平成23年3月22日(火)
念願叶ったアウシュビッツ訪問
昔からアウシュビッツに来たいと思っていた。24年前の旅行でミュンヘンを訪れたときにダッハウ強制収容所に行きたかったが
、当時は情報がなくレンタカーにも関わらず行けなかった。そこへ、今冬になって息子がアウシュビッツに行きたいという言葉が端緒となって思いがけず現実となった。
来たかった理由
何故、昔からアウシュビッツやダッハウに行きたかったか? 問われるとわからない。子供の頃は戦史が好きだった
かも知れない。しかし、真珠湾攻撃、ノルマンディー、バルジ大作戦の戦場跡を訪問したいかというとそれほど行きたいとは思わない。強いて言えば、人類史に残る大事件が起こった場所だからだろうか。
オランダの風車、マッターホルン…と同様に、私が青年期から思っている、ヨーロッパで訪れるべき場所の一つである。
旅行前に知った「アウシュビッツにガス室はなかった」説
平成7年の阪神大震災と時を同じくして、「マルコポーロ事件」があったそうだ。震災で被災して、後片付けに追われ、持病が悪化した私はそれどころではなかった。「マルコポーロ事件」について知らなかった。その当事者たる西岡昌紀先生の論文をインターネットで読んだ。
そのことを検証しに行くつもりは全くなかったが、これを読んでしまうと「アウシュビッツにガス室はなかった」説を意識せざるをえなくなってしまった。
総じて
甚大な数のユダヤ人がアウシュビッツとビルケナウあるいは第三の収容所に連行され、非人道的な扱いを受け、そして
無念のうちに死んでいかれたことは事実である。彼らに心から手を合わせて菩提を弔いたい。そして、繰り返してはならない負の遺産がここにあり、私たちは教訓として次代に伝えて行かなくてはならない。
ただし、その伝承は事実に基づいた客観的なものでなくてはならない。そのための検証は必要である。
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