インド四大仏跡を巡る旅

〜 スジャータ村 (セーナーニー村) 〜


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乾季で干上がった尼連禅河をバスで渡る バスを降りてスジャータ村へ
整備中のスジャータのストゥーパ この土砂の山はスジャータのストゥーパ整備で余った土?
スジャータのストゥーパから前正覚山を臨む スジャータのストゥーパから村(学校)を臨む

農業従事者 農作業
村の子供達 日本語が達者な小学生もいる スジャータの乳粥の牛?
尼連禅河越しにマハー・ボーディー寺院を臨む 橋の上から見た牧場
河畔は広い 尼連禅河の現在の呼称はパルグ河
乳粥 スジャータホテルにて(ブッダガヤ) スジャータホテル

(C)2005 Eisai Ishibushi ALL RIGHTS RESERVED
DATA: Nikon D70 ,  AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm F2.8D
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【解説】

スジャータ

 コーヒーにスジャータ♪で有名であるが、苦行を捨てて尼連禅河で沐浴後、菩提樹下で瞑想していたお釈迦様に乳粥を供養した娘の名前。お釈迦様はこの乳粥によって苦行でやせ細り弱った身体を回復させた。

乳粥

 スジャータによって供養された乳粥は、パーヤーサと呼ばれるもの。米のお粥に、牛乳、蜜、砂糖を加えた柔らかい食べ物。お釈迦様以前の時代から現代までインドに伝わるものである。ヤーグ(乳の粥)ともいう。


【旅行記】

●2/18(金) つづき

尼連禅河を渡りスジャータ村へ

 マハー・ボーディー寺院の近くの橋を渡ると、スジャータの村である。乾期の2月には広い川が見事干上がっている。渡ってバスを降りると、子供達が寄ってきておねだりをする。気持ちとしては何かしてあげたいが、それは彼らの自立にとって芳しくない。
 「乞食を三日するとやめられなくなる」そんな言葉を亡き祖母から聞いたことがある。日本人にたかってお金や物品を手に入れるのも大変だろうが、そんな子供が大人になると、何のためらいもなく外国人をだます土産物屋になることを助長しないか。

 子供達はたくみに日本語を話していた。僕たちの学校があるけれど寄附をしたか訊いてきたり、去年まで日本語の先生がいたけれど大阪に帰ったと言っていた。ホテルに帰ってから気づいたことであるが、これは三木随法師の建てたお寺である。実は、三木随法師一周忌のおりに1万円だけ寄附をしていたのだ。これも御縁。ただし、その学校は撮っていない。

 スジャータの村には、スジャータの家があったとされる場所にストゥーパがあったようだ。そのストゥーパ跡は現在整備されている。ここも手を入れるより以前のままの方が良いと思う。

 改装工事中?のスジャータの供養塔(ストゥーパ)に登り、お釈迦様の苦行された前正覚山を臨んだ。やはり遠い。

 それから私の知識の間違いに気づかされた。スジャータの村と成道の菩提樹はネーランジャラー川の対岸にある。川幅はかなり広い。つい最近まで橋はなかった。歩いて渡ったようである。

ホテルにて乳粥を食べる

 ホテルの夕食には乳粥があった。バイキング形式なので無くなる前に食べたら、乳粥はデザートらしい。確かに少しだけ甘い。お釈迦様の時代にはたいそう御馳走だったろう。
 ホテルの料理は和食・中華・インドの折衷料理だった。インドに来たらインドの食べ物をというのが私の気持ちであるが、これも胃腸のためには良いかも知れない。マサラ料理の香辛料は慣れない日本人には胃腸に負担がある。その意味では良かったかも。

連日の和風風呂

 昨日の法華ホテルは仕方ないとして、このスジャータ・ホテルも和風の風呂だった。何が和風かというと、日本の旅館の共同風呂だということである。部屋にもバスはあるがお湯がでない。でても、温度も低く水圧も著しく低い。もし、バスタブを満たしても暖まらない。
 そもそも、風呂に入っていても突然シャワーからお湯が出なくなったりする。ここはインドだからこれも良い。連日の和風風呂に異国情緒はなくなったものの、インドの地方都市で連日あたたかい湯船につかれることは有り難い。
 数年前に行った南インドのナーガルジュナ・コンダではシャワーがあっても水すらでない。当然お湯は出ない。水をかぶった経験もある。そういえばナーガルジュナコンダのホテルは窓の鍵も壊れていた。

ホテルの売店で彫刻が欲しくなった

 ホテルの売店で釈迦伝の彫刻が欲しくなった。摩耶夫人の釋尊懐妊からお釈迦様の入滅そして仏舎利塔の建立まで21の彫刻がある。大きさはボストンバッグに十分はいる大きさだ。ところが・・・値段を訊くと19万円だという。話をしているうちに、三木随法師と親密なおつきあいをされている方だということがわかった。それで、更に安くしてくれるということだったが、16万円にしかディスカウントされない。店員さんが一枚板から彫ったというがよく見るとそうではない。
 この彫刻であれば、私としてはどう奮発しても10万円以上出せない。交渉中止。

マッサージは何式?

 ホテル従業員が30分30ルピーでマッサージするとのことで夫婦でお願いした。インド式マッサージかと思いきや、彼の父親が日本式指圧マッサージを学び、それを子供の頃から教わっていたという。結局家内が45分、私が30分してもらった。
 普通の指圧のほか、エビがためみたいなことをしたり、足の指までボキボキならせたりして面白かった。一人60分することを進められたが、明朝は早朝3時の起床なので眠りたいと丁重に断った。
 彼には、お茶代わりに関空の免税店で買ったオールドパーを飲ませた。オールドパーというスコッチを知らなかったようだが、美味しいといっておかわりまでした。

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