ベルリン ナポリ、ポンペイ |
ナポリとポンペイの日帰り旅行
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この列車、出発時間を40分過ぎても一向に発車しない。 警察官もうろうろしだす。 何やらアナウンスがあるがイタリア語のみだから、わけが わからない。とても不安な気分になる・・もしか爆弾騒ぎ?。 隣の席のオバチャンに聞いても英語は話せないという。 でもさすがは親切なイタリア人、英語を話せるイタリア人 を捜して事情を教えてくれた。 どうやら、指定券を持たずに乗り込んでいる乗客が大勢い るので彼らを列車から降ろすのに時間が掛かっているとの こと。 (混乱のミレニアム期間中は日本での予約必須か) さて、列車がいよいよナポリに近づいたとき不安になった。 停車した駅にナポリという文字が入っている。ここで降りな くてはならないのか?不安になっていると、訊ねるまえに さっきの親切なイタリア人が教えてくれた。ナポリには三つ の駅があるよ・・・と。それででも迷ったが、結局中央駅の 地下にあるPガリバルディ駅にたどりつく。 |
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私の乗った古びた特急 ES9365 |
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Via B Croce 通り |
ビルとビルの間に洗濯物を干す風景 |
ヌオーボ城 |
ヌオーボ城からサンテルモ城のある丘を望む |
卵城(Castel dell'ovo)へ続く道と青い海 |
卵城の城壁とサンタルチア港 |
ポンペイ遺跡からこの町を灰で閉ざした |
ポンペイはこんなにデコボコしている道?が多い |
ポンペイの野外劇場 内部 |
ポンペイの野外劇場 外観 |
■ナポリの一人歩き
ナポリは怖いところだぞ。汚いところだぞ。そんなことを聞いていたので、初めての海外旅行の学生時代にローマに滞在したときはナポリまで来なかった。
そういうわけで、一人歩きをする前にはかなり緊張をした。さすがに降りてすぐのセントラル駅界隈は少々緊張したが、そこを過ぎると、寧ろローマより安心して歩けた。
確かに、傷だらけのクルマが多いし、ハンドルに頑丈な防犯カバーまでしている駐車車両も多くみかけた。しかし、このナポリを歩いて、過去に訪れたローマ、ベニス、ミラノ、フィレンツェ、ピサにない魅力を感じた気がする。
地中海の青さ、丘陵に広がる石造りの家と歴史的建造物、スパッカナポリのイタリア臭さ、歩いていて楽しかった。ただし、サンタルチアの海岸は直径2mくらいの白く大きく無骨な石ばかりであった。
残念なのは本場のビザやシーフードを食べられなかったこと。現地滞在は11時間だったが、ポンペイまで巡るととてもではないが時間がなかった。ローマと違ってもう一度来たい。
■ポンペイで冷や汗
私鉄の周遊鉄道ヴィッラ・ディ・ミステリ駅を降りてすぐに売店がいくつかあり、ポンペイの日本語ガイドも販売していた。中で買うと良いやと思っていると、入口を過ぎると売店はない。結局、「地球の歩き方」の大雑把な地図をたよりに大雑把な観光となってしまった。
思いの外ポンペイ遺跡観光に時間がかかり、駅で調べておいた帰りの列車の時間に間に合いそうになかった。そもそも踏切の故障があり、ソレント線はダイアが乱れていた。次の列車に間に合わないとナポリ発の列車にも間に合わず、明日早朝の飛行機にも間に合わない最悪の事態も頭を一瞬よぎった。
仕方なく、ヴィッラ・ディ・ミステリ駅から帰る予定を変更してサルノ門から周遊鉄道のポンペイ駅を目指した。しかし、道に迷って余計なタイムロス。ヌーチェリア門まで小走りで向かい、タクシーを探すがタクシーは停まっていても運転手がいない。サッカーのヨーロッパ選手権のTV中継に夢中になっているのだろう。イタリアは確か準優勝。
国鉄の駅に向かって歩くと、教会の前で何とかアルファロメオのタクシーをみつけた。最寄りの駅まで行ってくれと頼むと、特急に間に合わせるならナポリまで行ってやろうと運転手が言い出した。所要時間を聞くと20分だという。電車で50分かかるのに・・・。値段を交渉すると、80000リラに10000リラ(100リラ≒6円)のチップで商談成立。合計5000円くらいか。もう少し値切れたような気もするが気が弱かった・・・。
ポンペイ遺跡から2〜3分走るとすぐに高速道路、料金は運転手が払ってくれた。そして、高速道路を120km/hで走り、高速道路を降りて5分ほどでナポリのセントラル駅。本当に20分と少しで到着した。特急出発の1時間前である。やれやれ・・・。
■最後にナポリの駅で冷や汗
ナポリ始発でローマ終着の特急 IC732 で帰途につく。もう楽勝と思えば甘かった。
出発ホームの番号が、出発時間の15分前に掲示板から消えてしまった。何号線に到着するのか、あるいは地下のPガリバルディ駅に変更になったのか?(そういう話も聞いたことがあった)
アナウンスはあるが例によってイタリア語のみである。駅のインフォメーションも夜になって終了している。駅員も警察官も英語を話せない・・・。それから10分間はいてもたってもいられない不安な時間であった。結局、定刻の出発5分前にホーム変更の掲示がでた。そして、10分遅れとの表示も出た。
この10分遅れの表示というのもアバウトな数字で、結局この列車は7分遅れで(掲示板の表示より3分早く)出発した。