平成22年8月25日(水)
シナイア
シナイアは当初観光するつもりはなかったが、道中なので寄ってみることにした。ブカレスト市民の別荘地であり、軽井沢みたいなところだそうだ。それだけのこと。高い航空運賃と貴重な長期休暇を割いて訪れるべきところかと言われれば疑問符がつく。
しかし、西欧や中欧と違うヨーロッパ、ヨーロッパの原風景あるいはヨーロッパの田舎でリフレッシュしたい私としては、ボーッとガイド任せで観光するのも可かなと思った。
シナイア僧院
ホテル街や別荘地を突き進んでどんどん登っていくと、シナイア僧院がある。自動車は入り口の際の駐車場に駐めた。レンタカーを自分で運転していたら、ここに駐める勇気はなかっただろう。自分で運転していたら、下の方の駐車場を探してテクテク歩いて登ったかも知れない。
さて、門の入り口の右奥に大きくはないが壮麗な教会が建っている。しかし、これは新しい教会で創建当初の古い教会は左のほうである。この創建当初の教会は小さな教会であるが、フレスコ画のあまりの素晴らしさに息を呑んだ。このフレスコ画を観るだけでもここに来る価値があり、来て良かったと思う。
シナイア僧院はシナイアの地名の由来となる僧院であり、その僧院の名前はエジプトのシナイに由来する。
ペレシュ城
再度、車に乗って坂を登る。地元の人や観光業の人しか車で通れないような道を登ったように感じる。レンタカーならばここまで登ってくることは、勇気があるか向こう見ずでなければできなかっただろう。
この城は意外と新しく1875年にルーマニア王室の夏の離宮として建てられたものらしい。それ故、セントラルヒーティングで暖房されるとのこと。ルーマニア様式というよりも、ドイツの職人に作らせたホールと彫り物、ヨーロッパやトルコなど各国をイメージした部屋がある。
ここは普通、ツアーに参加しなくてはならないが、日本語ガイドが居たので、彼がガイドすることでツアーに参加しなくて良かった。カメラとビデオの撮影には別途お金が必要である。
昼食
エコノマットというレストランで昼食をした。ここは城主の近衛兵の住む兵舎だったところだそうだ。トマトスープを注文したが、トマトが薄かった。味は悪くはなかった。
ここでの昼食は以後のルーマニアの食事を予期させるものだった。決して不味くはない。しかし、完成度の高いルーマニア料理に出会うことは少なかった。ガイドの推薦する店よりも、ガイドブックでしっかり調べて店を選んだら、あるいはそんなことはなかったかも知れない。もちろん、ガイド推薦の店でも美味しい店もあったのだが…。
ロープウェイは中止
私は旅行社にオーダーしていなかったが、旅行社がブチェシ山2000mへのロープウェイを予定に入れていた。しかし、私のミスで旅程を組むのを間違えていた。
シナイア → ブラショフ → シビウ → シギショアラ
とするべきを
シナイア → シビウ → ブラショフ → シギショアラ
としていた。この日の内に、ブラショフを超えてシビウまで行かなくてはならない。ロープウェイは中止とした。
シビウへの道中
シナイアを出発するとすぐに標高2000mの高山の上に十字架が見えた。そんな高い場所の十字架が見えるということは余程の大きな十字架である。なんと、高さ50mもある十字架だそうだ。
シナイアを出てすぐに渋滞に遭った、また道中のブラショフという大都市もそれなりに道が混んでいた。こんなこともあるのでロープウェイは中止して正解だった。まだまだ道中は長い。時差ボケもあって車中では眠らせて戴いた。運転手兼ねる通訳ガイドさんには悪いけど…。
それにつけてもブラショフを抜けてシビウまで行って、またブラショフに帰ってくるという無駄な道程を設定してしまって申し訳ない。
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