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日 蓮

上行菩薩としての日蓮聖人

 

上行菩薩とは

 『妙法蓮華経従地涌出品第十五』において大地から数限りない菩薩たちが出現する。これを地涌の菩薩という。その筆頭が上行菩薩である。

 『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に説くところのお釈迦様はインドに生まれる前から仏であり、涅槃に入ってからも(亡くなってからも)仏として活躍されている。それが『法華経』の久遠実成の釈迦牟尼仏である。この久遠仏たるお釈迦様に教化されてきたのが、上行菩薩以下の数限りない菩薩たちである。法華経教学では、インドに生まれたお釈迦様の教化を迹化といい、法華経の後半(本門)に至って説き明かされる久遠実成のお釈迦様の教化を本化といって重視する。その本化の菩薩の筆頭が上行菩薩である。

娑婆世界三千大千國土地皆震裂。而於其中有無量千萬億菩薩摩訶薩同時踊出。是諸菩薩身皆金色。三十二相無量光明。先盡在此娑婆世界之下。此界虚空中住。

 娑婆世界の三千大千の国土は、地皆震裂して、その中より、無量千万億の菩薩摩訶薩ありて、同時に涌出せり。この諸の菩薩は、身、皆、金色にして、三十二相と無量の光明とあり。先きより、尽くこの娑婆世界の下、この界の虚空の中に在って住せしなり

是菩薩衆中有四導師。一名上行。二名無邊行。三名淨行。四名安立行。是四菩薩於其衆中。最爲上首唱導之師。

是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり。 

阿逸汝當知 是諸大菩薩 從無數劫来 修習佛智慧
悉是我所化 令發大道心 此等是我子 依止是世界
常行頭陀事 志樂於靜處 捨大衆〓鬧 不樂多所説
如是諸子等 學習我道法 晝夜常精進 爲求佛道故
在娑婆世界 下方空中住 志念力堅固 常懃求智慧
説種種妙法 其心無所畏 我於伽耶城 菩提樹下坐
得成最正覺 轉無上法輪 爾乃教化之 令初發道心
今皆住不退 悉當得成佛 我今説實語 汝等一心信
我從久遠来 教化是等衆

阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は 無数劫より来 仏の智慧を修習せり
悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり 此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり
常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し 大衆の・閙を捨てて 所説多きことを楽わず
是の如き諸子等は 我が道法を学習して 昼夜に常に精進す 仏道を求むるをもっての故に
娑婆世界の 下法の空中に在って住す 志念力堅固にして 常に智慧を勤求し
種々の妙法を説いて 其の心畏るる所なし 我伽耶城 菩提樹下に於て坐して
最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ 爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ
今皆不退に住せり 悉く当に成仏を得べし 我今実語を説く 汝等一心に信ぜよ
我久遠より来 是れ等の衆を教化せり

『妙法蓮華経従地涌出品第十五』

未来記との符合

 日蓮聖人は、『法華経』を弘めることで起こる大難を予言された経文(妙法蓮華経勧持品第十三)通りに、未曽有の大難を体験された。下記はその予言部分である。

『妙法蓮華経勧持品第十三』の偈頌 (勧持品二十行の偈文)

唯願不爲慮 於佛滅度後 恐怖惡世中 我等當廣説
有諸無智人 惡口罵詈等 及加刀杖者 我等皆當忍
惡世中比丘 邪智心諂曲 未得謂爲得 我慢心充滿
或有阿練若 納衣在空閑 自謂行眞道 輕賤人間者
貪著利養故 與白衣説法 爲世所恭敬 如六通羅漢
是人懷惡心 常念世俗事 假名阿練若 好出我等過
而作如是言 此諸比丘等 爲貪利養故 説外道論議
自作此經典 誑惑世間人 爲求名聞故 分別於是經
常在大衆中 欲毀我等故 向國王大臣 婆羅門居士
及餘比丘衆 誹謗説我惡 謂是邪見人 説外道論議
我等敬佛故 悉忍是諸惡 爲斯所輕言 汝等皆是佛
如此輕慢言 皆當忍受之 濁劫惡世中 多有諸恐怖
惡鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信佛 當著忍辱鎧
爲説是經故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道
我等於来世 護持佛所囑 世尊自當知 濁世惡比丘
不知佛方便 随宜所説法 惡口而顰蹙 數數見擯出
遠離於塔寺 如是等衆惡 念佛告敕故 皆當忍是事
諸聚落城邑 其有求法者 我皆到其所 説佛所囑法
我是世尊使 處衆無所畏 我當善説法 願佛安隱住
我於世尊前 諸来十方佛 發如是誓言 佛自知我心

  唯願わくは慮いしたもうべからず 仏の滅度の後   恐怖悪世の中に於て 我等当に広く説くべし
  諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし
  悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
  或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん
  利養に貧著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん
  是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん
  而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は 利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
  自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す 名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説くと
  常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士
  及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん
  我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん 斯れに軽しめて 汝等は皆是れ仏なりと謂われん
  此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし 濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん
  悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん 我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし
  是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む
  我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん 世尊自ら当に知しめすべし 濁世の悪比丘は
  仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して・蹙し 数数擯出せられ
  塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも 仏の告勅を念うが故に 皆当に是の事を忍べし
  諸の聚落城邑に 其れ法を求むる者あらば 我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
  我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし 我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ
  我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て 是の如き誓言を発す 仏自ら我が心を知しめせ

勧持品二十行の偈文との符合

経文 符合する事件
我不愛身命 但惜無上道
 (我身命を愛せず 但無上道を惜む)
[意味:恐怖にもかかわらず命を惜しむことなく悪世に法華経を弘める]

日蓮聖人が布教の決意と受難の覚悟を決した経文
悪口罵詈等
 (悪口罵詈等し)
[意味:悪口を言われたり罵られ侮辱されること]

立教開宗(1253)以来
及加刀杖者
 (及び刀杖を加うる者あらん)
[意味:刀や杖で打たれること]

小松原法難(1264)
 故郷で地頭東条景信に襲われ刀傷を負う
龍口法難(1271)
 処刑場で斬首されそうになった
数々見擯出
 (しばしば擯出せられ)
 ※擯出=所払い
[意味:何度も所払いや流罪に遭うこと]

伊豆流罪(1261)
 伊豆伊東に流罪となった
佐渡流罪(1271)
 龍口法難のあと佐渡島に流罪となった

 不惜身命の法華経を布教する日蓮聖人に、法華経に予言されたとおりのことがふりかかることで、日蓮聖人は末法の導師、如来(お釈迦様)の使い上行菩薩の自覚 をされるにいたる。

 そのことは『開目抄』に説かれるが、はっきりした明文化はない。しかし、日蓮聖人が法華の行者であるか否かが究明されている。

日蓮なくば此一偈の未来記は妄語となりぬ

日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん

経文に我が身普合せり

『開目抄』

 法華経の布教によって予想される苦難を説いた『妙法蓮華経勧持品第十三』の二十行の偈文に説かれた未来記と我が身の符合を鑑み、流罪に遭った佐渡島で上行自覚をされたのである。おそらく、そのことに異を唱える日蓮系伝統宗派は存在しないのではないだろうか? 日蓮本仏論を唱える富士教学ですら日蓮聖人が本化上行菩薩であることがもととなるとのことである。

 また、この佐渡島で初めて日蓮聖人は題目を中心に据えた曼荼羅本尊を顕現 される。上行菩薩としての自覚があってこそではないだろうか。上行菩薩は前に引用した『妙法蓮華経従地涌出品第十五』の偈頌のごとく素晴らしい菩薩であり、その資格があるのである。

末法

 日本では古来『周書異記』により、1052年(永承7年)から末法が始まると考えられた 。仏滅後、正法が千年つづき、像法千年つづき、その次の時代が末法となる。

 
正法
像法  
末法    

 末法とは仏法の教えは伝わっていても、それを行ずる人も、覚る人(証)人もいない時代をさす。日蓮聖人はこの末法に法華経を弘める仏の使い(如来使)として使わされた上行菩薩との自覚を持たれた。

インドの歴史における末法

  これは色々しらべているうちにたまたま発見したことであるが、インドで仏法が滅んだのは13世紀とされる。1203年、東ベンガルの教団根拠地であったヴィクラマシラー寺院がイスラムの軍隊に蹂躙されたのを最後に、教団は壊滅し、頭を失った仏教はヒンドゥー教の中に溶けこみ、吸収されてしまった のである。
 仏教学的にお釈迦様の年代を推定して正法1000年、像法1000年とすると、末法は室町時代となってしまうが

まとめ

 法華経の宗旨たる天台宗も密教化して法華経よりも密教経典を重くみたり、止観勝法華などをとなえる中古天台本覚思想が蔓延していた。法華経など浄土教以外の聖道門を捨てよという念仏が大流行した。教外別伝・不立文字の禅宗が新興武家勢力に浸透した。社会慈善事業に尽力した律宗が称賛されていた。

 一方で、世は乱れ、天変地異が起こる。仏教が盛んなのに、悪世となるのはどういうわけか。
 天台宗開祖の天台大師(隋)、中興の妙楽大師(唐)、伝教大師最澄の天台宗本来の天台法華教学が蔑ろにされていることをなげかれたのか日蓮聖人である。

 

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