルマがビュンビュン走る道でするのは危険ですし、都市化
された街では騒音の迷惑かもしれません。また、狭い歩道を占拠して大音響の団扇太
鼓はこちらも遠慮します。そのうえ、檀信徒の若い世代は会社勤めですから寒行の時
間までに帰宅できません。そもそも、10人以上で行進するには警察の許可がいるそ
うです。
 そんなこんなで、十数年前に寒行は中止したようです。
Eisai
00152 98/01/26 21:41 Eisai              RE:00150       アートマン(我)につい
 > そういえば、地獄図はあっても天国図っていうのは見ませんね。
 私もあやふやでしたので確認しました。「天国」についてです。
 東京書籍「仏教語大辞典」(中村元)、岩波「仏教辞典」に天国という項目はあり
ません。恐らく、「天国」はキリスト教やイスラム教の語彙かも知れません。
 > 浄土宗系だとたくさんの如来達が雲に乗って降りてくる、如来来迎図
 > がありますが、あれなんかが天国のイメージでしょうか。
 日本(東アジア)はこの辺が呑気ですね。阿弥陀仏の浄土に行ってからが修行なの
でしょうから。『法華経』の三車火宅でもそうです。火宅を出て大白牛車を賜ればそ
れで成仏だと思っている方が多いです。しかし、大白牛車に乗って目的地まで行って
初めて成仏ではないでしょうか。
 もちろん、浄土真宗は往生即成仏と捉えられているのらしいのですが・・・。その
辺は真宗教学の奥義に触れなければなんとも言えません。
 >  思想的には輪廻転生の輪を断ち切る解脱がその境地なのではないでしょうか。
 享楽的な現代日本と相反する世界なのでしょうか。
Eisai
00153 98/02/02 19:33 Eisai              六曜 > 大安・仏滅はこだわる必要なし?

 NHKのAM放送で暦についての放送がありました。
 なんでも、大安とか仏滅・・・といった「六曜」ですが、明治以後に登場したもの
だそうです。
 残念ながらクルマを運転しながら聴いていましたので誰が喋っているのか判りませ
んでした。そこで、「暦入門 渡邊敏夫 雄山閣」を購入しました。さすれば、P1
88に同じ事が書かれていました。
  六曜は旧暦時代の暦には全く記載がない
のだそうです。短絡的に考えるとあまり大安・仏滅・友引などにこだわる必要はなさ
そうですね。
  旧暦 正月、七月  一日が「先勝」
  旧暦 二月、八月  一日が「友引」
  旧暦 三月、九月  一日が「先負」
  旧暦 四月、十月  一日が「仏滅」
  旧暦 五月、十一月 一日が「大安」
  旧暦 六月、十二月 一日が「赤口」
 以後、二日から先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口と割り当てていくそうです。
この法則は私もスケジューラーを自作しようとしたときに勉強したことがあるのです
が・・・。
 先勝 せんしょう 先んずれば人を制する
 友引 ともびき  相打ち友引とて勝負なしと知るべし
 先負 せんふ   さきんずれば負けるので諸事静かなるがよい
 仏滅 ぶつめつ  万事に凶
 大安 たいあん  何事もすべて吉
 赤口 しゃっこう 朝夕は何事も凶、正午頃は吉
 ラジオの放送によればこれらの読み方もいろいろあるそうです。どれかに統一しよ
うにも権威のある書物がないそうです。これも江戸末期から明治以後におこった六曜
の迷信たる所以でしょうか。
 To Be Continued.
Eisai
00154 98/02/07 17:34 ゆり               RE:00144    インドの宗教と仏教
このまえ購入した「ヒンドゥー教」という本についてですが、
なかなか、ページを開くことなく日々を過ごしておりました。
今日はじめて、「謝辞」「序言」を読みましたが、
まだ1ページも読んでいないこのになります。
1ページめは、次の「序論  ヒンドゥー教とは何か」から始まります。
執筆に3年を費やし、1977年、著者80才にようやくできた、
イギリスにおいて7年間、執筆に必要な研究に従事したと、
謝辞および序言にあります。
気がとおくなります。
晴耕雨読の環境がほしい..
日々、仕事、雑事、些事、などにとらわれて、
よくわからないで使ってしまいますが「煩悩」と
ともに生きるとでも言ってしまいたい、
今日このごろです。
  ゆり
00155 98/02/08 14:45 FUKU               RE:00152        アートマン(我)につい
何だか忙しがっているうちにもう2月になってしまいました。
いつのまにか長野五輪ピックも始まってますね。
>私もあやふやでしたので確認しました。「天国」についてです。
>東京書籍「仏教語大辞典」(中村元)、岩波「仏教辞典」に天国という項目はあり
>ません。恐らく、「天国」はキリスト教やイスラム教の語彙かも知れません。
そうみたいですね。大辞林には
てんごく【天国】[1]
 (1)神や天使が住む、天上の理想郷。キリスト教・イスラム教では、信仰を貫い
た者が死後に赴き永生を得る所とする。神の国。⇔地獄。
 (2)理想的な世界。悩みや危険のない楽しい所・環境。「子供の―」
とありました。
仏教だと「極楽」ですか。
極楽というのは浄土宗系でしか言わないのでしょうか。同じく大辞林より。
ごくらくじょうど【極楽浄土】[5]
 阿弥陀仏のいる世界。西方十万億土の彼方にあり、まったく苦しみのない理想郷で、
今も阿弥陀仏が法を説いているとされる。阿弥陀仏を信じ、ひたすら念仏を唱えると、
死後ここに迎えられるという。西方浄土。極楽世界。極楽界。極楽安養浄土。極楽。
>  日本(東アジア)はこの辺が呑気ですね。阿弥陀仏の浄土に行ってからが修行なの
>でしょうから。『法華経』の三車火宅でもそうです。火宅を出て大白牛車を賜ればそ
>れで成仏だと思っている方が多いです。しかし、大白牛車に乗って目的地まで行って
>初めて成仏ではないでしょうか。
成仏という言葉が良くわかっていないのですが、
禅から仏教の思想に触れた私は、成仏というと悟りのことを思い浮かべる
のですが、ここでいう成仏はどちらの意味なのでしょうか。
じょうぶつ 【成仏】[1]
 (名)スル (1)〔仏〕煩悩を解脱し、悟りを開いて仏となること。得仏。
(2)死んで、この世に執着を残さず仏となること。「兄さんも姉さんも草葉の蔭で
―する事が出来ないから/真景累ヶ淵{円朝}」
(3)死ぬこと。
成仏=悟りと考えると、
禅では悟りを開いたら衆生に交わって衆生を教化することと教えるようですが、
上の三車火宅というのもそれに近いのでしょうか。
多分、浄土宗系の成仏はそのまま死ぬことだと思うんですが。
浄土宗系のような他力本願の宗教もあってもいいと私は思ってます。
それで救われる人がいたからあれだけ広まったのでしょうし。
私は、仏教の定義を
お釈迦様の悟りという至高体験を追体験するという命題を
含まなければならない
と考えています。(私の勝手な定義)
他力本願とは言っても、ひたすら念仏を唱えることで極楽浄土に
行けると唱えているので、一心不乱に唱えていれば
悟り体験もあり得るのではないかとも思います。
そういう意味では上の様に仏教を定義してもおかしくないという
ことになると思いますが、間違ってるでしょうか。
じょうどしゅう 【浄土宗】[3]
 平安末期、法然が浄土三部教や浄土論に基づいて創始した浄土教の一派。阿弥陀仏
の本願に頼り、もっぱら念仏を唱えて極楽に往生することを教義とする。浄土専念宗。
// ふ
00156 98/02/08 14:51 FUKU               RE:00153 六曜 > 大安・仏滅はこだわる必
> 残念ながらクルマを運転しながら聴いていましたので誰が喋っているのか判りませ
>んでした。そこで、「暦入門 渡邊敏夫 雄山閣」を購入しました。さすれば、P1
>88に同じ事が書かれていました。
>
>  六曜は旧暦時代の暦には全く記載がない
むかーし、そんな話を聞いた事があるような気がします。
ちなみに、本題とは全然関係ありませんが、その本に
旧暦、正確に言うと太陽太陰暦で閏月を挿入するルールなんて
書いてありますか?
旧暦の正月は立春の前後15日で最初の朔(新月)の日というのは
分かったのですが、閏月の挿入ルールの書いてある本を探して
います。
// ふ
00157 98/02/08 15:02 FUKU               RE:00154     インドの宗教と仏教
>1ページめは、次の「序論  ヒンドゥー教とは何か」から始まります。
>執筆に3年を費やし、1977年、著者80才にようやくできた、
>イギリスにおいて7年間、執筆に必要な研究に従事したと、
>謝辞および序言にあります。
なんだか強力な本のようですね。
青山圭秀さんの新著が出てました。
『生命の科学』三五館
今度のは、アーユルヴェーダの本です。
この本によると、アーユルヴェーダは、リグヴェーダを補う役目の
副(ウパ)ヴェーダになるそうです。
試しに、アーユルヴェーダをインターネットで検索してみたところ
結構あるんですね。
例えばここなど。
http://www2.begin.or.jp/ytokoji/ayurveda/
ここで、意外なことを知りました。
スリランカでは、アーユルヴェーダが仏教と交わって、仏教の
考え方も取り入れられているとのこと。
あと、日本の仏教寺院のホームページでもアーユルヴェーダ
を取り上げているところがありますね。
>日々、仕事、雑事、些事、などにとらわれて、
>よくわからないで使ってしまいますが「煩悩」と
>ともに生きるとでも言ってしまいたい、
>今日このごろです。
めげずに頑張って下さいね。
// ふ
00158 98/02/10 15:21 Eisai              RE:00155        アートマン(我)につい
FUKU さん、どうもです。
 >  何だか忙しがっているうちにもう2月になってしまいました。
 >  いつのまにか長野五輪ピックも始まってますね。
 不景気の時代に忙しいのは有り難いことですね。
◆お釈迦様と阿弥陀様
 >今も阿弥陀仏が法を説いているとされる。阿弥陀仏を信じ、ひたすら念仏を唱える
と、
 >死後ここに迎えられるという。西方浄土。極楽世界。極楽界。極楽安養浄土。極楽。
 手前味噌(といっても禅も法華経を読みます)な話になりますが、『法華経』には
  常住此説法 (常に此に住して法を説く)
           『妙法蓮華経如来寿量品第十六』
とあります。滅したはずのお釈迦さんも常にこの娑婆世界で法を説いておられるとい
う経文です。無量寿仏としての阿弥陀仏も、『法華経』の久遠仏である釈迦如来も共
通点を観じます。
 でもって、何が言いたいかというと、『法華経』はこの世(娑婆世界)が今も説法
をする浄土だといっているようです。
  衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
  我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
           『妙法蓮華経如来寿量品第十六』
◆成仏とは・・・
 >  成仏という言葉が良くわかっていないのですが、
 >  禅から仏教の思想に触れた私は、成仏というと悟りのことを思い浮かべる
 >  のですが、ここでいう成仏はどちらの意味なのでしょうか。
 成仏について本質的なことを語れたら聖者の範疇でしょうね。
 >  じょうぶつ 【成仏】[1]
 >   (名)スル (1)〔仏〕煩悩を解脱し、悟りを開いて仏となること。得仏。
 >  (2)死んで、この世に執着を残さず仏となること。「兄さんも姉さんも草葉の
蔭で
 >  ―する事が出来ないから/真景累ヶ淵{円朝}」
 >  (3)死ぬこと。
 (1)煩悩から解脱するだけであれば、声聞の最高位である阿羅漢の位でしょう。
 やはり悟りを開かないといけないんでしょうね。ただ、悟りにもいろいろな段階
 があるような気がします。
 (2)やはり、生きている内は成仏など口にすると増上慢でしょうね。いえいえ、
 釋尊依頼生きたまま成仏した人はありませんよね。じゃあ、即身成仏はどう捕ら
 えられれば良いのでしょう。
 (3)は完全に通俗的な意味ですね。死体を仏と呼ぶのは、本覚論や如来蔵思想
 の強い影響化にあった証左でしょうか。
◆悟り
 >  禅では悟りを開いたら衆生に交わって衆生を教化することと教えるようですが、
 >  上の三車火宅というのもそれに近いのでしょうか。
 雲水のいう「悟りを開く」の意味がよく分かりません。
 ただ、「悟りを開いたら衆生に交わって衆生を教化する」という部分は『法華経』
的ですね。自然とそういう気分になってこそ本物なのでしょう。
 自分の得た深遠な境地や智慧を自分のものだけにせず、みんなに分け与える。決し
て、布教(教化)しなければならないから布教するのではないと思います。その布教
を強制する新興の宗旨がありますが、そのようなことをするから暴力的な布教になっ
て、かえって仏法僧に泥を塗るようなところがあるのでしょう。
 >  多分、浄土宗系の成仏はそのまま死ぬことだと思うんですが。
 「往生即成仏」なんていう言葉があったように思います。
 >  浄土宗系のような他力本願の宗教もあってもいいと私は思ってます。
 >  それで救われる人がいたからあれだけ広まったのでしょうし。
 生かさず殺さず、戦乱や封建制度の中で虐げられてきた昔の農民門徒には無量光如
来(阿弥陀)への信仰は心の糧だったに違いないでしょう。
◆仏教の定義
 >  私は、仏教の定義を
 >  お釈迦様の悟りという至高体験を追体験するという命題を
 >  含まなければならない
 >  と考えています。(私の勝手な定義)
 経典か先哲の文書から間接的にでも示唆されたものですか?
 ともかく、仏事は親や長男や嫁さんに任せて、自身は簡単な修行はおろか、南無○
○・・すら唱えない。葬儀、法事、正月、盂蘭盆、御祈祷・・・くらいしか仏教に触
れない。そんな現状の日本仏教は仏教でないと思います。
Eisai
00159 98/02/11 08:37 Eisai              明日からインド仏教遺跡参詣旅行
 明朝から、私はインドの仏教遺跡を巡る旅行に参ります。
 2月19日までアクセスできませんが悪しからず御了承下さいませ。
 にしても・・・・日本のモデムを持参してもあちらで使えるのでしょうかねぇ。イ
ンドに NIFTY、IIJ、DTIあたりの提携したアクセスポイントがないかどうか調
べてみます。もし、万が一通信可能であればインドからライブ?でアクセスします。
Eisai
00160 98/02/20 06:32 秋田の鰰           ご無事でしたか。
Eisaiさん
ご無事にお帰りでしょうか。暑かったのではないでしょうか。
インドは国会議員選挙で大分混乱があったように伝えられていましたが。
参拝如何でしたか。
アクセスがなかったようですので、やはり無理でしたか。
もっとも電子機器を持ち込むこと自体大変ではなかったのではないでしょうか。
参拝記、楽しみにしております。
                                 秋田の鰰
00161 98/02/20 14:37 Eisai              RE:00160 ご無事でしたか。
秋田の鰰さん、こんにちは。
 >  ご無事にお帰りでしょうか。暑かったのではないでしょうか。
 一番暑い日は35°ほどあったそうですが、乾期のデカン高原は非常に乾燥してい
まして、体感温度はさほどでもありませんでした。
 >  インドは国会議員選挙で大分混乱があったように伝えられていましたが。
 選挙の日はちょうど、ナーガルジュナコンダの遺跡に行く日でした。人造湖の島に
渡るのですが、船の出帆時刻に影響がありました。反面、異国の選挙運動を観られた
のはラッキーでした。
 >  アクセスがなかったようですので、やはり無理でしたか。
 NIFTY-Serve、IIJ、DTIともに不可能だったようです。サポートに問い合わ
せたわけではありませんでしたが。
 >  もっとも電子機器を持ち込むこと自体大変ではなかったのではないでしょうか。
 電子手帳の通信機能を使うのであれば大変ではないと思います。
 次回インドに行くときは是非持っていきます。
 アクセス云々ではなく、英語力が自分で驚くほど低下しており、パソコンの翻訳機
が欲しかったです。
 >  参拝記、楽しみにしております。
 ぼちぼち、書きます。アムリタさんもフォローを宜しくお願いします。
Eisai
00162 98/02/21 22:03 Eisai              インド旅行のはみ出し情報 >臭い
 アムリタさんたちのツアーでインドに行って来ました。ホームページで旅行記を公
開する前に、はみ出し情報などを少しずつ連載するつもりでいます。
  旅行期間 平成10年2月12日〜19日
  目 的 地 インド デカン高原
  仏教遺跡 アジャンタ、エローラ、ナーガルジュナサーガル、アマラバティー
■インドの臭い
 「インドの空港に降り立つと途端にインドの臭いが・・・」そんな話を聞いたこと
はないでしょうか。
 しかし、乾期の二月にデカン高原を旅行した私にはそのような臭いは感じられませ
んでした。臭いといえば、カレーの香辛料の臭いがインドの臭いであり、変な臭いは
感じませんでした。
[インド人の体臭]
 インド人の体臭は別に気になりませんでした。むしろ、正露丸を服用している日本
人の臭いをインド人は奇異に思っているのではないでしょうか。私にとっては、オー
ディコロンを塗りすぎた類の欧米人や、納豆を食べた日本人の方がよっぽど嫌な臭い
です。
[家畜の臭い]
 インドでは至る所で家畜と出会います。しかし、臭いは全く感じません。日本の養
鶏場や牛舎のような酷い臭いはほとんど感じません。広い場所で放し飼いにしている
のと、空気が乾燥しているからでしょうか。
 逆に臭いがしないから、牛糞に気づかず、何度も危うく踏みそうになりました。
[排気ガスの臭い]
 中華人民共和国に旅行したとき、排気ガスの臭いは深刻でした。ところが、インド
のそれはそれほど気にはなりませんでした。
Eisai
00163 98/02/22 20:11 FUKU               RE:00162 インド旅行のはみ出し情報 >臭
>アムリタさんたちのツアーでインドに行って来ました。
>ホームページで旅行記を公開する前に、はみ出し情報などを少しずつ連載する
>つもりでいます。
おかえりなさい。旅行記楽しみにしてます。
>私にとっては、オーディコロンを塗りすぎた類の欧米人や、納豆を食べた日本人
>の方がよっぽど嫌な臭いです。
うむー。納豆嫌いですか。
// ふ
00164 98/02/22 20:53 Eisai              インド旅行のはみ出し情報 >通貨とお酒
■インドの通貨
 ボンベイやマドラスなどの大きな町では円も両替できました。100円が30ル
ピー・・・1ルピーはおよそ3.3円です。ドルを経由した両替よりは恐らく効率的
でしょう。ただし、地方に行くとドルすら両替できないので注意が必要です。また、
余ったルピーは外貨に換金できないので注意が必要です。
 ホテルの枕銭(チップ) Rs  10
 コーラ(観光地の売店) Rs  10 (コカコーラも33円)
 インドの線香      Rs  20 (直径 3cm の束)
 ビール(ホテルにて)  Rs 160
 出国税?(空港にて)  Rs 500 (およそ1800円!)
■インドでのお酒
 公共の場所でお酒は飲めないことになっていますが、私は旅行中毎晩毎晩お酒を飲
んでいました。インド人はお酒を飲まないのかと思うとそうでもないらしいです。某
観光地の日本語ガイドさんも昼からビールを飲んでおられました。夜の寝台車で私達
外国人がまわりに遠慮しながら飲む分には何の問題もなかったです。
 ただしビールは中瓶クラスでも日本円で400〜500円くらいします。ビールを
飲む方は両替を多めにしておいた方がよいかも知れません。
Eisai.
00165 98/02/22 21:12 Eisai              RE:00163 インド旅行のはみ出し情報 >
FUKU さん、どうもです。
 >  うむー。納豆嫌いですか。
 納豆は苦手ですねぇ。
 ある、お坊さんの修行が修了したとき、感想を書くように言われました。そこで、
すかさず、
 「大豆を腐らせた特殊で地域的な食物を全国からの参加者に出すべきでない」
と書いて抗議しました。( ^^)v
Eisai
00166 98/02/23 06:14 秋田の鰰           RE:00163  インド旅行のはみ出し情報 >
>>アムリタさんたちのツアーでインドに行って来ました。
>>ホームページで旅行記を公開する前に、はみ出し情報などを少しずつ連載する
>>つもりでいます。
>
>おかえりなさい。旅行記楽しみにしてます。
>
>>私にとっては、オーディコロンを塗りすぎた類の欧米人や、納豆を食べた日本人
>>の方がよっぽど嫌な臭いです。
>
>うむー。納豆嫌いですか。
>
>// ふ
やはり納豆は嫌いですが。私は大好きです。それはそれとして、私は一度目の時は
何でもなかったんですが、二度目の時には、見た目は日本と同じですが、野菜のきつ
い香りに閉口しました。品種改良がされていない、原種に近いせいかなと思ったりもし
ました。
何度もインドに行っている人の話ですと、年々、インドの香り(本当にそういうもの
があるのか)
なくなっているそうです。私は最初の時にデリー国際空港に立ったときかなり強烈な
香りの洗礼を受けましたが、二度目の時は有りませんでした。
                                      
     秋田の鰰
00167 98/02/23 06:25 秋田の鰰           RE:00164 インド旅行のはみ出し情報 >通
>
>■インドの通貨
>
> ボンベイやマドラスなどの大きな町では円も両替できました。100円が30ル
>ピー・・・1ルピーはおよそ3.3円です。ドルを経由した両替よりは恐らく効率的
>でしょう。ただし、地方に行くとドルすら両替できないので注意が必要です。また、
>余ったルピーは外貨に換金できないので注意が必要です。
>
> ホテルの枕銭(チップ) Rs  10
> コーラ(観光地の売店) Rs  10 (コカコーラも33円)
> インドの線香      Rs  20 (直径 3cm の束)
> ビール(ホテルにて)  Rs 160
> 出国税?(空港にて)  Rs 500 (およそ1800円!)
>
私の時と殆ど変わりないようですが、若干円安か。もっともかなり前なので。それでも
チップは当時2ルピーでしたので、高くなったようですね。
>■インドでのお酒
>
> 公共の場所でお酒は飲めないことになっていますが、私は旅行中毎晩毎晩お酒を飲
>んでいました。インド人はお酒を飲まないのかと思うとそうでもないらしいです。某
>観光地の日本語ガイドさんも昼からビールを飲んでおられました。夜の寝台車で私達
>外国人がまわりに遠慮しながら飲む分には何の問題もなかったです。
> ただしビールは中瓶クラスでも日本円で400〜500円くらいします。ビールを
公共の場所では禁酒ですか、私の時には週に一回禁酒日があったようでが、やはりみ
んなで
飲んでいました。日本人は無頓着なのか、お金の力なのか。平気で飲んでいました。
                                      
    秋田の鰰
00168 98/02/23 13:47 Eisai              RE:00166  インド旅行のはみ出し情報 >
秋田の鰰さん、こんにちは。
 >  それはそれとして、私は一度目の時は
 >  何でもなかったんですが、二度目の時には、見た目は日本と同じですが、野菜のき
つ
 >  い香りに閉口しました。品種改良がされていない、原種に近いせいかなと思ったり
もし
 >  ました。
 野菜の香りは気になりませんでしたねぇ。
 というより、生野菜はなるべく食べないようにしました。
 >  私は最初の時にデリー国際空港に立ったときかなり強烈な
 >  香りの洗礼を受けましたが、二度目の時は有りませんでした。
 何月頃でした?
 私は乾期のボンベイ(ムンバイ)に降り立ちました。

 >  私の時と殆ど変わりないようですが、若干円安か。もっともかなり前なので。
 >  それでもチップは当時2ルピーでしたので、高くなったようですね。
 日本人がチップをはずみすぎるから相場が上がったのでしょうか。
 インドでもインフレがあるのでしょうか、ルピーの下のパイサなどは一度も見ませ
んでしたし、10ルピー札以下の紙幣や硬貨もあまりお目にかかりませんでした。
 恐らく観光地のホテルやショップでしかお金を使わなかったからでしょう。何でも
ない町の露店でチャイを飲めば話は別だと思います。
Eisai
00169 98/02/23 13:48 Eisai              インド旅行のはみ出し情報 >健康
 インドでの下痢の大きな要因は、食べ過ぎ、飲み過ぎ、エアコンによる冷えが主な
原因のようで、細菌性のものは少ないとのことです。一度、下痢などを起こすと、香
辛料の刺激も相まってなかなか治らないかもしれません。
  腹八分目ではなく腹七分目
   香辛料が効いて食欲をそそり、ついつい食べ過ぎる傾向にあります。また、満
腹にすると
   胃腸に負担がきます。そして、香辛料は胃腸にも刺激的であり、摂取する香辛
料の量は多
   くない方がよいかも知れないです。
  飲み過ぎ
   乾期のインドでは汗をかきません。というより、汗が皮膚を濡らす前に蒸発し
てしまいま
   す。そんな状態ですから、多くの水分を摂取しなければなりません。しかし、
水分を摂取
   し過ぎると胃腸がやられます。とくに炭酸飲料や、お酒は節度が必要でしょう。
  エアコン
   インドのエアコンは効きすぎるくらいです。長袖のカーディガンを羽織っても
ガタガタ震
   えるくらい寒いことがありました。寒そうにしている日本人の横で、インド人
は扇風機の
   スイッチを入れるという追い打ちまでしてくれます。下半身は無防備。太股や
腰が冷えて
   そこから腹部まで冷えてきて、あえなく私は胃腸の調子を崩しました。
  屋台の揚げ物に注意
   火を通したものは一般に安全でありましょうが、露店などの揚げ物には注意し
なければなら
   ないそうです。そんなに良い油は使っていないでしょうし、古い油で揚げたも
のを食べて食
   中たりすると酷いらしいです。
  治りにくい胃腸の不調
   一度胃腸の調子を崩すと・・・旅行の気疲れは胃腸に良くないですし、刺激的
な香辛料の食
   事も胃腸によくないでしょう・・・治りにくいと思います。酷い下痢ではなく
とも、正露丸
   など効かないようです。強力な下痢止めを含め、抗生物質などを、旅行前に医
師やに処方し
   てもらう必要があるようです。
Eisai
00170 98/02/25 21:53 Eisai              南インド仏教遺跡旅行記 introduction
インド デカン高原横断 仏教遺跡旅行記
 お釈迦様の古里、憧れのインドに旅行してきました。
 といっても、今回は仏跡には参詣していません。デカン高原の仏教遺跡を巡るツ
アーです。世界文化遺産に登録されている「エローラ」や「アジャンタ」をはじめ、
旅行のガイドブックにほとんど登場しない「ナーガルジュナコンダ(サーガル)」や
「アマラバティー」を訪ねました。そして、チェナイ(マドラス)の博物館でアマラ
バティーの展示を観て旅を締めくくりました。
 とくに「ナーガルジュナコンダ」や「アマラバティー」に関する資料は日本では入
手しにくいものであり、ここで情報発信することは意義深いことだと自負しています。
 この旅行記は下記を基準としたものです。
  旅行期間  平成10年2月中旬
  為替レート \100 = Ru 30 ( Ru 1 = \3.30 ) ムンバイのホテルにて
 また、この旅行記は注意をして著作したつもりですが、記載の間違いや不適切な情
報があるかも知れないことは予め御了承ください。
00171 98/02/25 21:54 Eisai              南インド仏教遺跡旅行記 エローラ
■エローラ(Ellora)への道中
 平成10年2月12日未明、シンガポール航空 SQ338 便でムンバイ(ボンベイ)
の空港に降り立ち、早朝 6:10 ムンバイ(ボンベイ)発の特急列車 7617EXP でオー
ランガバードに向かう。アラビア海からデカン高原を横断してベンガル湾へ抜ける旅
の始まりです。
 インドの東岸であるベンガル湾に注ぐ、ゴーターヴァリー川やクリシュナー川など
の大河の源流は広大なインド大陸を横切り、インド西部アラビア海のすぐ近くである
ことに気づく。東ガート山脈を除けば、デカン高原の屋根はアラビア海に近い西ガー
ト山脈のようであります。
■寒かった A/C (エアコン)車輛
 ムンバイからオーランガバードまでは7時間以上です。しかし、この道中は非常に
寒かったです。事前にインドの A/C 車は寒いと聞いていたのでランニングシャツ、
半袖ポロシャツ、カーディガンと三枚着て乗り込みました。しかし、それでも寒い。
寒い上に、インド人は壁の扇風機にスイッチを入れている。
 カーディガンを着た上半身はともかく、夏物スラックスの太股が冷えて困りました。
手ぬぐいタオルをかけて、バックを膝の上において防戦してもダメでした。私の胃腸
はこのさむさにあえなくダウン。(^_^;
 何でも、インドの A/C 車輛の乗車券は高価なものです。ですから、インド人はガ
ンガンにエアコンが効かないと納得しないとか・・・。
■オーランガバード(Aurangabad)
 ムンバイ(ボンベイ)から、北東に向かい西ガート山脈の北部の峠を越えたところ
がオーランガバード(アウランガバード Aurangabad)です。列車だと7時間以上の
長旅です。飛行機の便があれば飛行機が正解かも。古都で由緒正しき町のようですが、
駅や町の規模も様相も少々田舎の雰囲気です。
■ダウラターバード(Daaulatabad)
 オーランガバードの駅から、バスに乗って一路エローラへ向かう。今後、この旅行
記での道中は全て舗装路であったことを付記しておきます。エローラに向かう途中、
ダウラターバードという砦跡を通過した。
 この砦は、岩山をそのまま砦にしたもので、遠くから見てもその凄さがわかる。ま
ず、人工の絶壁である。この砦を攻めに来ても、あの絶壁を昇らないと攻められない
と思うと敵も戦意を削がれるかもしれない。さすが、エローラやアジャンタの石窟寺
院を残すだけの地方であります。さらに、砦からかなりの距離に城壁が築かれていて、
往時の繁栄と力を感じることができます。エローラに行く道中、この城壁をくぐるこ
ととなります。今度、エローラに来ることがあれば是非立ち寄りたい砦跡です。
■エローラ(Ellora)
 さて、オーランガバードから1時間ほどでエローラに到着します。エローラはアジ
ャンタとともに世界文化遺産に登録されている石窟寺院群です。エローラの詳細につ
いてはガイドブックに詳細に書かれていますのでそちらを参考にして下さい。ここで
は、ガイドブックにない情報を書かせて頂きます。
 実際に訪れてみると、石窟寺院の規模の大きさと精巧さには驚かずにはいれません。
間口の広さ、天井の高さ、壁面の彫刻、柱の配置、仏像・・・それらは重機やCAD
のない時代に作られたのです。設計者や職人の技術の高さと根気、膨大な資金、絶対
的な信仰心、それらの全てが揃わないとこのような芸術は残せなかったでしょう。
 ただ、残念なことには、エローラの石窟寺院の壁画はほとんどはげ落ちています。
壁画はアジャンタで鑑賞することができます。仏教寺院ばかりのアジャンタに対して、
こちらはヒンズー教やジャイナ教の石窟群が観られること、そして露天掘りのカイ
ラーサナータ寺院(第16窟)が観られることがメリットでしょうか。
 カイラーサナータ寺院(第16窟)はさすがに規模が大きく、ガイドブックの写真
からはその大きさははかることはできません。そうそう、カイラーサナータ寺院(第
16窟)を岩山の上から見ることもできます。入場料を払う入口を入らず、山に向か
って右側の坂を登って行くと全景を見下ろすことが出来ます。数十メートルの絶壁で
柵などないですから、高所恐怖症の人にはお勧めできません。
 さて、インドの仏教遺跡全般に言えることです。日本語ガイドさんがいる旅行の場
合でも、お釈迦様の伝記(釈迦伝)やお釈迦様の前世物語(本生譚 = ジャータカ)
などの勉強をしているとエローラやアジャンタをはじめ、仏教遺跡を巡るときに面白
いと思います。さもなくば壁画や彫刻を観ても感動は半減すると思います。せっかく
インドに行くのであれば良い仏縁だと思って勉強されては如何でしょうか。後生まで
も功徳があるかも。
 また、日本語ガイドが近くにいない場合、現地の職員に英語で質問することになり
ますが、困るのは日本語で慣れ親しんでいる仏教用語です。サンスクリット語ではど
ういうのか知っておくと質問するのに便利です。現地の日本語ガイドに専門的な質問
をするにも良いかも知れません。
★現地情報
 ビデオカメラ持ち込み Ru 25
 16窟入場料は Ru 0.50 だそうですが、金曜日は無料だそうです。
 アジャンタのような、露店の客引きなどはほとんどありません。
★参考となる旅行ガイド
 地球の歩き方 '98〜'99版 Bインド P478 - P481
 ブルーガイド 海外版 28 インド  P212 - P214


00172 98/02/25 21:54 Eisai              南インド仏教遺跡旅行記 アジャンタ
アジャンタ(Ajanta)
 オーランガバードから北へ100kmあまりのところにアジャンタの石窟寺院群が
あります。アジャンタは紀元前1世紀から紀元後5世紀頃に掘られた石窟寺院群です。
私はエローラよりもこのアジャンタの方が感動しました。すべてが仏教寺院であるこ
とと、素晴らしい壁画が残っていることなどによるものです。
 さて、このアジャンタはエローラよりも露店の客引きが強引なので注意が必要です。
名前を訊いてきて(もちろん教えない)、執拗に勧誘をします。このまま露店まで引
っ張って行かれたらゆっくり強引な売り込みは必定ですし、露店には見るべきものは
なかったように観測されました。土産はオーランガバードのちゃんとした店で買った
方がよさそうです。私はオーランガバードに帰ってから土産にヒムロー織りという織
物を買いました。この織物はこのあたりの特産品らしいです。私の買ったのは 50cm
×120cm くらいの手織で、臙脂色の模様に金糸を沢山織り込んでなかなか綺麗でした。
$48 でした。
 エローラもアジャンタも歩く距離はたいしたことはありません。余程の運動不足で
無い限り苦痛ではないでしょう。
■ガイドブック
 このアジャンタも世界文化遺産に指定されています。詳細につきましてはガイドブ
ックを参照して下さい。なお、現地には香港製の英文の写真ガイドブックが売ってい
ます。
  OUR WORLD IN COLOUR
  AJANTA & ELLORA
  Local Colour Limited
 ただし、これとて現地の売店は価格をふっかけて来ます。一流ホテルの売店ですら
です。私は Ru 400 という言い値から値切って Ru 300 にしてもらいました。定価は 
6.95 ポンド(英国)です。
■参考となる旅行ガイド
 地球の歩き方 '98〜'99版 Bインド P482 - P488
 ブルーガイド 海外版 28 インド  P215 - P217
■必須の明るい懐中電灯
 アジャンタの石窟は壁画が素晴らしいです。暗い石窟内を照明はしてありますが、
絶対的な明るさはありません。じっくり、壁画を鑑賞する方には懐中電灯は必須です。
ペンライトなどは論外で、私の持参した高性能な単三電池2本のマグライトでも照射
量が足りません。また、転けないように足下を照らすためにも懐中電灯は必須です。
また、懐中電灯はよくある停電でも功を奏します。
■現地の日本語ガイド
 私達一行をガイドして下さった現地のインド人はシバウエさんという方です。日本
語は上手ですし、日本の仏教用語もよく御存知です。そして、壁画の詳細なことまで
教えて下さいます。足の少し不自由な杖をついた他の日本語ガイドさんにも見かけま
した。こちらも日本語が上手そうでした。ただし、このガイドさんはアジャンタの途
中までしか行って下さらないそうです。
■第2窟の鬼子母神と・・・大黒天?
 現地ガイドのシバウエさんは第2窟の奥の右側の夫婦の神様を鬼子母神と大黒天だ
と説明しました。しかし、私は鬼子母神と大黒天が夫婦だという話は聞いたことがあ
りません。もちろん、日蓮宗では鬼子母神と大黒天を仏壇の左右に祀ることが多いの
ですが・・・。
 鬼子母神はサンスクリット語(梵語)で Hariti ハーリティです。この鬼子母神は
鬼神王般闍迦(Pancika パーンチカ)の妻です。この鬼神王般闍迦は財宝の神様です
から大黒様と同じ御利益があるのかもしれません。しかし、大黒天はサンスクリット
語で Mahakala 摩訶迦羅であり、別の神様ではないかと思うのですが如何でしょうか。
■仏像はお釈迦様ばかり
 現地の日本語ガイドの情報が正しければ、エローラやアジャンタの仏教寺院の仏像
はお釈迦様ばかりです。もちろん、過去七仏、菩薩像、神祇の像などもあります。あ
る壁に千体の仏像が描かれていれば千体ともお釈迦様なのです。当時の仏教徒のお釈
迦様を恋慕する気持ちがヒシヒシと伝わってきそうな光景でした。
 日本や中国では、仏像は多様です。お釈迦様(釈迦牟尼仏)、阿弥陀如来、大日如
来、薬師如来・・・・。でも、私の訪れた仏教遺跡では仏の像(菩薩像や神祇ではな
い)は圧倒的にお釈迦様でした。曼荼羅をあらわす壁面に描かれた仏様も大日如来で
はなく、お釈迦様(ゴータマブッダ)だと現地ガイドは申していました。法華経を信
仰する私としては嬉しいような気持ちでした。アジャンタが五世紀以前の遺跡であれ
ばまだ大日如来の密教は完成していないのでしょうか。
■ビールが飲める
 ガイドブックのいうトラベラーズ・ロッジなのでしょうか。ここでは、客引きから
逃れてゆっくり食事し、昼からビールを飲むこともできます。暑さの中で歩きまわっ
たあとのビールは最高でした。現地の日本語ガイドさんも一緒に飲みました。
■10ルピー札がたくさん必要?
 石窟の至る所にレフ球で照明をして下さる職員がいます。彼らのお陰で、壁画や仏
像そして足下を見ることができるのです。しかし、彼らが個別の親切をしたときはお
金を要求してきます。写真を撮るときに照明して頂いたり、英語で質問して解説して
もらったりしたときは私も10ルピーずつ払いました。
 あと、仏像の前でお賽銭のつもりで供えた10ルピーも彼らはポケットにしまい込
みます。また、10ルピーでは不足だと文句を言う厚かましい職員もいました。
 とにかく、写真フィルムと10ルピー札のたくさん必要なアジャンタとエローラで
した。因みに10ルピーは33円ほどです。
★現地情報
 ビデオカメラ持ち込み Ru 25
 石窟内のビデオ撮影は禁止
 石窟内の写真のフラッシュ撮影は禁止
  自動カメラの場合は使用方法を習熟しておくこと
  ASA 400 以上の高感度フィルムは必須です
 禁止事項に違反した場合は別室で取り調べを受けるとか


00173 98/02/26 04:15 A.K             宣伝しちゃいます
Eisaiさんおかえりなさい。
ちょっと前に貧弱な内容のホームページ作りました。
仏教のことはほとんど書いてないのですが、
宣伝しちゃいます。
http://www.remus.dti.ne.jp/~kuwako
です。ハンドル意味なくなっちゃいました。
                   A・K
00174 98/02/27 12:00 Eisai              RE:00173 宣伝しちゃいます
A.Kさん、どうもです。
 >  Eisaiさんおかえりなさい。
 ただいま・・・。
 インドと日本の冬との気温差と、3時間半の時差、そして胃腸不調の後遺症・・・。
帰ってから、一週間だというのにまだ完全とはいえません。
 >  ちょっと前に貧弱な内容のホームページ作りました。
 ホームページを見せて頂いておりますと、十数年前の東京での下宿時代を思い出し
ました。
 >  仏教のことはほとんど書いてないのですが、
 是非、仏教のこともかいて下さい。
 プロの坊さんや学者さんが書いたものとは違った説得力があるのではないかと思い
ます。
Eisai.
00175 98/02/27 12:00 Eisai              南インド仏教遺跡旅行記 ナーガルジュナ
ナーガルジュナコンダ (Nagarjunakonda)
 町(村?)はナーガルジュナ・サーガル(Nagarjuna Sagar)という名称です。私
の記憶に間違えがなければ、コンダ(konda)とは丘を意味する言葉で、ナーガルジュ
ナの水没を免れた丘をさしていうのでしょうか。
 ナーガルジュナコンダとは日本人にはややこしい地名であります。しかし、「龍
樹」といえば仏教に造詣の深い方であれば御存知かもしれません。ナーガルとは龍の
ことで現地では蛇のコブラを指すようです。ナーガルジュナのジュナが「樹」と漢訳
されたのでしょうか。ナーガルジュナを漢訳すれば龍樹となります。龍樹は2〜3世
紀に活躍した南インド出身の僧侶です。初期の大乗仏教を空の思想で確立した方です。
 ただ、私は不勉強でナーガルジュナ(龍樹菩薩)と当地ナーガルジュナコンダの地
名との関連についてはよくわかりません。
 さて、このナーガルジュナコンダですが「地球の歩き方」にすら載っていません。
また、インド旅行を得意とする旅行社でも数年に一度行くか行かないかの場所です。
また、現地の博物館職員に訊いても日本人はほとんど来ないそうです。外国人観光者
も希だとか。「ブルーガイド 海外版 28 インド P281」に辛うじて情報が載って
います。
■イクシュヴァーク朝の首都
 ナーガルジュナコンダはクリシュナー川沿いの盆地にひろがる古都だったようです。
遺跡の寺院の数からしてそれなりの規模の都だったのでしょうが、今はただの田舎で
す。残念なことに、このナーガルジュナコンダ一帯はダムによる人造湖の底に沈んで
しまっています。
■ダム建設により発掘移築された遺跡
 南インドの仏教遺跡は、この「ナーガルジュナコンダ」とクリシュナー川下流の
「アマラバティー」の二ヶ所だけのようである。その一方のナーガルジュナコンダの
遺跡がダム建設により水没したことは由々しきことです。ただ、その遺跡群は発掘と
同時に水没しない丘(島となっている)に移築されている。発掘されたものを発掘さ
れた通りに再現して、東西南北の方位も再現されているそうです。
■ダム
 重力ダムでは世界でも最大級のダムだそうです。事実、インド全国地図でも確認で
きそうなくらいの大きな人造湖を作っています。「地球の歩き方」にある巻頭のイン
ド全国地図にある「ナーガルジュナサーガル湖」と記されている湖は、この人造湖と
は関係ない場所であります。このダムはクリシュナー川にあるダムです。
 このダムは発電、潅漑、洪水対策などを目的とした多目的ダムのようです。ちなみ
に発電施設は三菱製だとのことです。ダムから、下流を見ると破壊された橋が目に入
りますが、これは 1975 年(だと思う)の緊急放水で流れてしまったそうです。
■遺跡の島へ
 遺跡と博物館のある島へは、ダム右岸から乗船する。所要時間45分で、一日3便
ほどあります。島は意外と広いので、朝一番の船で島に渡り、午後4時頃の最終便で
帰るのが理想です。それでも時間が足りないくらいです。
 ただし、金曜日は島に渡る船が運休(前述のブルーガイド海外版)だそうですし、
人が集まらないと船も出ないそうです。ツアーなので詳細はわかりませんが船の運賃
は Ru 10 〜 20 くらいではないかとのことでした。
 田舎の観光地ですが、島には数十人のスタッフが毎日クリシュナー号という船で渡
って働いているようです。また、湖では一寸法師のお椀を大きくしたような船に二人
乗りで漁をしている漁師の光景が見られました。
■煉瓦がつまれているだけ?
 博物館の外には、寺院やストゥーパなどがありますが、他のインドの遺跡と同じよ
うに漆喰は既になく、赤煉瓦がつまれているだけです。ストゥーパには文字の掘られ
た破損した石灰岩(大理石に近い)が建っていました。しかし、だいたい当時の寺院
や僧坊そして仏舎利塔(ストゥーパ)の様子が想像できます。往時は素晴らしかった
でしょうね。
 途中大きな石灰岩の仏像が見えますが、これは複製品です。仏像や彫刻の実物は博
物館の中にあります。
■島の売店
 とりあえず、島には売店がありまして、冷たいコーラ(Ru 10)などが飲めます。
■博物館
 島に上陸して5分ほど歩いたところに博物館があります。入り口には記名簿があり
ますが、入場料は不要です。
■博物館内の写真撮影
 さて、この博物館の問題は写真撮影とビデオ撮影が禁止であることです。いえ、ち
ゃんとしたガイドブックがあれば写真撮影など必要ないのですが、ガイドブックの在
庫がないとのことです。ハイデラバードから5時間近くバスにゆられてここまで来て、
この素晴らしい仏教美術の記録が得られないのは悲しい話です。
 たまたまスタッフと仲良くなれる幸運な機会に恵まれ、写真撮影許可を職員に交渉
したときは何とかなりそうでしたが、その日の博物館の最高責任者と女性職員がかな
りお堅い方で、だめなようでした。ただ、交渉次第ではこそこそとわからないように
撮影する分には見逃してくれるかも知れません。これも仲良くなったからできたこと
かも知れません。
■博物館の展示物
繊細な彫刻
 エローラやアジャンタの彫刻と比べれば、こちらの彫刻は細かな部分まで彫られて
います。もちろん、エローラやアジャンタは風化したのかも知れませんが・・・。
 繊細な彫刻を可能にしたのは大理石に近い石灰岩だからだと思いますが、非常に素
晴らしい彫刻です。これらは、アマラバティーの遺跡に通じるものがあります。
仏像
 高さ3mほどでしょうか、発掘された大きな仏像が展示されています。衣のひだの
彫りがが深く鋭いのが特徴です。
水没前の立体地図
 どの遺跡が水没した盆地のどのあたりにあったのかを示す立体地図(模型)があり。
往時の状況を推察するのに役だった。
 どちらにしても、彫刻がどのような釈迦伝やジャータカをモチーフにしているかな
どを同定するのにはかなりの仏教知識が必要であるし、博物館職員や現地ガイドの英
語の説明を聞いて理解するには、釈迦伝やジャータカに登場するサンスクリット語の
固有名詞に詳しくなくて話にならない。英語力の不足が最大の問題でしょうけど、現
地の英語はなまりが強くて聞き取りにくかったです。
 説明して下さった博物館職員には赤と黒の日本製ボールペンをプレゼントしました
ら、喜んで下さいました。
■ナーガルジュナサーガルの宿
 泊まったホテルは Nafarjuna Motel です。インドの他の地域ではそれなりの施設
が整ったホテルに泊まりましたが、ここだけはインドの田舎をエンジョイできた感じ
であります。
  シャワーがあるが水は出ない
  蛇口からお湯は出ないので水で身体を洗う
  ベランダのドアには鍵があるが、窓の鍵はこわれて錠をかけられない
  テレビはない
  一日数回停電する
  部屋の鍵は南京錠ですが、ロックするときも鍵が必要
  日の出前になると近所のヒンズー寺院からお経のテープが大音響で流される
 私の泊まった部屋は 101 でしたが、英国式で2回です。102 はお湯がでるようで
す。しかし、インドの田舎を感じて楽しかったです。料理はそれなりに美味しかった
ですし、注文するとビールも出てきます。また、ホテル門前に国際電話をかけられる
有人?電話ボックスがあります。停電しても通話を続けられます。また、遺跡のある
島に渡る船の乗り場に一番近いホテルかもしれません。
Eisai.
00176 98/02/28 16:19 Eisai              南インド仏教遺跡旅行記 アマラバティー
アマラバティー(Amaravati)
 ナーガルジュナコンダに引き続き、アマラバティーを訪問しました。ここは、ナー
ガルジュナコンダからクリシュナー川を百数十キロ下ったところにあります。この辺
りになると、クリシュナー川も川幅が広くなって流れもゆるく沢山の水を湛えていま
す。(乾期)
 このアマラバティーはナーガルジュナコンダと同じく「地球の歩き方」にすら載っ
ていないです。ここで、情報発信ができることは、あるいは意義あることかも知れま
せん。
 このアマラバティーは都会ではないですが、かなりの大きな町といったところが第
一印象です。クリシュナー川の沐浴場の階段の欄干にはペプシコーラの宣伝でという
より埋め尽くされていました。現地の方は幻滅しないのでしょうか。さて、ここには
大きなストゥーパの跡がありますが、現地のガイドブックにはチャイティアとありま
した。
■大ストゥーパ跡
 直径は54mもある大仏舎利塔です。現在の遺跡には数メートル掘り下げられた場
所に、高さ2m程の煉瓦で丸く囲まれた部分がストゥーパの跡だなとわかるだけです。
あと、欄干の残骸のようなものが直径54mの煉瓦の外側におかれています。
 私達が到着すると、どこからともなく役人のような人がやってきました。私がビデ
オに撮ろうと思うと、"No video !" と叱られました。写真撮影はOKのようです。
ここでも、外国人は珍しいのか子供達が好奇心を持って寄ってきました。
■博物館
 ここの博物館も撮影禁止です。ただし、Ru 10 だと思いましたがガイドブックが入
り口で販売されています。ほかに、カラー刷りのパンフレットがありますが受付には
ありません。
 中庭にある、発掘されたストゥーパの復元したとされる縮小模型を観ると往時の偉
容が偲ばれます。とにかく、模型の欄干は小さなものですが、その小さな欄干の蓮の
華の模様は実寸では70〜80cmもあるような大きなものなのです。
 さて、日本から僧侶がわざわざアマラバティーを訪ねてきたことを館長さんに説得
して功を奏したのでしょうか。大ストゥーパから発掘された仏舎利(お釈迦様の骨)
を見せて頂きました。仏舎利を拝ませていただいたことは希有な経験です。1cmほ
どの白いものでした。水晶の器から恭しく、ピンセットで取り出して下さいました。
後生にまで続く思い出となるかも知れません。残念ながら写真撮影は禁止です。ピン
セットに挟まれた舎利を囲んで、みんなでパーリー語の三帰依文を唱えさせて頂きま
した。「ブッダム サラナム ガッチャーミー ・・・♪」もちろん、私は心の中は
南無○○○○○です。
 他には、直径1cmほどの蓮をかどった金箔のようなもの、純金の大きなネックレ
スのようなものを見せていただきました。これらを見せていただくとき、ガードマン
が部屋を警戒し、カーテンをしめ、大きな金庫の何重もの扉や、何重もの鍵を開けて
出されるという厳重さでした。
■アマラバティーの宿
 大きなヒンズー寺院に向かって右側、クリシュナー川の河畔にある国民宿舎の様な
施設で休憩しましたが、まだ施設が出来たばかりで食事などができる体制ではなかっ
たです。ただ、ここが完成すればきれいな施設であり快適に泊まれるかもしれないで
す。
■チェナイ(マドラス)
 さて、このアマラバティーから発掘された文化財の多くがイギリスの大英博物館と
チェナイ(マドラス)の州立博物館の二ヶ所に保存されています。ここで発掘された
彫刻が石灰岩ということで、大英博物館では一般公開されていないそうです。しかる
に、アマラバティーで発掘された彫刻を堪能したい人にはチェナイ(マドラス)の州
立博物館を訪れることになります。
 チェナイ(マドラス)はインドの四大都市の一つで、大都会です。私はインドの旅
行中初めて背広姿のビジネスマンや日本人技術者の姿を見ました。それはさておき、
このチェナイの州立博物館のアマラバティーの遺跡の展示には悲しい現実が待ち受け
ていました。
 なんと、貴重で美しい仏教彫刻が誰でも触れる位置に展示してあるのです。白い石
灰岩(大理石に近い)なのに、いろいろな人が触るので手垢で黒くなったり、手の油
で表面が変質したり悲惨な状況でした。それだけでも悲しいのに、落書きの彫刻まで
してありました。悪いのは博物館の客ばかりではありません。
 博物館の展示の仕方が雑です。発掘された原型などくそ食らえとばかり、壁やコン
クリートに埋め込んであります。更に壁の塗り替え工事のときのことと推察できます
が、壁のペンキが発掘された彫刻の石灰岩にまで塗られている有様です。ひどく悲し
い思いをしました。
 なお、この博物館も料金を支払えば写真を撮ることができます。フラッシュも自由
です。ただ、トイレは建物の外にしかないので注意が必要です。
00177 98/03/06 08:20 Eisai              ホームページ開設>南インド旅行
 デカン高原を列車とバスで横断し、アジャンタ、エローラ、ナーガルジュナコンダ、
アマラバティーといった仏教遺跡を訪れました。その旅行記を
  http://member.nifty.ne.jp/pundarika/india/
にて公開する運びとなりました。宜しければ御覧になって下さい。勿論アップデート
は随時行う予定です。
Eisai
00178 98/03/28 15:24 FUKU               正法眼蔵と法華経
道元さんの正法眼蔵を読み始めてます。
石井恭二さんという現代思潮社社主編集責任者として
近現代西欧哲学、文学思想、社会思想、日本古典の編集
出版に携わる方の訳された本です。
とりあえず、書いてある事の一割も分かればいいかなという
つもりで読んでます。
法華経の引用もかなりありますね。
題名通りの華やかな比喩の多いお経のようですね。
もともと、お釈迦様の経験した悟りの智慧を伝える素朴な
教えだったのが、後に、こういう華やかなお経とか芸術的な
仏像とか仏具とか仏殿が作られていく過程などにも、とても
興味があります。
// ふ
00179 98/03/28 22:10 Eisai              RE:00178 正法眼蔵と法華経
FUKU さん、どうもです。
 >  道元さんの正法眼蔵を読み始めてます。
 凄いですね。尊敬します。長文の上に含蓄があり難解ですよね。座禅しながら読ま
ないと解りにくいとNHKラジオ第2放送の講座で小耳にはさんだこともあります。
 >  石井恭二さんという現代思潮社社主編集責任者として
 >  近現代西欧哲学、文学思想、社会思想、日本古典の編集
 >  出版に携わる方の訳された本です。
 原文は素読されないで訳文だけなのですか?
 >  とりあえず、書いてある事の一割も分かればいいかなという
 >  つもりで読んでます。
 そうですよね。一割は謙遜にしても、とにかく読まなくては。
 >  法華経の引用もかなりありますね。
 そうですか・・・。私も道元さんの法華経観も勉強しなくては。面白いことがあれ
ば教えて下さい。もちろん、法華経に限らず感動されたことがあれば此処に披露して
下さい。
 >  題名通りの華やかな比喩の多いお経のようですね。
 法華七喩といわれます。少し勉強しないと何の感動もない譬喩かもしれません。
 >  もともと、お釈迦様の経験した悟りの智慧を伝える素朴な
 >  教えだったのが、後に、こういう華やかなお経とか芸術的な
 >  仏像とか仏具とか仏殿が作られていく過程などにも、とても
 >  興味があります。
 私も同じです。仏教学的な検証を加えながら仏教の展開や大乗仏教を捉えたい(捉
えなおしたい)と思います。
 この水曜日に佐々木閑先生(花園大学)の講演を受講してきました。どのように大
乗仏教は起こったのか、平川彰先生(東大名誉教授)による学問的体系を批判しなが
らの講義で面白かったです。機会があれば感じたことをアップします。
Eisai
00180 98/03/29 17:19 FUKU               RE:00179  正法眼蔵と法華経
>長文の上に含蓄があり難解ですよね。座禅しながら読ま
>ないと解りにくいとNHKラジオ第2放送の講座で小耳にはさんだこともあります。
道元さんの話に限らず禅の話、一般に言えることだと思うのですが、体験しない
限りはわからないという部分がかなりあります。
悟りの体験というのは、いくら言葉を尽くしても全然足りないというものの
ようです。
特に道元さんは、座禅を最重視しますから、座禅をすることがどうしても
必要最小限の理解の道のようです。
> 原文は素読されないで訳文だけなのですか?
一文ずつ原文と訳文が交互に書かれています。
本当は原文を読んでから訳文を読むべきなんでしょうけど、それをやっていると
いつまでたっても読み終われそうにないので、訳文を読んで意味がよくわからない
時だけ原文にあたってます。特に、漢詩などは原文でないと雰囲気が伝わりません。
> そうですよね。一割は謙遜にしても、とにかく読まなくては。
いや、本当にわからないんですー。(;_;)
> そうですか・・・。私も道元さんの法華経観も勉強しなくては。面白いことがあれ
>ば教えて下さい。もちろん、法華経に限らず感動されたことがあれば此処に披露して
>下さい。
そうですねー。
道元さんが命、懸けてるなーというのは、
「無主の形骸いたづらにへん野せんとき、眼睛をつくるがごとく正観すべし。」
(第十六 行持 上)
[訳]
「主の無い骸を野に晒すときを、しっかりとこの眼に見るように真っ正面から
己を観なければならない。」
という言葉で感じました。
>> 題名通りの華やかな比喩の多いお経のようですね。
>
> 法華七喩といわれます。少し勉強しないと何の感動もない譬喩かもしれません。
何か良い解説書などないものでしょうか。
原文を読むべきですか?
> この水曜日に佐々木閑先生(花園大学)の講演を受講してきました。どのように大
>乗仏教は起こったのか、平川彰先生(東大名誉教授)による学問的体系を批判しなが
>らの講義で面白かったです。機会があれば感じたことをアップします。
ぜひ、お願いします。
// ふ
00181 98/04/01 20:31 Eisai              RE:00180  正法眼蔵と法華経
FUKU さん、どうもです。
 >  悟りの体験というのは、いくら言葉を尽くしても全然足りないというものの
 >  ようです。
 不立文字ですね。
 この世で悟られたのは釋尊だけというのが仏教の不文律のようなイメージがありま
す。雲水の言われる「悟り」とはどんなものなのでしょうね。
 >  特に道元さんは、座禅を最重視しますから、座禅をすることがどうしても
 >  必要最小限の理解の道のようです。
 >  いや、本当にわからないんですー。(;_;)
 釋尊も菩提樹の下で座禅していて悟られたのですから、以前から FUKU さんの言わ
れている追体験をされるのは良いことだと思います。どの宗派であれ実践のないとこ
ろに得果は無いかも知れませんね。
 >  道元さんが命、懸けてるなーというのは、
 >  
 >  「無主の形骸いたづらにへん野せんとき、眼睛をつくるがごとく正観すべし。」
 >  (第十六 行持 上)
 >  [訳]
 >  「主の無い骸を野に晒すときを、しっかりとこの眼に見るように真っ正面から
 >  己を観なければならない。」
 もし、時間があれば一言二言でいいですから鈍根の私に教えて下さい。ここだけ読
んでも???です。
 >  何か良い解説書などないものでしょうか。
 >  原文を読むべきですか?
 やはり、原文読みながら解説書を読むのが良いでしょうね。
 でも、『法華経』ほど平易な経典はないと思う反面、撰述者の意図をはかることは
大変な経典です。
Eisai
00182 98/04/04 19:53 FUKU               RE:00181   正法眼蔵と法華経
> この世で悟られたのは釋尊だけというのが仏教の不文律のようなイメージがありま
>す。雲水の言われる「悟り」とはどんなものなのでしょうね。
『仏性とは何か』高崎直道
によると、
小乗仏教では、
「仏さまというのは大変偉い存在であるから、われわれは修業してもとうてい
仏にはなれないのだという感覚を持った」
そして、「どんなに偉い修行者でも、修業して最後には阿羅漢になることは
できるが、仏陀にはとうていなれない、仏陀というのは全く超越的な存在だと
した」
のに対して、大乗仏教は
「すべての者が仏の教えに従って修業するならば必ず仏になれるはずである」
「出家、在家を問わず、発心して修業するならば、将来必ず仏になれる。
仏になろうというのは大それたことのように思われるけれども、悟りを
開こうというのは自分のことであるとともに、すべての衆生を救うためで
あって、現にお釈迦さまはそういう目的をもって悟られたのであるとお経に
は説いてあります」
と、あります。
仏教の魅力の一つには、この自分も仏陀になれるという前向きな点にあると
思っています。
あと、道元さは、正法眼蔵で、過去七仏から脈々と仏法が伝えられてきたという
ことを重視しています。過去に悟った諸仏を通した正伝こそ重視されるべきだ
と書いています。(第九 古仏心)
釋尊を頂点として考えているなら、過去七仏という釋尊以前に悟ったとされる
人たちを持ち出す必要は無いと思うわけで、ここからは、特に諸仏以上の釋尊
が特別な存在であると読むことはできないように思えます。
また、そもそも仏性を人が本来備わっているものであるとするならば、釋尊
だけが悟ったとするのは、矛盾するのではないでしょうか。
解釈の間違いなどありましたら、ご指摘ください。
>> 「無主の形骸いたづらにへん野せんとき、眼睛をつくるがごとく正観すべし。」
>> (第十六 行持 上)
>> [訳]
>> 「主の無い骸を野に晒すときを、しっかりとこの眼に見るように真っ正面から
>> 己を観なければならない。」
>
> もし、時間があれば一言二言でいいですから鈍根の私に教えて下さい。ここだけ読
>んでも???です。
あ、ここだけ引用してもわからないですね。失礼しました。
この文章が書かれている行持というのは、過去の諸仏がどのような修業をしたか
という事について書かれています。
例えば、慈父であり大いなる師釈迦牟尼仏は在世中に着替えることなく、一つの
盂鉢を在世中に替えることがなく、浄衣をまとい乞食する行いもすべてが修業の
ほかではなかった。
とか、
第八祖摩訶迦葉尊者(七仏を含めた数え方、釈尊の嫡嗣)は、十二頭陀(日々乞食
をし、金銭を受け取らないとか、衣服は死人のもので棄てられたものを繕って着る
こととか、12の戒律)を実践した
とかということが書かれています。
上に書いた言葉は、道元さんの覚悟を示した言葉であると解釈しました。
同じ禅宗でも臨済宗で、仏性とは糞かきべらであると言うのとはまた
別の強烈さがあるなあと思って上に引用しました。
> やはり、原文読みながら解説書を読むのが良いでしょうね。
> でも、『法華経』ほど平易な経典はないと思う反面、撰述者の意図をはかることは
>大変な経典です。
上で引用した『仏性とは何か』にも法華経の引用がかなりありました。
(これを読んだ頃は法華経が何かを知らなかったので、引用されている
ことも覚えていませんでした)
確かに書いてあることをそのまま受け取ってしまっては、超常現象とか奇跡の
好きな宗教みたいになってしまいますね。
// ふ
00183 98/04/05 16:29 Eisai              RE:00182   正法眼蔵と法華経
FUKU さん、どうもです。
 >  小乗仏教では、
 >  「仏さまというのは大変偉い存在であるから、われわれは修業してもとうてい
 >  仏にはなれないのだという感覚を持った」
 >  そして、「どんなに偉い修行者でも、修業して最後には阿羅漢になることは
 >  できるが、仏陀にはとうていなれない、仏陀というのは全く超越的な存在だと
 >  した」
 上座部仏教や部派仏教が釋尊に等しい悟りを得る成仏というよりも、成阿羅漢を目
的にしているというのは、私もそう教わりました。
 >  大乗仏教は
 >  「すべての者が仏の教えに従って修業するならば必ず仏になれるはずである」
 >  「出家、在家を問わず、発心して修業するならば、将来必ず仏になれる。
 >  仏になろうというのは大それたことのように思われるけれども、悟りを
 >  開こうというのは自分のことであるとともに、すべての衆生を救うためで
 >  あって、現にお釈迦さまはそういう目的をもって悟られたのであるとお経に
 >  は説いてあります」
 『法華経』をもふまえた世界ですね。いえいえ、この事に関しても今は異議はあり
ません。
  舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて
  一切の衆をして 我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき
                      『妙法蓮華経方便品第二』
  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと
                   『妙法蓮華経如来寿量品第十六』
 如来蔵思想に至っていない『法華経』でもこのように成阿羅漢ではないことが解り
ます。
 しかし、雲水の「悟った」という表現は門外漢には腑に落ちぬものがあります。悟
りや成仏が具体的に何であるかは私たちの思惟を越えているのではと思うからです。
 >  仏教の魅力の一つには、この自分も仏陀になれるという前向きな点にあると
 >  思っています。
 人間が最高の者(仏)に成れることを説いているのは仏教だけでしょうね。他宗教
では天にも神にも成れないのですから。
 もちろん私たち凡夫が仏になれるから、上座部や部派仏教ではなく、一般に言うと
ころの大乗仏教でなくては・・・となるのです。しかし、大乗も発心即菩提、生死即
涅槃、煩悩即菩提・・・なんかこの辺に如来蔵思想や本覚思想があり、そこに見え隠
れする問題点が気になるのです。
 >  あと、道元さは、正法眼蔵で、過去七仏から脈々と仏法が伝えられてきたという
 >  ことを重視しています。過去に悟った諸仏を通した正伝こそ重視されるべきだ
 >  と書いています。(第九 古仏心)
 過去七仏はインドのエローラ遺跡にもありましたねぇ。でも、その他の仏像は全て
釋尊でした。現地ガイドが正しければ・・・。
 >  釋尊を頂点として考えているなら、過去七仏という釋尊以前に悟ったとされる
 >  人たちを持ち出す必要は無いと思うわけで、ここからは、特に諸仏以上の釋尊
 >  が特別な存在であると読むことはできないように思えます。
 仏さまは沢山おられても、その悟られている真理は一つでしょうね。『妙法蓮華経
方便品第二』の五仏同道という部分によると諸仏は説法の次第も一つのようです。
 >  また、そもそも仏性を人が本来備わっているものであるとするならば、釋尊
 >  だけが悟ったとするのは、矛盾するのではないでしょうか。
 悟ることはできるが、悟ったと言った瞬間に増上慢扱いされるのが仏教の伝統のよ
うです。○○について悟ったならともかく、ただ「悟った」とだけ言うと釋尊の悟り
と同じになってしまうこととなります。禅定について、ある種の悟りの境地を体験す
ることができたという「悟り」であれば理解できます。
 いえいえ、このことで雲水や禅宗のかたに詰問しようなどというのでなく、素朴な
疑問なのです。私は、悟りとは何かわからないからこそ、釋尊と仏典を信じて信仰し
修行するべきだと思いますし、そこに成仏があるのではないかと思っています。
Eisai
00184 98/04/06 18:12 FUKU               RE:00183    正法眼蔵と法華経
>  舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて
>  一切の衆をして 我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき
>                      『妙法蓮華経方便品第二』
舎利弗さんに語りかけているということは、お釈迦様の言葉ですね。
>  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
>  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと
>                   『妙法蓮華経如来寿量品第十六』
>
>
> 如来蔵思想に至っていない『法華経』でもこのように成阿羅漢ではないことが解り
>ます。
如来蔵思想に至っていないということは、誰もが仏になれるわけではないと
いう考えということなのでしょうか。
あるいは、だからこそ一生懸命修業をしないと仏になれないという戒め的な
要素があるのでしょうか。
> しかし、雲水の「悟った」という表現は門外漢には腑に落ちぬものがあります。悟
>りや成仏が具体的に何であるかは私たちの思惟を越えているのではと思うからです。
悟っていない人には悟りの世界はどうあがいてもわからないものだと
思っています。
それと、自ら悟ったと言うだけの人は相手にされていないと思います。
師と弟子の関係があって、師がこいつは悟ったと思ったら印可状というのを
くれるそうです。たいがいの凡僧は、師の印可で安心してしまうものらしいが、
そうでない人もいて、自分の得た悟りが本物かどうかをさらに別の
師家に問うために、また、悟りを練り直し、いっそう深めるために旅に出たり
するそうです。
一休さんなどは、平然として印可状をひきちぎり、火に投じたそうです。
(『禅の本』学研 より)
>> 仏教の魅力の一つには、この自分も仏陀になれるという前向きな点にあると
>> 思っています。
>
> 人間が最高の者(仏)に成れることを説いているのは仏教だけでしょうね。他宗教
>では天にも神にも成れないのですから。
ヒンドゥー教というのもあると思います。
> もちろん私たち凡夫が仏になれるから、上座部や部派仏教ではなく、一般に言うと
>ころの大乗仏教でなくては・・・となるのです。しかし、大乗も発心即菩提、生死即
>涅槃、煩悩即菩提・・・なんかこの辺に如来蔵思想や本覚思想があり、そこに見え隠
>れする問題点が気になるのです。
仏性があるなら修業などしなくてもいいだろう、という考えのことでしょうか。
日蓮さんや道元さんは比叡山にいたころ、そういう状況に反発して山を降りた
という話を何かの本で読んだことがあります。
> 悟ることはできるが、悟ったと言った瞬間に増上慢扱いされるのが仏教の伝統のよ
>うです。○○について悟ったならともかく、ただ「悟った」とだけ言うと釋尊の悟り
>と同じになってしまうこととなります。禅定について、ある種の悟りの境地を体験す
>ることができたという「悟り」であれば理解できます。
上に書いたように禅では師の印可が無い限り悟ったとは見なされないようです。
ただ、その為には印可を出すのが正しい師なければならないのですが、道元さん
は正法眼蔵でいいかげんな、にせものの師の多いのを嘆いています。
そのために、正伝という本物の師から師へと脈々と伝わってきた正当な仏法の流れ
を重視するようです。
> いえいえ、このことで雲水や禅宗のかたに詰問しようなどというのでなく、素朴な
>疑問なのです。私は、悟りとは何かわからないからこそ、釋尊と仏典を信じて信仰し
>修行するべきだと思いますし、そこに成仏があるのではないかと思っています。
禅の本を読んでいると、何かに囚われてはいけないと書かれています。
先人の悟りにも囚われてはいけないし、悟りを求めることもいけない。
つきつめると、仏教にも囚われてはいけないということにもなると思う
のですが、これは、信心ということと相反すると思います。そういう宗教
がずっと続いてきているということを不思議に思っていたりもします。
でも、只管打坐という言葉が表すように、ただ座っていれば到達できるもの
なのかもしれませんし、その辺は私のような凡人にはわからない部分でも
あります。
// ふ
00185 98/04/07 09:19 Eisai              RE:00184    正法眼蔵と法華経
禅と悟りについて
FUKU さん、どうもです。時間がありませんので、調べることは調べながら書いてい
ますが、誤字や失礼な表現があれば御容赦下さいませ。
 >  如来蔵思想に至っていないということは、誰もが仏になれるわけではないと
 >  いう考えということなのでしょうか。
 いいえ。
 誰でも仏になれるという考え方は、初期大乗(紀元前後〜龍樹より前)からあった
ものです。『法華経』の一切皆成という考え方が進展して、4世紀に成立した「大乗
涅槃経」などの如来蔵思想になったのでしょう。如来蔵思想は龍樹仏教以後であり龍
樹仏教への対抗馬かも知れません。
 >  たいがいの凡僧は、師の印可で安心してしまうものらしいが、
 >  一休さんなどは、平然として印可状をひきちぎり、火に投じたそうです。
 印可も仏陀から頂くものではないのですからそうなんでしょうね。
 >  ヒンドゥー教というのもあると思います。
 と申しますと?
 >  仏性があるなら修業などしなくてもいいだろう、という考えのことでしょうか。
 >  日蓮さんや道元さんは比叡山にいたころ、そういう状況に反発して山を降りた
 >  という話を何かの本で読んだことがあります。
 仏教学的には如来蔵そして本覚論は問題があると駒沢大学の先生方が指摘しておら
れ私も興味を持っています。もちろん、仏教学と違った意味から道元禅師や日蓮聖人
も問題意識を持っておられたのは当然でしょう。
 道元禅師は知りませんが、日蓮聖人はずっと比叡山に籠もるような意図はなかった
ように教わりました。とにかく、『法華経』とお題目を布教するために山を降りたの
だと思います。初期の文章には「天台沙門日蓮」と署名されていいるようです。
 >  そのために、正伝という本物の師から師へと脈々と伝わってきた正当な仏法の流
れ
 >  を重視するようです。
 この相伝とか相承とか法脈ということはとても大切にされて来たことですし大切な
ことです。文字や言葉で伝えられないものもあるでしょうし・・・。でも、この相伝、
相承、法脈ほど危険なものはありません。その最たるものが中古天台本覚論とその影
響下にあった宗派でしょう。
 そもそも釋尊以来脈々と相承されているのであればこんなに宗旨は分かれなかった
でしょう。
 >  先人の悟りにも囚われてはいけないし、悟りを求めることもいけない。
 η 悟りとは 悟らで悟る 悟りなり 悟る悟りは夢の悟りぞ
  (眠りとは 眠らで眠る 眠りなり 眠る眠りは夢の悟りぞ)
ということですか? 誰の歌なのか御存知ですか?
 >  つきつめると、仏教にも囚われてはいけないということにもなると思う
 >  のですが、これは、信心ということと相反すると思います。
 「空」仏教ですね。確かに、釋尊の時代から派生を続けた仏教経典や教学そして作
法などにこだわっていては、釋尊の真理は得られないかも知れませんね。気をつけて
信心しないといけませんね。いや・・・般若仏教系の空仏教は信心の度合いが少ない
かな。阿弥陀経、法華経は信心仏教ですね。初期大乗には阿弥陀経系、初期般若経系、
法華経の三つがあるそうです。
 >  でも、只管打坐という言葉が表すように、ただ座っていれば到達できるもの
 >  なのかもしれませんし、その辺は私のような凡人にはわからない部分でも
 >  あります。
 禅宗の不思議に思うところは、檀信徒に座禅の経験のない方がいて、檀信徒以外の
人に座禅をしたり興味を持ったりするところかも知れません。茶化したりしているの
ではなく、どの宗派も寺請制度の余波を被っています。良きにつけ悪しきにつ
け・・・。
Eisai
00186 98/04/20 14:36 シェーン           (発言者削除)
00187 98/04/27 19:33 YAM                (発言者削除)
00188 98/04/27 19:34 YAM                はじめまして
私,名古屋市にすむ39歳,男です.
1年ほど前からパソコンをはじめて,いろいろWebページを見て回るうち,このサイ
トに辿り着きました.
実家は真宗大谷派の寺ですが,寺の方に関わり出したのは,これも1年ほど前からで
す.大学では西洋哲学専攻でしたので,仏教については専門教育を受けていません.
そんな私が身の程知らずにも4月から自坊で「仏典講読会」を主宰しておりまして,
「阿含経典」をテキストに,20名ほどの門徒さんと共に勉強していますが,このフ
ォーラムからも教えを受けたい,と,まあそんな気持ちです.
それから,これも最近始めたことですが,「日本仏教エスペランチスト連盟」という
のがありまして,それの機関誌編集部を担当しています.その任務上,海外の仏教事
情について特に興味があります.仏教について,海外のWebサイトでおすすめがあり
ましたら,教えて下さい.
とりあえず,自己紹介でした.
00189 98/05/04 16:00 YAM                僧侶の長髪
Eisaiさんのホームページにあった,僧侶の長髪についてのアンケートですが,単純
にイエスともノーとも言えないので,この場を借りて私なりの考えを申し述べたいと
思います.
まず,剃髪することの意味は,出家した者は一切の世俗的な虚飾を排する,その決意
を表明することですね.その意味では,宗門の指導的立場にあるかどうかに全く関わ
りなく,出家者は剃髪すべきであり,五分刈りあるいは三分刈りだって許されるべき
ではありません.そのように厳密に考えた場合,しかしながら,日本仏教の特質を突
き詰めて考えることになります.すなわち,基本的な戒律(殺さず,盗まず,嘘をい
わず,酒を飲まず,妻子を持たず)を守っている僧侶が日本にどれだけいるのでしょ
う?ひとつのエピソードとして,戦後曹洞宗の宗議会で当選した尼僧が,同僚議員を
「破戒僧」と呼んで大事件になった,ということがあります(源淳子『仏教と性』よ
り).外国の仏教徒から見れば,日本の仏教僧は堕落しきっている,そう見られても
何も反論できないですね.そういう破戒僧(私自身も含めて)が,形だけ頭を丸めて
いても,なんら意味は無いと思います.
明治政府が1872年「肉食妻帯蓄髪勝手たるべし」と太政官布告したのは,全くよけい
なお世話といわねばなりません.そういうたぐいのことは宗派がきめることです.
酒についても一言.日本の仏教界はあまりにも意識がルーズです.よくお仏壇に酒を
供えている家がありますが,私は「お酒はダメです」といって,さげてもらうように
しています.不服そうな顔をされる方もいらっしゃいますが,なぜダメなのかを説明
し,納得してもらっています.その私自身が酒好きである,というのは全く矛盾して
いるわけですが.私が帰依するところの親鸞聖人を開山とする浄土真宗は戒律を持ち
ませんが,そのことを言い訳にするつもりはありません.「浄土真宗に帰すれども真
実の心はありがたし,虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし.」と述懐された
親鸞聖人ですが,私は,<虚仮不実のわが身>を自覚したところに,<真実の心はあ
りがたし>と言えるのだろうと思います.(「ありがたし」は,「有り難し」,ゆえ
に「ありがたい」)
結論を申し上げます.日本の仏教は在家主義であって,僧侶といえども在家と同じ,
本当の意味での出家はいない,「非僧非俗」なのであります.剃髪も長髪も,当人の
好みであって,周りからとやかくいうことはない,と.
浄土真宗では,長髪が問題になることはありませんが,他宗では問題になっているの
でしょうか?そういう議論があれば,教えていただきたく存じます.
00190 98/05/10 07:23 Eisai              RE:00188 はじめまして
YAM さん、はじめまして。
現在修行僧の訓育を携わる仕事をしておりまして、山奥におります。5月19日まで
は開設者でありながらアクセスできないかも知れません。そのときにお話申しあげま
す。
町に出たおり、オンラインにて
Eisai
00191 98/05/18 18:59 hogen              RE:00107   仏教徒にとってのクリスマス
>ケッ、どいつもこいつも商人に踊らされやがって
>と毎年思ってます。(^^;
うわぁははは、そうそう私もまったくそう思います。
以前彼女の前で口に出してしまい、険悪ムードになったことがあります。
まったくぅ、笑ってくれりゃいいものを・・
私はお祭りとしてクリスマスは好きですし、
カトリックの学校に通っていたせいか、
それなりに何やら尊いものを感じます。
しかぁし、私は仏教徒、しかも僧侶、あくまでもお祭りです。
みんなが騒ぐから楽しいんです。
でも、神妙な顔で、今夜は聖なる夜、とか、特別な日とかいわれると、
なんだか体がかゆくなります。ケッケッケッ
あれっ?あんたクリスチャン?ケッケッケッ
もおぅぅ、ムードこわさないでよぉぉ、とか言われちゃったりして
>でも、お坊さんがクリスマスカードを送るんですね。
きっと、イエス様は六或示現の久遠実成本旨釈迦牟尼佛
という認識にたってのことでしょう。それで良しとしましょう。
>やっぱり、神の御加護がありますように。
>とか書いてあるんでしょうか。
書いてたりして、尊神様の御加護がありますように、
なんて。
00192 98/05/25 15:36 Eisai              RE:00191   仏教徒にとってのクリスマス
hogen さん、お久しぶりです。
 ▼
 |\(*^^)v
  ̄
 >  >ケッ、どいつもこいつも商人に踊らされやがって
 >  >と毎年思ってます。(^^;
 >  うわぁははは、そうそう私もまったくそう思います。
 クリスマスにしても、ヴァレンタインデー、ホワイトデー、スイートテン・ダイア
モンド、誕生石にしても商人に踊らされているのでしょうね。
 >  以前彼女の前で口に出してしまい、険悪ムードになったことがあります。
 >  まったくぅ、笑ってくれりゃいいものを・・
 結婚十周年の本年、スイートテンダイアモンドなんかは良い迷惑でした。乙女心に
は訴えかけるものがあるのでしょうが、私にはただの炭素の結晶です。ダイアモンド
はその性質からして、堅さを生かせる工業製品にしてこそ意味があるのではと思えて
なりません。
 檀信徒の奥様方からも、炭素の結晶を買ってあげたらと言われましたが、私は買う
気がしませんでした。で、結局結婚十周年は家族で大旅行ということになりそうです。
こどもの脳裏にダイヤよりも輝くものを経験させられればと思います。
 >  私はお祭りとしてクリスマスは好きですし、
 >  カトリックの学校に通っていたせいか、
 >  それなりに何やら尊いものを感じます。
 私もクリスチャンがクリスマスを祝うのは尊い尊い[(C)Ooiwa]ものとして尊重しま
すが、12月に入ると余りにもヤリスギでは?という気分になりますね。
 >  きっと、イエス様は六或示現の久遠実成本旨釈迦牟尼佛
 よろしければ「六或示現」について説明してやって下さい。
 >  書いてたりして、尊神様の御加護がありますように、
 >  なんて。
 尊神様=鬼子母神様という認識が読者にあるでしょうか?
 どうぞ、仏教ラウンジ bodhi をよろしく。
Eisai
00193 98/05/26 02:46 hogen              RE:00191   仏教徒にとってのクリスマス
どうもほうげんです。
>きっと、イエス様は六或示現の久遠実成本旨釈迦牟尼佛
>という認識にたってのことでしょう。それで良しとしましょう。
さて、この六或示現という言葉ですが、
寿量品に出てくる、或説己身・・・という部分のことです。
或が六回繰り返されます。
わたしは、これを本地説の根拠として捉えています。
つまり仏教的視点に立って菩薩行をしていた、またはしていると思われる、
すべての神様、または聖人、賢人と尊ばれた人々は、
実は、他ならぬお釈迦さまだということです。
或説他身ともありますから、きっとイエス様もお釈迦さまなんだと思います。
こんな感じで間違ってませんでしょうか?>Eisai上人
ほうげん
00194 98/05/26 12:40 YAM                RE:00191   仏教徒にとってのクリスマス
仏教とにとってのクリスマスは「花祭り」である,と声を大にして言いたいのですが,
なかなかメジャーになってくれませんね.どうしてかな?商売としてのうまみがない
から?薬局なんかがチラシに「花祭り週間につき,甘茶セット大安売り」なんて書い
てくれるといいのに.
ま,それはともかく,日本人がクリスマスでばか騒ぎをするのは,本物のクリスチャ
ンにとってはいい迷惑でしょうな.しかし最近はハレとケの区別がなくなってきてい
るので,口実を作ってはお祭りを楽しみたいのでしょう.多少は理解できます.
00195 98/05/26 12:47 YAM                清め塩と友引き
読売新聞によれば,四日市市の仏教会が,行政や葬儀屋に対して「これは仏教的では
ないからやめるように」申し入れをするそうです.快挙だと思います.もっとも僧侶
でも「これは日本的な習慣だから」否定する必要はない,とおっしゃる方もあるよう
ですが,私はそう言う日本人の魂を甘やかしてきたところに仏教の堕落がある,と思
っています.
00196 98/06/09 13:18 Eisai              RE:00195 清め塩と友引き
YAM さん、亀レスすみません。
 屋外配線に漏電があってパソコンが重傷を負いまして、なかなかレスを書けません
でした。
 さて、「清め塩」ですが、これは死体が不浄なものという観念からおこったもので
しょうか。また、不幸が自分の家に飛び火しては嫌だという観念があるのでしょうか。
私は本当の意味を私は知りません。どなたか文献資料があれば教えて下さい。
 これを行うかどうかは、仏教というより土着の観念が優先するかも知れませんね。
見えないことですから、祖父母のいうところのしきたりを守らないと気持ち悪く思う
かも知れません。私は、仏神がお守り下さるという観念から清め塩はしません。
 「友引き」ですが、これは何の根拠もないようですね。友を引くなんて意味はない
そうです。ただ、斎場(焼き場)の職員さんや、葬儀屋の従業員さんの確実な休暇と
しての意味はありそうです。お坊さんも友引に会議をしたりします。
Eisai.
00197 98/06/11 12:26 YAM                RE:00196 清め塩と友引き
> さて、「清め塩」ですが、これは死体が不浄なものという観念からおこったもので
>しょうか。また、不幸が自分の家に飛び火しては嫌だという観念があるのでしょう
か。
>私は本当の意味を私は知りません。どなたか文献資料があれば教えて下さい。
>
平安時代の「延喜式」には,かなり詳細に禁忌規定が設けてあって,たとえば葬式を
出した日から30日間は外出できない,訪問客を迎えてもならない,等.もちろんこれ
は平安貴族の場合で,一般庶民には関係なかったとも言えますが,一般的には時代が
下るにつれて普及していったようです.地域にもよると思いますが,いちばん厳しい
のは葬式から3年間は伊勢神宮に参拝してはならない,というところもあるようです.
私も,葬式を出した家の人に「神社に参拝してはいけないそうですが,いつまでいけ
ないのですか」と聞かれることがあります.(私の答:いけないなんてことありませ
んよ.でも神社の人がダメだとおっしゃったら,そういう神社なんかに行かないで,
私の寺においでなさい)
清め塩だけでなく,年賀欠礼はがきなんかも禁忌のなごりでしょうね.私は母をなく
したとき,かまわず年賀状を送りましたけど.
> 「友引き」ですが、これは何の根拠もないようですね。友を引くなんて意味はない
>そうです。ただ、斎場(焼き場)の職員さんや、葬儀屋の従業員さんの確実な休暇と
>しての意味はありそうです。お坊さんも友引に会議をしたりします。
陰陽道から来た考えですね.しかし元来は「物事をなすにあたって,午前と午後は吉.
正午は凶」が友引きなんだそうですが,それなら結婚式も友引きにするなら正午にか
かってはいけない,ということなんでしょうかね.
ま,迷信というのは数え上げればきりがないんですが,そして大上段に「迷信だから
そんなもの信じるな」と構える必要もないんですが,困ったことに仏教のふりをして
迷信をわざわざ振りまく輩がいるのはどうにもがまんできないことです.
00198 98/06/22 15:07 Eisai              大般若経600巻は15MB
 仏教経典類のテキストデータもインターネットには豊富にあるようです。アムリタ
さんに教えていただいたHPを探してみますと何と『大般若波羅蜜多経』六百巻があ
りました。数十メガバイトあるのかと思えば、十五メガくらいに収まっています。し
かし、素読するだけでも数ヶ月かかりそうな大変な量なのに、どうやって入力したの
でしょう。予算も膨大なようですが・・・。
大正新脩大藏經テキストデータベース
  http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/index.html
にあります。また、
京大経典類のデータベース
  http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/fujiao/jis-
encoded/dongpo/sutra.html
にも興味深い経典類多数がURL上に表示できます。
Eisai
00199 98/06/23 13:19 YAM                RE:00198 大般若経600巻は15MB
>大正新脩大藏經テキストデータベース
>
>  <a href="http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/index.html">http://www.l.
u-tokyo.ac.jp/~sat/japan/index.html</a>
5億の経費がかかると書いてありましたが,どうも費用に捻出に頭を悩ませているよ
うですね.5億といえば,某S宗O派が,アニメ映画の制作に使ったのと同額ですが,
内容のないアニメなんかに使う金があるなら,こういう歴史的な事業にまわしてもら
いたいものです.
ところで,パーリ大蔵は,ヴィパッサナー研究所によってCD-ROMで提供されているよ
うですが,これはWindowsようみたいで,私はMacなんで,残念.Macで読めるC
D-ROMを出してくれないものかしらん.またはWEBで公開されているのでしょうか?
>京大経典類のデータベース
>
>  <a href="http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/fujiao/
jis-">http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/fujiao/jis-</a>
>encoded/dongpo/sutra.html
は見当たりませんでした.
00200 98/06/23 22:06 Eisai              RE:00199 大般若経600巻は15MB
About :  京大経典類のデータベース
YAM さん、こんにちは。
 > ところで,パーリ大蔵は,ヴィパッサナー研究所によってCD-ROMで提供されてい
るよ
 > うですが,これはWindowsようみたいで,私はMacなんで,残念.Macで読め
るC
 > D-ROMを出してくれないものかしらん.またはWEBで公開されているのでしょう
か?
 ソフト Windows95 とかいうソフトをインストールしてもダメですか?
 あと、Windows95 が辛うじて作動する中古パソコンなら秋葉原や日本橋で二束三文
で叩き売りされているのではないでしょうか。知り合いにも旧式パソコンが余ってい
る人がいるかも・・・。
 > >京大経典類のデータベース
 > >
 > >  <a href="http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/
fujiao/
 > jis-">http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/fujiao/jis-<
/a>
 > >encoded/dongpo/sutra.html
 > 
 > は見当たりませんでした.
 多分、秀タームでアップロードするとき、URLに改行が入ってしまっています。
  http://xuanmiao.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ftp/archives/text/fujiao/
 と
  jis-encoded/dongpo/sutra.html
 を別々にブラウザにカットアンドペーストするか、エディタか何かで一つにして下
さい。
Eisai

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