インド四大仏跡を巡る旅

〜 クシナガラ 〜


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バス車内 エアコンを入れると寒い 子供の服装をみてもビハール州より裕福そう
モハラムとかいうイスラムのお祭りらしい 大勢の人でごった返し 市あった
通過する村ごとに御輿があった とてもカラフル
何が奉ってあるのか確認できなかった 日本の御輿よりは軽そう
露天の店もたくさんあった やっとクシナガラ到着 夕刻だった
ストゥーパは完全な土饅頭型ではない
窪みは欄干の中の回廊か
ストゥーパの近くにも遺跡らしきものがあった
ラーマバール・ストゥーパ お釈迦様の荼毘所跡である
お釈迦様の遺跡のストゥーパにしては こじんまりしていた
整備しすぎの感がある 信仰の霊跡としてのたたずまいが欲しい
解説は拡大して読んで下さい 解説文
涅槃像のあるお寺へ ミャンマー(ビルマ)のパコダが正面左側に見えた
涅槃堂 あまり重みのない建物だった

レンガの遺跡に囲まれている 沙羅双樹で有名な沙羅の木
遺跡のなかの沙羅双樹 往時このあたりは沙羅の木の林だった
小さなストゥーパ跡? 不詳 行進する僧侶たち
遺跡を行く僧侶 涅槃堂の玄関 子供のお坊さんもいた
全長6mの涅槃像 5世紀初頭 参詣者が絶えない
供物は頭部、灯明と香は胸のあたりだった 僧侶達の前を右遶する韓国の在家信徒
大き過ぎずちょうどよい大きさの涅槃像だと思った 私もこうやってたたずんでいたかった
拡大して解説を読んでください 最期の説法跡にある鉄筋の建物

内部の仏像 降魔印 黄昏どきで幻想的だった
こちらの付近にも遺跡らしきものがあった ホテルの中庭にて

(C)2005 Eisai Ishibushi ALL RIGHTS RESERVED
DATA: Nikon D70 ,  AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm F2.8D
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【解説】

クシナガラ

 お釈迦様が入滅された地で四大仏跡の一つ。

 拘尸那掲羅と音写される。入滅の地については異説があったが、5世紀の銘のある涅槃像、大涅槃寺の銘のある古泥印、涅槃塔から銅板が出土したことからこの地が涅槃の地とされる。周囲には後世の僧院遺構がある。

 クシナガラはお釈迦様の時代の十六大国の一つであるマッラ族の都だった。この国はお釈迦様の当時は二つに分裂していたが、何れも共和制であり、集会によって治められていた。マッラ国はやがてマガダ国に滅ぼされる。

 この地は当時沙羅の林だった。故郷を目指して北上していたお釈迦様もついにこの地で動けなくなり、娑羅双樹の下で頭を北に向け右脇を下につけて入滅したという。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」(『平家物語』冒頭)

お釈迦様の入滅

 お釈迦様の最期と葬送の模様は南伝の『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(大般涅槃経)』に詳しい。これは大乗の『大般涅槃経』とは別のものである。
 霊鷲山に居られたお釈迦様は生まれ故郷を目指して旅立たれる。阿難尊者を従者として、パトナ、ヴァイシャーリーなどを経由して、途中のクシナガラにで入滅してしまう。その道中に、さまざまな法話をし、有名な「自灯明・法灯明」などを説いた。

 お釈迦様はパーヴァーの町の鍛冶工の子、チュンダの供養するスーカラ・マッダヴァ(sukara maddava)を食べて激しい下痢をおこした。スーカラ・マッダヴァとはキノコの一種であるが、豚肉という意味もある。このあたりは「ブッダ最後の旅」中村元訳(岩波文庫)P259に詳しい。

 クシナガラの沙羅林に入ったお釈迦様は「アーナンダ(阿難)よ、私のために沙羅双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いてくれ。私は疲れた。私は横になろう。」そう言って右脇を下にして、足の上に足を重ねて禅定に入り、やがて入滅されたと伝わる。

お釈迦様の葬送と分骨

 葬儀は当地のマッラ族によって行われた。遺体には幾重にも布が掛けられ、舞踊、歌謡、奏楽、香をもって6日間供養された。7日目、摩訶迦葉(マハー・カーシャパ)の到着を待って、マクタバンダナ・チャイトヤ(天冠寺)にて香木によって火葬された。

 お釈迦様の遺骨(sarira 舎利)は八分割され、八基のストゥーパが建立された。当初、マッラ族は舎利の分配を拒否し争いも生じたが、最終的には円満に分配された。

マガダ国(摩竭提国) 阿闍世王(アジャータシャトル王)
ヴァイシャーリー リッチャヴィ族 アビシェーカ・プシュカルニー
カピラバスト 釈迦族 ピプラハワ
アッラカッパ ブリ族
ラーマグラーマ コーリャ族
ヴェータドゥヴィーパ バラモン
パーヴァー マッラ族
クシナガラ マッラ族

 上記のうち現在も明かなストゥーパは二基だけである。
 およそ100年後、インドを統一したアショーカ王によって舎利は更に分割されインド全土にストゥーパ(仏舎利塔)が建立され、仏教が全インドに弘まる大きな糸口となる。


【旅行記】


●2/20(日) つづき

モハラム

モハラムというイスラムお祭りがあった。車窓から見ただけなので詳細は解らないが、ウェディングケーキを数メートルの高さまで大きくして、ピンク色にしたような御輿(みこし)があり、たくさんの人が集っていた。通過したいくつかの村や町で見られた。

6時間の行程

 ベナレスからクシナガラまでバスで6時間の行程である。昼食や休憩を入れると9時にベナレス発でクシナガラ着は夕刻の5時30分だった。300kmあったとしても高速道路があれば3時間の行程であるのに・・・。

 しかし、クシナガラに近づくに従って、日に日に弱り行くお釈迦様の容態を考えたりした。

今回のツアーではお釈迦様が美しいと感嘆されたバイシャーリーに行けなかったのは残念である。日程上仕方ないが・・・。また、現在の現地に実際に行くよりも往時を創造した方が良いかも知れない。

 道中、2〜3ヶ所検問所か料金所があった。幾多の見知らぬ街を抜け、広大な田園地帯を抜け到達した。どこまで行っても人が絶えない。いつまでも手の行き届いた田園が広がり、どの街も活気にあふれていた。

 気づいたことであるが、クシナガラに向かって北上するに従い街がきれいになった気がする。目が慣れてきたのか、ベナレスがあまりにゴチャゴチャしすぎているのか。あるいは、林があるせいだろうか。この林を見るとホッとした気分になった。古代はどこまでもジャングルだったに違いない場所を開墾し尽くしたのだろう。
 一見、田園が広がり豊かな大地であるが、開墾し尽くされた風景は自然ではなく人工のものである。虎を頂点とする生態系はどこに行ったのだろう。

クシナガラ

 クシナガラに到着したのは夕刻である。

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