〜 往路: デリーからパトナへ 〜
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DATA: Nikon D70 , AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G(IF),
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18〜70mmF3.5-4.5G(IF) , Ai AF Zoom Nikkor ED 80〜200mm
F2.8D
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●2/16(水)
関空 12:45 発 AI315 空路(香港経由)
香港 16:05 着 (香港時間)
香港 17:15 発 (香港時間)
デリー 21:00 着 ホテルへ
【泊】セントール・エアポート
いざ出発
移動だけの一日である。朝8時半に家を出て、デリー到着は夜9時。時差を考えると17時間もの移動である。
未明の1時まで荷造りをして、6時起床で。朝のお勤めをして、朝食をとって、荷造りの仕上げをした。そうこうしていた7時半頃になって葬儀(枕経)の電話が入った。母とK師に任せることにして(押しつけて?)8時半には出発した。
9:05 発のリムジンバスに乗り、集合時間の50分前に関空についた。旅行用品を物色して、5000円を米ドルに両替して集合時間を迎えた。空港は混んではいなかったが、チェックインには時間がかかった。
出発が15分ほど早くなっていた。今般は添乗員付きの旅行である。フライト情報を確認しないなど、普段の個人旅行とちがい気楽なもんである。
エア・インディアについて
定刻に AI315 は出発した。AIRBUS A310-300 はかなり年季が入っている機材のようだった。我慢ができないほど汚くはなかったが清掃は行き届いていない。
一番の不満は前の前席シートバックについているポケットが著しく小さいことである。「地球の歩き方」を入れると何も入らなくなる。身動きのとりにくいエコノミークラスでは不便極まりない。
十数年前にインド旅行した先輩から、エアインディアの客室乗務員はツンとしているということを聞いたことがあったが、私はそういうことはなかった。
ドリンクの注文のとき、ビールを注文するとハイネケンを2本くれる。酒飲みの私には嬉しい。ちなみに家内がワインを注文したときは1本だけだった。
食事の時に用意される飲み物は、コーヒー、お茶、水だけなので、事前にビールを注文するのが良いかも。
香港着
AI315 は直行便ではない。関空 → 香港 → デリー → ムンバイというフライトである。 ヨーロッパですら関空から直行便が飛んでいるのに、デリーまで直行便がないのは信じられない。しかも、香港で機外に出ることができない。飛んでいるあいだは諦めがつくが、駐機中に外に出られないのは息が詰まりそうである。セキュリティーの観点から外に出さないそうだ。掃除員も警備員もやりにくそうにしか思えない。
こんなことであれば、大回りでもシンガポール・エアラインの方が良い気がする。機材はきれいだし、スチュワーデスもきれい。TVもちゃんとしている。また、シンガポール経由なら仏跡に近いカルカッタへ直接アクセスできるかも知れない。
デリー着
前回のインドはムンバイ(ボンベイ)から入国し、チェンナイ(マドラス)から帰国した。デリーは初めてである。首都の国際空港だからといって特別素晴らしい空港というわけではなかった。夜であるので、景色もあまりみられなかった。
ホテル着
空港近くのホテルで風呂に入り仮眠をとることになった。内部は吹き抜けになっていて、たいそう立派なホテルである。しかし、風呂は清潔でなかった。でも、この風呂が後で泊まるインド国内のホテルで一番きれいなものだった。そして、蛇口をひねれば、たとえ1〜2分の時間がかかってもちゃんとしたお湯の出るホテルは、ここと最終日のやはりデリーのホテルだけだった(笑)。
●2/17(木)
デリー 7:05 発 IC409 空路
パトナ 8:30 着 ナーランダへ
午後: ナーランダ大学跡
夕刻: 王舎城、竹林精舎
仮眠から目が覚める
朝3時20分に目が覚める。就寝は12時前だったから、実質は3時間半の仮眠である。しかし、4時間+1時間半+6時間で11時間半の長いフライト時間であった。足を伸ばして横になったことで、機内にいた疲れはとれた。
さて、荷物は4時までに通路に出さなければならないところを4時10分頃に出した。別段間に合ったようだ。
朝食
朝食の時間は4時半であったが、5分前にレストランに降りたら、すでにほとんどの人が集まっていた。パンとオムレツの簡単な朝食であるが、これで十分だ。食べ過ぎで胃腸の調子を悪くするのが一番怖いからである。一番気をつけなくてはならないのは下痢である。今回はそんな苦しい目に遭いたくない。
国内線にてパトナへ
飛行場は同じインドラ・ガンジー空港という名前であるが、昨日国際線で乗り入れた空港とはちがう空港に入った。
うかつにも、一眼レフで空港の写真をバシャバシャ撮っていた。注意はされなかったが、空港の写真は禁止である。私は注意されなかったが、周囲の日本人は注意されていた。
セキュリティーチェックは厳しい。自動金属探知機もメガネとベルトの金具だけで鳴った。ここを無事にパスする人はいなかったようだ。全員が虫眼鏡のような手動の金属探知機のお世話になっている。女性はカーテンで覆われた場所でチェックを受けていた。
飛行機を待つ間、航空会社がサービス(無料)のチャイを飲んだが、牛乳も紅茶も薄かった。
飛行機は定刻に出発した。座席が空いていたので、ヒマラヤ山脈の見える左側に座った。しかし、天候が悪くヒマラヤ山脈は雲の下に隠れていた。
1時間半の国内線であるが、朝食が出た。やはりオムレツだった。朝食を食べたところだし、食べ過ぎると胃腸によくないのでパスしようと思ったが、餓鬼根性で食べてしまった。家内はベジタリアンの機内食を食べた。カレーの中に、とても咬み切れない野菜が入っていた。あとて添乗員さんに伺うと、これは繊維部分は食べずに残すべきだということだった。
パトナに着陸する直前、広大なガンジス川が見えた。半年前に南京で長江(揚子江)を観たが、それよりも雄大に見えた。もっとも、長江も河口付近は凄い。しかし、ガンジス川は中流域にもかかわらず海のような壮大さだった。
パトナ到着も迎えのバスが来ない
パトナの空港で家内が FORMA の携帯電話を試したがダメだった。インドでは DoCoMo よりもボーダホンの方が良いようだ。実際、現地の添乗員のカンさんの携帯電話は機能していた。ただし、家内の設定が悪かった可能性もあるので断言できない。
さて、パトナに到着しても、貸し切りのバスが来ない。期間中はウッタル・プラデシュ州の選挙があり、バスがその影響を受けて到着できないとのことだった。うちのバスだけでなく欧米人のツアーのバスも来なかったようだ。
ビハール州の州都の空港にも関わらず、田舎の空港でショッピングモールすらない。退屈きわまりない。ロビーで座っていると蚊が寄ってきた。刺された人もいた。降魔の印相をした仏陀の像があった。地元ホテルの寄附らしい。
1時間待ってもバスが来ないので二階のレストランでチャイを飲んだ。
パコーラというコロッケより小さい平べったいフライを食べた。これは美味しかった。
お腹が空いていないのに脂っこく香辛料たっぷりのものを食べると胃腸に負担をかけそうだが、また餓鬼根性で2つも食べてしまった。
更にバスを待つ。待つ。待つ。バスが来たのは11:22だった。
パトナの風景
今回の旅行では初めて目にする日中のインドである。
空港近くのパトナの街はバラックのような商店ばかりが目についた。しっかりした建物は空港ビルだけだったかも知れない。人は多いが田舎の町である。恐らく経済規模は小さいだろう。そういえば3時間も空港で足止めされている間、飛行機が到着した気配はなかった。
このビハール州はインドでも一番貧しい州らしい。それは、空港を出発して10分、郊外にさしかかった車窓からの風景で実感する。現代の日本人からすると誠に気の毒な光景である。
美味しかった昼食
ずっとこんな風景だったから、昼食は期待していなかった。ところが、大変美味しいレストランで昼食を取ることができた。いや・・・旅行中一番美味しいレストランだったと思う。
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