ここでは梵本(サンスクリット)法華経と『妙法蓮華経』との差異について述べる。
東アジアの漢字圏で一般に読まれている『妙法蓮華経』は鳩摩羅什による翻訳であるが、その訳は名訳の誉れが高いものの、現存する梵本(サンスクリット)とかなりの差異がある。そして、鳩摩羅什の訳はサンスクリットの底本を同定できるような逐語訳ではなく、積極的な意訳である。
そもそも、法華経はインドで成立したものであり、その本来の意味を理解しようとすれば梵本法華経を和訳するべきであろう。梵本の漢訳をさらに和訳するという重訳の作業は誤差を生じるもとであろうから。ところが、ここにはさまざまな問題が存在する。
鳩摩羅什がそんな訳をしていない。『妙法蓮華経』は絶対だ! 梵文(梵本)の法華経と『妙法蓮華経』が違うはずがない!。そういう方は『妙法蓮華経序品第一』冒頭を思い出して欲しい。あるいは調べて欲しい。
妙法蓮華経序品第一
如是我聞。一時佛住王舎城耆闍崛山中。與大比丘衆萬二千人倶。
はい、そこまで!。
この1〜2行で梵本との差異がある。最後に「萬二千人倶」とあるが、これは1万2000人の意味である。ネパール系の梵本や他の訳本では、1200人である。
ケルン南條本(梵本)、ギルギット本(梵本)、『正法華経』は1200人
ペトロフスキー本(梵本)、チベット訳は12000人
ここで、ペトロフスキー本(梵本)は学者の間でも他の梵本(サンスクリット)との差異が指摘される梵本であるし、チベット訳は逐語訳といえども所詮はサンスクリットをチベット語に訳したものである。翻訳の初期は漢文から訳されたものもある。そもそもチベット語の翻訳は吐蕃の七世紀以後のものである。
1200人 と 12000人 の考察
また、他の経典は冒頭の比丘の数、すなわち釈尊当時の出家教団の規模が1200人か1250人というのが妥当であると聞き及ぶ。
『佛説長阿含經』冒頭 「與大比丘衆千二百五十人倶。」
というのもあるし、『妙法蓮華経』にも
妙法蓮華經方便品第二
阿若〓陳如等千二百人。 (T09n0262_p0006a28)
妙法蓮華經方便品第二
我等千二百 及餘求佛者 (T09n0262_p0007a02)
妙法蓮華經方便品第二
千二百羅漢 悉亦當作佛 (T09n0262_p0010a21)
妙法蓮華経譬喩品第三
是諸千二百心自在者。昔住學地。佛常教化言 (T09n0262_p0012b04)
妙法蓮華経五百弟子受記品第八
爾時千二百阿羅漢心自在者作是念 (T09n0262_p0028b23)
妙法蓮華経五百弟子受記品第八
告摩訶迦葉。是千二百阿羅漢。 (T09n0262_p0028b26)
とある。これらをみると、出家修行者の数は1200人である。
ただ、12000人派とすれば、
『大寶積經卷第十七』 與大比丘衆萬二千人倶。(T11n0310_p0091c07)
『方廣大莊厳經卷第一』 與大比丘衆萬二千人倶。(T03n0187_p0539a08)
『佛説無量壽經卷上』 與大比丘衆萬二千人倶。(T12n0360_p0265c07)
がある。どちらがどうということはさておき、差異があるということと、鳩摩羅什の翻訳も検証が必要だということは認識頂けたであろうか。