仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_5  001-100  101-200  201-300  301-end

−−会議室5  [法 華]:梵本法華経、天台教学、日蓮教学など −−
00101 99/06/14 08:51 Eisai              RE:00100 法華経の参考書
 YAM さん、こんばんは。
 このへんは、凡僧の私よりなむ野本さんが詳しいでしょうが・・。
 確かに、『法華経』はさほど難しい経典ではないと思います。でも、YAM さん
仰せの通りで、そこに説かれていることが何を言おうとしているのかを理解する
のは難しいかも知れません。そして、人によって捉え方が違ったりします。
 > おすすめの本を教えていただけませんか?
 それは天台大師の『法華文句』でしょう・・・失礼(^_^;
 私が好きなのは、
   宝文館出版 妙法蓮華経 久保田正文
です。これは天台宗・日蓮宗の伝統的な解釈に則りながら、簡要に述べられてい
ると思います。
 多分、YAM さんには
   東京書籍  大乗仏典II 法華経 中村元
が良いでしょうか。サンスクリット原文をまじえて簡要に解説されています。た
だ、仏教学の先生ですからそんなに信仰に踏み込んだ内容ではないと思います。
 あと、文庫本の
   岩波文庫   法華経 上中下  坂本幸男・岩本裕
の巻末にある解説も読み応えがあると思います。
 『法華経』を所依の経典とされない宗派の方が、限られた時間と予算で『法華
経』をわかりやすく勉強されるには上記が個人的に良いような気がします。
 > やはり最初に何を読むかによって,その後の方向性がかなり影響されると思
う
 そういう意味でも、クセ?のある解説ではないと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00102 99/06/16 14:15 なむ野本           RE:00101 法華経の参考書
  YAM さん、Eisaiさんこんにちわ
                   なむ野本です
  #ちょっとご無沙汰しました。
> このへんは、凡僧の私よりなむ野本さんが詳しいでしょうが・・。
 私、現代語訳についてはあまり詳しくないです(^^;)
> 確かに、『法華経』はさほど難しい経典ではないと思います。でも、YAM さん
>仰せの通りで、そこに説かれていることが何を言おうとしているのかを理解する
>のは難しいかも知れません。そして、人によって捉え方が違ったりします。
  そうなんですね。現代語訳の『法華経』が良いと思います。
  でも、何が書いてあるかは判っても、何を教えているかが判りにくい。(^^;)
  例えば、觀音經がありますね第25品。これは觀世音菩薩を信仰しなさい。
  困ったときには、観音様に頼みなさいと書いてあります。
  なぜなんでしょう。真観・清浄観・広大智惠観・悲観・慈観の観音様が登場
  して、お釈迦様は何んで、私に頼れとおっしゃらないのか。不思議。
  で、私は勝手に、これは、自己自身に居る觀世音菩薩を見いだしなさい。
  觀世音菩薩のようにならなきゃダメですという話だと理解します。
  これは、クセのある解釋だと思いますが。
> > おすすめの本を教えていただけませんか?
>
> それは天台大師の『法華文句』でしょう・・・失礼(^_^;
  ええと、天台CD1も有ります・・・・悪のり失礼(^^;)
                http://www.biwa.ne.jp/~namu007
  およそEisaiさんが、コメント下さっているので良いのですが、
  私のお薦め1冊。
  「法華経の教え 戸津説法」大久保良順
                   春秋社 2060円
                   電 話 03-3255-9611
     天台宗の大僧正が、戸津説法という行事で説いたもの。
   一般向けですが、元大正大学学長だから、ちょっと詳しいとこも。
                                                なむ野本
 
00103 99/06/16 14:24 なむ野本           (発言者削除)
00104 99/06/16 22:49 YAM                RE:00102 法華経の参考書
Eisaiさん,なむ野本さん,御教示ありがとうございました.
とりあえず,
>  宝文館出版 妙法蓮華経 久保田正文  <--Eisaiさんお薦め
> 「法華経の教え 戸津説法」大久保良順 <--なむ野本さんお薦め
>                   春秋社
から始めてみようかと思います.
>  例えば、觀音經がありますね第25品。これは觀世音菩薩を信仰しなさい。
>  困ったときには、観音様に頼みなさいと書いてあります。
>  なぜなんでしょう。真観・清浄観・広大智惠観・悲観・慈観の観音様が登場
>  して、お釈迦様は何んで、私に頼れとおっしゃらないのか。不思議。
>
>  で、私は勝手に、これは、自己自身に居る觀世音菩薩を見いだしなさい。
>  觀世音菩薩のようにならなきゃダメですという話だと理解します。
>  これは、クセのある解釋だと思いますが。
私の理解は,二尊教ということではないかと思います.
つまり,釈尊は教主であり,観音菩薩は救主,という役割分担.
教主と救主が同じであれば一尊教ですが,これでは教主が
「私を信ずれば救ってやろう」ということになって,そこらあたりの
カルト宗教と同じになってしまう(^^;;)というのは言い過ぎかも知れません
が,キリスト教もそうですね.イエス・キリストは教主であって,救主
ではない.もっとも仏教の場合は,教主と救主とどっちがエライか,と
いうとおかしくなりますけど.
すみません,観音経もろくに読んでいないくせに勝手な解釈をして...
00105 99/06/18 14:21 川蝉               RE:00104 法華経の参考書
 普門品を読誦する時の気持ち
皆さん今日は。
> で、私は勝手に、これは、自己自身に居る觀世音菩薩を見いだしなさい。
>   觀世音菩薩のようにならなきゃダメですという話だと理解します。
>   これは、クセのある解釋だと思いますが。
                     (#102なむ野本さん)
二宮尊徳が「觀世音菩薩のようになることを教えているお経」と理解したと云う逸話
がありますね。
私も同じく
釈尊に帰依し教導のもとに修行して高位の菩薩になり得たら、このような素晴らしい
働きが出来るという見本をも説いているように思えます。
また
高位の菩薩の護経化導・守護の活動を、観音菩薩を見本として説いているのであろう
と理解しています。
> 私の理解は,二尊教ということではないかと思います.
                   (#104YAMさん)
無尽意菩薩が供養した飾りを受け取った観音菩薩が、その飾りを二分して釈尊と多宝
如来に捧げたと有りますが、これは、観音菩薩の慈悲行・威神力は偏に釈尊に帰依し
教導を受けたおかげである事を示し、観音菩薩の救護を説きながらも、釈尊が根本の
救済主であることを教示していると理解できますね。
三十三身をもって法を説くとありますが、この法とは法華経のことですね。釈尊を忘
れ法華経を依経としないで、観音菩薩のみ信仰する人は、拝みながらも観音菩薩の期
待に沿ってないと云う事になりますね。
「観音よ、良きに計らってやりなさい」との釈尊の意向のもとに観音菩薩が、釈尊の
代理として守護してくれるのだと云う思念のもとに観音経を読誦しています。
                         川蝉
00106 99/06/18 21:05 なむ野本           RE:00104 RE:法華経の参考書
   YAMさん、こんばんわ
               なむ野本です
>とりあえず,
>>  宝文館出版 妙法蓮華経 久保田正文  <--Eisaiさんお薦め
>> 「法華経の教え 戸津説法」大久保良順 <--なむ野本さんお薦め
>>                   春秋社
>から始めてみようかと思います.
 おお、すばらしい。ぜひ感想を聞かせて下さい。
>>  で、私は勝手に、これは、自己自身に居る觀世音菩薩を見いだしなさい。
>>  觀世音菩薩のようにならなきゃダメですという話だと理解します。
>>  これは、クセのある解釋だと思いますが。
>
>私の理解は,二尊教ということではないかと思います.
>つまり,釈尊は教主であり,観音菩薩は救主,という役割分担.
>教主と救主が同じであれば一尊教ですが,これでは教主が
>「私を信ずれば救ってやろう」ということになって,そこらあたりの
>カルト宗教と同じになってしまう(^^;;)というのは言い過ぎかも知れません
>が,キリスト教もそうですね.イエス・キリストは教主であって,救主
>ではない.もっとも仏教の場合は,教主と救主とどっちがエライか,と
>いうとおかしくなりますけど.
>すみません,観音経もろくに読んでいないくせに勝手な解釈をして...
 そうそう、その調子。自分なりの疑問や解釋を確かめるように読むと
 良く覚えられます。
 二尊教というのは、初めての言葉ですね。多仏思想とか言うようです。
 仏教の場合は、絶対的仏が登場して絶対支配を説明しませんね。キリスト
 教の場合の構造とは似て非なるものだと私は思います。キリスト教は非常
 に単純明快ですが、仏教は、例えば密教などはあらゆるものが救済の救い
 の主人公に成り得ます。呪文だけでも良い。法華経ダラニ品も似た内容で
 す。ここでお題目・念佛を引き合いに出すのは、ちょっと不適当だと思い
 ますので止めますが(^^;)。これはなぜでしょう。両方とも仏教。
 で、どのように法華経は永遠不滅の教えを説いているのでしょうか。
 ただ教主と経主と救済主の関係では理解できないのではないかと思います。
 この内容を理解したら、仏教信者になるのであって、仏教信者でなければ
 判らないようなのは、永遠不滅の教えにはならないように思いますから、
 その辺が、重要ポイントになると思います。
  何を教えたがっているかを把握すれば、解放された良い人間になれるよう
 に思いますが。ここが大事。クセのある理解に落ち込まないようにご用心。
                     (^^;) なむ野本
00107 99/06/20 13:30 YAM                RE:00106 RE:法華経の参考書
川蝉さん,御教示ありがとうございました.
誤った理解でもそれを出してみれば是正して下さる方があるのはあり
がたいことです.
なむ野本さんの
>  何を教えたがっているかを把握すれば、解放された良い人間になれるよう
> に思いますが。ここが大事。クセのある理解に落ち込まないようにご用心。
にはげまされました.
> 二尊教というのは、初めての言葉ですね。多仏思想とか言うようです。
これは浄土教学の用語らしいですね.多仏思想とはちょっと違うと
思います.釈迦仏と阿弥陀仏の関係を表しています.
私は,観音菩薩が救済の担い手であるということをもって,二尊教
の概念を無理にあてはめてしまったようです.しかしよく考えて
みれば,菩薩と仏を同等に置くことはできないわけだし,川蝉さん
のおかげで,納得がいきました.
> 仏教の場合は、絶対的仏が登場して絶対支配を説明しませんね。キリスト
> 教の場合の構造とは似て非なるものだと私は思います。キリスト教は非常
> に単純明快ですが、仏教は、例えば密教などはあらゆるものが救済の救い
> の主人公に成り得ます。呪文だけでも良い。法華経ダラニ品も似た内容で
> す。ここでお題目・念佛を引き合いに出すのは、ちょっと不適当だと思い
> ますので止めますが(^^;)。これはなぜでしょう。両方とも仏教。
キリスト教の場合も二尊教の概念をあてはめるべきではなかったと
思いました.イエスは神の子にして預言者ですからね.
> で、どのように法華経は永遠不滅の教えを説いているのでしょうか。
> ただ教主と経主と救済主の関係では理解できないのではないかと思います。
> この内容を理解したら、仏教信者になるのであって、仏教信者でなければ
> 判らないようなのは、永遠不滅の教えにはならないように思いますから、
> その辺が、重要ポイントになると思います。
「内容を理解したら、仏教信者になるのであって」は厳しい言い方
という印象がありますが,「仏教信者でなければ判らないようなの
は、永遠不滅の教えにはならない」という教法優先の立場の裏づけ
があるからですね.主観とか心の持ちようではなくて,教法を重視
し,それに信順することを私たちは忘れがちになっているようです.
他人事じゃなくて(^^;;
00108 99/06/22 18:06 なむ野本           RE:00107 RE:法華経の参考書
>なむ野本さんの
>>  何を教えたがっているかを把握すれば、解放された良い人間になれるよう
>> に思いますが。ここが大事。クセのある理解に落ち込まないようにご用心。
>にはげまされました.
 判らなくても、やがて納得できる意味が見いだせるようになるでしょう。
 ぐわんばって下さい。
 階段を1つ1つ登るように理解すれば良いので、一挙にお釈迦様に
 なることはナカナカ難しいことでしょうから、続けることが大切かと
 思います。自分流の結論は「自内證」「無師独悟」ですが、これは
 独善に落ち込みやすいので、必ず経証(経典の証拠)が必要と開陳
 したのは、禪宗の道元禅師です。禅宗では、「無師独悟」を自慢す
 るので、これを警告した、経典重視の天台学的姿勢だと思います。
 これは、天台学でも金口相承(こんくそうじょう)・今師相承(こん
 しそうじょう)として、先生先輩の証明と経典内容の証明とが必要と
 して説かれているものです。努力しない者には無用の長物。
>私は,観音菩薩が救済の担い手であるということをもって,二尊教
>の概念を無理にあてはめてしまったようです.しかしよく考えて
>みれば,菩薩と仏を同等に置くことはできないわけだし,川蝉さん
>のおかげで,納得がいきました.
 法華経は、大乗の菩薩になりなさいと教えているような気がします。
 觀世音菩薩でなくても、文殊でも普賢菩薩でも、その他の菩薩でも
 良いので、YAM菩薩でも良いのだと思いますよ。(^o^) 
>「内容を理解したら、仏教信者になるのであって」は厳しい言い方
>という印象がありますが,「仏教信者でなければ判らないようなの
>は、永遠不滅の教えにはならない」という教法優先の立場の裏づけ
>があるからですね.主観とか心の持ちようではなくて,教法を重視
>し,それに信順することを私たちは忘れがちになっているようです.
>他人事じゃなくて(^^;;
 教法を優先してはいけないように思います。人間を優先しなければ。
 ま、それが教法だと言われると困りますが。(^^;)
 『大智度論』には、「信をもって能入となし、恵をもって能度となす」
 と書いて、先に信ずることを教えています。これはちょうど、自分の
 親を信ずるように、自分の名前は「本当は別の名前ではないか」などと
 無益な疑いを持たないで、智惠を磨くことを教えた言葉だと思います。
 民族や文化が異なっても、時代が違っても、間違いなく伝えられること、
 人間なら誰であっても、これ以上の理解や行動は出来ないことを見つける
 ことを、経典は教えようとして書かれたものだと思います。
  「ウソを教えてはいないかと疑わない」程度の信は必要だと思います。
 しかし、書いてあることは全部が、現代に通用するとは思いません。
 ただし、教えようとしてることは、永遠に衰えることのない考え方では
 ないかと思うのです。それを、早く見つけたら、本当の仏教徒になれる
 ように思いますよ。
  なんとか教のように、布施したものだけが救われるような仏教ではな
 いと思います。ですから、在家も出家も区別ない菩薩行が説かれている
 ことに注意したいと思います。
                           なむ野本
00109 99/07/15 13:41 Eisai              北山本門寺の寺号は16世紀のもの?
 私のHP
    https://www.kosaiji.org/hokke/index.htm
 を見た大石寺系の信徒の方から質問メールを頂きました。
 北山本門寺(重須)が「本門寺」と号したのは派祖日興上人によるものではなく、
もっと後世の1500年代のことではないかというものです。
 確認のため、北山本門寺のパンフレットを見ましたが、本門寺には永仁6年(1298)
の「法華本門寺根源」と称した日興上人御真筆の棟札があるそうです。
 富士系の係争に巻き込まれたくないですが、実際のところどうなっているのでしょ
う?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00110 99/07/16 03:36 顕正居士           RE:00109 北山本門寺の寺号は16世紀のも
固有の寺号でなく「本門寺」と称する日蓮宗寺院は
1−池上本門寺(単称日蓮宗) 宗徒以外も御存知でしょう。
2−北山(重須)本門寺(単称日蓮宗)と
3−西山本門寺(単立)は日蓮宗徒なら御存知でしょう。
4−讃岐(高永山)本門寺(日蓮正宗) は四国の方なら御存知でしょう。
「本門寺」は正確には「本門寺根源」で、重須の棟札に由来し、此等の寺院に
固有の寺号がないのは「我こそ日蓮(法華本門)宗の総本山」の意義があるの
だと思います。「本門寺根源」を「本門寺」と省略するようになったと小生は
理解していますが。此等の寺院にもと固有の寺号があった話は聞かないです。
00111 99/07/16 12:14 Eisai              RE:00110 北山本門寺の寺号は16世紀の
顕正居士さん、こんにちは。
 > 4−讃岐(高永山)本門寺(日蓮正宗) は四国の方なら御存知でしょう。
 本山級ですか?
 他の本門寺はお参りしたことあります。最近、池上には毎月のように参っておりま
す。明々後日も日帰り出張です。
 そんでもって、私も調べましたし新しいメールも頂きました。
 富士山本門寺根源の名称は16世紀の説は
 『日蓮大聖人御書辞典』(聖教新聞社)
 『仏教哲学大辞典』(創価学会)
にあるそうです。なんでも、
「・・・永正12年(1515)重須の日国は今川氏親の許可を得て
本門寺と称し、日蓮宗興門派となったが、・・・・・」
「・・・その後、永正12年(1515)寺名を本門寺とし、
とあるそうです。これは指摘を頂いた方からのメールを引用しました。
 対して、私の調べた資料は数年前に頂いた重須本門寺のパンフレットです。
 そこには、日興上人御真筆の棟札があり
  法華本門寺根源
  永仁六年二月十五日浩立之
  白蓮阿闍梨日興 在判
としるされているそうです。
また、開創沿革の一部をOCRすると
  大石ヶ原に大石寺を草創され、止住し給うこと満二年隣邑重須の風光を
  愛し仝四年九月重須丸山に法座を移し、重須石川能忠、上野南条時光の
  両地頭の施入と上野小泉法華講衆の協力を得て、上人五十三才の永仁六
  年(西記一二九八年)二月十五日本堂・御影堂・垂迹堂の三堂なり、額
  を掲げて「法華本門寺根源」と称された。
とあります。
 棟札で気になるのは、日興上人が御自分のことを白蓮阿闍梨と自称されたかどうか
です。師匠の日蓮聖人には院号も阿闍梨号も大師号も何もないのですが・・・。六老
僧の阿闍梨号はいつ頃できたのでしょう。『宗祖御遷化記録』(日興上人撰述)には
弘安五年十月八日に六老僧が定められた旨が書かれており、そこには確かに白蓮阿闍
梨日興とあるようです。(日蓮宗事典 P710 c)
 ※立正大師は大正天皇による
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00112 99/07/16 15:00 川蝉               RE:00109 北山本門寺の寺号は16世紀の
えいさいさん今日は。 
本門寺棟札は分かりにくい点がありますね。
「永仁六年二月十五日造立也」とあり、裏書きに大施主として当時の信徒の名がある
ので、永仁六年に「法華本門寺根源」等の三堂が建立されたように受け取れます。
しかし、裏書きに「国主此の法を建てられる時、三堂一時に造営すべきなり」とある
ので、一国同帰していない当時には建立されていないとも受け取れます。
そこで、私は、一国同帰の暁に、建立される三堂(法華本門寺)の雛形として、永仁
六年に三堂が建立されたと理解すべきではないかと思います。
宗学全書第二巻134頁の「日興跡条条事」に
「一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨日目を座主と為して、日本国乃至一閻浮提の内
の山寺等に於いて、半分は日目を嫡子分と為て管領せしむべし・・」
とあるので、興師はそうとう近じかに一国同帰を迎え、本門寺建立の時が来ると思っ
ていたようですね。
同136頁にある興師の「日代置状」に
「本門寺の重宝となすべし」とあるのも、永仁六年に建立された三堂を本門寺と云っ
ているのか、あるいは将来建立される本門寺の事を指しているのか、はっきりしない
ですね。
> 北山本門寺(重須)が「本門寺」と号したのは派祖日興上人に>よるものではな
く、>もっと後世の1500年代のことではないかというものです。
かも知れませんし、あるいは永仁六年建立の三堂は、本門寺の雛形であったとしても、
「本門寺」と号していたかも知れませんね。
00113 99/07/16 21:50 Eisai              RE:00112 北山本門寺の寺号は16世紀の
川蝉さん、こんばんは。
秀タームの調子は良さそうですね。
 > 本門寺棟札は分かりにくい点がありますね。
 > 「永仁六年二月十五日造立也」とあり、裏書きに大施主として当時の信徒の名が
ある
 > ので、永仁六年に「法華本門寺根源」等の三堂が建立されたように受け取れます。
 > 
 > しかし、裏書きに「国主此の法を建てられる時、三堂一時に造営すべきなり」と
ある
 > ので、一国同帰していない当時には建立されていないとも受け取れます。
 > 
 > そこで、私は、一国同帰の暁に、建立される三堂(法華本門寺)の雛形として、
永仁
 > 六年に三堂が建立されたと理解すべきではないかと思います。
 お堂についてはともかく、本門寺の名称が日興上人の時代のものなのかどうかとい
うことが一番の問題なわけです。
 > かも知れませんし、あるいは永仁六年建立の三堂は、本門寺の雛形であったとし
ても、
 > 「本門寺」と号していたかも知れませんね。
 もし白黒つけられる問題であれば、そうして欲しいですね。
 北山本門寺の場合そんなことはないと思いますが、よくお寺のパンフレットなどに
お寺の沿革を書く場合は、学術的にも問題ない場合と、そうでない場合とを書き分け
て欲しいですね。後者の場合、は「伝○○」とか「○○と伝わる」くらいの表現にし
て欲しいものです。
 そうそう重須のお堂ですが、天照大神宮を日興上人が建立されたのは意外ですね。
富士五山にそんなお寺あるのでしょうか?
 そして、重須には六地蔵を勧請してあったように思います。
 これを言うと重須の方にしかられそうですが、何を言いたいか解っていただけます
でしょうか?
 先般、尊敬するS.A.先生に宗門批判もいい加減にした方が良いよと注意を受けま
したので、この辺にしておきます。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00114 99/07/17 15:05 川蝉               RE:00113 北山本門寺の寺号は16世紀の
  えいさいさん今日は。
>秀タームの調子は良さそうですね。
○どうにか発信できるようになりました。でも、まだまだご迷惑を掛けると思います。
年のせいか、余分なことを書いてしまう傾向があるようで、気を付けます。
 永仁六年に、法華本門寺根源として(正式なる本門寺の基に意味と受け取れる)建
立されたのであるから、興師在世中から、本門寺と呼称されていたと充分推測できる
旨を云いたかったわけです。
>富士五山にそんなお寺あるのでしょうか?
○参詣していないのでわかりません。
> そして、重須には六地蔵を勧請してあったように思います。
> これを言うと重須の方にしかられそうですが、何を言いたいか解っていただけま
すで>しょうか?
○わかります。わかります。
北山本門寺の塔中の東陽坊住職の早川達道上人の「伝道はがき文集」によると、師は
「六地蔵が立ち、牛の銅像がながながとうずくまり、戸籍不明の重須大神、三大竜王
が祀られようとしている」と批判のはがきの配布などしていたようです。
一度祀ってしまうと、理屈では除いても差し支えない筈だと思えても、気持ち的に、
片づけるのは難しいので、よほどの理由がない限り、余分なものは祀るべきでないで
すね。
> 先般、尊敬するS.A.先生に宗門批判もいい加減にした方が良いよと注意を受け
ま
○批判精神は大いによいと思います。受ける側から云えば困る場合も有るので、ほほ
どほどがよいのでしょうが。
ついでに、T・C さんへ。
「一代聖教大意」は日蓮聖人の御書です。ご遺文集で見るより外ないようです。
仲間同士ですと、わざわざ日蓮聖人御遺文(御書)と断らないくせで、単に「一代聖
教大意」とだけで引用し、失礼しました。
00115 99/07/17 18:05 波木井坊           RE:00109 北山本門寺の寺号は16世紀のも
>
> 私のHP
>
>    https://www.kosaiji.org/hokke/index.htm
>
> を見た大石寺系の信徒の方から質問メールを頂きました。
>
> 北山本門寺(重須)が「本門寺」と号したのは派祖日興上人によるものではなく、
>もっと後世の1500年代のことではないかというものです。
>
> 確認のため、北山本門寺のパンフレットを見ましたが、本門寺には永仁6年(1298)
>の「法華本門寺根源」と称した日興上人御真筆の棟札があるそうです。
>
> 富士系の係争に巻き込まれたくないですが、実際のところどうなっているのでしょ
>う?
>
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
本門寺については、詳細を私がホームページにあげます。これは現宗研の現代宗教研
究第33号
(平成11年3月)
”日興上人「本門寺根源」初期道場の位置につてー重須地頭・石川氏との関わり(石
川修道)に
詳細な研究結果が掲載されております。
とりあえず私がそちらの掲示板にお伺いいたしましょう。(笑)
00116 99/07/17 18:49 波木井坊           法華本門寺根源の新事実。
法華本門寺については、近日中に私が詳細なレポートを立ち上げます。実は今日
山宮町内にある法華本門寺根源跡地の再調査と写真を撮ってまいりました。
現在わかっていることは、
重須本門寺の三堂建立の記録は、杉の薄板で丈は一尺五寸、厚さ四分の棟札に記されて
おりまして、
1、日蓮聖人御影堂
1、本地垂迹天照太神宮
1、法華本門寺根源
永年六年二月十五日造立、(1298)
(裏書)
国主被建比法之時可造営也、願主
白蓮ジャ梨日興 判。
大施主地頭石川孫三郎源能忠、合力
小泉法華衆等。
大施主南条七郎次郎平時光 同
上野講中
とあり、
重須談所の二代学頭三位日順師は雑集に、「一、日蓮聖人御影堂。一、本地垂迹天照
太神宮。一、法華本門寺根源。
永年六年二月十五日之を造立す。是は表分。国主此法を立つる時は三堂一時に造立す
べき者なり。願主白蓮ジャ梨日興判。
大工本門寺大工稚地四郎宗友。大施主地頭石川孫三郎源能忠。大施主地頭石川孫三郎
源能忠。合力小泉法華衆等。同上野
講衆等。是れ裏分也」とあります。
ただし、現在の北山本門寺根源とは場所が違い、山宮町内の天母山の山下に此の跡地
があり、石川八幡宮内に法華本門寺
根源が奉られております。この現地調査を現宗研の石川修道先生がなされておりまし
て(重須本門寺外護者石川氏の傍系だそう
です。)、今日波木井氏傍系の私めが(爆)2度目の現地調査を、石川先生の資料を
元にしてまいった訳であります。
法華本門寺根源は実在致します。問題なのはコトバのアヤで、「本門寺」ではなく
「本門寺根源」であります。本門寺の
根源はここであるということ、そして新しくわかった事実として日興上人はバリバリ
の”富士山信仰者”であったという
ことです。三鳥派などの異流儀が最初から発生する余地が当初からあったようなので
す。
この件に関しては、現在もうすでに正信会系、保田系の方をお連れしておりまして、
みなさん”絶句”状態でありますので
みなさん自信を持って”「本門寺根源」はあるとおっしゃってもらって結構でありま
す。(笑)
正宗系の方がしつこくからむ場合は、私がお相手致しますので、こちらに振ってくだ
さって結構です。私のメールアドレスは
sieg@mail.konohana.ne.jpです。またはこちらのHP会議室をご案内ください。綺麗
に破折してご覧に入れます。(笑)
近代法華経思想フォーラム(http://www7.konohana.ne.jp)
波木井六朗実長のホームページ(http://www.konohana.ne.jp/hiroba/hakiri/index.
html)
御祖様足跡マップ(富士地区)(http://www.konohana.ne.jp/sokuseki/index.html)
福神研究会(http://www.konohana.ne.jp/fukujin/index.html)
私は現在、北山末寺の東光寺の”あずかり信徒”となっております。K上人に、やさ
しく折伏されまして、ここのお庭番をして
おります。(爆)
波木井坊竜尊
00117 99/07/25 22:16 Eisai              RE:00115 北山本門寺の寺号は16世紀の
 波木井坊さん、こんにちは。
 本門寺根源につきましては棟札は本物と考えて問題ない学術的な証拠はあるのでし
ょうか。
 さて、
 > 正宗系の方がしつこくからむ場合は、私がお相手致しますので、こちらに振
 > ってくださって結構です。
 有り難うございす。
 幸い、今のところ手に負えないようなのは来ていません。
 ホームページや会議室で正宗系を批判しても、論戦を挑むようなメール、無礼な
メールなどは来ないというのが意外だと話をすることもあるくらいです。
 それでも一部には特殊部隊みたいなのがいるから注意しろと助言して下さるかたも
います。まあ、そんなのに脅かされたら本物の証で光栄なことなんでしょうけどね。
 > 綺麗に破折してご覧に入れます。(笑)
 頼もしいですね。
 波木井坊さんは、しつこくからまれたりしませんか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00118 99/07/25 22:17 Eisai              公明党の連立与党参加について
 昨日7月24日の公明党臨時大会で連立与党参加が採択されたそうです。
 でもって皆様は公明党の連立与党参加について、どう思われますか?
 公明党となると(政教分離云々ということはあったにしても実質上)、いち宗教団
体が単に政界に進出している以上の何かを感じられることはないでしょうか。
 この問題に言及すれば、気楽な会議を看板にするこの会議室の雰囲気が損なわれる
かも知れません。そうであればこの話題を中止しましょう。気楽に、いろいろ会議で
きるなら会議すべき話題だと思います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00119 99/07/31 00:34 波木井坊           RE:00117 北山本門寺の寺号は16世紀の
> 波木井坊さん、こんにちは。本門寺根源につきましては棟札は本物と考えて問題ない
>学術的な証拠はあるのでしょうか。
裏書きについては、加筆修正の疑いも言われていますが、雑集その他から見て反論の
余地
は残されていないように思います。堀井師もこれについて疑惑があるがごとく、著書で
紹介しておりますが、それではキチンとした文証なりを引いて反駁しているのかと言
えば
言ってはおられないのであります。石山の貫主としてのひいき目の発言であり、正宗
系の
定本はこれを引いて断言したような論調が多く見られますが、堀井師自身、確証を持
って
いた訳ではありません。
> ホームページや会議室で正宗系を批判しても、論戦を挑むようなメール、無礼な
>メールなどは来ないというのが意外だと話をすることもあるくらいです。
識者ほど、富士宗学要集その他、大半の富士派の文献が日蓮宗学全集からの写しであ
ること
を知っております。また大半の正宗系御僧侶が立正大学出身者であることも効いてい
るかと
思います。絡むのは教義教学のレベルが低い輩です。対話するとこちらの知識を対し
て持って
おらず30〜40年の伝聞が大半です。
> それでも一部には特殊部隊みたいなのがいるから注意しろと助言して下さるかたも
>います。まあ、そんなのに脅かされたら本物の証で光栄なことなんでしょうけどね。
学会の折伏部隊二軍落ち予備軍や妙観講などの二流所がインターネットを彷徨するの
です。(^◇^;)
第一線の連中は”現場”での破折を楽しむ傾向が強いのでインターネットでの法論を
お遊び
程度にしか捉えていないようです。
> 波木井坊さんは、しつこくからまれたりしませんか?
絡まれますよ。妙観講が一番アタマ悪いのに妙にしつこいですね。(爆)ネーミングが
ネーミングですからイジになって落とそうとしてきますね。(^◇^;)
00120 99/08/04 15:20 波木井坊           RE:00118 公明党の連立与党参加について
>
> 昨日7月24日の公明党臨時大会で連立与党参加が採択されたそうです。
> でもって皆様は公明党の連立与党参加について、どう思われますか?
>
自民党といえば、戦後50年間一環して、宗門やその信徒団体(霊友会、
立正佼成会、仏所護念教団)が護してきた政党ですよね。
公明党は創価学会を支持基盤にする政党ですから、自・自・公連立は、
水面下で日蓮宗と創価学会の
     「ウルトラスーパー大謗法与同連立政権」
と言えないことはありません。(笑)創価学会を与党に取り込んで柔和な団体に
なって頂く最大のチャンスではないかと私は考えておりますが。(笑)
四月会は所詮、日蓮正宗妙観講主導による、中央政界へのパイプ作りではなかった
のではないでしょうか?その踏み台にされた感が私にはあります。
また四月会の最大の問題点は、その争点が”謀略史観”であるということです。
教義でやるべきではないでしょうか?オウム問題も同じです。オウムもカルトである
という烙印を押すのではなく、教義で行くべきだと思います。
波木井坊竜尊
00121 99/08/04 22:16 Eisai              RE:00119 北山本門寺の寺号は16世紀の
波木井坊さん、こんにちは。
 > 識者ほど、富士宗学要集その他、大半の富士派の文献が日蓮宗学全集から
 > の写しであることを知っております。
 そうなんですか。
 ところで「日蓮宗宗学全書」ではないのですか?
 > 絡むのは教義教学のレベルが低い輩です。
 でも信仰の強さと使命感はこちらの方がすごいのでしょうね。
 気になるのは、大石寺系の知識人やそれに準じる方で社会的地位のある方の本音は
どうなのでしょう。本気で石山教学の特殊な部分を信奉している人ばかりなのでしょ
うか。
 > 第一線の連中は”現場”での破折を楽しむ傾向が強いのでインターネット
 > での法論をお遊び程度にしか捉えていないようです。
 ディベートを駆使した則問即答の法論でないと大石寺教学側は力を出し切れないか
もしれませんね。ログが残り、相手に回答までの猶予があるインターネットでの法論
に絶えうるものを第一線の方ですら持っていないのではと思います。第一線の方々は
そのことをよく存じておられるのでしょう。
 > 妙観講が
 妙観講って?
 ▼
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  ̄
00122 99/08/05 12:27 顕正居士           EISAIさん、波木井坊さん、こんにちは。
日蓮宗宗学全書と富士宗学要集
富士宗学要集は堀日享師が生涯に収集した日蓮宗の文献集成「富士宗学全集」
の富士派に関する部分を延べ書き(書き下し)にして印行したものです。
宗学全書の興門関係とは比較にならない分量であり、富士派研究の一等資料
です。但し、堀師は富士宗学全集の印行を予定して、富士派関係の文書を
とりあえず延べ書いて僧俗の信行の資糧にされようと考えたらしい。だが、
今日に至って富士宗学全集は印行されていません。したがって学術上の引用
には無理があり、宗学全書に在る文書は此方から引用する約束ですが、要集の
底本である宗学全集が劣っている意味ではありません。
大石寺の教育上の問題
大石寺は所化を同寺付属の普通学校に通学させます。その後、4年制富士学林
を終了して無任所教師となるが、富士学林は大学の認可を受けていません。
従って立正大学大学院に進学するには大学受験からやり直しが必要です。
大石寺派に「知識人」の僧が育つことは今後困難であろうかと予想されます。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
00123 99/08/06 13:49 Eisai              RE:00120 公明党の連立与党参加について
波木井坊竜尊さん、こんばんは。
 >      「ウルトラスーパー大謗法与同連立政権」
 面白い表現ですね。
 まあ、自民党の支持団体は霊友会系だけではないでしょうし。靖国神社へ参ったり
するわけですし・・・。(戦没者を祭ること大切なことなのですが)
 > 創価学会を与党に取り込んで柔和な団体に
 > なって頂く最大のチャンスではないかと私は考えておりますが。(笑)
 それでも怖い気がします。
 私が公明党と創価学会で一番気になるのは全体主義的な組織ではないかということ
で、それを実質上束ねていると思われる池田大作氏が私たちの前には姿を現さないし、
何を考えているかわからないという不安があります。5%の組織票を上手く駆使して
いるのは天晴れです。でも、彼らは国政に何故あれほどこだわるのか、その目的が何
なのかわからないのです。
 そのわからない政党が与党に入ると正直言って不安です。フジTVによると連合政
権の支持率は
  自自27% 自自公22.9% 自公13%
だそうです。公明党への危惧は私だけの考えではないようです。自公の13%は創価
学会会員の人口比率5%を差し引くと8%です。自民党支持者まで反対に回っている
証左でしょう。
 > 教義でやるべきではないでしょうか?オウム問題も同じです。
 そうですね。
 たんに、あの宗教は○○だという烙印が先行しているだけでは問題解決にならない
でしょうね。問題がある宗教でも新規入信者もなくなりません。問題を起こしてきた
新興宗教のどこがおかしいのか、きっちり論証する必要があるでしょう。
 ただ、どんな特異な教義でも雄弁家にかかれば言葉の魔術で正当化できる可能性が
あります。そして、インド仏教学や文献の学術的な研究によって現在の既成仏教教団
も軌道修正を余儀なくされていると思います。そんななかで、「教義でやる」のは難
しいでしょうね。
 根本から捉えなおしてまず自らを正す精進が大事な気もします。
 かつて仏教が栄えたインドや中国の西域が何故イスラム化してしまったのか。現代
的価値観の中で形骸化している日本仏教を考える上でも、教義を突き詰めるべきです。
原始仏教と法華経を結ぶ線上にその回答があるという見地のもとにでも・・・。
 超能力だとか、神秘主義だとかはしばらくおいて、神話の漆喰を一時的に剥がし、
四諦八正道から始めて、仏教の多々ある教えの何処が普遍的で、どこに救いと安心と
いやしがあり、何が邪義なのかを根本から検証していかないとダメだと思います。
 > という烙印を押すのではなく
 宗教団体の組織的で重大なな法律違反を起こせば教義以前の問題だと思います。烙
印が押されてもしかたないでしょう。ただ、仰るようにその教義の問題を指摘するの
は私たちの役目でしょうね。
 創価学会をあそこまで発展させたのは当時の日蓮宗の対応が鈍かったことも大きな
要因でしょう。まあ、彼らが大きくなったことよりも問題なのは、手段を選ばない勧
誘活動や脱会阻止などの行動が、法華経と題目に対するイメージを甚だ悪くさせたこ
とではないでしょうか。
 オウムの場合はチベット仏教の奥義にまで踏み込める人でないと無理かもしれませ
んが。どちらにしても、他を批判できるだけのもの、仏教本来の健全さを持った宗門
というのが、自らの宗門全体にに必要だと思いました。現在は、一部の活動的な機関
と有志のみに負っているようです。
 ▼
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  ̄
00124 99/08/06 23:35 ise                妙見菩薩
仏教ラウンジへ6月9日no317で投稿したise森山 健司です。
 日蓮聖人御自身による北辰妙見大菩薩信仰が詳らかに検証されれば、妙見さん
をまつる自坊にとっても嬉しいことですが、、、。ちなみに、日蓮聖人の御遺文
には妙見の文字は一度も出てまいりません。
 との御返事でした。
では、広済寺さんはどのような御考え、どのような思いで、妙見様を拝んでおら
れるのですか。
      
00125 99/08/16 17:35 Eisai              第52回日蓮宗教学発表大会
 今年は、11月4日(木)、5日(金)に身延山大学であるそうです。
 ▼
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  ̄
00126 99/08/22 13:42 顕正居士           重須本門寺號に付ての今川公の判決
EISAIさん。こんにちわ。
少し前に話題に出た重須本門寺號に付ての今川公の判決ですが。
「富士日興上人身延離山の研究」(早川一三著、昭和11年刊、同48年再刊ニチレン
出版)で見付けました。二箇相承が出て来る。重須が本門寺と號するのを正当
と認めた。この時から称したのではない。以下引用。
___________________________________
永正年間大石寺日鎮師は「富士山本門寺なる號は本門戒壇建立以後初めて公称
すべきものなるにも拘はらず重須が本門寺と號するは興師の正意にあらず」と
主張したから重須本門寺日國師は小泉久遠寺日継師と共に之を領主今川氏親に
訴へ、斯くて氏親の前に於て対決となったその時重須方から呈示したのが所謂
二箇の相承である、其時氏親は其等を以て真書として左の判決を下して居る。
従日蓮聖人的々相承並本門寺々號支証明鏡之上領掌無相違者也 仍状如件
永正十二年乙亥(祖滅二三四)六月二十六日 修理大夫 書判
本門寺日國上人
(上掲書121〜122頁)
___________________________________
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
00127 99/08/24 14:23 Eisai              RE:00122 EISAIさん、波木井坊さん、こん
顕正居士さん、こんにちは。
 > 大石寺は所化を同寺付属の普通学校に通学させます。その後、4年制富士学林
 > を終了して無任所教師となるが、富士学林は大学の認可を受けていません。
 > 従って立正大学大学院に進学するには大学受験からやり直しが必要です。
 > 大石寺派に「知識人」の僧が育つことは今後困難であろうかと予想されます。
 坊さん教育の場所として大学が相応しいかという問題はよく耳にします。勝劣派の
法華宗も大学ではなく檀林です。大石寺の僧堂教育はそういう見地から素晴らしいと
思います。普通学校は高等学校でしょうか。合計7年間みっちり教学と作法などを叩
き込めば凄いでしょうね。
 そして、無任所教師ということは僧侶の息子でも相当精進しないと住職になれない
し、師父の寺など継げないということで競争と刺激があり、平均をとっても相当のレ
ベルを持った僧侶が育つのではと思います。
 ただ、兵隊から下士官はそれでよいのですが、教授陣の陣容がよっぽどでないと、
平均点は高くとも、確かに選りすぐりの知識人の僧が育つのは難しいかもしれません
ね。また、富士系にもし大学があったとして富士教学を客観的に研究することが可能
かどうかも難しいところでしょうね。
 また、高校から檀林までの一貫教育は洗脳的になってしまい。付和雷同しないしっ
かりした自分をもった個性ある佐官将官クラスの大人物というのは生まれにくいかも
しれませんね。いろんな素晴らしい考え方を吸収し、消化し、評価し、的確に表現で
きる気骨ある人は育ちにくいのではと思います。
 長い物に巻かれて序列に対して右習いし、異色に対しては集団リンチを加え、本音
を隠して無難に行動し、人の梯子をはずすといった日本人の悪い面・・・それが、宗
旨にかかわらず僧堂教育の危険性としてあると思います。
 さて、うちの宗旨では頭の良い寺の息子は、医師や弁護士あるいは大学教員になっ
てお寺を継がないということも少なくないようです。それだけ、僧侶というのは忌諱
したい道なのかも知れません。そのへんも考えなくては。
 チベット仏教の活仏教育にならえば小中学校から相応の人材を発掘し、全宗門をあ
げて英才教育する必要もあるように思います。
 うちの子? うちの子は Eisai 教育をしていますがダメですね。鳶は鷹を生みま
せん。私に似て国語力に疎い理系馬鹿のようです。親の二の舞にならぬよう、エンジ
ニアに育てようかな。
 ▼
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  ̄
00128 99/08/24 14:27 Eisai              RE:00126 重須本門寺號に付ての今川公の
 顕正居士さん、こんにちは。
 > 従日蓮聖人的々相承並本門寺々號支証明鏡之上領掌無相違者也 仍状如件
 > 永正十二年乙亥(祖滅二三四)六月二十六日 修理大夫 書判
 > 本門寺日國上人
 どう訓ずれば良いのでしょう。
   支証明鏡、仍状如件というのがわからない。
 従って、日蓮聖人の明らかな相承ならびに本門寺の寺号は、・・・の上その言い分
を聞き入れ相違なきものなり。よって・・・
   的々=明らかではっきりしているさま。
   領掌=相手の言い分を聞き入れること。
といったところでしょうか。
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  ̄
00129 99/08/25 13:29 顕正居士           RE:00128 重須本門寺號に付ての今川公の
> > 従日蓮聖人的々相承並本門寺々號支証明鏡之上領掌無相違者也 仍状如件
> > 永正十二年乙亥(祖滅二三四)六月二十六日 修理大夫 書判
> > 本門寺日國上人
>
> どう訓ずれば良いのでしょう。
よみかたは此うでしょう。
日蓮聖人従(よ)り的々(ちゃくちゃく)相承並に本門寺々號支証明鏡之上は
領掌相違無き者也 仍て状(さた)件(くだん)の如し
的々−嫡々に同じ
支証−支持する証拠
明鏡−明鏡の如く明らか
領掌−富士門流の支配・管轄
件−以上
00130 99/08/31 18:35 Eisai              お題目は示威行為?
 今年の4/1、新ガイドライン関連法案に反対行動をとっていた日本山妙法寺僧侶の
二名が、衆議院議員面会所での集会に参加しようとしたところ、五人の衛視が立ちは
だかり「お題目」を唱えることを禁じたということがあったそうです。さらに、3/12
には衆議院本会議を傍聴しようとした日本山僧侶に法衣を脱ぐよう強要されたのだそ
うです。この件に関して、日本山が日弁連に人権救済を申し立てしたそうです。
 ガイドライン関連法案に関する論議は仏教ラウンジでしたくないですが、「法衣を
脱ぐことを強要」「お題目は示威行為」ということは論じておくべきだと思いました。
 問題点は次の点でしょうか?
  日本山妙法寺の平和運動に問題はないか
    その反戦平和のイデオロギーはどのようなものなのか
    その運動の実体はどのようなものなのか
    極端な偏向や行き過ぎはないのか
  当局はお題目を示威行為として禁じた当局の真意は何なのか
    お題目が示威行為なのか日本山の運動が示威行為なのか
    法衣を脱がすほど裁量を持った者が非常識なのか、規定にそうあるのか
  発言前にお題目三唱するのに20〜30秒と取れる情報もあるが本当か
 日蓮宗の東北地方の某教化センターから問題提起と抗議書を送るように連絡が有り
ました。しかし、上記のことがハッキリしないと私は抗議書を投函する気にはなれま
せん。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00131 99/08/31 19:09 Eisai              RE:00124 妙見菩薩の法華勧請の可否
iseさん、こんばんは。
 昨日バンコクから帰って参りました。
 盆やら何やらで返事が遅くなりました。
>どのような御考え、どのような思いで、妙見様を拝んでおら
>れるのですか。
 私は代表権を持っておりませんのでお寺としての回答はできません。
 曼荼羅本尊と釈尊・法華経・日蓮聖人と先師を崇拝するのが基本です。いろいろ勧
請するのは好きではありません。朝の御給仕が大変ですし。
 だからと言って、妙見様の勧請を中止しようなどと思いません。それは、江戸時代
に他宗檀徒に布教が禁じられた時代にあっては、未信徒教化の巧みな手段となったか
らです。それは妙見様に限らず、様々な神祇について言えることです。
 過去にどれだけの方を法華経に導いたか。そのことを考えると、これは謗法だなど
とは私は思いません。しっかりした法華信仰への引入手段としての妙見信仰であれ
ば・・・。
 ただ、無節操な神祇勧請には反対です。
 私が困っているのは、由緒のわからない古い神祇がいろいろと寺に伝わっているこ
とです。恐らく自宅で給仕できなくなった神祇をお寺に納めたり、祈祷に偏向した先
師が勧請したのでしょう。ただ、どれほど願掛けをしたか考えると、それらを整理す
ることは勇気のいることです。しかし、できればなんとかしたいですね。
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  ̄
00132 99/09/02 22:56 ise                伊勢妙見菩薩
Eisaiさんへ
御返事ありがとうございます。
 自分は伊勢の妙見様の日蓮聖人の伝説を信じています。
それは理屈でなく血がそうさせるからです。
南無妙法蓮華経、体の中の血が自分を動かすんです。
            ise 森山 健司 より
00133 99/09/16 11:46 川蝉               RE:00130 お題目は示威行為?
  Eisaiさん今日は。             
>  今年の4/1、新ガイドライン関連法案に反対行動をとっていた日本山妙法寺僧侶
の
> 二名が、衆議院議員面会所での集会に参加しようとしたところ、法衣を脱ぐよう強
要さ> れたのだそうです。
>  日蓮宗の東北地方の某教化センターから問題提起と抗議書を送るように連絡が有
り
> ました。しかし、上記のことがハッキリしないと私は抗議書を投函する気にはなれ
ま
> せん。
                (省略引用です)  
私の所にも宗務所より、抗議用のハガキが送られてきました。私は余り深く考えない
で、早速、一通送りました。
ニュースで映されますが、原告が裁判所の前まで付けていくタスキと袈裟とを国会の
警備員は、同一視したのでしょうか。
日本山の場合は袈裟を取ったら、上着を取るのと同じですね。理不尽な強要と思いま
す。題目三唱も仏性礼拝のつもりと推測します。まあ相手の受け取りようによっては
気持ち悪く感じるかも知れませんね。(坊さん・お経→葬式・死者としか連絡しない
人も多いようですから)
場合によっては合掌礼拝だけにして置いた方がいいかも知れませんね。
私は現在の世界状況では、軍備は有る程度必要でないかと考えていますので、全面的
には日本山の平和運動には同調できないで居ります。
だいぶ遅れたコメントですが。
00134 99/09/29 13:09 Eisai              RE:00133 お題目は示威行為?
川蝉さん、遅くなりました。
 > ニュースで映されますが、原告が裁判所の前まで付けていくタスキと袈裟とを国
会の
 > 警備員は、同一視したのでしょうか。
 その辺の詳しい情報がないので、余計に抗議書送付なんてできませんでした。
 > 題目三唱も仏性礼拝のつもりと推測します。まあ相手の受け取りようによっては
 > 気持ち悪く感じるかも知れませんね。
 不軽菩薩の精神(妙法蓮華経属累品第二十二参照)では、あえて反攻せず、気持ち
悪がれても、理不尽な目にあっても、あえて甘んじ、更に突き進むことも必要なので
しょうか。そのような意見の知人もいました。
 > 私は現在の世界状況では、軍備は有る程度必要でないかと考えていますので、
 > 全面的には日本山の平和運動には同調できないで居ります。
 日本山の平和運動そのものに対する知識もありませんので、余計に抗議書など送れ
ませんでした。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00135 99/10/02 00:56 Issa               RE:00100 法華経の参考書
>このラウンジへは初登場のYAMです.よろしく(^_^)
>
>私,法華経の現代語訳はとりあえず読んだことはあるのですが,
>正直いって,そこに込められている意味(含意)をよく理解する
>ことができません.そこで,いろいろな参考書を読んでみたいの
>ですが,おすすめの本を教えていただけませんか?(やはり最初
>に何を読むかによって,その後の方向性がかなり影響されると
>思うので,易しい難しいとかではなく,読解への明確な視点を
>与えてくれるのがいいです)
00136 99/10/02 02:27 Issa               RE:00100 法華経の参考書
スミマセン、先ほどはあちこちクリックしているうちに空の投稿をしてしまいました。
 私は法華経は深く学んだことはありませんし、法華宗の門徒でもないのですが、
なにか参考になればと思い投稿させていただきます。
体系的に論述ではないですけれど、これまでで勉強したことを何点か記述します。
 
1.十如是はクマラージュ(鳩摩羅什:「妙法蓮華経」の訳者)の創作である
  サンスクリット語原本には5つしか載っていません(五如是とでもいう?)
  
2.諸法実相も1.に同じく原典にはない
  縁起のことをこのように表した
3.法華経は舞台劇の台本
  教育水準が高くない時代には、仏法を舞台劇のかたちで布教していた
  当時上演されていたものをまとめたものが法華経
4.漢訳妙法蓮華経とサンスクリット語原典では文章の格が大きく異なる
  漢訳は名文調、これはクマラージュの文学的才能の高さによる
  一方原典は文章からあまり知的ではない人々によって編纂されたと推定される
5.インドの法華教団はかなり迫害されていた
  鎌倉時代の日蓮宗に似ている、理由は社会との軋轢
  (ちなみに鎌倉時代の日蓮宗は一種の世紀末カルトでした)
6.法華経の人気の最大理由は一乗思想
  どんな人でも仏になれるという考えは勇気の原理でもある
  釈迦教団では可能性の平等を重視した、後世これが結果平等的思想に変質してい
った

−注記−
1.について
  これは天台大師の一念三千論を否定するものではない
  一念三千論は心の法則を述べたものでこれは釈尊の教えの中心である
  また龍樹の九種法という十如是に似た思想がある
  これを天台は自分の一念三千論の立場に取り込んだといわれる
  十如是にみられるような体系的分類の考えは釈尊から出ている
2.について
  縁起をみるものは法をみる−原因結果の連鎖によりあらゆるものは存在する
  一神教の絶対神に相当するものが仏教にあるとすればそれは法(=縁起)である
    
3.について
  法華経を、効能書きばかりで中身がはいっていない薬のようなもの
  評する人もいる
    
5.について
  大乗涅槃経をつくった人々もかなり迫害されていた、そして「一せんだい:
  イッチャンティカ」といって仏性のない人間(=自分たちを迫害する人間)もい
るとし
  イッチャンティカは殺しても罪にはならないと教典に加筆した
  これは迫害を受け自分たちの身を守るために敵対勢力の人を殺さねばならない場
面が
  あり、それを正当化するためである
  これは釈尊の教えではない、五戒の最初が不殺生であり、全ての人が仏性を有す
ると
  いうのが釈尊の教えである
  釈尊はデーバダッタを殺しても罪にはならないとさえいわなかった
  後世の創作と仏陀の本心とを区別する必要がある
 
00137 99/10/04 08:21 顕正居士           RE:00136 法華経の参考書
Issaさん。はじめまして。
ご説が故渡辺照宏氏の岩波新書本に起源し、印度学、仏教学の専門でない人達に流布
しているものなら、これらの説を信用されないよう希望します。
>1.十如是はクマラージュ(鳩摩羅什:「妙法蓮華経」の訳者)の創作である
>サンスクリット語原本には5つしか載っていません(五如是とでもいう?)
河口慧海将来の西蔵本には五如是しかないし正法華もそうです。しかし羅什の底本は
キジ国重訳本でしょうから、これの内容はわかりません。彼は印度に一切引用がない
大智度論を伝え四論宗の祖と云えます。この学系自体が特殊であるから、智論から
十如是を輸入して意訳したとは必ずしも云えません。
>2.諸法実相も1.に同じく原典にはない縁起のことをこのように表した
諸法実相は智論の大意であるし、むろんそれは縁起のことであります。
>3.法華経は舞台劇の台本教育水準が高くない時代には、仏法を舞台劇のかたちで
>布教していた当時上演されていたものをまとめたものが法華経
戯曲的(ケルン氏評)なんですが、実際に上演されたかものが精練されたという説は
法華経に限らずみたことがない。
>4.漢訳妙法蓮華経とサンスクリット語原典では文章の格が大きく異なる漢訳は名
>文調、
>これはクマラージュの文学的才能の高さによる一方原典は文章からあまり知的では
>ない
>人々によって編纂されたと推定される
正法華は文章がすぐれていません。しかし梵本法華経の文章を羅什が荘厳しているとは
云えない。原文の格調は什訳に劣りません。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/jigage.html
>5.インドの法華教団はかなり迫害されていた鎌倉時代の日蓮宗に似ている、理由
>は社会
>との軋轢(ちなみに鎌倉時代の日蓮宗は一種の世紀末カルトでした)
印度に大乗教団が存在したとは思えない。義浄も印度に一向大乗寺なく、大乗とは声
聞中で
菩薩崇拝などを行う人の個人の立場であると録している。
>6.法華経の人気の最大理由は一乗思想どんな人でも仏になれるという考えは勇気
>の原理
>でもある釈迦教団では可能性の平等を重視した、後世これが結果平等的思想に変質
>していった
法華経の特色は三乗思想(大小対立)に対する絶待一乗(大小融和)です。三乗を否
定する
相待一乗ではないと思う。
>大乗涅槃経
涅槃経には仏性常住が説かれる。シナでは涅槃経が人気があった(仏教は長寿を得る
ための
教えと理解された)。法華派は法華経の仏寿無量を仏性常住に迎合していった。法華
経と
涅槃経は別の経典です。湛然には超八法華(証真のいう部教混乱)の説があり、日蓮
はこれを
継承したがべつに法華、涅槃混乱があると思う(純正超八法華主義なら起らないは
ず)。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
00138 99/10/04 13:43 波木井坊           こんな投稿がアチコチにありました。
       現代宗教ジャーナル社の編集者と久遠居士なる人間の類似性
       久遠居士なる人物
       1、日蓮正宗常泉寺信徒
       2、政府自民党、政治家秘書の肩書きを持つ人物。
       3、最近、マックを購入、HPが2つ存在する。
       4、ツブされたウソ価学会主催者とも言われる。
       5、与党秘書の肩書きで日蓮宗とのパイプがある。
       類似性とは。
       編集者の使用機種: Power Macintosh
       HPの編集ブラウザ:Adobe PageMill 3.0J Mac版(表紙)
       Mozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC) [Netscape]ネットスケープ4.5版Mac版
(記事等)
       画像編集ソフト :File written by Adobe Photoshop5.2 フォトショップ5.2
       版
       ====================================
       ジャーナル0005版
       <title>現代宗教ジャーナル社 第0005号</title>
       <!doctype html public "-//w3c//dtd html 4.0 transitional//en">
       <html>
       <head>
  <META NAME="GENERATOR" CONTENT="Adobe PageMill 3.0J Mac">
       <meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS">
       <meta name="GENERATOR" content="Mozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
       [Netscape]">
       ====================================
       表紙
       <!DOCTYPE html public "-//w3c//dtd html 4.0 transitional//en">
       <HTML>
       <HEAD>
       <META NAME="GENERATOR" CONTENT="Adobe PageMill 3.0J Mac">
       <META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;CHARSET=x-sjis">
       <META NAME="GENERATOR" CONTENT="Mozilla/4.5 (Macintosh; I; PPC)
       [Netscape]">
       ====================================
       画像解析
       File written by Adobe Photoshop・5.2
       一部JPEG view書類
       他の類似点
       1、画像ファイルが数字による連番。
       2、マック標準以外のフォントが同じ。
       3、リンクページの略仕方がまったく同じ。(例:本行寺の妙音)
       その他、他の正宗系、学会系いずれともこの組み合わせ、類似点のあるHP
は無い。
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
       問題のHPのアドレス(現代宗教ジャーナル)
       http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9569/index.html
       http://plaza15.mbn.or.jp/~nsi_net/web002/nsba/
       日蓮正宗佛教學協會(Nichiren Shoshu Buddhism Academy
       日蓮正宗法華講衆インターネットセンター
       http://plaza15.mbn.or.jp/~nsi_net/index.html
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
       日蓮宗の御僧侶方ご注意を。あながたがたの敵は、宗門外にいる。
       宗教ウオッチャー 
======================================
==
だそうです。
00139 99/10/04 16:59 Eisai              RE:00137 一念千五百 ? ではだめでしょう
顕正居士さん、Issaさん、こんにちは。
 > 河口慧海将来の西蔵本には五如是しかないし正法華もそうです。しかし羅什
 > の底本はキジ国重訳本でしょうから、これの内容はわかりません。彼は印度
 > に一切引用がない大智度論を伝え四論宗の祖と云えます。この学系自体が特
 > 殊であるから、智論から十如是を輸入して意訳したとは必ずしも云えません。
 亀茲国の言語に訳された『法華経』が十如是が五如是かという研究はないのでしょ
うか。
 天台教学も日蓮教学も一念三千という重大な法門に関わることだから十如是でなく
てはならんと思うようです。五如是だと一念三千はどうなるのでしょう。一念千五百
ではだめでしょうか。
 > >2.諸法実相も1.に同じく原典にはない縁起のことをこのように表した
 > 諸法実相は智論の大意であるし、むろんそれは縁起のことであります。
 法華経方便品の諸法実相は「諸法の実相」で「諸法実相」を説くものではないと思
うことがしばしばあるのですが如何でしょう。
   唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
                 『妙法蓮華経方便品第二』
                         _
 諸法の実相(dharma svabhava)は仏と仏のみにしか究尽できないよ。だから、『法
華経』は説かないよ(三止三請)。といった意味でしかないのではないでしょうか。
天台大師の『法華文句』にも「諸法実相」「一念三千」という語句はないようです。
 > >(ちなみに鎌倉時代の日蓮宗は一種の世紀末カルトでした)
 カルトねぇ〜。
 > 印度に大乗教団が存在したとは思えない。
 それは本当なのでしょうか。初耳に近いです。たしかに大乗はガンダーラ地方が中
心でしょうか。
 でも、インドでも阿弥陀如来の台座があったらしいですし、龍樹も南インドのナー
ガルジュナ・コンダあたりの人ではないかということですが。

 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00140 99/10/04 19:31 Issa               RE:00137 法華経の参考書
法華経至上主義について
お返事どうもありがとうございます。
釈尊の教えは八万四千の法門があり、法華経のみが正しく
他の教典は真理を伝えていないという考えは間違っております。
各種仏典は弟子たちが筆録し、まとめたものであるわけですから、
釈尊の教えをそのままには伝えていないことは確かでしょう。
法華経も学問的には釈尊没後、四−五百年後に成立したとする説が
有力ですし、晩年の釈尊の教えの一部を反映しているにしかすぎません。
結局のところ、各種教典は、釈尊と弟子たちとの間の、
時・場所・人の三者の影響の下になされた対話の記録であり、
どれのみが真実というような性質のものではないのです。
さらに他宗排撃についてですが、これは功罪の両面があると思います。
功の面とは、情熱的な行動力の源泉となった点です。
真理が説かれるときは、溢れ出る熱意がなければ、決して広がっては
ゆきません。真理に到達したという確信が強ければ強いほど、
他宗が邪教のように思えてくるのは、キリスト教においても同じです。
本当は、一つの教え、一つの真理であるにもかかわらず、
さまざまな人によって、さまざまに説明をされると、祖師の悟りに
及ばないものたちは、異なったものであるかのごとく錯覚して、
分からなくなってしまいます。
つまり、祖師と違って、弟子たちは、その部分しか理解できないからです。
ですから、真宗も、禅も、法華宗もそれぞれ釈尊の法門のひとつ
にしかすぎないということなのです。
つまり、そもそもの釈尊の教えには、すべてが含まれていたのです。
日本の仏教は鎌倉初期以降、傑出した僧侶を出していないとも
言われます。
しかしその現実は、念仏や題目を唱えるだけで救われるという思想が
蔓延し、釈尊の教えの中核である「悟り」と、それに伴う「智慧」の立場
が顧みられなくなり、
御利益主義や狂信思想が現代まで流れつつ、広がっているからです。
やはり、悟りと智慧の立場を堅持しなくてはなりません。
00141 99/10/04 21:40 Eisai              「起顕竟」の「竟」はどうして「極」でな
 日蓮教学の話です。
  法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し
  神力品、属累に事極て候し
                                                 『新尼御前御返事』
 起顕竟の出典は上記の日蓮聖人御妙判からだと教わっていますが、どうして原文の
「極」ではなく「竟」なのでしょう。御存じの方おられませんか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00142 99/10/05 03:50 顕正居士           RE:00139 一念千五百 ? ではだめでしょう
Eisaiさん、こんにちは。
>亀茲国の言語に訳された『法華経』が十如是が五如是かという研究はないの
>でしょうか。
皆さん御存じと思いますが、梵本や正法華は嘱累が経末にあります。妙法華は
経中にあります。また梵本では独立していないが存在する提婆品の内容が什訳
にはない(この現行部分は什訳ではない)。ゆえに羅什のテキストは正法華や
近代発見のと違うと想定されます(21品だった頃の古形を存する亀茲訳?)。
しかも十如是の輸入元自体(智論)を伝来したのが羅什だから、そのテキスト
は十如是だったかもと思うのは自然です。中央アジア出土の断簡が研究されて
おり、創価学会からもこういう写真本が出ています。方便品の当該箇所が発見
された話はまだ聞きません。
>法華経方便品の諸法実相は「諸法の実相」で「諸法実相」を説くものではない
>と思うことがしばしばあるのですが如何でしょう。
諸法の実相が空性であると述べていると思います。空性と縁起とは中観仏教では
全く同じ意味です。
> 天台教学も日蓮教学も一念三千という重大な法門に関わることだから十如是
>でなくてはならんと思うようです。
三千という数字がシナでは森羅万象をあらわすからで、法数には深遠な意義は
ないとわたしは思います。
>> 印度に大乗教団が存在したとは思えない。
>それは本当なのでしょうか。初耳に近いです。
日蓮的立場からこのことが明解に書いてある本が勝呂信浄師(日蓮宗僧侶、東大、
立正大教授)の「日蓮思想の根本問題」(昭和仏教全書・日本評論社)なんですが。
ちいさい安価な本ですが今、見つかるかなあ。立正大学にはあると思います。
下記掲示板のわたしの投稿も関連があります。
http://cgi3.osk.3web.ne.jp/~shanti/minibbs.cgi
大乗「教団」はインドには存在しなかったという意味です。大乗の哲学や宗教は
存在したが。
>起顕竟
はこの語が元来、漢語に存在するか、日蓮宗の造語なら整えたのでないでしょうか。
真蹟がなかったが近代に真蹟が発見された遺文をみると、仮名が漢字に写本されて
いる現象が著しい。別の漢字になっていることもあると思う。極(きはまる)と竟
(きはまる・おはる)に特別な違いを感ぜられますか?印象としては事竟っての
ほうがふつうに思います。
00143 99/10/06 15:23 Eisai              RE:00138 現代社会ジャーナル社 久遠居士
波木井坊さん、こんにちは。
 > 問題のHPのアドレス(現代宗教ジャーナル)
 > http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9569/index.html
を見ました。貴重な情報ありがとうございました。
 HPの内容は昨日 10/5 に更新されて、問題の発信は中止されているようです。
 > 久遠居士なる人物
 よく分析されていますね。
 > 1、日蓮正宗常泉寺信徒
 どこのどんなお寺なんでしょうね?
 > 2、政府自民党、政治家秘書の肩書きを持つ人物。
 自自公のことといい、本当だったら自民党にはもう投票できないかな。
 ちなみに私は今まで自民党に投票することが多かったです。
 > HPが2つ存在する。
 もう一つのHPのURLは? 御存知ないですか?
 > 4、ツブされたウソ価学会主催者とも言われる。
 何それ?
 > 5、与党秘書の肩書きで日蓮宗とのパイプがある。
 実名批判(誹謗)されていた方を貶めるために、怪情報を出した狸が宗門にいるの
かな?
 > 画像編集ソフト :File written by Adobe Photoshop5.2
 更新されたHPから画像ファイルが撤去されていましたから、一連の投稿の活動が
効いたのかも知れませんね。
 そもそも、伝統と規模だけで力のない日蓮宗を、今の時期に正宗系の方が誹謗する
理由は何なのでしょう。
 日蓮宗が最近した政治的な動きといえば・・・。
 9/7 に、日蓮宗の小松庶務部長が永田町の自民党本部を訪ねて、森喜朗幹事長に会
って要望書を渡したそうです。
---------------------------------------------------------------------
  我々日蓮宗は、貴自由民主党が宗教団体創価学会と、同体異名である公明
 党と連立して国政を担当していくことは、特定の宗教団体に、利益をもたら
 す危惧を抱かざるを得ません。
  仍って、公明党との連立を断念しますように要望します。
   平成十一年九月七日
                       日蓮宗宗務総長 永井祥文
  自由民主党総裁 小渕恵三殿
---------------------------------------------------------------------
 これが癪に障る政治家か宗教家がいたのでしょうか??
 そんなことないか・・・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00144 99/10/08 16:21 川蝉               RE:00139 一念千五百 ? ではだめでしょう
 
Eisai さん、顕正居士さん、こんにちは。
> 亀茲国の言語に訳された『法華経』が十如是が五如是かという研究はないのでし
ょ
>うか。
> 天台教学も日蓮教学も一念三千という重大な法門に関わることだから十如是でな
く
>てはならんと思うようです。五如是だと一念三千はどうなるのでしょう。一念千五
百
>ではだめでしょうか。
○羅什訳の原になった梵本は今のところ発見されてないので、十如是が無かったと確
定的には云えないが、五種法を意訳補充して十如是とした可能性と、大智度論の九種
法を参考にして十如是にした可能性も考えられると云われていますね。
慈恩大師が法華玄賛巻三に、「五種法は十如の概括、十如は五種法の展開」であると
論じているとのことです。
 五種法と十如は開合の違いだけとすれば、一念千五百でも概念は一念三千と同じと
言い得ますね。
五種法や九種法より、詳しく明確に諸法のあり方を説明した十如是に意訳してあるか
らこそ妙本が素晴らしいのでしょうね。
> 法華経方便品の諸法実相は「諸法の実相」で「諸法実相」を説くものではないと
思う
>ことがしばしばあるのですが如何でしょう。
> 諸法の実相(dharma svabhava)は仏と仏のみにしか究尽できないよ。だから、『法
華
>経』は説かないよ(三止三請)。といった意味でしかないのではないでしょうか。
>天台大師の『法華文句』にも「諸法実相」「一念三千」という語句はないようです。
○仏智見でなければ、十如因果の具体相は完全には徹見出来ないのでしょうね。
アレッ、 『法華文句』には 「諸法実相」の語句がなかったですか。
「一念三千」の語句は妙楽大師の造語とのことですね。
云われるように、法華経方便品の諸法実相は「諸法の実相」のようですね。提示され
た問題と離れるかも知れませんが、日蓮教学では「理即事」と云いますね。諸法(現
象)は真如実相(縁起の法)の具体相であるから、事即理であって、「諸法は実相」
とも言い得ると云うことになりますね。
>ご説が故渡辺照宏氏の岩波新書本に起源し、印度学、仏教学の専門でない人達に流
布し
>ているものなら、これらの説を信用されないよう希望します。
(#00137  顕正居士さん)
○故渡辺照宏氏は困ったチャンでした。渡辺氏所論に反論してある勝呂信浄立正大教
授の「日蓮思想の根本問題」(昭和仏教全集・教育新潮社刊)を読んでホット安心し
たことがあります。
00145 99/10/21 13:50 Yabana             こんにちは、はじめまして
こんにちは、やばなと申します。
私は、創価学会の会員でありますが、みなさんとお話をしたいと
思い、仲間に入れさせていただこうと、書きこむものです。
みなさんが、お持ちの創価学会像というものが、あると思いますが、
私は、みなさんと別に喧嘩をするつもりは御座いません。
Eisaiさんや、皆さんと、いろいろな仏教哲学や日蓮教学に関する
お話を望むものです。私は学会内部の教学については勉強をして
きましたが、学会外部における教学の捉え方については、あまり、
知りません。
また、ちょくちょく来させていただきますので、お話いたしましょう。
それでは
00146 99/10/21 20:23 Eisai              RE:00145 ようこそ
 やばなさん、こんにちは。
 ようこそ bodhi へ。
 > みなさんが、お持ちの創価学会像というものが、あると思いますが、
 > 私は、みなさんと別に喧嘩をするつもりは御座いません。
 やばなさんが、創価学会会員としてではなく個人として発言されるのであれば歓迎
します。
 > 私は学会内部の教学については勉強をしてきましたが、学会外部における
 > 教学の捉え方については、あまり、知りません。
 私は以信代慧ですから教学はお手柔らかに(^_^;
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00147 99/10/22 14:50 波木井坊            別格本山大野山本遠寺      オフィシャル
お萬さまの寺、女性の現代を救う、、、、女人成仏の寺
              ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーー
              生きている仏教、必要な法華経
              別格本山大野山本遠寺      オフィシャル(公式)ホームページです 
                           
              日蓮宗中興の祖 
              心性院日遠聖人 開山 
              徳川養珠院お萬の方 開基
              http://www.konohana.ne.jp/ouno/index.html
              ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーー
              :HP制作 責 波木井坊竜尊(hakiri@mail.konohana.ne.jp)
リンクのほうよろしく御願い致します。m(-)m
00148 99/10/22 20:36 Eisai              RE:00147 祝! 大野山ホームページ開設
波木井坊さん、こんにちは。
 > 別格本山大野山本遠寺
 別格本山という呼称が日蓮宗にありましたっけ?
 祖山、霊跡寺院、総本山、大本山、本山などは本山クラスのお寺では聞きますが?
>               徳川養珠院お萬の方 開基
 ホームページでは開山になっていましたね。
> リンクのほうよろしく御願い致します。m(-)m
 早速、https://www.kosaiji.org/link/ よりリンクしました。
 詳しくは、https://www.kosaiji.org/link/l-hokke-h.htm です。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00149 99/10/22 22:41 波木井坊           RE:00148 祝! 大野山ホームページ開設
>波木井坊さん、こんにちは。
>
> > 別格本山大野山本遠寺
>
> 別格本山という呼称が日蓮宗にありましたっけ?
> 祖山、霊跡寺院、総本山、大本山、本山などは本山クラスのお寺では聞きますが?
>
>>               徳川養珠院お萬の方 開基
>
> ホームページでは開山になっていましたね。
>
>> リンクのほうよろしく御願い致します。m(-)m
>
> 早速、https://www.kosaiji.org/link/ よりリンクしました。
> 詳しくは、https://www.kosaiji.org/link/l-hokke-h.htm です。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
ご無沙汰しております。
ご指摘の通り、日蓮宗の区分けでは”別格”というものはありません。大野さんの場合
は、”本山”ですが、HPの中にもあります通り、三代将軍家光公から”別格本山”の
称号を賜り、日蓮宗の中でも数少ない”三つ葉葵”の使用を許されております。
そのためあえて、”別格本山”という称号を使わせて頂きました。
> 徳川養珠院お萬の方 開基
ご指摘ありがとうございます。今夜中に修正致します。
リンクして頂きありがとうございます。m(-)mペコリ
00150 99/10/22 23:03 波木井坊           RE:00149 日蓮宗の方々、大野山をよろしく
大野山本遠寺といえば、我々地元の人間にとっては、”おおのさん”
で親しまれた旧跡、霊跡寺院です。
身延町内にある総本山久遠寺と、我が先祖の眠る波木井山円実寺、そして
大野さんは、七面山登山をする折り必ず回る寺院でありました。
しかし交通の利便が良くなったため、車やバスで総本山に直接行ってしまう
ので、大野さんには寄らなくなってしまったのです。
私の母や祖母の話では、昔は身延駅を降りて、団扇太鼓を叩きながら徒歩で
大野さんー>波木井山ー>身延山ー>七面山という順番で登山したと言います。
私の母は身延高校出身で、よく団扇太鼓の行列が来るとその音で授業が中断され
ることがあり、延々続くときは”自習になるので嬉しかった”と昔を懐かしんで
話していたことがありました。
私がもの心付く頃は、もう身延橋も車が通り、青春時代には新橋にかけ換わり、
トンネルも抜けたので、ぼくも大野さんによった記憶がありません。
しかし大野さんは身延では重要な寺院です。重文が多数あるばかりでなく、日蓮宗
中興の祖、日遠聖人の由緒寺院であります。
祖山、波木井山も大事ですが、大野さんもやはり大事です。
是非とも皆様方、祖山に団信徒様方とお越しになるおりは、大野山にもお立ち寄り
ください。切に切によろしく御願い申し上げます。m(-)mペコリ
これは波木井坊のたっての御願いであります。遠方より団信徒さんとお越しになるのは
やはりたいへん。宿の都合や交通の都合により時間その他が厳しいこともありましょ
う。
本堂その他は国の重文指定も受け、まもなく復興できます。なにとぞよろしく御願い
申し上げます。m(-)mペコリ
波木井坊竜尊
00151 99/10/27 05:01 Yabana             RE:00146 以信代慧なんて
以信代慧とは、謙虚ですね。
以信代慧は、知識がなくても信じることで、
智慧が湧いてくるということですよね。
Eisaiさんは、とても仏教に対して知識が豊かです。
僕も広範に勉強をしたいと思っていますが、
インドや中国のことまで、よく研究されていると思い
関心して読んでいます。
それから、以前に学会のことについて触れておられた
談がありましたが、池田先生について、私たち民間人の前に
姿を現さないことが、気になるといった内容だったと思います。
それについては、誤解であると思います。
連日、聖教新聞(学会の機関紙)にて、世界各国の著名人と
懇談された模様が出ております。また学会内部にいて思うことですが、
様々な執筆活動に加え、そういった対談や、世界128ヶ国の同志への
激励、日本全国の学会員への激励を考えると、時間を超越した行動をし
ていると実感します。先日、アメリカで放映された、ドキュメンタリー人間・池田大作
では、しっかりインタビューを受けています。日本でも放映された地域があります。
こういった内容は、ここでは控えた方がいいかも知れないのですが、
どうしても、これだけ言いたかったものですから、お許しください。
今度、書き込む時は、仏教哲学に対する疑問など、語り会えればと思います。
それでは。
yabana..
00152 99/10/27 16:23 Eisai              RE:00150 大野山に詣りましょう
波木井坊さん、こんにちは。
> 身延町内にある総本山久遠寺と、我が先祖の眠る波木井山円実寺、そして
> 大野さんは、七面山登山をする折り必ず回る寺院でありました。
 そうですね。
 うちの寺の団参では波木井山も行ったことないのではないかな。
 七面山も登詣しなくなりました。
> しかし交通の利便が良くなったため、車やバスで総本山に直接行ってしまう
> ので、大野さんには寄らなくなってしまったのです。
 ちょっと、大野山への道は観光バスでは狭いですね。
 佐野整形外科の前の道です。(ローカルな話題)
 うちは、ときどき詣りますよ。
 ところで、数年前まで大野山に養鶏場があったように思うのですが?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00153 99/10/28 22:11 Eisai              RE:00151 以信代慧なんて
yabana..さん、こんにちは。
 > 以信代慧とは、謙虚ですね。
 信もあやふやかな? でも信に頼らざるをえません。
 > 池田先生について、
 > これだけ言いたかったものですから、
 その話題は、いろんな人を巻き込んでエスカレートしてしまいそうです。
 コメントしたいこともあるのですが、仰るとおり肯て私も控えましょう。
 > 今度、書き込む時は、仏教哲学に対する疑問など、語り会えればと思います。
 そうですね。まあ、ぼちぼちと・・・。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00154 99/11/12 20:41 波木井坊           RE:00152 大野山に詣りましょう
> そうですね。
> うちの寺の団参では波木井山も行ったことないのではないかな。
> 七面山も登詣しなくなりました。
>
>> しかし交通の利便が良くなったため、車やバスで総本山に直接行ってしまう
>> ので、大野さんには寄らなくなってしまったのです。
>
> ちょっと、大野山への道は観光バスでは狭いですね。
> 佐野整形外科の前の道です。(ローカルな話題)
> うちは、ときどき詣りますよ。
>
> ところで、数年前まで大野山に養鶏場があったように思うのですが?
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
道を拡幅したいのですが、やはりこれは地区の人のコンセンサスが必要なものですから
すぐには難しいです。身延橋方面から左折する場合、乗用車ではなんとか右折できま
すが
大型バスは無理です。身延山側からトンネルを抜けて右折する場合は切り返しが必要
かも
しれません。
後、鐘楼堂これを抜けるのも2階建てバスでは無理です。以前身延山の参道に入った
2階建て
バスが三門手前で屋根がひっかかってしまったことがありましたが、大野山の場合は
幅が無い
高さもないので2階建てバスは無理です。
後、養鶏場ですがこれは先先代ぐらいの貫主さんがやったいましたが現在はありませ
ん。
衛生状態も含めて付近にご迷惑をかける(蝿や蚊、鳴き声、羽の飛散、臭気)のでや
って
おりません。現在は非常にクリーンです。
それと Eisai上人さんにおことずけを預かってまいりました。
Eisai上人さんのお父上様と、大野山の執事長のK上人さんが荒行堂でいっしょだっ
たとかで、
Eisai上人さんのお話を致しましたら、たいへん懐かしがっておりました。貫主猊下様も
そちらをよくご存知のこととか。
是非ともおこしいただければとおっしゃっておりました。
よろしくお伝えください。
波木井坊竜尊 
00155 99/11/15 17:51 Eisai              RE:00154 大野山に詣りましょう
波木井坊竜尊さん
 大野山だけでなく、京都山科に移転した大本山本圀寺もマイクロバスでなくては入
れません。
 うちの寺も、山門前は江戸時代の幹線道路ですが、軽自動車ですらすれ違えませ
ん。
 >  後、養鶏場ですがこれは先先代ぐらいの貫主さんがやったいましたが現在はあり
 >  ません。
 よく貫主猊下が代わられますね。
 
 >  Eisai上人さんのお父上様と、大野山の執事長のK上人さんが荒行堂でいっしょ
だ
 >  ったとかで、
 それはそれは・・・。
 うちの師父は荒行に七回も行っていて顔が広いようです。
 私?・・・荒行には行っていませんし・・・主義として行きません。
 もし、私の代になれば祈祷寺としての自坊をあらためようと思っています。そこま
で生きられるかどうかわかりませんが・・・。
 どうぞ、貫主猊下、執事長上人に宜しくお伝え下さいませ。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00156 99/11/16 17:19 波木井坊           RE:00155 大野山に詣りましょう
>波木井坊竜尊さん
>
> 大野山だけでなく、京都山科に移転した大本山本圀寺もマイクロバスでなくては入
>れません。
> うちの寺も、山門前は江戸時代の幹線道路ですが、軽自動車ですらすれ違えませ
>ん。
京都の駅近くにあった時は便利でしたのに・・。なんで移転しっちゃったんでしょう
か?
道幅を拡大したいですね。
> よく貫主猊下が代わられますね。
もうしばらくは代わられないと思います。今までは由緒寺院で、一種の踏み台として
利用されましたので、1〜2年で猊下様が代わられました。しかし今回は法縁長です
ので、一同腰を据えてやられる決意であるとお聞きしております。私もその言葉を信
じて、お手伝いする気になりました。それに今度、復興に失敗すると取り返しがつき
ません。法縁ぐるみで支援態勢に入っております。
> それはそれは・・・。
> うちの師父は荒行に七回も行っていて顔が広いようです。
>
> 私?・・・荒行には行っていませんし・・・主義として行きません。
> もし、私の代になれば祈祷寺としての自坊をあらためようと思っています。そこま
>で生きられるかどうかわかりませんが・・・。
>
> どうぞ、貫主猊下、執事長上人に宜しくお伝え下さいませ。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
>  ̄
七回、それはすごいです。今年ぼくも中山に慰問に行きましたが、涙が出ました。
(苦笑)
お言葉賜りました。近日中にお伝え致します。m(-)mペコリ
00157 99/12/11 08:44 Eisai              赤旗に創価学会批判記事
ここ数日ほど、日本共産党の新聞「赤旗」朝刊一面に
 政教一体
 公明党・創価学会
という記事の連載があります。
 日新報道などの本に比べれば、とくにセンセーショナルな記事があるとは思えませ
んが・・・。今、創価学会を批判できるマスメディアは赤旗くらいかな?
 しかし、共産党と創価学会は何らかの協定を結んでいたと記憶しているのですが、
その意味では期待できないかも。切り口が甘いのもそのせいか?
 ちなみに、私は右派でも左派でも大石寺系でもありません。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00158 99/12/11 13:21 くう               RE:00157 赤旗に創価学会批判記事
Eisai wrote:
> ここ数日ほど、日本共産党の新聞「赤旗」朝刊一面に
>
>  政教一体
>  公明党・創価学会
>
> という記事の連載があります。
>
>  日新報道などの本に比べれば、とくにセンセーショナルな記事があるとは思えませ
> んが・・・。今、創価学会を批判できるマスメディアは赤旗くらいかな?
>
>  しかし、共産党と創価学会は何らかの協定を結んでいたと記憶しているのですが、
> その意味では期待できないかも。切り口が甘いのもそのせいか?
>
>  
> 右派でも左派でも大石寺系でもありません。
>
>  ▼
>  |\(*^^)v  Eisai
このメールは誰あてなのですか?間違えですか?
何がなんだかさっぱりわからん!!
ちなみに、私は>ってあなた誰?
>
>   ̄
00159 99/12/11 17:30 Eisai              RE:00158 秀ネットのフォーラムからのメー
 > このメールは誰あてなのですか?間違えですか?
 > 何がなんだかさっぱりわからん!!
 > ちなみに、私は>ってあなた誰?
くうさん、こんにちは。
仏教ラウンジ
http://www.maruo.co.jp/bodhi/
の設定で「投稿された内容をメールで受け取る」にチェックを入れられていませんか
?
ここにチェックを入れてしまうとML(メーリングリスト)みたいにボードでの発言
が配信されてしまいます。
秀ネットでは、フォーラム開設者の私の方では設定をいじれない仕組みのようです。
(ねぇ> KONさん)
もし、設定変更が必要なときは、恐れ入りますが御自身でお願い致します。
あしからず御了承下さい。
仏教ラウンジ bodhi 管理者モード
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
00160 99/12/12 02:05 くう               くう
 大変しつれしました。
私のミスでした、すいません。
00161 99/12/12 10:44 YAM                RE:00157 赤旗に創価学会批判記事
At 8:44 AM 99.12.11, Eisai wrote:
>  しかし、共産党と創価学会は何らかの協定を結んでいたと記憶しているのですが、
> その意味では期待できないかも。切り口が甘いのもそのせいか?
共創協定(創共)協定ですね.
これは,宮本委員長(当時)宅盗聴事件をきっかけに
廃棄されたと記憶しています.
00162 99/12/13 11:38 Eisai              RE:00160 こちらこそ申し訳ありません。
くうさん、おはようございます。
 >  大変しつれしました。
 > 私のミスでした、すいません。
 いえいえ、突然あんなのが( (゜_*)\自分で言うな! )わけも分からずメール
ボックスに入っていたらビックリします。
 こちらこそ、申し訳ありませんでした。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00163 99/12/13 11:38 Eisai              RE:00161 共創協定(創共)協定
YAMさん、どうもです。
 > 共創協定(創共)協定ですね.
 名称は二通りあるのですね。
 > これは,宮本委員長(当時)宅盗聴事件をきっかけに
 > 廃棄されたと記憶しています.
 そうだったんですか。
 調べましたが、27年前の協定のようですね。
 聖教新聞でも同じ様な報道をしていたりして。
 それにしても、共創(創共)がやりあっているのならともかく・・・共創(創共)
とも、それなりの発行部数を誇る機関誌と、組織的に動く政治家・弁護士・各界実力
者が存在していて、組織外の人間が理不尽な不利益を蒙らないかという脅威を感じま
す。法華経にもあるような、みんなが救済されないと自らの救済もないというような
精神を双方とも持っているとは思うのですが。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00164 00/01/30 14:04 Eisai              日蓮聖人は鎌倉で辻説法をされなかった
 日蓮聖人は鎌倉で辻説法をされて布教されたというのは日蓮系で宗派を越えた常識
だと私は思っていました。
 しかし、意外にもそれは正しくないという事を聞いて吃驚して調べました。
 高木豊先生によれば
  ・古代・中世には〈嶋説法〉の語はみられない。
  ・日蓮の嶋説法は著名であるが,その事実は確認できず,16世紀に作られた
   日蓮の伝絵にもみえない。
のだそうです。 (平凡社世界大百科事典「辻説法」の項目より)
 恐らく近世(江戸時代)以後の脚色から生まれてきたものなのでしょうね。とする
と、鎌倉市内にある日蓮聖人の辻説法跡の顕彰碑はいったい何なのだ?
 また、ある立正大学の先生によると御成敗式目からしても、鎌倉市中で辻説法など
出来なかっただろうということです。御成敗式目のどんな条文なのでしょうね。
 そのようなことを知っておられました?
 それがどうしたと言われればそれまでですが、どうも伝承的な常識を覆すに十分な
ことを耳目に及ぶことが少なくないです。真摯な信仰をしながらも、冷めた目で古来
伝わる相伝や常識を検証することが大事でしょうね。無漏相承といったような相伝主
義も大切でしょうが、考えなくてはならないものも多いことでしょうね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00165 00/01/31 21:53 きく               RE:00164 日印が、信者には鍛冶や番匠もい
Eisaiさん、こんにちは。きくです。
> 日蓮聖人は鎌倉で辻説法をされて布教されたというのは日蓮系で宗派を越えた常識
>だと私は思っていました。
>
> しかし、意外にもそれは正しくないという事を聞いて吃驚して調べました。
 日蓮聖人の辻説法は、戦後の中世歴史研究からは否定的に考えた方がよい
ようです。おそらく近世になってからの、文学的想像でしょう。しかし、日
蓮聖人にはそのような想像が成り立っても、他の高僧には無いのが面白いで
すね。
 最近中世の庶民史がだいぶ明らかになって来ましたが、近世はむしろ近代
現代と近く、中世はそれとは異なる、つまり日本の庶民史は、1400年頃
から1500年頃を境として大きく前後に分かれるそうです、そして今もう
一つの境目が出来つつある、というのが、庶民史(文化史)を研究している
人たちの意見です。
 鎌倉時代の宗教の布教や伝播の形態は、布教する僧がそれを庇護する信者
の屋敷で祈祷や講説をするというのが、普通だったようです。日蓮聖人や親
鸞聖人の場合はそれが実に特徴的ですが、他の中世の祖師、高僧たちにもそ
の記録は多くあります。鎌倉の恵比寿堂(今の本覚寺)も、松葉が谷の草庵
もそうした信者の屋敷の一部だったのでしょう。
 ただ、最近出た講談社の現代新書「鎌倉新仏教の誕生」(松尾剛次)に、
日印が高時以下幕閣の前で他宗の高僧との論戦をして、日印の信者には鍛冶
や番匠のような甲斐のないものもいるが、そうか、という問いに、これを認
めて、仏法には身分の高下が無い、と反論したという記録が、あげてありま。
「鎌倉殿中問答記録」の記述です。この書が偽書だとしても、それが鎌倉新
仏教のあり方だったのです。旧仏教とははっきりと異なる点だったのです。
 信者の屋敷、といっても、多くは、ある程度の階層です。宗教に接するこ
とが出来たのはやはりある程度の身分を持つ者たちです。法華には鍛冶や番
匠が信者にいたという事実は、辻説法はしてはいなくても、それに近いこと
があったということを、うかがわせてくれます。これは親鸞聖人にも言えます。
 それから、一遍聖人の絵巻が中世の庶民の生活と、鎌倉仏教の姿をよく伝
えているといわれています。特に一遍聖人は日蓮聖人の影響をかなり受けて
いるといわれています。相州腰越での布教の姿は、たぶん日蓮聖人の姿に重
ねてもよいものでしょう。
 幣束のことで、いろいろみなさんに教えていただきましたが、その幣束の
ある名が、マタギ、サンカ、といわれる人たちの語彙と酷似していることに
は、たいへん驚いています。
 鎌倉仏教はそれまでの、旧仏教とは、立っているところが全く違うのです。
人間への問いが、しっかりとある。鎌倉の祖師たちは、しっかりと仏も人間
も見ていたように思います。
 辻説法の記念碑、さあどうだ、と言わんばかりで、私はあまり好きではあり
ません。私は日蓮聖人は案外静かな人だったのではないかと思います。(いく
らか古文を読みますので、遺文を読みますが、私にはそう響いてくるのですが・・・)
00166 00/02/02 23:23 Eisai              RE:00165 日蓮聖人の辻説法はウソ? & 
きくさん、こんばんは。
 >  日蓮聖人の辻説法は、戦後の中世歴史研究からは否定的に考えた方がよい
 > ようです。おそらく近世になってからの、文学的想像でしょう。
 やっぱり。
 > しかし、日蓮聖人にはそのような想像が成り立っても、他の高僧には無いのが
 > 面白いですね。
 今と違い、江戸時代は日蓮聖人は人気者だったようですね。恐らく、その頃に現代
の祖伝の脚色?ができたのでしょうね。
 近世では、芝居小屋の興行成績が悪くなると、忠臣蔵か日蓮物をすれば持ち直した
という話を聞いたことがあります。
 >  最近中世の庶民史がだいぶ明らかになって来ましたが、
 普通、庶民って歴史を残しにくいですよね。
 > 日印が高時以下幕閣の前で他宗の高僧との論戦をして、日印の信者には鍛冶
 > や番匠のような甲斐のないものもいるが、そうか、という問いに、これを認
 > めて、仏法には身分の高下が無い、と反論したという記録が、あげてありま。
 > 旧仏教とははっきりと異なる点だったのです。
 当時としては画期的というより大変なことだったでしょうね。
 依法不依人とはいえ・・・今の仏教者にないすごい筋金がある。
[解説]
 日印(1264‐1328) 鎌倉後期の日蓮宗の僧。越後寺泊生れ。8歳の時天台宗の門に
入り、のち南都・比叡山に遊学。永仁二年(1294)鎌倉で日朗の講義を聞いて改宗し、
その門下に入った。本成寺を創建するなど、越後を中心に伝道活動を行い成果をあ
げ、日朗没後は鎌倉で活躍し、日朗門流から分立して本圀寺のもとを開いた。
 > マタギ、サンカ、といわれる人たちの語彙
 山奥に野営して放浪するかたわら、みの作りや竹細工・杓子作り・川漁などを業と
していたことに関係あるのですか?。
 > 私は日蓮聖人は案外静かな人だったのではないかと思います。(いく
 > らか古文を読みますので、遺文を読みますが、私にはそう響いてくるのですが・
・
 日蓮聖人が静かな人ですか。初耳ですが興味を覚えます。
 御妙判を拝読するときに意識してみます。
 それにしても、きくさんの古典や歴史への造詣の深さは凄い。
 こうしてお話しできるだけでも光栄です。
00167 00/03/13 12:22 波木井坊           創価学会に大きな亀裂。
8日、宗創系掲示板に速報を流しましたが、
創価学会戸田会長の奧さんが亡くなり、遺言書通り、その葬儀を日蓮正宗の常在寺
で執り行うことになりました。つまり学会葬を拒否した形になりました。
夕べの通夜では元東京都議の藤原氏が参列したようです。
日蓮正宗の各寺院では9日ぐらいからポスターが貼られこの訃報を報じているようで
す。
今日は本葬ですので、藤原氏のほか龍氏、元教学部長の原島氏、竹入氏など正宗側に
ついた
人の参列があるようです。
学会員数人をモニターしましたが、わかったことは、、幹部は8日に各会館に招集さ
れて、
事情説明を受けたようですが、末端の会員さんはまだ知らない様子です。聖教新聞に
8日付けで
訃報が載ったのみで12・13日は内々で行う、(趣意)とあるだけで詳しくは報じて
おりません。
知った者は、一様に動揺している様子で、チャットでモニタリングした学会三世の家
庭では、
”おばあさんが地区の婦人部からその話を聞いて、学会を脱会するんだ、言いだして、
家の中で大騒
ぎになっている”なんてのもありました。
こういう話は、あまりしたくありませんでしたが、一応情報として、お知らせ致しま
す。
波木井坊竜尊
00168 00/03/19 13:33 Eisai              RE:00167 創価学会に大きな亀裂。
波木井坊さん、こんにちは。
お彼岸になりましたね。
 > 創価学会戸田会長の奧さんが亡くなり、
 かなりの御高齢だったのでしょうね。
 > つまり学会葬を拒否した形になりました。
 創価学会の、僧侶なし戒名なしの葬儀も、日蓮正宗からの離脱後に、そうせ
ざるを得なくなったからそうしたというイメージが一般にはあります。
 確かに、今の僧侶による戒名も葬儀も問題が指摘されることがありますが、
しっかりと執行している僧侶も決して少なくない。
 御指摘のように創価学会の会員さんの心中は決して一枚岩ではないような気
がします。
 うちの檀信徒の何軒に一軒かは元日蓮正宗か元創価学会です。顕正会はいな
いかな。仏間に日達猊下や日顕猊下の書を掛けた篤信信徒の方の葬儀と今後を
日蓮宗の当寺で依頼されることもあります。別段、こちらから説得したわけで
はなく、先方からこちらに来られたものです。
 ただ、うちは一対多対応になりますので元日蓮正宗か元創価学会の方のフォ
ローを十分できないのを何とかしたいです。
00169 00/03/21 07:56 紫蘭               RE:00168 元・創価学会
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん&波木井坊さん
> うちの檀信徒の何軒に一軒かは元日蓮正宗か元創価学会です。顕正会はいな
>いかな。仏間に日達猊下や日顕猊下の書を掛けた篤信信徒の方の葬儀と今後を
>日蓮宗の当寺で依頼されることもあります。
ウチもけっこうありますね。
日顕法主の御曼荼羅をかけているところもあります。
ううむ自己主張の激しそうな、豪放磊落な字だ(^^;)
そこで一番困るのが線香ですね(笑)横に寝かしていたら消える消える(爆)
3回つけなおして、それでも消えるから、立ててしまったこともあります。
その時に「立てていいんですか?」と質問を受けました(そこの家も苦労していたら
しい)
「線香を横にするのは、富士派と浄土真宗だけですよ」と言ってあげたら驚いてまし
た(^^;)
そういえば・・・
入院したときに、同じ部屋に喉頭ガンで入院していた人がロビーで聖教新聞を広げて
いたときは、ロビーにいた人達が、いっせいに引きましたね(^^;)
その人がウチが日蓮宗だというので(新聞連載の絵の方の原稿を書いていたのでばれ
たんですが(^^;))「この苦しみも日蓮大聖人様の苦労に比べたら、やはり日蓮大聖
人様は偉大だ」と筆談してきました。
そこで四条金吾にあてた手紙の話とかしていて・・・ふと思ったこと。。。
まるで私が学会員で、オバチャンの病気にかこつけて折伏しているような図になって
いたんじゃないか?(笑)
後で聞いたら、その時ロビーにいた人はそう思ったらしく、しょうがないから正体を
ばらしました(爆)
いろいろと、ややこしい時代ではあります(^^;)
        紫蘭でした。 か し こ
00170 00/03/23 14:25 Eisai              RE:00169 線香を横にするのは
紫蘭さん、リハビリは進んでいますか?
 > 日顕法主の御曼荼羅をかけているところもあります。
 印刷ではなく、直筆のお曼荼羅ですか?
 > そこで一番困るのが線香ですね(笑)横に寝かしていたら消える消える
 そっと1cmくらい自由落下させるようにおくと消えないですが・・・。
 > 「線香を横にするのは、富士派と浄土真宗だけですよ」と言ってあげたら
驚
 > いてました(^^;)
 真宗って線香を普段から寝かせていますか?
 ところで、日蓮宗に関してです。
 「日蓮宗宗定法要式」の七方便(法要式についての必須事項を七箇条に分け
たもの)の項目で、供養香華の箇所には以下の記述があります。
    線香でも蓋の有る香炉の場合は横たえる。(宗定法要式P191)
即ち、日蓮宗でも線香を横にすることはあるのです。ちなみに私は見たことあ
りませんが?
 日蓮宗や法華宗の方で見たことがある方いらっしゃいますか?
 > 入院したときに、同じ部屋に
 私が入院したとき、二人部屋のもう一人が創価学会の方だったようです。
 労災でかなりの怪我をされており、見舞いに来た娘さんが何かぶつぶつ言っ
ている。良く聴くと寿量品の長行でした。
 私は正体をばらしませんでしたが・・・。
 > まるで私が学会員で、オバチャンの病気にかこつけて折伏しているような
図
 > になっていたんじゃないか?(笑)
 > 後で聞いたら、その時ロビーにいた人はそう思ったらしく、しょうがない
か
 > ら正体をばらしました(爆)
 日蓮宗の檀信徒がお題目の信仰を弘めようとすると、日蓮正宗や創価学会と
間違われるようですね。
 何故、間違われると困るのか・・・ここでは触れずにおきます。 
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00171 00/03/23 20:25 YAM                RE:00170 線香を横にするのは
At 2:25 PM 00.3.23, Eisai wrote:
>  > そこで一番困るのが線香ですね(笑)横に寝かしていたら消える消える
>
>  そっと1cmくらい自由落下させるようにおくと消えないですが・・・。
自由落下って?
香炉灰に線香がずっぽり埋まってしまって消えることはありますね.
そういうときは,下に線香を敷いて,更にその上で線香を焚きます.
>  > 「線香を横にするのは、富士派と浄土真宗だけですよ」と言ってあげたら
> 驚
>  > いてました(^^;)
>
>  真宗って線香を普段から寝かせていますか?
はい,そうです.
>  ところで、日蓮宗に関してです。
>  「日蓮宗宗定法要式」の七方便(法要式についての必須事項を七箇条に分け
> たもの)の項目で、供養香華の箇所には以下の記述があります。
>
>     線香でも蓋の有る香炉の場合は横たえる。(宗定法要式P191)
>
> 即ち、日蓮宗でも線香を横にすることはあるのです。ちなみに私は見たことあ
> りませんが?
>  日蓮宗や法華宗の方で見たことがある方いらっしゃいますか?
その横にする,というのは折らないで横にするのですよね?
立正佼正会がそういうやり方だったと思うのですが.
00172 00/03/24 07:41 Eisai              RE:00171 線香を横にするのは
 > >  真宗って線香を普段から寝かせていますか?
 >
 > はい,そうです.
 これって、香をもる・・・粉の香を弓の字の如くに型で窪みをつけてそこに
粉状の香をもって着火する・・・ことの名残でしょうか。
 > 自由落下って?
 > 香炉灰に線香がずっぽり埋まってしまって消えることはありますね.
 1cmの高さからの自由落下では、まず寝かせた線香がきえることがないと
いうのが私の経験で会得した方法です。
 ちなみに、普通は線香は何本ですか?
 > その横にする,というのは折らないで横にするのですよね?
 日蓮正宗や創価学会さんはそうですね。
 うちの、本堂や妙見堂の香炉は蓋がありますが、寝かせられるくらいに折る
と1時間持たないですね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00173 00/03/24 16:48 YAM                RE:00172 線香を横にするのは
At 7:41 AM 00.3.24, Eisai wrote:
>  > >  真宗って線香を普段から寝かせていますか?
>  >
>  > はい,そうです.
>
>  これって、香をもる・・・粉の香を弓の字の如くに型で窪みをつけてそこに
> 粉状の香をもって着火する・・・ことの名残でしょうか。
抹香を盛って,それに付け茸というもの(私は見たことがない)で引火させる
のを燃香といいますが,その付け茸の代用が線香になった,と聞いています.
付け茸とは,古木に生じた白い茸を乾燥させたものだそうです.
>  ちなみに、普通は線香は何本ですか?
香炉の大きさによりますが,
在家の小形仏壇の小さな香炉では,1本を4つ折にします.
もう少し大きな香炉なら,2本を2つ折にします.
その辺りは人によって適当です.
>  うちの、本堂や妙見堂の香炉は蓋がありますが、寝かせられるくらいに折る
> と1時間持たないですね。
本願寺では,線香を井桁に組んで,下から火を付ける,するとだんだんに他の
線香に引火して,最後にぽっと抹香が燃える仕組みのようです.この方法だと
何時間でも好きなだけ燃やすことができます.
00174 00/03/24 20:44 Eisai              RE:00173 線香のチェーンプレイ
 > >  ちなみに、普通は線香は何本ですか?
 >
 > 香炉の大きさによりますが,
 > 在家の小形仏壇の小さな香炉では,1本を4つ折にします.
 一般的な在家の線香は一本で約30分ですね。
 四つ折りしたら、7分30秒・・・。
 お盆の棚経ならともかく、月参りでも途中で追加しなくてはならないかも知
れませんね。
 > 本願寺では,線香を井桁に組んで,下から火を付ける,するとだんだん
 > に他の線香に引火して,最後にぽっと抹香が燃える仕組みのようです.
 > この方法だとこの方法だ何時間でも好きなだけ燃やすことができます.
 すごい。
 ただ、線香の銘柄や太さ、灰の質、線香と線香を重ねる場所の灰から線香ま
での距離・・・なんかこつが必要ではないですか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00175 00/03/27 14:29 きく               RE:00170 私もちょっと入れてください。
Eisaiさんこんにちは。きくです。
みなさんだいぶにぎやかですね。私もちょっと入れてください。
> ところで、日蓮宗に関してです。
> 「日蓮宗宗定法要式」の七方便(法要式についての必須事項を七箇条に分け
>たもの)の項目で、供養香華の箇所には以下の記述があります。
>
>    線香でも蓋の有る香炉の場合は横たえる。(宗定法要式P191)
>
>即ち、日蓮宗でも線香を横にすることはあるのです。ちなみに私は見たことあ
>りませんが?
> 日蓮宗や法華宗の方で見たことがある方いらっしゃいますか?
先日祖母の法事があって、東京の郊外のお寺へ行ってきました。実は私の祖母
は長いこと日蓮正宗の人だったのです。お寺にこんな貼り紙がしてありました。
創価学会、正信会、顕正会の執拗な妨害にあってきたが、日蓮正宗の教義を堅
持して行くのでご安心ください。という貼り紙です。
そのお寺は戦後の新しいお寺ですが、住職はまだ40歳前後の方で、しっかり
した方のようでした。
さて、線香ですが、日蓮正宗も日蓮宗とほとんど同じです。赤沢朝陽という創
価学会と強い結び付きのある仏具屋さんが大々的に売り出したのです。横に置
くと何となく現代的で格好いいのです。それで創価学会の家で多く用いられた
のです。曹洞宗でも横に置くことがありました。折って置くこともありました。
しかし、立てようが置こうが、仏教本来の教えとは関係ないことだと思います。
実は、これを書こうと思ったのは、日蓮正宗と創価学会が不和になってきてか
ら、日蓮正宗に何があったのかはわかりませんが、日蓮正宗が伝統回帰をしだ
したのか、法要の形が少し変化したように思うのです。
それは、お経の読み方が丁寧になり、調子が日蓮宗とほとんど同じになってき
たこと。以前は、ただただひたすらに読んでいるというだけのようでした。先
日の法事では住職自ら太鼓をたたいて、お題目を唱和しました。そのたたき方
は、池上本門寺のたたき方とほぼ同じでした。以前の日蓮正宗ではたたくこと
はあまりありませんでしたし、創価学会ではもちろんやりません。「宝塔偈」
(「・・・能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地・・・」と、たしかに聞
き取れました。)にあたる部分を、住職だけが口の中で小声で唱えるのですが、
よく聞いているとわかります。(これが富士大石寺の伝統なのかもしれません。)
御妙判にあたる部分も復活(?)したのか、行いました。
本当に伝統回帰なのか、それとも変化なのか、よくわかりませんが、・・・や
はり日蓮聖人の流れなのだな、ということはよくわかるようになりました。
  ―――――――――――――――――――――――――――――――
ところで日蓮宗を密教の方から考えようとしている人がいて、私もたいへん興
味がわきました。最近よく話します。ちょっと書いておきます。
たとえば七面山。身延はもともと修験道の山です。七面山が日蓮宗の道場とな
るのは修験道の歴史では近世だそうです。修験道は密教です。今日日蓮宗は密
教や修験道とは関係ないようですが、日蓮聖人は天台をおさめた人です。容易
に結び付きやすかったはずです。また十界曼荼羅を密教の方から解釈したら案
外わかりやすい部分もあるのではないでしょうか。もちろん宗門の人たちから
見たら、これは絶対にそう考えてはならないことと思いますが・・・。素朴に、
あの十界曼荼羅の左右にある不動愛染の種子の梵字と言われるものは何を示す
ものなのですか?南無妙法蓮華経の下の日蓮の名の下の花押は、本当に花押な
のですか?あれはボロンの字ではないですか?もしボロンの字なら、一字金輪
仏頂尊、つまり大日如来です。また、やはり左右に日天子月天子があるのはな
ぜですか?日天子月天子は明星天子です。密教の配列順序と同じです。
幣束も密教や修験道にはありました。そしてそれは日蓮宗とたいへん似たもの
です。
(親鸞聖人の聖観音の夢の話も、これも密教の発想ではないですか?)
その人と、何だか新しい宗教だね、などと笑ってしまいましたが、現在の宗派
や教義が多く近世に骨格が出来て、明治になって再編整理されたものですから、
大昔の人にはあたり前のことだったのかもしれません。
そのよく話す同僚は、もともとその祖母が大石寺の塔頭の出で、そんな関係で
たいへんに教学が詳しいのですが、今はなんと阿字観を勉強しています。です
から今は古義真言というわけです。社会科の政治史が専門のK先生といいます。
  ―――――――――――――――――――――――――――――――
さて最後に、先日祖母の法事のさい、住職が即身成仏のことを話されて、それ
がとてもよい話でした。
私は宗門の人間ではありませんから、日蓮宗でも法華宗でも日蓮正宗でもいい
のです。
誰かが言っていましたが、お寺は死んでから行くところではない。生きている
ときに行くところだ。行って何か人生に益するものが得られればよいわけです。
(もっとせっぱつまたこともありますが・・・。)
「一日一生」はトルストイですが、それを教えてくれる先生が、お坊さんだと
思っています。
それから、寺院の税務関係の相談のホームページがありました。税理士さんの
グループで相談にのってくれるのですが、うっかりひかえておくのを忘れてし
まいました。困っている人がいましたね。今度見つけたら、お知らせします。
では、長々とおじゃましました。
00176 00/03/27 23:13 YAM                RE:00174 線香のチェーンプレイ
At 8:44 PM 00.3.24, Eisai wrote:
>  一般的な在家の線香は一本で約30分ですね。
>  四つ折りしたら、7分30秒・・・。
>  お盆の棚経ならともかく、月参りでも途中で追加しなくてはならないかも知
> れませんね。
うーん,お経の途中で線香が燃え尽きても私は気にしないのですが,それでは
いけないのでしょうか?
>  ただ、線香の銘柄や太さ、灰の質、線香と線香を重ねる場所の灰から線香ま
> での距離・・・なんかこつが必要ではないですか?
寺での場合は,線香はきまったのを使いますから,慣れればだいじょうぶ.
在家の場合は,もともと香炉が小さいのでチェーンプレイはできません.
00177 00/03/27 23:13 YAM                RE:00175 私もちょっと入れてください。
At 2:29 PM 00.3.27, きく wrote:
> ところで日蓮宗を密教の方から考えようとしている人がいて、私もたいへん興
> 味がわきました。最近よく話します。ちょっと書いておきます。
丸山照雄さんの『闘う仏教』所収の論文「蓮密と鸞密:私的密教論序説」を読んだ
ことがあるのを思い出しました.丸山さんの文体には一種独特のものがありむずか
しいのですが,要するに,密教をひとつの神秘主義として評価しようということで
はないかと,私は受け取りました.
特に近代教学の形成の中で,呪術的要素を削ぎ落としつつ,極端にいえば密教≠仏教
とされてきたように思うのですが,考えてみると,呪術嫌いの真宗でも,絶対他力を
とことん突き詰めるとスーフィズム的な神人合一思想と紙一重になりそうな気がしま
す.
きくさんがおっしゃっておられるのと論点が違い恐縮ですが,思い付いたことをちょ
っと
書かせていただきました.
00178 00/03/30 16:25 川蝉               RE:00175 私もちょっと入れてください。
 きくさん、初めまして。今日は。
>たとえば七面山。身延はもともと修験道の山です。
身延山には日蓮聖人が入山するまで宗教施設はなかったのでは。
もっとも七面山は池大神が以前より祀られていたとの事のようですから、もしかした
ら山伏などがお参りしていたかも知れませんね。
また、身延山から自動車で30分ほどの処にある小室山妙法寺は元は真言のお寺です。
そこの山伏が身延山近隣の人々の尊崇を受けていたかも知れません。
小室山の山伏が日蓮聖人に帰依して、後に日蓮宗に変わったとの事です。その外、真
言宗の僧が日蓮宗に改宗した例も多々有るようですから、祈祷法・まじない法など、
日蓮宗的に変えて取り入れたことも考えられますね。
>あの十界曼荼羅の左右にある不動愛染の種子の梵字と言われるものは何を示すもの
なの>ですか?南無妙法蓮華経の下の日蓮の名の下の花押は、本当に花押なのです
か?あれは>ボロンの字ではないですか?もしボロンの字なら、一字金輪仏頂尊、つ
まり大日如来で>す。
「不動明王は人の命を司る明王で、生死即涅槃をあらわしている。輪廻の生死から離
脱した涅槃の世界への利益を頂けることを表している。
愛染明王は煩悩を司る明王であるから、煩悩即菩提をあらわしている。十界衆生の差
別の世界から煩悩の菩提化によって離脱出来ることを暗示している。花押の梵字は娑
婆即寂光を表す」
と云う学者の説明があります。
花押は初めはバン字で弘安年代になるとボロンの字に替わるとのことです。
「バン字は不動の種子で、聖人の大慈の折伏は不動明王的折伏である事を表している。
ボロン字は、一字金輪の種子といって、金輪聖王の威力をもつ。四天下の統一を意味
する。一国同帰の理想を聖人滅後に託すると云ういがあるのではないか」
と云う学者の説明があります。
>また、やはり左右に日天子月天子があるのはなぜですか?
日蓮聖人は法華経守護神として三光天子を重んじています。
それから、「不動・愛染感見記」と言う真蹟があり、それによると33歳の六月に愛
染明王と不動明王の姿を拝見したと云う神秘体験があるのですね。

00179 00/03/30 21:10 紫蘭               RE:00175 私もちょっと入れてください。
 どもっ (^-^)/>きくさん
>仏頂尊、つまり大日如来です。また、やはり左右に日天子月天子があるのはな
>ぜですか?日天子月天子は明星天子です。密教の配列順序と同じです。
日蓮聖人は比叡山就学の時代に、東寺で真言宗覚鑁の「五輪九字明秘密義釈」を書写
して、醍醐寺理性院の血脈を授けられてます。(「金沢文庫」に記録が残っています)
清澄に帰ってからも、清澄の学僧に「五輪九字明秘密義釈」を書写させて、醍醐寺理
性院の血脈を授けている・・・というのを読んだことがあります。
そういう意味合いでも、密教の影響は強いでしょう。
「日蓮聖人は虚空蔵菩薩に願をかけているのに、なぜ御曼荼羅に書かれていないの
か?」という人がいますが・・・虚空蔵菩薩は明星の化身でありますので、明星天子
として書かれているんですよね(^^;)
そういえば・・・よく絵説に、日天の中にカラス。月の中にウサギが書かれてますよ
ねえ・・・日天の中にカラスというのはアケガラスなんでしょうか?月にウサギは言
わずもがなですが(^^;)
いつの時代から書かれているんでしょう??(・_・?)<日本のオリジナルとも思えない
し。。。(・_・?)
         紫蘭でした。 か し こ
00180 00/03/31 00:36 かみ               RE:00178 私もちょっと入れてください。
みなさま、初めまして
きくさんwrote
> たとえば七面山。身延はもともと修験道の山です。七面山が日蓮宗の道場とな
> るのは修験道の歴史では近世だそうです。
川蝉さんwrote
> >たとえば七面山。身延はもともと修験道の山です。
> 
> 身延山には日蓮聖人が入山するまで宗教施設はなかったのでは。
> もっとも七面山は池大神が以前より祀られていたとの事のようですから、もしかした
> ら山伏などがお参りしていたかも知れませんね。
そのあたりの七面山について書かれたものとかを
何かご紹介いただけないでしょうか?
自分は、仏教・日蓮宗については全くの素人で素養もないのですが、
立場上(^^;)・・・好きな山なので、
せめて山についての基礎的な知識としては得ておきたいのですが。
00181 00/03/31 08:45 Eisai              RE:00176 どうして線香をつけるの?
 >  うーん,お経の途中で線香が燃え尽きても私は気にしないのですが,それ
では
 >  いけないのでしょうか?
 それは私も考えることがあります。
 そもそも線香は何故つけるのでしょうか?
  香りを供養するため。
  良い香りでその場を清めるため。
  芳香で参拝者の気持ちを和ませるため。
  参拝者の体臭をうち消すため。
  (お風呂にはいる習慣がある現代人には関係ないか?)
 私はこのあたりかなと思うのですが
 忌中は絶えず巻線香をくゆらせますよね。
 >  >  ただ、線香の銘柄や太さ、灰の質、線香と線香を重ねる場所の灰から
線香ま
 >  > での距離・・・なんかこつが必要ではないですか?
 >
 >  寺での場合は,線香はきまったのを使いますから,慣れればだいじょう
ぶ.
 >  在家の場合は,もともと香炉が小さいのでチェーンプレイはできません.
 挑戦しましたが、2本目の線香に着火しませんでした。
 極一般的な「上人香」とかいう線香です。ある程度、太くなくてはいけない
のかな?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00182 00/03/31 09:11 きく               RE:00180 修験道ですが
 かみさんおはようございます。きくです。
 修験道の本ですが、東京堂出版から出ている『修験道辞典』(宮家準編)がわ
かりやすいです。東京堂の本はもう一つ甘いのが難ですが、これはしっかりした
本です。やさしい本では学研の『修験道の本』があります。ホームページに「山
伏の館へようこそ」というのがあり、先達の方が詳しく教えてくれます。
  http://www1.coralnet.or.jp/miko/
 川蝉さんの
> 身延山には日蓮聖人が入山するまで宗教施設はなかったのでは。
> もっとも七面山は池大神が以前より祀られていたとの事のようですから、もしかした
> ら山伏などがお参りしていたかも知れませんね。
ですが、修験道では自然(山全体)が、礼拝の対象になりますし、自然が修行の
場であり施設のようなものです。特に宗教施設を設けなくてもよいわけです。
 私は横浜に在住していますが、私の知っているところでは、神奈川県の西部に
は現在でも箱根に二系統、丹沢に二系統の修験道が息づいています。箱根では箱
根権現と、もう一つは外輪山を修行の場にしている人たちです。
 箱根外輪山を修行の場にしている人たちは、木曽御岳と結び付きを持つようで
すが、よくわかりません。(しかし、こちらの方が純粋です。)明神岳の山頂付
近、よく注意して見ると、北側斜面にかすかな踏み跡があります。少し下ると、
そこに礼拝の場があります。これが修験道の礼拝(修行)の場です。何も無い灌
木の間ですが、ここは神聖な場所ですから、みだりに踏み込まないように。それ
なりの礼をつくして、手を合わせてから見てください。
 丹沢には有名な大山を中心としたものと、その北に八菅神道というもう一つの
修験道の流れがあります。大山の方は御師の方たちがまだかなりおりますから、
実際にお話を聞くことが出来ます。参道の脇の旅館(宿坊)のご主人は多くは御
師の方たちです。
 その北に八菅神道は最も古い形の、純粋な修験道の流れです。御師や先達は、
足立原という姓のを持つ方が多く、今もなお脈々と続いています。実は私の住む
神奈川県の、いろいろな公的分野で活躍している人がおり、あの足立原ですか、
とお聞きすると、たいていそうです、という答えが返ってきます。
 丹沢の大山三峰周辺で、修験道の礼拝(修行)の場を見ることがあります。
 丹沢の修験道はいずれも法華経を重視いているのも特徴の一つかもしれません。
また、それぞれの系統との交渉はまったく持たないのも特徴です。
 さらに丹沢の西にはもう一つの流れがあるようですが、よくわかりません。
 もし東京にお住まいなら、高尾山の薬王院の手前の峰の上に、これはきちんと
石で作った修験道の礼拝(修行)の場がありますから、見学されるとよいと思い
ます。(山の中だとただの地面の上でやるわけです。)
 日蓮宗だけでなく、それぞれの宗派が何を取り何を与え、どうかかわっていっ
たのか、日本人の精神史を考える過程で興味深い姿を見せてくれるようです。
 私の興味は、というより知りたいのは、何が仏なのか、即身成仏とはどのよう
なことなのか、どんなふうになることなのかということなのです。(それは案外
ごく身近で、ほらそれだよ、ということなのかもしれませんが・・・。)そんな
わけで、あっちこっちはいずり回っているわけです。
00183 00/03/31 14:51 きく               (発言者削除)
00184 00/03/31 14:55 きく               RE:00179 私もちょっと入れてください。
紫蘭さん、はじめまして。きくです。
 新潟の高岩寺のホームページにたしかお名前がのっていましたが、その紫蘭さん
ですか。高岩寺の中野録巖さんに、一度ご先祖さんのお経をあげていただいたこと
があります。お嬢さんの方はお目にかかったことはありませんが、懐かしくてよく
高岩寺のホームページを見ます。父方の田舎のお寺の住職と一緒に修行をしたそう
で、今は住職も亡くなられましたので、田舎のお寺も管理されているらしいです。
(ですから、私は曹洞なのですが、だいぶ日蓮さんや親鸞さんびいきの曹洞の在家
です。)
>日蓮聖人は比叡山就学の時代に、東寺で真言宗覚鑁の「五輪九字明秘密義釈」を書
>写して、醍醐寺理性院の血脈を授けられてます。(「金沢文庫」に記録が残ってい
>ます)
>清澄に帰ってからも、清澄の学僧に「五輪九字明秘密義釈」を書写させて、醍醐寺
>理性院の血脈を授けている・・・というのを読んだことがあります。
>そういう意味合いでも、密教の影響は強いでしょう。
 アドバイスありがとうございます。その他保田妙本寺の「不動愛染感見記」など、
現在日蓮聖人が書き残した密教修行のの体験の記録もありますね。
>「日蓮聖人は虚空蔵菩薩に願をかけているのに、なぜ御曼荼羅に書かれていないの
>か?」という人がいますが・・・虚空蔵菩薩は明星の化身でありますので、明星天
>子として書かれているんですよね(^^;)
 日天子、月天子、明星天子、は大日如来のそれぞれの姿です。日天子、月天子、
が合わさって明星天子。そして虚空蔵菩薩です。また不動、愛染も大日如来です。
さて修行の過程(体験)では月天子から始まるように聞いたことがあります。実は
日蓮聖人の龍ノ口の法難や依知での星下りの伝説が、この体験と結び付くように思
うのです。
 日天子、月天子、明星天子の体験は、密教では大変重要なものらしいです。そし
てそれは不動、愛染を感得することとも重なるようです。
>そういえば・・・よく絵説に、日天の中にカラス。月の中にウサギが書かれてます
>よねえ・・・日天の中にカラスというのはアケガラスなんでしょうか?月にウサギ
>は言わずもがなですが(^^;)
 日天の中にカラス。月の中にウサギは、中国古代の神話の中にあります。月の中
のカニもあります。インドに遡れるかどうかはわかりません。阿部慈園さんが友人
なので、あったら聞いておきます。
 私が知りたいのは、成仏(死んでしまうことではなく・・・。)、即身成仏とは
何なのだろうかということなのです。どんな感じなのか、どうなることなのか、案
外身近なことなのかもしれませんが、大変興味があります。本当はどんなことなの
ろう・・・。
 何かまとまりませんが・・・。
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★★★★★ 投稿番号:00183 に付けられているコメントです ★★★★★  
00185 00/03/31 20:22 川蝉               RE:00180 私もちょっと入れてください。
 かみさん初めまして。
>そのあたりの七面山について書かれたものとかを
>何かご紹介いただけないでしょうか?
「七面大明神縁起」と云うのがあるのですが、入手可能かどうかわかりません。
昭和三十五年に「七面大明神奉賛会」が発行した155頁のものです。第一刷は五千
部限定版でした。
だいぶ長いことお参りしてないので、七面山で現在発売しているかどうかわかりませ
ん。
紫蘭さんなら、発売しているかどうか御存知かもしれません。
身延山大学の先生が「伝説のと縁起の考証」を。立正大の先生が「本仏と守護神」を。
身延山の布教部の人が「参道案内」を書いてあります。
入手困難そうな本では紹介になりませんね。
00186 00/03/31 22:01 紫蘭               RE:00184 私もちょっと入れてください。
 どもっ (^-^)/>きくさん
ああ、はじめましてでしたね。挨拶が遅れましたm(__)m
>新潟の高岩寺のホームページにたしかお名前がのっていましたが、その紫蘭さん
>ですか。
うひゃ〜〜〜〜〜っ。悪いことはできませんねえ(^^;)
娘さんとは、オフでも2回会ったことがありますです。
一度、大谷派の尼さんに二人して誘われて、大阪での蓮如上人の
音楽遠忌法要に参加させていただいたことがありました。
4次会まで教区長さんに誘われて・・・中野さん共々大谷派の
尼さんの泊まっていたホテルになだれ込み、朝帰りになりました(爆)
けっこう中野さんのネットワークで、曹洞宗をはじめとして他宗派の寺庭婦人の方々
とも交流ができているので、ありがたいご縁です(*^-^*)
> 日天子、月天子、明星天子、は大日如来のそれぞれの姿です。日天子、月天子、
>が合わさって明星天子。そして虚空蔵菩薩です。また不動、愛染も大日如来です。
不動明王愛染明王の本地が大日如来というのは知っておりましたが、
日天月天明星天子もそうなんですか・・・
そういえば、日天は大日如来だという説明をずいぶん前に聞いたことがあります(^
^;)
>日蓮聖人の龍ノ口の法難や依知での星下りの伝説が、この体験と結び付くように思
>うのです。
依智では、童子姿の明星天子が示現するシーンがありますねえ
> 日天子、月天子、明星天子の体験は、密教では大変重要なものらしいです。そし
>てそれは不動、愛染を感得することとも重なるようです。
なるほど・・・φ(._.)めもめも
> 日天の中にカラス。月の中にウサギは、中国古代の神話の中にあります。
おおっ、そうなんですかぁ・・・ウチにある中国の神話という本を読んでみよう<買
っただけで読んでいない奴(爆)
>インドに遡れるかどうかはわかりません。阿部慈園さんが友人
>なので、あったら聞いておきます。
どうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)m
> 私が知りたいのは、成仏(死んでしまうことではなく・・・。)、即身成仏とは
>何なのだろうかということなのです。どんな感じなのか、どうなることなのか、案
>外身近なことなのかもしれませんが、大変興味があります。本当はどんなことなの
>ろう・・・。
日蓮聖人の一生成仏鈔の中に、
浄土というのも穢土というのも、別々の土地があるわけではなく、
心の中の善悪によるもので、迷っているときは衆生で、悟った
ときは仏・・・というのがあります。
法然上人は、死んだ後に阿彌陀仏の元で法華経の修行をして成仏をする。
と書いていたと本に書いてありましたので・・・どうせ成仏するならば
生きている間に法華経の修行をして仏になればいい。というのもあった
かもしれませんね(^^;)
まあ、当時の宗祖はみんな比叡山出身ですので・・・
法華経が一番良いのは当たり前の思想だったようですし。
それから一休禅師が「地獄とか極楽って本当にあるんですか?」と聞いてきた
新右衛門さんに対して、思いっきり頬をはり倒したそうです。
怒ったのを見て「それが地獄」なんだと笑ったのを「それが極楽」と言ったそうな。
心がいつも穏やかで、怒ったり、憎んだり、妬んだりしないで、
仏や回りの人々に感謝を忘れないことが、即身成仏の定義ではないでしょうか?
よく「あの人は仏様のようだ」という状態??
なかなか簡単なようで、難しいですけどね(^^;)
          紫蘭でした。 か し こ






00187 00/03/31 22:09 紫蘭               RE:00185 私もちょっと入れてください。
 どもっ (^-^)/>川蝉さん&かみさん
>紫蘭さんなら、発売しているかどうか御存知かもしれません。
呼ばれて飛び出て・・・でございます(^^;)
その本は知らないですが・・・っていうか見つけられなかったです(爆)
かまくら出版から「法華経信仰の霊場 七面山」という本ならばありました
昭和58年発行なので、まだ入手できるかと思います(^^;)
発行所 かまくら出版 東京都千代田区神田多町2−5豊田ビル
       tel 03-3252-1591
発売元 批評社 東京都文京区本郷2−6−15
       tel 03-3813-6344
上記で問い合わされてはいかがでしょうか??
持つと簡単な文でよければ、水書坊発行の「仏さまの履歴書」ならば、
入手できると思います<近所の本屋にもありましたので(^^;)
          紫蘭でした。 か し こ
00188 00/04/01 01:23 かみ               RE:00187 私もちょっと入れてください。
早速,お教えいただきありがとうございました
>きくさん
>  修験道の本ですが、東京堂出版から出ている『修験道辞典』(宮家準編)がわ
> かりやすいです。東京堂の本はもう一つ甘いのが難ですが、これはしっかりした
> 本です。やさしい本では学研の『修験道の本』があります。ホームページに「山
> 伏の館へようこそ」というのがあり、先達の方が詳しく教えてくれます。
>   http://www1.coralnet.or.jp/miko/
まずはやさしい本、学研の『修験道の本』を探してみます
HPは拝見しました。存在としてはTVなどで見たことがありましたが、
神秘の存在的な気がします。
ご紹介の中では、大山しか行ったことがありませんが、
確かに、七面山とは違う雰囲気は感じました。
初めて偶然七面山に行ったときに、「山自体の重み」の様な物を感じ、
身延からの位置と言い、「山を信じる」存在感を感じました。
そんな意味でも、
>日蓮宗だけでなく、それぞれの宗派が何を取り何を与え、どうかかわっていっ
>たのか、日本人の精神史を考える過程で興味深い姿を見せてくれるようです。
のご発言は深い物があるのだろうと思います。ありがとうございました。
>川蝉さん
> 「七面大明神縁起」と云うのがあるのですが、入手可能かどうかわかりません。
> 昭和三十五年に「七面大明神奉賛会」が発行した155頁のものです。第一刷は五千
> 部限定版でした。
> だいぶ長いことお参りしてないので、七面山で現在発売しているかどうかわかりませ
> ん。
山では売っているか見たことがありません。今度、注意してみます。
拙作HPを見た方が、昭和2年以前の絵はがきを下さったことがあるのですが、
この山においての「時間」を感じました。
それと、多くの方の「祈り」が山をより高めていくような思いと。
月イチ参りの方も多数いらしゃる山で、せいぜい年1・2度なので情けない物もあり
ますが。
ありがとうございました。
>紫蘭さん
おひさしぶりです・
> その本は知らないですが・・・っていうか見つけられなかったです(爆)
> かまくら出版から「法華経信仰の霊場 七面山」という本ならばありました
> 昭和58年発行なので、まだ入手できるかと思います(^^;)
かまくら出版の平成4年第2刷「法華経信仰の霊山 七面山」なら持っています。
類似の本があるようですので、同系列の本かもしれませんね。
ありがとうございました。
博識な方だと思いつつ、気軽に書き込みをROMさせていただいておりましたが、
有名な方だったのですね。

00189 00/04/01 11:54 きく               ホトケとは何なのでしょう・・・。
こんにちは、きくです。ずいぶん賑やかになりました。
 ホトケとは何なのでしょう・・・。
 お坊さんが自分の宗門の中だけや、他宗のことでも安全圏内だけで納得しあって
いても進歩ありません。また、勝手に自分の理論だけで、相手が理解できないでい
ると、法論に勝った、などといっていてもダメです。宗教が単なる倫理学でないの
は、そこでどのような内面の世界が開けてくるか、安心が得られるのか、解決され
てくるのか、そして外側にどんな影響を与えていくのか、それがなければいけない
と思います。
 はっきり言って、本当は、既成宗教は新興宗教に負けちゃったんじゃないですか。
歴史的権威や儀礼的な権威は、既成宗教の方にかないません。しかたないです。な
いんですから。ですが現代人の要求に既成宗教がなにを応えられたか、心細いです。
ただお墓という、人質みたいなものを取られていますから、あんまりお寺に文句を
言うと、何かの時、うんと高い供養料になってしまうことがあったら大変ですから、
みんな言えないのです。
 法事の形や、お坊さんの衣服の違いが、それが宗教の本質ではありません。なん
だかんだ言ったって、それをお釈迦様が決めたわけではないのです。白でも黒でも
黄色でも、色で成仏するのでしょうか。お経の音読の仕方の違いで、別の派が出来
たという、変な歴史もありますが、中国では違う音だし、インドではまた違うし、
要はお経の内容なのです。それがわかっているかどうかなのです。わかるとは体で
わかっているか、体験できたのかどうかでしょう。
 わざと古い格好して、草鞋を履いて山をかけずり回ったからよいというのではあ
りません。スニーカーでもいいのです。ジャージでもいいのです。感得した不動明
王の姿は、伝統的なあの絵画や彫刻の姿ではなく、抽象画のようなものかもしれま
せん。山の中でなくても、ビルの谷間の回峰行もあるかもしれません。鎌倉仏教の
祖師達のご本尊がきれいな図像や仏像ではなく、紙に文字で書いたものが多いのは、
それは形や色や豪華さではなく、精神そのものが大切だったからではないでしょう
か。
 こんな事を言うと、お寺が成り立たなくなってしまうかもしれません。でもいい
じゃないですか。そんなお寺はなくなってしまっても。○○宗□□寺という美術館
や、精進料理店なんかいらないのです。学僧も必要でしょうが、学者は学者なので
す。それを体験して伝えるお坊さんがいるところがお寺なのです。ビジネスとして
成り立つお寺などはどうでもいいのです。われわれに大事な人間のあり方を教えて
くれるところ。そんなところ・・・。
 宗門の方にはちょっと困る発言かもしれませんが、さて、そこで今日における、
ホトケについて、ご意見いただけませんか。既成宗教は新興宗教に負けちゃったん
じゃないですか、などと言ったので、わしゃ知らん、などと言われちゃったらしか
たありませんが、さて、ホトケとは何なのでしょう・・・。
00190 00/04/01 19:47 紫蘭               RE:00188 ぜんぜん有名ちゃいますよぉ(^◇
 どもっ (^-^)/>かみさん
>月イチ参りの方も多数いらしゃる山で、せいぜい年1・2度なので情けない物もあ
>りますが。
年に1・2度でも凄いです。。。未だに2回しかお詣りしてない奴 (;^_^A 
>かまくら出版の平成4年第2刷「法華経信仰の霊山 七面山」なら持っています。
>類似の本があるようですので、同系列の本かもしれませんね。
>ありがとうございました。
え゛っ・・・と思って、見直してみました・・・私の打ち間違いでした(爆)
同じ本です・・・す、すみませ〜〜〜〜〜ん m(__)m
>博識な方だと思いつつ、気軽に書き込みをROMさせていただいておりましたが、
博識じゃないです、モノ知らずで有名です(爆笑)<特に仏教オタクの仲間内では(^
^;)
>有名な方だったのですね。
ぜんぜん有名じゃないですよぉぉぉぉぉぉぉっΣ( ̄□ ̄;) がびーん
も・・・もしかして日蓮宗新聞の記事のせいですか?(^^;)
         紫蘭でした。 か し こ
00191 00/04/03 00:22 かみ               RE:00190 ぜんぜん有名ちゃいますよぉ(^◇
>きくさん
>  修験道の本ですが、東京堂出版から出ている『修験道辞典』(宮家準編)がわ
> かりやすいです。東京堂の本はもう一つ甘いのが難ですが、これはしっかりした
> 本です。やさしい本では学研の『修験道の本』があります。ホームページに「山
> 伏の館へようこそ」というのがあり、先達の方が詳しく教えてくれます。
>   http://www1.coralnet.or.jp/miko/
やさしい本、、、、ご紹介いただいた、学研の『修験道の本』を入手しました。
斜めに拝見すると、自分には、かなり難しいです(^^;
で、内容的には、目的とは違いますし、
内容的には数行あった七面山の記述は今までのイメージの物で、
ここ数日間で展開された会話とは違う物でした。
なお、山伏さんのイメージというと、富士山開山などで登られる姿や、
山開きの時に近所の神社で儀式をされるイメージがありましたが、
そちらの発祥等はこの本をもう少し読んでみます。
そう言えば富士博物館(公設の小さな博物館です)に先日行ったときに
役行者の木像のレプリカや、浅間神社の分布・行事を見てきたばかりで、
あ、あのことかな?、とは思い当たることがありました。
>紫蘭さん
> え゛っ・・・と思って、見直してみました・・・私の打ち間違いでした(爆)
> 同じ本です・・・す、すみませ〜〜〜〜〜ん m(__)m
いえいえ、、、実は、かなり似ているけど明らかに違うコピーを
拝見したことがありまして、、あ。それか、とは思った次第でした。
ま、他にもあるのだとは思います。
> ぜんぜん有名じゃないですよぉぉぉぉぉぉぉっΣ( ̄□ ̄;) がびーん
> も・・・もしかして日蓮宗新聞の記事のせいですか?(^^;)
だって、、、今までの書き込みしか読んでいませんが、
やはり詳しそうですし、参加各位だって、紫蘭さんなら、、、と
書いていますね。
で、日蓮宗新聞に執筆していらっしゃるのですか?、、、、
なぜか、その新聞、とある日蓮宗寺院の末端檀家の我が家に来ていますが、
(父親のところに来るわけで、ほとんどまじめに読んでいない物でm(._.)m ペコリ!)
気がつきませんでした。執筆のお名前等、差し支えなかったらお教え下さい。
あ、メールアドレスは kouyama@tokai.or.jp です
00192 00/04/03 15:40 川蝉               RE:00175 私もちょっと入れてください。
 きくさん今日は。
>たとえば七面山。身延はもともと修験道の山です。
七面山の麓近くにある赤沢部落に妙福寺があります。表参道の道中です。
妙福寺の伝えによると、元は妙福庵と云う真言宗の庵室であったそうですし、七面大
明神が祀られる以前に、池大神が祀られていたと云うし、山上に池もあるので神聖な
場所として、修験道行者に信仰されていた可能性は有るかも知れません。
しかし、身延山がもともと修験道の山であったと云う事は初めて聞きました。身延山
史も所有してないので解りませんが、何か資料が有るのでしょうか?。ぜひ教えて頂
きたいのですが。
00193 00/04/03 23:10 きく               RE:00192 要を得ませんが。
川蝉さん、こんばんは。きくです。
>七面山の麓近くにある赤沢部落に妙福寺があります。表参道の道中です。
>妙福寺の伝えによると、元は妙福庵と云う真言宗の庵室であったそうですし、七面大
>明神が祀られる以前に、池大神が祀られていたと云うし、山上に池もあるので神聖な
>場所として、修験道行者に信仰されていた可能性は有るかも知れません。
>しかし、身延山がもともと修験道の山であったと云う事は初めて聞きました。
 日本の山(本州以南)に純粋な原生林がないのと同じように、日本の山(本州
以南)に信仰の対象として人の踏み込まなかった山はないと言われています。修
験道を今日的な組織的な宗派宗教でとらえようとしたら、何らかの形で自称され
るものは、熊野、大峰、御岳、石鎚山、戸隠山、羽黒山、富士山、くらいしか残
りません。修験道は山岳信仰ですから、登拝して自然の霊気から感得する、神宿
る山が修験道の山なのです。
 ご存じかと思いますが、大峰山中に七面山があります。ただこの断崖の難所の
行場が何であったのかは、今日はわからないそうです。そしてそれが身延の七面
山とどうかかわるのかも今はわからないそうです。(宮家準)
 身延の七面山は中世は「なないたがれのたけ」、日蓮聖人の遺文の中にもたしか
あると思います。「なないた」は七面、「がれ」は崖です。
 身延の七面山は、日朗上人と南部実長が登ったということが、宗門の本の中に
あったのを見ましたが、縁起の多くが近世の創作あることが多く、実証的な裏付
け、宗教考古学的にどこまで遡れるのかは、正直なところわかりません。
 初期日蓮教団とそれから発展する(変化する)日蓮教団、そして近世の日蓮教
団の間には相当の差があるのではないでしょうか。荒行、団扇太鼓、日本の神の
容認、法衣の色、今日日蓮宗といわれる特定の宗派が、必ずしも最も初期日蓮教
団の面影を伝えているとは限らないと思います。それらは全くなかったのかもし
れません。
 甲斐地方、特に南部は室町から安土桃山まで、戦国時代にほとんどの宗教施設
が兵馬に蹂躙されたと言われています。威を張る大石寺ですら実は異なる場所に
あったと言われています。日蓮正宗は否定しますが、大石ヶ原は異なるところに
地名が残っています。大石寺の最古の建造物も近世のものです。
 さて、縁起が実証的にどこまで遡れるか、興味があります。身延はたしかに日
蓮聖人の最もゆかりのあるところですが、実証的にどの寺院の何が、どこが、と
言ったとき、特定のいくつかのもの以外は近世より遡れないのではないかと思い
ます。
 実はその寺院の名はあげられませんが、伝えはあっても、本当は違うようです、
と言う話を当事者からお聞きしたこともあります。ただ、それだからと言って、
信仰が成り立たないわけではありません。
 残念ながら、たとえば七面山の修験道の施設は、ありません。それは修験道と
いう形態が施設をもって存在する形式ではないからです。板碑や銅鏡の一つでも
あればよいのですがね。ただ「七面山」、「池大神」の名称が、なぜあるのか、そ
れが七面山が修験道の山であったことの痕跡であったと思います。(多くは仏教、
神道に吸収されてしまいます。)
 妙高山も飯豊山も伊吹山も両神山も、みな同様です。
 付近に密教の寺院がある場合は、間違いなくそだと言われています。。
 ついでですが、名称(古称)による論証が民俗学の重要な手がかりとなります。
 要を得ませんが。
00194 00/04/04 06:29 きく               (発言者削除)
00195 00/04/04 06:40 きく               (発言者削除)
00196 00/04/04 06:44 きく               RE:00192 付け加えて
きくです。とりいそぎ付け加えて。
 中世の甲斐修験道は奥秩父の金峰山が最も重要視されたそうです。ただし、その
性格上今日その跡を残すものは、金峰山の名と、かすかに残る山麓の神社の民間行
事だけらしいです。
 名称は重要で、神仏、宗教、神仏具、大峰等の霊場、金峰、富士、山伏、天狗、
権現、王子、天、峰、熊、その他日月等の天文地象の名(地名)が付近に複数あれ
ば、 それは何よりの痕跡と認めてよいそうです。赤沢の古名は閼伽沢かもしれませ
ん。 この山域にこれらの名称が他にありませんか。(半径約10〜20km程度の
範囲でよいと思います。)それから、大峰に他からついた名称はあまりなく、大峰か
ら他の地域へ名称がつけられる、と言うのが一般的だそうです。
 (この場合、獅子舞、湯立て、天文地象に関係する行事、などが伝承されているこ
とが多いそうです。古い獅子舞はありませんか。)
 余談ながら、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、神道の祈祷の作法と、山伏の祈祷の作法
と比較されるとビジュアルなことで大変興味ある事柄があるそうです。
 あまり言い過ぎないでおきます。
00197 00/04/04 12:07 川蝉               RE:00196 付け加えて
 きくさん今日は。
早速の、それも丁寧なレスを有り難うございます。
> 赤沢の古名は閼伽沢かもしれませ ん。 この山域にこれらの名称が他にありません
か。>(半径約10〜20km程度の> 範囲でよいと思います。)
七面山の周りの地名ですが、赤沢のほか、角瀬、高住、久
田子、雨畑、薬袋、管弦か島、経か島、等があります。
「七面大明神縁起」(七面大明神奉賛会発行)に、身延の室住一妙教授が「伝説・縁
起とその考証」の結びの中で、
「七面山は甲春駿の境近く二里にわたる山。山頂に数池あって、奇勝霊気は自ずから
凝って池の神というようなものも祭られるに至った。平安時代の中末、弁財天信仰に
まつわる姫君説話が出る。之は山岳信仰と人間神との結合とみられる」
と述べてあります。
日蓮聖人当時以前に、七面山には、山岳信仰の形態の一つとしての池の神の信仰があ
ったと云う事のようですね。
姫君説話とは日蓮聖人より二百年余りのむかし、京都の公卿の姫が業病にかかり、厳
島明神の「甲斐の国波木井郷の水上に七つ池の霊山あり。その水にて浄めれば平癒せ
ん」とのお告げを受けたと云う説話です。
地名の薬袋、管弦か島、経か島、等はこの伝説に関係したものとされているようです。
00198 00/04/04 12:34 紫蘭               RE:00191 墓穴堀り(爆)
 どもっ (^-^)/>かみさん
>いえいえ、、、実は、かなり似ているけど明らかに違うコピーを
>拝見したことがありまして、、あ。それか、とは思った次第でした。
失礼いたしました m(__)m
>だって、、、今までの書き込みしか読んでいませんが、
>やはり詳しそうですし、参加各位だって、紫蘭さんなら、、、と
>書いていますね。
いや・・・たぶん・・・本がウチにあるのと、調べるだけの時間がある
暇人ということだけだと思います(^^;)
皆様が言ってくださることによって、調べられて知ることができますので、
本当にかえって、ありがたいと思っておりますm(__)m
>で、日蓮宗新聞に執筆していらっしゃるのですか?、、、、
Σ( ̄□ ̄;) がびーん・・・墓穴を掘ってしまいました(爆)
あのあおり記事で身内からツッコミをいただいているので・・・
つい過敏反応をしてしまったですぅぅぅ(^^;)
気の迷いです、目の錯覚です・・・ってことで・・・....゛(ノ><)ノ
        紫蘭でした。 か し こ
00199 00/04/04 18:55 きく               RE:00192 さらに付け加えて
きくです。さらに付け加えて。
 かみさん、川蝉さん、いろいろ話に乗ってくださって、ありがとうございます。
 箱根神社の神職の方とお話して、今帰ったところです。 箱根修験のことをお聞き
ました。いつ栄えていつ何によって消滅したのか。神職の方にもいろいろあって、
修験道をよく思わない立場の方もいれば、修験道に対して好意的な立場の方もあり、
現在一つのような神道も、仏教の宗派のように様々だそうです。
 その神職の方は、秀吉の北条攻めのさい、箱根神社は焼き討ちにあい、各地に逃
げた修験者の流れの末裔が、今日でも絶えずにあることを話してくれました。実は
七面山の話をどう思うかお聞きしたかったこともあります。
 昨年、役行者の1300年祭があったそうで、東武美術館で大規模な美術展があっ
たそうです。今年は関西であるそうです。ヒントになるものがあるかもしれないの
で、ぜひ行かれるとよいとのことでした。
 七面山の修験道の痕跡について、東京堂出版の『修験道辞典』の解説が、簡潔で
わかりやすいです。この本は前にもお話ししましたが、東京堂に似合わずしっかり
した本で、学問的な調査の方法、それによる確認、地図、図表、等、参考になると
思います。
 七面山には中世、小祠があったことが記されています。日蓮聖人とこの山の七面
天女の伝承(いわゆる縁起)が成立するのが近世初頭と言っています。修験道の行
がそのまま日蓮宗の行に移行し、唱題、滝行、登拝、となった、と言っています。
 宮家準の解説です。
 中富町の真言宗醍醐派大聖寺が、今日でも甲斐南部の修験道を伝えているそうで
す。
 全国の修験道の地図も参考になります。
 七面山の10キロ四方に、修験道特有の名称はハイキング用の地形図でも容易に
見つけられると思います。(「段」は「壇」です。)古式の獅子舞もあると思います。
 五来重編の「山岳叢書」(昭和53年頃)にきわめて精緻な調査と記録があります
が、私は関西編しか読んでいません。もし中部編があれば参考になると思います。
 七面山の縁起については、宮崎英修の『七面山』があり、宗門の側からの考察で
す。
 蛇足ですが、七面天女の本地は吉祥天。竜王が父、鬼子母神が母、毘沙門天の妻と
されます。日蓮宗の教義に移行することには容易であったのかもしれません。
 専門家ではないので、私の知る範囲はこの程度です。
00200 00/04/04 19:11 きく               RE:00197 ありがとうございます
川蝉さん、こんばんは。
 どうもありがとうございます。いま箱根神社から帰ったところです。
>七面山の周りの地名ですが、赤沢のほか、角瀬、高住、久
>田子、雨畑、薬袋、管弦か島、経か島、等があります。
 ありますね。そして、峰続きに山伏岳、大天狗、小天狗。月夜の段、蕨段、段
は壇、護摩壇の壇です。富士川の対岸にはまだあります。やはり地名としては多
いです。
 
  さらに付け加えて、として書きましたので、見ていただければ幸いです。
 

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