梵本法華経とは
梵本法華経とは、梵本すなわちインドのサンスクリットという言語で記述あるいは伝えられた法華経である。法華経はインドで成立した経典であり、漢文に翻訳される前のオリジナルの形がこのサンスクリットと考えられる。
そのサンスクリットによる法華経の名は、『サダルマプンダリカ Saddharma_pundarika』で「正しい白蓮華の教え」という意味である。
現存しない漢訳の底本
残念なことに漢訳『妙蓮華経』の底本になった梵本法華経そのものは現存しない。しかも、困ったことに現在伝わっている梵本法華経(サンスクリットの法華経)と漢訳『妙法蓮華経』には差異があり、複数の梵本法華経にも互いに差異があり、複数の漢訳の法華経にも互いに差異がある。
さらに、現在伝わる梵本法華経は漢訳の底本となった梵本法華経よりも後代の写本と考えられている。
この件については、私の最も興味を持って接したテーマであるから詳しく後述することにする。
現存する梵本法華経
現存する梵本法華経は発見された地域によって「ネパール本」「中央アジア本」「ギルギット本」に大別できる。
1.ネパール本 (カシミール本系)
合計20数本の梵本法華経が伝わり、ケンブリッジ大学、パリ、カルカッタ、東京大学などに所蔵される。南条・ケルン本や、荻原・土田本(昭和9〜10年)などの刊本がある。これらは、梵本法華経を研究するリファレンスである。
2.ギルギット本 (カシミール本系)
ガンダーラ(現在のパキスタン北西部)のギルギットで出土した梵本。完本ではないが、全体の3/4を含むそうだ。
3.中央アジア本
中国西域のシルクロードなどで発見された梵本法華経である。
完本はなく、断簡でつたわるが最大のものは和田(ホータン)で出土したペトロフスキー本である。ペトロフスキー本はネパール本とは多少の差異がある。その他、ファルハード・ベーグ(Farhad
Beg)本、マンネルハイム(Mannerheim)本、トリンクラ(Trinkler)本、吐魯蕃本、大谷本(大谷探検隊)がある。大谷本は日本ではなく中国の旅順にあるそうだ。
梵本漢訳以外の翻訳
梵本研究の補助的な資料としてチベット訳の経典がしばしば利用される。漢訳は意訳がなされていて、とくに玄奘三蔵よりまえの漢訳はその傾向が強い。一方、チベット訳の経典は逐語訳で底本となった梵本に忠実で、失われた梵本の記述を同定する作業さえ行われているようだ。
そこで、チベット語の法華経は梵本研究にも重要な資料になりそうであるが、残念ながらチベット仏教の歴史はそんなに古くない。チベット仏教に仏教が伝わったのは吐蕃の時代で6〜7世紀である。さらに、仏教の国教化は8世紀中頃のティソンデツェン王の頃である。そして、この頃にインド仏教も移入された。
吐蕃王朝の最盛期にはチベット語への翻訳が盛んに行われ、『デンカルマ』目録が
824年に編纂されている。法華経がそこに含まれているかどうかは手許に資料がないが、梵本法華経をチベット語訳した時期はその頃かも知れない。
チベットに仏教が伝来した当初は漢訳経典をチベット訳するという作業も行われたそうだ。どちらにしても、竺法護訳『正法華経』(286)、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』(406)、よりも後の梵本写本を用いていることになる。
なお、チベット語訳の法華経は、デルゲ版カンギュル(1729-1733)、ナルタン版カンギュル(1730-1732)、北京版(永楽版カンギュル?)に掲載されているそうだ。
このチベット訳法華経は、現存のネパール本の梵本法華経に近いそうだ。
その他、法華経はウィグル語訳、西夏語訳、蒙古語訳、満州語訳、ハングル訳などがある。
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