〜 ブッダガヤ 〜
【釈尊成道の地】
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DATA: Nikon D70 , AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm F2.8D
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仏陀伽耶 Buddhagaya。お釈迦様が悟りを開かれた場所。お釈迦様の四大仏跡の一つ。尼連禅河(パルグ川)の畔にあり仏教徒巡礼の中心地。高さ50mの大塔を中心に、西側に菩提樹と金剛宝座ある。
前正覚山
小さなストゥーパ群お釈迦様が6〜7年にわたり苦行をした山。出家したお釈迦様は伝統的なバラモン(婆羅門)の修行をせず、自由な沙門の道を歩んだ。アーラーダ・カーラーマ、ウドラカ・ラーマプトラという聖仙のもとで修行し、その目的とする境地を体得するも満足しえなかった。そこでこの山林に籠って断食などの苦行をした。しかし、悟りは得られなかった。
小さな仏舎利塔(ミニ・ストゥーパ)は個々人の信心の表現であり、それ自体に仏舎利(釈迦の遺骨)や神聖なものは具わってない。仏教の僧、巡礼者、在家信徒は、利益を得るために、仏教の神聖な場所に奉納された仏舎利塔を持っていた。
●2/18(金) つづき
前正覚山
喧噪のガヤを通過して、ネーランジャラー川沿いにブッダガヤを目指す。途中、お釈迦様の苦行された霊蹟たる前正覚山を車窓から眺めた。その場所から、スジャータの村まではかなりの距離である。意外だった。
着いたホテルはスジャータホテルである。入ると花のレイを首に掛けて戴き、お手ふきのサービスを受けた。
日持上人がこんなところに・・・
入口右側には大きな釋尊像があり、さらにその左右にはお曼荼羅本尊があった。そして、海外布教をされた日持上人の位牌。あとで、聴いたことだがこれは一昨年遷化(他界)された三木随法師の関係するものであった。三木随法師には大変お世話になり薫陶も戴いた。有り難い御縁である。
後日、添乗員さんが言っておられてなるほどと思ったが、太古から天竺(インド)に憧れた僧侶は多くとも、天竺に日本の仏法を弘めようとされたのは鎌倉時代以前には例のないことで偉大である。とのことである。
とのことであるとは不勉強に聞こえるが、私としては日持上人の伝道の旅はハッキリしないことが多く、断定的に語ることができない。それを、断定的に語って下さったのは嬉しかった。
マハー・ボーディー寺院
ホテルで遅い昼食を取ったが、さすがにビールは遠慮した。これからお釈迦様が悟りを開かれた成道の霊蹟を参詣するのである。
参道左側で靴を脱いでマハー・ボーディー寺院に参詣する。「地球の歩き方」に載っていた工事の足場はまだ残ったままだ。残念。
何かで裁判が起こって工事が停止したままだとか、そういえば足場に作業員はいなかった。
階段を降りて、マハー・ボーディー寺院の屋内に入って一読した。この霊場が醸し出す雰囲気に思わず道場偈という声明を唱えたくなり唱えた。そして自我偈・唱題の簡単な法要をした。他にもたくさんの団体があり、いろいろな仏教とが瞑想し右遶し五体投地をしている。簡要な法要となった。
私にとって目的はこの伽藍と後ろにある菩提樹だけである。マハー・ボーディー寺院にはいろいろないわれがあるが、ガイドさんの説明よりも写真撮影に専念した。
ブッダガヤの物売り
マハー・ボーディー寺院でも、バスからマハー・ボーディー寺院の道中物売りがついてきた。ところが普通の物売りとは違う老年の域のおじさんが2〜3名随行した。他の物売りとは違い、マハー・ボーディー寺院の中まで入ってくる。最初は物売りかと思って相手にしなかったが、やたらと親切でいろいろガイドして下さる。ものを売りつけたりしない。私も話をするようになった。ところが、このおじさん達も小さな土産店の人だった。しつこくもなく邪魔でもなく、むしろ助かったので参拝後気持ちよく土産物を買った。といっても彫刻を施した香合と菩提樹の葉に何らかの処理をしたもので2000円の買い物であるが・・。
マハー・ボーディー寺院では物売りと旅行社で協定があるようだ、マハー・ボーディー寺院の中では物売りをしない、そのかわり旅行社は土産物店界隈で10分の自由時間を作れというものらしい。
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