平成22年8月26日(木)
マッサージ
さて、ブラショフのホテルに着いたが、観光は翌日にした。
キャピトル・ホテルは外観はたいしたことないが、中は快適であった。マッサージを受けることにした、ガイドさんから説明を受けて、部屋の説明書を読まずにマッサージにむかった。これが間違い。
まず、ロッカーの鍵をあずかったがロッカーには着替えが入っていない。どうも、水着に着替えないといけないみたい。部屋まで水着を取りにもどり、順番が来るまでプールで泳いだりしていた。奇麗だがカルキの強いプールで、少し泳いだだけ。
順番が来ると女性が呼びに来た。ドイツ系ザクセン人のマッサージ師が「ドイツ語話せるか?」と英語で訊いてきた。ドイツ語は冠詞まで変化するから、憶えられなかったと説明したりして、他愛のないことを片言の英語で話しながらマッサージをした。
ここのマッサージはオイルによるマッサージだった。これは水着でないとできないはずだ。メンソレータムみたいな臭いのオイルをいっぱいかけられ、背中、足、肩、首筋、胸と腹とマッサージした。日本みたいに指圧ではなく、オイルで擦って熱を出したり、指などで抑えたまま移動させるようなマッサージ。肩や肩胛骨あたりになると、何かストレスがあるのかと訊かれた。答える前にコンピューターか?と訊かれた。イエスと答えたが、実際は16時間労働が続いたことが大きい。
マッサージが終わって、慌てて水着を取りに行ってチップを忘れたことを詫びた。30分の約束なのに40分以上して下さった。「No
problem」とは言って下さったものの申し訳なかった。
マッサージ師の指示で10分間ドライのサウナに入れと言われた。これも想定外。レーシック手術の後のサウナは禁止のはずである。ここでは資料がないのでずっと禁忌なのか、術後5ヶ月なら大丈夫なのかわからなかった。ともかく、サウナでは眼を閉じ、目を開けるときは薄目にして、しかも10分ではなく約5分にした。
まず入ったサウナ室は電源が切られていた。もう一つサウナ室があるのに気づいて入った。久しぶりのサウナである。2〜3分した頃に、先程のマッサージ師がサウナ室の設定を確認しに来た。さすがザクセン人。
サウナ室に砂時計があるのを知らなかったので、最初は自分で数を数えて入った。まあともかく、次回ヨーロッパでマッサージを受けるときはもっとスマートに受けることができるだろう。
夕食
この高級ホテルのレストランで食べようかと思っていたが、ガイドが外に美味しいレストランがあると提案された。まだ、ブラショフに着いて外に出ていなかったので、
Muresenilor 通りの真っ赤な建物のレストランに入った。スモークサーモンのスープは私にとっては珍しかった。ロゼのスパークリングワインを
開けて、そこそこ美味しい料理を食べた。400レイくらいだったか。
ただ、娘はスープを飲んだあたりから気分が悪くなり始め、翌朝嘔吐するまで震えが来ていたそうである。私は嘔吐こそしなかったが、翌日一日は私も体調を崩し、下痢、胃痛、発熱、関節痛、頭痛で
大変だった。
平成22年8月27日(金)
腹痛と下痢で朝食ぬき
朝から腹痛と腹痛がひどく、胃薬もビオフェルミンも効かなかった。いや症状を和らげていたかも知れない。ともかく朝食はぬいて、ガイドさんとの約束の時間まで寝ていた。娘は38度くらいの発熱があった。私はこの時点ではまだ発熱がなかった。
ブラショフ散策
娘は部屋で寝ているというので、私だけガイドさんとともにブラショフの散策に出かけた。ジプシーの露店は準備途上であったが見るべきものはなかった。県庁舎前のビルには
共産独裁政権からの自由化の時に、警察官が民衆に向けて発砲した弾痕があった。●通りを広場に向かってあるいていると、よくあるヨーロッパの石畳の道であるが、やはりルーマニアらしいユニークな建物があって面白かった。
ポカリとビオフェルミン
私の症状は腹痛と下痢だけだったが、この頃から熱がでてきて関節痛がでだした。ガイドさんの歩く速度についていけなかった。ホテルの帰り道、下痢の脱水症を防ぐためのポカリスエットか類似品がないかガイドさんにスーパーで訊いてもらったがなかった。日本から持参したポカリスエットの粉末は残りわずかであるが、なんとか凌ごう。ポカリスエットは必須ではないが、娘と私の二人で飲んでいるので持参したビオフェルミンが底をついてきた。薬局でビオフェルミンがないか調べたがなかった。水煮とかして飲むという止瀉薬を念のため購入しておいた。
ともかく11時まで娘も私も寝てから出発し、車中寝て、シギショアラでは更に寝ることにした。そして、娘も私もこの日は、朝食も昼食も夕食も抜くことにした。
|