長興山 妙本寺 (みょうほんじ)六老僧日朗聖人が鎌倉の門下を指導統率した霊跡
日蓮聖人の信徒であった比企能本の邸宅を日朗聖人が譲り受けた場所にできた寺院。日蓮聖人御真筆の大曼荼羅本尊6幅を伝えている。なかでも、日蓮聖人が臨終のときに掲げられた「臨滅度時の御本尊」は日蓮宗宗定の御本尊に指定されている。「蓮」の字の「しんにゅう」部分の光明点(髭題目の髭)が少し蛇行しているが特徴である。
[場所] 神奈川県鎌倉市大町1丁目15-1
長谷山 本土寺 (ほんどじ)
紫陽花で有名な六老僧日朗聖人の霊跡
長谷山本土寺と号し、長栄山本門寺(池上)、長興山妙本寺(鎌倉)とともに朗師(六老僧日朗聖人)の「三長三本」と称せられる。 平賀領主の陰山土佐守が日蓮聖人に帰依して文永六年(1269)に法華堂を建立したことが起源である。時代は下って、徳川家康は武田信玄の生母を本土寺に埋葬している。紫陽花(アジサイ)の寺として有名。
[場所] 千葉県松戸市平賀63
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正中山 法華経寺 (ほけきょうじ)
通称は中山(なかやま)法華経寺。山号は正中山(しょうちゅうざん)と読む。日蓮宗大荒行堂が行われるお寺。
日蓮の檀越(だんのつ)富木 常忍(とき
じょうにん)が出家して日常と称し、自邸を法華寺としたことに始まる。第三世日祐上人が千葉氏の外護をえて大きく発展する。日蓮聖人の遺文や本尊等を蒐集格護し、それらの聖教は今日聖教殿に所蔵されている。
六老僧の本山ではないが大檀越富木常忍のお寺であるのでこのページに載せた。[場所] 千葉県市川市中山2-10-1
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多宝富士山 本門寺 (ほんもんじ)
六老僧日興聖人の霊跡
北山本門寺、重須本門寺ともいう。身延山を離れた日興聖人は、大石ヶ原に草案を結んだ(後の日蓮正宗総本山大石寺)。やがて、北山に本門寺を開創した。
「大石寺」は地名「大石ヶ原」からとった名称、「本門寺」は法華経の肝心たる「本門」からとった名称である。寺院の命名は開創者が命名するものである。日興聖人は大石寺よりも本門寺を主たる寺院と位置づけたのではあるまいか。まして、境内には日興聖人の本墓があり、身延山の日蓮聖人の方を向いて建っている。また、六老僧の日頂上人の墓もある。
[場所] 静岡県富士宮市北山4965
法王山 妙法寺 [村田] (みょうほうじ)
六老僧日昭聖人の霊場
日蓮聖人滅後二十五年を記念して徳治元年(1306)に開創された。もとは鎌倉にあったものを、日昭聖人遷化のおりに北越弘法の拠点として移転された。
[場所] 新潟県三島郡和島村大字村田1124
経王山 妙法華寺 (みょうほっけじ)
六老僧日昭上人(1221-1323)の開山。
[場所] 静岡県三島市玉沢1
藻原寺 (そうげんじ)
六老僧日向聖人の霊跡
六老僧の日向聖人の開山。もとは妙光寺と号したが、徳川家康からの朱印状に「長柄群茂原寺」とあったので寺名を改めた。日向聖人は日蓮聖人御入滅のあと身延山久遠寺を継いだ僧侶である。日蓮聖人御真筆の曼荼羅本尊が三幅伝わっている。末寺も百三ヶ寺を擁していた。
[場所] 千葉県茂原市茂原1201
真間山 弘法寺 (ぐぼうじ)
六老僧日頂上人の霊跡
通称、真間(まま)。日蓮聖人遺文にも出てくる寺院で、六老僧の日頂上人の由緒の寺である。日蓮聖人の檀越富木常忍の所領の堂であった。日蓮聖人の滅後に富木常忍が出家して管理し、中山法華経寺などとの関係が深かった。独立の本山となったのは江戸時代の寛永年間である。顕本法華宗を創立する前に日什上人が学頭となったこともある。日頂上人の故事に因み「此経難持」を読まない。『万葉集』の東歌にちなむ「手古奈姫」をまつる。
[場所] 千葉県市川市真間4丁目9-1
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貞松山 蓮永寺 (れんねいじ)
六老僧日持聖人の霊跡
建長二年(1250)日持聖人の開山。永仁三年に日持聖人が奥羽、北海道を経て中国大陸への布教伝道に出られてからは無住同様の状態となった。また、武田氏の兵火によって全く荒廃した。これを嘆いた徳川家康側室お万の方(養珠院)が家康に請うて現在の地に再興した。身延山二十一世日乾上人を中興の祖としている。
[場所] 静岡市葵区沓谷2丁目7-1
[山号] 貞松山 (みまつさん)
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