仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_1  001-100  101-200  201-300  301-400  401-500  501-600  600-end

 
−−会議室1  [メイン]:仏教全般 自己紹介 随想 時事など −−
00001 97/09/19 20:25 Eisai              ようこそ 仏教ラウンジ BODHI へ
 大手パソコン通信やインターネットにも仏教系フォーラムはいくつかあります。し
かし、そこでは欲しない論争に巻き込まれたり、失礼なコメントがついたり、執拗に
追求されたり、そんなことを経験されたり目撃されたことはないでしょうか。
 ラウンジとは遊歩場、散歩場、ホテルなどの休憩室、娯楽室ということです。仏教
を語るには不敬な名称かもしれませんが、
  戦戦恐恐とした仏教談義はしたくない
という趣旨から選んだ名称です。ですから、ラウンジという名称でも専門的な話に蘊
蓄を傾けるのは自由です。分野は違いますが、昔「α-Boo(恒星)の表面大気温度と重
力加速度を分光データからどう計算するか」なんてことを楽しく論議しながら居酒屋
で飲んだ経験もあります。
 もちろん、軽い脱線話や極基礎的な話も大歓迎です。基礎的な話ほど難解だったり
するのですが(^_^;
 ともかく、リラックスして発言できる仏教フォーラムを作りませんか? 公開
フォーラムでそれができるかどうかこれは皆様次第です。


 データライブラリは下記を用意しました。
  経典関連
  先師関連
  論文&蘊蓄
  旅行記
  画像・写真
  ソフト
  その他
 お気軽に御利用下さい。徐々に充実して行きますが、ライブラリ充実に皆さんの御
協力もお願い致します。
 ともかく、出来たばかりのフォーラムです。御意見御希望など宜しくお願い致しま
す。発言者が増えれば会議室も分野別に増やします。
BODHI マスター  Eisai
00002 97/09/20 00:41 ぢねん             RE:00001 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
◆◇◆祝ラウンジご開設◆◇◆
◆◇◆◇Eisaiさま江◆◇◆◇
◆◇lotuswowぢねん拝◆◇
00003 97/09/20 11:40 BEN             RE:00001 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
     ★☆★☆★ 祝・仏教ラウンジ BODHI 開室 ★☆★☆★
ついにオープンですね。おめでとうございます!! ずっと Eisaiさんのホーム
ページを拝見しておりまして、こうしたインタラクティブな場がインターネット
上に用意されるのを心待ちにしてました。これで貴ホームページの読者にとって
も、作者と気軽に交流できるわけですね。喜ばしいかぎりです。
仏教に馴染みのない方々から専門家に至るまで、たくさんの人がこのラウンジに
集まって、気楽に仏教談義が楽しめるといいですね。さっそく私のサイトからも
リンクを貼らせて頂いて、皆さんにご紹介したいと思います。ご一緒に盛り上げ
ていきましょう。どうぞ宜しくお願い申し上げます m(_ _)m
    では、開室を祝って乾杯!!               BEN
00004 97/09/20 18:38 Eisai              RE:00002 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
ようこそ、ぢねんさん。
 ▼
 |\(*^^)v
  ̄
 私のホームページでリアルオーディオのリアルタイム音声再生をできるようになっ
たのは、実に ぢねんさん のお陰です。その節はありがとうございました。
 私のホームページのリアルタイム音声集は
  http://www.kosaiji.org/english/realaudio.htm
を御覧下さい。英語バージョンですが・・・音声は日本語です。
 そろそろ、「お経」や「太鼓」だけでなく「声明(しょうみょう)」を入れたいの
ですが、声明は一人ではどうにもなりませんね。
 どうぞ「ラウンジ BODHI 」をよろしくお願いします。
 またの御来店をお待ちしています。
マスター Eisai
00005 97/09/20 18:39 Eisai              RE:00002 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
ようこそ、BENさん。
 ▼
 |\(*^^)v 乾杯! こちらは先にマテウスロゼをやってます。
  ̄
 マテウスロゼは安くて飲みやすくて大好きです。
 BENさんは私よりパソコン通信歴が長いわけで、Sysop どころではなく某ネット
主催者となった経験の持ち主です。運営面での御助言などありましたら宜しくお願い
致します。
 私としましたら、何故「ラウンジ」という名称かということを理解してくださり、
くつろいだ仏教関連の会話のできる方であれば、仏教初心者であれ、浄土であれ、真
言であれ、法華であれ、インド仏教学研究者であれ、誰でも大歓迎なわけです。
 ▽
 |  おっと飲み干してしもた。
  ̄
 そういえば近くにワインのフォーラムがありましたね。ワインを仕入れに行きます
か。
 どうぞ「ラウンジ BODHI 」をご贔屓にして下さいませ。
マスター Eisai
00006 97/09/20 23:27 BEN             RE:00005  ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
マスター、さっそくのレス ありがとうございました。では私もマテウスロゼを (^^)v
 ところで、いきなりのご指摘で恐縮ですが、私へのコメントリンクが #00002のぢ
ねんさん宛になってます
 よぉ。まぁよくあることで、ご愛敬なんですけどね。ちなみに開設者レベルでは、
こうした修正は可能なの
 でしょうか? たぶんリンク変更までは無理でしょうね。いやいや、なにも削除し
て登録し直す必要はない
 ですよ。で、ついでにお訊ねしますけど、他にオペレーターにはどんな機能が用意
されているんでしょう?
 私も一つ開いてみたいなぁと思っているところでして、できれば参考までにお教え
頂ければ幸いです。
 おっと、#00003 では自己紹介を忘れてしまいましたね。失礼致しました。私もマ
スターと同じ日蓮宗の僧
 侶で、この3月まではご一緒に日蓮宗ロータス通信という僧侶専用ネットの仕事を
したりしていました。他
 にNHK系パソコンネットなんかでもスタッフをしてたりして、こういうネット
ワーク遊びは根っからの大
 好き人間です。現在は自分のホームページで小規模な伝言板を開いていますが、で
きればここのような本格
 的な機能を持ったシステムに移行したいと思っているところです。今後ともどうぞ
宜しく!
     ロータス仏教フォーラム『さっとば』 http://www.raidway.or.jp/~ben/
 主宰 BEN
00007 97/09/21 14:39 FUKU               RE:00001 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
はじめまして。
福岡といいます。ここにいらっしゃる方の中ではかなり異色の種類の人間となると
思います。
マスターのEisaiさんとは大学の卒業研究で一緒だった仲で、今は、フリーランスの
プログラマ
やってます。
仏教の哲学的なものには興味があります。あと、仏像にも興味があって時々京都とか
奈良に
出かけたりもします。ミーハー的仏教ファンと言いますか。。(^^;;
簡単な自己紹介ですが、よろしくお願いします。
00008 97/09/21 16:16 hogen              おめでとうございます
仏教ラウンジ開設おめでとうございます。
コンピュータも仏教もまだまだ初心者です。
いろいろと見聞を広めたいと思ってます。
よろしくお願いします。
00009 97/09/21 17:56 Ryuuon             初めまして。
どうも、この度はラウンジ開設おめでとうございます。
Ryuuonと言います。私は全国に数多くいるであろう?Eisaiさんの
パソコンの弟子(地元)の一人です。
師匠(Eisai師)のおかげで、この悪の道にどっぷり引き込まれて
しまいました。
かくなる上は、嫌がられても師の後をくっついて行こうと思っています
のでEisai師匠、お覚悟のの程を!!
これからも、ヨロシクお願いします。
PS 師匠!ぼちぼち「宝の樹」の方もお願いします。
00010 97/09/21 17:56 Ryuuon             (発言者削除)
00011 97/09/21 17:57 Ryuuon             (発言者削除)
00012 97/09/21 17:57 Ryuuon             (発言者削除)
00013 97/09/21 18:12 Ryuuon             失礼しました。
度々、すいません。Ryuuonです。
送信ミスで同文を4回も送ってしまいました。
発言者削除したのは私です。
以後気をつけますのでご容赦下さい。
師匠、すんません。
00014 97/09/21 21:47 Eisai              RE:00006  ようこそ 仏教ラウンジ BODHI
 BENさん、どうもです。
 >ところで、いきなりのご指摘で恐縮ですが、私へのコメントリンクが
 > #00002のぢねんさん宛になってます
 おっと失礼しました。開店早々ミスってしまいました。飲み過ぎていたのでしょう
か? 昨今ワインを開けるとフルボトルを一人で飲んでしまいますもので・・・
(^_^;
 今日はニッカのリンゴの発砲ワインシードルをやっています。
 >ついでにお訊ねしますけど、他にオペレーターにはどんな機能が用意
 >されているんでしょう?
 恥ずかしながら掌握し切れていません。最終アクセス時刻、ハンドル名、ユーザI
D(メールアドレス)は表示されます。ポインタ(どの程度未読か)の表示はないよ
うです。
 まあ、たまたま日蓮宗僧侶が開設したわけですが、セクト主義の会議室にするつも
りはありません。先般も言ったとおり、どの宗派のかたが来ても良いわけですし、む
しろそれを歓迎します。浄土系、真言系、禅系、法華宗、日蓮正宗や創価学会の方も
どうぞ。
 どこの宗派であれ、ラウンジという場所であることを心得て頂ければ幸いです。
マスター Eisai
00015 97/09/21 21:48 Eisai              RE:00007 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
ようこそ、FUKU さん。
 ▼
 |\(*^^)v 乾杯! こちらは先にシードルをやってます。
  ̄
 >ここにいらっしゃる方の中ではかなり異色の種類の人間となると
 >思います。
 そんなことありません。仏教のサイトを作られているくらいですから・・・。
 私も奈良や京都の仏像を拝ませていただくと、何とも言いしれぬ感動を覚えます。
 >マスターのEisaiさんとは大学の卒業研究で一緒だった仲で、
 その時は御世話になりました。クラッシュしたFD(当時は5インチ)を修復して
下さったこともありましたね・・・。
 >仏教の哲学的なものには興味があります。
 私もインド仏教の視点から日本仏教を見つめ直したいと思っているのですが、サン
スクリット語はハハハ・・です。語学は学生時代からハハハ・・でして。
 >あと、仏像にも興味があって時々京都とか奈良に
 >出かけたりもします。ミーハー的仏教ファンと言いますか。。(^^;;
 参詣記などのアップやサイトの紹介をして頂ければ幸いです。
 どうぞ「ラウンジ BODHI 」をご贔屓にして下さいませ。
マスター Eisai
00016 97/09/21 21:48 Eisai              RE:00008 おめでとうございます
ようこそ、hogen さん。
 ▼
 |\(*^^)v
  ̄
 >コンピュータも仏教もまだまだ初心者です。
 コンピュータについても仏教についてもプロもセミプロも御来店しておられるよう
です。ROMしておられる方も含めて・・・。まあ、マスターは大したことはありま
せん。先方に迷惑にならない程度なら、橋渡しのお手伝いくらいはさせて頂けるかも
しれません。
 bodhi は「ボーディー」と読みます。これを音写したのが「菩提」です。スペルは
合ってますよね?>all
 ラウンジ BODHI を宜しくお願いします。
マスター Eisai
00017 97/09/21 23:39 遠藤雅明           入会しました
フォーラム開設おめでとうございます。
はじめまして、この度入会させて頂きました遠藤雅明と申します。
僧侶してますが宗教関係のフォーラムに書き込むのは初めてだったりします。
よろしくお願いします。
00018 97/09/22 20:01 Eisai              RE:00013 失礼しました。
Ryuuon さん、いらっしゃいませ。当ラウンジを宜しくお願いします。
 ▼
 |\(*^^)v
 
 おっと今日は休肝日ですので、グレープジュースで失礼します。
》師匠(Eisai師)のおかげで、この悪の道にどっぷり引き込まれて
》しまいました。
 あんなに早くパソコンを使いこなされるのには驚きです。さすが、将棋やチェスの
名人です。
 明日のM寺の彼岸法話に、Ryuuon さんに提出しなければならない原稿、家庭内信
行に関する講師の準備で忙しくないけど頭がいっぱいです。そんなこんなで忙しく、
ラウンジ BODHI も私の方から仏教の話に入れなくてすみません。お彼岸ですし、仏
教の話題を何でもどうぞ>all
マスター Eisai
00019 97/09/22 20:01 Eisai              RE:00017 入会しました
遠藤雅明さん、ようこそいらっしゃいました。
 ▼
 |\(*^^)v 休肝日ですが・・・乾杯!
  ̄
 >僧侶してますが宗教関係のフォーラムに書き込むのは初めてだっ
 >たりします。
 宗教関係のフォーラムは書きにくいことが多いですね。ことにお坊さんであること
を白状して書き込むのは勇気がいります。ROMと書き込むことではBBSの意味が
全く違うと思います。どうかこれからも書き込むという形で御来店下さいますよう宜
しくお願いします。
 宗教関係のフォーラムではあるけれど、書き込みやすいフォーラムを実現すべく試
行錯誤したいと思います。
 そうそう、データライブラリはお彼岸が終わらないと忙しくて手を着けられないか
もしれません。しばらくお待ち下さい>all
マスター Eisai
00020 97/09/22 23:07 ぶっちゃん         (発言者削除)
00021 97/09/22 23:08 ぶっちゃん         (発言者削除)
00022 97/09/22 23:31 ぶっちゃん         RE:00001 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
開店おめでとうございます。私にもおいしいワインを下さい。
RYUUNさんに同じく、カウンターにつく前に酔っぱらってしまい、
2度も書き間違ってしまいました。
私もBENさんやEisaiさんに同じく、旧ロータス通信に属しておりま
した僧侶です。
お二人に遅れないように、というか遅れすぎないように何とかつい
ていきたいと思って、今日もお彼岸中だというのに、COOL Web 
入門、ホームページ作成セミナーに行ってきました。
私は今、ケ−ブルインターネットの実験に参加しており、インター
ネット接続料が無料です。ですから、ホームページ上にもうけられ
た会議室はうれしいラウンジです。
みなさんよろしくお願いします。
                        ぶっちゃん
00023 97/09/22 23:31 ぶっちゃん         (発言者削除)
00024 97/09/22 23:32 ぶっちゃん         (発言者削除)
00025 97/09/22 23:32 ぶっちゃん         (発言者削除)
00026 97/09/22 23:32 ぶっちゃん         (発言者削除)
00027 97/09/22 23:38 ぶっちゃん         RE:00022  ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
送信したらエラーが出てしまい何度か操作したらまた何通も同じ文を登録してしまい
ました。上記削除は私です。失礼しました。
              ぶっちゃん
00028 97/09/23 07:32 hogen              RE:00017 入会しました
お久しぶりです。
hogenです。
かなり前に、コンピュータを買ったはいいけど通信ができなくて
電話したhogenです。なんとか通信できるようになりました。
でももうすぐ荒行、またコンピュータから遠ざかってしまう・・・
00029 97/09/23 14:22 FUKU               RE:00015  ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
>   そんなことありません。仏教のサイトを作られているくらいですから・・・。
いや。仏教のサイトなどという高尚なものではありません。ただの仏像鑑賞記
です。
お暇でしたらお越しください。> 皆様
http://www.asahi-net.or.jp/~jy4h-fkok/
> その時は御世話になりました。クラッシュしたFD(当時は5インチ)を修復して
> 下さったこともありましたね・・・。
こちらこそお世話になりました。FDの件は全然覚えてませんが、研究室で
ハレー彗星を見に行ったときに車に乗せて貰いましたよね。あの車はAE86
でしたでしょうか。ワインディングロードの切れた走りは非常に良く覚えて
ます。
ところで、せっかく仏教の専門家の方々がいらっしゃるので、前から聞いて
みたかったことを質問したいと思います。非常に幼稚な内容ですが。。
その前に、どの宗派でも構わないとのことなので、告白してしまいますが、
私は禅に興味があります。特に宗教団体に属しているわけではありません。
で、禅関係の本などを読んでいていつも思うのですが、禅では誰もが仏性
を持っているとし(特に臨済宗。道元が伝えた曹洞宗はこれも否定して
修行しなければ仏性は生まれないという考えらしい)、修行する
ことでその仏性を磨いて最終的には悟りを開くという道筋になるようですが、
禅以外の宗派ではこのような考え方が薄いような印象があります。
自分の中の仏性よりも外にあるはかりしれない力を持った「ほとけさま」に
すがって助けてもらうために普段の行いを正しくして救いを求めるという
個人の道徳心を向上させるための宗教という印象が強く見えます。
本題の質問に入る前に私がいま書いたことで間違いがあったらどなたか指摘
してもらえないでしょうか。
00030 97/09/23 14:23 FUKU               (発言者削除)
00031 97/09/23 14:23 FUKU               (発言者削除)
00032 97/09/23 14:23 FUKU               (発言者削除)
00033 97/09/23 14:23 FUKU               (発言者削除)
00034 97/09/23 14:27 FUKU               RE:00029   ようこそ 仏教ラウンジ BODHI
皆さんが発言者削除している理由がわかりました。
URLがないというエラーが出るんですね。
でも、ちゃんと本文は投稿されているという。。
私も引っかかりました。
00035 97/09/23 21:15 Eisai              RE:00029  ようこそ 仏教ラウンジ BODHI
sub:仏性と如来蔵
FUKU さん、どうもです。
 >道元が伝えた曹洞宗はこれも否定して
 >修行しなければ仏性は生まれないという考えらしい
 道元禅師の考えですが、
   松本史朗「禅思想の批判的研究」大蔵出版 P616
をみますと「正法眼蔵(十二巻本)」は如来蔵思想の論理的展開だという指摘があり
ます。また、明確に生まれながらの仏性を説く「涅槃経(大乗)」の引用もなされて
いるそうです。
 私は恥ずかしながら「正法眼蔵」を読んだことはありません。しかし、曹洞宗系列
の駒沢大学の助教授の論文にそんなことが書いてありましたので私には説得力をもっ
ておりました。如来蔵思想ということは仏性が最初からあるという思想ですが、実際
の道元禅師の教学はどうなのでしょう。参考までに御紹介だけしておきます。
 松本史朗先生は「如来蔵思想は仏教にあらず」というような論文を出しておられま
せんでしたっけ。仏教は無我を説くのに、如来蔵思想はウッパニシャドのアートマン
に思想であり仏教でないというような論理だと思います。そのような指摘を又聞きし
て私は、自らの宗派の教学における「仏性」「如来種姓論」「如来蔵思想」「中古天
台本覚思想(日本)」について興味を持ちました。
 日蓮聖人も「涅槃経(大乗)」が大好きで、御遺文にも引用が大変多いです。悉有
仏性を肯定していたのだと思います。ただし、それが如来蔵思想だとは思いません。
また、日蓮系の一部門流には中古天台の本覚思想を強烈に受け継いだものもあります
が、私は日蓮仏教は中古天台本覚論でもなければ密教でもないと考えています。その
ようなことを説く日蓮聖人遺文は偽書や不確かなものが多いです。もしくは、相伝の
類です。
  (http://www.kosaiji.org/tera2/hongaku.htm を参照)
 >仏性を磨いて最終的には悟りを開くという道筋になるようですが、
 >禅以外の宗派ではこのような考え方が薄いような印象があります。
 密教や法華仏教は即身成仏を説くからでしょうか。法華は即身成仏を説きながら、
如来蔵思想を否定する・・・これは私の勉強の課題でもあります。道元禅師も積極的
に読まれた法華経の場合、法華仏教の立場からは信心成仏や受持成仏なのでしょうか。
 「妙法蓮華経如来神力品第二十一」
   我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし
   是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん
マスター Eisai
00036 97/09/23 21:15 Eisai              RE:00022 ようこそ 仏教ラウンジ BODHI 
ぶっちゃんさん、ようこそおいで下さいました。
》開店おめでとうございます。私にもおいしいワインを下さい。
 ▼
 |\(*^^)v とっておきのシャブリです。
  ̄     どうぞどうぞ・・・乾杯!
 私は今日はビールをやっています。お彼岸の行事を乗り切ったあとのビールは美味
しいです。
》RYUUNさんに同じく、カウンターにつく前に酔っぱらってしまい、
》2度も書き間違ってしまいました。
 FUKU さんの仰るとおり、なんかバグがあるのでしょうか。秀ネットさんに問い合
わせてみます。もし、お持ちでしたら秀タームからのアクセスが便利だと思います。
私は秀タームからアクセスしています。
》ていきたいと思って、今日もお彼岸中だというのに、COOL Web 
》入門、ホームページ作成セミナーに行ってきました。
 さすが余裕ですねぇ。私は彼岸法話で頭がいっぱいでした。今日M寺の彼岸法要で
の法話です。
  彼岸→波羅蜜→六波羅蜜→「妙法蓮華経分別功徳品第十七」
 五波羅蜜よりも一念信解、般若波羅蜜よりも以信代慧というような説法を 
Microsoft POwer Point 95 を使ってプレゼンテーション形式で法話をしました。先
祖供養主体で集まった檀信徒には難しかったかな?。
 ところで、パワーポイントは 95 から 97 にバージョンアップするべきでしょう
か?  どなたか詳しい方はいらっしゃいませんか?
マスター Eisai
00037 97/09/23 21:16 Eisai              RE:00028 入会しました
 hogen さん、いらっしゃい。
》でももうすぐ荒行、またコンピュータから遠ざかってしまう・・・
 そうですか。荒行まであと、1ヶ月余りですね。法華経寺になるか遠寿院になるか
は未だ解らないのですか?
 今のうちに娑婆の美味しいお酒を飲んでおいて下さい。あいにくラウンジには女性
店員はいませんが・・・。尼僧さんでも招請しましょうか?
 私はまだ荒行堂には行っていません。私は数年後管内で声明師会長になる可能性も
若干あります。もし、声明師会長の身分で荒行堂初行に入るとうけるでしょうね。全
国日蓮宗寺院に有名になるかも知れません。( ^^)v
マスター Eisai
00038 97/09/24 11:50 アムリタ           はじめまして、アムリタです。
エイサイさん、皆様
 私も宜しくお願いします。
 アムリタと申します。
 自己紹介をサせていただきます。エイサイさんと同じく、僧侶をしておりますが
 日蓮宗のことは、よく知りません、専門は、唯識ですけれども、広く浅くインド哲
学にも興味があり、
 最近は、知り合いから外道と呼ばれております。サンスクリットも少しかじってお
ります。
 今後とも宜しくお願いします。
 
 ところで、早速ですが、エイサイさん、インド旅行の勧誘は、ここで発言してもよ
いですか? 
 
00039 97/09/24 15:09 Eisai              RE:00038 はじめまして、アムリタです。
アムリタさん、ようこそおいでくださいました。
 ▼
 |\(*^^)v 
  ̄     乾杯!
 >サンスクリットも少しかじっております。
 ハンドルのアリムタってどういう意味なんでしょう?
 >インド旅行の勧誘は、ここで発言してもよいですか? 
 どうぞどうぞ。
 実はこのインド旅行、私も参加させて頂きます。
マスター Eisai
00040 97/09/24 16:42 アムリタ           RE:00039  はじめまして、アムリタです。
 取り急ぎお答えします。
 アムリタの意味ですが、私の記憶するところでは、
 「不死」という意味と、「甘露の法雨」の、「甘露」
 があったと思います。
 また辞書を調べたら 詳しくお話しします。
 私は取り敢えず、覚えやすくていいなと思って使っております。
 インド旅行の案内は、また次に発言します。
                    アムリタでした。
00041 97/09/24 17:48 アムリタ           インド旅行案内
マスターより許可をいただいたので、
インド旅行の御案内を申上げます。
 『南インドの遺跡を訪ねる旅』
     シンガポール航空利用
 ☆期間 1998年2月12日〜2月19日
 ☆代金 288、800円
 ☆募集人員 15名(最少催行人員10名)
 ☆主催 (株)大陸旅遊
 ☆主な訪問先
  ボンベイ
  エローラ・アジャンタ
  (どちらも世界的に有名な石窟寺院)
  ハイデラバード
  ナーガルジュナコンダ・アマラバティ
  (龍樹菩薩ゆかりの地)
  マドラス
 *主催は大陸旅遊ですが、発起人は私です。
  現在のところ7〜8名参加予定で、
  少し参加者が足りません、インドに興味のある方、
  また、回りにそのような方がおられましたら
  是非とも紹介ください。
 連絡先 
 (株)大陸旅遊
 〒160 新宿区西新宿5−5−6 
            西新宿旭ビル2F
  電話 03−3376−2511
   担当  永田・谷奥・津下
  
  または、私のところ
  E−mail  amrita@sun-inet.or.jp 
       
            まで御連絡下さい。
 
 ★アジャンタ・エローラは、絶対見に行くべきです。
    私はそう思います。 
                                       以上アムリタでした。
00042 97/09/25 16:36 Eisai              講演情報>松本史朗先生の講演
 当ラウンジ #35 で松本史朗先生のことを述べましたが、松本史朗先生の講演の情
報が入ってきました。私は行こうかと思っています。
日 程  平成9年10月18日土曜日
時 間  14:00 - 15:30
場 所  仏教大学四条センター(阪急電車烏丸駅21番出口 三井銀行4F)
講 師  駒沢大学教授 松本史朗先生
講 題  仏教の実体否定論 〜如来蔵思想批判について〜
受講料  \1,000-
なお、仏教大学四条センターにはホームページがあります。
  http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/
ちょっと回線が混み合っているかも知れません。
マスター Eisai
00043 97/09/25 16:37 Eisai              RE:00041 インド旅行案内
 アリムタさん、ありがとうございました。
 この南インド旅行の訪問先のWEBサイトなど無いのでしょうね。もし、あれば御
紹介下さい。その他、インドなど外国の面白い仏教関連のサイトがあれば教えていた
だけませんでしょうか。
マスター Eisai
00044 97/09/27 14:34 Eisai              講演情報>苅谷定彦先生の法華経講座
 当ラウンジ #43 で松本史朗先生の講演について御案内致しましたが、同じ場所で
苅谷定彦先生の講演がありますので御案内致します。
日 程  平成9年10月〜12月
      10/9 法華経出現の前夜
      10/30 一仏乗
      11/13 長者と窮子の話
      11/27 仏入滅の真相
      12/11 常不軽ぼさつ
時 間  18:00 - 19:30
場 所  仏教大学四条センター(阪急電車烏丸駅21番出口 三井銀行4F)
        http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/
講 師  種智院大学教授 苅谷定彦先生
    (法華宗興隆学林教授、東方学院講師、法華宗本信寺住職)
講 題  人みなもとより ぼさつ・仏の子と説く法華経
受講料  一回 \1,000-
    ※先生は"菩薩"と"ぼさつ"をわざと使い分けておられます。
マスター Eisai の推薦の言葉
 梵本法華経の研究から、天台教学や伝統的法華経感にとらわれないユニークな法華
経講義は、日頃の法華経に対するもやもやとしたものをスッキリさせてくれるかも知
れません。先生の主たる論文は「法華一仏乗の思想」〜インド初期大乗仏教研究〜東
方出版です。この論文から十数年経って更にバージョンアップした苅谷法華?を堪能
できるかもしれません。
マスター Eisai
00045 97/09/28 20:19 FUKU               RE:00035   ようこそ 仏教ラウンジ BODHI
Eisaiさん、コメントどうもです。
種本を読み返していたので、遅くなりました。
私は素人なんですから、もうちょっとお手柔らかに願います。(^^;;
>>道元が伝えた曹洞宗はこれも否定して
>>修行しなければ仏性は生まれないという考えらしい
>
>道元禅師の考えですが、
>
>松本史朗「禅思想の批判的研究」大蔵出版 P616
>
>をみますと「正法眼蔵(十二巻本)」は如来蔵思想の論理的展開だという指摘があり
>ます。また、明確に生まれながらの仏性を説く「涅槃経(大乗)」の引用もなされて
>いるそうです。
私の種本は
高崎直道・梅原猛「古仏のまねび<道元>」角川文庫ソフィア
です。
この本は
第一部 無窮の仏行  高崎直道
第二部 『正法眼蔵』の背景 <対談> 高崎直道・梅原猛
第三部 道元の人生と思想 梅原猛
に別れています。以降、第一部をA、第二部をB、第三部をCとして
参照することにします。
で、少し訂正ですが、仏性があるかないかについて、道元はあるとも
言っているし、ないとも言っていると解釈するのが正解のようです。
文書Cによると、正法眼蔵の仏性の巻には
みみずが斬られて、二つとなった。両頭ともに動いている。どちらに
仏性があるのか。
という公案が書かれているそうです。
(この話、私はシュレーディンガーの猫の話を思い出しました。)
以下、文書Cより。
馬祖道一の法子、塩官はいった、「一切衆生有仏性」と。「有」のみみず
である。しかし、馬祖の法孫、い山霊裕は「一切衆生、無仏性」といった。
「無」のみみずである。
(中略)
道元は一切衆生、有仏性より、一切衆生、無仏性の方が、思想としては
よりよいという。
(中略)
道元は百丈(懐海)のことばを引いていう、「説衆生有仏性、亦謗仏法僧
説衆生無仏性、亦謗仏法僧」。つまり、衆生に仏性があるといっても、
仏教をそしることになり、衆生に仏性がないといっても、仏教をそしる
ことになるというのである。
(中略)
各人の器量によってその公案を解けと、道元は残酷なる慈悲によりこの
公案を投げ出している。
<引用終了>
また、
正法眼蔵には確かに涅槃経の引用があります。
「一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易」
ふつうに解釈すると
「一切の衆生は、悉く仏性有り、如来常住にして、変易有ることなし」
となりますが、道元はこう読まずに
「一切は衆生なり、悉有は仏性なり、如来は常住にして、無にして有にして
変易なり」
と読むそうです。
これは、文書Cによると、仏性の無常を説いていることになります。
また、同じく正法眼蔵、仏性の巻には、
「仏性は草木の種子のごとし、法雨のうるひしきりにうるほすとき、
芽茎生長し、枝葉花菓もす(茂す)ことあり、果実さらに種子を
はらめり」
とあり、仏性は、種のように衆生に含まれていて、発展させていく
ものだと見ています。
道元は十五歳のときに、
「顕密二経共に、本来本法性、天然自然身なりと談ず、もし此のごとく
なれば則ち、三世の諸仏、何によってか、更に発心して菩提を求めんや」
人が生まれながらにして仏性を持っているなら、なぜ修行して
悟りを開かなければならないのか、と問うたそうです。
この疑問がそもそもの原点となって、正法眼蔵に書いてあるような
仏性の考え方に行き着いたようです。
>松本史朗先生は「如来蔵思想は仏教にあらず」というような論文を出しておられま
>せんでしたっけ。仏教は無我を説くのに、如来蔵思想はウッパニシャドのアートマン
>に思想であり仏教でないというような論理だと思います。
以上のことから、これは道元の思想の追認とは考えられないでしょうか。
後半の話はまた別途。。
// 福岡
00046 97/09/29 15:22 Eisai              RE:00045   ようこそ 仏教ラウンジ BODH
FUKU さん、こんにちは。
 いえいえ、こちらこそ道元さんは素人ですので色々教えて下さい。『正法眼蔵』を
読んだこともありませんので・・。くれぐれもおてやわらかにお願いします。
 「道元禅師」+「仏性」ということでパッと頭に浮かんだのが松本史朗先生だった
もんで・・・。『正法眼蔵』についてはNHK第2放送(AM)で放送中なのでしょ
うか・・・時々車の中で聴きました・・・。
》で、少し訂正ですが、仏性があるかないかについて、道元はあるとも
》言っているし、ないとも言っていると解釈するのが正解のようです。
 了解しました。
 蚯蚓(ミミズ)と仏性の話ありがとうございました。NIFTY-Serve FBUD でダウン
ロードした『正法眼蔵』で原文もみさせて頂きました。勉強になりそうです。適当な
解説書があれば読みたいと思います。
 以前、アリムタさんに『正法眼蔵』を読むと禅宗に改宗したくなるかも知れないぞ
と言われたような気もします。
》この疑問がそもそもの原点となって、正法眼蔵に書いてあるような
》仏性の考え方に行き着いたようです。
》以上のことから、これは道元の思想の追認とは考えられないでしょうか。
 臨済宗系の駒沢大学の先生がその様な論文を書いても意外なことではないのですね。
道元禅師にとっても日蓮聖人にとっても中古天台本覚思想のまっただ中に比叡山で勉
学されています。お二人とも、『涅槃経』(大乗)を読み、叡山で如来蔵思想や本覚
論といった仏性に対する考え方を学びつつもそれを超克されたのでしょうか。
マスター Eisai
00047 97/09/30 22:05 FUKU               RE:00046    ようこそ 仏教ラウンジ BODH
Eisaiさん、こんにちは。
後半の方の話です。
>  日蓮聖人も「涅槃経(大乗)」が大好きで、御遺文にも引用が大変多いです。悉有
>仏性を肯定していたのだと思います。ただし、それが如来蔵思想だとは思いません。
>また、日蓮系の一部門流には中古天台の本覚思想を強烈に受け継いだものもあります
>が、私は日蓮仏教は中古天台本覚論でもなければ密教でもないと考えています。その
>ようなことを説く日蓮聖人遺文は偽書や不確かなものが多いです。もしくは、相伝の
>類です。
すいませんが、
「涅槃経」と「如来蔵思想」と「中古天台」の関係とそれぞれの
特徴を簡単に説明してもらえるとすごくありがたいです。
>>仏性を磨いて最終的には悟りを開くという道筋になるようですが、
>>禅以外の宗派ではこのような考え方が薄いような印象があります。
>密教や法華仏教は即身成仏を説くからでしょうか。
この質問をしたのは、仏教には内側の仏性を見つめるタイプと外側にある
仏様に向かうものの2種類があるのでは。と思ったからです。
後者は、よく神仏にすがって仏像に手を合わせているおばさんがいますよね。
でも、そもそも自分自身を磨けば仏になれるのなら、なぜ、外側にいる
仏にすがる必要があるのか?というのが疑問の発端です。
それと、本を読んでいると仏と言った場合に2種類の説明があります。
例えば、般若心経に出てくる観自在菩薩の説明で
秋月龍みん「般若心経の智慧」PHP文庫
にはこう書いてあります。
引用開始
「観自在菩薩」とは誰か。浅草に行って観音さまを拝むのか、西国の霊場
にお参りするのか。それもよいでしょう。しかし、それだけでは他人事(
よそごと)になります。禅者は、「観自在菩薩」とは、「観ずれば自(われ)
に在る菩薩なり」と申します。心眼を開いて観察すると、「観自在菩薩」は
自己に在す(います)というのです。
引用終了
もう1冊、
瀬戸内寂聴「般若心経 生きるとは」中公文庫
引用開始
「観自在菩薩」は観世音菩薩、つまり観音さまのことです。
(中略)
如来はいちばん高い位の仏さま。そして、そのお方と、凡夫衆生である
われわれ人間の間に立って、取り次ぎをしてくれるのが菩薩です。
引用終了
のようにここでは仏は完全に人間の外側にいる超自然的な存在となっています。
同じ仏教でもこれだけの違いがあるというのが面白いなあと思います。
// 福岡
00048 97/09/30 22:06 FUKU               RE:00046    ようこそ 仏教ラウンジ BODH
>いえいえ、こちらこそ道元さんは素人ですので色々教えて下さい。『正法眼蔵』を
>読んだこともありませんので・・。くれぐれもおてやわらかにお願いします。
私も『正法眼蔵』自体は読んだことがありませんので、いろいろ教えて下さい。
>蚯蚓(ミミズ)と仏性の話ありがとうございました。NIFTY-Serve FBUD でダウン
>ロードした『正法眼蔵』で原文もみさせて頂きました。勉強になりそうです。適当な
>解説書があれば読みたいと思います。
私も解説書を読みたいと思います。何かありましたら教えて下さい。
>以前、アリムタさんに『正法眼蔵』を読むと禅宗に改宗したくなるかも知れないぞ
>と言われたような気もします。
前回、引用した本で梅原さんはこう言ってます。
「私には道元の『正法眼蔵』という著書は日本一あるいはひょっとしたら世界一
難解でしかも甚だ魅力的な書物であるように思われる。そこにはなまじっかの
知性ではとても近付けない逆説あり、矛盾あり、飛躍あり、非合理あり、とても
理解し難いが、その逆説や矛盾の背後に、とてつもない精神の深みが隠れている
ように思われる。私は『正法眼蔵』を読むと水晶や翡翠や瑪瑙の山に迷い込んだ
感じを持つのである。この『正法眼蔵』を熟読することを私は老後の楽しみと
したいと思っている。」
梅原さんをしてこう言わせる『正法眼蔵』です。私だと今から読み初めないと
老後の楽しみにできないかもしれません。いや、老後にわかるくらいまで読める
ようになっていたらいいほうでしょう。
// 福岡
00049 97/10/01 17:35 Eisai              RE:00047    ようこそ 仏教ラウンジ BOD
FUKU さん、こんにちは。
》「涅槃経」と「如来蔵思想」と「中古天台」の関係とそれぞれの
》特徴を簡単に説明してもらえるとすごくありがたいです。
 図書館に行って調べていちから作文する時間がありません。岩波仏教辞典EB版か
らカットアンドペーストし、咀嚼しながら説明します。
 『涅槃経』は如来蔵思想の経典です。御承知の如く「一切衆生悉有仏性」と宣言す
る経典で、『法華経』の一乗思想を受け入れた経典だそうです。『法華経』の一切皆
成の思想を如来蔵思想によってそれを発展させたものだそうです。
インド仏教史では
 『法華経』  紀元50年から150年あたりにかけて成立
  龍樹    紀元150年から250年頃
 『涅槃経』  4世紀の成立
 『大乗起信論』5〜6世紀 (伝2世紀馬鳴撰述)
  密教    7世紀に思想と実践体系を整える
という流れだそうです。
 如来蔵とは如来を胎に宿すものという意味で出典は『如来蔵経』です。それだけな
ら仏性と同じ意味かも知れませんが、胎中にあるものは胎児にほかならないので、後
に『勝鬘経』では「如来の胎児」の意味にとり、さらに,如来を如来たらしめている
本性として「法身」にほかならず、ただそれが煩悩をまとっているため、まだ如来の
はたらきを発揮出来ない状態にあるものととられたようです。
 中古天台本覚思想は日本天台を中心として発展していった思想です。『大乗起信
論』に初出する「本覚」という術語ないし観念を軸として展開していったものだそう
です。『大乗起信論』は如来蔵思想の系統に立つ大乗仏教の論書ですが、サンスク
リット訳もチベット訳も残っていないし、インド大乗仏教の後期の論書に影響を及ぼ
していないこともあって、インド成立に疑いをもつ意見もあるそうです。この『大乗
起信論』をもとに、
  中国で賢首法蔵(643〜712)により本覚思想は出発
  日本にきて空海(774〜835)が密教の体系化に努めたとき本覚思想は再出発
このようにして、本覚思想は起こったようです。
 空海没後、密教に盛られた「本覚思想」は天台宗比叡山に移入し、いっそうの発展
をとげ、鎌倉中期(13世紀半ば)近くになって頂点に達したようです。この頃、道元禅
師(1200〜53)や日蓮聖人(1222〜82)の比叡山遊学期と重なります。
 比叡山における本覚思想は,中世にいたって徹底した現実肯定につき進んだそうで
す。凡夫こそは現実に生きた仏のすがたであるとして、凡夫本仏論さえ打ちだされ、
ひいては日常の行為・生活のほかにとりたてての修行は必要なしと説かれたとか。
 道元禅師も日蓮聖人もこれらの影響を受け、更に超克していったのだと私は理解し
ています。この問題に興味をもったのは、私のいる日蓮門下の教学の中には日蓮聖人
以上にこの本覚論ずりの教学や相承形態をもつことがあることです。
マスター Eisai
00050 97/10/03 13:19 Eisai              インド仏跡旅行のノウハウ?
 さて、アリムタさんとインド南部の仏教霊跡旅行に行くことになったのですが、判
らないことがあります。
 ◎予防接種の必要性の有無
  A型肝炎やなどの接種をするなら半年前から一回目の接種をしなければなりませ
んがいかがなものでしょう。コレラもしておいた方がよいでしょうか?。8日間くら
いの旅行では必要ないでしょうか。気になってA型肝炎の抗体検査をしたら (-) で、
定量でも 0.00 で全くA型肝炎の抗体を持っていません。
 ◎旅行保険の必要性の有無
  私はパック旅行をするとき、基本的に保険に入らずに旅行します。しかし、イン
ドとなるとどうでしょう。物品を取られるくらいの不安ぐらいであれば保険にはいる
つもりはありませんが、物騒なことに巻き込まれたり疾病に対する不安があります。
インド経験のあるかたはどうされて来たのでしょう。
 旅行会社に問い合わせても、何かあったときに責任問題になるためか・・お勧めし
ますという回答しか帰ってきません。どなたかアドバイスを宜しくお願いします。
Eisai
00051 97/10/03 13:19 Eisai              RE:00047    ようこそ 仏教ラウンジ BOD
》仏教には内側の仏性を見つめるタイプと外側にある
》仏様に向かうものの2種類があるのでは。
 大乗仏教は在家民衆の仏教改革運動から興りました。インド民衆の信仰は聖人や出
家者に対する礼拝供養です。そして、その一つの形態として仏舎利信仰が興り、その
ことが初期大乗(阿弥陀経、般若経、法華経)の発端だったと言われているようです。
そこから考えると大乗仏教は「外側にある仏様に向かう」ものだったかもしれません。
初期大乗経典の『阿弥陀経』もその範疇なのでしょうか。
 しかし、やがて仏性について目が向けられたのでしょう。無仏悪世の未下種の出家
できない衆生がいかにして仏になれるか、そこに着目されたのが初期大乗経典(阿弥
陀、般若、法華)でしょうか。ここでいう仏性についてですが、如来蔵を発展的にと
らえた仏性ではなく、初期大乗経典としての『法華経』に準拠して考えています。
『法華経』では一切衆生が仏の子として説かれています。
 一切衆生 皆是吾子 『妙法蓮華経譬諭品第三』 など
 生まれが総てを決するカースト制のインドに於いての仏子の教説は重みがあります。
一切がボーディー・サットバ(菩薩=菩提薩た)との表明であります。菩薩は菩薩行
をすれば菩提を得ることができます。『妙法蓮華経分別功徳品第十七』などをみます
と、『法華経』の菩薩行とは六波羅蜜よりも「一念信解」が強調されています。信仰
によって菩提を得ることができる、そのことを信じることで信心を鼓舞されるされま
す。
 でもって、私の結論は2種類というように分けるのではなく両方必要なのではとい
う気持ちです。
  初期大乗は外側にある仏に対する礼拝供養によって興った
  『法華経』に至って仏性の基本となる考えが興った
  『法華経』に於いては礼拝供養を否定されていない
という理由です。
そのへん、禅系の本にはどう書いてあるのでしょうね。
Eisai.
00052 97/10/03 17:11 FUKU               RE:00049     ようこそ 仏教ラウンジ BOD
>》「涅槃経」と「如来蔵思想」と「中古天台」の関係とそれぞれの
>》特徴を簡単に説明してもらえるとすごくありがたいです。
>
> 図書館に行って調べていちから作文する時間がありません。岩波仏教辞典EB版か
> らカットアンドペーストし、咀嚼しながら説明します。
すばらしい。どうもありがとうございました。
仏教はたくさんの宗派があってそれぞれの関係を知るだけでも大変です。
そのあたりを理解する上で大変参考になります。
// 福岡
00053 97/10/03 23:54 秋田の鰰           RE:00050 インド仏跡旅行のノウハウ?
初めまして、このラウンジでは初のお目通りでございます。
 秋田の鰰と申します。もうすぐ五十に手が掛かるもので、
 皆様の話題に付いていけるかどうか。宜しく。
 Eisaiさんには他でお世話になっております。
 さて、インド行かれるとのこと羨ましく思っています。
 私は釈尊の御霊跡を中心に二度、主に五大仏跡・ネパールルンビニー
 園ですが、私の体験からと、一緒に行かれたお医者さんの柴田寛彦上人
 のお話ですと予防注射は必要ないとのこと、下痢が一番かかりやすく、
 これを経験しなければインド旅行をした気分にならないそうですよ。
 水が一番問題のようです。ミネラルウォーターも信用がなりません。
 ですから、水割り用の氷もだめだそうです。一番良いのは日本からポットを持参、
 朝ホテルで熱湯を貰って持って歩くことが一番です。
 下痢はインドへの儀礼通過だそうですので、日本で市販されている下痢止めで止ま
るよう
 なものは心配なく、熱が出るような下痢は注意が必要です。
 又気温の差が激しくセーターのようなものを持たれた方が宜しいかと思います。
 旅行の保険は入っていった方が無難かと思います。山賊・追い剥ぎ等の類もあるこ
とがある
 そうです。
 私は二度目の時にはイスラム教とヒンズー教徒の抗争の中に巻き込まれたり、飛行
機の
 ストライキに会ったりしました。今は楽しい思い出です。
 確か大陸旅遊の様でしたね。ベテランばかりで心配は無いようです。
 秋田の鰰
00054 97/10/04 17:54 Eisai              RE:00053 インド仏跡旅行のノウハウ?
秋田の鰰さん、ようこそ。
 ▼
 |\(*^^)v
  ̄
ワインは如何ですか?
 > さて、インド行かれるとのこと羨ましく思っています。
 > 私は釈尊の御霊跡を中心に二度、主に五大仏跡・ネパールルンビニー
 > 園ですが、
 私は、まだ五大仏跡に参詣していません。アリムタさんと一緒に行く予定だったの
ですが、阪神大震災でツアーそのものが中止されました。
 >私の体験からと、一緒に行かれたお医者さんの柴田寛彦上人
 >のお話ですと予防注射は必要ないとのこと、下痢が一番かかりやすく、
 今春、柴田寛彦上人には護法大会の説教師として来ていただきました。そういえば
お近くですね。予防接種の必要のないこと了解致しました。
 > これを経験しなければインド旅行をした気分にならないそうですよ。
 経験したくないですね (*^_^;
 >一番良いのは日本からポットを持参、
 >朝ホテルで熱湯を貰って持って歩くことが一番です。
 >気温の差が激しくセーターのようなものを持たれた方が宜しいかと思います。
 >旅行の保険は入っていった方が無難かと思います。
 是非そうします。
 インドではお酒を飲めるのでしょうか?
飲んべえのマスター Eisai
00055 97/10/06 11:11 アムリタ           RE:00054  インド仏跡旅行のノウハウ?
マスターへそして、秋田の鰰 さんはじめまして。アムリタです。よろしくお願いし
ます。
 私は、保険はもしもの時の為に入るつもりです。
 それから予防接種ですが、16年前にインドに行ったときは
 事前にコレラの予防接種をした記憶があります。
 でも今回は、なにも予防接種をする予定はありません。
 確かインドは、予防接種の必要が無くなったように思いますが。
 水筒は絶対必要だと思います。お湯を入れてもらうのも当然ですが、
 石窟寺院や遺跡をめぐるのは、多くの距離を歩くので、渇きをいやす為に必要です
ね
 それから、歩きなれた履きやすい靴も、石の上を歩きますから
 底の少し厚いのが良いかと思いますが。
 それから、まだまだインド旅行は募集中です。
         
     !! アジャンタ・エローラに行きたい人集まれ !!
 
                                      
  以上アムリタでした。
追伸
 私のかよっている東方学院・関西教室の山口恵照先生が
   「ナーガルジュナコンダはいいところですよ」
 と言っておりました。
00056 97/10/06 18:10 FUKU               RE:00051     ようこそ 仏教ラウンジ BOD
>でもって、私の結論は2種類というように分けるのではなく両方必要なのではとい
>う気持ちです。
>
>     初期大乗は外側にある仏に対する礼拝供養によって興った
>    『法華経』に至って仏性の基本となる考えが興った
>    『法華経』に於いては礼拝供養を否定されていない
なるほど。結局のところそうなのでしょうね。
これを書くにあたって
『仏像のこころ』梅原猛 集英社文庫
を読み返していましたら、次のようなことが書かれていました。
引用開始
仏像の像の意味であるが、像は結局人間にとって二つの意味を持つ。
一つは礼拝の対象としての像の意味である。この際、人間は像の前に
ぬかずき、像の表す仏の力によって救ってもらおうとする。
(中略)
しかし、像の意味はこのような意味に尽きず、全く自力的な像の意味
がある。つまり像の背後にかくれた仏の心を、己の心とするという
意味である。
(中略)
密教の仏像は多くそのような意味を持つが、禅画もそのように達磨
の心に己がなり切ることをめざすものであろう。
引用終了
大乗仏教はそもそもがより多くの衆生を救うことを大前提としている
のだと思います。そのために従来の「苦行的性格はいちじるしく弱」(同上)
められ、例えば、一生懸命念仏を唱え、仏を拝んでいれば、極楽浄土から雲
に乗った如来が衆生を救いに来てくれると言うような超自然的なもの
の想定によって、言わば、仏教のしきいを低くすることによって、
より多くの衆生に手をさしのべたと言っていいと思います。
それに対して、その後に出てきた禅では、よりオリジナルの仏教に
近いものを再興しようとして出てきたものだと思います。しかし、
禅宗も大乗仏教の一宗派であるので、悟りを開いた者は開きっぱなし
ではいけなく、衆生のために力を尽くさなければならないとして
いるようです。
禅の修行のプロセスを表した図に「十牛図」というのがあります。
「『十牛図』は人間が見失った本来の自己を取り戻す修行の過程を
牛を牧う(かう)牧童の生活にたとえて、十枚の絵と詩と短いコメント
によって、誰にも分かりやすく具体化して描いたもの」(『般若心経の智慧』
秋月龍みん)です。
これは、「失った牛(仏性)を見つけ出し、掴まえて、ふたたび逃げ出さぬ
ように飼い馴らして、ついには牛と人と一体になって牛を忘れ、最後に
その一体となった人(仏)をも忘れたところから、現実の世間に帰って
和光同塵、なんでもないふつうの人として生きるまでの仏道修行のプロセス
」(『般若心経の智慧』)を描いたものです。
この絵で面白いのは一番最後で、これには腹の出た頭のはげ上がったおじさん
が酒徳利をもっている絵が描かれています。これは、「街頭に出かけ、飲んだ
くれ諸君と交わり、また怪し気な足取りで杖にすがって帰っていきます。
聖者の嫌う酒屋にも魚屋にも出入りして、いつとはなしに彼らを教化」(同上)
している図なのだそうです。
このあたりが、禅の大乗的なところだと思うのですが、どうでしょうか。
この話で私は禅のすごさにまいってしまいました。
最近の日本人の仏教に対するイメージというのは、お寺には葬祭に行くもの、
あるいは、少し信心のある人は困ったことがあったときに参拝するという
程度のものになってしまっているように思えます。(もちろん熱心な信者さん
も多くいると思いますが)大乗仏教がしきいを低くしたこと、あるいは
超自然的なものを取り入れたことと最近の仏教の凋落(とは言い過ぎでしょうか)
に関係がないとは言えないような気がしています。
日蓮宗について私が書かないのは知らないからであり、他意はありません。
(念のため。。)
それと禅がすごいと言っているのは、他の宗派をけなしたり批判している
わけでもありません。
(念のため。。)
00057 97/10/06 23:07 秋田の鰰           RE:00054  インド仏跡旅行のノウハウ?
  Eisaiさん、先日は思いのままに直接書き込みをしましてしまいました。
  このてのボードに書き込んだのは何ヶ月かぶりで、纏まりが無く失礼
  しました。
  前にインド関係のホームページのことをおっしゃっていましたが、
  ご存じかとは思いますが、私の知っているホームページのアドレス
  を書き込みます。
  ここにはインド関係のホームページのリンク集のようなものがあり
  ます。
  もちろん「お寺の小僧さ」もリンクされています。
   http://www.bekkoame.or.jp/~koo/india/link/index.html
  ついでにネパール関係も同じようにありますので興味の方はどうぞ。
   http://www.bekkoame.or.jp/~koo/nepal/link/index.html
  ネパールのついでにエベレストの写真が毎日記載されています、
  ホームページと、お釈迦様の覚り地、ブッタガヤにある日本寺の
  ホームページのアドレスを書いておきます。
   http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/respir/ismm98j.htm
   http://village.infoweb.or.jp/~fvgf1070/index.htm
  尚、先日インドでの水は飲まない方が良い、お湯を持参された方
  がと書きましたが、ミネラルウォーターもありますが製造が信用
  できない物があるということです。でもビールはたいがいどこに
  でもあり、水代わりになります。ただしウイスキー等は持参され
  た方が良いでしょう。タバコを吸われる方も持ち込みが出来るだ
  け持っていった方が無難です。私はあまりアルコールは飲みませ
  んが、インドでは毎日ビールを飲んでいました。現地のたばこ
  は美味しくないそうです。
  つまらないことを長々と書きましたが、私はあまり教学的なこと
  は書けませんが、仏教ラウンジですので、一言。
  私が最初にインドに行ったときにサンチーと言う仏跡を訪ねました。
  ご承知かと思いますが、仏教遺跡は偶像崇拝ということで、イスラム
  教徒に全てと行って言い程、破壊されてしまっています。古い原型
  を留めているストゥーパでその芸術性も含めて現存する物の中では
  一番素晴らしいとされているのが、このサンチーのストゥーパーと
  のことでしたが、さすがに素晴らしい物でした。
  その中で目を引くのは多くの彫刻仏伝は全て仏陀無き仏伝と言うこ
  とです。アショカ王が建立した物ですが、象であったり、菩提樹で
  あったりと仏陀は全て別の物表現されています。仏像が建立される
  までは永い時間があったことを考えると何かそこにあるような気が
  します。とりあえず。
                          秋田の鰰
00058 97/10/07 14:20 Eisai              RE 56
FUKU さん、こんにちは。
 >の想定によって、言わば、仏教のしきいを低くすることによって、
 >より多くの衆生に手をさしのべたと言っていいと思います。
 >
 >それに対して、その後に出てきた禅では、よりオリジナルの仏教に
 >近いものを再興しようとして出てきたものだと思います。
 私の教わったところでは、龍樹(150〜250頃 ナーガールジュナ)の仏教もそうで
しょうね。在家主義の初期大乗仏教を出家仏教に戻したのは龍樹だそうです。教理よ
りも信仰による救いを説く阿弥陀仏教や法華仏教に対して、教理的な般若仏教をもと
に出家の大乗仏教を集大成していかれたのが龍樹でしょうか。
 >最近の日本人の仏教に対するイメージというのは、お寺には葬祭に行くもの、
 >あるいは、少し信心のある人は困ったことがあったときに参拝するという
 >程度のものになってしまっているように思えます。
 仰るとおりです。心ある僧侶はなんとかしようとしているのですが、結果を出せな
かったり、極端な寺院では奇抜なことをしているようです。
 >大乗仏教がしきいを低くしたこと、あるいは
 >超自然的なものを取り入れたことと最近の仏教の凋落(とは言い過ぎでしょうか)
 >に関係がないとは言えないような気がしています。
 仰ることわかります。しかし、大乗仏教がしきいを低くしたのは2000年も昔の
ことです。そして、専修念仏や題目仏教も鎌倉時代以前のことです。つい、数十年前
までは現在のような仏教の凋落はなかったと思います。
 それよりむしろ、科学の進歩や、仏教学的な研究の進歩、世俗化された時代、僧侶
の堕落、戦後の無宗教教育、儒教的家族制度の崩壊、明治維新の廃仏毀釈、戦後の寺
院所有農地の農地解放、時代の変化に対応できない伝統宗派・・・・。さまざまな要
因があると思います。
 なかでも、一番の問題は死者儀礼や祈祷などに終始し胡座をかいている伝統宗派の
僧侶が問題なのだと思います。
 >日蓮宗について私が書かないのは知らないからであり、他意はありません。
 >それと禅がすごいと言っているのは、他の宗派をけなしたり批判している
 >わけでもありません。
 いえいえ私こそ法華仏教という井の中の蛙ですから、法華仏教の立場という書き方
です。FUKU さんが禅仏教について教えていただければ有り難くおもいます。偉い先
生の講義や書物よりも、その教えに感動した方の話というのは説得力があり興味深く
拝聴できます。これからも何卒宜しくお願い致します。
Eisai
00059 97/10/07 14:20 Eisai              RE:00057  インド仏跡旅行のノウハウ?
秋田の鰰さん、こんにちは。秋田は朝夕冷えるのではないですか?紅葉はまだです
か?
 インド関係のホームページの紹介とインドの紹介ありがとうございました。
 >  もちろん「お寺の小僧さ」もリンクされています。
 私も見たことがありますし、リンクもしています。
 >でもビールはたいがいどこにでもあり、水代わりになります。
 それは助かります・・・。しかし、田舎でも飲めるのでしょうか? まさか冷えた
ビールなど贅沢でしょうね?
 >ただしウイスキー等は持参された方が良いでしょう。
 出発する空港の免税店でワイルドターキー十?年物を買っていきましょうか。
Eisai
00060 97/10/09 12:30 Eisai              RE:00055  インド仏跡旅行のノウハウ?
 アリムタさんの仰る石窟寺院のアジャンタとエローラについて「電子ブック版 岩
波仏教辞典」にありましたので、その項目を引用します。
---------------------以下引用
アジャンター
 インド,マハーラーシュトラ州アウランガーバード北東100キロのアジャンターに
ある,紀元前1世紀から9世紀までの仏教石窟寺院(セツクツジイン).総数30窟中5窟が_
祠堂(シドウ),他が_僧房(ソウボウ).前期窟(前1世紀_後1世紀)と後期窟(5世紀以後)
に分かれ,第10・第9窟が代表する簡素な構造の前期窟は6窟.他は後期窟で,建築
的かつ絵画や彫刻による装飾が華麗.説話・尊像・装飾画などで窟内を充満した第
1・第2窟が代表する.インド美術史上重要な遺跡である.
エローラ [Ellora]
 インド,マハーラーシュトラ州アウランガーバード北西のヴェールレー村近在の石
窟寺院(セツクツジイン).1.9キロにわたる東面の崖に,主に6_8世紀の南群12窟が仏
教,次の17窟が7_9世紀の_ヒンドゥー教,北群5窟が8_9世紀の_ジャイナ教の3
宗教の石窟を開く.絵画・彫刻・各部分が均整のとれた古典形式を示す_アジャン
ターと異なり,岩山を彫刻した建築性が強まって特に巨石性を打ち出し,随所に新機
軸がある.ヒンドゥー教のカイラーサ寺がその壮麗な例である.
---------------------引用以上

Eisai
00061 97/10/10 17:28 FUKU               RE:00057   インド仏跡旅行のノウハウ?
秋田の鰰さん初めまして。
>その中で目を引くのは多くの彫刻仏伝は全て仏陀無き仏伝と言うこ
>とです。アショカ王が建立した物ですが、象であったり、菩提樹で
>あったりと仏陀は全て別の物表現されています。仏像が建立される
>までは永い時間があったことを考えると何かそこにあるような気が
>します。とりあえず。
興味深いお話ですね。菩提樹で悟りを表現したのでしょうか。
仏像というのはどういう経緯で作られるようになったのか、
あるいは、如来や菩薩をめぐる物語、例えば、56億7千万年後に
地上に現われる弥勒菩薩のような話がどうやってできてきたのか
などに興味があります。
またいろいろお教え下さい。
// 福岡
00062 97/10/10 17:29 FUKU               RE:00058 RE 56
>それよりむしろ、科学の進歩や、仏教学的な研究の進歩、世俗化された時代、僧侶
>の堕落、戦後の無宗教教育、儒教的家族制度の崩壊、明治維新の廃仏毀釈、戦後の寺
>院所有農地の農地解放、時代の変化に対応できない伝統宗派・・・・。さまざまな要
>因があると思います。
そうですね。結局は時代の変化に対応できなかったという点が大きいので
しょうか。
>いえいえ私こそ法華仏教という井の中の蛙ですから、法華仏教の立場という書き方
>です。FUKU さんが禅仏教について教えていただければ有り難くおもいます。偉い先
>生の講義や書物よりも、その教えに感動した方の話というのは説得力があり興味深く
>拝聴できます。これからも何卒宜しくお願い致します。
いえいえ。人に教える程知っているわけではありませんから。こちらこそ
いろいろ教えて下さい。
それに禅は実践しない限りわからないものですから、本当は私がどうこう
言うことはできません。(いろいろと書いちゃってますけど、禅の話はそんな
訳でほとんど本の引用にとどめてます)
// 福岡
00063 97/10/10 20:03 Eisai              仏教大学四条センター
 昨日、京都の仏教大学四条センター(http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/)に行っ
てきて苅谷定彦博士の講演を聴いて参りました。思ったより素晴らしい場所でした。
一回わずか千円の受講料で、素晴らしい方の講演を一時間半も聴けるのは他にないと
思います。また、立地条件も阪急電車のホームからわずか3分でさくら銀行の4Fの
受付に到達します。
 講演の種類も豊富ですし、話題の研究者の話も聞けるようです。大学を除けば、こ
んなに気軽にそれなりの仏教の勉強をできる空間は無いかも知れません。関西圏の皆
様にはお勧めします。
 というわけで、昨日は苅谷定彦博士の講演を拝聴いたしました。苅谷法華に染まっ
ている私にとりましては、復習となるような内容でした。一般聴衆を仏教学的見地の
法華経に引き込むだけでも大変です。一般聴衆を更に「羅什法華経改竄論」に象徴さ
れる苅谷法華の世界へ誘引する作業は並大抵ではないと思います。
Eisai
00064 97/10/10 20:04 Eisai              僧侶の剃髪はどうして
 インドやその文化圏に於いて、頭陀行をする出家僧侶の乞食(こつじき)と単に仕
事をしないの乞食(こじき)と見分けがつかないから出家者は剃髪するようになった
ということです。
 頭陀行をしない東アジアの僧侶は、乞食との見分けがつかなくて困ることはないで
しょうから剃髪にしなくて良いのでしょうか。それとも、世俗化した時代にあって僧
侶であることを見分けるために剃髪や丸刈りが必要なのでしょうか。
 当時のインドにおいても袈裟を着ていれば剃髪しなくても仏教僧侶とわかったかも
知れません。否、ヒンズー教やジャイナ教などの出家は剃髪していたのでしょうか?
Eisai
00065 97/10/14 21:57 紫蘭               (発言者削除)
00066 97/10/14 22:00 紫蘭               開設おめでとうございまーす (^-^)
 どもっ、紫蘭ですっ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
  
   祝     ラウンジ開設      Eisai    賛江  
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
こちらでもよろしくお願いいたしま−す  m(_._)m 
           
           紫蘭でした。 か し こ
 
00067 97/10/15 21:00 Eisai              RE:00066 開設おめでとうございまーす (^
これはこれは、紫蘭姉様っ。 ようこそようこそ。
 ▼
 |\(*^^)v カンパーィ !!
  ̄
ところで、こんどの統一信行来られますか?
私は、午前中の講師で1時間ほど話をします。PowerPoint Ver7.0 でプロジェクター
でパソコン画面を投影するプレゼンテーション形式で講師を務めます。宜しければ御
聴聞下さいませ。
して、PowerPoint Ver7.0 はバージョンアップしていませんですがバージョンアップ
して何かメリットはあるでしょうか? >all
Eisai
00068 97/10/15 21:01 Eisai              「仏教ラウンジ」拡張計画方針
 ここ数日、原稿の締切、講演の講師、会議、講義受講などが重なって「仏教ラウン
ジ」のアップデートができませんが、下記の予定です。月末には出来ている予定です。
◆会議室拡張
(1)メイン・ラウンジ
   ワイングラスやコーヒーカップ片手にどうぞ!
(2)法華仏教ラウンジ
   法華経に関する突っ込んだ蘊蓄をどうぞ
  とりあえずマスターの専門なもんで会議室を独立させます
(3)仏教質問ラウンジ
   仏教への疑問・質問などをどうぞ
(4)パソコンと仏教ラウンジ
   仏教徒ならではのパソコン活用法の話題をどうぞ
  寺務への応用、ソフト紹介、データ紹介
  企業のPR
(5)英語の Buddhism lounge (English only)
※(1)を除いては年内に閉鎖されることがありますので御了承下さい。
◆NIFTY-Serve からのアクセス方法を宣伝する
◆ブラウザで表示されるメニュー(html file)をカスタマイズする
マスター Eisai
00069 97/10/16 12:01 紫蘭               RE:00067  開設おめでとうございまーす (^
どうも、マスター。
>ところで、こんどの統一信行来られますか?
>私は、午前中の講師で1時間ほど話をします。PowerPoint Ver7.0 でプロジェクター
>でパソコン画面を投影するプレゼンテーション形式で講師を務めます。宜しければ御
聴聞下さいませ。
一応・・・行く予定しているんですが・・・どうなることやら・・・ (T_T)
なにせ午後からウチの唱題行が待っているしぃぃ・・・とほほほほっ
22・23日の教学研修会は、無理してでも行く予定ですぅぅ
そして、23日の午後からは、京都ミニオフ♪<おひおひっっっ ヾ(-_-;;
19日・・・午前も午後も・・・がんばってくださいねぇ (^o^;;
                          紫蘭でした。 か し こ
00070 97/10/20 16:28 Eisai              IE4.0 正式版導入記
えー、先週IE4.0 正式版をダウンロードしました。
  http://www.microsoft.com/ie_intl/ja/
にてダウンロードできます。
◆ダウンロード
 ただし、SETUP ファイルは数百KBと常識的なファイルのサイズですが、本体は 
25.6MB ほどあります。IIJのミラーサイトにIIJ4UからISDN回線でダウ
ンロードして1時間かかります。7KB/sec でその時間ですからモデムや遅いプロバイ
ダーからダウンするのは相当の覚悟がいります。CD-ROM を購入するか雑誌付録を
待った方が良いでしょうね。ちなみに、私の選んだものはフル装備のIEです。
◆問題発生
 さて、セットアップのプログラムによるインストールを終了して再起動しましたが、
パソコンが立ち上がらない。何度やってもだめでした。しまいに、レジスタのファイ
ルまでいじりましたが全くダメ。業を煮やしているところ、リセットだけでなく、電
源そのものをオフにして再起動しました。ここでやっと立ち上がりました。
◆メリット
 マイクロソフト・ファックスの調子が悪かったのが直ったりする副産物がありまし
た。 また次期 Windows への移行を容易にするメリットがあるかも知れません。
 WEBサイトの印刷ではフレーム構造のサイトで全フレーム、選択したフレームの
印刷など選べるのは便利です。IEでは前からあった機能ですか? 私はネスケ派で
す。
◆ネスケはどうなる
 デスクトップをいじるとなると、また占有ファイルサイズが大きくなるとHDDに
二つのブラウザソフトを入れるのは得策ではないかも知れません。かといって、ネス
ケには愛着があるし・・・どうしよう。このままマイクロソフトの洗脳と、したたか
なビジネス戦略に流されて良いのでしょうか。
Eisai
00071 97/10/23 17:56 Eisai              MIDI のアップロード
 私のホームページ http://www.kosaiji.org/ ですが、BGMのMID
Iをアップロードしました。
  http://www.kosaiji.org/
  http://www.kosaiji.org/tera2/nichiren.htm
でBGMが聴けます。曲目は同じなのですが、
  ピアノの音声に強弱を付け
  ドラムセットを付加
  ベースを付加
しました。音楽音痴が作りましたので何かアドバイスがあればお願いします。
入力者自身の感想としましたら
  まとまりがない
  のりが悪い
  DTM臭い音がする
 といったところです。Roland SC-88VL 以外でモニターしたことないので他の音源
でもちゃんと聞こえるかどうかも不安です。
Eisai
00072 97/10/24 21:47 Eisai              アートマン(我)について
 恥ずかしながら、アートマン(我 = atman)とは何なのでしょう。
 アートマンという言葉を未消化のままに仏教を解釈しようとしていましたが、ここ
に来て限界を感じるようになりました。とくに、松本史朗先生の論文や講義にふれて、
仏性論、如来蔵思想、天台本覚論などを検証する上で、アートマンに対する明確な理
解を必要としているのです。そして、そのことは道元禅師や日蓮聖人など教学解釈と
仏教学的な検証には不可欠なことのように思います。
 アートマン「我」は語源からすれば、生気・本体・霊魂・自我などを表すそうです。
インドでは常住・単一・主宰のアートマン(我)を最重視し,それをめぐって展開する
のだそうです。仏教はそのようなアートマン〈我〉を否定し、我・自我そのものを五
蘊(色受想行識)や六根(眼鼻耳舌身意)などの諸要素の集合と扱うそうです。解っ
たような解らないような・・・・気持ちです。
 アートマン〈我〉を実体視する立場をあくまで斥ける無我説が、仏教全般に一貫す
るそうです。各宗派の宗学でなく、仏教学を勉強した方にはアートマンを説く仏教は
仏教でないと言う方が多いと思います。でもそれは初期大乗経典成立以後の龍樹仏教
の影響下のものなのでしょうか。部派仏教の時代はどうだったのでしょうか。原始仏
教の時代はどうだったのでしょうか。
 では、そのアートマンを私のような凡夫はどう理解したらよいのでしょう。誰か解
りやすく教えて頂けませんでしょうか? 何故、アートマンの否定が仏教にとって意
義があり、無我説が仏教の定義たりうるのでしょう。それに対して、現代仏教はどう
なのでしょう。アートマン云々からして仏教たりえないのでしょうか。
 先週末に松本史朗先生の講演を聴いてアートマンを詳しく知りたくなりました。
Eisai
00073 97/10/25 12:23 Eisai              アートマンの肯定と否定
 理解力が乏しく、文献などの情報にも乏しい私のようなものには、大学者同士の意
見の対立は困ったものです。中村元先生と松本史朗先生の意見の相違を仏教学素人は
どう捉えれば良いのでしょう。
◆初期仏教経典の韻文と散文
 中村元先生によると「初期仏教においては、アートマンを否認していないのみなら
ず、アートマンを積極的に承認している」のだそうです。※1 ところが、これらは
韻文経典たる『スッタ・ニパータ』を仏陀の生の声に近い最古層の経典とする立場か
らの主張だそうです。松本史朗先生によると『スッタニ・パータ』などは、ジャイナ
教的な無欲、無執着、無所有、禅、苦行、アートマン論を説く一種の「苦行者文学」
なのだそうです。
 また、松本史朗先生は『スッタ・ニパータ』は韻文経典だから問題だと仰いました
がどういう意味なのでしょう。それはそうとして同じく初期の散文経典では,我(自
我)を〈私のもの〉〈私〉〈私の自我〉の3種に分かち、いっさいの具体的なものや
ことのひとつひとつについて
 これは私のものではない
 これは私ではない
 これは私の自我ではない
と反復して説くそうです。どうして韻文と散文で違ってくるのでしょう? 散文の経
典とは具体的に何をさすのでしょう。そして、このことをどう捉えればよいのでしょ
う。
◆初期仏教の無我説はいったい
 さて、中村元「仏教語大辞典」P1316 によれば、
** 引用始まり *******
 無我という語には「我がならざること)」という意昧と、「我を有せざる(こ
と)」という二義が存する。初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しな
い」とは説いていない。もとは「我執を離れる」の意であり、ウパニシャッドの哲学
がアートマンを実体視しているのに対し、仏教はこのような見解を拒否したのである。
これは、我(アートマン)が存在しないと主張したのではなく、客体的な機能的な
アートマンを考える考え方に反対したのであり、アートマンが存在するかしないかと
いう形而上学的な間題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。すなわ
ち「わがもの」という観念を捨てることを教えたのである。原始仏教においては、
「五蘊の一つ一つが苦であるがゆえに非我である」という教説、また「無常であるが
ゆえに無我である」という教説(『雑阿含経』)が述べられている。これは我でない
ものを、我、すなわちアートマンとみなしてはならないという考え方であって、特に
身体をわがもの、アートマンとみなしてはならぬと主張された。そして、「われとい
う観念、わがものという観念」を排除しようとした。説一切有部では、人無我を説き、
アートマンを否定したが、諸法を実有とし、法無我を説かなかった。後になるとアー
トマンは存在しないという意味の無我説が確立するにいたった。この立場は説一切有
部、初期大乗にも継承された。
** 引用終わり *******
 つまり、初期の仏教からのこういった無我説というものは初期大乗まで引き継がれ、
龍樹以後の無我説と異なったものだということでしょうか。また、部派仏教の説一切
有部は一番優勢な部派であったそうです。最も優勢だった説一切有部が異端なのか、
それ以外の部派の無我が異端なのかどうなのでしょう?
◆龍樹によるアートマンの否定
 先述の中村元「仏教語大辞典」P1316 には
** 引用始まり *******
 大乗仏教では、無我説は空観と関連して、無我とは、ものに我(永遠不滅の本体・
固定的実体)のないこと、無自性の意味であるとして論ぜられ二無我(人無我と法無
我、人法二空)が説かれた。
** 引用終わり *******
 龍樹以降の大乗仏教は、空の思想によって「完結した無我説」をその中心に据えて
いるそうです。インド、チベット、中国、日本などいたるところに影響を与えたこの
龍樹の中観仏教でありますが、あくまで般若経中心主義であり、般若経を中心と据え
ない仏教においてはその「完結した無我説」をどう受け取れば良いのでしょう。
 現代の仏教学者が極端にまで無我説に拘る理由は龍樹の影響下にあるからなので
しょうか。もし、そうであるとすれば龍樹から自由な立場の説も聴きたいものです。
何故なら、初期大乗仏教経典(阿弥陀経、初期般若経、法華経)にとって龍樹仏教は
後分の仏教なのです。
※1 松本史朗「仏教の批判的考察」東大出版会 P139
Eisai
00074 97/10/27 14:02 アムリタ           RE:00072 アートマン(我)について
我について(主に、太田久紀著『唯識三十頌要講』より)
我についての二説
一は、我々の内側に内在する我であり、
もう一つは、超越的な実在の我である。
 内在的な我とは、我々が、我々人間を含めて生き物に、それぞれの生き物としての
統一体があるように思っていることである。
犬には犬の統一体があるように思っているし、自分には自分という統一体が内在して
いるように思っている。
幼かった頃の自分と現在の自分との間には、自己自身という同じ統一体が一貫してお
り
それに支えられて自分が生存してると暗黙のうちに思い込んでいる。内在的な我説で
ある。
 第二の超越的な実在の我は、常住で虚空に遍在する我と考えられる。
 まとめて、いわゆる外道の我説は、
  1、常住で虚空に遍在する我、
  2、常住であるが、大きさは不定である我、
  3、常住であるが、大きさは極微のように小さく
    全身の中を勢いよく動きまわる我、
  4、身体と一体の我、
  5、身体と別体の我、
  6、身体と一体でもなく別体でもない我、
と言われている。
インドの思想では、超越的実在者をブラフマンといい、
内在的我をアートマンといい、その一体感を会得する(梵我一如)ことを
究極の目的としていたのである。
 しかし仏教は、超越的にしろ内在的にしろ、不変の実体的実在を認めない。
個体の内側にも超越的な領域にも、不変の実体はないのである。
(ここから、アムリタ)
結局のところ、仏教では、常住不変、の我を認めない、
常・一・主・宰の我を認めないのであります。これは、原始仏教から通して
首尾一貫していて、少しでも我について留まることがあれば、
それは、仏教ではないといっても過言ではないと思います。
かといって我が、全く何もないという、虚無ではないのです。
そうなってしまうと今、なぜ我々がここにいるのかということさえ
問えなくなってしまうからです。
つまり、常住不変としてのありかたではない。 常・一・主・宰のありかたでない
という考えで、我は、”なくしてある”
としか表現のしようがないということだと思います。
ですから龍樹は『中論』の始めに
 不生亦不滅・不常亦不断・不一亦不異・不来亦不出
と述べたのだと思います。
 以上はほんの少しの我の考察にすぎません。
これは非常に難しい問題で、
まだまだ考察しなければならないことが多いですが、
今回はここまでです。   以上アムリタでした。
00075 97/10/27 18:18 FUKU               RE:00072 アートマン(我)について
福岡です。
昨日、横浜市鶴見区の総持寺という曹洞宗のお寺の日曜座禅会に参加
してきました。
はじめの30分間、座禅を組み、別室で老師のお話を聞いた後
再び30分間座禅を組み、作務と呼ばれる掃除をして終わります。
その時、老師はこういうことを仰っていました。
「鐘の音がごーんと聞こえてきたら、その音を他の音と比べて
いい音だと思ったり、評価するようなことをせず、ごーんに
なりきる、木魚のぽくぽくが聞こえてきたらぽくぽくになりきる」
無我について言っているのだと思います。
これを聞いて単純な私は、やっぱり禅ってすげーと思ってしまいました。
また、禅を惚れなおしました。(^^;
我について考える一助になれば、と思います。
// 福岡
00076 97/10/28 14:30 アムリタ           アートマンの語義
マスターがアートマンについて悩んでいるようなので
私の持っている参考書からの引用を以下に掲載します。
アートマンとは
輪廻の主体がアートマンと呼ばれ「我」と漢訳される。
アートマンの語義
1、再帰代名詞として用いられるときは「自身」(self)
 たとえば、「生ずる」「あらわれる」を表現したいときは、
 「アートマン(自身)を獲得する」といったりする。
2、自己同一性の根拠となるもの。つまりは、自己(self)。
 わたくしは、物心ついたときから今にいたるまで私でありつづけている。
 この変わらない「わたくし」を支えているものは何であろうか。
 それは、身体ではない。幼いときのわたくしの身体と今のわたくしの
 身体はまるでちがっている。新陳代謝ということことを考慮に入れれば、
 およそ身体は、刻一刻と変化してやまないものである。このようなものが、
 わたくしの自己同一性の根拠であるはずがない。では、
 それは心かといえば、そうではない。変化するところに心の真骨頂がある
 ということは、女心と秋の空といわれたり、ころころ変わるから「こころ」
 とダジャレで説明されるとおりである。自己同一性の根拠は、身体とも
 心とも異なるものであり、それが「アートマン」と呼ばれるのである。
3、死んでも残る、いわゆる魂(self)に相当するもの。
 この語義は、輪廻する主体という考えに直結する。
4、認識、行為の主体としての自我(self)。行為(カルマン)の主体
 ということは、つまり業の作り手だということである。業の作り手は、
 その業の果報の享受者でなければならない。これが「自業自得」
 ということであり、この「自」というのは、当然、
 アートマンでなければならない。
5、自我意識の対象(self)。ただし、仏教では、自我意識というのは
 執著の最たるものだとされるので、そうした場合には「我が強い」などと
 いうときの我(ego)というのに相当する。
以上アートマンの語義を、宮元啓一著『インド死者の書』(すずき出版)
より掲載しました。この本は、輪廻、アートマン、仏教の無我説
の理解の助けになると思います。輪廻やアートマン説が
どうもすっきり理解できないな・・と思う人は、
一読を勧めます。       
また、もし、アートマン説を、この本による解説・掲載を続ける
希望者がおられるなら、おこないますが、この場合、私の力量不足で
今回のように、本からそのままということになり著作権法違反になる
恐れがありますが、それでもやれというのであれば、やります。
私のアートマンの理解にもなりますので。
                      以上アムリタでした。
00077 97/10/28 18:04 FUKU               RE:00072 アートマン(我)について
こういう文献の話をここに書くのはどうかなと思ったのですが、
どうしても真理を非常にわかりやすい言葉で鋭く突いているような
気がするので書いてしまいます。
「真実のサイババ」青山圭秀 三五館
サティア・サイババというのは、インドにいて自ら神の子と名乗り
虚空から物質化したものを信者に与えると言われている人物です。
事の真偽は御自分で判断してください。
そのサイババ氏が手元にあったハンカチを取り出して、著者に対して
語ったとされる以下のような話があります。
「いいかね、このハンカチは一本ずつの糸で織られている。ちょうど
そのように、心は欲望の綴れ織だ。この糸を取り除いてごらん。後に
は空が残る。同じように、心から欲望を取り除いてごらん。後には
ただ、神のみが残る。それが至福の状態であり、人間本来の姿だ。
ひとの本質は真我であり、その特質は神性である。」
悟りを開くということを言っているのだと思います。
糸を取り除いて後に空が残るというのは、仏教でも同じですよね。
ただ、仏教では糸を取り除くと後には何も無い(無我)とするのに
対して、インド哲学では真我、すなわちアートマンを発見するとなるわけです。
どちらも悟りという人の心に起こる同じ現象に対して別々の見方をしているに
過ぎないのではないかと思う訳です。
そうだとするなら、ここに単に解釈の違い以上のものを見い出すことはでき
ません。宗教的には悟りの道、至福の道に到達できるならそこにあるものが
無我でも真我でもどちらでも構わないのではないでしょうか。
これにこだわるのは学者が知識をこねくり回す以上の何ものでもない
のではないかと思います。
過激なことを言ってしまいました。
反論歓迎します。
// 福岡
00078 97/10/30 11:52 アムリタ           RE:00077  アートマン(我)について
サイババさんが出てきましたか・・・
私はサイババのことはよく知りませんが、
サイババの言葉を考えるヒントとして、
「バガヴァットギーター」より、
引用したいと思います。
1、
サイババ「心は欲望の綴れ織だ」
ギーター
「心をあちこち動く感覚(対象)の追求に
 かまけさせると、風が水面に漂う小舟を運ぶように、
 心は人の知恵を運び去ってしまう。」(2章67)
2、
サイババ「心から欲望を取り除いてごらん」
ギーター
「あなたの英知が汚れた幻想を打破できれば、
 これまで耳にして来たことや、今後聞かされる
 であろうことに超然としていられる。」(2章52)
3、
サイババ「神のみが残る」
ギーター
「至高なる神が一切万物に等しく住まい、
 それら万物が滅する時も、神は滅しないことを
 見る者は、真に見ていることになる。」(13章27)
4、
サイババ「至福の状態」
ギーター
「それ故、アルジュナよ、汝の全存在もて、
 神のもとに避難せよ。神の御籠により、汝は、
 至高と平和と永遠の住処を得るであろう。」(18章62)
5、
サイババ「人間本来の姿」
ギーター
「この最高の自己は、無始であるから、要素を
 もたないから、不変であって、身体のうちに存在
 しても、行為せず、汚されることもない。」(13章31)
6、
サイババ「本質は真我であり」
ギーター
「アルジュナよ、心に潜む一切の欲望を放棄し、
 真我により真我の中にあることで満足している
 人こそ揺るぎなき英知の人と言われる。」(2章55)
7、
サイババ「特質は神性である」
ギーター
「私(神)の分身は永遠なるジーヴァ(個我)
 としてこの世にある。これが自然本性に住まう
 五つの感覚器官と第六器官たる心を引き付ける。」(15章7)
以上サイババの言葉とギーターの関係ありそうな
詩頌をあげてみました。まだまだあるでしょうが
長くなるのでこれくらいにしておきます。
ただ、ギーターでは、仏教の思想と共通した教えがあるものの
最後には、神の信愛(バクティ)を説き、神に至ることを
目標とします。神に至ることが、仏教の悟りと同じとは
考えられません。また、無我でも真我でもどちらでも構わない
との御意見でしたが、ではなぜ釈尊は、「真我」といわずに
「無我」(アンアートマン)と言ったのかは考える
必要があります。
それから、”何も無い(無我)”とありますが、
仏教では”何も無い=無我”という考えではないと思いますが
                    以上アムリタでした。
00079 97/10/30 14:23 Eisai              RE:00074 アートマン(我)について
アムリタさん、お忙しいのにありがとうございました。
 >我について(主に、太田久紀著『唯識三十頌要講』より)
湯意識は(by atok11)・・・じゃなくって唯識はいつ頃の論文でしたっけ?
 >一は、我々の内側に内在する我であり、
 >もう一つは、超越的な実在の我である。
 前者は私たちの一般的な認識ですね。
 >第二の超越的な実在の我は、常住で虚空に遍在する我と考えられる。
 常住といいますと、『法華経』の久遠本仏釈迦牟尼仏や、無量寿の阿弥陀仏を思い
浮かべますがそれとは別なんでしょうか。
 >インドの思想では、超越的実在者をブラフマンといい、
 >内在的我をアートマンといい、その一体感を会得する(梵我一如)ことを
 >究極の目的としていたのである。
 宇宙の真理と一体となることが成仏だなどと言うお説教を聴いたことがありますが
似ているような。
 >しかし仏教は、超越的にしろ内在的にしろ、不変の実体的実在を認めない。
 >結局のところ、仏教では、常住不変、の我を認めない、
 >常・一・主・宰の我を認めないのであります。これは、原始仏教から通して
 >首尾一貫していて、少しでも我について留まることがあれば、
 >それは、仏教ではないといっても過言ではないと思います。
 中村始先生の説との相違をどう解釈して良いのやら。中村先生はスッタニパータ
(殆ど韻文)を本に説を立てられたから問題なのでしょうか。それとも松本史朗先生
の捉え方に一般的な仏教学と違った特色があるのか。
 >個体の内側にも超越的な領域にも、不変の実体はないのである。
 久遠釋尊も無量寿仏阿弥陀様も、無始無終などと言うと普遍の実体的実在にならな
いのでしょうか。『妙法蓮華経如来寿量品第十六』には
  諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未
  だ尽きず。復上の数に倍せり。
 釋尊も久遠と言えども有始有終と解釈するのが仏教学的に自然なのでしょうね。そ
の意味からは石山教学の「久遠元初の自受用報身如来」などどうなのでしょうね。
(注:冨士門徒の方の信仰は尊重します)
 また、『法華経』を読まれる禅宗は『法華経』の久遠実成を釈迦牟尼仏をどう捉え
ているのでしょうね。
 >ですから龍樹は『中論』の始めに
 > 不生亦不滅・不常亦不断・不一亦不異・不来亦不出
 龍樹は西暦200年前後の人ですよね。龍樹の論が原始仏教以来のアートマン感な
のかどうかという疑問もおこります。懐疑的では何も得られないかな?
 さて、もっと勉強してから考えたいことですが、アートマン論が私たちの信仰の琴
線に触れる何かを持っているとすれば何なんでしょうということがあります。
Eisai
00080 97/10/30 14:24 Eisai              RE:00075 アートマン(我)について
FUKUさん、こんにちはです。
 >昨日、横浜市鶴見区の総持寺という曹洞宗のお寺の日曜座禅会に参加
 >してきました。
 それはそれは・・・。私も一度座禅を体験したいですね。
 >はじめの30分間、座禅を組み、別室で老師のお話を聞いた後
 >再び30分間座禅を組み、作務と呼ばれる掃除をして終わります。
 最近、日蓮宗でも禅ではありませんが、瞑想を取り入れた唱題行をする求道同願会
があります。瞑想→修行→瞑想は確かに気持ちよいものがあります。本格的な座禅だ
と尚更でしょうね。
 >その時、老師はこういうことを仰っていました。
 深いですね。教理を理解しただけでなく、感性ででも自分のものにしていないと言
えない言葉しょうね。
 >やっぱり禅ってすげーと思ってしまいました。
 >また、禅を惚れなおしました。(^^;
 こういうことを、信仰者や参詣者にいって頂くことが一番の仏教の布教になるので
しょうね。電気製品でもメーカーさんに「これは高性能ですよ」と言うよりも、製品
ユーザーが「これってすげー」と言った方が説得力ありますね。
 >我について考える一助になれば、と思います。
 ありがとう御座いました。
 言葉で定義して理解することと、感性で納得していることと違うようですね。仏教
は信仰である以上、後者を大切にしたいです。
Eisai
00081 97/10/31 17:04 FUKU               RE:00078   アートマン(我)について
>                  以上サイババの言葉とギーターの関係ありそうな
>                  詩頌をあげてみました。まだまだあるでしょうが
>                  長くなるのでこれくらいにしておきます。
素晴らしい。どうもありがとうございます。
こういうのをやらないといけないと思ってました。
「バガヴァットギーター」がヒンズー教の聖典で、よくインド関係の本に出てくる
ヴェーダはバラモン教の根本聖典なんですね。ヒンズー教は
「インドの土着の信仰・習俗とバラモン教とが融合した民族宗教」(大辞林)
なので、ヴェーダの流れを引き継いだものということになるのでしょうか。
そのへんから勉強していかないといけないと思ってます。
>                  ただ、ギーターでは、仏教の思想と共通した教えがあるものの
>                  最後には、神の信愛(バクティ)を説き、神に至ることを
>                  目標とします。神に至ることが、仏教の悟りと同じとは
>                  考えられません。また、無我でも真我でもどちらでも構わない
>                  との御意見でしたが、ではなぜ釈尊は、「真我」といわずに
>                  「無我」(アンアートマン)と言ったのかは考える
>                  必要があります。
最後の部分が神との一体感となるか、無我となるかの部分が違いますが、
その前はほとんど同じであることから、どちらも究極的に到達する同じ
心理的状態を別の表現で言ったものと考えました。
仏教に興味を持ってはいるものの、仏教徒ではない私からみれば、同じ
心理状態に達せられるならどちらでもいいではないかと申した訳です。
究極の心理状態を得た時、インドではそれを神との一体感と解釈し、
釈尊はそうではなく無我と解釈したという違いそのものは、非常に大きいと
思います。
なぜ、釈尊が真我と言わずに無我と言ったのかを考える必要があると
いう点は仰るとおりです。考えてみます。
>                  それから、”何も無い(無我)”とありますが、
>                  仏教では”何も無い=無我”という考えではないと思いますが
あ、そうですね。何も無いと表現してしまってはいけませんね。
一連の我についてのお話、大変勉強になりました。ありがとうございます。
// 福岡
00082 97/11/05 01:31 なを               はじめまして−「なを」です
  下の欄で、Tokyo Alcoholics Club House をやってます。
全くの、門外漢ですが宜しくお願いいたします。
青春の一時期、仏教(その他の宗教)の本を読んだことがある程度で、あとは観光や
葬祭程度でしか接することはありません。
ただ、御フォーラムで「中村元」先生(東大教授?)の名があった
のと、いま「今東光」の小説に凝っているので、ここへ来てみました。
般若真経(?)が「スーパーお経」だとどこかで聞いたことがありま
す。日本人としての常識としてせめて覚えておかないと、と思ってい
ます。子どもが「ポケ・モン」の歌を暗唱しているのを聞く度、
その記憶力を向けてくれればよいと思っています。
00083 97/11/05 13:09 Eisai              RE:00082 はじめまして−「なを」です
なをさん、はじめまして。
 ▼
 |\(*^^)v カンパーィ !!
  ̄
 >  下の欄で、Tokyo Alcoholics Club House をやってます。
 ぜひ、お邪魔させていただきます。C2H5OH は大好きです。
 >青春の一時期、仏教(その他の宗教)の本を読んだことがある程度で、あとは観光
や
 >葬祭程度でしか接することはありません。
 多感な青春の一時期に心の琴線に触れるような「仏教の本」があれば良いのにと思
います。
 >ただ、御フォーラムで「中村元」先生(東大教授?)の名があった
 中村元先生は、東大名誉教授です。NHK教育などで出演されるときは東方学院院
長を名のっておられたと思います。
 >いま「今東光」の小説に凝っているので、ここへ来てみました。
 今東光さんは天台宗の僧侶で、住職もされていましたよね。家内の伯父が今東光さ
んのお寺の檀家総代をしていたそうです。その伯父さんも昨年故人となりましたが、
こんなことを言っていました。
 今東光さんは夜更けまで執筆するので、朝は遅かったそうです。檀家は午前中に
参ってもらえないので不満を言う者がいたとか言っていました。
 >般若真経(?)が「スーパーお経」だとどこかで聞いたことがありま
 >す。日本人としての常識としてせめて覚えておかないと、と思ってい
 >ます。
 般若心経ですね・・・。般若(智慧)の「ココロ」のお経ではなく、「心」は核心
(フリダヤ)を意味するそうです。六百巻もある膨大で深遠な大般若経を読むのは大
変です。八巻の法華経ですら全部読むのに一日がかりですから、六百巻も読んでられ
ない。そこで、般若経の核心をまとめたのが「般若心経」だそうです。
 >子どもが「ポケ・モン」の歌を暗唱しているのを聞く度、
 >その記憶力を向けてくれればよいと思っています。
 ポケ・モンの歌はうちの子もやっています。
 昔からお経は「つ」のつく年におぼえなさいということを言われたそうです。
「つ」のつく年とは、八つ九つの年齢でおぼえたら一生忘れないぞということでしょ
う。
 それから、般若心経を読まない宗派もあります。親鸞さん開祖の「浄土真宗」と
「日蓮宗(系各派)」は般若心経を読みません。
Eisai
00084 97/11/05 18:22 FUKU               RE:00083  はじめまして−「なを」です
横から失礼します。なをさん初めまして。Eisaiさん毎度です。
>般若心経ですね・・・。般若(智慧)の「ココロ」のお経ではなく、「心」は核心
>(フリダヤ)を意味するそうです。
最近、
「般若心経講議」高神覚昇 角川文庫
を読んだのですが、その後ろに解説として紀野一義という人が
こういうことを書いてます。これについてちょっと疑問があります。
<引用開始>
「心」の原語「フリダヤ」は「心臓」の意味であって「こころ」では
ない。そして、ここでは、「精髄」「精要」の意味でこのことばが
使われている。心臓を尊ぶ思想は、仏陀以前のウパニシャッド(古代
インド哲学書)にまでさかのぼることができる。ウパニシャッドでは
心臓はアートマン(我。俗にいう魂のごときもの)の宿る場所であると
説かれ、さらに、フリダヤは「心」であると説かれ、ブラフマン(大我。
宇宙的生命とでもいうべきもの)であると説かれている。
そこでは、巨大なブラフマンが人間の心臓の中にあるアートマンと同質
であり、同一であると考えられている。『般若心経』は明らかにこの
思想を受けて、ブラフマンに相当する「空」(シャーニヤター)の世界
が、人間の心臓にも比すべきこの短い教典の中に全的に表現されている、
納められているという意味で「心経」という表現をしたのである。
<引用終了>
仏教がインドで生まれたことからウパニシャッドの影響を受けている
というのはわかるのですが、ひっかかっているのは、
ブラフマンに相当する「空」(シャーニヤター)
という表現です。
これは、
ブラフマン = 空
であると言いたいのか、
それとも、
ブラフマン ≠ 空
であるが、その構造は同じなので、単に対比のために、こう書いている
のか、
どうなのでしょう?
同じであるとは思えないので、後者ではないかと思うのですが、
そうだとすると、ものすごく誤解を生みやすい表現だと思いませんか。
// 福岡
00085 97/11/05 20:12 紫蘭               RE:00055   インド仏跡旅行のノウハウ?
どうも、アムリタさん。
アムリタさんって・・・ですよね?<おひおひっっっ ヾ(-_-;;
ここでは初めましての紫蘭です<しらじらしい??? (^_^;;;;
> それから、まだまだインド旅行は募集中です。
>         
>     !! アジャンタ・エローラに行きたい人集まれ !!
行きたいっっっ、行けないぃぃぃぃぃぃっっっ (T_T)
#ただのゴミ撒きでした(爆)
           紫蘭でした。 か し こ
00086 97/11/08 16:11 たつなが           RE:00071 MIDI のアップロード
こちらでは初めましての たつなが です。
> 私のホームページ http://www.kosaiji.org/ ですが、BGMのMID
>Iをアップロードしました。
このMIDなのですが私のパソコンでは聞けないのです。HPによってはネットス
ケープ
の3.*以上で一応聞けます等とかかれていても UNABIE TO START MIDI とでて
音楽は聞こえません。 何か設定や新しいソフトのDWが必要なのでしょうか?

00087 97/11/10 21:05 nori               入会しました。
初めまして、皆さん。
入会しましたので、どうぞ宜しくお願いします。
…と思ったら、紫蘭さんがいらっしゃるじゃないですか!
紫蘭さんお久しぶりデス。ここにもやってきてしまいました。
いや、ともかく。
ときどき覗きにきたいと思っています。
ところで、インド旅行が話題になっているようですが、数年前、インド旅行に行って
以来、印度にはまってます。
もう一度行きたいな…。
僕らは中部インドから南インド、スリランカと回ってきました。
南インドは楽園のような所ですよ! リゾートを楽しみたいなら、ケーララ州へ。
厳かに宗教体験をしたいならスリランカはコロンボ(だっけ?)の仏歯寺へ。
どうぞ宜しくお願いします。
00088 97/11/11 19:02 ariari             (発言者削除)
00089 97/11/11 19:05 ariari             (発言者削除)
00090 97/11/11 20:36 ariari             はじめまして
臨済宗の僧籍を持つものです。
ネットでは僧侶のかたとお話したことがありませんので
よろしくお願いいたします。
00091 97/11/11 22:14 Eisai              RE:00086 MIDI のアップロード
たつなが さん、ようこそおいで下さいました。
 >> 私のホームページ http://www.kosaiji.org/ ですが、BGMのMI
D
 >>Iをアップロードしました。
 >
 >このMIDなのですが私のパソコンでは聞けないのです。HPによってはネットス
 >ケープ
 >の3.*以上で一応聞けます等とかかれていても UNABIE TO START MIDI とでて
 >音楽は聞こえません。 何か設定や新しいソフトのDWが必要なのでしょうか?
(1)まず、パソコンそのものは MIDI を再生できる状態になっているでしょうか。サ
ウンドブラスター互換などのサウンドボードがあれば、設定が間違っていない限り 
MIDI は再生できます。
(2)また、MIDI を再生できるハードウエアが装着されていない場合は、ソフトの 
MIDI があります。これらは、Roland や YAMAHA あたりからソフトが配布もしくは頒
布されていたと思います。
(3)いちど、検索で *.mid というファイルを探してダブルクリックしてみて下さい。
それで鳴らなければ(1)(2)を確認するなりインストールするなりしてみて下さい。
(4)おそらく、これが一番多い原因だと思いますが、ブラウザ(Netscape Navigator 
や Internet Explorer)のプラグインが設定されていないことです。Internet 
Explorer 4.0 や Netscape Communicator にバージョンアップすれば、自動的に設定
してくれるでしょう。また、現バージョンのままでも MIDI 再生の画面をクリックす
れば「必要なプラグインをダウンロードしますか・・・」といった意味のメッセージ
が出て、指示に従えば必要なプラグインをダウンロード出来たように記憶しているの
ですが・・・実際私のブラウザは MIDI をちゃんと再生しますので確認の使用があり
ません。そうそう、ネスケもIEもバージョン3.0以上でしょうか?
 ううん・・・数ヶ月以前にしたことは忘れているので何とも言えません。いま、ネ
スケの
  オプション → 全般設定 → ヘルパー
で *.mid の再生を司るプラグイン(ヘルパー)を探しましたが・・・見つかりませ
ん。そうですねぇ・・・JAVAあたりかなぁ。ネスケの
  オプション → ネットワークの設定 → 言語
で、JAVA の部分はチェックしてあるでしょうか? 一度みて頂けますか? 私は 
JAVA と JAVA script ともに有効にしています。
Eisai.
00092 97/11/11 22:15 Eisai              RE:00087 入会しました。
nori さん、お久しぶりです。
いつぞやはどうもでした。ワインでもどうぞ。
 ▼
 |\(*^^)v カンパーィ !!
  ̄
 >…と思ったら、紫蘭さんがいらっしゃるじゃないですか!
紫蘭さんとお知り合いですか?
九識の御関係?
いえいえ男女間のことは詮索しないでおきましょう。なんのこっちゃ!?
  (゚_*)\明石入道
 >ときどき覗きにきたいと思っています。
 ときどきとは言わずに・・・・覗くだけでなく・・・・御発言下さいまし。
 >もう一度行きたいな…。
 >僕らは中部インドから南インド、スリランカと回ってきました。
 >南インドは楽園のような所ですよ! リゾートを楽しみたいなら、ケーララ州へ。
 今般の旅行にはリゾートは無かったですよねぇ>アリムタさん
 インドのリゾートはどうなのですか?
 例えば、ビーチリゾートはヘタに海外行くより沖縄の離島が良いとか聞くことがあ
りますが・・・。
 >厳かに宗教体験をしたいならスリランカはコロンボ(だっけ?)の仏歯寺へ。
 TVでしか見たことありませんが、私もスリランカに行ってみたいですね。また、
インドの最南端も行ってみたいです。
 宗教体験と仰いましたが、どんな宗教体験ですか?
 そうそう、法華経ラウンジも宜しくお願いします。
マスター Eisai.
00093 97/11/11 22:15 Eisai              RE:00090 はじめまして
ariari さん、はじめまして。
ようこそお越し下さいました。ワインは飲まれますか?
 ▼
 |\(*^^)v カンパーィ !!
  ̄
 >臨済宗の僧籍を持つものです。
 臨済宗ではありませんが私の名前は Eisai です・・・。(^L^)>
 さて、臨済宗といえば栄西禅師、江戸時代の白隠禅師、そこまではパパっと浮かび
ます。しかし、他宗に詳しくない私には同じ禅でも臨済宗と曹洞宗の違いなどよくわ
かりません。そういえば中国から来日された隠元さんも中国では臨済宗だったとか。
どうして、隠元さんは臨済宗ではなく黄檗宗という宗派を開かれたのでしょう。臨済
宗は十四宗派にも分かれているのでしょう。またまた、このボードで話題となった本
覚法門(如来蔵思想)と禅・・・・どれでも教えて下されば幸甚です。もちろん他の
話題でも何でも結構です。御参加下されば幸甚です。
 >ネットでは僧侶のかたとお話したことがありませんので
 >よろしくお願いいたします。
 気むずかしい人はいません。どうぞお気軽に御発言下さい。
 宜しければ、「法華経ラウンジ」も宜しくお願いします。開設者の意向とすれば日
蓮系ばかりの発言は欲しません。また、天台、禅あたりの法華経感に興味があります。
マスター Eisai.
00094 97/11/12 21:38 ariari             RE:00093  はじめまして
 こちらこそよろしくお願いいたします。
なかなかよく勉強しておられて、私の勉強不足がお恥ずかしい次第です。
私自身は、臨済宗妙心寺派に在籍しており、住職、副住職という立場でもございませ
んが、今は役僧として世田谷のとある禅寺に在留しております。
私のほうこそ、日蓮宗に対して、まったく知識がないので、何をお話したらよいかわ
かりません。とにかく、禅というものに対して、私自身がお話できることといえば、
みずからが体験したことをお話するぐらいしかありませんし、元々臨済宗にしろ、曹
洞宗にしろ、黄檗宗にしろ、もとは同じであり、その形、流れが少し違うだけで「そ
のもとを勉める」ことには変わりは有りません。自分の中の仏を見つけることが禅宗
の本義であるわけですから、そこから外れることさえなければ、何も問題は有りませ
ん。
元々、禅であろうが、日蓮であろうが、その違いはどこに有るのでしょう。悟りの世
界というものが有るのならば、たとえて謂うなら其れは富士山の頂上みたいなもので
あり、そこにいたる登山口がそれぞれ日蓮宗であったり、禅宗であったりするわけで
すから、いずれにしても行き着くところは同じのようにおもいますが、えいさいさん
からはどのように見えるでしょうか。ぜひ伺いたいと思います。よろしくお願いいた
します。
00095 97/11/12 21:43 ariari             RE:00093  はじめまして
>ariari さん、はじめまして。
>ようこそお越し下さいました。ワインは飲まれますか?
>
> ▼
> |\(*^^)v カンパーィ !!
>  ̄
>
> >臨済宗の僧籍を持つものです。
>
> 臨済宗ではありませんが私の名前は Eisai です・・・。(^L^)>
>
> さて、臨済宗といえば栄西禅師、江戸時代の白隠禅師、そこまではパパっと浮かび
>ます。しかし、他宗に詳しくない私には同じ禅でも臨済宗と曹洞宗の違いなどよくわ
>かりません。そういえば中国から来日された隠元さんも中国では臨済宗だったとか。
>どうして、隠元さんは臨済宗ではなく黄檗宗という宗派を開かれたのでしょう。臨済
>宗は十四宗派にも分かれているのでしょう。またまた、このボードで話題となった本
>覚法門(如来蔵思想)と禅・・・・どれでも教えて下されば幸甚です。もちろん他の
>話題でも何でも結構です。御参加下されば幸甚です。
>
>
> >ネットでは僧侶のかたとお話したことがありませんので
> >よろしくお願いいたします。
>
> 気むずかしい人はいません。どうぞお気軽に御発言下さい。
>
>
> 宜しければ、「法華経ラウンジ」も宜しくお願いします。開設者の意向とすれば日
>蓮系ばかりの発言は欲しません。また、天台、禅あたりの法華経感に興味がありま
す。
>
>マスター Eisai.
00096 97/11/14 13:31 Eisai              RE:00094   はじめまして
ariari さん、こんにちは。
》とにかく、禅というものに対して、私自身がお話できることといえば、
》みずからが体験したことをお話するぐらいしかありませんし、
 そのことをお聞かせ頂ければ幸甚です。その辺の仏教書より、名説教師に散見され
る眉唾ものの雄弁な因縁談より、自らが体験された話というのは説得力がありますし
興味があります。
》自分の中の仏を見つけることが禅宗の本義であるわけですから、そこか
》ら外れることさえなければ、何も問題は有りません。
 この会議室で最初に話題となったことはこの「自分の中の仏」です。いわゆる本覚
論や如来蔵思想といったもの是非です。駒沢大学教授(禅宗系)の松本史朗教授の
「如来蔵思想は仏教にあらず」という内容の論文をみて考えさせられている問題なの
です。
 もちろん、松本史朗先生の説を前面に出して鎌倉仏教を批判しようというのではあ
りません。如来蔵思想あるいは中古天台本覚論的な傾向は、禅や日蓮仏教など鎌倉仏
教に共通したものかも知れません。更に言うなら、私がここに言う仏教学的な考察で
あって人を救う宗教ではありません。
》元々、禅であろうが、日蓮であろうが、その違いはどこに有るのでしょ
》う。悟りの世界というものが有るのならば、たとえて謂うなら其れは富
》士山の頂上みたいなものであり、そこにいたる登山口がそれぞれ日蓮宗
》であったり、禅宗であったりするわけですから、いずれにしても行き着
》くところは同じのようにおもいますが、
 こんな歌があったと思います。
  η わけ登るふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月をみるかな
 そのこと仰りたいのですね。ううん、私が日蓮宗と言うことでリトマス紙でしょう
か。その点につきましては、富士門流(日蓮正宗、創価学会 etc)のようにガチガチ
ではありませんから御安心下さい。
「どの宗派も結局同じ」は日本人一般の認識かも知れません。その意見を尊重しつつ
も私の意見を述べさせて下さい。
 もし臨済宗僧俗が「行き着くところは同じ」と考えているなら、どうして十四もの
宗派門流に分かれてしまうのでしょう。臨済宗の各門流も禅は絶対こうでなくてはい
けないというところから分派が起こったのではないでしょうか。
 私はあくまで法華一仏乗の信徒です。法華一乗を信じているから法華の坊さんをし
ているのであります。禅宗の僧侶も禅が最高だと思うからこそ雲水の修行に耐えられ
るのではないでしょうか。
 うーん・・・・僧侶も信徒もたまたま縁があった宗旨が現在の宗旨なだけなのでし
ょうか。私もたまたま法華に縁があったから法華一仏乗の僧侶になったのかなと自問
自答することがあります。しかし、一つ言えることは法華経の文言と、そのことを教
えて下さった善知識に出会わなければ間違いなく還俗していると思います。
 もちろん、仏教であれば宗旨を問わず目指すゴールは同じだと思います。しかし、
そのゴールまでの過程や到達率は自ずと違いがあるかもしれません。
 禅は素晴らしい修行だと思います。禅定の修行がなければ、仏教はなかったでしょ
うし、大乗経典も成立しなかったかもしれません。ただ、私は私で末法の在家の凡夫
が仏法による救済を求めるとき、初期大乗経典のひとつを依経としたいです。
 どうか禅に対する気持ちをここに披瀝して下さい。私は私で、自らの仏教学(に近
いもの!?)の勉強過程や法華経感を披瀝します。宗派を超えて気軽に本音を語れる
気楽な雰囲気を求めたいと思います。もちろん、他の話題でも結構です。何でも発言
して下さい。
 こんなことを言うと本化妙宗の人に叱られますが、仲間内で酒を酌み交わしながら
の法論も楽しいものです。そして本音を披瀝することも容易です。もちろん、法論と
言っても喧嘩ではありません。ワインでもやりながらお付き合いくださいませ。
Eisai
00097 97/11/16 16:01 アムリタ           RE:00079  アートマン(我)について
レスが遅くなってすいませんいろいろ
忙しかったものですから。
色々問題点が多いので、何をどう答えていいやら
混乱してますが、思いついたこと述べます。
唯識三十頌は世親作に成っておりますので、
紀元後四世紀頃になると思います。
アートマンは本来因果応報の主体とか、輪廻の主体
といわれ、前生での業を現生に、現生の業を、来生に
引き継ぐものとして、考えられ、善因善果・悪因悪果
が基本であります。前生でおかした善の行いが
現生に善果としてあらわれることで、善(悪)の因を
肉体が滅しても次の生に引き継ぐことにアートマン
が考え出されたのです。
久遠本仏釈尊が常住といっても、まさか、凡夫の
善(悪)の因を次の生に引き継ぐ役目は担ってない
と思いますが。
ですからアートマンの研究と久遠実成の釈尊または、阿弥陀仏を
同じ俎上に乗せるのは如何かと私は思うのです。
仏教は無我を説きます。つまり前生の業を引き継ぐ主体としての
アートマンを認めないのであります。
しかし仏教には、輪廻の教えもとりいれられ、因果応報
の教えもとりいれられました。そこで問題になるのは
無我を説きながら、なぜ輪廻、因果応報があるのかが
問題になります。当然外教からの論争の問題点として
突かれたことでしょう。
 そこで考え出されたのが、空の思想、刹那滅論、アーラヤ識論
ということになると思います。
空の思想は龍樹師を待って完成に至ります。それは当然
釈尊の教えに忠実でありながら空の思想を確立したと
私は思っております。
 原始仏教でのアートマン感は対機説法のため、
または、お釈迦様は答えなかった為、これですといって
正確にまとめられませんから龍樹によって仏教のアートマン感(観)
も確立されるようになったのではないのでしょうか。
                            以上アムリタでした。
00098 97/11/21 11:25 しらん             まったくもぉぉぉ・・・でございます (/_
どうも紫蘭です。
どうしたことか・・・何度入っても「入会しないと読めません」と言われて
仕方がないので・・・ニフのIDで入会し直しました(超爆)
なんなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ (T_T)
                   紫蘭でした。 か し こ
00099 97/11/21 12:40 KON                RE:00098 まったくもぉぉぉ・・・でござ
 どぉもです。
>>どうしたことか・・・何度入っても「入会しないと読めません」と言われて
>>仕方がないので・・・ニフのIDで入会し直しました(超爆)
  ブラウザーのクッキーが消えてしまってログインが正常に出来なかった
 のかもしれません。
  以前のIDでログイン処理をしてみてほしいです。
  www.maruo.co.jp/login.asp で出来ます。
 Web 開発担当 KON
00100 97/12/09 17:14 Eisai              500系のぞみの感想
 嬉しがりの私は新幹線の最新鋭500系「のぞみ」号に乗って来ました。
 断面は丸くて重心も低く外見は格好良いですが、車内にはしわ寄せが少しあります。
窓際の席は立つのに窮屈そう。まして、網棚が十分でないようで、私は4泊5日分の
荷物を足下に置くはめになりました。前の人のリクライニングを邪魔しましたが致し
方ありません。網棚は奥の方の高さが十分でないように見受けられます。上に荷物を
重ねられないので、横に荷物を展開せざるを得ない。よって、一人分の荷物で左右2
座席分の荷物が埋まってしまいます。荷物の多いときは早めに場所をキープする方が
無難そうです。
 軽量化しているためか、新横浜駅で停車中、対面するひかり号が通過するとき、風
圧でかなりゆれました。
Eisai

仏教ラウンジ bodhi ★ bodhi_1  001-100  101-200  201-300  301-400  401-500  501-600  600-end