年表

年号西暦年齢出 来 事
承応2年16531近松門左衛門生誕
寛文11年167119山岡元隣編「宝蔵」に近松の句が載る。
   「しら雲やはななき山の恥しく」
寛文12年167220仕えた一条恵観(後水尾天皇の弟)が死去
延宝5年167725この頃宇治加賀掾(かがのじょう)のもとで浄瑠璃作家となる
天和2年168230【文芸】井原西鶴「好色一代男」刊行される
天和3年168331近松門左衛門「世継曽我」宇治座上演
貞享元年168432竹本座旗揚げ興行に「世継曽我」改訂上演
貞享2年168533近松門左衛門「出世景清」竹本座・山本座上演
貞享3年168634近松門左衛門「佐々木大鑑」竹本座上演道行が好評で義太夫節流行
貞享4年168735近松門左衛門「今川了俊」竹本座上演
   浄瑠璃・狂言作品に署名し始める。
   4月22日父「信義」没【67才】京都本圀寺【日蓮宗大本山】に葬る
   【政治】幕府「生類憐愍令」を出す
元禄元年168836【世界】イギリス名誉革命
元禄2年168937【文芸】松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出る
元禄6年169341近松門左衛門「仏母摩耶山開帳」都座上演
   【文芸】井原西鶴没【52才】
元禄7年169442【文芸】松尾芭蕉「奥の細道」刊行
   同年芭蕉没【51才】
元禄8年169543近松門左衛門「傾城阿波の鳴門」早雲座上演
元禄11年169846近松門左衛門「当流小栗判官」竹本座上演
元禄13年170048近松門左衛門「百日曽我」竹本座上演
元禄15年170250近松門左衛門「傾城壬生大念仏」都座上演
   【事件】赤穂浪士打ち入り
元禄16年170351近松門左衛門「曽根崎心中」大阪竹本座で上演
   宇治座も改訂公演
   この年、大阪の曽根崎新地開発される
宝永1年170452【文芸】初代「市川団十郎」没【45才】
宝永2年170553近松門左衛門「用明天皇職人鑑」竹本座上演
宝永3年170654この年初め、京より大坂に移る
宝永4年170755【事件】富士山噴火し山腹に宝永山を生ずる
宝永6年170957【政治】徳川綱吉没、幕府「生類憐愍令」廃止
   【文芸】坂田藤十郎没【63才】
宝永7年171058近松門左衛門「心中万年草」竹本座上演
正徳元年171159近松門左衛門「冥土の飛脚」竹本座上演
   宇治座でも改訂上演
正徳4年171462広済寺開山、9月24日改宗の官許を得る
   十月広済寺妙見宮開帳
   秋、近畿諸国大飢饉
享保元年171664弟「岡本一抱」没
   9月9日、母没。戒名「智法院貞松日喜」広済寺で法要 ※※
享保3年171866近松門左衛門「博多小女郎浪枕」竹本座上演
享保5年172068近松門左衛門「心中天の網島」上演
享保6年172169近松門左衛門「信州川中島合戦」竹本座上演
享保7年172270近松門左衛門「心中宵庚申」竹本座上演
享保8年172371知人に体の衰えを訴える書状を書く
   【文芸】心中事件の出版・上演が禁止される
享保9年172472近松門左衛門「関八州繋馬」竹本座上演
   11月上旬、辞世文を書く
   11月22日没、広済寺・法妙寺に葬る

※ 年齢は数え年
※吉川弘文館「近松門左衛門」河竹繁俊より

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