ポーランド旅行記 7 ワルシャワ旧市街 Warsaw

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ワルシャワ駅は地下駅

ホテルの横は大統領官邸

クラクフ郊外通り

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ワルシャワ蜂起記念碑 1944年8月1日 ナチスドイツに蜂起するも街をほぼ破壊され20万人の死者を出し10月2日に降伏 (国家には自前の強い軍隊が必要!)

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キュリー夫人博物館付近 キュリー夫人博物館入り口  
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キュリー夫人博物館内部

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キュリー夫人博物館からバルバカン Barbakan へ

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ワルシャワ蜂起で破壊されたのを復興した建造物のためか? バルバカンは歴史の深みを感じさせるには及ばない 

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バルバカン(円形状の砦)

旧市街市場広場への道

市場広場 Rynek Stare Miasto

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人魚像 Warszawska Syrenka

 
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旧王宮前の広場

ジグムント3世の碑(Zygmunt III)

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ピエロギ(ポーランド風餃子) ペロガルニア・ナ・ベドナルスキエイ Pierogarnia Na Bednarskiej わざわざ食べに行くくらい美味しかったかと言われれば…

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クラクフ郊外通りを南下

コペルニクス像 (Copernicus)

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軍事博物館のあるイェロソリムスキェ通り

夜の散策に出発

ホテル横の大統領官邸

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クラクフ郊外通りを北上

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旧王宮前の広場

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旧市街へ向かう道中

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旧市街 市場広場

人魚像

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レストラン ウ・フキエラ U Fukiera の入口は旧市街の市場広場西側

室内

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ポーランド最後の夜だからワインも奮発した (イタリアのベローナの老舗ワイナリー MASI マァジ

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牛の胃袋スープ 臓物は苦手だが美味しいかった

チョウザメ料理 (キャビアではなく身の方)

デザート すべて美味しかった

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ホテルまで歩いて帰る道にて 一夜明けて早朝散策
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大統領官邸

 
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クラクフ郊外通りを北上 旧王宮前の広場
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もうすぐ日の出

 
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旧市街 市場広場

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人魚像を横から撮った

   
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バルバカン

 
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バルバカン → 旧王宮前の広場 → クラクフ郊外通り

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チェックアウトまでの時間つぶしにサスキ公園 Ogrod Saski へ

無名戦士の墓

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衛兵の交代 

宿泊した レ・メリディアン・ブリストル・ホテル
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奥は 文化科学宮殿 Patac Kultury i Nauki

ワルシャワ中央駅 空港でみたタクシーの注意書き

 

平成23年3月24日(木)

満員のワルシャワ行き列車

 駅で朝食のパンを買い、昨日購入した乗車券を持ってホームに向かった。何号車のどの席が私たちの席かわからない。ホテルのフロントできいておけばよかった。ともかく、一等車に乗ったが列車は満員。空いている席が私たちの席だと思ったらちがう。英語を話せる男性が助けてくれた。たまたま乗った号車が私たちの席のある列車だった。

 困ったことに、大きなボストンバッグを置く場所がない。日本の新幹線みたい。ともかく、邪魔にならない連結器近くの空間に置いた。特急なので停車駅は少なかったが、停車するたびに荷物を見に行った。

 一等車の乗客はほとんどビジネスマンみたい。ノートパソコンを開いたり、新聞を読んだりしていた。駅で買ったパンも食べにくい雰囲気だった。

地下のワルシャワ駅

 10時頃にワルシャワ到着。短い旅程で明日はもう帰途である。午前中からワルシャワ観光ができるように早い列車を選んでいた。

 ワルシャワ駅は地下駅だった。地上に出て客待ちのタクシーに乗った。50ズウォティ(≒1500円)と告げられた。物価からして高いかと思ったが、値切りもせず乗った。せめて、Include chip ! くらい念を押すべきだった。

ホテル

 ホテルはレ メリディアン ブリストル ホテル (Le Meridien Bristol Hotel) 。大統領宮殿横で旧市街にも近く立地も最高。建物もサービスも最高のホテルだった。そういうホテルをガイドブックで探してインターネットで予約したのだが、期待通りだった。

ワルシャワ蜂起記念碑

 ホテルからクラクフ郊外通りを北上して「ワルシャワ蜂起記念碑」まで歩いて行った。大統領官邸を右に見て、それなりに美しい町並みだから徒歩は苦にならない。

 いくら第二次世界大戦末期の1944年とはいえナチス・ドイツ軍は弱くない。蜂起したワルシャワ市民はソビエト連邦の援軍を期待したようだが、政治的な判断で援軍は来なかった。結果20万人の犠牲とともに、街をほとんど破壊されてしまったとのこと。

 記念碑の困窮した表情の兵士の像をみてとても気の毒に思った。それは他人事ではない、ロシアとドイツという列強に挟まれた当時のポーランドと、アメリカを頼りにロシア、中国と接している 地政学的状況の日本を重ね合わせてしまう。日本はもっともっと防衛について深刻に考えるべきだと思う。アメリカに頼るだけでなく、自ら独立と尊厳を確保できるだけの、防衛力とそれを発揮できるだけの法整備も必要だ。

キュリー夫人博物館

 ワルシャワ蜂起記念碑から歩いてもすぐだ。キュリー夫人の生家が博物館になっている。生家だということで、そんなに広くない。一階には狭い土産物店があり、階段で二階にあがる。まず、たくさんの写真が展示してあるへやがあり、隣の部屋には実験道具やパネルなどで物理や化学の説明がなされている。どちらかというと、ポーランド人の中学高校生むきの展示ではないだろうか。もちろん、あのキュリー夫人の生家に行ったという感慨はあるが…。

バルバカン Barbakan

 バルバカンは円形状の砦である。ただし、クラクフのバルバカンに比べると頗る小さな砦である。そしてごく最近建て替えられたような煉瓦と目地の質感である。ここも、第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起で被害を受けたと想像するが、復興したあとに歴史ある建造物のような汚れや風化の塗装や工夫がなされていない。

旧市街市場広場

 ヨーロッパの旧市街の広場としては普通だが、首都の広場としては狭い。旧王宮前の広場の広場はだだっ広いが…。

 えんじ色で揃えられた屋根の色、それぞれの壁の色がクリーム色、グリーン系、ピンク系など淡い色のバリエーションを持っているのが可愛い。首都の広場の威信、財力の象徴するような感じは全くない。それが良いし、好きな感じの広場だ。広場の真ん中には人魚の像がある。

人魚像

 広場の真ん中には人魚の像がある。ワルス Wars  とサワ Zawa という漁師の夫婦がヴィスワ川で漁をしていて人魚を生け捕りにした。人魚に懇願されて川にかえしてやると、そこに人が住みだしこれがワルシャワの始まりだという伝説に因む。ワルシャワの名前はその漁師夫婦の名前。

ピエロギ(ポーランド風餃子) ペロガルニア・ナ・ベドナルスキエイ Pierogarnia Na Bednarskiej

 「地球の歩き方」に紹介されていた「ペロガルニア・ナ・ベドナルスキエイ Pierogarnia Na Bednarskiej」 という お店に入った。ピエロギというポーランド風餃子の専門店である。入口を見つけて入っても、ウェイターはいない。どこの部屋に行けばいいの?という戸惑いが先に来る。とりあえず、キッチン近くの部屋に座ったがウェイターは来ない。キッチンまでいって注文しなくてはならないのだ。英語メニューがあったので、5種類くらいピエロギを注文した。ビールを注文しようと思ったが、ソフトドリンクしかないみたい。

 わざわざ旧市街からここまで歩いてきたが、それに値する美味かといえばそうではない。分厚い生地の水餃子の皮に、いろいろな素材とともにいろいろな挽肉を入れたもの。バリエーションは多いが、観光客としては十種類も試せない。もっと定番のピエロギを美味しいレストランで挑戦した方が良かったかもしれない。

コペルニクス像

 クラクフ郊外通りを南下するとワルシャワ大学の横を通る。学生らしき若者がたくさんいた。校門があって、キャンパスの奥に建物があるのではなく、通りにいきなり大学の棟が建っている。うちの母校みたい。

 しばらく南下すると、コペルニクス像が見えた。地動説を唱えたコペルニクス(1473-1543)は科学革命 Scientific Revolutions の先駆けとなる科学者。近代科学の先鞭となった、フランシス・ベーコン(1561-1626)、デカルト(1596-1650)よりも早いから凄い。キュリー夫人といい、コペルニクスといい、ショパンといい、ポーランドは凄い。

ショパン博物館

 そのショパン博物館であるが、軍事博物館の帰りに息子と探したがわからなかった。こんなことは今までの旅行ではなかった。何故、わからなかったのだろう? 帰国後「地球の歩き方」の地図に間違いがないか Google Map で調べたが問題はなかった。

素晴らしい黄昏時の旧市街

 クラクフといいワルシャワといい、黄昏時の旧市街が綺麗だった。良い写真がいっぱい撮れたと思う。

ポーランド最後のディナー

 旧市街の市場広場にある レストラン ウ・フキエラ U Fukiera に行くことにした。自分で電話予約できないので、ホテルのコンシェルジュで予約してもらった。雰囲気も良いが料理も美味しい。メニューを見てもわからないので、「ポーランド料理のお勧めは何か?」と英語できいて注文した。スープが私の苦手な臓物だったのはギョッとしたが、残さず食べられた。チョウザメのキャビアはともかく、身を食べたのは初めてだった。今日の料理に合うワインをきいてもソムリエが来るわけではない。ウェイターが2〜3のワインをワインリストから勧めてくれたので、その中から選んだ。少し張り込んだ。

早朝の散策

 時差ボケを少なくするために、早寝早起きを心掛けた。早朝のワルシャワ旧市街を歩いた。日の出前、日の出、そしてまだ傾いている太陽光線が織りなす風景の変化。夕刻ほどではないが、人通りの少ない中でその雰囲気を楽しんだ。

衛兵交代

 チェックアウトの時間まで2時間ほど時間があった。ショパン博物館は昼からしか開かない。衛兵の交代を見に行くことにした。サスキ公園 Ogrod Saski を東から西へ抜けて往復して帰ってきたが、別段これといったことはなかった。

 無名戦士の墓には衛兵が二人控えている。その交代儀式を見た。三人の兵隊が東から来て、二人の兵隊が交代する。意義正しく緊張感はあるが、他国の王宮などの衛兵交代儀式ほど派手ではない。
 

 
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