南京旅行

番外編


大阪以上にイラチ(せっかち)な南京人?

あと20秒青信号?

中国本土に近づくと水が黄色くなってくる

赤なのはあと9秒

大型TVもない極めてシンプルな機内

 大阪梅田の阪急百貨店前の横断歩道に、あと何秒で信号が青になりますという信号機がある。あれは、大阪人のイラチ(せっかち)な性質を物語るものと思っていた。私の知る限り大阪でもそれはここだけ。ところがである、南京の信号機にはこの秒読みカウントダウン装置がいたる所に設置されている。しかも、車用。しかも、赤だけでなく、あと何秒青というカウントダウンもある。

初めての中国個人旅行

 中国は3度目である。しかし、過去の2回は団体旅行だった。初めての中国個人旅行である。私は中国語は全く話せない。ニーハオ、シェーシェーくらい。それでも不自由をする場面は少なかった。片言の英語と、漢字を読み書きすることができる日本人にとって滞在型の中国旅行は難しいことではない。しかし、不安といえば不安だった。

南京は英語と日本語が通じないレストランやショップ

 今まで訪問した、北京、西安、杭州、上海、敦煌、烏魯木斉(ウルムチ)、吐魯蕃(トルファン)に比して、この南京は英語や日本語に堪能な人の少ない都市だった。一般人を指しているのではない、レストランやショップでの話である。メジャーな観光地ではないからだろうか?

マッサージ師をお願いしたらミニスカートの女性

 泊まったホテルはシャングリラというちゃんとしたホテルのはずだ。フロントに家内と出向いてマッサージ師を頼んだ。一人198元。部屋で待っていると現れたのはミニスカートの若い女性。その女性の呼び鈴に応対したのは家内。二人とも唖然としていた。(笑)その女性が何だかんだ中国語で話してくるがもちろんわからない。筆談も通じない。英語も通じない。 後日、中国で商売している知り合いに訊いたら、こういうことはよくあるらしい。結局、白衣の普通の(?)マッサージ師に来てもらい、マッサージして戴いた。

シャングリラホテル

タイのバンコクのシャングリラでも
部屋に着いた瞬間女性から電話が掛かったがたまたま?

SKY CLUB (シャングリラ・ホテル)

18歳未満入場禁止
その正体は何か知らないまま3泊4日を過ごした

← この奥にシャングリラホテルの駐車場があり、更にその奥に隠れるように温泉がある。その温泉に夫婦で行こうとしたら、男性専用だとか。怪しい(笑)

 云頂温泉クラブ (シャングリラ・ホテル)

 

筆談が通じても・・・

 父子廟のレストランでそれほど冷えていないビールが出されそうだったので、冷たいビールが飲みたいと「冷」という字を書いて、ビールと声を出して注文すると。女性店員がニコニコしてビールを持ってきた。それも栓を抜いて・・・。全く冷やしていないビールだった。ようするに、今まで飲んだビールが冷たい(だから冷えていないビールを持ってきて)と伝わったようだ。(栓を抜いてあったので返品できない!) まあ、こういうことも楽しいと感じるくらいの懐の深さはあるつもりだ。

音読みで発音するのも一考か

 簡体字が書けないと筆談も通じないことがある。南京博物院の刺繍屋さんで蓮の刺繍はないのかと「蓮」と書くが理解してもらえない。店員が他の中国の観光客に「日本人(リーベンレン)が何を書いているかわからん」というような中国語を話すと・・・「レン」と中国人観光客に答えた。それで通じた。要するに「蓮」=「レン」なのである。四声のアクセントもあるだろうが、わからなければ音読みを言うのも一考かも。

タクシーの大活用

 南京のタクシーは初乗り7元である。これで2〜3km走ってくれる。ともかく、時間節約と体力消耗を防ぐこと、そして危ないところに迷わないようにするためタクシーを多用した。十数回利用したが一度もトラブルはなかった。トラブルはなかったが、きれいなタクシーは一度もなかった。
 行き先を示すときは、ガイドブックにある簡体字をメモ用紙に書いて見せると完璧だった。

そして天台の遺跡は

『法華経』を講じられた瓦官寺

 西暦567年30歳の天台大師は南岳大師慧思の命令で陳の都である建康(南京)に赴き、瓦官寺に住んだ。当時無名だった天台大師が高名な法済禅師を論破し法済禅師は感服してそのことを宣伝し、天台大師の評判が高まった。瓦官寺では専ら『法華経』を講じた。その瓦官寺の後身に金粟菴(こんぞくあん)があるそうである。しかし、瓦官寺の往時の位置については論争があるそうで、そこを探して訪れても天台大師の霊気に触れることはできないと感じて行かなかった。

煬帝の陵墓

 隋の煬帝は天台大師に帰依した。その陵墓が南京にあるそうだが、ここには行くべきだったかもしれない。ただ、ガイドブック類にそのような記述をみたことはない。

『法華文句』を講演された光宅寺

 天台三大部のひとつ『法華文句』。天台大師による『法華経』の解説書(講義録)である。その講述は光宅寺で行われたが、南京に光宅寺は現存しないそうだ。推定位置もあるそうだが不確かで怪しい。

では何のための旅行だったか

 天台三大部をマスターしたい私としては是非とも南京に行きたかった。かといって、南京に天台大師の遺跡はないといっても過言でないと思う。魏晋南北朝時代や隋の時代の遺跡は南京博物院以外には痕跡も見あたらないように感じる。しかし、長江と紫金山は天台大師の当時の面影を残しているのではないだろうか。それこそ、南京自体が天台の霊跡である。


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