インド四大仏跡を巡る旅

〜 サルナート 2/2 ストゥーパと遺跡 〜


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ダーメーク・ストゥーパ前の遺跡群 世界各国から参詣者が来るがブッダガヤほどではない
どこまでが遺跡のレンガかわからない サリーを着た作業員の赤が鮮やかだった
広く緻密な遺跡だ レンガの間にも彫刻がなされている
アショーカ王の石柱 仏像の顔は削られていた
祭壇のあとか サルナートからは素晴らし仏像が多数出土している
またサリーを着た作業員 絵になる あいにく逆光

鹿野苑(Deer Park)の鹿 奈良公園のように放し飼いではなく大きな柵の中
遺跡での作業 ストゥーパの模様が見えてきた
何枚も写真を撮っていると笑顔でこたえてくれた それにしても器用に頭上に載せる
やっとストゥーパに到達 模様のないレンガは破壊されて補修した部分とか

緻密な彫刻が残っていた 被害を受ける前のストゥーパを想像しながら巡った
彫刻のある表面は少ない 独特の幾何学紋様
順光で撮れなかった 風化した案内板
チャウカンディ・ストゥーパ
(
サルナートからベナレスへの道中にあるストゥーパ)

頂上にあるのはイスラム教徒が建てたもの
詳しくは右側の英文を参照のこと

(C)2005 Eisai Ishibushi ALL RIGHTS RESERVED
DATA: Nikon D70 ,  AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm F2.8D
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【解説】

鹿野苑

 
 サルナートは漢訳仏典では鹿野苑(ろくやおん)として登場し、金閣寺の正式名称「鹿苑寺」はここから来ているのではないかと思う。英語では Deer Park と訳され、鹿の園の意味である。奈良の東大寺に鹿が放し飼いにされているのはここから来ているものか?

 当地の発掘の結果、古くはアショーカ王の太古から仏教が滅ぶ12世紀ころまでの彫刻が出土している。

 現存するダーメーク・ストゥーパは、高さ約42m、基部の直径約28mあり、グプタ時代の貴重な塔である。考古博物館に出土品が収められている。筆者は大英博物館においても素晴らしい彫刻に出会った。当地の博物館の入口正面にはアショーカ王石柱のライオン柱頭がある。

チャウカンディ・ストゥーパ

 チャウカンディ・ストゥーパは迎仏塔と訳される。お釈迦様と五人の修行者(五比丘)との出会いの場所。この五人の修行者はお釈迦様とともにブッダガヤで苦行をしていた。ところが、お釈迦様がスジャータの乳粥の供養を受けたことを見て、苦行を捨てたお釈迦様とは共に修行ができないとサルナートに来ていた。

サルナート出土の仏像

 考古博物館の仏像は撮影できなかったが、かわりに昨春訪英したときの大英博物館のサルナート出土の仏像の写真を掲載する。

釈迦立像 グプタ王朝(435年頃)
大英博物館 OA 1880. 6
釈迦像 5〜6世紀頃
大英博物館 OA 1880.7



【旅行記】

●2/19(土) つづき

サルナート(鹿野苑)の鹿

 寺院からストゥーパまではすぐ隣であるが、塀で仕切られており回り道をしなくてはならない。入口は遠くバスに1〜2分乗って行った。歩いてもいけるが、しつこい物売りを避ける意味もある。

 入口に入ると壮大な建物があったことを伺わせるレンガの遺跡跡がある。さらに、サルナート(鹿野苑)というように鹿がいる。といっても、この鹿は奈良東大寺のように放し飼いではない。参詣者は柵越しにしか鹿を見られない。
 この鹿であるが故中村元先生(東大名誉教授)が最初に訪れられたときは居なかったそうである。ある時から飼われるようになった。それは鹿の園(Deer Park)の名に相応しく鹿を飼って観光客を喜ばせるためらしい。
 現地ガイドのカンさん曰く、鹿はおとなしく仏教に相応しい。また、お釈迦様の前世物語(ジャータカ)にも鹿となった話がある。だから、お釈迦様の聖地として鹿は相応しい生き物だと。
 どちらにしても、お釈迦様の往時は鹿はいたのかも知れない。そして、現在は世界の仏教寺院で一番の鹿の園(Deer Park)は日本の奈良東大寺かも知れない。

サルナートのストゥーパ

 遺跡を右回りに大回りしてダーメーク・ストゥーパに到達した。何度となく写真で見てきた初転法輪の仏跡たるサルナート(鹿野苑)の象徴である。近くに寄ると、部分部分に彫刻されていることに気づいた。

 他のインド仏跡でもあることであるが、タイ人は金箔を貼りまくり、チベット人は布を掛ける。その布がとんでもない高さに掲げてあることがある。といっても3mくらいの高さである。梯子をつかったか、さもなくばスパイダーマンをしてよじ登ったか。高山に暮らすチベット人なら可能?

 右回りに一周して集合写真を撮ってストゥーパをあとにした。本当な7周くらいしたかったし、このストゥーパの前で1時間ほどボーッとしていたかった。それは個人旅行で再訪することが叶ったときにしよう。

サルナート博物館

 さて、ストゥーパのすぐ前に博物館がある。外から見ると大きな博物館であるが内部は意外と狭い。正面玄関から向かって左側が仏教、右側がヒンドゥー教の展示である。
 正面にはいきなりアショカ・ピラーの上部が展示されている。4頭獅子が四方を臨み、もとはその上に法輪があったそうである。本当に素晴らしい!。この博物館所蔵のアショカ・ピラーの上部の写真がインドの紙幣のデザインに使われているとの現地ガイドの説明だった。

 また、大きな釈迦牟尼仏像と、巨大な天蓋と柄が展示してあった。釈迦牟尼仏像は痛みが激しいが、天蓋は割れてはいても、その大きさと荘厳さで私を魅了した。

 さらに、左奥へ進み一番奥によく写真で紹介される美しい仏像がある。なんと、さわらせてくれる。本当はいけないのだろうが、ガイドも触るし、私たちも触った。メンバーの女の子は手が届かない。そうしていると、見張り役がそばに寄ってきた。一瞬どきっとしたが、ここからなら届くよと女の子を仏像の脇に案内した。そのあときっちりチップ(賄賂?)を要求された。快く支払った。これがインド?。

 チップを払うと立像の釈迦像に頂足して良いよと言われた。まさか、石像を持ち上げられないから、足に額をつけて手は頂足の作法だけをした。有り難い。チップをもう少し出して写真を撮らせてもらったらよかった・・・。

 それにしてもこれだけの仏像、博物館に所蔵するよりも、寺院に奉られ給使されるべきだと思うのは私だけだろうか。

もう一つのストゥーパ跡

 ホテルに向かう道中、中規模のストゥーパ跡に立ち寄った。土饅頭型のおなじみのストゥーパにイスラム教徒がレンガの建物を建立したものだ。いやはや。

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