<出発前のゴタゴタ と 往路>
平成22年8月24日(火)
旅行前の人間ドック
仕事は休みにしておいたが、昼から人間ドックを予約していた。7月末に頭の中が広範囲にしびれることがあり、怖くなって脳ドックを予約したが、旅行出発日の日しか予約できなかった。
幸い、脳のMRI検査に異常はなかった。脳のサイズも、左右の対称性も、血管の形も正常で、くも膜下出血の原因となるような瘤もなかった。脳ドックは3年に一度もすると十分とのことである。更に、頸動脈のMRI検査では問題はないものの右側の頸動脈が蛇行をしているが問題ないとのこと。
胸部や腹部のCT検査も、心臓エコーや頸動脈エコーそして腹部エコーも特に異常はなかった。私はクボタの工場から500m以内の幼稚園・小学校に通っていたので、青石綿による中皮腫が心配だった。ただ、この先生は脳神経外科が専門で、内臓の診断はインターネットでデータを京大に送って、その診断を私に伝えるだけ。中皮腫の専門的な診断はできないとのことであるが、今回の画像診断では大丈夫みたい。私の知っている人だけで4名の近隣住民や元近隣住民が中皮腫になって3名が亡くなられたので気になっている。
ただ、左右どちらかの甲状腺に2箇所の嚢胞?があるらしく経過観察が必要とのこと。肝臓の嚢胞については、15年以上前から存在を知っているが、肝臓の専門医を含め数人の医師から良性で大丈夫だろうとの診断を戴いている。ただし、同じ先生にエコー検査を定期的にしてもらって、大きくなっていないかどうかをチェックする必要があるとのこと。
それから後日知らされたことであるが、心エコーの結果として、僧帽弁や大動脈弁に狭窄がみられるとのことである。年齢相応のことで特に心配には及ばないとのことであるが、これも経過に注意しなければならない。
それにしてもMRIは心理的にきつく感じることが一瞬あった。機器はオープンMRIとかいう最新の機器なのか、噂に聞いたような騒音はなかった。ただ、顔の前、目の前が狭くて狭所恐怖症ならずとも不快。何かあっても顔と上半身を起こせないのだという狭い洞窟に入ったような恐怖を感じた。こんな気持ちは、シルクロードのトルファンのカレーズという穴で、観光客で渋滞して身動きがとれなかったこと以来である。
ともかく不安は一瞬で、MRI検査が終わるのを待つのではなく、今晩からの旅行の考え事をすることにした、リラックスしてくるとMRIの騒音もリズミカルでラップかなにかのパーカッションに聞こえてきた。ここで、どんなギターのフレーズを入れて、ドラムを打つか…なんて他愛のないことを考えているうちにMRIは終わった。CT検査の数倍のけっこうな時間がかかった。
朝8時までに軽い朝食を終わらせて、何も食べていなかったので検査終了間際にはお腹が空いていた。なんと、病院で昼食のサンドイッチを2セット、そして美味しいホットコーヒーを準備してくれていた。
カメラのキャップ
人間ドックが終わったとき、ふとカメラのキャップがないことを思い出した。近所のカメラのキタムラに電話をすると在庫がないという。しかたなく、梅田のヨドバシカメラまで買いに行った。F2.8の標準ズームのキャップだから大口径のキャップでその辺のカメラ点では在庫がない。
原稿の入稿
アドビ InDesign で作成した原稿の入稿について午前中、責任者に打診したら入稿してもよいとのこと。ヨドバシカメラからかえって来たのは出発予定時刻の20分前、シャワーを浴び、荷造りチェックをして、原稿をPDFに変換してサーバーにアップロード、URLを出版社にメールすることで入稿した。そして、家内にリムジンバスの停留所まで送ってもらった。バス出発の5分前だった。私の忙しさを象徴するような慌ただしさだった。ともかく、リムジンバスに乗ってしまえば旅行中の一週間はゆったりできる。旅行に出ないと私はゆったりできない。
入稿をしたものの、やはり気になる。前回の原稿を入稿していないか、校正は十分か?、出版社のフォーマットで入稿したが見開き左右のページにまたがる写真は寸分の違いなく繋がるのだろうか?
イスタンブールの空港で時間があればインターネットで確認することにする。
トルコ航空
トルコ航空は、ANAと同じグループらしく、今般の飛行機も共同運航便である。夜10時半のフライトで、出国検査も混み合っていない。夜9時になると関空のショップもかなり閉店してくる。
チェックインカウンターの機器が一台故障している関係でチェックインに時間がかかり、夕食をゆっくり食べる時間がなかった。安全を考えて出国検査をすませてから食べようとしたがたいした店はない。前回の旅行に多分なかった、がんこ寿司ができていた、値段のわりにネタはもう一つだった、回転寿司のように生臭い臭いが残るような酷いものではなかったが、もう少し値段相応にして欲しい。
9時45分の搭乗であるが、さばを読んでいるだろうし、どうせビジネスクラス、子供のいる乗客、奥の席という順番だろうから待たされると読んで、9時50分にゲートに行くと、もう最終案内をしていた。まだ十数人並んでいたがが、余裕のある行動ではなかった。
トルコ航空の空路
他のヨーロッパ航空会社とちがいロシア上空を通らない。韓国から北京へ抜けて、シルクロードを抜けて、カザフスタン、アラル海北部をかすめ、カスピ海と黒海を横断してイスタンブールへ向かう。夜間飛行で景色は見えなかったが見えたらエキサイティングだったと思う。
日本人乗務員がいない
別段問題はないが、全日空との共同運航便なのに日本人スタッフがいなかった。一部のアナウンスは録音の再生である。滑稽な話であるが、飛行機に乗り込んだときに、到着時の日本語案内が流れた。
スリッパ
スリッパが配られるのはビジネスクラスだけではなく、エコノミークラスにもスリッパと、ソックス、アイマスク、歯ブラシセット、リップバーム、耳栓の入ったきれいなポートを戴いた。
フライト
22:30 Osaka, Japan - Kansai International
05:35 +1 day(s) Istanbul, Turkey - Ataturk, terminal I
08:20 Istanbul, Turkey - Ataturk, terminal I
09:45 Bucharest, Romania - Otopeni International
平成22年8月25日(水)
イスタンブール空港
実に発着の多い空港である。さすが欧州と東洋の十字路。欧州の飛行機会社が、日本を午前遅くに飛び立ち、現地に夕刻到着ということを考えると、トルコ航空で夜に飛び立ち、早朝に到着。トランジットして欧州各都市に午前中到着というのは有効な選択肢たりうると思う。欧州の航空会社の便に乗り遅れた場合、一日待つより半日後に出発するトルコ航空は有効な選択肢でもある。
この空港がほかの大都市の空港と違うことは、バスで移動すること。建物に入れないのだ。これは関空便、ブカレスト便双方がそうだった。
ただ、空港内部は必要最低限という感じ。ことに、インターネットができるスポットがなかった。インフォメーションで聞くと階下に降りたらあるというが、それをするには出国をするか、ラウンジに行けということである。ラウンジはカード会社のものか。VISAはゴールドカードを持っているが、これで入室できるのかどうか気後れして訊けなかった。
インターネットはできないと3時間の待ち時間はとても長かったし、メール連絡したいことがたくさんあったがとても不便に感じた。
ブカレスト到着
空港で荷物を受け取ると通訳の男性とすぐに会うことができた。まず、水を買いたいというと、キオスクは高いからと階下のスーパーに連れて行って下さった。
それから、車へ。なんと、この通訳さんが直々に運転をするのだ。ブカレスト北方のアンリ・コアンダ空港。ブカレストと反対方向の北へと一路シナイアへと進む。
平成22年8月25日(水)
イスタンブール空港でのトランジット
朝8:20の便なのに、7:20にゲートまで来いという指示。しかし、出発30分前の7:50になっても一向に搭乗が始まる気配はない。搭乗が始まっても、少し慎重すぎる係員一人がゆったりチケットとパスポートの確認をするものだから中々進まない。 例によって、バスで空港内を移動する。100mや200mではない、かなり移動した。そして、タラップを登って機内へ。滑走路に向かって離陸の順番を待つのであるが、離陸の順番は5機目で15分ほど待たなければならないと機長のアナウンスがあった。私の眼には7〜8機目だと思った。それほど離陸を待つのが焦れったかった。出発が20分遅れた上に、ここで20分遅れたら40分遅れである
。
ブカレストへのフライト
窓の景色には、巨大なモスクとの途轍もなく高い尖塔がいくつも見えた。ここはイスラム国家なのだ。一泊ぐらいイスタンブールに泊まって、ボスポラス海峡を観たかった。しかし、私は大都市が嫌い。旅程に余裕がなかったのもありやめた。 せめて、窓からボスポラス海峡が見えないかと思ったが見えなかった。逆光だったし、飛行機は黒海を北上して、やがてブルガリア上空を飛び、そしてドナウ川を越えた。ドナウ川の下流、その威容はすごかった。薄霧のなかにあって、幻想的ですらあった。
短いフライトにも関わらず朝食が出てきた。
ブルガリアとルーマニアの上空からの景色は、畑と牧草地のようなものが一面に広がっていた。こういう景色は大好きである。ブカレストへの着陸態勢になっても、それほど宅地など建物は密集していなかった。
ブカレスト到着
ブカレストの空港の建物は首都の国際空港にしては少し粗末かもしれない。でも、私はヨーロッパの田舎に来たかったのだ。これでいいのだ〜♪
空港内で円からレイに両替した。円高で1レイ50円だった。ルーマニアの地方都市や観光地では円の現金を両替できないと予測出来るし、それは正しかった。そしてカードの使えるホテルや飲食店そして土産屋さんが少ないと聞いている。安全のため5万円を関空でユーロに両替してあった。レイはルーマニア以外では使えないだろうし、あまりたくさんを換金したくなかった。
そうこう考えて、滞在中に必要と思われる6万円を両替した。ホテル、運転手、通訳などの料金は既に旅行者に支払っているので、必要なのは昼食代と夕食代そして土産代くらいである。物価が安いので、毎晩1万円も食べないだろうし、高級料理店や四ツ星や五ツ星のホテルならカードも使えるだろう。
実際、通訳と私たちの合計3人で、昼食は100レイ以内。夕食が200レイから400レイくらいで、400レイの高級料理店はワインのフルボトルを含んでいて、クレジットカードが使えた。
<帰路>
平成22年9月1日(水)
困難なコトナリワインの入手?
ガイドブックを見ていて、コトナリワインが欲しくなった。ところが、ブカレストのワインショップで探してもコトナリワインが売っていない、どうも安物扱いのようである、入手は
アンリ・コアンダ空港へ向かう途中のカルフールである。安っぽいワインの一角にあった。コトナリワインはポロシャツにくるんでスーツケースにしのばした。空港ですると割れ物だと注意されるかも知れないので、カルフールの駐車場で梱包した。
カルフール近くのショップで娘はイスラエル製の石鹸をはじめ、土産物を物色した。
後日談であるが、この私が入手したコトナリワインは酸味の強だけが印象に残るワインでお世辞にも美味しいとは言えなかった。流通も保管もワインにとっては良くない環境にあったと思われるから何とも言えない。
娘に赤ちゃん?
午後5時半頃にアンリ・コアンダ空港についた。出発時間の1時間50分前である。ガイドさんはここでも荷物を運んでくれた、そしてチェックイン。パスポートとeチケットを出して
もなかなか手続きが進まない。そればかりか、何度も担当者が電話をしている。ダブルブッキング?との不安もよぎった。ガイドさんが訊いたら、娘の予約に赤ちゃんがいるとのリクエストがあったとのことである。その訂正をして、発見し直すのに時間がかかったとのことである。
フライト
Departure: 19:20 Bucharest, Romania - Otopeni International
Arrival: 20:45 Istanbul, Turkey - Ataturk, terminal I
Departure: 23:50 Istanbul, Turkey - Ataturk, terminal I
Arrival: 16:55 +1 day Osaka, Japan - Kansai International
平成22年9月2日(木)
機中ルーマニア時間の
朝5時半に目が覚めた。日本時間の11時半である。場所は経度で言えばニューデリーの遙か北、天山山脈の北方であるカザフスタンのアルマトゥイ Almaty という場所。時差ボケ防止のため、ここからは
敢えて起きていることにした。
台風7号の進路が心配だったが何のアナウンスもない。もう黄海を抜けて北の方へ抜けたのだろうか。トルファン、ハミといったシルクロードで有名な地名の上を通過し関空へもどる。
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