妙法蓮華経序品第一


法華経解説トップ妙法蓮華経方便品第二 →


序品第一 科段

 序品冒頭

●通序

 信・聞・時・主・處成就

 同聞衆

  声聞衆
  菩薩衆
  雑衆

●別序

 集衆序

 現瑞序
  此土の六瑞
  他土の六瑞

 疑念序
  弥勒の疑念
  大衆の疑念

 発問序
  長行
  偈頌

 答問序
  長行
  偈頌

妙法蓮華経序品第一 次へ →


  序品冒頭  


[真読]

姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳

[訓読]

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉して訳す

[意味]

姚秦(ようしん)の三蔵法師である鳩摩羅什(くまらじゅう)が詔(みことのり)を受けて訳した。

[解説]

姚秦(ようしん) とは、中国の南北朝時代初期の西暦384〜417年の時代をさす。

三蔵法師(さんぞうほうし) とは、経蔵・律蔵・論蔵の三つに通達した高僧のこと。つまり経典、戒律、論書(解説書)に詳しい僧侶に対する尊称である。
 実際、『妙法蓮華経』(7巻27品)は鳩摩羅什(くまらじゅう)によって西暦 406 に長安(西安)郊外の草堂寺で翻訳された。

  参考  

 天台大師智『法華文句』釈提婆達多品より (大正大蔵経 T34 P114c)

  以僞秦弘始五年四月二十三日。於長安逍遥園譯大品竟。至八年夏。於草堂寺譯此妙法蓮華。

※書き下し文(訓読)は大東出版社「国訳一切経」和漢撰述部 58 P366 参照

 草堂寺については筆者も2度ほど参詣したことがありホームページに公開している。

鳩摩羅什三蔵の霊跡「草堂寺」参詣記   1996.10

シルクロード旅行記 西安(草堂寺)    2001.06

鳩摩羅什(くまらじゅう) (350頃〜409)はインドの貴族の血を引く父と、亀茲(きじ)国の王族の母との間に生れ、7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始仏教や小乗仏教を学んだが、のちに大乗仏教に転向した。主に龍樹(りゅうじゅ)による般若経を中心に据えた中観仏教を研究していたようである。

 西暦 384年に亀茲国を攻略した呂光の捕虜となり、西暦401年に後秦の姚興(ようこう)に迎えられて長安に入った。女人を受け入れたため戒律を破ったが、在俗的な生活の中で10年足らずの間に精力的に経論の翻訳を行い多くの門弟を育てた。『阿弥陀経』『大品般若経』『維摩経』『大智度論』『中論』は羅什訳である。

  法華経の翻訳  

 『法華経』には六訳三存といって、かつて6種類の漢訳法華経が存在したが、現在は3種類しか伝わっていないそうである。その三種類の漢訳法華経は下記の表の如くである。
 竺法護訳  正法華経  十巻二十七品  西暦286年  
 鳩摩羅什訳  妙法蓮華経  七巻二十七品  西暦406年  提婆達多品第十二を除く 
 闍那崛多・達摩笈多訳   添品妙法蓮華経   七巻二十七品   西暦601年   羅什訳の補訂

 しかし、圧倒的に流布したのはここに解説する羅什訳『妙法蓮華経』である。羅什訳の特徴は逐語訳というよりは意訳の名訳である。ただし、中観仏教の立場からの意訳であることも加味して『妙法蓮華経』を理解しなければならない場面もあるかも知れない。さらには、梵本法華経と妙法蓮華経の違いについては何ヶ所も指摘されているところであり、その辺にも触れたい。

 現在は、梵本(サンスクリット語)やチベット語の『法華経』が発見されている。ここでは、その研究成果の一部も踏まえ、羅什の翻訳の癖や成果漢訳本と対比しながら進めて行きたい。

通序

  ◆信・聞・時・主・處成就  

[真読]

如是我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中。

[訓読]

 是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい。

[意味]

 私は次のように聞いた。あるとき、お釈迦様は王舎城の耆闍崛山(霊鷲山)におられた。

[解説]

如是我聞(にょぜがもん) はお経のはじめの決まり文句のようなものである。

  『維摩詰所説經』 如是我聞。一時佛在毘耶離菴羅樹園。
  『佛説阿彌陀經』 如是我聞。一時佛在舍衛國。祇樹給孤獨園。
  『佛説觀無量壽佛經』 如是我聞。一時佛在王舍城耆闍崛山中。
  『大般若經』 如是我聞。一時薄伽梵。住王舍城鷲峯山頂。

といった具合である。
  仏教経典は釈迦牟尼仏が自身で述作されたものではなく、弟子や後の弟子が釈迦牟尼仏の言葉を、あるいは述作者の領解を編纂したものである。しかるに、「是の如きを我聞きき」、このように私は釈迦牟尼仏から聞いたとなる。

 ただし、現在のインド仏教学では漢訳される前の梵本(サンスクリット語)の『法華経』は、紀元前100年か紀元150年頃だといわれている(布施浩岳博士説※)。釈迦牟尼仏が入滅してから300年以上経ってからである。

 これは、虚妄のように思えるが、同じインドに生まれながら、わずか300〜400年の違いで釈迦牟尼仏の時代に生まれられなかった法華経編纂者は、生身の釈迦牟尼仏を恋慕したにちがいない。当時の仏教の問題点を克服するために、あるいは領解を深めるために、生身の釈迦牟尼仏をみようとする見物(けんぶつ)の修行をするなどして会得、あるいは開悟したことを、仏教の真理として確信し「如是我聞」と言ってはばからなかったのであろう。

※勝呂信静「増訂 法華経の成立と思想」大東出版社 P13

一時(いちじ) は、「ある時」という意味である。

(ほとけ) とは、もちろん釈迦牟尼仏(お釈迦様)をさす。

王舎城(ラージギール)の場所を示した地図 王舎城(おうしゃじょう) は古代インドで強大であったマガダ国の首都。
 当時は、文化的にも経済的にも栄えていて、釈迦牟尼仏が一番長く滞在した町でもある。現在はラージギールと呼ばれている。竹林精舎や、『法華経』が説かれたとされる霊鷲山がある。

耆闍崛山(ぎしゃくせん) とは霊鷲山(りょうじゅせん)のこと。
 王舎城(ラジギール)にある小高い山。サンスクリット原語を音写すると耆闍崛山となり、漢訳すれば鷲峰となる。山の形から鷲峰となったとも言われる。

  ◆同聞衆  


◎声聞衆

[真読]

与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢。諸漏已尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。

[訓読]

 大比丘衆万二千人と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり。諸漏已に尽くして復煩悩なく、己利を逮得し諸の有結を尽くして、心自在を得たり。

[意味]

 12000人の僧侶と一緒だった。これらの僧侶はすべて声聞の最上位の阿羅漢だった。汚れがなく煩悩もなく、自己に打ち克ち迷いから解き放たれた傑出した声聞であった。

[解説]

比丘(びく) は、サンスクリット語の音写で男性僧侶のこと。

阿羅漢(あらかん) も、サンスクリット語の音写。応供(おうぐ)と漢訳される。尊敬される人、供養するに値する聖者という意味。小乗仏教の修行者たる声聞(しょうもん)の最高位。

() とは、煩悩による(けが)れのこと。

己利(こり)逮得(たいとく) とは、自己に打ち克ち自分の目的を達成したこと。

有結(うけつ)()くす 有結とは迷いの生存(有)に束縛されること。つまり、有結を尽くすは煩悩による束縛を絶つこと。

心自在(こころじざい)を得たり とは、いつでもニルバーナ(絶対の平安)に入る準備ができていたという意味。

この部分は短い漢文であるが、梵分和訳を見るともう少し長く、そしてわかりやすい表現である。

 これらの僧はすべて阿羅漢で、汚れもなければ、欲望のわずらいもなく、自己に克ち、心も理智も巧みに迷いを離れており、高貴の家の生まれで、偉大な象であった。かれらは為すべき義務をすべて為し遂げて、重荷を棄てて自己の目的を達成し、この世のきずなを断ち切っていて、完全な自制によって心に迷うことなく、あらゆる心の動きを制御して、六波羅蜜を完成しているばかりでなく、神通の智慧の傑出した偉大な声聞衆であった。(岩波文庫「法華経」 岩本裕 訳より)

12000人の比丘

 この人数については法華経でも12000人と1200人と二通りある。

1200人 ケルン南條本(梵本)、ギルギット本(梵本)、『正法華経』
12000人 ペトロフスキー本(梵本)、チベット訳は12000人、『妙法蓮華経』

 ここで、ペトロフスキー本(梵本)は学者の間でも他の梵本(サンスクリット)との差異が指摘される梵本であるし、チベット訳は逐語訳といえども所詮はサンスクリットをチベット語に訳したものである。翻訳の初期は漢文から訳されたものもある。そもそもチベット語の翻訳は吐蕃の七世紀以後のものである。

 また、他の経典は冒頭の比丘の数、すなわち釈尊当時の出家教団の規模が1200人か1250人というのが妥当であると聞き及ぶ。

『佛説長阿含經』冒頭 「與大比丘衆千二百五十人倶。」

 というのもあるし、『妙法蓮華経』にも

妙法蓮華經方便品第二
  阿若〓陳如等千二百人。  (T09n0262_p0006a28)

妙法蓮華經方便品第二
  我等千二百  及餘求佛者  (T09n0262_p0007a02)

妙法蓮華經方便品第二
  千二百羅漢  悉亦當作佛 (T09n0262_p0010a21)

妙法蓮華経譬喩品第三
  是諸千二百心自在者。昔住學地。佛常教化言 (T09n0262_p0012b04)

妙法蓮華経五百弟子受記品第八
  爾時千二百阿羅漢心自在者作是念 (T09n0262_p0028b23)

妙法蓮華経五百弟子受記品第八
  告摩訶迦葉。是千二百阿羅漢。 (T09n0262_p0028b26)

とある。これらをみると、出家修行者の数は1200人である。
 ただ、12000人派とすれば、

『大寶積經卷第十七』 與大比丘衆萬二千人倶。(T11n0310_p0091c07)
『方廣大莊厳經卷第一』 與大比丘衆萬二千人倶。(T03n0187_p0539a08)
『佛説無量壽經卷上』 與大比丘衆萬二千人倶。(T12n0360_p0265c07)

などがあり、やはり他のお経にも12000人と1200人と二通りあることがわかる。

[真読]

其名曰。阿若・陳如。摩訶迦葉。優楼頻螺迦葉。伽耶迦葉。那提迦葉。舎利弗。大目・連。摩訶迦旃延。阿・楼駄。劫賓那。・梵波提。離婆多。畢陵伽婆蹉。薄拘羅。摩訶拘・羅。難陀。孫陀羅難陀。富楼那弥多羅尼子。須菩提。阿難。羅・羅。如是衆所知識大阿羅漢等。復有学無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属六千人倶。羅・羅母。耶輸陀羅比丘尼。亦与眷属倶。

[訓読]

 其の名を阿若陳如・摩訶迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・舎利弗・大目。連・摩訶迦旃延・阿「楼駄・劫賓那・梵波提・離婆多・畢陵伽婆蹉・薄拘羅・摩訶拘」羅・難陀・孫陀羅難陀・富楼那弥多羅尼子・須菩提・阿難・羅、羅という。是の如き衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。
 復学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅、羅の母耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。

[意味]

 阿若陳如・摩訶迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・舎利弗・大目。連・摩訶迦旃延・阿「楼駄・劫賓那・梵波提・離婆多・畢陵伽婆蹉・薄拘羅・摩訶拘」羅・難陀・孫陀羅難陀・富楼那弥多羅尼子・須菩提・阿難・羅、羅という、人々に知られた大阿羅漢だった。
 また、まだ学びつつある者と、もはや学ぶことのない二千人がいた。お釈迦様の生母の妹で養母の摩訶波闍波提比丘尼は六千人の付き従う者とともにいた。お釈迦様の息子のラゴラの母(出家前の妻)耶輸陀羅比丘尼も付き従うものとともにいた。

[解説]

阿若陳如(あにゃきょじんにょ) 釈尊と6年間の苦行をともにした5人の比丘のひとり。
 釈迦牟尼仏が、苦行は菩提への道ではないと悟って苦行を止めたのを見て脱落したものと釋尊のもとを離れていった。しかし、釈尊成道後に鹿野苑(ろくやおん)で最初の説法(初転法輪)を聞いて、最初の仏教の構成員となった。

  『法華経』での出現箇所

    『信解品第四』、『薬草喩品第五』、『授記品第六』、『五百弟子受記品第八』

 

摩訶迦葉(まかかしょう) 十大弟子の1人。「頭陀第一(ずだだいいち)
 王舎城近くの婆羅門の家に生まれた。釈尊に帰依して8日目に阿羅漢の境地を得た。釈尊の死後、仏教経典の編集会議(結集)の主幹となった。{表の(3)}

  『法華経』での出現箇所

    『方便品第二』、『五百弟子受記品第八』


優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう) 三迦葉の長兄。
伽耶迦葉(がやかしょう) 三迦葉の三弟。
那提迦葉(なだいかしょう) 三迦葉の次弟。

 いずれも火を崇拝する儀式を行っていたが、成道後間もない釈尊に教化されて、その弟子となった.3人併せて千人(=500+200+300)の弟子を率いていたといわれ、それらの弟子たちも同時に釈尊に帰依した。釈尊の教団は一気に大集団となり、後の発展の基盤が確立することになった。

  『法華経』での出現箇所(三迦葉とも)

    『五百弟子受記品第八』

 

舎利弗(しゃりほつ) 十大弟子の一人「智慧第一(ちえだいいち)
 婆羅門の出身。母シャーリの子(プトラ)ということからシャーリープトラ(舎利弗)となった。
 懐疑論者サンジャヤの弟子であったが、目連と一緒に釈尊に帰依し、サンジャヤの弟子250人を引き連れて集団改宗した。釈尊より年上で先に世を去った。{表の(1)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『方便品第二』、『譬喩品第三』、『信解品第四』、『提婆達多品第十二』、『嘱累品第二十二』

 

大目。連(だいもっけんれん) 十大弟子の一人「神通第一
 もとは、舎利弗とおなじく懐疑論者サンジャヤの弟子であった。目連尊者。{表の(2)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『授記品第六』

 

摩訶迦旃延(まかかせんねん) 十大弟子の一人「論議第一
 南インドの婆羅門の出身。西インドにも伝道活動をした。釈尊も舎利弗も目連も入滅したあと、教団の中心となった。釈尊の説法の説明役を果した。{表の(7)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『信解品第四』、『授記品第六』

阿「楼駄(あぬるだ) 十大弟子の一人「天眼第一(てんげんだいいち)
 阿那律(あなりつ)。釈迦族の出身で、釈尊の従兄弟。釈尊説法の座にあって眠り、叱責せられてから特殊な修行をして失明したと伝わる。{表の(4)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『五百弟子受記品第八』

劫賓那(こうひんな) 天文や暦に通じていた釈迦牟尼仏の弟子。

  『法華経』での出現箇所
    
    『五百弟子受記品第八』

梵波提(きょうぼんはだい) 過去世の罪によって牛になったという伝説があるので牛王(ごおう)とも。鹿野苑(ろくやおん)で出家。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

離婆多(りはた) 舎利弗の実の弟。禅定を好んだ。

  『法華経』での出現箇所
    
    『五百弟子受記品第八』

畢陵伽婆蹉(ひつりょうかばしゃ) バラモン出身で驕慢心が強く、他人を軽んじていた。呪術で名声を得ていたが、釋尊にあって呪力を失い、出家して釋尊に帰依した。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

薄拘羅(はくら) 無病第一といわれ、160歳まで生きたといわれる。

  『法華経』での出現箇所
    
    『五百弟子受記品第八』

摩訶拘」羅(まかくちら) 十大弟子の一人「問答第一」
 舎利弗の叔父。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

難陀(なんだ)
孫陀羅難陀(そんだらなんだ)

 難陀には二人ある。
 法華経原文の前者の「難陀」は、「牧牛難陀」といい牧牛者出身の聡明な声聞である。
 後者の「難陀」は「孫陀羅難陀」で釈尊の異母弟。単に「難陀」といえばこちらをさすこともある。釈尊に従って出家するが、絶世の美女である愛妻スンダリー(孫陀羅)を忘れられずに愛欲に苦んだが、釈尊の神通で迷いを断ったと伝わる。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) 十大弟子の一人「説法第一
 弥多羅尼の子供の富楼那という名前。母は釈尊が成道後最初の説法(初転法輪)で弟子になったコンダンニャの妹。{表の(6)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『五百弟子受記品第八』

須菩提(しゅぼだい) 十大弟子の一人「解空第一
 舎衛城(しゃえいじょう)に住む商人であった。祇園精舎が完成したとき釈尊が説法を聞いて出家。祇園精舎を寄進したスダッタ(給孤独長者)の甥。非難・中傷・迫害を受けることがあっても決して争わず、常に円満柔和を心がけた。そのためか多くの人々から限りない供養を受けた。{表の(5)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『信解品第四』、『授記品第六』

阿難(あなん) 釈尊の従兄弟。十大弟子の一人「多聞第一
 阿難陀。侍者として25年のあいだ釈尊につかえ、説法を聴聞することが特に多かった。仏典の第1回結集には、経典の誦出に重要な役割を果たした。{表の(10)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『授学無学人記品第九』

羅、羅(らごら) 釈尊の実子。十大弟子の一人「密行第一
 羅、羅(ラーフラ)は障りという意味。釋尊にとって修行の障害や束縛が生まれたという意味が込められている。出家後は舎利弗に就いて修行。修行態度は不言実行、学を好む第一人者。{表の(9)}

  『法華経』での出現箇所
    
    『授学無学人記品第九』

・梵本法華経と妙法蓮華経の違い 阿難が別扱い

すなわち、(一)アージュニャータ=カウンディヌヤ長老と、〜(中略)〜 (二五)スプーティ(須菩提)長老と、(二六)ラーフラ(羅ご羅)長老をはじめとして、数多くの偉大な声聞衆がその座につらなっていた。また、学修の道に、おいてなお修めるべきことの残っていた(二七)アーナンダ(阿難)長老もその庭にいたし、そのほか学修中あるいは学修の完了した二千人の僧たちもいた。(岩波文庫「法華経」 岩本裕 訳)

 上記引用の如く梵本では、他の26人の比丘とは別に、なお修めるべきことの残っている存在として阿難を登場させている。

・梵本法華経と妙法蓮華経の違い 声聞衆の序列と人数

『妙法蓮華経』 梵本法華経 (岩波文庫「法華経」 岩本裕 訳)
 1 阿若陳如
 2 摩訶迦葉
 3 優楼頻螺迦葉
 4 伽耶迦葉
 5 那提迦葉
 6 舎利弗
 7 大目。連
 8 摩訶迦旃延
 9 阿「楼駄
10 劫賓那
11 梵波提
12 離婆多
13 畢陵伽婆蹉
14 薄拘羅
15 摩訶拘」羅
16 難陀
17 孫陀羅難陀
18 富楼那弥多羅尼子
19 須菩提
20 阿難
21 羅、羅
(一)アージュニャータ=カウンディヌヤ長老
(二)アシュヴァ=ジット長老
(三)バーシュパ長老
(四)マハー=ナーマン長老
(五)バドリカ長老
(六)マハー=カーシヤパ(摩訶迦葉)長老
(七)ウルヴィルヴァー=カーシヤパ長老
(八)ナディー=カーシヤパ長老
(九)ガヤー=カーシヤパ長老
(一〇)シャーリ=プトラ(舎利弗)長老
(一一)マハー=マウドガリヤーヤナ(摩訶目乾連)長老
(一二)マハー=カーティヤーヤナ(摩訶迦栴延)長老
(一三)アニルッダ(阿那律)長老
(一四)レーヴァタ長老
(一五)カッピナ長老
(一六)ガヴァーン=パティ長老
(一七)ピリンダ=ヴァツァ長老
(一八)パックラ長老
(一九)マハー=カウシュティラ長老
(二〇)バラドヴァージャ長老
(二一)マハー=ナンデ長老
(二二)ウパ=ナンダ長老
(二三)スンダラ=ナンダ長老
(二四)プールナ=マイトラーヤニー=プトラ(富楼那)長老
(二五)スプーティ(須菩提)長老
(二六)ラーフラ(羅ご羅)長老
(二七)アーナンダ(阿難)

学無学(がくむがく) 「学」とは学ぶべきことが残っている修行者。「無学」とは世間とは反対の意味で、学ぶことが無くなるほど修行の進んだ修行者。

摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに) 釈迦牟尼仏の叔母。釋尊の生母の摩耶は、釋尊誕生後に亡くなってしまう。そこで、彼女が浄飯王(釋尊の父)の後妻となり、釋尊を養育した。孫陀羅難陀の実母。後に出家し、仏教教団最初の尼僧となった。

  『法華経』での出現箇所
    
    『勧持品第十三』

眷属(けんぞく) とりまきの者。つき従うもの。

耶輸陀羅比丘尼(やしゅだらびくに) 釈尊(シヤクソン)出家前の妃。経典本文にあるように羅、羅の母。

  『法華経』での出現箇所
    
    『勧持品第十三』

 釈迦牟尼仏の十大弟子

(1) 舎利弗 (しゃりほつ) 智慧第一 (6) 富楼那 (ふるな) 説法第一
(2) 目。連 (もっけんれん)=目連 神通第一 (7) 迦旃延 (かせんねん) 論議第一
(3) 摩訶迦葉 (まかかしょう) 頭陀第一 (8) 優波離 (うぱり) 持律第一
(4) 阿那律 (あなりつ)=阿「楼駄 天眼第一 (9) 羅、羅 (らごら) 密行第一
(5) 須菩提 (すぼだい) 解空第一 (10) 阿難陀 (あなんだ) 多聞第一

 十大弟子は経典などによっては一定していない。
 原始経典などでは十大弟子だけでなく修行者や在家の男女の名前を数十名をあげて「○○第一_」というように表現して優れた特性を持つものを列記しているそうである。上記表の十大弟子は初期大乗経典『維摩詰所説経』(維摩経)の「弟子品第三」にあるもの。ただし、○○第一などという直接の表現はない。
  法華経序品の声聞たちは、十大弟子を意識しない登場順位のようである。

・(8)優波離が欠落している

・摩訶迦葉(頭陀第一)が舎利弗(智慧第一)より先に登場するなど、十大弟子の登場する順番が『維摩詰所説経』と違っている

・阿若陳如(五比丘の一人)と優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉(三迦葉)が舎利弗より先に登場する

ということで、いわゆる十大弟子というものが『法華経』では意識されていないのであろう。


◎菩薩衆

[真読]

菩薩摩訶薩。八万人。皆於阿耨多羅三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞。無量世界。能度無数。百千衆生。

[訓読]

 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。

[訓読]

 菩薩が八万人いて、それらの方々はみんな最高の正しい悟りを得ようとすることに退転しない堅い意志があった。そして、善を持して散失せず、悪法をさえぎる力を得て、弁説がさわやかであった。不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。

[解説]

菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ) 菩薩は菩提薩テの略。菩提薩テはインドのサンスクリット語の bodhisattva (ボーディーサットバ)の音写。bodhi は菩提、すなわち「悟り」ということ。sattva(薩テ)は「生けるもの」を意味する。であるから、悟るの人といった意味である。
 また、摩訶薩は菩薩の尊称。偉大な志を持つ者。

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼさい) 阿耨多羅(anuttara)は無上という意味。三藐(samyak)は正しい完全なという意味。三菩提(sambodhi)はさとりという意味。すなわち、仏のさとりの智慧のこと。

不退転(ふたいてん) 修行によって得た境地を失って、より低い境地に転落することがない。

陀羅尼(だらに) 優れた記憶力で法を心にとどめて忘れないこと。または真言より長い呪文。

楽説弁才(ぎょうせつべんざい) 弁舌さわやかなこと。

法輪を転じ(ほうりんをてんじ) 説法をすること。

徳本(とくほん) さとりの果をもたらすもととなる善徳。善根。

彼岸に到り 迷いの此岸(凡夫の境涯)よりさとりの彼岸(仏教の目指す理想の境地)に到る。

名称普く無量の世界に聞えて 名声が広まっていること。

[真読]

其名曰。文殊師利菩薩。観世音菩薩。得大勢菩薩。常精進菩薩。不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩薩。宝月菩薩。月光菩薩。満月菩薩。大力菩薩。無量力菩薩。越三界菩薩。・陀婆羅菩薩。弥勒菩薩。宝積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩訶薩。八万人倶。

[訓読]

 其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・宝掌菩薩・薬王菩薩・勇施菩薩・宝月菩薩・月光菩薩・満月菩薩・大力菩薩・無量力菩薩・越三界菩薩・・陀婆羅菩薩・弥勒菩薩・宝積菩薩・導師菩薩という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。

[解説]

文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ) 「文殊の智慧」の文殊菩薩。智慧を完全に供えて、菩薩を主導する役割としてさかんに諸経典に登場し活躍する。

  『法華経』での出現箇所

    『序品第一』、『提婆達多品第十二』、『安楽行品第十四』、『如来神力品第二十一』、『妙音菩薩品二十四』

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) いわゆる観音さん。慈悲と救済を特色とした菩薩。無畏(恐れなくてよいこと)を施す菩薩。浄土思想では阿弥陀仏の脇師。

  『法華経』での出現箇所

    『観世音菩薩普門品第二十五』

得大勢菩薩(とくだいせいぼさつ)  勢至菩薩ともいう。浄土思想では観世音菩薩とともに阿弥陀仏の脇師。観世音菩薩が慈悲による救済なら、得大勢菩薩は智慧による救済をする。

  『法華経』での出現箇所

    『常不軽菩薩品第二十』(対告衆として)

常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)  菩薩の名称は菩薩の働きを表すので、常に精進をする菩薩という意味であろう。『法華経』の原文は Nityodyuktena で『阿弥陀経』にも Nityodyukta として常精進菩薩が登場する。『法華経』では『法師功徳品第十九』の対告衆として一度だけ出現。

  『法華経』での出現箇所

    『法師功徳品第十九』(対告衆として)

不休息菩薩(ふくそくぼさつ) 乾陀訶提。無疲倦菩薩。少しも休息しないで修行を続けたからこの名がついた。『維摩経』『思益経』などにも説かれる。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

宝掌菩薩(ほうしょうぼさつ) 「宝を手にした」という名の菩薩。『大智度論』に、七宝をその手からいだして衆生に給施するとある。(大正大蔵経 T25 P 387)

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

薬王菩薩(やくおうぼさつ) 薬をもって人々の身心両面の治病をする菩薩。『観薬王薬上二菩薩経』に説かれ、雪山(ヒマラヤ)に産する上薬を衆生の心身を治せんとして衆僧に供養したところから名付けられた。

  『法華経』での出現箇所

    『法師品第十』、『勧持品第十三』、『薬王菩薩本事品第二十三』
    『妙音菩薩品二十四』、『陀羅尼品第二十六』、『妙荘厳王本事品第二十七』

勇施菩薩(ゆうぜぼさつ) 「施与の有志」という名の菩薩。法華経の行者を守る誓いを立て、衆生に法を施す菩薩。

  『法華経』での出現箇所

    『妙音菩薩品二十四』、『陀羅尼品第二十六』

宝月菩薩(ほうがつぼさつ) 「宝の月」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

月光菩薩(がっこうぼさつ) 「月の光」という名の菩薩。薬師如来の脇師として最も一般的な菩薩であるが、それをさすのかどうかは不詳。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

満月菩薩(まんがちぼさつ) 「満月」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

大力菩薩(だいりきぼさつ) 「大いに勇猛なる」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

無量力菩薩(むりょうりきぼさつ) 「無限に勇猛なる」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

越三界菩薩(おっさんがいぼさつ) 「三界を越えた」という名の菩薩。三界(さんがい)(欲界、色界、無色界)とは私たちの迷いの世界。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

・陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ) 「善き守護者」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

弥勒菩薩(みろくぼさつ) 弥勒はサンスクリット語Maitreyaの音写で、友愛(慈)の教師の意味。未来仏としての弥勒如来は、すでに『阿含経』に見える。釈迦牟尼仏についで56億7千万年の後、この世に現れる将来仏。

  『法華経』での出現箇所

    『序品第一』、『従地涌出品第十五』、『如来寿量品第十六』、『分別功徳品第十七』
    『随喜功徳品第十八』、『普賢菩薩勧発品第二十八』

宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ) 「宝の(あつま)り」という名の菩薩。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

導師菩薩(どうしぼさつ) 梵本(サンスクリット語)では「良き商主」という名の菩薩。導師とは人々を正しい道に導く人のこと。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

※説明不十分の菩薩名があるが、菩薩の名は菩薩の働きを表すので名前より推察して頂きたい。



◎雑衆  (天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)
○欲界衆  (、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

爾時釈提桓因。与其眷属二万天子倶。復有名月天子。普香天子。宝光天子。四大天王。与其眷属万天子倶。

[訓読]

爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。復名月天子・普香天子・宝光天子・四大天王あり。其の眷属万の天子と倶なり。

[解説]

釈提桓因(しゃくだいかんにん) 帝釈天のこと。インドラ神。インド最古の聖典『リグヴェーダ』における最大の神で、後に仏教に取り入れられて梵天(ぼんてん)とともに護法(ごほう)の善神となる。阿修羅(あしゆら)と戦ってこれを降し、天下に使臣をつかわして、万民の善行を喜び、悪行をこらしめる威徳ある神である。映画で有名な柴又帝釈天(日蓮宗題経寺)は庶民信仰の寺として名高い。

  『法華経』での出現箇所
    
    『譬諭品第三』『法師功徳品第十九』

名月(みょうがつ)天子、普香(ふこう)天子、宝光(ほうこう)天子
 天台大師の『法華文句』によれば三光すなわち、月天(月)、明星天(金星)、日天(太陽)をあらわす。

  <資料>
   名月是寶吉祥月天子。大勢至應作。
   普香是明星天子。虚空藏應作。
   寶光是寶意日天子。觀世音應作。  『法華文句』(T34 P24a)

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

四大天王(しだいてんのう) 古代インドの護世神が仏教に取り入れられ、四方を守る護法神となったもの。仏教の世界観の中に存在する須弥山(しゆみせん)中腹の四方に配される。

  東方 持国天(じこくてん)
  南方 増長天(ぞうじようてん)
  西方 広目天(こうもくてん)
  北方 多聞天(たもんてん) = 毘沙門天(びしやもんてん)

  『法華経』での出現箇所

    四天王     『方便品第二』『見寶塔品第十一』
    持国天(東)  『陀羅尼品第二十六』
    毘沙門天(北) 『妙音菩薩品二十四』『陀羅尼品第二十六』

    増長天(南)  なし
    広目天(西)  なし

※余談
法華経は東北の国に縁
・・・四天王の東と北に配当された持国天、毘沙門天の名前のみが法華経に出現する。また、『妙法蓮華経化城諭品第七』に出現する十六の如来のうち東北方向には一仏のみである。本来は釈迦牟尼仏が配当されるものかも知れない。南西方向のインドから東北方向に向かえばそこに日本がある。鎌倉時代に法華経を唱導された日蓮聖人は東北を意識されていた。

日蓮聖人 『南条兵衛七郎殿御書』 (真蹟在安房鏡忍寺)

肇公の記に云「茲典は東北の小国に有縁なり」等云云。法華経は東北の国に縁ありとかゝれたり。

日蓮聖人 『千日尼御前御返事』 (真蹟在佐渡妙宣寺)

須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此法華経をさづかり給き。其経を授けし時御語に云く「此の法華経は東北の国に縁ふかし」と云云。


○色界衆    (、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

自在天子。大自在天子。与其眷属三万天子倶。娑婆世界主。梵天王。尸棄大梵。光明大梵等。与其眷属万二千天子倶。

[訓読]

自在天子・大自在天子、其の眷属三万の天子と倶なり。娑婆世界の主梵天王・尸棄大梵・光明大梵等、其の眷属万二千の天子と倶なり。

[解説]

自在天子(じざいてんじ)大自在天子(だいじざいてんじ) シバ神の異名。世界を創造し支配する最高神を自在天(イーシヴァラ)と名付けるが、これは多くの場合ヒンドゥー教のシヴァ神の別名となる。イーシヴァラまたはマヘーシヴァラはそれぞれ「自在天」「大自在天」と漢訳される。

娑婆(しゃば)  サンスクリット語サハーの音写。われわれが住んでいる世界のことで「忍耐」を意味する。娑婆世界は汚辱と苦しみに満ちた穢土(えど)であるとされる。

梵天王(ぼんてんのう) ヒンドゥー教の主神の一つ。サンスクリットのブラフマーの音写。ウパニシャッド思想の最高原理ブラフマンを神格化したものである。ブラフマーは造物主とされ、仏教の興起した頃には、世界の主宰神、創造神と認められるようになった。仏教には、釈への帰依者、仏法を守る神として帝釈天や四天王とともに早い時期から取り入れられた。

尸棄(しき)大梵 大梵天の名前。

  『法華経』での出現箇所
    
    『妙法蓮華経化城諭品第七』

光明(こうみょう)大梵 大梵天の名前。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)


○龍王衆     (天、、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

有八竜王。難陀竜王。跋難陀竜王。娑伽羅竜王。和修吉竜王。徳叉迦竜王。阿那婆達多竜王。摩那斯竜王。優鉢羅竜王等。各与若干百千眷属倶。

[訓読]

八龍王あり、難陀龍王・跋難陀龍王・娑伽羅龍王・和修吉龍王・徳叉迦龍王・阿那婆達多龍王・摩那斯龍王・優鉢羅龍王等なり。各若干百千万の眷属と倶なり。

[解説]

龍王(りゅうおう) 人間以外で仏法を守護する天龍八部衆には

天。龍。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩ァ羅伽。

がある。ここでは天に続いて龍を挙げている。龍王は、蛇形の鬼類である龍の王のことで、サンスクリットではナーガという。主として水中に住み、雲や雨を起こす神通力を持つと信じられる。
 以下、八龍王それぞれの名前が列挙される。


難陀(なんだ)龍王 難陀は歓喜の意味。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

跋難陀(ばつなんだ)龍王 跋難陀は善の意味。

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

娑伽羅(しゃから)龍王 娑伽羅は海の意味。

  『法華経』での出現箇所

羅龍王ではなく、娑羅龍王として『提婆達多品第十二』に出現する。音写に用いられる漢字は違うが、これは『提婆達多品第十二』そのものが『妙法蓮華経』の翻訳者の鳩摩羅什の翻訳ではなく後分であるからと推察できる。

 娑伽羅龍王 sagaranagaraja 序品
 娑竭羅龍王 sagaranagaraja 提婆品

和修吉(わしゅきつ)龍王 

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

徳叉迦(とくしゃか)龍王
 吉祥天は徳叉迦龍王を父とし、鬼子母神を母とするといわれる。 

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

阿那婆達多(あなばだった)龍王
 

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

摩那斯(まなし)龍王
 

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)

優鉢羅(うはつら)龍王
 

  『法華経』での出現箇所   なし (当該箇所のみ)


○緊那羅衆  (天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

有四緊那羅王。法緊那羅王。妙法緊那羅王。大法緊那羅王。持法緊那羅王。各与若干百千眷属倶。

[訓読]

四緊那羅王あり、法緊那羅王・妙法緊那羅王・大法緊那羅王・持法緊那羅王なり。各若干百千の眷属と倶なり。

[解説]

緊那羅(きんなら) サンスクリット語キンナラの音写。キンナラは「人か否か」を意味し、半人半鳥または半人半馬の姿で表される。天界の楽師で、帝釈天に仕える。特に美しい歌声をもつことで知られる。仏法を守護する神。

法緊那羅王(ほうきんならおう) ドゥルマ Druma(樹)という名の緊那羅王

妙法緊那羅王(みょうほうきんならおう) ス・ダルマ Sudharma という名の緊那羅王 ※

大法緊那羅王(だいほうきんならおう) マハー・ダルマ Mahadharma という名の緊那羅王 ※

持法緊那羅王(じほうきんならおう) ダルマ・ダラ Dharmadhara という名の緊那羅王

 ※荻原・土田本の梵本では妙法緊那羅王・大法緊那羅王の順序が逆。(P30 L19) 


○乾闥婆衆  (天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

有四乾闥婆王。楽乾闥婆王。楽音乾闥婆王。美乾闥婆王。美音乾闥婆王。各与若干百千眷属倶。

[訓読]

四乾闥婆王あり、楽乾闥婆王・楽音乾闥婆王・美乾闥婆王・美音乾闥婆王なり。各若干百千の眷属と倶なり。

[解説]

乾闥婆(けんだつば) 仏法の守護神で、緊那羅と共に帝釈天に仕える楽神。香を求め虚空を飛翔するという。ギリシア神話のケンタウロスとの関係も指摘されている。

楽乾闥婆王(がくけんだつばおう) マノージュニャ Manojna という名の乾闥婆王。

楽音乾闥婆王(がくおんけんだつばおう) マノージュニャ・スヴァラ Manojnasvara  という名の乾闥婆王。

美乾闥婆王(みけんだつばおう) マドゥラ Madhura という名の乾闥婆王。

美音乾闥婆王(みおんけんだつばおう) マドゥラ・スヴァラ Madhurasvara という名の乾闥婆王。


○阿修羅王衆  (天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

有四阿修羅王。婆稚阿修羅王。・羅騫駄阿修羅王。毘摩質多羅阿修羅王。羅・阿修羅王。各与若干百千眷属倶。

[訓読]

四阿修羅王あり、婆稚阿修羅王・・羅騫駄阿修羅王・毘摩質多羅阿修羅王・羅、阿修羅王なり。各若干百千の眷属と倶なり。

[解説]

阿修羅(あしゅら) アスラ asura の音写。天に敵対するとされる乱暴な神。気さかんで、闘争を好む鬼神の一種。原語の asura は古代イラン語の ahura に対応する。元来は ahura と同じく善神を意味していた。しかし、のちにインドラ神(帝釈天)などの台頭とともに彼等の敵とみなされるようになり、常に彼等に戦いを挑む悪魔・鬼神の類へと追いやられた。

婆稚(ばち)阿修羅王 バリン Balin という名の阿修羅王。

・羅騫陀(からけんだ)阿修羅王 カラ・スカンダ Kharaskandha という名の阿修羅王。

毘摩質多羅(びましったら)阿修羅王 ヴェーマ・チトリン Vemacitri という名の阿修羅王。

羅、(らご)阿修羅王 ラーフ Rahu という名の阿修羅王。日食・月食をおこすという神話がある。


○迦楼羅王衆  (天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ァ羅伽)

[真読]

有四迦楼羅王。大威徳迦楼羅王。大身迦楼羅王。大満迦楼羅王。如意迦楼羅王。各与若干百千眷属倶。

[訓読]

四迦楼羅王あり。大威徳迦楼羅王・大身迦楼羅王・大満迦楼羅王・如意迦楼羅王なり。各若干百千万の眷属と倶なり。

[解説]

迦楼羅(かるら) サンスクリット語ガルダにの音写。金翅鳥(こんじちよう)。伝説上の巨鳥。
龍の一族の奴隷となった母を救うために、神々と争って不死の飲料であるアムリタ(甘露)を手に入れ、母を解放した。龍を憎んで食べるとされる。

大威徳(だいいとく)迦楼羅王 マハー・テージャス Mahatejas という名の迦楼羅王

大身(だいしん)迦楼羅王 マハー・カーヤ Mahakaya という名の迦楼羅王

大満(だいまん)迦楼羅王 マハー・プールナ Mahapurna という名の迦楼羅王

如意(にょい)迦楼羅王 マハルッディ・プラープタ Maharuddhiprapta という名の迦楼羅王


○人王衆

[真読]

韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶。各礼仏足。退坐一面。

[訓読]

韋提希の子阿闍世王、若干百千の眷属と倶なりき。各仏足を礼し退いて一面に坐しぬ。

[解説]

韋提希(いだいけ) サンスクリット語 Vaidehi ヴァイデーヒーの音写。釈尊在世時代のマガダ国の頻婆娑羅(びんばしやら)王の(きさき)で、阿闍世(あじやせ)王の母。阿闍世のために塔に幽閉された頻婆娑羅王のもとへひそかに食物を運ぶが、それを知った阿闍世は彼女をも幽閉する。観無量寿経は、この王舎城の悲劇を機縁として、仏が韋提希の苦悩を除くために、西方浄土の観法を説くという形をとる。

阿闍世(あじやせ)王 サンスクリット語 Ajatasatru アジャータシャトルの音写。古代インドのマガダ国王ビンビサーラ(頻婆娑羅)の王子.デーヴァダッタ(提婆達多(だいばだった))にそそのかされて父王を殺害し、釈尊入滅8年前に即位。後に後悔の念が激しい時、大臣ジーヴァカ(耆婆(ぎば))のすすめで釈尊に会い入信する。母は前述の韋提希夫人。(コーサラ王の妹ともいわれる)釈尊入滅の後、王舎城(おうしゃじょう)舎利(しゃり)塔を建てて供養する.

仏足を礼し 仏のみ足を頭に頂いて礼拝すること。インドにおける最上の礼法で、ひざまずいて顔を地面に接し、両掌で相手の足をいただいて、これに顔を接する。頭面接足礼(ずめんせっそくらい)

 


法華経解説トップ | 妙法蓮華経序品第一 次へ →


ホーム法華経解説法華仏教仏教作者についてメール