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日蓮宗の本山 |
全国の本山 |
法花山 本興寺 (ほんこうじ)
靖定山 久昌寺 (きゅうしょうじ) 水戸徳川家の霊跡 開本山 妙顕寺 (みょうけんじ)
広栄山 妙覚寺 (みょうかくじ) 文永元年(1264)に日蓮聖人が帰省したその時、母が息絶えたところであった。日蓮聖人が読経唱題をすると母は蘇生した。その不思議を聞いた興津城主佐久間重貞は、城内の釈迦堂に日蓮聖人を招き説法を聞いた。その説法は半月に及び、家中皆深く感激して法華経の信徒となった。重貞は釈迦堂を日蓮聖人に献上し、聖人はこれを妙覚寺と称した。
日蓮聖人の檀徒であった曽谷教信(法蓮)の嫡子、曽谷四郎左右衛門直秀(道崇)の建立と伝わる。開山は六老僧に次ぐ日蓮聖人の直弟子である大受阿闍梨日合上人。開創の地に七堂伽藍があったが永録3年に里見氏の兵火で消失した。そのときに現在の芳賀山の地に移転した。身池対論で池上大坊本行寺を出た不受不施派僧侶の中妙院日観上人はここに檀林を開いて学僧の教育に専念した。江戸初期の不受不施派の一拠点として発展する。祖師堂は徳川家光の第三息女が1000両を寄進して建立したもの。 正東山 日本寺 (にちほんじ) 中村檀林の霊跡 妙高山 正法寺 (しょうぼうじ) 小西檀林の霊跡 大野山 本遠寺 (ほんのんじ) 日遠上人とお万の方の霊跡 青龍山 本覚寺 (ほんがくじ) 延慶元年(1308)日位上人の開創。第二世は足利尊氏の叔父に当たる管領上杉頼重の子である。江戸時代には将軍より朱印状を賜り、十五万石の格式をもち、右大臣西園寺家より宗門最高の今朝法衣永代着用を許可された。明治二年に火災に遭うが、その後復興した。 大成山 本立寺 (ほんりゅうじ) この地の豪族江川太郎左衛門吉久が日蓮聖人が諸宗遊学のおりに教化を受けたと伝わる。その江川氏の子孫が永正6年(1509)開基檀越となって建立された寺院で、開山は円明院日澄上人である。 実成寺 (じつじょうじ)
富士山 久遠寺 [小泉] (くおんじ) 大石寺二世日目の滅後、日郷と日道は後継をめぐって争った。日道が大石寺を継ぐことになり、日郷は妙本寺(房州)に退いた。しかし、大石寺をめぐる争いはその後も続き、日郷と日動の滅後の弟子の第にまで及んだ。しかし、応永13年(1406)日郷の門流は現在の小泉に久遠寺を建立し現在に至る。富士五山(北山本門寺、大石寺、西山本門寺、妙蓮寺、小泉久遠寺)のひとつであるが、北山本門寺とともに現在は日蓮宗に属する。 龍水山 海長寺 (かいちょうじ) 仁寿2年(852)慈覚大師の開創と伝わる。文永9年(1272)天台宗から日蓮宗に改宗した。改宗にたずさわった中老僧日位を開山とする。もとの名称は峨岳寺であったが江戸時代になって海長寺となる。 本立山 玄妙寺 (げんみょうじ) 玄妙院日什上人は天台宗の学僧から日蓮宗に改宗した顕本法華宗の開祖。その日什上人と真間山弘法寺の日宗との法論を傍聴していた宿の主人が建立した。日什門流の三本山のひとつ。 延兼山 妙立寺 (みょうりゅうじ)
日像上人開基で前田家が外護した荘厳な伽藍を有する寺院 白雲山 報恩寺 (ほうおんじ) 紀伊徳川家の御廟所 広晋山 妙国寺 (みょうこくじ)
自昌山 国前寺 (こくぜんじ) 帝都弘通を果たした日像聖人の開山と伝わる。当初は暁忍寺と称していたが、明暦2年(1656)国前寺と改称し、本堂、番神堂、客殿、庫裡、仁王門などが建立され、浅野藩の菩提寺となる。しかし、元禄4年(1691)不受不施を貫こうとしたために菩提所の地位と寺領を召し上げられ、大寺は平寺となってしまった。 松尾山 光勝寺 (こうしょうじ) 正和2年(1313)中山法華経寺2世日高上人の依嘱を受けた日厳上人が弘通し当地に創建したの寺。日蓮宗の九州における最初の拠点。後にはなべかむり日親上人も当地に派遣される。極めて厳格な日親上人は当山を追放されるが、のちに地頭千葉氏の帰依を受けた。 妙宣寺 (みょうせんじ)
日円山 妙法寺 [堀之内] (みょうほうじ) 元和四年創立(1618)で真言宗寺院を日蓮宗に改宗した。江戸時代より厄除け開運・病気平癒祈願を性格とする信仰を喚起した。江戸庶民の熱烈な信仰を集め、関東屈指の法華霊場となった。当山出身の僧侶は読経が達者な方が多い。また、山内の堀之内静堂では著名人の葬儀がよく行われている。 妙国寺 (みょうこくじ) 顕本法華宗の開祖玄妙日什上人(1314-92)の誕生、入滅の地。 孝勝寺 (こうしょうじ) 中老僧日門上人の開創。伊達家に嫁した振姫(徳川家康の孫)由緒の寺。 妙厳山 本覚寺 (ほんがくじ) 永享八年(1436)一乗坊日出の開創。日出は本覚寺の前身である夷堂にあって鎌倉布教に際して管領足利持氏の怒りを受けた。捕らえられ死罪に直面したが、かえって足利持氏の帰依を受け、当地に本覚寺を創立した。第二世の日朝は身延山に晋山し、日蓮聖人の遺骨を分骨し本覚寺に奉安した。前身の夷堂は日蓮聖人が佐渡流罪から帰られたおり留まられた所である。その間、北条時宗に三回目の国家諫暁をされ、後に身延山に入山された。 |