この日は、朝7:43のチェスケー・ブディヨヴィツェCeske Budejovice 発の急行に乗ってプルゼニュPlzenに向かう。
ホテルの朝食は7時からなのでパスしようと思って申し出たら、ホテルの方で朝食の弁当を作ってくれた。そして、積雪の交通への影響を訊いたら No problem ということ。そしてチェスケー・ブディヨヴィツェまで1時間強を要する列車よりも、所用35-45分のバスを勧めてくれた。6:30発のバスも、6:40分のバスも7:15にチェスケー・ブディヨヴィツェに到着する。後者を考えたが、前者に乗ることになる。観光客用のバスではなく、通勤通学用のバスである。重く大きなボストンバッグを3つも持っている私たちは場違いで迷惑な存在だったかも知れない。いや・・そうだ。
チェスキー・クルムロフから
チェスケー・ブディヨヴィツェへ向かうバスに乗るチェスケー・ブディヨヴィツ発の急行に乗ってプルゼニュへ 途中見かけたローカルな車両 広々とした農地 プルゼニュに着いたが出口はどこ? 私たちを運んでくれた機関車 バスも鉄道も意外に定刻通りだ。何の不安もなく、チェスケー・ブディヨヴィツェCeske Budejoviceを 7:43 に出発するプルゼニュPlzen行きの急行(660b)に乗る。
プルゼニュPlzen の駅は無事に降りたが・・・いったい何処? 駅員の女性に訊いたが皆目英語が通じない。Where is exit ? という英語も通じないのだ。でも、彼女は親切だった、英語の解る発券業務の職員のところまで私たちを連れて行ってくれた。それで一件落着。駅からホテルまで近いが、ボストンバッグがあったのでタクシーに乗った。150Kc くらい払ったら喜んで?行ってくれた。
ホテルは予約していなかったが、Interhotel Cntinental にしようと思っていた。駅から近く、旧市街にも近く、Pilsner Urquell の工場にも近いという立地。そして、何より無国籍のホテルは私の一番嫌うところであるからこのホテルとなった。
さて、実際に写真の如く外見は素晴らしいのだが、部屋は作り(修理?)は古くそして荒く、家具もかなり傷んでいる。身長171cmの私でも窮屈に感じるギシギシいうベッド。何より立派な建物からして極端に狭いロビー。でも私は満足だった。価格の安さも魅力だが、天井は高く、朝食も十分美味しい。従業員もフランクな応対をしてくれる。無国籍の高級ホテルよりも私はこのようなホテルが好きだ。
とにかく、本日の観光は12:30に始まる Pilsner Urquell の Brewery Tour の時間に拘束される。また、教会やユダヤ寺院を巡ることは飲酒状態ではしたくない。かといってプルゼニュ Plzen に到着し落ち着いたのは10時過ぎ・・・かくして、シナゴーグ(ユダヤ寺院)は諦め、共和国広場にある聖バルトミュイ教会とその尖塔に登ることに時間を費やす。この尖塔の高さは103mでチェコで一番高い。途中の時計台の上まで登れる。
さて、旧市街から東へ1kmもないところに Pilsner Urquell の工場がある。有名な門をくぐって右側に Brewery Tour 12:30 という看板があるのだが何処に申し込んだら良いのか解らない。結局一番右の入り口で申し込めば良かったのだが・・・律儀な?私たちは訊かずに自分たちで探し奥の方まで行った。そこにはショップとビヤホールがあった。ショッピングをしている間に時間がなくなり、ビアホールでの昼食は諦めなくてはならなくなった。
複数言語の工場ツアーがあるが、もちろん日本語はない。とすれば、選択肢は英語しかない。
英語ツアーのインストラクターは70歳を過ぎたようなスマートなお婆ちゃまだった。
何より感動したのはツアーの最後の方で試飲できる正真正銘の樽生である。9km もある地下道の一室に寝ころんでいる樽から直接サーブして頂くビールである。これだけはビール通(酒飲み?)にとっては感涙もの以外の何者でもない。チェコに来て良かった、プルゼニュPlzenまで無理してやってきて間違いではなかった。そう感じさせるものである。もちろん、何が何でもキリンラガーだ、いやスーパードライだという頑なな方にはお勧めはしない。場見学ツアーのあと工場内のレストランに入った。特別なビールが飲めるかというとそうではない。Pilsner Urquell の生を工場で飲んで美味しいかというとさにあらず。ただ、ここの料理はそれなりに美味しい。
かなり期待して入館したのであるが、あまり感動はなかった。醸造家や一部マニアにとって意味深くても、やはりビールは美味しくていくらのものである。特別なビールを飲ませてくれる?という博物館隣の直営レストランは再建築中(2002.02)だった。ただ、工場横のビアホールでかなり飲って、しかも冬の寒さでトイレに行きたくなっていた私たちに順路と逆向きに進むことを容認してトイレに案内してくれた職員の機転に感謝する。本来の日本人はこうであったが、現在の日本人は違う。もういちど、こういう精神を日本人は思い起こさないといけない。
時間も興味はあったが家内・子供が行きたくないようなので諦める。
ウ・ザルズマヌー U Salzmannu
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