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00401 99/10/07 16:55 Eisai              RE:00400 四弘誓願の出典は?
なむ野本さん、こんにちは。
 >   (こういう話題が良いですね)
 ホント。
 > 私は、関口眞大博士に、天台大師が最初、と聞かされてます。
 > 文献学的には、天台をさかのぼれないようです。
 やっぱり。
 > 確か、天台大師の『次第禪門』が『摩訶止觀』より先だったように思います。
 >   つまり、大正蔵46、476Bあたりはどうでしょうか。
 『次第禪門』ですか、ありがとうございます。
 >   天台大師の師、南嶽慧思の真偽不明の著書
 >     無諍三昧 46巻 630C  636C なんかは?
 >     菩薩戒儀 續蔵105 2C なんかは?
 図書館に行く機会があれば探してみます。
 ともかく、四弘誓願は天台でもてはやされていたのですね。
 ところで、この四弘誓願ですが、小異があるようです。日蓮宗では
   岩波仏教辞典    『摩訶止観』    日蓮宗宗定法要式
   衆生無辺誓願度   衆生無邊誓願度   衆生無邊誓願度
   煩悩無尽誓願断   煩惱無數誓願斷   煩悩無數誓願斷
   法門無量誓願知   法門無量誓願知   法門無盡誓願知
   仏道無上誓願成   無上佛道誓願成   佛道無上誓願成
       ※『摩訶止観』は「天台電子仏典 CD1」 より
 漢字の新旧字体はともかく
  二句目の「無尽」「無数」
  三句目の「無量」「無尽」
  四句目の「仏道」と「無上」の位置関係
以上の違いがあります。原典がそれぞれ違うのでしょうか。
 まあ、意味に違いはありませんね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00402 99/10/11 23:48 kiku               日蓮と道元に何となく共通するものがある
kikuです。お便させていただきます。曹洞の在家です。
新津の曹洞宗のお寺で祖先の供養をしていただいたとき、日蓮宗とよく似たお経や唱
えごとがあり、興味深く思いました。母方が日蓮宗、父方が曹洞宗、近親に日蓮正宗
や臨済宗もいて、宗教に熱心な人が多いので、時には喧嘩腰になる人もいますが、あ
る意味ではよい環境なのかもしれません。
曹洞宗ではお経はいろいろ読みますが、その時は如来寿量品と陀羅尼品でお題目を唱
えました。
私は宗教家ではありませんので、詳しいことはわかりませんが、日蓮と道元に何とな
く共通するものがあるように思います。道元も法華経を非常に重視しています。特に
如来寿量品を重視しています。澤木興道は「正法眼蔵」は法華経を言ったものだ、と、
何かで書いていたのを読んだことがあります。日蓮と道元の距離は案外近いが、曹洞
と臨済は全くの別物ではないか、と思うことがあります。
母方が日蓮宗、父方が曹洞宗であったというのではなく、私の頭の中(胸の中)では、
あまり矛盾せずに、日蓮と道元が同じ方向に向いているようです。もっとも、そう思
うようになるまでに少し時間がかかりましたが・・・。
00403 99/10/12 22:37 なむ野本           RE:00401 四弘誓願の出典は?
  Eisaiさん、こんばんわ
                   なむ野本です
   *田舎のマシンは、このフォーラムの入会済みID・パスワードでも
    書き込み出来ないのです。で、遅くなりました。   
> 図書館に行く機会があれば探してみます。
> ともかく、四弘誓願は天台でもてはやされていたのですね。
  もてはやしたのではなくて、大乗の誓願(発願)がなければ菩薩行が出来ない
  ことから、必須の要項として提示されたもののようです。
  『大正蔵』9、33、34、46巻などはお持ちになった方が良いかと(^^;)
  図書館に行かなくて済みます。
> ところで、この四弘誓願ですが、小異があるようです。日蓮宗では
>
>   岩波仏教辞典    『摩訶止観』    日蓮宗宗定法要式
>
>   衆生無辺誓願度   衆生無邊誓願度   衆生無邊誓願度
>   煩悩無尽誓願断   煩惱無數誓願斷   煩悩無數誓願斷
>   法門無量誓願知   法門無量誓願知   法門無盡誓願知
>   仏道無上誓願成   無上佛道誓願成   佛道無上誓願成
            :
>  二句目の「無尽」「無数」
>  三句目の「無量」「無尽」
>  四句目の「仏道」と「無上」の位置関係
>
>以上の違いがあります。原典がそれぞれ違うのでしょうか。
> まあ、意味に違いはありませんね。
  小異の表現違いがあって、たしか4パターンだったかあるようです。
      *天台密教では「五大願」だって(^^;)
  明白ではないですが、浄土真宗も使用されてあったような気がします
              --> 詳しい方にヘルプを
  天台大師が独自に造語したのではなく、何か経典の内容を、四つにシンボライズ
  したのだと思いますが、その源が明瞭でないようです。
  十乗観法も、天台大師独自でなく、十地論だったかによく似た内容があるようで
す。
  ですから、四弘誓願もそうではないかと思います。しかし、使い方は天台大師独自
  のようですね。
   法門無量誓願学 
   
  というのもあったと思います。不確かでスミマセン。
  しかし、すでにEisaiさんが記された上記の4つが、天台宗でも使用されてますね。
                        なむ野本   
  
00404 99/10/12 22:46 なむ野本           RE:00402 日蓮と道元に何となく共通するも
 KIKUさん、初めまして。
               なむ野本です
>曹洞宗ではお経はいろいろ読みますが、その時は如来寿量品と陀羅尼品でお題目を
>唱えました。
 ええと、両者とも天台学をお勉強されたからだと思います。
 日蓮さんの一番使用回数の多い文献は『法華経』じゃないのかな?
 道元さんの一番使用回数の多い文献は『法華経』じゃないのかな?
  詳しい方教えて下さい。回数はともかく、重要度は一番だと思います。
 で、両方とも何か密教の呪文力を使っているような要素もあるなと、感じます。
00405 99/10/13 08:29 YAM                RE:00403 四弘誓願の出典は?
YAMです.ごぶさたしてました.
>>   岩波仏教辞典    『摩訶止観』    日蓮宗宗定法要式
>>
>>   衆生無辺誓願度   衆生無邊誓願度   衆生無邊誓願度
>>   煩悩無尽誓願断   煩惱無數誓願斷   煩悩無數誓願斷
>>   法門無量誓願知   法門無量誓願知   法門無盡誓願知
>>   仏道無上誓願成   無上佛道誓願成   佛道無上誓願成
>            :
>  小異の表現違いがあって、たしか4パターンだったかあるようです。
>      *天台密教では「五大願」だって(^^;)
>  明白ではないですが、浄土真宗も使用されてあったような気がします
>              --> 詳しい方にヘルプを
私が愛用している『新・佛教辞典』(誠信書房)には
   衆生無辺誓願度
   煩悩無量誓願断
   法門無尽誓願学
   仏道無上誓願成
とありました.
「五大願」というときには,「煩悩無量誓願断」のかわりに
   福智無辺誓願集
   如来無辺誓願事
が入るようです.
また浄土真宗では,仏教讃歌『四弘誓願』(小松清作曲)を
音楽法要で用いることがありますが,これは真宗だけなのか
通仏教的に歌われるものかは確認していません.
そこでは
   衆生無辺誓願度
   煩悩無数誓願断
   法門無尽誓願学
   仏道無上誓願成
となっています.
これでもう5パターンになっちゃいました(^^;;)
 
00406 99/10/13 09:05 YAM                RE:00402 日蓮と道元に何となく共通するも
Kikuさん,はじめまして.YAMともうします.浄土真宗の僧侶です.
>私は宗教家ではありませんので、詳しいことはわかりませんが、日蓮と道元に何と
>なく共通するものがあるように思います。道元も法華経を非常に重視しています。
>特に如来寿量品を重視しています。澤木興道は「正法眼蔵」は法華経を言ったもの
>だ、と、何かで書いていたのを読んだことがあります。日蓮と道元の距離は案外近
>いが、曹洞と臨済は全くの別物ではないか、と思うことがあります。
道元が法華経を重視していたことはよく言われます.で,それは
どうしてか,ということなんですが,私は道元の次のことばにて
がかりがあるような気がします.
  いかなるか邪見,いかなるか正見と,かたちをつくすまで
  学習すべし...
  (大久保道舟編『道元禅師全集』上,p.689)
「正法」「深信因果」をつきつめていったら法華経に辿りついた,
ということではないでしょうか.そしてこれは,いわゆる禅宗的な
「観心主義」(自らの心を本来清浄なものととらえ,それを絶対
的な依所とする)とは対立せざるをえない,それが臨済宗とのち
がいとなるのでしょう.道元自身はそもそも「禅宗」ということ
ばを好まなかったとも聞いています.
ただ,「正法」「深信因果」の方向性は,日蓮と道元についての
み共通しているわけではなく,一見すると(現象的には)別系統
とみえる法然-親鸞にも共通の方向であると,私はみています.
このあたりの事情については,最近話題になっている本覚思想批判
において,袴谷氏や松本氏がお書きになっているわけですが,私も
かなりここから影響を受けています.
仏教ラウンジの別のボードで「本覚思想」を論題としてはどうで
しょうか>Eisaiさま
00407 99/10/14 13:11 Eisai              RE:00404 日蓮と道元との共通点
KIKUさん、なむ野本さん、こんにちは。
 >曹洞宗ではお経はいろいろ読みますが、その時は如来寿量品と陀羅尼品でお題目を
 >唱えました。
 曹洞宗が、お・・・お題目ですか?
>  ええと、両者とも天台学をお勉強されたからだと思います。
 日蓮聖人は大師講(天台大師の法要)をされていたようですし、三国四師というこ
とでは日蓮聖人に至る相承の系譜に釈尊→天台大師→伝教大師(最澄)→日蓮とあり
ます。
>  日蓮さんの一番使用回数の多い文献は『法華経』じゃないのかな?
 もちろんそうでしょうが、『涅槃経』もかなり多いようです。統計数字を見たこと
ありませんが・・・。
>  で、両方とも何か密教の呪文力を使っているような要素もあるなと、感じます。
 法華の密教的な呪文といえば、『妙法蓮華経陀羅尼品第二十六』の咒陀羅、『妙法
蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八』の普賢咒でしょうか。日蓮聖人は祈祷でそれらをタ
ントラとして読誦されていたのでしょうか。私はされていなかったように思います。
 それとも「南無妙法蓮華経」そのものが呪文なのでしょうか?
 道元禅師に対する日蓮聖人の批判や、類似性については、あらためて考えたいと思
います。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00408 99/10/14 19:55 kiku               (発言者削除)
00409 99/10/15 21:01 kiku               (発言者削除)
00410 99/10/15 21:02 kiku               RE:00407 Eisaiさん、なむ野本さん、YAMさ
Eisaiさん、なむ野本さん、YAMさん、ありがとうございます。
こんなコーナーがあって、ほんとうにうれしいですね。
来月3日に、学校での授業での宗教学ではなく、本当に宗教というものを教えくれた、
花本貫瑞老師の13回忌があるのですが、少し忘れかけていた、大事なものを思い出
させてくれます。花本老師は後に永平寺後堂の名を贈られた方で、大船の小さなお寺
におられました。鈴木大拙とはまた違った角度から金剛般若経の研究をされていまし
た。花本老師の後は阿部慈園さんにお世話になっています。阿部慈園さんは学生時代
からの友人で、サンスクリットに詳しく、また曹洞宗の僧侶なのですが、浄土教にか
なり傾倒されているようです。
曹洞宗では色々のお経を読みます。新津のお寺のことを書いたら、曹洞でお題目、と、
ちょっと驚かれたようですが、もちろん日蓮宗のように何十編も唱えることはしませ
ん。しかしはっきりと三唱しました。これが他のお経ならばまた違うわけです
が・・・。一応ご本尊は何々、そして、お経は主に、般若心経(がもっとも多い。)、
となっているようですが、実際はお寺のレベルでも、個人の信徒の場合でもかなり
色々の場合があるようです。
花本老師から数息観、随息観、ということを習いましたが、その時、人には仏性とい
うものがあるのだが、そのまま人即仏ではない、修行していく中であらわれてくるも
のだよ、とよく言われていました。
いつだったかEisaiさんが、修行していく中で大切なものに達するというようなこと
を書いておられましたね。それはまさに日蓮と道元の共通点だと思うのです。
道元禅と臨済禅は、座るということについては同じなのですが、やはり根本から違う
のです。
私は専門的なことはわかりませんが、こうした考え方からすると、やはり現世が大切
なのです。それが私の二人の祖師の好きなところなのです。
ところで、先日、片瀬の龍口寺の法難会に行ったとき、その法要の様子が、これが実
に曹洞宗の法要と似ていたのです。これにはまたおどろきました。たいへん興味深く
感じました。
kikuより。
00411 99/10/16 19:55 Eisai              RE:00405 小松清作曲の四弘誓願
YAMさん、どうもです。
> また浄土真宗では,仏教讃歌『四弘誓願』(小松清作曲)を
> 音楽法要で用いることがありますが,これは真宗だけなのか
> 通仏教的に歌われるものかは確認していません.
 日蓮宗でも小松清作曲の四弘誓願が各寺院にCDで配布されています。
 音楽法要で使われることは少ないと思います。
 今年の管区の大会では「誓願の灯」の献灯の時にBGMで流しました。
やはり歌詞は
    衆生無辺誓願度
    煩悩無数誓願断
    法門無尽誓願知
    仏道無上誓願成
という日蓮宗バージョンでした。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00412 99/10/16 19:55 Eisai              RE:00403 四弘誓願は末法の凡夫対象?
なむ野本さん、どうもです
> > ともかく、四弘誓願は天台でもてはやされていたのですね。
>
>   もてはやしたのではなくて、大乗の誓願(発願)がなければ菩薩行が出来ない
>   ことから、必須の要項として提示されたもののようです。
 そうですね。
 ただ、四弘誓願を末法の私のような凡夫が今生で誓願とすることは大変ですね。理
想の方向として、願いとして、当然なのですが・・・。今生の誓いとしては・・・。
    煩悩無数誓願断
 せめて
    煩悩無数誓願減
というと罰当たり?
>  『大正蔵』9、33、34、46巻などはお持ちになった方が良いかと(^^;)
 了解。そうですね『大正蔵』9しか持っていません。
 私が住職になった暁には、大正大蔵経、中村元撰集、国訳一切経くらい揃えるつも
りです。今は予算も給料も自由になりませんので・・・。
>   天台大師が独自に造語したのではなく、何か経典の内容を、四つにシンボライ
>  ズしたのだと思いますが、その源が明瞭でないようです。
 『摩訶止観』をみると、四句が一度に出てくるわけではありませんね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00413 99/10/19 11:27 なむ野本           RE:00412 四弘誓願は末法の凡夫対象?
  Eisaiさん
          なむ野本です
> ただ、四弘誓願を末法の私のような凡夫が今生で誓願とすることは大変ですね。理
>想の方向として、願いとして、当然なのですが・・・。今生の誓いとしては・・・。
>
>    煩悩無数誓願断
>
> せめて
>
>    煩悩無数誓願減
>
>というと罰当たり?
 誓願ですから、実現可能な範囲に収めるのではなく、実現不可能でも
 誓願することが大切かと。でないと不完全人間が、ますます不完全に
 なるわけです。不完全菩薩でも、完全菩薩になろうと願うところに
 効力があるように思います。
> 了解。そうですね『大正蔵』9しか持っていません。
> 私が住職になった暁には、大正大蔵経、中村元撰集、国訳一切経くらい揃えるつも
>りです。今は予算も給料も自由になりませんので・・・。
 あ、失礼言いました。ご自身のものでなく、これはお寺の仏具になるかと
 思います。ぜひ、ご進言されて、現住職からでも一切經蔵を備えられませ。
  私の寺は貧乏なので、父師匠が20年昔に、私財をはたいて購入して
 くれました。これを大切に使っています。
>>   天台大師が独自に造語したのではなく、何か経典の内容を、四つにシンボライ
>>  ズしたのだと思いますが、その源が明瞭でないようです。
>
> 『摩訶止観』をみると、四句が一度に出てくるわけではありませんね。
 そうですね。唱えられるように使ったのではないようです。
 法華の行者も、法華の菩薩行に必要として、四弘誓願を使うのだと思います。
 日蓮聖人さんも、お唱えになったのでしょうか?
                           なむ野本
00414 99/10/19 13:07 YAM                RE:00412 仏教書がほしい!
Eisaiさん,
YAMです.
> 私が住職になった暁には、大正大蔵経、中村元撰集、国訳一切経くらい揃えるつも
>りです。今は予算も給料も自由になりませんので・・・。
同感,同感!
私もEisaiさんと同じ立場ですからよくわかります.
私は仏教書はすべて自腹で購入しています.むちゃくちゃ高い本を買う
と妻から責められます.
本堂を改築するときには,地下に図書室を作るのが夢です.どなたにも
利用できるようにして.
00415 99/10/19 20:29 Eisai              RE:00413 凡夫の誓願は不可能なものでも良
なむ野本さん、こんにちは。
>  誓願ですから、実現可能な範囲に収めるのではなく、実現不可能でも
>  誓願することが大切かと。でないと不完全人間が、ますます不完全に
>  なるわけです。不完全菩薩でも、完全菩薩になろうと願うところに
>  効力があるように思います。
 なるほど。そういわれれば納得しました。
 ただ、天台大師が言われても違和感なくとも、鎌倉時代の庶民仏教の立場ではどう
なのかという意見を聞くことがあるのです。それを聞くと「煩悩を断じる」誓願をす
るなら、精進潔斎しなくてはならないではないのかとも感じていました。
 たしかに、末法の、拝金主義、モラルハザードの世界にあって、煩悩にまみれなが
らもそのような四弘誓願をもつことは、かえって尊いのかも知れませんね。
>  あ、失礼言いました。ご自身のものでなく、これはお寺の仏具になるかと
>  思います。ぜひ、ご進言されて、現住職からでも一切經蔵を備えられませ。
>   私の寺は貧乏なので、父師匠が20年昔に、私財をはたいて購入して
>  くれました。これを大切に使っています。
 うちの場合、師父の私財はうん千万円の借金でして・・・。
 でも、昨今は40歳を直前に控え、才能不足と勉強不足から来る実力不足に苛まれ
ています。是非、一切経と、お亡くなりになられた中村元先生の撰集と、日蓮聖人御
遺文講義を揃えたいと思います。
> > 『摩訶止観』をみると、四句が一度に出てくるわけではありませんね。
>
>  そうですね。唱えられるように使ったのではないようです。
 『摩訶止観』にどのような文脈にどのように出てくるのか、まだ調べていません。
>  日蓮聖人さんも、お唱えになったのでしょうか?
 四弘誓願は私の検索では日蓮聖人の御遺文約400編に8回出現します。
 一つ一つの検証は後日。真撰として確実な御遺文かどうかということも含めて。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00416 99/10/20 20:48 Eisai              RE:00414 理想のライブラリ
YAMさん、こんにちは。
> 私は仏教書はすべて自腹で購入しています.むちゃくちゃ高い本を買う
> と妻から責められます.
 仏教書って性格上どうしても高価ですからねぇ。
 かといって躊躇していると間もなく絶版になったりします。
 奥さんに責められるのは別に理由は・・・ないですよね。
 (゜_*)\ イテテ
> 本堂を改築するときには,地下に図書室を作るのが夢です.どなたにも
> 利用できるようにして.
 広い書斎で書籍に囲まれながら仕事が出来るとよいですね。
 うちの場合は、本堂庫裡を改築して十数年ですが、設計段階でそんなこと一切考え
てありません。そのころ私も享楽的でしたからそんな需要があるとは誰も思わなかっ
たのでしょう。
 一階の執務室から二階の書庫まで往復3分かかります。
 本を取りに行く間に集中力が低下し、下手すると道中に誰かに捕まる(師父、檀信
徒、家内、子供など)というディメリット。さらに、重いから最低限の本しか持って
降りられないし、毎日書庫に入らないから本の場所を直感で探せない。一階の執務室
から二階の書庫まで時間がかかるので片付けに行くのが邪魔くさい。よって執務室は
本で散乱。
 もし、ライブラリを本堂地下にされるなら、同じ階の隣室に執務室が必要だと思い
ます。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00417 99/10/21 16:58 Eisai              会議室の改編について
そろそろ会議室の改編をしようと思います。
 下記の如く、9つものボードを準備しましたが利用されていないボードがあり、整
理したく思います。
1. [メイン・ラウンジ]:仏教全般 自己紹介 随想 など
2. [仏教入門ラウンジ]:極初心者に優しいボード
3. [メディア・ラウンジ]:HP OA 視聴覚 BOOK など
4. [テーマ討議ラウンジ]:今回は「伝統教学vs仏教学」
5. 『法華経ラウンジ』:インド 天台 鎌倉 など含め
6. 『ラウンジ禅定』:瞑想 禅仏教 など
7. 『ラウンジ密教』:密教 占い など
8. 『ラウンジ阿弥陀』:浄土仏教 など
9.◆ラウンジ仏教学◆:インド哲学 チベット仏教 など
 残すのは、
1. [メイン・ラウンジ]:仏教全般 自己紹介 随想 など
2. [仏教入門ラウンジ]:極初心者に優しいボード
3. [メディア・ラウンジ]:HP OA 視聴覚 BOOK など
4. [テーマ討議ラウンジ]:今回は「******」
5. 『法華経ラウンジ』:インド 天台 鎌倉 など含め
あるいは、
1. [メイン・ラウンジ]:仏教全般 自己紹介 随想 など
4. [テーマ討議ラウンジ]:今回は「******」
5. 『法華経ラウンジ』:インド 天台 鎌倉 など含め
ということにします。
 現実的には3つの会議室で十分だと思いますので、おそらく下記になると思いま
す。
 また改編後は、
会議室番号が違ってくる
会議室名の:(コロン)以下の名称が違ってくる
ということがおこります。メーラーで投稿されている方や telnet でマクロ制御され
ている方には影響が出そうです。改編直前にもう一度御案内致します。
改編時期は11月上旬を予定しています。
以上、管理人モードでした。
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 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00418 99/10/22 14:37 Eisai              電子メールで会議室に参加する方法
 電子メールで会議室に参加する方法について御存知でしょうか?
 私は telnet 形式からこれに変更しましたが、MLのようで便利です。常時ROM
しておられる方にも便利ですし、投稿も楽です。通信料金の節約にもなるでしょう。
詳しくは、
  http://www.maruo.co.jp/_help/mailtocouncilhelp.html
まで。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00419 99/10/23 23:40 ryo                RE:00418 電子メールで会議室に参加する方

 電子メールで会議室に参加する方法について御存知でしょうか?
Eisaiさん,その他の皆さん。こんにちは。
投稿二回目になるryoです。
実は,どういう投稿の仕方をすればいいのかわからず,困ってました。
仏教フォーラムに行って投稿しようとしたら,簡単に出来ない仕組みになっていて,
その時はやめてしまいました。こんな事二度繰り返してました。←笑ってやって下さ
い(*^_^*)
Eisaiさんのこの記事を見て「何だ,簡単なんだ」と恐れ入りました。宛先さえ
気をつければ,普通のメールの要領で送れるのですね。
私は日蓮宗(但し,単称ではありません)の形だけの檀徒なので,kikuさん・Y
AMさんのメールに少し興味をもちました。
道元禅師の書物は何か取っつきにくい気がして,直接読んだことはありません。そう
した乏しい知識では,日蓮からかなり遠い人だという印象を持っていたのですが,法
要からして似ているとは,正直言って驚きました。勿論知識として,道元禅師の教え
が法華経に基づいてることは知ってました。又今より自由な発言が出来た頃の宗門
で,ある老僧(故人)が道元禅師を讃えていたことも知っております。
唯実感として,以外な印象を受けました。
私からみる道元禅師は,近寄りがたく厳しい孤高の人と言うイメージです。言葉など
も日蓮の宗風とはかけ離れてる感じを持っています。
それに比べると親鸞上人の教えは,とても身近に感じています。かなり前の「中央公
論」別冊に「日本の宗教」というのがあって,そこに浄土真宗の安田理深師の聴き書
きがあり,非常な感銘を受けました。そしてこれは後で知ったことですが,その記事
をプロデュースしたのが,丸山照雄さんだったんです。その他にも,老師と茂田井教
亨師との対談も拝見し,浄土真宗の深さ・存在感をいやと云うほど実感させられまし
た。
考えてみれば親鸞上人は「愚禿」と称し,日蓮は「無戒の僧」と自らを称しているの
ですよネ。




00420 99/10/27 16:22 Eisai              RE:00419 鎌倉の祖師たち
ryo さん、こんにちは。
> 実は,どういう投稿の仕方をすればいいのかわからず,困ってました。
 メールによる投稿を紹介した甲斐がありました。
 道元禅師も親鸞聖人も日蓮聖人も同じ鎌倉時代の坊さんですよね。
 ただ、似ているところはあっても、その主張は180度違ったりします。
 それで、全く違っている事実を認識した上で、また意外な共通点があったりします
ね。
 感動されたお話をされましたが、大切なことですよね。
 経典や先師の話に感動する機会もなく、ただうちの趣旨が・・・だから、○○宗の
お寺で葬儀と法事をする。そんな空虚で形式なものが伝統宗派の檀信徒に増えている
のが現実でしょうか。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00421 99/10/27 21:57 ryo                RE: 鎌倉の祖師たち
Eisaiさん,レスありがとうございます。ryoです。
>  メールによる投稿を紹介した甲斐がありました。
 実は,宛先だけ気をつければ,なんて云いながら早速間違ってしまいました。送信
できなかったので調べたら,アドレスが違っていて,再送信する羽目になってしまい
ました。メールのやりとりをする内に,段々と覚えていくとは思いますが・・・まだ
まだ間違う事があるかもしれません。その時は,良きアドバイスの方よろしくお願い
いたします。
>  道元禅師も親鸞聖人も日蓮聖人も同じ鎌倉時代の坊さんですよね。
そうですね。永遠の時の流れの中で,唯この刹那・この一瞬にのみ,偉大な祖師たち
が誕生されているのですよネ。釈尊の説かれた教えが熟成するのに,それだけの時の
流れが必要だったのでしょうか。凡知のはかり知ることの出来ない,不思議なことだ
と思っています。
> ただ、似ているところはあっても、その主張は180度違ったりします。
> それで、全く違っている事実を認識した上で、また意外な共通点があったりします
> ね。
そうかもしれませんね。私は不勉強で,祖師達のもので直接読んだのは日蓮聖人の御
書だけです。
沢木興道さんの語り口なんかは飄々としていて,宗門の御僧侶たちとは違ってます
ネ。安田理深さんの場合も,非常に自己に厳しい語り口で,これも少し違ってるよう
です。日蓮の末裔の方たちは,もう少し明るいですし,几帳面ですね。この違いを宗
風とでも云うのでしょうか・・・
>  感動されたお話をされましたが、大切なことですよね。
宗教における感動というのは,いわば驚天動地を体験することなんじゃないでしょう
か。それが一番大切なことのように思います。回向ということばがありますよね。回
心して初めて信心をうるということであれば,それは感動して信心をうるのであり,
驚天動地して信心の世界に入れるのだろうと云う気がします。天と地が逆さまになる
から,人は信心できるのではないでしょうか。それ以外の「教え」は,言い過ぎかも
しれませんが,付録のような気さえする事があります。
私の感動なんて,本当にちっぽけでみみっちいものでしかありませんが,感動してる
それ自体は,本当にありがたいことだと思ってますし,大切なことだと思っていま
す。そして,そういう自分がうれしくなるときもあります。
 
>お寺で葬儀と法事をする。そんな空虚で形式なものが伝統宗派の
> 檀信徒に増えている
> のが現実でしょうか。
本当に残念です。それはやはり御僧侶方に頑張ってもらうしかないですよネ。仏様は
ボールを私たちの目の前に置かれたわけですから,後は私たち衆生がそれを手に取れ
ばいいわけです。そのボールを指し示してくれる人が,他ならぬ御僧侶方のように思
います。だとすれば,もう頑張ってもらうしかない,と言うふうに思います。
責任重大ですネ。
00422 99/11/09 22:01 なむnomoto         やっと入れました
 Eisaiさん
          なむnomotoです
  ネームを変えて、やっと入れました。
          元、なむ野本です(^^;)
  お騒がせしました。取りあえずご報告申し上げます。
  何が原因か解っていません。これからも宜しく。
00423 99/11/15 17:56 Eisai              RE:00422 やっと入れました
なむnomotoさん、どうもです。
 >    ネームを変えて、やっと入れました。
 >            元、なむ野本です(^^;)
 >    何が原因か解っていません。これからも宜しく。
 もう一度、ネット運営の kon さんに問い合わせてみましょうか・・・。
 私の方は超多忙で、体調がもひとつで、発言できずにいました。
 この文章も新幹線のぞみ号の中で書いていたりします。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00424 99/11/16 19:51 なむnomoto         RE:00423 やっと入れました
  ご多忙Eisaiさま
              なむnomotoです
> >    ネームを変えて、やっと入れました。
> >            元、なむ野本です(^^;)
>
> >    何が原因か解っていません。これからも宜しく。
>
> もう一度、ネット運営の kon さんに問い合わせてみましょうか・・・。
 有り難うございます。
 まあ、入れれば良いと云うことで、(^^;)
> 私の方は超多忙で、体調がもひとつで、発言できずにいました。
> この文章も新幹線のぞみ号の中で書いていたりします。
 発信は、新幹線から出来るんですか?
 まあ、そんなにしなくても良いかも知れませんが。
 師走の前から忙しければ、師走はめちゃくちゃになるでしょう。
 お体を大切に。(^o^)
         
 皆様、ここに書き込みが出来なくなったことって、ありますか?
  (ううむ、書けなくなった方に聞いても、書けないのだから、
   無駄なことを聞いてしまったか(^^; )
 
                        
00425 99/11/22 16:42 Eisai              [重要]会議室の一部ボード閉鎖
こんにちは。
殆ど発言の無いmes 6 - 9 を閉鎖します。
 [ラウンジ禅定]:瞑想 禅仏教 など 
 [ラウンジ密教]:密教 占い など 
 [ラウンジ阿弥陀]:阿弥陀仏教 など 
 [ラウンジ仏教学」:インド哲学 チベット仏教 
期日は今週中を予定しています。
 また、全体を3つのボードに集約しようと思っています。作業中、アクセスできな
いことがあるかも知れませんが御了承下さい。
 今のところ、
 メインラウンジ
 テーマ別ラウンジ
 法華経ラウンジ
にしようかと思っています。作業は今月中です。
開設者モード
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00426 99/11/30 21:05 Eisai              こんな聾唖の方が訪ねて来られた寺院はあ
先週末のことです。
 うちの寺に「私は聾唖だ」という45歳の方が筆談で経済的援助を求めて来られま
した。東北から中国地方の某所に実の両親を捜して、里親に内緒で旅行していたもの
の、道中の列車で泥棒に遇って、障害者手帳も現金もやられていまったと仰っていま
した。そして、警察署の被害届のコピーも持参されていたのです。
 私は主義として現金は渡さないのですが、こういう事情だとそこそこお助けしない
ととも思いました。しかし、どうも話ができ過ぎています。疑うのはよくないことで
しょうけど・・・。
・里親には内緒だから、誰にも連絡しないで欲しいとのこと。
・どうして東北から中国地方の道中に、特急も止まらない駅から数キロも離れたうち
の寺に寄ったのか?
・本人確認のため見えないところで電話をしていたら「疑うのなら帰る」と帰られて
しまいました。(耳が聞こえない本人には電話がかかってきたのかどうか判らないは
ず)
・援助された寺院や神社の名刺が朱印帳に張ってあったが、その資金で短期間に中国
地方に行って東北に帰ることも可能だと思う。
・身なりからお金に困窮している雰囲気ではなかったし、ニンニク料理を食べた臭い
がした。お腹は空かしていない。
 どう考えましょう。
 本当のことを言っているのかどうか、筆談ですから喋っている目で探ることもでき
ません。これから阪神間の寺院を助けを求めて巡るようなことを仰っておられました。
 どうも後味が悪い。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00427 99/12/12 13:26 きく               木剣について教えて下さい。
kiku 改め きく です。
愛機の調子が悪くなり、すべてのデータが消えてしまったので、入り
直しました。よろしくお願いいたします。(それにしてもマックのメ
モリーで2年間動いていたわけです。とんでもないショップだ、と言
う前に、それでも動いていたということには、これは驚きでした。)
さて、次のことを教えて下さい。一つは木剣についてです。日蓮宗、
あるいは日蓮宗系のお寺では、ご祈祷の時にはどの派の方たちもお使
いになるのでしょうか。これは何を意味するものなのでしょうか。他
にもこれに類するものがあるのでしょうか。いつの時代から行われる
ようになったのでしょうか。
もう一つは龍口寺へ行ったとき、紙で作った天蓋のようなものを見ま
した。真ん中に「天」という字が書いてありました。あれは何なので
しょうか。それがある場所(あるところの下)は何をするところなの
でしょうか。
また名越の長勝寺で見たのですが、瓶に花を飾るのではなく、榊を飾っ
てありました。日蓮宗、あるいは日蓮宗系のお寺では、樒や榊、常盤
木が使われているのを見ますが、それはなぜですか。
日蓮宗の方には当たり前のことかもしれませんが、ぜひ知りたいので
よろしくお願いいたします。
00428 99/12/13 08:22 Eisai              RE:00427 re 木剣について教えて下さい。
きくさん、こんばんは。
 > それにしてもマックのメモリーで2年間動いていたわけです。
 SIMM なら私も Macintosh と Dos/V でメモリを融通しあっていました。
 > 一つは木剣についてです。日蓮宗、
 > あるいは日蓮宗系のお寺では、ご祈祷の時にはどの派の方たちもお使
 > いになるのでしょうか。
 日蓮宗では荒行堂を修了されたかたが、木釼を使われます。
 かといって、木釼による修法は必須ではありません。
 日蓮系では、岡山の最上稲荷、また中山妙宗などで木釼の相承を受けた方が木釼を
使われます。勝劣派の法華宗でも、非公認時代の遠寿院(千葉県市川市 中山法華経
寺塔頭)で木釼修法を相承されたかたがおられるように聞いています。ただ、他の派
のことまで知りません。
 > これは何を意味するものなのでしょうか。他 にもこれに類するものがあるので
しょうか。
 >いつの時代から行われるようになったのでしょうか。
 私は修法師ではないので、よくわかりません。
 「日蓮宗事典」の要約を書こうと思いましたが、ちょっと書けそうな量でありませ
ん。
 最寄りの図書館に「日蓮宗事典」があれば、P930 a 、 P947 b あたりの項目を御
覧下さい。
 > もう一つは龍口寺へ行ったとき、紙で作った天蓋のようなものを見ま
 > した。真ん中に「天」という字が書いてありました。あれは何なので
 > しょうか。それがある場所(あるところの下)は何をするところなの
 > でしょうか。
 ROMの方に注記をすると、龍口寺は鎌倉の江ノ島の近くにあり、文永8年9月1
2日に日蓮聖人が奇跡的に斬首を免れた霊跡のことです。
 でもって、私が龍口寺に参詣したのは13年くらい前のことで詳しく憶えていませ
ん。詳しい方おられませんでしょうか? >all
 紙の天蓋ですかぁ・・・??。
 > また名越の長勝寺で見たのですが、瓶に花を飾るのではなく、榊を飾っ
 > てありました。日蓮宗、あるいは日蓮宗系のお寺では、樒や榊、常盤
 > 木が使われているのを見ますが、それはなぜですか。
 うちの寺の場合、樒は葬儀の時だけですねぇ。
 日蓮宗も地域性や師匠の系統でいろいろです。
 古来、榊は神事に用いられる神木だから重宝されるのでしょうか。
 常磐木(ときわぎ)については知りません。
 詳しく御存じの方がおられましたら教えてください。 >all
 ちなみにうちの寺では、菊を中心とした花と檜葉(ひば)を仏前に供えています。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00429 99/12/19 16:28 きく               RE:00428 お忙しいところありがとうござい
Eisaiさん、お忙しいところありがとうございました。
 木釼のこと、たいへん興味があり、お尋ねしました。遠寿院というの
は法華経寺の山門を入った左側のお寺ですね。文化財の説明板に書いて
あったのを記憶しています。
 数珠丸という太刀があるそうですが、その話を思い出したり、富木氏
や池上氏は武士だからそれで中山に伝わったのか、とか、あるいは修験
道の影響なのか、とか考えてみました。
 龍口寺で若いお坊さんが私のご本尊を開眼供養してくださった時に木
釼を使われたのですが、ひじょうに迫力があり、もうこれは理屈ではあ
りませんでした。その時にお聞きしておけばよかったわけですが、残念
でした。
 「日蓮宗事典」の記載については、休みに入りましたら、図書館へ行
ってみるつもりです。
  紙で作った天蓋のようなものについては、もう一つ堂塔(妙見堂)
にあって、そこには「地」と書いてあったかと思います。日蓮宗のお寺
では幣がよくありますが、面白いな、と思って見ていました。
 花だけではなく、樒や榊、常盤木は禅宗にもあるらしいです。お茶の
方では樒は使いませんが、常盤木は飾りとして使うことがあるそうで
す。常盤木の地味な美しさもありますが、神道の影響もあるのかな、と
思っています。(お茶の方ではそうらしいです。)
 日蓮宗のいろいろな形に、民俗的な、日本の古い形があるようで、た
いへん面白く思っています。密教や禅や浄土系は、やはりインドやチベ
ット、中国の影響が色濃くあるようですが、日蓮と一遍は日本的色彩が
強いように思います。それがよいとか悪いとかではなく、仏教の受容と
変化の仕方に、強い興味を感じています。
 本当はこんなのはいけないのでしょうが、うちの宗旨は禅宗なのです
が、だんだん日蓮上人の考えに傾倒するようになって、この夏から小さ
な大曼陀羅をおまつりしています。
 ひところは日本文化を禅や密教から精神面を理解しようとして分析す
ることが多いようでしたが、中世以降、特に近世は法華だと思っていま
す。初期の日蓮宗とはやはり違うと思いますが、日本人が一人一人の人
間を意識しだすのには、この宗派の考え方の持つ何かが必要だったので
はないかと思います。
 あんまりあったっていないかもしれませんので、後半はどうぞ笑って
聞き流してください。
きくより
00430 99/12/23 20:53 Eisai              RE:00429 お忙しいところありがとうござい
きくさん、こんにちは。
 >   紙で作った天蓋のようなものについては、もう一つ堂塔(妙見堂)
 > にあって、そこには「地」と書いてあったかと思います。日蓮宗のお寺
 > では幣がよくありますが、面白いな、と思って見ていました。
 妙見様については夏にいろいろ調べようとしましたが、修法の秘密相承みたいなも
のが多くて・・・。でも「地」ですか?
 うちは江戸時代に妙見様で賑わったお寺ですが、課外授業で訪れた近所の小学生に
  「妙見様って知っている人」
って訊ねると一人も知りませんでした。私が小学校のころだったら、能勢の妙見様
(大阪府豊能郡)に遠足したりして、みんな知っていたのに。

 >  日蓮宗のいろいろな形に、民俗的な、日本の古い形があるようで、た
 > いへん面白く思っています。密教や禅や浄土系は、やはりインドやチベ
 > ット、中国の影響が色濃くあるようですが、日蓮と一遍は日本的色彩が
 > 強いように思います。それがよいとか悪いとかではなく、仏教の受容と
 禅宗は鎌倉時代に最新の中国トレンド?を持ってきたのでしょうね。密教はお堂内
部を暗くして、サンスクリット語のお経をあげていますね。浄土系でも真宗は阿弥陀
如来と親鸞さんしか勧請しないのでしょうか・・・一神教的な雰囲気がありますよ
ね。たしかに仰るとおりです。
 近所に時宗のお寺はなく、一遍さんについては何も知りません。

 >  本当はこんなのはいけないのでしょうが、うちの宗旨は禅宗なのです
 > が、だんだん日蓮上人の考えに傾倒するようになって、この夏から小さ
 > な大曼陀羅をおまつりしています。
 家の宗旨は・・・だからというのは寺請制度の名残かもしれませんね。
 これは各宗派にとって諸刃の剣ですが・・・。
 >  ひところは日本文化を禅や密教から精神面を理解しようとして分析す
 > ることが多いようでしたが、中世以降、特に近世は法華だと思っていま
 > す。
 中世(鎌倉幕府の成立から一七世紀初め江戸幕府の確立まで)、わけても室町から
安土桃山は法華の全盛期ですね。近世(江戸時代)も勢いを失いつつも学問のレベル
は高く、固法華も健在だったと思います。その後の時代についてはよく考察して起死
回生の糧にしなくてはなりません。
 > 初期の日蓮宗とはやはり違うと思いますが、日本人が一人一人の人
 > 間を意識しだすのには、この宗派の考え方の持つ何かが必要だったので
 > はないかと思います。
 宜しければ、そのへんの御持論を教えていただけませんでしょうか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00431 99/12/26 12:05 きく               RE:00430 否、と言えたただ一人の日本人
Eisaiさん、こんにちは。
 > 宜しければ、そのへんの御持論を教えていただけませんでしょうか?
 持論などと言えるものではありませんが、聞き流して下さい。
 私の日蓮上人に対する傾倒は、無茶苦茶かもしれません。ですからそ
れはさておいて、鎌倉仏教というものについて興味を持つのは、どの宗
祖も伝来した宗教を日本人のものにしたということです。模倣ではな
く、自らの内側からつかんだ、ある意味では創り出した、と言ったらよ
いかもしれませんが、理屈や理論で理解することは、それまででもでき
たでしょうし、中古の説話集を読めば、庶民の段階でも日本人の受容の
仕方は、優等生だったと思います。しかし、そのときも動いていた日本
人の歴史の流れの中で、それでは過酷な現実の中で、どうしたらよいの
か、割り切れないし、どうしようもない、救われない、ということが、
中世の現実です。よく昔はのんびりしていた、などと言う人がいます
が、年表をよく見ると、一年のうちに生命にかかわるような出来事が、
今日より多いことがあるのに気づきます。私が中世の宗祖たちを本当に
偉いと思うのは、それを自ら本当に背に負って、解決を試みたことにあ
ります。鎌倉仏教を日本の修正主義のように言う人もありますが、おの
ずとそこにはインドでもない、中国でもない、現実の釈迦族の長である
釈迦ではなく、永遠の仏、如来というものに出会ったと思うのです。
 私は学校で習ったのが、近世文学、蕉風の俳諧でした。そんな関係
で、多少西鶴や近松も読みましたが、その中で感じたのが、一人一人の
人間が生き生きしているということでした。越えられない身分制度はあ
るわけです。しかし、たとえば西鶴で言うなら、才覚と経済力さえあれ
ば、あとは人間そのものが勝負、ということになります。近松が心中物
を扱っても、それを楽しんでいるのは、一般民衆なのです。芭蕉の句会
に、上級士族の許六がいて乞食路通がいるわけです。社会科で教える歴
史が、今日でも、明治政府の言う、江戸時代は遅れていてそれを近代化
したのが明治という時代なのだ、という考えにしばられているので、私
自身近世初期から中期にかけての状況をどう理解してよいかわかりませ
んでした。しかし、世界の当時の出版物の件数が、日本がヨーロッパの
どの国よりも多く、数と質において最高だったという事実が、納得させ
てくれました。
 さて、初期の日蓮教団と、近世の日蓮宗系教団とはいくつか異なると
ころもあると思います。それは他の宗派でもそうだと思います。江戸時
代の寺社統制の部分も多くあると思います。それはマイナス面です。た
だ、日蓮宗系教団について私が思うのは、日蓮宗系教団が、往々にし
て、権力者に対して「ノー」と言ってきたことです。内村鑑三は「否、
と言えたただ一人の日本人」である、と言っていますが、私は他とは違
う「自分」の意識をすでに日蓮宗系教団は教義として教えていたからだ
と思います。明治に入り近代的自我の確立ということがさけばれるよう
になりますが、近世にその芽は育っていたし、開花していたと思いま
す。浄土真宗でも似た傾向があったとは思いますが、やはり日蓮宗系教
団は顕著だったと思います。ただ、それが政治的に結びつくとどうなる
か、オカルトと結びつくとどうなるのか、また悲劇もあったことも否定
はできません。
 もう一つ、日蓮宗系教団が現世肯定であったことも大切だと思いま
す。現世肯定は現実直視と言ってもよいかもしれません。近世小説を見
ると来世など信じていませんね。徹底的に現世肯定です。現実の中でど
う改善して行くのか、信徒はある意味では近代性を持った目でものを見
ていたように思います。
 先日、岩波の思想体系の中にある日奥上人の『宗義制法論』をめくっ
てみました。比較的読みやすい本文です。近世というと、なんでもかん
でも丸め込んでしまうような先入観が私にもありますが、さわやかな印
象を持ちました。これは不受不施の立場の本ですが、反対の立場でも、
これに近い雰囲気はあったのではないかと思います。
 私は宗教には本当に無責任な立場のものです。誤りもあるかと思いま
すが、こんな風に感じています。
 それから樒、榊、その他常盤木ですが、多摩美大の清田義秀さんの本
に、清めるという意味がある、と書いてありました。
 きくより
00432 99/12/30 14:02 Eisai              忌中の鏡餅
これは地域性があるかも知れませんが、
  満中陰までの期間
  あるいは、旧年中に御不幸があった年
に正月を迎える場合について御意見を頂けませんでしょうか?
 松竹梅、門松  しない
 鏡餅       供える
うちの両親はこのように考えているようです。
 まあ、仏壇に供える鏡餅、仏菩薩の掛け軸を掛けた床の間は良いとして、普通の床
の間の鏡餅はどうでしょう。鏡餅は、本来神様に供えるものと聴いたことがありま
す。正月を祝う供え物と考えればどうしましょう。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00433 99/12/30 14:02 Eisai              RE:00431 否、と言えたただ一人の日本人
きくさん、こんにちは。
そして、ありがとうございました。
 > 鎌倉仏教を日本の修正主義のように言う人もありますが、おの
 > ずとそこにはインドでもない、中国でもない、現実の釈迦族の長である
 > 釈迦ではなく、永遠の仏、如来というものに出会ったと思うのです。
 久遠実成本師釈迦牟尼仏ですか。
 おそらくインドの法華経撰述者も久遠本仏を見仏したのでしょうね。
 隋の天台大師、平安の伝教大師が久遠本仏をどう見られていたのか興味があります
ね。
 来年からは(わははは・・・by oni)何をさしおいても本を読むことに専念致しま
す。その一環として勉強することにします。
 > 社会科で教える歴
 > 史が、今日でも、明治政府の言う、江戸時代は遅れていてそれを近代化
 > したのが明治という時代なのだ、という考えにしばられているので、
 社会科でやっと明治を教えられる時代になったのでしょうね。
 > 世界の当時の出版物の件数が、日本がヨーロッパの
 > どの国よりも多く、数と質において最高だったという事実が、納得させ
 > てくれました。
 近代、現代の日本の繁栄はそういう事実に基づくものなのですね。
 日本人が英語が苦手なのは誇るべき?かも知れませんね。
 自国語だけで様々な分野のかなり高等な部分までカバーできるのですから。
 > 内村鑑三は「否、と言えたただ一人の日本人」である、と言っていますが
 仏教の理想の為にNo!と言わなくてはならない時にはNo!と言えることは大事
なことだと思います。
 今の日蓮宗僧侶檀信徒にもそういう気概を持った方が増えて欲しいですね。
 私は、先哲に比すれば全く些細なことですが、今年は管区の宗務所長と師匠にNo
!を言いました。
 そこで改めて気付いたことは、諌言できるにあたいする自分にならなあかんという
ことでした。
 ただ、No!というだけなら誰でも言う。でも、No!と言える人となるのは大変
なことですね。
 > やはり日蓮宗系教
 > 団は顕著だったと思います。ただ、それが政治的に結びつくとどうなる
 > か、オカルトと結びつくとどうなるのか、また悲劇もあったことも否定
 > はできません。
 ほんと、そうですね。
 >  それから樒、榊、その他常盤木ですが、多摩美大の清田義秀さんの本
 > に、清めるという意味がある、と書いてありました。
 勉強になりました。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00434 00/01/09 17:14 きく               (発言者削除)
00435 00/01/09 17:19 きく               RE:00433 紙の天蓋と「天」の字
Eisaiさん、きくです。こんにちは。今年もよろしくお願いいたします。
 紙の天蓋のことですが、ご祈祷の本尊のあるところにあるようですね。ご祈
祷をする場所のようです。千葉の中山の法華経寺へ行ってみましたが、祈祷本
尊、鬼子母神のあるところには、必ずありました。また、そこでご祈祷を行っ
ていました。そして、その天蓋の真ん中に「天」という字が書かれてありまし
た。遠寿院へも行ってみましたが、やはりご祈祷をするところの天井にありま
した。中山の他のお寺でも同じものを見ました。龍口寺の妙見堂のところにあ
るのは、私の記憶違いで、「地」ではなく、「天」でした。いくつか見たのは
すべて鬼子母神のあるところでしたが、妙見菩薩のあるところは龍口寺だけで
した。鎌倉では他に安国論寺にありましたが、他では見かけません。
 身延へも行ってみましたが、身延のお寺では不思議なことに見かけませんで
した。ご祈祷をされるところでも、特にそのようなものは見かけませんでした。
 紙の天蓋と「天」の字は、中山の伝統なのかなとも思いました。
 お経の読み方や、となえごとも、注意して聞いていると、少しずつ違ってい
ました。
 Eisaiさんのホームページの太鼓のたたき方はたいへん参考になりました。や
はりそれぞれのところで違うのです。
 龍口寺と中山と身延と同じ宗派ではあっても、雰囲気がそれぞれに異なり、
これがそれぞれに流れた歴史や門流の面影なのかな、と興味深く思いました。
 祈祷について、それが祈りであるのか、まじないであるのか、私は祈祷を受
ける側もはっきりと自覚していなければいけないと思っています。祈りの一つ
の形としての祈祷は尊いものだと思いますが、あまりよくない新興宗教が、近
代的な姿を借りてごまかしているのを見るにつけ、やりきれない思いがします。
それは宗教ではありません。
 図書館の方はまだ行っていないので、これから行ってみる予定です。
00436 00/01/11 15:28 Eisai              RE:00435 紙の天蓋と「天」の字
きくさん、こんにちは。
 >  紙の天蓋のことですが、ご祈祷の本尊のあるところにあるようですね。
 > その天蓋の真ん中に「天」という字が書かれてありました。
 しめ縄で正方形を作って、御幣を吊してありませんでした?
 > 私の記憶違いで、「地」ではなく、「天」でした。
 すごい違い (^_^;
 > 妙見菩薩のあるところは龍口寺だけでした。
 うちの妙見堂にも御指摘のようなものがあります。
 >  紙の天蓋と「天」の字は、中山の伝統なのかなとも思いました。
 誰かに訊く機会があれば訊いてみます。
 >  お経の読み方や、となえごとも、注意して聞いていると、少しずつ違ってい
 > ました。
 近世以前は日本も広かったですから読み癖も色々です。
 訓読など打ち合わせておかないとずれてしまいます。
 >  Eisaiさんのホームページの太鼓のたたき方はたいへん参考になりました。や
 > はりそれぞれのところで違うのです。
 https://www.kosaiji.org/hokke/taiko.htm
 を聴いていただいてありがとうございます。
 >  龍口寺と中山と身延と同じ宗派ではあっても、雰囲気がそれぞれに異なり、
 > これがそれぞれに流れた歴史や門流の面影なのかな、と興味深く思いました。
 京都の日蓮宗大本山である、妙顕寺と本圀寺でも昔は門流の違いで他宗のようなも
のだったそうです。
 年末年始は雑用が多くて、返事が遅れて申し訳ありません。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00437 00/01/14 15:01 Eisai              阪神大震災物故者追善法要
 日蓮宗兵庫県東部宗務所では標記の法要を行います。宗派を問わずお越し下さいと
アナウンスされています。
  平成12年1月17日(月)
  泰信寺(たいしんじ 神戸市長田区本庄町4-3-10)
  午後2時より法要(卒塔婆も受け付けます)
  JR鷹取駅を南へ3分
   ※駐車場はありません
 午前中は若手僧侶を中心に団扇太鼓を持って神戸市内を唱題行脚を致します。私も、
そろそろ若手僧侶ではありませんが・・・唱題行脚に参加いたします。
 会場の泰信寺は地震後の長田区の大火で危うく焼失するところ難を逃れたお寺です。
うちの師父の兄弟子が開いたお寺であります。宜しければ御参詣ください。
00438 00/01/17 13:09 紫蘭               改めて、自己紹介です(^^;)
紫蘭と申します。
どうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)mペコ
・・・なぜか・・・実は3回目(^^;)・・・
ようやく書き込みができるようになりましたので、御挨拶でございました。。。
00439 00/01/17 21:51 秋田の鰰           RE:00436 紙の天蓋と「天」の字
きくさん、Eisaiさんこん・・は秋田の鰰と申します。
どなたからかお話しがあると思っていましたが、私の感想を述べます。
日蓮宗で荒行堂へ入る場合、二度目の方を再行と言い、行堂の中で幣束相承と言って
御幣の秘伝を教わるそうです。と言うのは私は一度しか入っていませんので。
日蓮宗の荒行堂へ入った方を修法師と言いますが、その修法師のお寺の祈祷をする場
所には必ず、御幣が吊ってあります。天符を貼ると言います。
祈祷をする御宝前の天井に、天という字を書いた物を中心に四辺、対角上に七タレ、
五タレ、三タレ、ドベイ、四天王ベイ、二十八宿と言った種類の御幣を吊り、御宝前
の上の横に連幣、御宝前には本尊幣等を飾ります。
天符のつるした場所は結界と言っているようです。再行に行ってませんので、誤りが
あるかもしれません。これらの御幣の作り方、飾り方なども相承としての秘伝のよう
です。
もしかするとこれらと紙の天蓋と天と言う字と関係があるかもしれません。
私も中山の行堂に入りましたが、紙の天蓋と言うのは良く解りませんが。
間違っていたら失礼します。
秋田の鰰
00440 00/01/18 09:46 紫蘭               RE:00439 紙の天蓋と「天」の字
 どもっ (^-^)/
>日蓮宗で荒行堂へ入る場合、二度目の方を再行と言い、行堂の中で幣束相承と言っ
>て御幣の秘伝を教わるそうです。
ウチの住職は3回行っていますので・・・七面天女・鬼子母神・大黒尊天を奉じてい
るコーナー(?)前に、まさしく、それがあります。
住職が副住職の時は、席の真ん前で支障はなかったのでしょうが・・・今は私の目の
前にぶらさがっていて・・・ええんかいな?と思っています(^^;)
           紫蘭でした。 か し こ
00441 00/01/18 20:28 きく               RE:00440 天を司るもののことなのでしょう
Eisaiさん、おいそがしいところどうもありがとうございました。
秋田の鰰さん、紫蘭さん、どうもありがとうございました。
少しずつわかりかけてきたような感じです。
 今日午後少し時間があったので、鎌倉の安国論寺と鬼子母神のあ
る大宝寺へ行って見てきました。安国論寺のは天井から短い棒を4
本下げて、そこにしめ縄を張って、幣が下げてありました。大宝寺
のはそれより少し大きくて、木で四角い枠を作り、やはりしめ縄を
張って、幣が下げてありました。
 龍口寺のは、回りの柱にしめ縄を張って弊を吊してあるのではな
く、回りにはしめ縄が張ってあるのですが、さらにその中にありま
す。木で四角い枠を作り、そこに幣がたくさん吊してあるわけです
が、安国論寺や大宝寺のよりも明らかに多くの幣があり、とてもき
れいです。その四隅からクロスするところに「天」とあるわけです。
それが天井からあたかも天蓋のように吊してあるのです。
 ところで、先日、2月に荒行の水行を行う名越の長勝寺へも行っ
てみました。そこには室町時代の法華堂があり、大きな帝釈堂があ
ります。その帝釈堂の中は、堂の中央に四本の柱があり、その中央
に多宝塔があります。帝釈天がまつられているのですが、その四本
の柱にしめ縄が張られ、弊が吊してあり、それと関係があるのかど
うかわかりませんが、なにかそれが、私が興味深く感じる天蓋のよ
うなものの、さらに大がかりなもののように思えてなりませんでし
た。
 そうするとその「天」は帝釈天、あるいは天を司るもの、のこと
なのだろうか、とも思いました。
 また、中山法華経寺で出すお札の中に一番上に「天」の一字が書
かれているのがあるのですが、その「天」と同じ意味なのではない
かとも思ったりしました。
 密教の本地垂迹では、仏と神々の世界が同じところにあると説明
するのにはまだどこか無理があるのに、日蓮宗ではごく自然な形で
取り入れられているのにはおどろきます。宮沢賢治のあの独特の世
界、宇宙観も、こんなところから出てくるのかな、とも思いました。
00442 00/01/19 17:32 なむnomoto         RE:00432 忌中の鏡餅
                               なむnomotoです
               ご無沙汰です
>に正月を迎える場合について御意見を頂けませんでしょうか?
>
> 松竹梅、門松  しない
> 鏡餅       供える
>
>うちの両親はこのように考えているようです。
  うう、正月が過ぎてしもうた(・_;)
  確かに、皆さんが気にするところですね。
  正月は「新年おめでとうございます」って挨拶しますね。
  喪中なら、目出度くないわけですから(一応)、挨拶に
  行かない、喪中の家に挨拶に行かない、出会っても、
  「今年もよろしく」だけで「おめでとう」と喪中の自分
  から云ってはイケナイ。と説明している自分の場合は、
  住職に不幸があっても、寺院は正月をしなければいけま
  せん。住職自身は、喪中ですから正月挨拶は欠礼して、
  年末に済ましてしまう。年賀状と同じ(^^;) と、
  考えてます。
  で、寺院には例年通り正月を行う。
  庫裏は、控えめにということにしたいのですが、変ですか?
  だとすると、庫裏座敷には鏡餅が不要になるのでは?
  お供え鏡餅は必要。寺の門松必要。庫裏の注連飾りは不要。
  餅を供えるのは神仏に。
  座敷の鏡餅は、供えものではなく、飾り物(来客のため)
  ではないかと思いますが、寺院の状況によって変わるで
  しょうね。つまり、通念公式ができないものじゃないで
  しょうか。
  個人的には、「お目出度くない」ことを示せば良いかと思います。
       #あかんやろか


00443 00/01/20 19:40 Eisai              RE:00440 紙の天蓋と「天」の字
秋田の鰰さん、紫蘭さん、こんばんは。
 寒波到来で、秋田は寒いでしょうね?
 修法師の水行など不惜身命の修行となりますね。
 師父は荒行に七回行っていますが、私は修法師ではありません。
 幣束や天符について書き込んでいただいて有り難く思いました。
 > 五タレ、三タレ、ドベイ、四天王ベイ、二十八宿と言った種類の御幣を吊り、御
宝
 > 前の上の横に連幣、御宝前には本尊幣等を飾ります。
 うちにもありますが、神仏習合的な雰囲気ですね。
 ▼
 |\(*^^)v
  ̄
00444 00/01/21 21:35 Eisai              RE:00442 忌中の鏡餅
なむnomoto さん、お久しぶりです。
そのご税務署の方は円満に行きましたでしょうか?
 >   「今年もよろしく」だけ
 計算したら檀信徒の約8%が喪中ですから、一般にもそれくらいの人は喪中でしょ
うね。
 だれが喪中なのか判らなくなってしまい、挨拶は相手の出方を待ってしまう。
 私も祖母が昨年逝去しましたので、「今年もよろしく」のつもりが、みんな「おめ
でとう」と言ってこられます。
 別に違和感がない・・・というより、よほど痛ましい不幸でないかぎり、
 うちのように天寿まっとうの場合は、かえって正月に挨拶しないのが違和感があり
ます。
 >   年末に済ましてしまう。年賀状と同じ(^^;) と、
 喪中葉書を出しても、けっこう構わず年賀状を送ってくる御仁が多いですね。
 >   餅を供えるのは神仏に。
 >   座敷の鏡餅は、供えものではなく、飾り物(来客のため)
 実状はそうでしょうね。
 檀信徒から相談を受けた場合はどうしたらよいでしょうね。
 神仏の餅は最高の供物としてそなえるべきでしょうね。
 座敷は?
 門松は新年に、歳神を迎える依代(ヨリシロ)として家々の門口に立てて飾る松。
 とすれば、喪中の檀信徒は止めた方がよいか・・・。
 このようなことを訊かれた場合、自分の考え方ではなく、伝統的な儀礼を押さえた
上で、現代の実情に即した通念も捉えながら、合理的な検証も必要だと思います。何
か、定番の参考書はないものでしょうか。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00445 00/01/25 00:09 なむnomoto         RE:00444 忌中の鏡餅
 Eisaiさんお久しぶりです
               なむnomotoです
>そのご税務署の方は円満に行きましたでしょうか?
 ぜんぜん。当方の希望はほとんど聞いてくれません。
  「税務調査の法的根拠はなんですか?」
 一方的に、税務署の都合の面談を連絡してきます。
 私だって組織に雇われているんですけどね。休まないと
 いけないです。文書で尋ねてくれれば良いのに。メモだもんな。
 それと、貸し出した通帳なんか返してくれない四箇月。
 何訊かれたって当方は確認できないじゃないか。
  って具合です。
> >   「今年もよろしく」だけ
>
> 計算したら檀信徒の約8%が喪中ですから、一般にもそれくらいの人は喪中でしょ
>うね。
 うう、一般はさほどには無いかと思います。
 2親等くらいまででしょうから。
>
> 私も祖母が昨年逝去しましたので、「今年もよろしく」のつもりが、みんな「おめ
>でとう」と言ってこられます。
 喪中の期間は、神道から来るもののようです。仏教ではないでしょう。49日間が
喪中ですから。
 正月は、仏教行事でなく、古来の習俗だと思います。
 注連縄は、日本古来ということになっていますが、中国伝来の
 習俗じゃないかと思いマスです。赤飯もね。で、鏡餅も。
 これらを、まあ神道的習俗と考えると、怒られるかもしれませんが、 生死を超え
た仏教では、そういう事にはならないはずですよね。
 「新年は、入寂への一里塚、目出度くもあり目出度くも無し」
 とかの川柳があったような気もします。
 正月は、習俗ですから、あまり厳密に理屈を付けて行うものでは
 無いような感じがしますね。で、適当に困らない範囲で、決めて
 おくよりか方法がないような.....
> >   年末に済ましてしまう。年賀状と同じ(^^;) と、
>
> 喪中葉書を出しても、けっこう構わず年賀状を送ってくる御仁が多いですね。
 そうですね、私も出してしまった事があります。
 自分で「おめでとう」とは言えないのが、欠礼状。
 でも、49日も遙かに済んだ方が、年賀状出して良いでしょうか、
 って訊かれますが、欠礼状にしておけば無難ですと答えます。
 「欠礼状を出したのに、年賀状を送ってくるなんて無礼なやつ」
 と考えるのは、やや心が狭いです。たかが葉書1枚。
  この1枚が、怒りの新年をつくるなら、なんと不幸な正月でしょ
 うか。向こうがおめでとうと言っても、こちらが「おめでとう」と
 云わねば良いことではありませんか。
 欠礼は、不幸をしょった者が新年の挨拶に行くと、相手の正月が
 穢れるからです。で、欠礼するのです。
 相手のために行うことですよ。自分のために欠礼するだけではない
 でしょう。
 え? 兄弟が年賀状出してきたんですか? うう〜んそれは問題。
          (^^;)
> >   餅を供えるのは神仏に。
> >   座敷の鏡餅は、供えものではなく、飾り物(来客のため)
>
> 実状はそうでしょうね。
> 檀信徒から相談を受けた場合はどうしたらよいでしょうね。
  簡単。小さな鏡餅を供えるのです。
>
> 神仏の餅は最高の供物としてそなえるべきでしょうね。
> 座敷は?
 一般習俗としては、餅を供えるのは、怠けるためです。
 毎朝のお給仕をさぼって、固めた食事を供えるのです。
  正月は、カマドも休む。女も休む。
 ですから、最高じゃあないと思いますけど(偏見)。
 正月の年賀を受けないのだから、座敷には不要なはずです。
 寺の座敷には必要です。寺は喪中ではないから。年中浄土のはず。
 で、年賀を受けます。仕事として。比叡山では、先の座主が亡く
 なった次の正月も例年通り、次の座主が年賀式を行います。 
 私の田舎では、喪中は白紙を神棚に貼って参拝しません。
 49日が晴れれば、仏壇も神棚も元に戻し、神主さんに
 家中をお祓いしてもらわれます。その後、満中陰の法事です。
 ですけど、最初の正月は、控えめにやるのがコツかと。(^o^)
  控えめにやるのです。やらないのではなくてね。
> 門松は新年に、歳神を迎える依代(ヨリシロ)として家々の門口に立てて飾る松。
> とすれば、喪中の檀信徒は止めた方がよいか・・・。
 と、ご指導されて怒る方はないでしょう。
 正月は又来ます、けど今度の正月は2度3度とは来ません。
 大切に、控えめにと考えた方が、誰も納得してくれます。
 しかし、職業上の正月挨拶は「おめでとう」と云わねば
 いけません。挨拶まわりとかありますよね。
  個人と職務とを区別したら良いと思います。ただ、相手が葬式に
 来てくれた会社なんかだと、49日中は、遠慮した方が良いカモね。
> このようなことを訊かれた場合、自分の考え方ではなく、伝統的な儀礼を押さえた
>上で、現代の実情に即した通念も捉えながら、合理的な検証も必要だと思います。何
>か、定番の参考書はないものでしょうか。
 あるかも知れませんが、一番は、その地方の習慣に従うことだと思いますです。
 それをハッキリしておけば、他の地方の方が何言っても、当方の
 決まりですって云ってしまう、と開き直った方が良いのかと
 思います。神社本庁のマニュアルでも具合悪いでしょうし。
 *私の寺のシキタリです。を作ったらどうでしょう。
 私の場合は、個人と職務とを区別する。
       最初の正月は、控え目にやる。
 そう言えば、親が亡くなったとき、嫁いでいる方の正月。
       婚家の習慣に従う。ただし、個人的には
       控えめに過ごす。神社参拝も遠慮する。
 くらいを云ってます。生涯に4回くらい、静かな正月しても良い
 でしょう。
 私の田舎はうるさいところで、3日までは仏壇に参らない。
 4日から仏壇を開けるとか、15日までは開けないとか云ってます。
 で、正月の挨拶に出るのは4日からです。それまでは年賀を受けま
 す。でも、正月に墓参りする習慣もありますね。雪国なんかは、
 逆ですね。私の所は、雪国です。トホホ
   注連縄も無ければ良いのにと思っています。
   ざっと付けるだけでも、12箇所も大きいのが必要です。
 で、正月らしくやればいいんだわい。なんていい加減な正月です。
 めでたしめでたし。  (^o^)
00446 00/01/28 10:21 Eisai              RE:00445 お寺の注連縄
なむnomoto さん、こんにちはです。
 早く税務署のややこしいことから解放されることをお祈り致します。
 私が宗門から頂く出張手当は、一度税金を天引きされているのに、また年度末に申
告しなくてはならない書類が届きました。租税は国民の義務ですが、機械的に手間の
かからない納税ができればと思います。
 >   喪中の期間は、神道から来るもののようです。仏教ではないでしょう。49日
 >  間が喪中ですから。
 昨年逝去した祖母を考えても、私に喪中という実感はないですね。むしろ祖母の天
寿まっとうにあやかりたい気分です。
 四十九日にしても、忌むというより斎(い)む期間として捉えたいです。すなわち、
消極的に捉えるより、積極的に仏事に精進するという意味合いです。
 >   注連縄は、日本古来ということになっていますが、中国伝来の
 >   習俗じゃないかと思いマスです。赤飯もね。で、鏡餅も。
 へぇ〜。
 ところで、注連縄(しめなわ)は蛇の交尾から来ているとNHKラジオで聴いたこと
がありますが本当なんですか?
 >   「新年は、入寂への一里塚、目出度くもあり目出度くも無し」
 >   とかの川柳があったような気もします。
 確実にあの世に近づいているんやから、なお精進せい・・・という意味合いもある
のかな。
 >   正月は、習俗ですから、あまり厳密に理屈を付けて行うものでは
 >   無いような感じがしますね。で、適当に困らない範囲で、決めて
 >   おくよりか方法がないような.....
 そうですね。
 しかし、檀信徒はきっちりした答えを求めますし、かといって都市圏はいろんな出
身地の習俗を引きずった人の集合体ですから回答に困ります。その2〜3世世代の中
で育った私は既に習俗的な根無し草です。
 >   自分で「おめでとう」とは言えないのが、欠礼状。
 これを出しておけば、年賀状だけでなく、直接お逢いしたときの「おめでとう」と
いえない挨拶も気が楽ですね。
 >   「欠礼状を出したのに、年賀状を送ってくるなんて無礼なやつ」
 >   と考えるのは、やや心が狭いです。たかが葉書1枚。
 というより、「ええかげんなやっちゃ〜なぁ〜(翻訳:いいかげんなやつだ)」と
いう感覚を喪中の受け手が持つかも知れませんね。
 >   欠礼は、不幸をしょった者が新年の挨拶に行くと、相手の正月が
 >   穢れるからです。で、欠礼するのです。
 なるほど、欠礼する側の相手に対する思いやりですね。
 それにしても、穢れる、縁起が悪いといった感覚は日本人の感覚から消えつつある
かもしれませんね。
 >   正月の年賀を受けないのだから、座敷には不要なはずです。
 ただ、都市部の家では座敷と居間あるいは寝室は同じ部屋ですね。
 >   比叡山では、先の座主が亡く
 >   なった次の正月も例年通り、次の座主が年賀式を行います。 
 参考になるデータです。
 >   私の田舎では、喪中は白紙を神棚に貼って参拝しません。
 >   49日が晴れれば、仏壇も神棚も元に戻し、
 仏壇も閉められるのですか?
 > > 何か、定番の参考書はないものでしょうか。
 >
 >   あるかも知れませんが、一番は、その地方の習慣に従うことだと思いますです
 地方地方のやりかたで良いと思いますが、私どもには理由を求められます。
 小笠原流とか国家神道以前の宮中はどのようにしてきたのかとか調べたいですね。
 >         控えめに過ごす。神社参拝も遠慮する。
 忌中のあいだ、阪神大震災で傾いた山門を工事中でしたので、となりの神社の鳥居
をくぐらないと寺から出入りできませんでした。内緒ですが・・・(^_^)。
 >   くらいを云ってます。生涯に4回くらい、静かな正月しても良い
 年賀状のデザインを考えなくて良いだけでも楽でした。
 >   私の田舎はうるさいところで、3日までは仏壇に参らない。
 >   4日から仏壇を開けるとか、15日までは開けないとか云ってます。
 それは意外。
 >   で、正月の挨拶に出るのは4日からです。それまでは年賀を受けま
 >   す。
 うちも村内の各寺院が村に挨拶がてらお札配りをするのは4日ですね。
 >     注連縄も無ければ良いのにと思っています。
 >     ざっと付けるだけでも、12箇所も大きいのが必要です。
 七堂伽藍+αですか? 大変ですね。
 うちは、本堂、妙見堂、稲荷堂、山門、横門にあとチョロチョロでも注連縄代だけ
でウン十万円ですね。 お金のことではないけど、そもそも何でお寺に注連縄をはり
御幣を吊すのでしょう。門にまで注連縄幣束は必要なのでしょうか? 正月になると
いつも疑問になります。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00447 00/02/05 09:34 Eisai              こんなお寺の住職になるな?
  隠居、釣り鐘、近(ちか)檀家、代々ばばあに、先代の弟子。
 ある御老僧が生前言って居られたものです。
 こんなお寺の住職になると苦労するぞよ、あるいはこんなことが住職を大変にす
る。もっといえば「こんなお寺の住職にはなるな」というものでしょうか?
  ・隠居の先代住職が居るお寺に入った新任住職はやりにくい。
  ・釣り鐘(梵鐘)があると、何十年も毎日毎日欠かさず早起きして決まった時間
に
  梵鐘を打たなければならない。
  ・寺の間近に檀家の家屋があると監視されているようなものでやりにくいし、朝
  勤も手を抜けない。
  ・代々の住職に使えたお婆ちゃんが居ると何かとうるさい。
  ・先代住職の弟子の存在は、新任住職の所作を何かとやりにくくする。
そんな意味でしょうか? それともっと深〜い意味があるのかな?
00448 00/02/17 23:22 なむnomoto         RE:00446 お寺の注連縄
  Eisaiさん、ご無沙汰しました
                なむnomotoです
> 早く税務署のややこしいことから解放されることをお祈り致します。
> 私が宗門から頂く出張手当は、一度税金を天引きされているのに、また年度末に申
>告しなくてはならない書類が届きました。租税は国民の義務ですが、機械的に手間の
>かからない納税ができればと思います。
 確定申告の時期ですね。私にも面倒が来てます。
  追加所得税が必要かどうかは、確定申告してもらわないと、
  税務署も解らないからです。少々なら捨てても催促は無いようです。
 税務署の調査は任意調査です。ですから、税務署長の書面がなくて、
 ズカズカ押し入る。税務署長の書面は出せないからです。
 断れば良いのです。
   調査の法的根拠はありますか?
   親切にしても、無礼を働くのは公務員だけでしょ?
   お断りします。調査が必要なら、税務署長の申し込み書を下さい。
 と云うことにします。ただし、当方に明白でないことがあれば、
 正常に対応しておく必要はあるでしょうが、しょせんは、個人の
 所得税を取りにくるだけですから、法人の会計を調べる権限は
 税務署にはないようですよ。Eisaiさんのところは、ご親切が
 過ぎているんじゃないですか?
  「サービスすれば それだけ取り憑く所得税」
 年8000万円以上の宗教法人は、報告の義務があるだけです。
 それでも原則的には、税務署権限で調査はできません。
> 四十九日にしても、忌むというより斎(い)む期間として捉えたいです。すなわち、
>消極的に捉えるより、積極的に仏事に精進するという意味合いです。
 正月は、仏事を避ける地方だと、それも出来ないですね。
 お寺自体には、忌む・斎(い)む というのは元来ないのでは
 ないかと思います。龍興寺というのは中国で国忌を行うために
 作られたそうですが、それは皇帝の事情からでしょう。
 佛教から来るンかどうか、ちょっと解りません。
> ところで、注連縄(しめなわ)は蛇の交尾から来ているとNHKラジオで聴いたこと
>がありますが本当なんですか?
 そう見えなくもないけど、綱はみんな蛇の交尾じゃないでしょう。
 最初は、御幣を下げるために必要だったんじゃないかと思います。
 御幣下げるのがシメナワの目的じゃないかと思いますが、どうでしょ。
> しかし、檀信徒はきっちりした答えを求めますし、かといって都市圏はいろんな出
>身地の習俗を引きずった人の集合体ですから回答に困ります。その2〜3世世代の中
>で育った私は既に習俗的な根無し草です。
 何かを教団で話し合って、基準的なものを作るのは、良いかも知れないですね。
> >   「欠礼状を出したのに、年賀状を送ってくるなんて無礼なやつ」
> >   と考えるのは、やや心が狭いです。たかが葉書1枚。
>
> というより、「ええかげんなやっちゃ〜なぁ〜(翻訳:いいかげんなやつだ)」と
>いう感覚を喪中の受け手が持つかも知れませんね。
  あ、それは在りますね。
> >   欠礼は、不幸をしょった者が新年の挨拶に行くと、相手の正月が
> >   穢れるからです。で、欠礼するのです。
>
> なるほど、欠礼する側の相手に対する思いやりですね。
> それにしても、穢れる、縁起が悪いといった感覚は日本人の感覚から消えつつある
>かもしれませんね。
  確かに。そうした価値観を持つのは先進国らしくないと、誰かが
  宣伝して、そのように思いこまされているところは在りますね。
  個人の思想信条の自由は憲法で保証されているのに、クリスマス
  やバレンタインデーをしなければいけないような感覚や、涅槃会
  があっても、仏教徒は無関心なのは、マスコミの報道のせいでしょうね。
> >   私の田舎では、喪中は白紙を神棚に貼って参拝しません。
> >   49日が晴れれば、仏壇も神棚も元に戻し、
>
> 仏壇も閉められるのですか?
  全国的に49日間は仏壇を閉めるようです。
  浄土真宗の東だけは、開けておくと説明があったように覚えて
  ますが、喪中は通常と違わせるってことに意味があるように
  思います。いつもは仏壇を閉めてる家については、開けるって
  いうわけには行かないでしょうね。
>
> > > 何か、定番の参考書はないものでしょうか。
> >
> >   あるかも知れませんが、一番は、その地方の習慣に従うことだと思いますです
>
> 地方地方のやりかたで良いと思いますが、私どもには理由を求められます。
> 小笠原流とか国家神道以前の宮中はどのようにしてきたのかとか調べたいですね。
 何か古典ならあるでしょう。私の手元にも部分的に書かれた古典が
 ありますが、ここに少々アップしましょうか?
> 忌中のあいだ、阪神大震災で傾いた山門を工事中でしたので、となりの神社の鳥居
>をくぐらないと寺から出入りできませんでした。内緒ですが・・・(^_^)。
  くぐるのと、参拝は違うと思いますけど、そう言うときには、
  昔は裏門を使うとか、したに違いないと思います。昔は厳重
  だったようですから。まあ、要は人々が文句いわなければ、
  良い事なんでしょう。
> うちも村内の各寺院が村に挨拶がてらお札配りをするのは4日ですね。
  修正会が終わってから、という意味でしょうかね?
> うちは、本堂、妙見堂、稲荷堂、山門、横門にあとチョロチョロでも注連縄代だけ
>でウン十万円ですね。 お金のことではないけど、そもそも何でお寺に注連縄をはり
>御幣を吊すのでしょう。門にまで注連縄幣束は必要なのでしょうか? 正月になると
>いつも疑問になります。
 前住職は、自分で注連縄を編んでいました。私は購入する。(^^;)
 たぶん新年の習慣行事ですよ。新年らしくならないから。
 私は、そういう程度の低い認識で、盛大にやろうと云いつつ、
 面倒だから適当に飾ります。
00449 00/02/18 11:39 YAM                RE:00448 中陰における仏壇(00446 お寺の
おひさしぶりです.YAMです.
> > 仏壇も閉められるのですか?
>
>   全国的に49日間は仏壇を閉めるようです。
>   浄土真宗の東だけは、開けておくと説明があったように覚えて
>   ますが、喪中は通常と違わせるってことに意味があるように
>   思います。いつもは仏壇を閉めてる家については、開けるって
>   いうわけには行かないでしょうね。
東(大谷派)だけでなく,浄土真宗はどの派でも
仏壇を閉めることはありません.
(もちろん,埃が入らないように閉めますけど,1日中閉めっぱなし
 にすることはない,という意味です)
中陰の法要(初七日〜満中陰)は,お内仏の前で勤めます.
ただし,打敷は,はずすか白にします.
それは,教義のうえで,慰霊とか鎮魂を否定しているからです.
私にしてみれば,中陰期間に仏壇を閉めると聞いてびっくりです.
どういう理由によるのでしょうか?
ひょっとして神棚封じを模倣したのでしょうか?
神棚封じといえば,時々檀家の人から,「忌明けまでは神棚封じを
するのですか?」と聞かれて困ることがあります.そんなこと僧侶の
私に聞かれても...
#そもそも浄土真宗門徒の家に神棚があることがおかしいのですけど.
#もっとも「信教の自由」ですから,「おかしくない」ともいえる.
00450 00/02/21 14:28 紫蘭               RE:00448 お寺の注連縄
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん
 はじめまして(^o^)/>なむnomotoさん
>> ところで、注連縄(しめなわ)は蛇の交尾から来ているとNHKラジオで聴いたこと
>>がありますが本当なんですか?
>
> そう見えなくもないけど、綱はみんな蛇の交尾じゃないでしょう。
> 最初は、御幣を下げるために必要だったんじゃないかと思います。
> 御幣下げるのがシメナワの目的じゃないかと思いますが、どうでしょ。
なんか、縄=蛇と聞くと・・・
だいたい語源とか由来は「龍」にあると聞いたことがありますね。
昨日のNHKの「日本人の質問」とかいう番組で
「虹はなぜ虫なのか?」というのがありましたが、
虫=龍という答えでした。
やはり神聖な道場には龍が欠かせない??(^^;)
# そーそー青頸が、こっちにも顔出して・・・って言ってましたが。。。>なむno
motoさん
00451 00/02/21 21:27 Eisai              RE:00448 バレンタインと涅槃会
なむnomoto さん、こんにちは。
 >  最初は、御幣を下げるために必要だったんじゃないかと思います。
 案外、ことの起こりは何でもないことだったりして。
 >  御幣下げるのがシメナワの目的じゃないかと思いますが、どうでしょ。
 それにしては太い縄ですね。
 中国のお寺には、注連縄も、幣束もなかったような気がします。
 神仏習合時代の名残なのでしょうか。
 >  何かを教団で話し合って、基準的なものを作るのは、良いかも知れないです
ね。
 そうですね。
 全国が無理なら、教区や管区で・・・。
 >   個人の思想信条の自由は憲法で保証されているのに、クリスマス
 >   やバレンタインデーをしなければいけないような感覚や、涅槃会
 >   があっても、仏教徒は無関心なのは、マスコミの報道のせいでしょうね。
 クリスマスもバレンタインデーもビジネスに直結する。だから、企業が本腰にな
り、マスコミも動く面もあるのでしょう。 
 2月14日はバレンタインデー
 じゃ〜、2月15日は?
 檀信徒に質問しても、その日が涅槃会だとは誰も知らない。
 そんでもって、2月16日は?
 うちの祖師のお誕生日です。
 ちなみに、2月13日は母の誕生日・・・!? (゜_*)\関係ない
 で忙しい。
 >   全国的に49日間は仏壇を閉めるようです。
 それは意外でした。
 うちの宗派の・・・少なくとも京阪神地区は開けておくようです。
 >   喪中は通常と違わせるってことに意味があるように思います。
 それって、あの世とこの世はあべこべという日本古来の考え方によるものなので
しょうか。
 どちらにしても、私としては、故人を導いてくださる仏菩薩を奉った仏壇は忌中に
開けておくべきかな〜と思いますがぁ・・・。
 >  何か古典ならあるでしょう。私の手元にも部分的に書かれた古典が
 >  ありますが、ここに少々アップしましょうか?
 書名だけでも、もしお手元にあれば・・・。
 > > 忌中のあいだ、阪神大震災で傾いた山門を工事中でしたので、となりの神社の
 > 鳥居をくぐらないと寺から出入りできませんでした。内緒ですが・・・(^_^)。
 >   くぐるのと、参拝は違うと思いますけど、そう言うときには、
 >   昔は裏門を使うとか、したに違いないと思います。昔は厳重
 >   だったようですから。まあ、要は人々が文句いわなければ、
 >   良い事なんでしょう。
 うちの勝手口を玉垣でふさいだのは神社ですから、仕方ありませんでした。 
 >  前住職は、自分で注連縄を編んでいました。
 凄い!!
 農家でも、見栄えのする注連縄を編むのは大変なようですね。
 >  たぶん新年の習慣行事ですよ。新年らしくならないから。
 >  私は、そういう程度の低い認識で、盛大にやろうと云いつつ、
 >  面倒だから適当に飾ります。
 新年も新年らしくなくなって来ましたね。
 和服姿も少なくなり、店は平常通り開店しているし、注連縄を張る家も少ない、日
の丸もない、親戚も集まらない。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00452 00/02/22 11:36 YAM                RE:00451 バレンタインと涅槃会
At 21:27 2000.2.21, Eisai wrote:
>  そんでもって、2月16日は?
>  うちの祖師のお誕生日です。
Oh!  私の誕生日と同じです.
失礼しました(m_._m)
00453 00/02/23 14:26 Eisai              RE:00450 お寺の注連縄
紫蘭さん、その後如何でしょうか?
歩行訓練とか大変では?
 > なんか、縄=蛇と聞くと・・・
 > だいたい語源とか由来は「龍」にあると聞いたことがありますね。
 龍と蛇って何か関連ありそうですね。
 > 昨日のNHKの「日本人の質問」とかいう番組で
 > 「虹はなぜ虫なのか?」というのがありましたが、
 > 虫=龍という答えでした。
 へ〜、知らなかった。
  天台の云く 雨の猛きを見ては龍の大きなる事を知り、
     日蓮聖人『呵責謗法滅罪鈔』 (録外)より
 ということからも、気象現象と龍というのは昔の人の考え方なのでしょうね。
 > やはり神聖な道場には龍が欠かせない??(^^;)
 ただ、注連縄は日本独自ですね。
 中国や朝鮮半島の仏教寺院も龍は欠かせないのでしょうか?
 そもそも、龍神信仰は古代のガンダーラ地方で盛んで、ガンダーラに仏教が伝播し
たときに、その信仰と仏教が習合したと伺ったことがあります。
 その龍と中国の龍は別個なのでしょうか?
 ともかく、『法華経』の如くインドで成立した仏教経典にも龍は出てきますね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00454 00/02/23 14:26 Eisai              RE:00452 バレンタインと涅槃会そして日蓮
 > >  そんでもって、2月16日は?
 > >  うちの祖師のお誕生日です。
 > 
 > Oh!  私の誕生日と同じです.
 これも何かの御縁。
 宗旨変えされません?
 こちらこそ、失礼しました。 (_ _ )/ハンセイ
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00455 00/02/24 21:08 きく               RE:00453 虹は七色の龍
Eisaisさん、紫蘭さん、こんにちは。
> 龍と蛇って何か関連ありそうですね。
 その通りです。日本では龍のようなものは何でも龍ということになっていま
すが、中国では龍と、龍のようなものと、龍ではないもの、と、はっきりと区
別しています。蛟(みずち)は有名ですね。龍のような格好をしていますが、
厳密には龍ではありません。蛇の類です。しかし、日本では龍の一種になって
います。
 中国の古い衣装の胸のところに、龍の大きな刺繍がありますが、龍は皇帝だ
けで、大臣は実は龍に見えて蛇なのです。
 私は7年前、中国の南京大学で教えていたのですが、歴史学の黄先生が博物
院で実物を見せて、教えてくれたです。爪や角、鱗、その他よく見ると、わず
かに違います。
 天命を知る者(生命ではありません、天の命ずるものを知る者です。)が天
子、それが皇帝、すなわち龍の命と力を与えられた者なのです。
> > 「虹はなぜ虫なのか?」というのがありましたが、
> > 虫=龍という答えでした。
 虹は七色の龍なのです。あれを龍と見たのです。
> ということからも、気象現象と龍というのは昔の人の考え方なのでしょう
ね。
 江南地方から南では梅雨は雨期と行った方が近いようです。一天にわかにか
き曇りなんてものじゃありません。本当に真っ暗になります。そしてバケツを
ひっくり返したように降ります。揚子江も切れます。まるで龍が天に昇るよう
な稲妻が走ります。それはそこで生活した者でないとわかりません。
> > やはり神聖な道場には龍が欠かせない??(^^;)
 日本人の考える龍は美しくてロマンチックですね。
> ただ、注連縄は日本独自ですね。
> 中国や朝鮮半島の仏教寺院も龍は欠かせないのでしょうか?
 縄については、日本の民俗的な考え方があります。しめ縄に対する考察は、
さらに正確な調査が必要ですね。日本人の感覚はちょっとユニークです。何か
出てくるかもしれません。龍は世界的に守護神として出てきます。そして、そ
れは蛇にも通じるし、また救われない者、という意味でも使われます。(そん
な意味もあり、七面山の信仰は、たいへん興味あるものなのです。)
 縄とセックスの関係ですが、多分にこじつけの部分がありますが、縄を結ぶ
場合、乳の輪を女性、差し込む方を男性と見立てることは、各地で行われる伝
統行事の中に見られます。東北地方の冬の行事に太い綱を結びつけ、綱引きを
する所があり、そこから想像して言ったのだと思います。縄を縒ることと性を
むすびつけて考えるのは、考えとしては面白いのですが、考えすぎのようです
ね。
 ちょっと思うところを書かせていただきました。中国には二年半おりまし
た。棲霞山には隋の時代の大きな石塔があり、よく遊びに行きました。
                              きく
00456 00/02/24 21:16 Eisai              RE:00449 真宗の打敷と神棚
YAMさん、こんにちは。
 > ただし,打敷は,はずすか白にします.
 真宗の打敷って、どうして三角なのですか?
 うちの宗旨では、仏壇の引き出しやキズなどを隠すものという位置づけみたいです
が。
 > それは,教義のうえで,慰霊とか鎮魂を否定しているからです.
 それは仏教学的な検証を教義に反映させたわけでないんですよね。
 単に西方極楽浄土に往生されたから慰霊や鎮魂は必要ないという考え方ですか?
 そういえば、親戚の葬儀の時、菩提寺の真宗のお坊さんが「御霊前」と書かれた何
かを見て、御霊前なんてことはないと説法されていました。
 > 私にしてみれば,中陰期間に仏壇を閉めると聞いてびっくりです.
 > どういう理由によるのでしょうか?
 > #そもそも浄土真宗門徒の家に神棚があることがおかしいのですけど.
 勧請するのは、阿弥陀如来と親鸞聖人だけですか。
 日本仏教で唯一一神教的な御宗旨ですね。
 > #もっとも「信教の自由」ですから,「おかしくない」ともいえる.
 ○○宗を脱退したり、△△宗に入信したりということは「信教の自由」でも、○○
宗の僧侶や檀信徒が、その教義や宗制に反することをする「信教の自由」は・・・・
如何でしょう。
 私も無頓着な檀信徒や坊さんに指摘したいことがありますが、時機をうかがわない
とね・・・。
00457 00/02/25 10:49 YAM                RE:00456 真宗の打敷と神棚
At 21:16 2000.2.24, Eisai wrote:
>  真宗の打敷って、どうして三角なのですか?
>  うちの宗旨では、仏壇の引き出しやキズなどを隠すものという位置づけみたいです
> が。
「どうして三角か?」・・・そこまでは考えたことがありませんでした.
しかし荘厳のひとつとして,単に瑕を隠すという意味ではなかろうと思います.
平生の勤行時にははずしますから.
打敷の下には水引き(四角)をかけるのが正式で,色のバランスを考えてのこと
かもしれません.
>  > それは,教義のうえで,慰霊とか鎮魂を否定しているからです.
>
>  それは仏教学的な検証を教義に反映させたわけでないんですよね。
>  単に西方極楽浄土に往生されたから慰霊や鎮魂は必要ないという考え方ですか?
というより,慰霊や鎮魂は仏教以前のものでしょう?
真宗というのは伝統的に,吉凶占いとか,霊障とかの観念を排除してきたことと
同一次元のことだと思います.
親鸞の『教行信証』には「外道に帰依せざれ」とありますから,「必要無い」
というよりも,「仏教徒としてあるべきではない」ということだと私は理解していま
す.
>  勧請するのは、阿弥陀如来と親鸞聖人だけですか。
真宗では「勧請」とはいいません.
阿弥陀仏は常に私たちを照らしたまい呼びかけておられるので,勧請は必要無いので
す.
「帰命」「帰依」と言い換えさせていただきますが,「親鸞聖人に帰依する」のでは
ありません.個人崇拝を私は否定しますし,他の真宗僧侶も同様だと思います.
>   日本仏教で唯一一神教的な御宗旨ですね。
これはよく言われることですが,鎌倉仏教というのは多かれ少なかれ
「選択」の原理がはたらいていますよね.「阿弥陀仏のみを信仰する」
というのは「法華経のみを真実の教とする」というのと,それほど違わない
と思いますが,乱暴ですか?
最近,「宗教多元主義」を標榜する方は,「○○だけが真実だというのは,
他者に対する寛容を欠く.和の精神を大切にしよう」とおっしゃいますが,
皮相な見方だと思います.
「選択」の立場に立つからといって,それはあくまでも自己の主体的生き方の
選択なのであって,宗教戦争を始めようというのではないわけですから.
>  > #もっとも「信教の自由」ですから,「おかしくない」ともいえる.
>
>  ○○宗を脱退したり、△△宗に入信したりということは「信教の自由」でも、○○
> 宗の僧侶や檀信徒が、その教義や宗制に反することをする「信教の自由」は・・・・
> 如何でしょう。
そうですね.その場合にはその宗を脱退するのがスジというものでしょう.
その脱退の自由までを含めての「信教の自由」でしょう.
ただ,その人の信仰や行為が,教義や宗制に反しているかどうかを判断する
基準というのはむずかしいように思いますが.下手すると,「○○先生の教学を
批判するとは何事ぞ!宗門追放!」とか言われかねない雰囲気が,うちの教団には
ありました.(○○には固有名詞を入れようと思いましたが,遠慮しました)
> 私も無頓着な檀信徒や坊さんに指摘したいことがありますが、時機をうかがわない
> とね・・・。
少し前に,年忌法要を頼まれて,そこは私は初めての家だったのですが,
本尊を拝見すると,「題目曼陀羅」がかかっていました.
私「お宅は日蓮宗ですね.どうして日蓮宗のお寺に頼まなかったんですか?」
施主「おたくのお寺がいちばん近かったものですから...」
私は困りました(--;;)
私「うちは浄土真宗ですから,法華経は読まないんですよ.」
施主「どんなお経でもいいですから.」
Eisaiさん,こんな経験はありませんか?そんな時どうなさいますか?
1. 断わって帰る
   --->しかし,親戚の人も集まっていて,断わるのも気の毒
2. 自分の宗派の所依の経典を読む
   --->しかし,題目本尊の前で阿弥陀経を読むのもミスマッチ
3. 相手の宗派の所依の経典を読む
   --->しかし,練習もしていないお経は読めない.とちってばかりに
私は,寺にとってかえし,「スッタニパータ」和訳をもってきて
それを読みました(^^;;)
00458 00/02/25 13:44 なむnomoto         RE:00449 中陰における仏壇(00446 お寺の
 YAMさん、ご無沙汰してます
              なむ野本です
>東(大谷派)だけでなく,浄土真宗はどの派でも
>仏壇を閉めることはありません.
 おお、これは知らなんだ
>(もちろん,埃が入らないように閉めますけど,1日中閉めっぱなし
> にすることはない,という意味です)
  中陰中は、埃がたかるから、閉めるわけじゃないですね。
>中陰の法要(初七日〜満中陰)は,お内仏の前で勤めます.
 私の所は、白木位牌段を別に作り、そこで行います。
 仏壇の近くが普通です。
>ただし,打敷は,はずすか白にします.
>それは,教義のうえで,慰霊とか鎮魂を否定しているからです.
 教義による中陰法要ですか?
 白にするのも習俗の影響かと思いますが、教義によるものですか?
 ふうむ。私は単なる葬儀習俗を、仏教法要で行っているとばかり思ってました。
>私にしてみれば,中陰期間に仏壇を閉めると聞いてびっくりです.
>どういう理由によるのでしょうか?
>ひょっとして神棚封じを模倣したのでしょうか?
 そうなんでしょう。神聖なものだから、死の穢れと区別する目的が
 あるんじゃないかと思います。
 日常的な行為と、中陰期間を明確に区別するためだと思います。
 教義的に、規定されてしまうものではなくて、習俗かと思い
 ます。そうすることの方が合理的な理由が現実にいくつかある
 からじゃないかと思います。
 良い悪いじゃなくて、特定期間の設定のためだと思います。
>神棚封じといえば,時々檀家の人から,「忌明けまでは神棚封じを
>するのですか?」と聞かれて困ることがあります.そんなこと僧侶の
>私に聞かれても...
 私は、「神棚封じをするようですよ」と教えてます。
>#そもそも浄土真宗門徒の家に神棚があることがおかしいのですけど.
  もっともですが、処罰まではしない。
>#もっとも「信教の自由」ですから,「おかしくない」ともいえる.
 信教の自由は、憲法の理念。私は、憲法からも自由な仏教徒でいたいので、民間習
俗も、在る目的があって自然に皆が行っていることならば、習俗通りにすることを勧
めます。葬儀を機会に、教義を教えるのも良いですが、何よりも安心できるように工
夫して上げるのが信条です。
 仏典には、もともと葬儀の方法などは書かれていないんだし。
 ですから、中陰の期間は特に注意をして過ごされるように云いますが、云わねば、
葬儀がただのイベントように思う若い世代もいます。葬式も中陰もすべて葬儀の内か
と思うからです。でも、2七日〜6七日法要は、ご自分でしなさいと云い、出かける
ことはしません。
               (ちょっとズルイですが)
 
00459 00/02/25 14:19 なむnomoto         RE:00450 お寺の注連縄
  紫蘭さん、はじめまして
                なむ野本です
>なんか、縄=蛇と聞くと・・・
>だいたい語源とか由来は「龍」にあると聞いたことがありますね。
>昨日のNHKの「日本人の質問」とかいう番組で
>「虹はなぜ虫なのか?」というのがありましたが、
>虫=龍という答えでした。
>
>やはり神聖な道場には龍が欠かせない??(^^;)
 お、そうか。注連縄は、龍と稲妻の具象化ですねキット。
 だから、中国から来たものです。 短絡かな?
 太いのは、迫力を出すためでしょう。しかし出雲大社の
 注連縄だけは、左右が逆。これには別の意味がある。
 やっぱり、注連縄は、神社専属のものではないのです。
 神聖的なものを表すために使うものにしておきましょう(^^;)
># そーそー青頸が、こっちにも顔出して・・・って言ってましたが。。。>なむn
>omotoさん
 え、そうなの? 忙しいのでちょっかい出すのを控えているんですが。そうなんで
すが。
00460 00/02/25 14:49 なむnomoto         RE:00451 バレンタインと涅槃会
 Eisaiさん 亀レスごめん
             なむ野本です
> >  最初は、御幣を下げるために必要だったんじゃないかと思います。
>
> 案外、ことの起こりは何でもないことだったりして。
>
> >  御幣下げるのがシメナワの目的じゃないかと思いますが、どうでしょ。
>
> それにしては太い縄ですね。
  前言撤回!!!。注連縄は、龍とイナズマのシンボル化です。
  (きっと そうだ)
  太い龍は豊かさの象徴かな〜?
>
> 中国のお寺には、注連縄も、幣束もなかったような気がします。
> 神仏習合時代の名残なのでしょうか。
  注連縄は、つまり神道専用ではなくて、神聖さを表示する
  習俗の道具になると思います。
  中国で起って、中国では無くなったものはたくさんありますよ。
  疊も、漆器(英語でjapan)も、密教も。(^^;)
>
> >  何かを教団で話し合って、基準的なものを作るのは、良いかも知れないです
>ね。
>
> そうですね。
> 全国が無理なら、教区や管区で・・・。
  でも、本気になる人がないと失敗します。
  成り行きでやるのが、本当の習俗でもあるし、必要なことだけ
  一応決めておくのはどうでしょうね。それが以外にも安定して
  続いたりするんだな。
>
> クリスマスもバレンタインデーもビジネスに直結する。だから、企業が本腰にな
>り、マスコミも動く面もあるのでしょう。 
>
> 2月14日はバレンタインデー
>
> じゃ〜、2月15日は?
> 檀信徒に質問しても、その日が涅槃会だとは誰も知らない。
  そうそう。涅槃会を商業主義の日にしたくないですね。
>
> そんでもって、2月16日は?
> うちの祖師のお誕生日です。
  おお、しらなんだ。
  2月22日は? 聖徳太子の命日。
> >   全国的に49日間は仏壇を閉めるようです。
>
> それは意外でした。
> うちの宗派の・・・少なくとも京阪神地区は開けておくようです。
  へえ? そうなの? 再調査しなければ。
>
> >   喪中は通常と違わせるってことに意味があるように思います。
>
> それって、あの世とこの世はあべこべという日本古来の考え方によるものなので
>しょうか。
> どちらにしても、私としては、故人を導いてくださる仏菩薩を奉った仏壇は忌中に
>開けておくべきかな〜と思いますがぁ・・・。
  とにかく、7週間(49日間)くらいは、遺族が異常であっても許します。50
日目からは駄目ですよ。日常に戻しなさいよって意味を、理屈でなく、自然に行うよ
うな日常生活はどういう形なんでしょうね。
  仏壇を閉める代わりに、私は仏画を貸してかけさせます(満中陰後に返してもら
う)。何かを変える必要からくるのかも知れません。故人がいなくても何にも変わっ
た心境にもならない人は、仏壇閉じようが開けようが関係ない、恍惚人と変わらない
ですね。
> >  何か古典ならあるでしょう。私の手元にも部分的に書かれた古典が
> >  ありますが、ここに少々アップしましょうか?
>
> 書名だけでも、もしお手元にあれば・・・。
 うう、古典の抜粋なんです。ちょっと後日に。
    (怠けてるんです)
> 新年も新年らしくなくなって来ましたね。
> 和服姿も少なくなり、店は平常通り開店しているし、注連縄を張る家も少ない、日
>の丸もない、親戚も集まらない。
 さて、無責任ですが、こういう沈滞したときこそ、僧侶は正月行事を
 盛大に行い、年頭の祈願をさせるのが正しいと思います。
 1年に1度くらい、あらたまって1年の計画を立て、祈願するのは必
 要です。万年レジャーでは、生活が締まりませんね。
  正月花火。(^^;)
  正月電飾。(^^;)
  正月護摩。
  正月ツリーかデッカイ注連縄。
  正月くじ引き(占い)。
  正月だけ鏡餅。
  正月料理。  きりがないなあ〜
 どかー!と盛大な正月をしないから、活が入らない。で、不況。
 不況を飛ばすくらいな勢いは、こういう行事で行いましょう。
 正月しか着ない特別な衣服を流行らせれば、正月らしくなるかも
 知れませんね。 
00461 00/02/25 22:50 Eisai              RE:00460 バレンタインと涅槃会
なむ野本さん、こんばんは。
 >   中国で起って、中国では無くなったものはたくさんありますよ。
 なるほど。
 >   疊も、漆器(英語でjapan)も、密教も。(^^;)
 畳もそうなんですか? 平凡社百科事典にも書いてなかったな。
 中国仏教は、禅と浄土教に集約されたんでしたっけ。
 密教は、日本やチベットで盛んになって、中国ではあまりないのですか?
 > > 全国が無理なら、教区や管区で・・・。
 >
 >   でも、本気になる人がないと失敗します。
 >   成り行きでやるのが、本当の習俗でもあるし、必要なことだけ
 >   一応決めておくのはどうでしょうね。それが以外にも安定して
 >   続いたりするんだな。
 坊さんの葬儀については、宗務所の指示で管区の声明師会で作りました。
 けっこう役に立っています。
 どちらにしても、今の坊さんは忙しいので、その才能がある坊さんも本気でするこ
とは難しい。
 まして私のような凡僧は本気でも無理ですね。
 > > クリスマスもバレンタインデーもビジネスに直結する。だから、企業が本腰に
 > なり、マスコミも動く面もあるのでしょう。 
 >   そうそう。涅槃会を商業主義の日にしたくないですね。
 たしかに・・・。
 そして、卒塔婆供養とか祈祷会だと集まる檀信徒も、こういう御聖日には集まらな
いだろうな。
 朝勤でそのむね言上するくらい。
 > > そんでもって、2月16日は?
 > > うちの祖師のお誕生日です。
 >
 >   おお、しらなんだ。
 日蓮正宗大石寺四世日道上人(1283-1341)の『日蓮聖人御伝土代』にあるそうで
す。
 日蓮本仏論を唱える他門流の資料ですし、涅槃会の翌日に御誕生なんて出来過ぎた
話だとも思いましたが、信頼のおける伝記(日蓮宗事典 P627 a)だそうです。
 >   2月22日は? 聖徳太子の命日。
 『法華経』に縁がありますね。
 朝勤用の過去帳に書いておこうかな。
 > > うちの宗派の・・・少なくとも京阪神地区は開けておくようです。
 >
 >   へえ? そうなの? 再調査しなければ。
 10年くらい前ですが、日蓮宗の京都の声明師会の講義でもそのような話でした。
 >   とにかく、7週間(49日間)くらいは、遺族が異常であっても許します。
5
 > 0日目からは駄目ですよ。日常に戻しなさいよって意味を、理屈でなく、自然に
行う
 > ような日常生活はどういう形なんでしょうね。
 中陰は故人だけの為にあるのではないのですね。そもそも仏教も・・・。
 >  うう、古典の抜粋なんです。ちょっと後日に。
 >     (怠けてるんです)
 いえいえ、お忙しいでしょうからそのうち・・・で。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00462 00/02/25 22:50 Eisai              RE:00458 中陰における仏壇(00446 お寺の
割り込み失礼します。
 > >中陰の法要(初七日〜満中陰)は,お内仏の前で勤めます.
 >
 >  私の所は、白木位牌段を別に作り、そこで行います。
 >  仏壇の近くが普通です。
 うちもそうです。
 > でも、2七日〜6七日法要は、ご自分でしなさいと云い、出かけ
 > ることはしません。
 大胆ですね (^_^;
 葬儀社から依頼があった家では、本当に何もしない人も居ます。数パーセントです
が・・・。
 自灯明法灯明を説明して、檀信徒自らが信仰の主体ですからしっかり手を合わせて
くださいと申します。長男任せ、嫁さん任せ、お婆ちゃん任せ、坊さん任せの人任せ
で、自分は仏教徒として何もしないのはダメですよと説明します。
 読経にしてみれば、檀信徒の足りない部分を補うくらいに説明しています。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
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00463 00/02/25 22:50 Eisai              RE:00457 真宗の打敷と神棚
YAM さん、こんばんは。
 > 「どうして三角か?」・・・そこまでは考えたことがありませんでした.
 とても興味があるのですが・・・。
 > しかし荘厳のひとつとして,単に瑕を隠すという意味ではなかろうと思います.
 うちの宗旨の「日蓮宗宗定法要式」須弥壇上の荘厳  (P183)では、
  ○打敷は本来粗末な物を覆って荘厳する物で、立派な須弥壇や
   前机に打敷を用いるべきでない。
  ○打敷を用いる場合、浄土系の三角形の物は避ける。
とありました。それが普通の仏壇に通じるのかどうかは別ですが。浄土真宗とちがっ
て、そういう考え方もあるようです。目的が違うのでしょうね。
 > というより,慰霊や鎮魂は仏教以前のものでしょう?
 慰霊という言葉は嫌がる仏教者は多いですね。もちろん、霊を慰める面もあるで
しょうけど、それで仏教の死者儀礼をあらわせないような気がします。
 鎮魂ということは、神道でしょうか。少なくとも私のまわりでは言いませんね。
 
 ここで問題なのは、仏教が本来、霊魂というものをどう捉えているのかということ
でしょうか。
 > 施主「どんなお経でもいいですから.」
 ならば、
 > 2. 自分の宗派の所依の経典を読む
 >    --->しかし,題目本尊の前で阿弥陀経を読むのもミスマッチ
 うちだとこれでしょうね。
 そのうち改宗して下さるかもしれませんし・・・。
 > 3. 相手の宗派の所依の経典を読む
 これは絶対しません。したくても出来ない。
 『般若心経』も読みませんし、読めません。浄土真宗もそうでしょう?
 > 私は,寺にとってかえし,「スッタニパータ」和訳をもってきて
 > それを読みました(^^;;)
 口語体ですよねぇ。荘厳な雰囲気にするのは大変そう・・・。
 浄土真宗と法華では、法要で共通部分は全くありませんね。苦労されたようです
ね。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00464 00/02/25 23:29 YAM                RE:00458 葬儀を考える(中陰における仏壇
At 13:44 2000.2.25, なむnomoto wrote:
>               なむ野本です
どうも,こんにちは.
>  私の所は、白木位牌段を別に作り、そこで行います。
>  仏壇の近くが普通です。
白木位牌壇(中陰壇)は作ります.
そこで焼香していただきます.
>  教義による中陰法要ですか?
>  白にするのも習俗の影響かと思いますが、教義によるものですか?
>  ふうむ。私は単なる葬儀習俗を、仏教法要で行っているとばかり思ってました。
たぶん真宗の流儀と言うのは,元来が習俗であっても,教義的な意義付けを
しなければ気が済まない,みたいなところがあるのかもしれません.
そして,どうしても意義付けが見いだせない時は排除することになるのでしょう.
だから「門徒もの知らず」と言われるわけでして.
白にするのは,「中陰期間は,故人を偲びすべてに控えめに,華美を避けるため」
と聞いています.
>  仏典には、もともと葬儀の方法などは書かれていないんだし。
>
>  ですから、中陰の期間は特に注意をして過ごされるように云いますが、云わねば、
> 葬儀がただのイベントように思う若い世代もいます。葬式も中陰もすべて葬儀の内か
> と思うからです。でも、2七日〜6七日法要は、ご自分でしなさいと云い、出かける
> ことはしません。
>                (ちょっとズルイですが)
身内の死というのは,無常ということを通して人生の真実にふれるための
縁であると思います.
宗教というのは,人々の苦悩を救うもの.「自分はシアワセ!」って思っている
(たとえそれが幻想であっても)うちは縁がないわけで,その段階では仏教を
聞いても知識にしかならないです.
「葬儀がイベント化している」というのは,その意味では問題かと...
東京辺りでは,告別式をホテルでするケースが増えているとか.形式はどうで
あれ,死を通して生を見つめ直すきっかけになればいいとは思いますが,実際に
は疑問です.もっともそれは,仏式葬儀でも事情は同じで,49日が終わって
「やれやれ,やっと終わったか」てな感じであっては,ホテルの方がまだましかも.
うちの近くでも,「葬儀専門寺院」が最近あります.葬儀だけ.何宗の葬儀でも
引き受ける.中陰法要も年忌法要も月忌法要もなし.ものすごく儲かります.
寺との付き合いをめんどうと思う層に受けています.
さらに,葬儀社の社員が僧侶資格を得て,寺院に依頼しなくても葬儀が執行できる
ところもあるとか.葬儀社は,お布施に回るはずの分が自分のところの収入になって
儲かります.
「葬式仏教」も今や曲り角に来ているようです.
00465 00/02/26 22:10 Eisai              RE:00455 龍と蛇
きく さん、こんばんは。
 > > 龍と蛇って何か関連ありそうですね。
 >
 >  その通りです。日本では龍のようなものは何でも龍ということになっていま
 > す
 いま、平凡社百科事典をひきますと、竜の項目に、
  西洋では竜をドラゴン dragon と呼ぶが
  これはヘビを意味するギリシア語 drakon に由来する
とありました。西洋でもそうなんですね。
 あと龍樹の故郷ともいわれる?インドの「ナーガルジュナコンダ」という水没した
仏教遺跡に行ったことがあります。
 ナーガルは龍ですが、蛇・・それもコブラを神格化したもののようで、現地ではコ
ブラの彫刻を幾度となく観ました。
 >蛟(みずち)は有名ですね。龍のような格好をしていますが、
 これがそれだという絵を見たことがありません。
 > 厳密には龍ではありません。蛇の類です。しかし、日本では龍の一種になって
 > います。
  みずち【蛟】
  古くはミツチと清音。ミは水、ツは助詞、チは霊で、水の霊の意
  想像上の動物。蛇に似て角と四脚とを持ち、毒気を吐いて人を害するという。
   岩波仏教辞典より
 > 龍は皇帝だけで、大臣は実は龍に見えて蛇なのです。
 中国に旅行したときに聴いたことがあります。
 上海の観光地だったかな?
 > > > やはり神聖な道場には龍が欠かせない??(^^;)
 >
 >  日本人の考える龍は美しくてロマンチックですね。
 キリスト教伝説に取り入れられた竜は,ゲオルギウスの物語にも明白なよう
に,荒ぶる者,邪悪なる者のシンボルとなった。大天使ミカエルの竜退治をは
じめ,聖人に殺される竜はみな〈悪〉の象徴である。このため竜はサタンとも同
一視された。 (平凡社大百科事典より)
 キリスト教の西洋では蛇も龍も悪者ですね。
 レイダースの映画など見ていてもそんな気がします。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00466 00/02/27 19:15 Eisai              RE:00464 葬儀を考える(中陰における仏壇
こんばんは。
 > 東京辺りでは,告別式をホテルでするケースが増えているとか.
 初耳です。結婚式で使うチャペルでするのかなぁ? (^_^;
 > うちの近くでも,「葬儀専門寺院」が最近あります.葬儀だけ.何宗の葬儀でも
 > 引き受ける.
 凄い技術ですね。
 マンション住まいの坊さんと葬儀社担当者とが組んで、お布施を山分けしているな
んていうのもあるようですね。
 お寺を維持する経費がなくて良いのだから儲かるようです。
 > 中陰法要も年忌法要も月忌法要もなし.ものすごく儲かります.
 アフターケアの必要のない方御用達なのですね。
 ただ、伝統宗派であっても自覚のない坊さんは、葬儀専門寺院の坊さんと同等かも
しれませんね。
 いや、葬儀専門寺院の方が、人当たりも良く、お経も上手だったりしては・・・道
心のない坊さんは立つ瀬がない。
 > 寺との付き合いをめんどうと思う層に受けています.
 仏教もここまで落ちぶれるとこうなりますね。
 法事のあとで説法しても、外道に話をしているように感じる家が増えてきました。
 > さらに,葬儀社の社員が僧侶資格を得て,寺院に依頼しなくても葬儀が執行でき
る
 > ところもあるとか.葬儀社は,お布施に回るはずの分が自分のところの収入に
なって
 > 儲かります.
 じゃあ、お寺は葬儀社の先回りをして、医療法人の経営か医師の資格を取りましょ
うか?
 ( ^^)v
 > 「葬式仏教」も今や曲り角に来ているようです.
 仰るとおりですね。
 いや、お坊さんもお寺も襟を正して頑張っても、もう遅いかも知れません。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00467 00/02/29 00:14 YAM                RE:00463 真宗の打敷と神棚
At 22:50 2000.2.25, Eisai wrote:
>  > 「どうして三角か?」・・・そこまでは考えたことがありませんでした.
>
>  とても興味があるのですが・・・。
今度研修のときに聞いてみますね.
>  慰霊という言葉は嫌がる仏教者は多いですね。もちろん、霊を慰める面もあるで
> しょうけど、それで仏教の死者儀礼をあらわせないような気がします。
>  鎮魂ということは、神道でしょうか。少なくとも私のまわりでは言いませんね。
>  
>  ここで問題なのは、仏教が本来、霊魂というものをどう捉えているのかということ
> でしょうか。
まず,日本語の「霊魂」とアートマンは同じものなのか,ずれがあるのか,
から検討するといいと思いますが,難しそう...
>  > 3. 相手の宗派の所依の経典を読む
>
>  これは絶対しません。したくても出来ない。
>  『般若心経』も読みませんし、読めません。浄土真宗もそうでしょう?
個人的には好きなお経ですが,所依の経典ではないです.
>  口語体ですよねぇ。荘厳な雰囲気にするのは大変そう・・・。
阿弥陀経を訓読で読経する僧侶はかなりいます.
現代語訳正信偈(親鸞作の偈文)は本願寺派ではかなり普及しているようですが,
大谷派(私の所属する方)ではほとんど聞かれません.
観音経訓読は日蓮宗の法要式では正式にあるのでしょうか?
カトリックでも,昔はラテン語でミサをしていたのを,各々の国の言葉でやる
ようになりました.私たちも,漢文棒読み一辺倒を脱することを考えねば
ならぬと思います.
>  浄土真宗と法華では、法要で共通部分は全くありませんね。苦労されたようです
> ね。
そういえば,これも以前ですが,年忌法要を勤めたさい,施主さんの親族に
日蓮宗のお坊さんのタマゴ(?)--当時学生だった--が見えたので,伽陀にかえて
パーリ語三帰依を唱えました.これだけは全世界全宗派共通ですから.
00468 00/02/29 00:14 YAM                RE:00466 葬儀を考える(中陰における仏壇
At 19:15 2000.2.27, Eisai wrote:
>  アフターケアの必要のない方御用達なのですね。
>  ただ、伝統宗派であっても自覚のない坊さんは、葬儀専門寺院の坊さんと同等かも
> しれませんね。
そうそう.
だからこそ,なんですね.
坊さんたちが今までと同じようにやっていれば,そのうち,みんな「葬儀専門寺院」
に流れていきますよ.あるいは「葬式に坊主なんか必要なし」と言われるようになり
ます.既存寺院は最大の収入源が断たれて,廃業するところが出てきます.
リストラの波にさらされます.
歓迎すべき事態,かな?
>  いや、葬儀専門寺院の方が、人当たりも良く、お経も上手だったりしては・・・道
> 心のない坊さんは立つ瀬がない。
まあ,お経はいいかげんかもしれません.でも聞いている方には,まちがってようが
なんだろうが,それらしく聞こえればいい.位牌の字が上手かどうか,でしょうね.
字が下手な私は立つ瀬がありません.
00469 00/02/29 09:31 紫蘭               RE:00467 般若心経
 どもっ (^-^)/>Eisaiさん&YAMさん
>>  『般若心経』も読みませんし、読めません。浄土真宗もそうでしょう?
>
>個人的には好きなお経ですが,所依の経典ではないです.
ずいぶん前に「日蓮宗のお経は丁寧ですね」と他宗の方から言われたことがありまし
た。その時は「ありがとうございます」で終っていたのですが・・・
先日、住職が般若心経のコピーなる物をもらってきて・・・
「他宗のお経回りはこれだけ」という話も他所から聞いていたので・・・
なるほど・・・さもありなん・・・とか思ったりして(^^;)
>>  浄土真宗と法華では、法要で共通部分は全くありませんね。苦労されたようです
>> ね。
知り合いの真宗の寺に行ったときに(真言宗の人もいた)
「こまりましたな」と笑われたことがありました(^^;)
・・・ゴミレスでした(爆)
00470 00/02/29 10:00 Eisai              RE:00467 真宗の打敷と神棚
おはようございます。
 > >  ここで問題なのは、仏教が本来、霊魂というものをどう捉えているのかとい
う
 > > ことでしょうか。
 >
 > まず,日本語の「霊魂」とアートマンは同じものなのか,ずれがあるのか,
 > から検討するといいと思いますが,難しそう...
 平凡社大百科事典より引用 --------
 仏教は原則として,その無我説の立場から霊魂の存在を説かなかったが,
浄土教思想の勃興とともに,死後における往生の主体の問題が提起され,
それをめぐってやがて霊魂の存在を暗に認める立場をとるようになった。
 (山折 哲雄)
-------------------------------------------------------
 確かに、諸法無我という立場からは霊魂は否定されるのでしょうね。しかし、前世
からの輪廻や死後の往生また往詣ということを言うには霊魂のようなものが必要で
す。
 そういうものを原始仏教ではどのように捉えられたのでしょうね。
 難しそうですが、死者儀礼によって辛うじて生き残っている日本仏教が再生するに
不可欠な思惟でしょうね。
 とにかく勉強しなければ・・・。
 > >  口語体ですよねぇ。荘厳な雰囲気にするのは大変そう・・・。
 >
 > 阿弥陀経を訓読で読経する僧侶はかなりいます.
 私も、月参りでは法華経訓読も織り交ぜて読むようにしています。
 ただ、訓読(書き下し文)は、のばしたり縮めたりという、読み癖があって異口同
音に読誦ということでは大変です。
 > 現代語訳正信偈(親鸞作の偈文)は本願寺派ではかなり普及しているようです
が,
 > 大谷派(私の所属する方)ではほとんど聞かれません.
 うちの宗派でも、石川教張先生などは口語体の引導文を提案しておられます。しか
し、私は文語体の方が格調があり、訳の分からない文章ではないと思います。引用の
経文はなるべく訓読にしています。
 問題は会衆が基本的な仏教用語を知っておられるかどうかです。
 > 観音経訓読は日蓮宗の法要式では正式にあるのでしょうか?
 法要式にはお経は載っていません。
 京都本満寺版の「妙法蓮華経要品」などには観音経の訓読ものっているお経本もあ
るのですが、一般的ではありません。
 また、訓読は漢文の返り点を見ながら読経するのが建て前のようです。
 > カトリックでも,昔はラテン語でミサをしていたのを,各々の国の言葉でやる
 > ようになりました.私たちも,漢文棒読み一辺倒を脱することを考えねば
 > ならぬと思います.
 同感です。漢文を見て「ふむふむ」なんて人は希ですから。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00471 00/02/29 10:00 Eisai              RE:00468 葬儀を考える(中陰における仏壇
 > あるいは「葬式に坊主なんか必要なし」と言われるようにな
 > ります.既存寺院は最大の収入源が断たれて,廃業するところが出てきます.
 > リストラの波にさらされます.
 > 歓迎すべき事態,かな?
 道心のない坊さんが排除されれば歓迎されるべき事態でしょうね。
 う〜ん、道心無くとも口八丁手八丁の坊さんは生き残るでしょうね。
 かえって、「先祖供養や祈祷に明け暮れるのが仏教じゃないよ・・・仏教の本質は
・・・」などと説いている坊さんが苦しい思いをするかも。
 私は忍受するつもりですが・・・。
 
 寺請制度の片鱗が残っていて余力のある今の内にリストラクチャリングが必要で
しょうね。
 凡僧が偉そうなこと言いますが・・・。
 > 位牌の字が上手かどうか,でしょうね.
 > 字が下手な私は立つ瀬がありません.
 いえいえ、それは私のことです。
 卒塔婆ならその時限りですが、白木の位牌は忌中ずっと遺族の思いが投影される対
象ですから困ります。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00472 00/02/29 13:58 YAM                RE:00470 無我と霊魂(真宗の打敷と神棚)
At 10:00 2000.2.29, Eisai wrote:
>  平凡社大百科事典より引用 --------
>
>  仏教は原則として,その無我説の立場から霊魂の存在を説かなかったが,
> 浄土教思想の勃興とともに,死後における往生の主体の問題が提起され,
> それをめぐってやがて霊魂の存在を暗に認める立場をとるようになった。
>  (山折 哲雄)
> -------------------------------------------------------
山折先生のお言葉ではありますが,「暗に認める」という表現があいまいです.
浄土真宗七高僧のうちインド・中国の祖師(龍樹,世親,曇鸞,道綽,善導)
には霊魂を認める論述は,私の知る限りでは,ありません.
だれが,いつ,どの論釈で認めたのかが,上の記述では分かりません.
ただ,民間信仰との習合の過程でそのような観念が生じたという意味なら
理解はできます.
>
>  確かに、諸法無我という立場からは霊魂は否定されるのでしょうね。しかし、前世
> からの輪廻や死後の往生また往詣ということを言うには霊魂のようなものが必要で
> す。
>  そういうものを原始仏教ではどのように捉えられたのでしょうね。
ヒンドゥイズムでは,輪廻の主体はアートマンです.
普通の感覚では,アートマンが否定されれば輪廻も(実体としては)否定されますね.
釈尊自身は輪廻を否定していただろう,これは私の考えです.(たぶん少数派)
しかし,アートマンを否定しつつ輪廻を否定しないという理論があります.
代表的なのは「説一切有部」による「三世実有法体恒有」説,つまり実体的な法の
組み替えによる輪廻.また唯識派の「アーラヤ識」もそうです.
非常に図式的かつ大雑把ですが,仏教の歴史はインド・中国・チベット・日本を
通じて,無の立場と有の立場のせめぎ合いだった,といえるのではないでしょうか.
  
00473 00/02/29 13:58 YAM                RE:00469 般若心経
紫蘭さんにレスするのは初めてのような気がします.
はじめまして,どうぞよろしく.
At 9:31 2000.2.29, 紫蘭 wrote:
> >>  浄土真宗と法華では、法要で共通部分は全くありませんね。苦労されたようです
> >> ね。
>
> 知り合いの真宗の寺に行ったときに(真言宗の人もいた)
> 「こまりましたな」と笑われたことがありました(^^;)
仏教会の法要でも悩みのたねじゃないでしょうか.
うちの地区では,大多数が曹洞宗と真宗なんで,
阿弥陀経+修証義 という組み合わせですが.
世界仏教徒会議ではパーリ語経典を読むのでしょうか?
00474 00/03/01 20:30 なむnomoto         RE:00471 葬儀を考える(中陰における仏壇
> > あるいは「葬式に坊主なんか必要なし」と言われるようにな
> > ります.既存寺院は最大の収入源が断たれて,廃業するところが出てきます.
> > リストラの波にさらされます.
> > 歓迎すべき事態,かな?
  歓迎します。やがて本当の古儀の法要を行える事が、重要と
 見直されることになるでしょう。
   離れる人は、元来、宗教に関心が薄いのです。
 檀家の中でも、議員さんなんかは、田舎では有識者だと自認
 しているらしく、相当にアホなことをしたり、常識的な事を
 知りません。学校の先生もそうですね。
  宗教に対して謙虚さがありません。そうした高度認識と
 自認する方々も、宗教への関心が薄い部類に入ります。
 だからといって、お寺の価値が減ったのではないでしょう。
 古くは、お寺を持つことは、相当な家系の名誉でしたから、
 名誉に思わない人が、沢山出てくることは自然なことだと
 私は思うんですけど。
  ですから、自然淘汰されたお寺だけが残る。
> 道心のない坊さんが排除されれば歓迎されるべき事態でしょうね。
> う〜ん、道心無くとも口八丁手八丁の坊さんは生き残るでしょうね。
> かえって、「先祖供養や祈祷に明け暮れるのが仏教じゃないよ・・・仏教の本質は
>・・・」などと説いている坊さんが苦しい思いをするかも。
> 私は忍受するつもりですが・・・。
 まあ、お上手な方が出世するのは古今東西同じ事。
 諸行無常なんじゃ?
> 寺請制度の片鱗が残っていて余力のある今の内にリストラクチャリングが必要で
>しょうね。
>
> 凡僧が偉そうなこと言いますが・・・。
 庶民は、結構正しく見てるところがありますよ。
 だから、熱心な優れた行者さんなんかには、無条件で敬意を
 示したりされます。だから、口上手な新興宗教に騙されたり
 されますけど、心は純粋じゃないかと思います。
 この純粋さを裏切らないようにすれば、さほど危機でもない。
>
> > 位牌の字が上手かどうか,でしょうね.
> > 字が下手な私は立つ瀬がありません.
>
> いえいえ、それは私のことです。
 文字も上手な方にいて損はないでしょう。仏具屋さんが、
 塗り位牌を作りに行って、小学生なみの字などあります。
 とか、奥さんが書いてるらしいとか、云われます。
   #ワテの顏も、恥ずかしい。
  字だけじゃなく、日頃のおつきあいで、住職の顏見るだけ
 で安心されるようじゃないと、信者さんや檀家さんを抱える
 資格がないような気もしますね。
 葬式・法事・宗派問わずに引き受けます業者は、結構繁盛
 するでしょう。コンビニ宗教家ですね。平安時代から、
 滅罪に関わる僧侶は「三昧僧」として、相当低い地位に
 置かれたようです。
 そうした誇りを、現代仏教が捨ててしまったのは、廃仏毀釈
 や、寺領解放の打撃に負けてしまったからだと思います。
 また、大きな財産家が、戦後の平等主義の嵐で、無くなり、
 財産家で在ることは罪であるような無言の認識が行き渡った
 ためでしょう。だから昔のような荘厳な儀式も法儀も出来なく
 なったんでしょう。
  こうして、富の平等化が進めば、皆が幸せになれるという
 仮定条件ですから、宗教は必ず、新興宗教化して、専門宗教
 つまり伝統仏教などは無視されてしまうでしょう。
  高度な文化を志しても実現できる人が無くなって、愚人も
 賢人も同じ一人なんですが、現実は賢人でなければ解らない
 ことなどが結構あるわけです。それは、愚人と同じ発言力し
 かない現実では、優れた宗教家になる志も育たないので、
 やがて、伝統教団は、愚僧教団になる可能性も大きいです。
  原因は、私は経済効率第一主義にあると思います。
 経済は「経世済民」の略語だそうですが、確かにそうです。
 しかし、金が世を救うのは誤った考え方じゃないかと思うん
 だけど。なぜか世の中は、私もそうなっている。
00475 00/03/02 13:42 Eisai              RE:00469 丁寧なお経は苦痛?
紫蘭さん、おはようございます。
その後、如何ですか?
リハビリとかは無いのですか?
 > ずいぶん前に「日蓮宗のお経は丁寧ですね」と他宗の方から言われたこと
がありま
 > した。その時は「ありがとうございます」で終っていたのですが・・・
 よく耳にします。
 私もじっくりお経を読む方なのですが、逆に長くて嫌がられていないか心配
です。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00476 00/03/07 23:35 ふくちゃん         ふくちゃんです
 皆様、はじめまして。島根県にある法華経寺<http://www.hokke.com/>の副住職を
しております福頼宏隆です。ネット上では「ふくちゃん」のハンドルを使用していま
す。
 所属宗派は法華宗(本門流)で、今から十三年ほど前、十七〜二十一歳の頃に広済
寺様の所在地と同じ尼崎市・本興寺内学林にて宗学を学びました。その後筑波大学に
てエリアーデ系の教授に師事し宗教学を専攻、今は島根県職員を本職として寺務には
ほとんど携わらない生活をしています。
 「伝統教学VS仏教学」は個人的にも興味深いテーマです。また何か発言できればと
思います。
 以後、よろしくお願いします。
00477 00/03/09 11:18 Eisai              RE:00472 無我と霊魂(真宗の打敷と神棚)
 > しかし,アートマンを否定しつつ輪廻を否定しないという理論がありま
す.
 > 代表的なのは「説一切有部」による「三世実有法体恒有」説,つまり実体
的
 > な法の組み替えによる輪廻.また唯識派の「アーラヤ識」もそうです.
 すごい。私も勉強しなくっちゃ・・・。(尊敬)
 いま調べたら、説一切有部は紀元前1世紀半頃に上座部仏教から派生したも
のですね。初期大乗仏教の興る頃と相前後して、仏滅後約300年頃でしょう
か。
 
 > 非常に図式的かつ大雑把ですが,仏教の歴史はインド・中国・チベット・
日
 > 本を通じて,無の立場と有の立場のせめぎ合いだった,といえるのではな
 > いでしょうか.
 中観仏教(般若) vs 如来蔵
って感じなんですか?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00478 00/03/09 16:48 YAM                RE:00477 無我と霊魂(真宗の打敷と神棚)
At 11:18 AM 00.3.9, Eisai wrote:
>  すごい。私も勉強しなくっちゃ・・・。(尊敬)
いえ,かなり付け焼き刃です(苦笑)
Eisaiさんは確か理系学部の御出身でしたね.
私は文系ですが仏教系大学ではないので,仏典漢文はちんぷんかんぷん,
サンスクリットも読めません.
>  いま調べたら、説一切有部は紀元前1世紀半頃に上座部仏教から派生したも
> のですね。初期大乗仏教の興る頃と相前後して、仏滅後約300年頃でしょう
> か。
上座部から直接に派生したという伝承もあれば,上座部から化地部を経て派生した
という伝承もあり,決定的な証拠はないようです.
>  > 非常に図式的かつ大雑把ですが,仏教の歴史はインド・中国・チベット・
> 日
>  > 本を通じて,無の立場と有の立場のせめぎ合いだった,といえるのではな
>  > いでしょうか.
>
>  中観仏教(般若) vs 如来蔵
>
> って感じなんですか?
基本的にはそれが出発点かなと思います.
このあたり,袴谷先生や松本先生の如来蔵思想批判をどう受け止めていくか,
みなさまの御意見を伺いたいと思います.
ただ,これは学派や宗派の分立だけの問題ではなくて,
同じ宗派の中にも,そして個人の仏教観の中にも反映されているのでしょう.
浄土真宗を引き合いに出してすみませんが,
親鸞の場合はどちらかと言うと空の立場が色濃く
(無上仏ともうすはかたちもなくまします),
それに対して蓮如の場合は有の立場が強調されます
(弥陀仏の御袖にひしとすがりて).
空は空としてとどまるかぎり帰依処とはなりえず,方便として形をもって
現れてくる,それが宗教だと思うのです.親鸞はこの関係を
法性法身と方便法身として捉えています.
空だけなら哲学だし,有だけなら迷信だし,そこを統一していく必要があります.
(龍樹はそのことはとっくに分かっていたのでしょう.)
それは「空仮中」の三諦論の具体化だと思うのですが,いかがですか?
00479 00/03/10 22:45 Eisai              RE:00474 退亦佳矣
 なむnomoto さん、亀レスすみませんです・・・はい。
 なんか雑務が多い・・・。気の利く事務員さんが居たら雇いたいくらい。
 >   歓迎します。やがて本当の古儀の法要を行える事が、重要と
 >  見直されることになるでしょう。
 >    離れる人は、元来、宗教に関心が薄いのです。
 法華経の五千帰去(※)ではないですが、信仰に関心の薄い方の存在が無く
なった方がお寺は本来の機能を果たせるでしょうね。
 だから法華経のその部分に「退亦佳矣(退くも亦佳し)」という言葉がある
のかな。
 ※(参考 『妙法蓮華経方便品第二』)
   此の語を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、
   五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何
   ん、此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得
   たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失あり、
   是を以て住せず。世尊黙然として制止したまわず。
 >  檀家の中でも、議員さんなんかは、田舎では有識者だと自認
 >  しているらしく、相当にアホなことをしたり、常識的な事を
 >  知りません。学校の先生もそうですね。
 どんなに偉くなっても、どんなに人生経験を積んでも、どんなに修行して
も、最後まで無くならないのが驕りの心。どんなに努力して大成していても、
人生の失敗の原因はこの驕りが大きなウエイトを占めているのではないでしょ
うか。その驕りに対する教示というものが仏教にはありますよね。やはり、仏
教徒でなくとも仏典を読む意義があり、その伝道者としてのお寺と坊さんの意
義があるのだと思います。
 歯が浮くようなこと言ったかな。
 それはさておき、非常識に関しては坊さんも世間を知りません。でもって完
全な出世間というわけでもない。いえ・・・自分自身のことです。(^_^;
 >   宗教に対して謙虚さがありません。そうした高度認識と
 >  自認する方々も、宗教への関心が薄い部類に入ります。
 そもそも「宗教」という言葉が悪いのではありませんか?
 「宗教」というと、ややこしいのも一緒になってしまいます。
 私は「宗教」といわず「仏教」「信仰」と言い換えています。
 せめて、お釈迦様、お経典、歴史的な高僧には、敬虔な気持ちであって欲し
いですね。
 >   ですから、自然淘汰されたお寺だけが残る。
 >  まあ、お上手な方が出世するのは古今東西同じ事。
 >  諸行無常なんじゃ?
 仏教の本質を求めようとする布教中心のお寺は廃れ、アニミズムやら祈祷や
ら観光やら営利に長けたお寺が残る。
 仰るように、たとい廃れても前者に徹し淘汰を忍んで受けるのが本来の仏教
でしょうか。私がもし寿命を全うできれば、祈祷寺を布教寺に帰せしめるのが
誓願のひとつです。偉そうなこと言って、勉強と修行はまだまだですが・・・
足りない部分は常不軽菩薩の精神でもよいと思います。
 >  庶民は、結構正しく見てるところがありますよ。
 その怖さを噛みしめ、また励みにしなくてはなりませんね。
 >  だから、熱心な優れた行者さんなんかには、無条件で敬意を
 >  示したりされます。
 だから行者さんには、相応の道心と学解がないと荒行を許可するべきでない
でしょうね。
 天台宗は千日回峯行も十二年籠山行もなかなか許可を出されないのでしょう
?
 >   だから、口上手な新興宗教に騙されたり
 >  されますけど、心は純粋じゃないかと思います。
 >  この純粋さを裏切らないようにすれば、さほど危機でもない。
 たしかに。
 ▼
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  ̄
00480 00/03/10 22:45 Eisai              RE:00474 必要な伝統仏教の建て直し
 >  小学生なみの字などあります。
 ううん、人ごとでない。
 >  奥さんが書いてるらしいとか、云われます。
 そういう手がありましたね・・・今更遅いですが・・・。
 >   こうして、富の平等化が進めば、皆が幸せになれるという
 >  仮定条件ですから、宗教は必ず、新興宗教化して、専門宗教
 >  つまり伝統仏教などは無視されてしまうでしょう。
 近世に熟成されたシステムと伝統だけではそうなるでしょうね。
 むしろ、仏教各派は仏教学的な成果も踏まえて原理主義的な思惟をして教団
と教学を見直していかなくてはならないように思います。
 ユダヤ教系一神教は原理主義に走ると、差別的で物騒なこともあります。対
して、仏教はお釈迦様の時代に戻れば戻るほど平等で平和になる気が致しま
す。
 >   高度な文化を志しても実現できる人が無くなって、愚人も
 >  賢人も同じ一人なんですが、現実は賢人でなければ解らない
 >  ことなどが結構あるわけです。それは、愚人と同じ発言力し
 >  かない現実では、優れた宗教家になる志も育たないので、
 賢い人を尊敬することは現代の日本でも残っているように思います。ただ、
その賢い人よりも政治力と経済力そして血縁の力がものをいう、そんな慣習が
出来上がっている伝統宗派もあるようです。そして、その賢い人を見出し、育
て、活かすエリート教育のシステムが心許ないのではないでしょうか。
 >  やがて、伝統教団は、愚僧教団になる可能性も大きいです。
 僧階昇叙に論文や教学テストをするなど啓蒙的な雰囲気が必要ですね。
 >   原因は、私は経済効率第一主義にあると思います。
 >  経済は「経世済民」の略語だそうですが、確かにそうです。
 >  しかし、金が世を救うのは誤った考え方じゃないかと思うん
 >  だけど。
 そうですね、経済力さえあれば近世・近代からみれば魔法のような何不自由
ない人生があるから、効率主義・・・如何に楽にたくさん稼ぐかということに
なってしまうところに問題の萌芽があるのかな。
 手を合わせて、心の畑を耕して得られるものが蔑ろにされる。菩提心の大切
さを気付くには、四苦八苦に遭遇した機会に善知識を得るという、現代では希
有な体験をしなくてはなりませんでしょうか。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00481 00/03/10 22:45 Eisai              RE:00476 ふくちゃんです
ふくちゃんさん、こんばんは。
  ようこそ仏教ラウンジへ!!
    \( ⌒ - ⌒ )/
 > 所在地と同じ尼崎市・本興寺内学林にて宗学を学びました。
 お近くに居られたのですね。
 檀林の株橋先生や塔頭の御住職と葬儀で同座させていただいたことがありま
すし、苅谷先生の独特?の法華経の世界を近所の日蓮宗僧侶と受講させて頂き
感銘を受けたことがあります。
 > 後筑波大学にてエリアーデ系の教授に師事し宗教学を専攻、
??? でしたので大辞林を引きました
  ----------------------------------------------------
  エリアーデ_Mircea Eliade_
  (1907- 1986)ルーマニアの宗教史家・作家。第二次大戦後、パリ大
  学・シカゴ大学の教授。「祖型と反復」を唱えて永遠回帰論を展開す
  るなど、諸宗教の思想・宇宙観を比較研究。また、日常の中の神秘
  性を鋭い感性で小説にした。著「シャーマニズム」「信仰と観念の歴
  史」
  ----------------------------------------------------
 すると、また ??? になりました。
 「祖型と反復」、永遠回帰論って何なのですか?
 私のような素人に解るように概略でも教えていただければ幸甚です。
 もちろん、素人に解らないようなものでしたら結構です。
 >  「伝統教学VS仏教学」は個人的にも興味深いテーマです。また何か発言
で
 > きればと思います。
 宜しくお願いします。
 伝統宗派が仏教学をどう捉えていくか考えることは、先送りできない問題と
思うのですが、如何でしょう。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
PS 亀レスすみませんでした・・・\(__ ) ハンセィ
00482 00/03/12 15:41 Eisai              RE:00478 空と有
 YAM さん、こんばんは。
 > 上座部から直接に派生したという伝承もあれば,上座部から化地部を経て
派
 > 生したという伝承もあり,決定的な証拠はないようです.
 インド仏教学も先生によって仰ることが違うし、そのわりに自信をもって自
説を展開されますね。宗学と同じだったりして。
 ならば・・・自分で考えようと思うも、
 サンスクリットの読めない、漢文の白文もろくに読めない。
 原典を読めない私のような者は、受け売りをしているに過ぎないのかな。
 > このあたり,袴谷先生や松本先生の如来蔵思想批判をどう受け止め
 > ていくか,みなさまの御意見を伺いたいと思います.
 如来蔵思想は仏教にあらず・・・は随分昔の話のように思っていたら、ここ
10年くらいのことのようですね。
 一昨年だったか、松本史朗先生が仏教大学四条センター(京都 四条烏丸)
で講演されたときは超満員で外国人も聴きに来られていました。
 > 親鸞の場合はどちらかと言うと空の立場が色濃く
 > (無上仏ともうすはかたちもなくまします),
 > それに対して蓮如の場合は有の立場が強調されます
 > (弥陀仏の御袖にひしとすがりて).
 真宗の詳しいことは知りませんが、
 出家対象の上座部とちがって、一般民衆をも対象する大乗では、後者の方が
説得力があるのでしょうね。
 日本でも、昨年五百遠忌の蓮如さんが登場されるまで親鸞さんの教団は大き
くは発展しませんでした。
 考え方云々よりも、蓮如さんのシステムの凄さもあるのでしょうけど。
 > 空は空としてとどまるかぎり帰依処とはなりえず,方便として形をもって
 > 現れてくる,それが宗教だと思うのです.
 なるほど、方便という捉え方が良いような気がします。
 語弊があるかも知れませんが、大乗仏教は時代を超え国を越えて出家の叶わ
ぬ凡夫が生身のお釈迦様の御教えに触れて救済されるための方便だと思いま
す。
 もちろん、ここでいう方便は「うそ」や「仮の手段」ではなく、「巧みな手
段」であり真実だと思います。
 > 空だけなら哲学だし,有だけなら迷信だし,そこを統一していく必要があ
ります.
 > (龍樹はそのことはとっくに分かっていたのでしょう.)
 > それは「空仮中」の三諦論の具体化だと思うのですが,いかがですか?
 これから勉強しようと思っている領域でよくわかりません。
 龍樹の『中論』の真俗二諦を、天台大師が三観思想によって展開させて空仮
中の三諦を説かれた。といったことを言われているのでしょうか?
 解りやすく教えていただけませんでしょうか?
 あるいは解りやすい参考文献があれば教えていただければ有り難い。
 以信代慧という言葉に甘えてる?
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00483 00/03/12 23:35 YAM                RE:00482 空と仮
At 3:41 PM 00.3.12, Eisai wrote:
>  語弊があるかも知れませんが、大乗仏教は時代を超え国を越えて出家の叶わ
> ぬ凡夫が生身のお釈迦様の御教えに触れて救済されるための方便だと思いま
> す。
>  もちろん、ここでいう方便は「うそ」や「仮の手段」ではなく、「巧みな手
> 段」であり真実だと思います。
「うそも方便」という言葉から,一般に,なにかより低いものというイメージが
できてしまったのは困ったことです.
>  龍樹の『中論』の真俗二諦を、天台大師が三観思想によって展開させて空仮
> 中の三諦を説かれた。といったことを言われているのでしょうか?
はい,そうです.空仮中の三諦偈は『中論』24章18偈にありますが,
三観思想や三諦円融論はここに根拠があるということらしいです.
吉蔵嘉祥も同様らしい.
(らしい・・・直接読んだわけではないので曖昧な表現です)
>  あるいは解りやすい参考文献があれば教えていただければ有り難い。
私がたよりにしているのは,
小川一乗『大乗仏教の根本思想』(法蔵館)ISBN4-8318-7832-4
すこし分厚いですが,ひじょうに分かり易いです.
仏教の根本教説を縁起にありとするのは,前出松本先生も小川先生も
同じですが,松本先生は縁起を時間的不可逆的関係ととらえるのにたいし,
小川先生は相依相待関係としてとらえています.
P.S.「空と有」を対比させたのは私のまちがいです.有と対比されるのは
無であり,有無の二辺を否定するところに空が成り立つわけですから.それで
タイトルを変更させていただきました.空=無/有=仮 みたいな書き方を
してもうしわけありませんでした.
00484 00/04/06 09:38 川蝉               RE:00476 ふくちゃんです
 ふくちゃんさん今日は。
初めまして。だいぶ遅れたコメントですが。
本門法華宗所属とのこと、私は日蓮宗所属です。
苅谷定彦教授の「法華経一仏乗の思想」を読んだときには、私など何気なく読んでい
る経文から、深い意味を酌みとっているので、さすが明敏な学者の頭はすごいなと、
感じました。その後の発表をまとめた論文集を心待ちにしています。
また東方出版法華シリーズの「法華信仰随想・松本日宗著」は法話に利用したり、部
分をコピーして信徒さんに読んでもらたっりしました。極めて良い内容の本と思いま
す。
特に「お祖師さまの命令で来たと云う人」は興味を持ちました。近ければ、松本上人
にお会いして、そのときの話をもっと詳しく聞きたいと思いました。
「日蓮宗宗学全書」に日隆上人の著述の一部が収録されていますが、ちょっと見ても
極めて難しいので、本門法華宗の人は大変だなと思っています。
00485 00/05/21 03:01 MASTER             RE:00470 真宗の打敷と神棚
Eisaiさま
初めまして、と言うよりご無沙汰しております。平成8年の春、大変お世話になりま
した。
自己紹介は徐々にさせていただきたいと思います。
> > >  ここで問題なのは、仏教が本来、霊魂というものをどう捉えているのかとい
>う
> > > ことでしょうか。
読ませていただいている内に、お聞きしてみたくなりました。乱暴かもしれませんが、
お許し下さい。
1 法要は、誰の為に、どういう目的で行うのですか。
2 法要の時、なぜお経を読むのですか。
3 宗派によってお経が違いますが、お経が違うといけないのでしょうか。
ラウンジの最初に肩のこらないおはなしを・・と書いてありましたが宜しく
お願いいたします。
 
00486 00/05/21 12:53 Eisai              RE:00485 法要は、誰の為に、どういう目的
MASTER さん、こんにちは。
 > 初めまして、と言うよりご無沙汰しております。平成8年の春、
 > 大変お世話になりました。
 > 自己紹介は徐々にさせていただきたいと思います。
 某Mというお寺でお会いしたのでしょうか?
 > 1 法要は、誰の為に、どういう目的で行うのですか。
 法要主旨の対象となる者の為にという面と、法要参列者の為にという面があ
ると思います。
 追善法要であれば、故人のためだけでなく、遺族の心の中に生きている故人
への思い入れをいやす意味もあるのではないかと思います。
 究極的には法要を通じて法要参列者みなさんの仏教への信心を深めて、仏陀
の理想の世界をこの世に顕現させる一助となる方にベクトルがあるのではと思
います。
 だからこそ、法華では法要の最後に普回向
  願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道
   願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし
     我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん
(妙法蓮華経化城諭品第七)
と唱えるのではないでしょうか?
 平和で平等で真に豊かな世界の顕現・・・・そのためには一切衆生に菩薩と
しての本性を自覚して目覚めていただくことが第一だと思います。
 だからこそ、常不軽菩薩(妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十)は但行礼拝をさ
れたのでしょうね。
 > ラウンジの最初に肩のこらないおはなしを・・と書いてありましたが
 > 宜しくお願いいたします。
 長くなって、書く方も読む方も肩が凝りそうなので2〜3は別の機会に。
(^_^;
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00487 00/05/21 17:31 MASTER             RE:00486 法要は、誰の為に、どういう目的
Eisaiさま 
Eisaiさまとお会いしたのは、S道場でのことです。H堂で安座事件が
ありましたが、その時の一人(若い方)です。今はC県南部の小さなお寺で
四苦八苦しております。 
> > ラウンジの最初に肩のこらないおはなしを・・と書いてありましたが
> > 宜しくお願いいたします。
私は今、宗教家(僧侶・神官)と言われる方々と真剣にお話がしたいのです。
というのは、一ヶ寺まかされお檀家さんとのやりとり、その他ご相談したいことが
たくさんあります。(師匠ではなく同年代の方と・・)この場所でで無理であれば
お話出来るところをご紹介いただけませんでしょうか。
また、Eisaiさまに直接メールしてもよろしいのでしょうか。
どうぞ宜しくお願いいたします。
00488 00/05/29 14:18 MASTER             失礼いたしました
Eisaiさま
先日は、いろいろ相手様のことも考えずお話をしてしまい、大変失礼いたし
ました。私は、住職になってやっと一年がたち、お檀家さんのお名前と顔が
やっと一致するようになりました(失礼なことですが)。
しかし、ここにきていろいろな問題にぶつかり始めました。
まあ、それがあるからこそ人間生きていて楽しいのですが・・・
話は変わりますが、私は今、「一日一善運動」を進めています。これは善の
連鎖反応となる素晴らしい布施の行ではないかと思います。今の世の中は何処
を見ても、自己中心的な行動をとる方があまりにも多いと思います。決して
自分は違うとはいえませんが。車を運転していてもストレスのたまる事ばかり、
渋谷の町の中で、おばあちゃんが倒れていましたが、手をさしのべる人は
一人もいませんでした。
今こそこの「一日一善運動」を広めていきたいと思います。     合掌
00489 00/05/29 19:20 Eisai              RE:00487 法要は、誰の為に、どういう目的
MASTER さん、こんばんは。
 > H堂で安座事件が
 > ありましたが、その時の一人(若い方)です。
閻魔帳?を調べたけど記録していません。
忘却の彼方です。
ヒントを下さい。
ここには、同期の宮崎県のK君も来られて居ましたが読んでおられるかな?
ローカルな話題すみません。>all
 > 私は今、宗教家(僧侶・神官)と言われる方々と真剣にお話がし
 > たいのです。
 >
 > というのは、一ヶ寺まかされお檀家さんとのやりとり、その他ご相談した
い
 > ことがたくさんあります。(師匠ではなく同年代の方と・・)
 布教研修所をお勧めしますが年齢制限は大丈夫ですか?
 > この場所でで無理であれば
 > お話出来るところをご紹介いただけませんでしょうか。
 お坊さんだけのBBSが必要ですね。
 でも、私も日蓮宗教師専用BBSを作ったのですが・・・私自身パスワード
を忘れてしまう有様。
 > また、Eisaiさまに直接メールしてもよろしいのでしょうか。
 いま、多忙モードです。
 話題によっては超亀レスになりそうです。
 でよければどうぞ。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00490 00/05/29 22:35 MASTER             (発言者削除)
00491 00/05/29 23:11 MASTER             RE:00489 法要は、誰の為に、どういう目的
Eisai さん、こんばんは。
>閻魔帳?を調べたけど記録していません。
>忘却の彼方です。
>ヒントを下さい。
当時私は6班で、最後の施餓鬼の時に司会を務めました。
おわかりでしょうか?  まだ、だめかな
あれからもう4年、いやまだ4年でしょうか。
もう一度S道場に入りたい気がします。今ならもっと理解できるのに・・・
とか、こういうことを聞いてみたいな・・・などと思ったりしています。
布教研修所も考えては見たのですが、時間とお金がうまく都合出来ません。
(住職をしながら、師匠の所でお給仕しております)
当方、乙種の試験程度の知識しか持ち合わせておりませんので、難しいことは
分かりませんが、お檀家さん(おじいちゃん、おばあちゃんがほとんど)に難
しいことを話しても無理なのでそれなりにわかりやすく布教しているつもりです。
私は第40世になりますが、供養の材料には事欠きません。過去の資料を見ま
すと、当寺の住職が自殺していたり、近くの城跡で過去沢山の人が亡くなっていた
り、近くの川で水死者が沢山いたり、親の勝手で赤ちゃんを始末したり(口減らし
とは違うようですが沢山あったようです)と、全く供養に事欠きません。今までで、
10回ほど仲間と施餓鬼供養をしました。
っと毎日こんな事を考えながら過ごしております。
ここで、この様な形でお話しできるのが「最高〜で〜す」(ちょっとあぶないかな)
これからも宜しくお願いいたします。
それではまた                           合掌
00492 00/05/30 12:01 川蝉               RE:00491 法要は、誰の為に、どういう目
 
MASTER さん初めまして。
お話の様子からでは、MASTER さんとは35歳以上年上かと思われます老僧です。
>もう一度S道場に入りたい気がします。今ならもっと理解できる
>のに・・・とか、こういうことを聞いてみたいな・・・などと
>思ったりしています。
そのお気持ち分かります。私も、今ならもっと身延の先生がたの講義を深く受け取れ
ただろうなと思われます。
>当方、乙種の試験程度の知識しか持ち合わせておりませんので、
教学は自身の信仰を強める為に、その時々必要な学習をしていくものと考えています。
あと、たとえばインターネットの掲示板で他宗関係の人と議論する場合、それなりの
勉強をして置かねばなりませんが、普段の法話には難しい理屈は必要ないですね。
>私は第40世になりますが、供養の材料には事欠きません。
施餓鬼供養をされておられるとの事、よく無縁さん供養するお寺は栄えると云う話し
がありますね。
つい最近まで身延山の布教部長であった功刀上人に、聞いた体験ですが、(だいぶ以
前に聞いた話なので、うら覚えです)
布教研修所を出て、間近い頃でしたか、朝勤で太鼓を打っていると、左手が自然と頸
に行ったり、胸部をさすったりし始めたそうです。お母さんに後で話すと、「そう云
う時には心の中で聞いてみなさい」と云われ、翌日同じ状態になったので、心の中で
問うてみると、「○○代の住職で頸をつった者」「○○代の住職で、寺を逃げ出した
後、胸を患いのたれ死にした者」で、供養してもらいたいと答えが返ってきたそうで
す。
過去帳を調べて見たら、答えの通り○○代の住職は縊死したとあり、○○代の住職は
行方不明と記載されてあったとのことです。
00493 00/05/31 08:55 Eisai              RE:00488 一日一善
こんばんは。
 > 私は、住職になってやっと一年がたち、お檀家さんのお名前と顔が
 > やっと一致するようになりました(失礼なことですが)。
 同じ姓が多かったり、檀家同士は屋号で呼び合っていたりしませんか?
 名前も略したりして・・・。
 ○屋の隠居(分家)の○ちゃんが・・・と言われても、誰か分からない。
 > しかし、ここにきていろいろな問題にぶつかり始めました。
 住職をしていると大変なことが沢山あるでしょうね。
 そうでなくても、私はいろいろな問題にぶつかっています。
 > 話は変わりますが、私は今、「一日一善運動」を進めています。これ
 > は善の連鎖反応となる素晴らしい布施の行ではないかと思います。
 競艇の御大が宣伝にもありましたね (^_^;
 でも、それこそ法華経ですね。
 みんな法華経を通して菩薩としての自己の本質を悟り、
 自ずと六波羅蜜のうち・・・力に応じた行をすれば、
 浄仏国土の顕現でしょうか。
 > 今の世の中は何処を見ても、自己中心的な行動をとる方があまりに
 > も多いと思います。
 人の姿をみて嘆いている間は良いですが。
 そんな行動をしてしまった自分を発見し、
 (よくあることです)
 それが自分の不治の本質なんだという疑念がわいたとき、
 やるせない気分になります。
 そんなとき皆悉菩薩の法華経の教えと、懺悔のお題目に救われるおもいで
す。
 方便品、譬諭品、薬草喩品、常不軽菩薩品あたりを読んでいなかったら坊さ
んを辞めていたでしょうね。
 私のような者でも、
 法華経は、挫折しないように、かといって驕らないように、上手く導いて下
さいます。
 > 渋谷の町の中で、おばあちゃんが倒れていましたが、手をさしの
 > べる人は一人もいませんでした。
 それは酷い!
 少し前になりますが、JR京都駅のホームの階段で倒れている人が居まし
た。
 まわりの人が介抱していましたよ。
 通りがかった私は・・・走って駅員さんを呼びに行きました。
 阪神大震災の時も、被災地はお互いに助け合っていました。
 沢山のボランティアが全国から駆け付けて下さいました。
 老婆を見捨てる人々にも本当は優しい心が宿っているはずです。
 それを芽生えさせる機会がなかったのでしょうね。
 まったく、教育と信仰がどうかしてしまっている。
 ▼
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  ̄
00494 00/06/06 21:36 MASTER             RE:00492 法要は、誰の為に、どういう目
 
 川蝉 さん こんばんわ
このところ、お葬儀と法事が重なりまして、久々に忙しいこのごろでした。
無縁さんにご供養すると・・・とのことでしたが、実は、来週か再来週あたり
JRの自殺者のご供養をすることになりました。
これは仲間達と調べたところ、年間約3万人の自殺者がいるそうです。
そのうち約1万人は鉄道自殺だそうです。
この方々は簡単には仏の世界にはいけないのかな〜などと考え、まずは
JR中央線のそばで施餓鬼供養を始めることにしました。
余り大げさなことをすると仏さんが頼ってくるよ〜っと言われましたが、
仲間達とがんばって施餓鬼供養するつもりです。
JRにいろいろ尋ねたのですが、ご供養らしいことは何もしていないと
のことでした。
坊主になった以上は、できる限りご供養していくと心に決めた今日この頃です。
00495 00/06/18 14:11 Eisai              選挙期間中の発言について
 当ラウンジ開設者の私は明後日からしばらく渡欧します。
                    (^0^/~~~~
 現地で、モジュラー接続に成功すれば、何とか当ラウンジも管理できますが、出来
ないかも知れません。
 衆議院議員総選挙の投票日は6月25日(日)です
 皆さん必ず投票をしましょう・・・・(^_^;
 というわけで、衆議院の選挙期間中です。もし何か法律上で問題が起こるようなこ
とがあれば、自主的な修正や削除などを宜しくお願い致します。
仏教ラウンジ bodhi
 管理者モード Eisai
00496 00/06/23 13:51 Eisai              RE:00495 とりあえずドイツからアクセス成
 ドイツ万博の会場ハノーファーに到着致しました。
 昨日は、ハノーファー市内のベトナム寺院でハノーファー万博での法要の練習を致
しました。
 >   現地で、モジュラー接続に成功すれば、
 ここのホテルでは接続できるようです。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00497 00/06/23 21:59 秋田の鰰           RE:00496 とりあえずドイツからアクセス成
> ドイツ万博の会場ハノーファーに到着致しました。
> 昨日は、ハノーファー市内のベトナム寺院でハノーファー万博での法要の練習を致
>しました。
>
> >   現地で、モジュラー接続に成功すれば、
>
> ここのホテルでは接続できるようです。
>
> ▼
> |\(*^^)v  Eisai
接続成功をおめでとうございます。
当たり前と言えば当たり前ですが、でも、不思議な気もします。
新聞等でドイツ万博の記事は見かけますが、今回の法要のことを書いた物は未だ見か
けません。現地の反応も含めて今度詳しくお知らせ下さい。
00498 00/06/25 07:39 Eisai              RE:00497 From Hannover Deutchland
 >  接続成功をおめでとうございます。
 日本でローミング先の電話番号を調べ、モジュラーの変換アダプターを買う。あと
は接続の設定をして、ホテルの電話設備との相性のようです。設定と試行錯誤に30
分かかりました。
 >  当たり前と言えば当たり前ですが、でも、不思議な気もします。
 便利です。
 家内と毎日やりとりしているので、留守中も少し安心です。
 >  新聞等でドイツ万博の記事は見かけますが、今回の法要のことを
 >  書いた物は未だ見かけません。
 日本のマスメディアは日蓮系を扱いたくないようですね。
 こちらのメディアが取り上げてくれているのかどうか知りません。
 TVも新聞もドイツ語ですから見ていません。
 ただ、こちらの23日の新聞には写真付きで紹介されたようです。
 取り上げてくださっても不思議じゃない陣容だと思います。
 会議や法要に参加する方々がただ者ではないようです。
 竹内吉祥上人は本当に凄い方です。
 どちらにしても、マスメディアのことは意識せず、明日の本番に来られた現地の
方々の心に響く声明と読経に努めたく思います。
 >  現地の反応も含めて今度詳しくお知らせ下さい。
 昨日、開会式のためハノーファー万博の会場を70人からの坊さんが僧服(道服)
で歩きました。
 視線を感じつつも奇異な目で見られるかと思えばそうではない。
 すれ違った白人の高校生が「You are great !」と親指を突っ立てて言ってくれま
した。
>From Hannover Deutchland
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
00499 00/06/28 22:02 ただちゃん         人の心の分析
小生人間の心の構造について悩み、小説を一つ書きました。コメントを頂きたいと思
います。公開しているサイトは、http://www.skyboom.com/tr-miyachiです。人間の
罪の意識の本質は何かということがテーマです。はじめのほうは、柔らかい雰囲気か
ら出発しますが、どんどん展開しますので、ぜひお終いまで読んでください。
コメント先 ur8t-myc@asahi-net.or.jp
00500 00/07/06 21:08 Eisai              RE:00498 Hannover Deutchland の祭典
私がドイツのハノーファーまで行きました
 国際フォーラム2000
 国際永久平和祈念祭典
 (理事長天台宗小林隆彰僧正)
に関するホームページを今頃みつけました。
  http://www4.osk.3web.ne.jp/~if2000/
です。
 今のところ、祭典の報告のようなページはみあたりません。
 私の方からも紀行的なものをHPに掲載するよていですが、超多忙モードです。
 ▼
 |\(*^^)v  Eisai
  ̄
 

仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_1  001-100  101-200  201-300  301-400  401-500  501-600  600-end