生誕
お釈迦様が生まれ活動された地域は東北インドで、ヒマラヤ山脈の南方です。
生まれた場所は現在のネパール領のルンビニー(Lumbini)という場所です。母マーヤ(摩耶)が里に帰る途中、産気づいてこのルンビニーにて生誕されたそうです。
釈迦族の王子として
お釈迦様の国は、カピラバスト(Kapilavastu)といって、インドとネパールの国境あたりに位置しま
した。ネパール中南部のティラウラーコート(Tilaurakot)、あるいは北インドのネパール国境近くウッタル・プラデーシュ州バスティ県のピプラーワー(Piprahwa)の両遺跡がカピラバストと推定されてきましたが、最近では発掘された舎利容器の銘文などによって、後者ピプラーワー(Piprahwa)が有力視されているそうです。
成道
お釈迦様は王子として何不自由のない生活をされていたようです。しかし、その生活を捨てて29歳で出家されます。仙人のもとで修行したり、苦行をされたりしましたが悟りは得られませんでした。そのような修行を捨てて、35歳の12月8日ブッダガヤ(Buddhagaya
仏陀伽耶)で悟りを開かれました。
初転法輪
お釈迦様はその悟りの内容を、かつて一緒に修行した5人の比丘(僧侶)に説きます。この最初の説法(初転法輪)はベナレス(Benares)郊外にあるサルナート(Sarnath
= ミガダーヤ Mrgadava = 鹿野苑[ろくやおん])にてなされました。
活動地域
先述のとおり、お釈迦様は東北インドで活躍されました。なかでもマガダ国(Magadha)で迦葉、舎利弗、目連など多数を弟子にし、更にはマガダ国のビンビサーラ王(Bimbisara)の帰依を受けました。古代インドで強大だったマガダ国の国王の帰依を受けたことは、その後の仏教が確固たる地位を築き発展する大きな礎となります。
マガダ国の首都は王舎城(おおしゃじょう = ラージャグリハ Rajagrha)といい、現在のインドのビハール州首府パトナから約100kmの地にあるラージギール(Rajgir)です。霊鷲山(りょうじゅせん
= Grdhra
kuta)など五山に囲まれたカルデラ地帯で温泉もあります。お釈迦様の当時は、マガダ最大の都として文化的・経済的に栄えていました。お釈迦様が最も長く居住した場所であり、そこにある竹林精舎(ちくりんしようじや
Venuvana vihara)や霊鷲山などで多く説法をされました。多くの仏教経典の冒頭をみればここで説かれたことになっています。
なお、『平家物語』の「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり」で有名な祇園精舎(Jetavana Anathapindikarama)ですが、古代インドのコーサラ国(kosala)の都の舎衛城(しゃえいじょう
Sravasti シラーヴァスティー)にありました。
最後の旅
人は晩年、故郷を思い故郷を目指すものなのでしょうか。お釈迦様もマガダ国から故郷を目指して旅をされます。その旅の進路は、『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』(Mahaparinibbana
suttanta 南伝『大般涅槃経』 だいはつねはんぎょう)というパーリー語の経典によると、マガダ国の霊鷲山や王舎城を起点に、ガンジス川を渡り、ヴァッジ国を経て、マッラ国のクシナーラー(Kusinagara)に至ります。このクシナーラーの沙羅林でお釈迦様は最期を迎えられました。
ではお釈迦様は何を説かれたのでしょう。これは宗派や学派によって見解の相違するところで、どれが本当なのだろうということは古来問題とされてきました。中国を経由してきた漢文資料や宗派学派の伝承のみによらざるをえなかった時代と違い、現在はインド仏教学により学術的な研究が進んできております。
お釈迦様の入滅後500〜1000年以上も後に、距離的にも文化的にも遠い中国で翻訳された漢文経典だけをもとにお釈迦様の説かれた真相を考察することには無理があります。ただでさえ、漢訳は直訳ではなく意訳で、もとのサンスクリットを同定することは困難です。そもそも、翻訳の底本にしたサンスクリット原典を残さなかったようです。
漢文よりもインドの言語で説かれたもの。そのインドの原典の中でも最古層に属する経典から、お釈迦様の本来の姿を推測する必要があるようです。そのことの詳細は次の原始仏教にて述べます。
ここではお釈迦様の仏教について概略を用語をもとに箇条書きにして説明します。
四苦 (四苦八苦)
「苦」は duhkha
(ドゥフカ)というサンスクリットを漢訳したものです。原義は「思いどおりにならない」ということです。
四苦は「生老病死」の苦しみです。どのような境遇に生まれるか思い通りになりませんし、生まれた限りは、老いたくなくともいつかは老い、病気になりたくなくともいつかは病気になり、死にたく無くともいつかは死なねばならない。そんな「思いどおりにならない(duhkha)」苦を四苦といいます。
四苦八苦の「八苦」は四苦(生老病死)に、怨憎会苦(おんぞうえ = 憎い者と会う苦しみ)、愛別離苦(あいべつりく = 愛する者と別れる苦しみ)、求不得苦(
ぐふとくく = 求めても得られない苦しみ)・五取蘊苦(ごしゅおんく = 五盛陰苦・五陰盛苦 = 迷いの世界として存在する一切は苦しみ)を指します。
このような苦しみに対して教えたのが次の四諦(したい)です。
四諦・八正道
四諦(したい)はお釈迦様が菩提樹の下で悟りを開かれたときに悟られた内容だといわれます。
四諦の「諦」は「あきらめる」という意味にとられますが、このように意味を取るのは漢字文化圏でも日本だけのようです。「諦」は真理のことです。
四諦は「苦集滅道」という4つの真理をあらわします。
「苦諦」 私たちの生存は生老病死などの苦しみに満ちているという真理
「集諦」 苦しみの原因は煩悩にあるという真理
「滅諦」 煩悩を原因とする苦しみを滅し(止め)た境地が理想だという真理
※1
「道諦」 そのためには八正道を実践しなければならないという真理
八正道(はっしょうどう)とは苦を滅するための八つの正しい実践徳目を言います。「正」の意味は正悪の正ではなく、完全なという意味です。
「正見」 |
正しい見解 |
「正命」 |
正しい生活 |
「正思」 |
正しい思惟 |
「正精進」 |
正しい努力 |
「正語」 |
正しい言葉 |
「正念」 |
正しい心の落着き |
「正業」 |
正しい行い |
「正定」 |
正しい精神統一 |
これらはお釈迦様の最初の説法(初転法輪)において説かれたと伝えられます。苦行でも快楽主義でもない中道の具体的実践方法でもあります。
三法印
仏教の特徴をあらわす三つのしるし。
(1)諸行無常 あらゆるものは変化してやまない
(2)諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しない
(3)涅槃寂静 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである
諸行無常は、あらゆるものは絶えず変化してやまないことをいいます。『平家物語』の冒頭で有名です。
「祇園精舎の鐘のこゑ、諸行無常のひびきあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる者もひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ、ひとへに風のまへのちりに同じ。」
諸法無我は、因縁によって生じたもので実体がないという意味であって、有我説のバラモン教に対して仏教は無我説を主張しました。常に同一の状態を保ち、自らを統制できる力をもつ「我
atman」は存在しないと仏教では考えます。また、無我は非我(我にあらず)というニュアンスがあるそうです。自分の命も、自分の財産も、すべて自分のもののようであって自分のものでない、因縁に翻弄され思うようにならない苦しみがつきまといます。
涅槃寂静は、仏教の理想の境地をいいます。無常であり、無我であるのが、ものの真実の姿で、それを認めないところに苦が生じるということになりますが、そのような迷妄が消えると、静かな安らぎの境地に入ることができ、それが仏教の理想とするところです。
煩悩
そもそも煩悩とは何でしょう。除夜の鐘は108回で、それは煩悩の数だということは有名ですが、煩悩の根本は3つあります。それを三毒といい、貪瞋癡をいいます。
貪欲 むさぼること
瞋恚 怒ること
愚癡 無知でおろかなこと
煩悩の原義は klesa (苦しむ心)で、私たちを悩まし、害し、間違いに導く不善の心を煩悩と呼びます。
無記
お釈迦様は人生問題の解決に直接役だたない形而上学的問題について質問されても、あえて解答せず判断をしませんでした。
お釈迦様は、他の思想家達から、世界の常・無常、有限・無限、霊魂と身体との同異、死後の生存の有無など14の形而上の質問され討論をのぞまれても沈黙を守ってあえて回答されませんでした。
また、『マッジマニカーヤ』63経には、弟子からの形而上の質問に対して答えないことを「毒矢のたとえ」※2をもって回答しています。
論理性・脱神秘性
宗教というと神秘的で不思議なもの。論理では語られないものという認識が一般にないでしょうか。インド土着の宗教であるバラモン教もその範疇です。ところが、歴史上のお釈迦様は神秘主義を克服し正しい論理を身につけることを説かれました。
のちの仏教も論理的に教義を体系化し、仏教哲学の体系を構築します。
平等
インドは四姓制度の国です。バラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王族・武士)、ヴァイシヤ(庶民)、シュードラ(隷民)に大きく分けられた身分制度が古代より現代に至るまで続いています。お釈迦様はこの四姓制度を仏教教団内(修行僧の集まり)に持ち込ませませんでした。
因縁
仏教では因・縁・果・報ということを説きます。原因があって、それに間接的に作用する縁があって、結果があり、報いがあります。因・縁・果・報から因縁の他に、因果、果報があります。
因縁によってものごとの生起することを縁起といいます。「因縁生起」という言葉を略して縁起といいます。縁起(因縁生起)は一切の現象はすべて因(hetu
直接原因)と縁(pratyaya 間接原因)との二つの原因が働いて生ずるとみる仏教独自の教説でです。
一切の現象はこういった因縁の相互関係の上に成立しているから、固定的実体や不変といったことはあり得ない。「無我」であり「無常」です。そして「空」なのです。