開目抄 (昭和定本 P605 より部分引用)  疑て云く 念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く_不楽説人。及経典過。亦不軽慢。諸余法師〔楽って人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ〕等云云。汝、此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか。  答て云く 止観に云く ̄夫仏両説。一摂二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖 乃至 斬首是折義。雖与奪殊途倶令利益〔夫れ仏に両説あり。一には摂・二には折。安楽行に不称長短という如きは是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し、乃至 首を斬るというは、是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖も、倶に利益せしむ〕等云云。 弘決に云く ̄夫仏両説等者○大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙豫国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 竝是折伏破法之人。一切経論不出此二〔夫仏両説等○大経執持刀杖とは、第三に云く 正法を護る者は五戒を受けず、威儀を修せず。乃至、下の文に、仙豫国王等の文あり。又新医禁じて云く 若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし。是の如き等の文、竝びに是れ破法之人を折伏するなり。一切の経論此の二を出でず〕等云云。 文句に云く ̄問 大経明親付国王持弓帯箭摧伏悪人。此経遠離豪勢謙下慈善剛柔碩乖。云何不異。答 大経偏論折伏住一子地。何曾無摂受。此経偏明摂受頭破七分。非無折伏。各挙一端適時而已〔問う 大経は、国王に親付し、弓を持し、箭を帯し、悪人を摧伏せよと明かす。此の経は、豪勢を遠離し、謙下慈善せよ、と。剛柔碩いに乖けり。云何ぞ異ならざらん。答う 大経は、偏に折伏を論ずれども一子地に住す。何ぞ曾て摂受無からん。此の経は、偏に摂受を明かせども頭破七分という。折伏無きに非ず。各一端を挙げて時に適う而已〕等云云。 涅槃経の疏に云く ̄出家在家護法取其元心所為 棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節故言不修威儀 ○昔時平而法弘。応持戒勿持杖。 今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向〔出家在家法を護らんには、其の元心の所為を取り、事を棄て、理を存して、まさに大教を弘めよ。故に護持正法と言う。小節に拘らざれ、故に不修威儀と言うなり。○昔の時は平にして而も法弘まる。応に戒を持すべし、杖を持すこと勿れ。今の時は嶮にして而も法かくる。応に杖を持すべし、戒を持すこと勿れ。今昔倶に嶮なれば、応に倶に杖を持すべし。今昔倶に平なれば、応に倶に戒を持すべし。取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云。  汝が不審をば世間の学者、多分道理とおもう。いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のおもいすてず。一闡提人のごとくなるゆえに、先ず天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ。  夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。譬えば熱き時に寒水を用い、寒き時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失う。末法に摂受折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆえなり。日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし