妙法蓮華経序品第一 (2)


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別序

  ◆集衆序  


[真読]

爾時世尊。四衆囲遶。供養恭敬。尊重讃歎。

[訓読]

爾の時に世尊、四衆に圍繞せられ、供養・恭敬・尊重・讃歎せられて、

[解説]

世尊(せそん) サンスクリット語 bhagavat の漢訳語。bhaga (幸運、繁栄) とvat (を有するもの) の結合したもの。福徳ある者、聖なる者の意味で、古代インドでは師に対する呼びかけの言葉として用いられていた。仏教においては釈尊を意味する語として用いられたが、神格化されるに伴い仏の尊称となる。

四衆(ししゅ) 仏教教団を構成する比丘(びく)比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい)のこと。比丘は男子の出家者。比丘尼は女子の出家者。優婆塞は男子の在家仏教信者で、優婆夷は女子の在家仏教信者。

圍繞(いにょう) 周りをとりかこんでいること。(大辞林)

供養(くよう) 原語は、尊敬をもって、ねんごろにもてなすこと。香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げることをいう。

恭敬(くぎょう) うやうやしくつつしむこと。「恭」は行為など外に現れるものにおける慎み深さを意味し、「敬」は心の慎みを意味する。

讃歎(さんだん) 仏・菩薩の徳をほめたたえること。仏教徒にとって大切な修行で、法要ではしばしば讃歎の文言や声明が唱えられる。


  ◆現瑞序  


◎此土六瑞
@説法瑞

[真読]

為諸菩薩説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念。

[訓読]

 諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。

[解説]

此土六瑞(しどろくずい) 此土とはこの世のことで、娑婆世界をさす。瑞とは、めでたいことの起こるきざし。釈尊が法華経を説かれる前に、この世に素晴らしい6つの前兆が現れたことを言う。

説法瑞(せっぽうずい) 此土六瑞の第一で、釈尊が説法をされた。

無量義(むりょうぎ) 無限に奥深い意義を有する。

教菩薩法(きょうぼさっぽう) 菩薩を教化する経典。

仏所護念(ぶっしょごねん) 仏が護り支持する。

無量義・教菩薩法・仏所護念 天台系とその系譜である日蓮系など伝統的な解釈では、説法瑞で説かれるのは法華三部経の開経たる『無量義経』とされる。『無量義経説法品第二』の「四十余年未顕真実」、釈尊が悟りを開かれて(成道)から40年間に説かれた経典には未だ真実を説いていない。『法華経』に至ってはじめて真実が説かれるとの説である。
 ところが、梵本での該当部分は長行 (maha-nirdesa 偉大な説示) と偈頌 (ananta-nirdesa 無限の説示) で違いがある。これらが『無量義経』でないという説はよく耳にする。

無量義経(むりょうぎきょう) 一巻。南斉の曇摩伽陀耶舎(どんまがだやしや)訳(481年)。3品に分かれ法華経の序論に相当する内容とされる。しかし、近年中国における偽経説が出されている。


A入定瑞

[真読]

仏説此経已。結跏趺坐。入於無量義処三昧。身心不動。

[訓読]

仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず。

[解説]

入定瑞(にゅうじょうずい) 此土六瑞の第二。定とは三昧(samadhi)のことで、心を一つの対象に集中させて動揺を静めて平穏に安定させること。心の散乱を静めた瞑想の境地。『法華経』を説かれる前にそのような境地に入られる瑞相があらわれた。

結跏趺坐(けっかふざ) 座禅ですわる方法の一つ。足の甲を反対の足のももの上に乗せて、足を結んだような形をする。

無量義処三昧(むりょうぎしょさんまい) 極まりない教えの基礎に心を専念する瞑想の境地。


B雨華瑞

[真読]

是時天雨曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。

[訓読]

是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散じ、

[解説]

雨華瑞(うけずい) 此土六瑞の第三。『法華経』が説かれる前に花が()ってくる瑞相があらわれた。めでたいしるしとして天から雨り、見る者の心を悦ばせるという。諸天が仏徳を讃歎して四華を散花する記事は諸経典に見える。法要中に散華といって花びらに似せた紙を散じることは、このことをあらわしている。

曼陀羅華(まんだらけ) 色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという天界の花。

摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ) 摩訶は大きいという意味。大きな曼荼羅華。

曼殊沙華(まんじゅしゃけ) ここでは赤い有毒植物の彼岸花のことではない。この花を見るものを悪業から離れさせる、柔らかく白い天界の花。

摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ) 摩訶は大きいという意味。大きな曼殊沙華。


C地動瑞

[真読]

普仏世界。六種震動。

[訓読]

普仏世界六種に震動す。

[解説]

地動瑞(ちどうずい) 此土六瑞の第四。『法華経』が説かれる前に、瑞相として(あまね)く仏の世界の地面が揺れた。

六種(ろくしゅ) 東・西・南・北と上・下の6つの方向。


D衆喜瑞

[真読]

爾時会中比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。天。竜。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩・羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王。是諸大衆。得未曾有。歓喜合掌。一心観仏。

[訓読]

爾の時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩、羅伽・人非人及び諸の小王・転輪聖王、是の諸の大衆未曽有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。

[解説]

衆喜瑞(しゅうきずい) 此土六瑞の第五。その場にいたものたちが瑞相を喜んで一心に仏をみること。

会中(えちゅう) あつまりの中

比丘(びく)
比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい)
 四衆。比丘は男性の出家した僧侶。比丘尼は出家した尼僧。優婆塞は在家の男性信徒。優婆夷は在家の女性信徒。

天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩、羅伽 八部衆。古代インドの邪神であったが、釈尊に教化され、仏法を守護するようになった八種の天部。

(1)天は、神を意味する。神の概念は仏教の救済論には本来不必要であるが、バラモン(婆羅門)文化の影響下に仏教にとりいれられた。

(2)龍は、蛇に似た形の一種の鬼神。インド神話におけるナーガ(龍)は蛇(特にコブラ)を神格化したもので、大海あるいは地底の世界に住むとされる。彼等の長である竜王は巨大で猛毒をもつものとして恐れられた半面、降雨を招き大地に豊穣をもたらす恩恵の授与者として信仰を集めた。特にインドの原住民部族の間では古くからナーガ信仰が盛んであった。

(3)夜叉は、主として森林に住む神霊である。鬼神として恐ろしい半面、人に大なる恩恵をもたらすともされた。

(4)乾闥婆 前述。

(5)阿修羅 前述。

(6)迦楼羅 前述。

(7)緊那羅 前述。

(8)摩、羅伽 前述。

人非人(にんぴにん) 人間に似た形姿をしているが人間ではない者という意味もあるが、梵文和訳を見る限り、ここでは四衆と八部衆を総称したものであろう。

小王(しょうおう) 地方の王侯。

転輪聖王(てんりんじょうおう) 正義をもって世界を治める王。

大衆(だいしゅ) 説法を聴聞しに集まったものたち。

未曽有(みぞうう) これまでになかったほどすばらしいことを意味する。


E放光瑞

[真読]

爾時仏放眉間白毫相光。照東方万八千世界。靡不周遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼・天。

[訓読]

爾の時に仏眉間白毫相の光を放って、東方万八千の世界を照したもうに周遍せざることなし。下阿鼻地獄に至り、上阿迦尼ァ天に至る。

[解説]

放光瑞(ほうこうずい) 此土六瑞の第六。釈尊の眉間から光が放たれ、東方一万八千の世界を普く照らし、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の世界を映しだした。

白毫相(びゃくごうそう) 仏の眉間(みけん)にある白い旋毛(せんもう)のかたまり。三十二相の一つ。

旋毛 渦状に旋回して生えている毛。つむじ。

三十二相 仏がそなえているという三二のすぐれた姿・形。

周遍(しゅうへん) すみずみまで行き渡っている。本文では二重否定で肯定となる。

阿鼻地獄(あびじごく) 八大地獄の第八。五逆・謗法の大悪を犯した者が、ここに生れ、間断なく剣樹・刀山・熱湯などの苦しみを受ける。諸地獄中で最も苦しい地獄。間断なく苦しみがあるので無間地獄ともいう。

阿迦尼ァ天(あかにだてん) 有頂天。天のなかの最高の天。絶頂をきわめるの意から転じて、喜びで夢中になることを「有頂天になる」という。


◎他土六瑞
@見六趣瑞   (六趣を見る瑞)

[真読]

於此世界。尽見彼土。六趣衆生。

[訓読]

此の世界に於て尽く彼の土の六趣の衆生を見、

[解説]

他土六瑞(たどろくずい) 他土とは直前の放光瑞で照らされた東方一万八千の世界。その世界の六つのめでたい出来事の前兆が釈尊の眉間から映し出された。

此の世界 私たちの娑婆世界。


彼の土 放光瑞で照らされた東方一万八千の世界。


六趣の衆生 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの運命をたどる衆生。業によって輪廻転生を繰り返す。


A見諸仏瑞   (諸仏を見る瑞)

[真読]

又見彼土。現在諸仏。

[訓読]

又彼の土の現在の諸仏を見、

[解説]

現在の諸仏 梵文和訳※をみると現在という訳語はない。現在、過去、未来の三世の現在ではなく、単に現在するという意味であろう。

※岩波文庫「法華経 上」岩本裕 P21、中央公論社「法華経T」松涛誠廉・長尾雅人・丹治昭義 P12、春秋社「現代語訳 法華経 上」中村瑞隆 P7


B聞諸仏説法瑞 (諸仏の説法を聞く瑞)

[真読]

及聞諸仏。所説経法。

[訓読]

及び諸仏の所説の経法を聞き、

[解説]

 (省略)


C見四衆得道瑞 (四衆の得道を見る瑞)

[真読]

并見彼諸比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。諸修行得道者。

[訓読]

並に彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸の修行し得道する者を見、

[解説]

比丘(びく)比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい) 四衆。比丘は男性の出家した僧侶。比丘尼は出家した尼僧。優婆塞は在家の男性信徒。優婆夷は在家の女性信徒。

得道(とくどう) 得仏道。仏教の真理を体得すること。


D見行瑞    (菩薩修行の相を見る瑞)

[真読]

復見諸菩薩摩訶薩。種種因縁。種種信解。種種相貌。行菩薩道。

[訓読]

復諸の菩薩摩訶薩の種々の因縁・種々の信解・種々の相貌あって菩薩の道を行ずるを見、

[解説]

摩訶薩(まかさつ) 菩薩の尊称。偉大な志を持つ者。

因縁(いんねん) 原始仏教では因(hetu)、縁(pratyaya)はともに原因をさす言葉。梵本では (hetu-karana)。

信解(しんげ) 理解をともなった信仰。(abhimukti)

相猊(そうみょう) 姿や顔形などの外形。(梵本不明)


E見帰涅槃瑞  (仏の涅槃を見る瑞)

[真読]

復見諸仏。般涅槃者。復見諸仏。般涅槃後。以仏舎利。起七宝塔。

[訓読]

復諸仏の般涅槃したもう者を見、復諸仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る。

[解説]

般涅槃(はつねはん) 仏の完全円満な入滅。(parinirvrta) 涅槃でも完全な涅槃をさし、肉体などの生存の制約から完全に離れた状態。

仏舎利(ぶっしゃり) 仏を火葬したあとの遺骨。

七宝塔(しっぽうとう) 宝石で飾られた仏舎利をまつる塔。仏舎利塔は初期大乗仏教の成立に大きな意味を持つと考えられている。(参考 平川彰「初期大乗佛教の研究」)

  ◆疑念序  


◎弥勒疑念   (弥勒の疑念)


[真読]

爾時弥勒菩薩。作是念。今者世尊。現神変相。以何因縁。而有此瑞。今仏世尊。入于三昧。是不可思議。現希有事。当以問誰。誰能答者。復作此念。是文殊師利法王之子。已曾親近供養。過去無量諸仏。必応見此。希有之相。我今当問。

[訓読]

爾の時に弥勒菩薩是の念を作さく、今者世尊、神変の相を現じたもう。何の因縁を以て此の瑞ある。今仏世尊は三昧に入りたまえり。是の不可思議に希有の事を現ぜるを、当に以て誰にか問うべき、誰か能く答えん者なる。復此の念を作さく、是の文殊師利法王の子は、已に曽て過去無量の諸仏に親近し供養せり。必ず此の希有の相を見るべし。我今当に問うべし。

[解説]

弥勒の疑念 お釈迦様が瞑想に入られたまま、今まで見たこともない不思議で素晴らしい光景が現れた。それに対して弥勒菩薩が、これらの光景はどのような原因で何を意味するのかわからず、文殊菩薩に尋ねようとする。

弥勒菩薩(みろくぼさつ) 弥勒はサンスクリット語マイトレーヤ maitreya の音写で、友愛(慈悲)の教師の意味。菩薩の名前はその菩薩のはたらきを示す。弥勒菩薩は原始仏典の阿含経にも登場するなど、仏教の古層からの代表的な菩薩の一人であるが、その弥勒菩薩でさえ、此土六瑞、他土六瑞の光景が何を意味するのかわからなかった。

神変(じんべん) 超人間的な不思議な力を示すこと。

(ずい) めでたいしるし。

三昧(さんまい) サンスクリット語サマーディー(samadhi)の音写。心を静めて一つの対象に集中し心を散らさず乱さぬ状態。

希有(けう) めったにないこと。まれなこと。

文殊師利法王(もんじゅしりほうおう)(みこ) 文殊菩薩。初期大乗経典のひとつ般若経経典群で活躍する菩薩。般若(智慧)を完全にそなえて、そのほか菩薩たちを主導する例が多い。

親近供養(しんごんくよう) 親しみ近づき仕えること。


◎大衆疑念   (大衆の疑念)

[真読]

爾時比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。及諸天竜鬼神等。咸作此念。是仏光明。神通之相。今当問誰。

[訓読]

爾の時に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び諸の天・龍・鬼神等、咸く此の念を作さく、  是の仏の光明神通の相を今当に誰にか問うべき。

[解説]

大衆疑念 弥勒菩薩だけでなく、その場に居た僧侶や信徒そして神々までもが、これら不思議で素晴らしい光景が現れたのはどのような原因で何を意味するのかわからなかった。

比丘(びく)・比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい) 四衆。比丘は男性の出家した僧侶。比丘尼は出家した尼僧。優婆塞は在家の男性信徒。優婆夷は在家の女性信徒。

咸く ここでは「ことごとく」と読む。咸の訓読みは「みな」で、漢字の意味は「みんなあわせて」「すべて」の意味。

光明神通(こうみょうじんづう)の相 白毫相からの放光瑞など此土六瑞・他土六瑞など不思議な瑞相をいう。

  ◆発問序  


◎長行

[真読]

爾時弥勒菩薩。欲自決疑。又観四衆。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。及諸天竜鬼神等。衆会之心。而問文殊師利言。以何因縁。而有此瑞。神通之相。放大光明。照于東方。万八千土。悉見彼仏。国界荘厳。

[訓読]

爾の時に弥勒菩薩自ら疑を決せんと欲し、又四衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び諸の天・龍・鬼神等の衆会の心を観じて、文殊師利に問うて言わく、何の因縁を以て此の瑞神通の相あり、大光明を放ち東方万八千の土を照したもうに、悉く彼の仏の国界の荘厳を見る。

[解説]

発問序(ほつもんじょ) 弥勒菩薩は自分だけでなく僧侶と在家信徒、そして神々までもがこの疑問をもっていることを観じて、文殊師利に瑞相について質問する。

比丘(びく)・比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい) 四衆。比丘は男性の出家した僧侶。比丘尼は出家した尼僧。優婆塞は在家の男性信徒。優婆夷は在家の女性信徒。

国界(こっかい) 界は境界・領域。梵文和訳からも仏国土の領域を意味する。

荘厳(しょうごん) 美しく麗しく飾ること


◎偈頌

[真読]

於是弥勒菩薩。欲重宣此義。以偈問曰

[訓読]

是に弥勒菩薩重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を以て問うて曰く、

[解説]

弥勒菩薩(みろくぼさつ) 梵文和訳(岩波文庫 法華経 岩本裕訳 P23)では「偉大な志をもつ求法者マイトレーヤ」とある。以後の文殊師利と弥勒の前世物語ではあるが、法華経は決して弥勒菩薩を軽んじてはいない。

欲重宣此義(よくじゅうせんしぎ) 長行(散文)が説かれてから、次に重ねてその内容を偈頌(韻文・定型詩)に説く時に使われる常套句。

 


○問此土六瑞 (此土の六瑞を問う)

[真読]

文殊師利 導師何故 眉間白毫 大光普照
雨曼陀羅 曼殊沙華 栴檀香風 悦可衆心
以是因縁 地皆厳浄 而此世界 六種震動
時四部衆 咸皆歓喜 身意快然 得未曾有

[訓読]

文殊師利 導師何が故ぞ
眉間白毫の 大光普く照したもう
曼陀羅 曼殊沙華を雨らして
栴檀の香風 衆の心を悦可す
是の因縁を以て 地皆厳浄なり
而も此の 世界六種に震動す
時に四部の衆 咸く皆歓喜し
身意快然として 未曽有なることを得

[解説]

文殊師利(もんじゅしり) 文殊菩薩。文殊師利菩薩。初期大乗経典のひとつ般若経経典群で活躍する菩薩。般若(智慧)を完全にそなえて、そのほか菩薩たちを主導する例が多い。 

導師(どうし) 衆生を導く師。仏教を教える指導者。お釈迦様のこと。

眉間白毫(みけんびゃくごう) 仏の眉間にある白い旋毛(せんもう)のかたまり。三十二相の一つ。ここから光が放たれる瑞相は、此土六瑞のひとつ放光瑞。

曼陀羅(まんだら) ここでは曼荼羅華。色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという天界の花。

曼殊沙華(まんじゅしゃけ) ここでは赤い有毒植物の彼岸花のことではない。この花を見るものを悪業から離れさせる、柔らかく白い天界の花。曼陀羅華や曼殊沙華がふるのは此土六瑞のひとつ雨華瑞。

栴檀(せんだん) 良い香りのする香木の白檀。

悦可(えっか) よろこばせる。

厳浄(ごんじょう) 梵本をみると、栴檀の抹香を撒いて国土を厳かに清めるの意味。

六種に震動 此土六瑞の地動瑞。『法華経』が説かれる前に、瑞相として普(あまね)く仏の世界の地面が揺れた。六種は東・西・南・北と上・下の6つの方向。

四部(しぶ)の衆 比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷。ようするに、出家の僧と尼、在家信者の男と女。

身意快然(しんにけねん) 身も心も快くなること。

未曽有(みぞう) いままでになかったほど素晴らしいということで、強い讃嘆の言葉である。


○問他土六瑞 (他土の六瑞を問う)
△見六趣

[真読]

眉間光明 照于東方 万八千土 皆如金色
従阿鼻獄 上至有頂 諸世界中 六道衆生
生死所趣 善悪業縁 受報好醜 於此悉見

[訓読]

眉間の光明 東方
万八千の土を照したもうに 皆金色の如し
阿鼻獄より 上有頂に至るまで
諸の世界の中の 六道の衆生
生死の所趣 善悪の業縁
受報の好醜 此に於て悉く見る

[解説]

東方万八千の土 東方の一万八千の国土

阿鼻獄(あびごく) 阿鼻地獄(あびじごく)のこと。地獄中で最も苦しい地獄。八大地獄の第八。五逆・謗法の大悪を犯した者が、ここに生れ、間断なく剣樹・刀山・熱湯などの苦しみを受ける。間断なく苦しみがあるので無間地獄ともいう。

有頂(うちょう) 「有頂天になる」という言葉があるが、有頂天とは天のなかの最高の天。前の長行(散文)では、阿迦尼ァ天(あかにだてん) という名で出てきた。

六道(ろくどう) 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天を指す。衆生がそのなした業の報いとして趣く六つの道。

生死(しょうじ)所趣(しょしゅ) 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道に生まれては死んでゆくこと、

善悪(ぜんなく)業縁(ごうえん) (ごう)とは行為のこと。業は悪いことのみを指すのではなく、善業もある。業は輪廻転生の思想と結びつき、善と悪の業を機縁として、次に生まれる六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の場所が定まると考えられた。

受報の好醜 前世の業(行為)によって、その報いとして受けるものの善し悪し。

此に於て(ことごと)く見る お釈迦様の眉間からの光で、この場所にいながらすべて見ることができた。


△仏説法

[真読]

又覩諸仏 聖主師子 演説経典 微妙第一
其声清浄 出柔軟音 教諸菩薩 無数億万
梵音深妙 令人楽聞 各於世界 講説正法
種種因縁 以無量喩 照明仏法 開悟衆生

[訓読]

又諸仏 聖主師子
経典の 微妙第一なるを演説したもう
其の声清浄に 柔軟の音を出して
諸の菩薩を教えたもうこと 無数億万に
梵音深妙にして 人をして聞かんと楽わしめ
各世界に於て 正法を講説するに
種々の因縁をもってし 無量の喩を以て
仏法を照明し 衆生を開悟せしめたもうを覩る

[解説]

聖主師子 仏の尊称。岩本裕訳には人間の王者の獅子(ライオン)の姿とある

微妙第一 一言では言い表せないような一番素晴らしいもの

梵音深妙 仏の説法が奥深くてなかなか理解することが出来ないほど見事である

楽わしめ 「ねがわしめ」と読む。楽は心がうきうきして楽しむこと。そのように聞こうと思わせる。なお、楽(らく)という意味は漢字文化圏でも日本独自のもの。

正法 正しい道理。仏の教法。

仏法 仏によって明かされた真理と教え。

衆生 一切の生物。衆生を開悟とは一切の生き物に悟りを開かせるということか。

覩る 視線を集めてみる。(睹の異体字)

[真読]

若人遭苦 厭老病死 為説涅槃 尽諸苦際
若人有福 曾供養仏 志求勝法 為説縁覚
若有仏子 修種種行 求無上慧 為説浄道
文殊師利 我住於此 見聞若斯 及千億事
如是衆多 今当略説

[訓読]

若し人苦に遭うて 老病死を厭うには
為に涅槃を説いて 諸苦の際を尽くさしめ
若し人福あって 曽て仏を供養し
勝法を志求するには 為に縁覚を説き
若し仏子有って 種々の行を修し
無上慧を求むるには 為に浄道を説きたもう
文殊師利 我此に住して
見聞すること斯の若く 千億の事に及べり
是の如く衆多なる 今当に略して説くべし

[解説]

老病死を厭う 老病死の苦(思い通りにならない)を嫌がること。

涅槃 煩悩の火が吹き消された安らぎの境地

諸苦の際(さい) 

曽て かつて

勝法 小乗に勝る大乗仏教のこと

仏子 『法華経』では衆生を仏の子と表現される。

無上慧

浄道

若く ごとく

衆多 たくさんの意味。衆は多いという意味。岩本裕訳をみても衆生という意味はない。

※この経文は声聞、縁覚、菩薩それぞれに対応している。

声聞に対して

若し人苦に遭うて 老病死を厭うには
為に涅槃を説いて 諸苦の際を尽くさしめ

縁覚(独覚)に対して

若し人福あって 曽て仏を供養し
勝法を志求するには 為に縁覚を説き

菩薩(大乗の修行者)

若し仏子有って 種々の行を修し
無上慧を求むるには 為に浄道を説きたもう


△菩薩行

[真読]

我見彼土 恒沙菩薩 種種因縁 而求仏道
或有行施 金銀珊瑚 真珠摩尼 ・・碼碯
金剛諸珍 奴婢車乗 宝飾輦輿 歓喜布施
回向仏道 願得是乗 三界第一 諸仏所歎
或有菩薩 駟馬宝車 欄楯華蓋 軒飾布施
復見菩薩 身肉手足 及妻子施 求無上道
又見菩薩 頭目身体 欣楽施与 求仏智慧
文殊師利 我見諸王 往詣仏所 問無上道
便捨楽土 宮殿臣妾 剃除鬚髪 而被法服
或見菩薩 而作比丘 独処閑静 楽誦経典
又見菩薩 勇猛精進 入於深山 思惟仏道
又見離欲 常処空閑 深修禅定 得五神通
又見菩薩 安禅合掌 以千万偈 讃諸法王
復見菩薩 智深志固 能問諸仏 聞悉受持
又見仏子 定慧具足 以無量喩 為衆講法
欣楽説法 化諸菩薩 破魔兵衆 而撃法鼓
又見菩薩 寂然宴黙 天竜恭敬 不以為喜
又見菩薩 処林放光 済地獄苦 令入仏道
又見仏子 未嘗睡眠 経行林中 勤求仏道
又見具戒 威儀無欠 浄如宝珠 以求仏道
又見仏子 住忍辱力 増上慢人 悪罵捶打
皆悉能忍 以求仏道 又見菩薩 離諸戯笑
及痴眷属 親近智者 一心除乱 摂念山林
億千万歳 以求仏道 或見菩薩 肴膳飲食
百種湯薬 施仏及僧 名衣上服 価直千万
或無価衣 施仏及僧 千万億種 栴檀宝舎
衆妙臥具 施仏及僧 清浄園林 華果茂盛
流泉浴池 施仏及僧 如是等施 種種微妙
歓喜無厭 求無上道 或有菩薩 説寂滅法
種種教詔 無数衆生 或見菩薩 観諸法性
無有二相 猶如虚空 又見仏子 心無所著
以此妙慧 求無上道 文殊師利 又有菩薩
仏滅度後 供養舎利 又見仏子 造諸塔廟
無数恒沙 厳飾国界 宝塔高妙 五千由旬
縦広正等 二千由旬 一一塔廟 各千幢幡
珠交露幔 宝鈴和鳴 諸天竜神 人及非人
香華妓楽 常以供養 文殊師利 諸仏子等
為供舎利 厳飾塔廟 国界自然 殊特妙好
如天樹王 其華開敷

[訓読]

我彼の土の 恒沙の菩薩
種々の因縁をもって 仏道を求むるを見る
或は施を行ずるに 金銀珊瑚
真珠摩尼 ィゥ碼碯
金剛諸珍 奴婢車乗
宝飾の輦輿を 歓喜して布施し
仏道に回向して 是の乗の
三界第一にして 諸仏の歎めたもう所なるを得んと願うあり
或は菩薩の 駟馬の宝車
欄楯華蓋 軒飾を布施するあり
復菩薩の 身肉手足
及び妻子を施して 無上道を求むるを見る
又菩薩の 頭目身体を
欣楽施与して 仏の智慧を求むるを見る
文殊師利 我諸王の
仏所に往詣して 無上道を問いたてまつり
便ち楽土 宮殿臣妾を捨てて
鬚髪を剃除して 法服を被るを見る
或は菩薩の 而も比丘と作って
独閑静に処し 楽って経典を誦するを見る
又菩薩の 勇猛精進し
深山に入って 仏道を思惟するを見る
又欲を離れ 常に空閑に処し
深く禅定を修して 五神通を得るを見る
又菩薩の 禅に安じて合掌し
千万の偈を以て 諸法の王を讃めたてまつるを見る
復菩薩の 智深く志固くして
能く諸仏に問いたてまつり 聞いて悉く受持するを見る
又仏子の 定慧具足して
無量の喩を以て 衆の為に法を講じ
欣楽説法して 諸の菩薩を化し
魔の兵衆を破して 法鼓を撃つを見る
又菩薩の 寂然宴黙にして
天龍恭敬すれども 以て喜とせざるを見る
又菩薩の 林に処して光を放ち
地獄の苦を済い 仏道に入らしむるを見る
又仏子の 未だ曽て睡眠せず
林中に経行し 仏道を勤求するを見る
又戒を具して 威儀欠くることなく
浄きこと宝珠の如くにして 以て仏道を求むるを見る
又仏子の 忍辱の力に住して
増上慢の人の 悪罵捶打するを
皆悉く能く忍んで 以て仏道を求むるを見る
又菩薩の 諸の戲笑
及び痴なる眷属を離れ 智者に親近し
一心に乱を除き 念を山林に摂め
億千万歳 以て仏道を求むるを見る
或は菩薩の 肴膳飲食
百種の湯薬を 仏及び僧に施し
名衣上服の 価直千万なる
或は無価の衣を 仏及び僧に施し
千万億種の 栴檀の宝舎
衆の妙なる臥具を 仏及び僧に施し
清浄の園林 華果茂く盛んなると
流泉浴池とを 仏及び僧に施し
是の如き等の施の 種々微妙なるを
歓喜し厭くことなくして 無上道を求むるを見る
或は菩薩の 寂滅の法を説いて
種々に 無数の衆生を教詔する有り
或は菩薩の 諸法の性は
二相有ること無し 猶お虚空の如しと観ずるを見る
又仏子の 心に所著なくして
此の妙慧を以て 無上道を求むるを見る
文殊師利 又菩薩の
仏の滅度の後 舎利を供養するあり
又仏子の 諸の塔廟を造ること
無数恒沙にして 国界を厳飾し
宝塔高妙にして 五千由旬
縦広正等にして 二千由旬
一一の塔廟に 各千の幢幡あり
珠をもって交露せる幔あって 宝鈴和鳴せり
諸の天龍神 人及び非人
香華妓楽を 常に以て供養するを見る
文殊師利 諸の仏子等
舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾して
国界自然に 殊特妙好なること
天の樹王の 其の華開敷せるが如し

[解説]



◎正請文殊答  (正しく文殊の答えを請う)

[真読]

仏放一光 我及衆会 見此国界 種種殊妙
諸仏神力 智慧希有 放一浄光 照無量国
我等見此 得未曾有 仏子文殊 願決衆疑
四衆欣仰 瞻仁及我 世尊何故 放斯光明
仏子時答 決疑令喜 何所饒益 演斯光明
仏坐道場 所得妙法 為欲説此 為当授記
示諸仏土 衆宝厳浄 及見諸仏 此非小縁
文殊当知 四衆竜神 瞻察仁者 為説何等

[訓読]

仏一の光を放ちたもうに 我及び衆会
此の国界の 種々に殊妙なるを見る
諸仏は神力 智慧希有なり
一の浄光を放って 無量の国を照したもう
我等此れを見て 未曽有なることを得
仏子文殊願わくは衆の疑を決したまえ
四衆欣仰して 仁及び我を瞻る
世尊何が故ぞ 斯の光明を放ちたもう
仏子時に答えて 疑を決して喜ばしめたまえ
何の饒益する所あってか 斯の光明を演べたもう
仏道場に坐して 得たまえる所の妙法
為めてこれを説かんとや欲す 為めて当に授記したもうべしや
諸の仏土の 衆宝厳浄なるを示し
及び諸仏を見たてまつること 此れ小縁に非じ
文殊当に知るべし 四衆龍神
仁者を瞻察す 為めて何等をか説きたまわん

[解説]




  ◆答問序  


◎長行
○答惟忖   (惟忖[ゆいじゅん]て答う

[真読]

爾時文殊師利。語弥勒菩薩摩訶薩。及諸大士。善男子等。如我惟忖。今仏世尊。欲説大法。雨大法雨。吹大法螺。撃大法鼓。演大法義。

[訓読]

 爾の時に文殊師利、弥勒菩薩摩訶薩及び諸の大士に語らく、善男子等、我が惟忖するが如き、今仏世尊、大法を説き、大法の雨を雨らし、大法の螺を吹き、大法の鼓を撃ち、大法の義を演べんと欲するならん。



○曽見略答  (曽見を略答す)

[真読]

諸善男子。我於過去諸仏。曾見此瑞。放斯光已。即説大法。是故当知。今仏現光。亦復如是。欲令衆生。咸得聞知。一切世間。難信之法。故現斯瑞。

[訓読]

 諸の善男子、我過去の諸仏に於て曽て此の瑞を見たてまつりしに、斯の光を放ち已って、即ち大法を説きたまいき。是の故に当に知るべし、今仏の光を現じたもうも亦復是の如く、衆生をして咸く一切世間の難信の法を聞知することを得せしめんと欲するが故に、斯の瑞を現じたもうならん、



○曽見広答  (曽見を広答す)
△最初一仏同道

[真読]

諸善男子。如過去無量無辺。不可思議。阿僧祇劫。爾時有仏。号日月灯明如来。応供。正遍知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。仏。世尊。演説正法。初善。中善。後善。其義深遠。其語巧妙。純一無雑。具足清白。梵行之相。為求声聞者。説応四諦法。度生老病死。究竟涅槃。為求辟支仏者。説応十二因縁法。為諸菩薩。説応六波羅蜜。令得阿耨多羅三藐三菩提。成一切種智。

[訓読]

 諸の善男子、過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の如き、爾の時に仏います、日月燈明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号く。正法を演説したもう、初善・中善・後善なり。其の義深遠に、其の語巧妙に、純一無雑にして、具足清白梵行の相なり。声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度し涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて、阿耨多羅三藐三菩提を得一切種智を成ぜしめたもう。

[解説]

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい) 最高の正しい悟りの意味。サンスクリット anuttara samyaksambodhih の音写。阿耨多羅(あのくたら anuttara)は「無上の」という意味。三藐(さんみゃく samyak)は「正しい」の意味。三菩提(さんぼだい sambodhih)は「悟り」の意味。

 


△中間二万仏同道

[真読]

次復有仏。亦名日月灯明。次復有仏。亦名日月灯明。如是二万仏。皆同一字。号日月灯明。又同一姓。姓頗羅堕。弥勒当知。初仏後仏。皆同一字。名日月灯明。十号具足。所可説法。初中後善。

[訓読]

 次に復仏います、亦日月燈明と名く。次に復仏います、亦日月燈明と名く。是の如く二万仏、皆同じく一字にして日月燈明と号く。又同じく一姓にして頗羅堕を姓とせり。弥勒当に知るべし、初仏後仏、皆同じく一字にして日月燈明と名け、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初中後善なり。


△最後一仏同道

[真読]

其最後仏。未出家時。有八王子。一名有意。二名善意。三名無量意。四名宝意。五名増意。六名除疑意。七名響意。八名法意。是八王子。威徳自在。各領四天下。是諸王子。聞父出家。得阿耨多羅三藐三菩提。悉捨王位。亦随出家。発大乗意。常修梵行。皆為法師。已於千万仏所。植諸善本。

[訓読]

 其の最後の仏未だ出家したまわざりし時八王子あり。一を有意と名け、二を善意と名け、三を無量意と名け、四を宝意と名け、五を増意と名け、六を除疑意と名け、七を響意と名け、八を法意と名く。是の八王子、威徳自在にして各四天下を領す。是の諸の王子、父出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たもうと聞いて、悉く王位を捨て、亦随い出家して、大乗の意を発し、常に梵行を修して皆法師と為れり。已に千万の仏に所に於て諸の善本を植えたり。

[解説]

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい) 最高の正しい悟りの意味。サンスクリット anuttara samyaksambodhih の音写。阿耨多羅(あのくたら anuttara)は「無上の」という意味。三藐(さんみゃく samyak)は「正しい」の意味。三菩提(さんぼだい sambodhih)は「悟り」の意味。



[真読]

是時日月灯明仏。説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念。説是経已。即於大衆中。結跏趺坐。入於無量義処三昧。身心不動。是時天雨曼陀羅華。摩訶曼陀羅華。曼殊沙華。摩訶曼殊沙華。而散仏上。及諸大衆。普仏世界。六種震動。爾時会中。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。天。竜。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩・羅伽。人非人。及諸小王。転輪聖王等。是諸大衆。得未曾有。歓喜合掌。一心観仏。爾時如来。放眉間白毫相光。照東方万八千仏土。靡不周遍。如今所見。是諸仏土。弥勒当知。

[訓読]

 是の時に日月燈明仏、大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。是の経を説き已って、即ち大衆の中に於て結跏趺坐し、無量義処三昧に入って身心動じたまわず。是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。爾の時に会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩、羅伽・人非人及び諸の小王・転輪聖王等、是の諸の大衆未曽有なることを得て、歓喜し合掌して一心に仏を観たてまつる。爾の時に如来、眉間白毫相の光を放って、東方万八千の仏土を照したもうに、周遍せざることなし。今見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし。

[解説]

比丘(びく)・比丘尼(びくに)優婆塞(うばそく)優婆夷(うばい) 四衆。比丘は男性の出家した僧侶。比丘尼は出家した尼僧。優婆塞は在家の男性信徒。優婆夷は在家の女性信徒。

[真読]

爾時会中。有二十億菩薩。楽欲聴法。是諸菩薩。見此光明。普照仏土。得未曾有。欲知此光。所為因縁。時有菩薩。名曰妙光。有八百弟子。

[訓読]

 爾の時に会中に二十億の菩薩あって、法を聴かんと楽欲す。是の諸の菩薩、此の光明普く仏土を照すを見て、未曽有なることを得て、此の光の所為因縁を知らんと欲す。
 時に菩薩あり、名を妙光という。八百の弟子あり。

[真読]

是時日月灯明仏。従三昧起。因妙光菩薩。説大乗経。名妙法蓮華。教菩薩法。仏所護念。

[訓読]

 是の時に日月燈明仏、三昧より起って、妙光菩薩に因せて大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。

[真読]

六十小劫。不起于座。時会聴者。亦坐一処。六十小劫。身心不動。聴仏所説。謂如食頃。是時衆中。無有一人。若身若心。而生懈倦。

[訓読]

六十小劫座を起ちたまわず。時の会の聴者も亦一処に坐して、六十小劫身心動せず。仏の所説を聴くこと食頃の如しと謂えり。是の時に衆中に、一人の若しは身若しは心に懈倦を生ずるあることなかりき。

[真読]

日月灯明仏。於六十小劫。説是経已。即於梵魔。沙門。婆羅門。及天人。阿修羅衆中。而宣此言。如来於今日中夜。当入無余涅槃。

[訓読]

 日月燈明仏、六十小劫に於て是の経を説き已って、即ち梵・魔・沙門・婆羅門及び・天・人・阿修羅衆の中に於て、此の言を宣べたまわく、如来今日の中夜に於て、当に無余涅槃に入るべし。

[真読]

時有菩薩。名曰徳蔵。日月灯明仏。即授其記。告諸比丘。是徳蔵菩薩。次当作仏。号曰浄身。多陀阿伽度阿羅訶三藐三仏陀。

[訓読]

 時に菩薩あり、名を徳蔵という。日月燈明仏即ち其れに記を授け、諸の比丘に告げたまわく、
 是の徳蔵菩薩次に当に作仏すべし。号を浄身多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀といわん。

[真読]

仏授記已。便於中夜。入無余涅槃。仏滅度後。妙光菩薩。持妙法蓮華経。満八十小劫。為人演説。日月灯明仏八子。皆師妙光。妙光教化。令其堅固。阿耨多羅三藐三菩提。是諸王子。供養無量百千万億仏已。皆成仏道。其最後成仏者。名曰燃灯。八百弟子。中有一人。号曰求名。貪著利養。雖復読誦衆経。而不通利。多所忘失。故号求名。是人亦以。種諸善根。因縁故。得値無量百千万億諸仏。供養恭敬。尊重讃歎。弥勒当知。爾時妙光菩薩。豈異人乎。我身是也。求名菩薩。汝身是也。

[訓読]

 仏、授記し已って、便ち中夜に於て無余涅槃に入りたもう。仏の滅度の後、妙光菩薩、妙法蓮華経を持ち八十小劫を満てて人の為に演説す。日月燈明仏の八子、皆妙光を師とす。妙光教化して、其れをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ。是の諸の王子、無量百千万億の仏を供養し已って、皆仏道を成ず。其の最後に成仏したもう者、名を然燈という。八百の弟子の中に一人あり、号を求名という。利養に貧著せり。復衆経を読誦すと雖も而も通利せず、忘失する所多し、故に求名と号く。是の人亦諸の善根を種えたる因縁を以ての故に、無量百千万億の諸仏に値いたてまつることを得て、供養・恭敬・尊重・讃歎せり。弥勒、当に知るべし、爾の時の妙光菩薩は豈に異人ならん乎、我が身是れ也。求名菩薩は汝が身是れなり。

[解説]

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい) 最高の正しい悟りの意味。サンスクリット anuttara samyaksambodhih の音写。阿耨多羅(あのくたら anuttara)は「無上の」という意味。三藐(さんみゃく samyak)は「正しい」の意味。三菩提(さんぼだい sambodhih)は「悟り」の意味。



 


○分明判答   (分明に判じて答う)

[真読]

今見此瑞。与本無異。是故惟忖。今日如来。当説大乗経。名妙法蓮華。教菩薩法。仏所護念。

[訓読]

 今此の瑞を見るに本と異ることなし。是の故に惟忖するに、今日の如来も当に大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもうべし。


◎偈頌

[真読]

爾時文殊師利。於大衆中。欲重宣此義。而説偈言

[訓読]

 爾の時に文殊師利、大衆の中に於て重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。



○曽見広答  (曽見を広答す)
△最初一仏同道

[真読]

我念過去世 無量無数劫 有仏人中尊 号日月灯明
世尊演説法 度無量衆生 無数億菩薩 令入仏智慧

[訓読]

  我過去世の 無量無数劫を念うに
  仏人中尊有しき 日月燈明と号く
  世尊法を演説し 無量の衆生
  無数億の菩薩を度して 仏の智慧に入らしめたもう



△最後一仏同道

[真読]

仏未出家時 所生八王子 見大聖出家 亦随修梵行
時仏説大乗 経名無量義 於諸大衆中 而為広分別
仏説此経已 即於法座上 跏趺坐三昧 名無量義処
天雨曼陀華 天鼓自然鳴 諸天竜鬼神 供養人中尊
一切諸仏土 即時大震動 仏放眉間光 現諸希有事
此光照東方 万八千仏土 示一切衆生 生死業報処
有見諸仏土 以衆宝荘厳 瑠璃頗黎色 斯由仏光照
及見諸天人 竜神夜叉衆 乾闥緊那羅 各供養其仏
又見諸如来 自然成仏道 身色如金山 端厳甚微妙
如浄瑠璃中 内現真金像 世尊在大衆 敷演深法義
一一諸仏土 声聞衆無数 因仏光所照 悉見彼大衆
或有諸比丘 在於山林中 精進持浄戒 猶如護明珠
又見諸菩薩 行施忍辱等 其数如恒沙 斯由仏光照
又見諸菩薩 深入諸禅定 身心寂不動 以求無上道
又見諸菩薩 知法寂滅相 各於其国土 説法求仏道
爾時四部衆 見日月灯仏 現大神通力 其心皆歓喜
各各自相問 是事何因縁 天人所奉尊 適従三昧起
讃妙光菩薩 汝為世間眼 一切所帰信 能奉持法蔵
如我所説法 唯汝能証知 世尊既讃歎 令妙光歓喜
説是法華経 満六十小劫 不起於此座 所説上妙法
是妙光法師 悉皆能受持 仏説是法華 令衆歓喜已
尋即於是日 告於天人衆 諸法実相義 已為汝等説
我今於中夜 当入於涅槃 汝一心精進 当離於放逸
諸仏甚難値 億劫時一遇 世尊諸子等 聞仏入涅槃
各各懐悲悩 仏滅一何速 聖主法之王 安慰無量衆
我若滅度時 汝等勿憂怖 是徳蔵菩薩 於無漏実相
心已得通達 其次当作仏 号曰為浄身 亦度無量衆
仏此夜滅度 如薪尽火滅 分布諸舎利 而起無量塔
比丘比丘尼 其数如恒沙 倍復加精進 以求無上道
是妙光法師 奉持仏法蔵 八十小劫中 広宣法華経
是諸八王子 妙光所開化 堅固無上道 当見無数仏
供養諸仏已 随順行大道 相継得成仏 転次而授記
最後天中天 号曰燃灯仏 諸仙之導師 度脱無量衆
是妙光法師 時有一弟子 心常懐懈怠 貪著於名利
求名利無厭 多遊族姓家 棄捨所習誦 廃忘不通利
以是因縁故 号之為求名 亦行衆善業 得見無数仏
供養於諸仏 随順行大道 具六波羅蜜 今見釈師子
其後当作仏 号名曰弥勒 広度諸衆生 其数無有量
彼仏滅度後 懈怠者汝是 妙光法師者 今則我身是

[訓読]

  仏未だ出家したまわざりし時の 所生の八王子
  大聖の出家を見て 亦随って梵行を修す
  時に仏大乗 経の無量義と名くるを説いて
  諸の大衆の中に於て 為に広く分別したもう
  仏此の経を説き已り 即ち法座の上に於て
  跏趺して三昧に坐したもう 無量義処と名く
  天より曼陀華を雨らし 天鼓自然に鳴り
  諸の天龍鬼神 人中尊を供養す
  一切の諸の仏土 即時に大に震動し
  仏眉間の光を放ち 諸の希有の事を現じたもう
  此の光東方 万八千の仏土を照して
  一切衆生の 生死の業報処を示したもう
  諸の仏土の 衆宝を以て荘厳し
  瑠璃頗黎の色なるを見ることあり 斯れ仏の光の照したもうに由る
  及び諸の天人 龍神夜叉衆
  乾闥緊那羅 各其の仏を供養するを見る
  又諸の如来の 自然に仏道を成じて
  身の色金山の如く 端厳にして甚だ微妙なること
  浄瑠璃の中 内に真金の像を現ずるが如くなるを見る
  世尊大衆に在して 深法の義を敷演したもう
  一一の諸の仏土 声聞衆無数なり
  仏の光の所照に因って 悉く彼の大衆を見る
  或は諸の比丘の 山林の中に在って
  精進し浄戒を持つこと 猶お明珠を護るが如くなるあり
  又諸の菩薩の 施忍辱等を行ずること
  其の数恒沙の如くなるを見る 斯れ仏の光の照したもうに由る
  又諸の菩薩の 深く諸の禅定に入って
  身心寂かに動せずして 以て無上道を求むを見る
  又諸の菩薩の 法の寂滅の相を知って
  各其の国土に於て 法を説いて仏道を求むるを見る
  爾の時に四部の衆 日月燈仏の
  大神通力を現じたもうを見て 其の心皆歓喜して
  各各に自ら相問わく 是の事何の因縁ぞ
  天人所奉の尊 適めて三昧より起ち
  妙光菩薩を讃めたまわく 汝は為れ世間の眼
  一切に帰信せられて 能く法蔵を奉持す
  我が所説の法の如き 唯汝のみ能く証知せり
  世尊既に讃歎し 妙光をして歓喜せしめて
  是の法華経を説きたもう 六十小劫を満てて
  此の座を起ちたまわず 説きたもう所の上妙の法
  是の妙光法師 悉く皆能く受持す
  仏是の法華を説き 衆をして歓喜せしめ已って
  尋いで即ち是の日に於て 天人衆に告げたまわく
  諸法実相の義 已に汝等が為に説きつ
  我今中夜に於て 当に涅槃に入るべし
  汝一心に精進し 当に放逸を離るべし
  諸仏には甚だ値いたてまつり難し 億劫に時に一たび遇いたてまつる
  世尊の諸子等 仏涅槃に入りたまわんと聞いて
  各各に悲悩を懐く 仏滅したもうこと一と何ぞ速かなる
  聖主法の王 無量の衆を安慰したまわく
  我若し滅度しなん時 汝等憂怖すること勿れ
  是の徳蔵菩薩 無漏実相に於て
  心已に通達することを得たり 其れ次に当に作仏すべし
  号を曰って浄身と為けん 亦無量の衆を度せん
  仏此の夜滅度したもうこと 薪尽きて火の滅ゆるが如し
  諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ
  比丘比丘尼 其の数恒沙の如し
  倍復精進を加えて 以て無上道を求む
  是の妙光法師 仏の法蔵を奉持して
  八十小劫に中に 広く法華経を宣ぶ
  是の諸の八王子 妙光に開化せられて
  無上道に堅固にして 当に無数の仏を見たてまつるべし
  諸仏を供養し已って 随順して大道を行じ
  相継いで成仏することを得 転次して授記す
  最後の天中天をば 号を燃燈仏という
  諸仙の導師として 無量の衆を度脱したもう
  是の妙光法師 時に一りの弟子あり
  心常に懈怠を懐いて 名利に貧著せり
  名利を求むるに厭くこと無くして 多く族姓の家に遊び
  習誦する所を棄捨し 廃忘して通利せず
  是の因縁を以ての故に 之を号けて求名と為す
  亦衆の善業を行じ 無数の仏を見たてまつることを得
  諸仏を供養し 随順して大道を行じ
  六波羅蜜を具して 今釈師子を見たてまつる
  其れ後に当に作仏すべし 号を名けて弥勒といわん
  広く諸の衆生を度すること 其の数量有ることなけん
  彼の仏の滅度の後 懈怠なりし者は汝是れなり
  妙光法師は 今則ち我が身是れなり



○分明判答  (分明に判じて答う)

[真読]

我見灯明仏 本光瑞如此 以是知今仏 欲説法華経
今相如本瑞 是諸仏方便 今仏放光明 助発実相義
諸人今当知 合掌一心待 仏当雨法雨 充足求道者
諸求三乗人 若有疑悔者 仏当為除断 令尽無有余


[訓読]

  我燈明仏を見たてまつりしに 本の光瑞此の如し
  是れを以て知んぬ今の仏も 法華経を説かんと欲するならん
  今の相本の瑞の如し 是れ諸仏の方便なり
  今の仏の光明を放ちたもうも 実相の義を助発せんとなり
  諸人今当に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ
  仏当に法雨を雨らして 道を求むる者に充足したもうべし
  諸の三乗を求むる人 若し疑悔有らば
  仏当に為に除断して 尽くして余りあることなからしめたもうべし

 

 


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