智者塔院へ
国清寺から5kmほど未舗装の山岳道路を登ってバスを下車、数分歩くと辿り着く。あたりは、山奥にも関わらず段々畑が広がり、見下ろすと朱塗りの高明寺(だと思う)の伽藍が遠くに見える。お茶畑も多い。
近所の農家がお茶を売りに来るが、一袋3元(39円)だったから買えば良かった。天台智者大師のお膝元で取れたお茶なら飲めば功徳があるかも・・・。調べてみると、天台山のお茶は「華頂雲霧茶」といって古来より高僧や貴族に供えられた緑茶の名品だそうだ。おばちゃんの売ってたお茶がそれかどうかは知らないが・・・。
智者塔院
さて、苔むした石段を登り詰め右に入る。すると、智者塔院の門に入る前の右側に小さな塔が建っている。よくみれば、日本の天台宗が建てた『般若心経』の納経塔である。私見を述べさせていただければ、何も天台法華仏教を説いた天台智者大師の墓前に『般若経』を納めることはないと思うのであるが・・・。天台智者大師智の墓前に納めるべきお経は『法華経』ではないだろうか。
天台大師の入滅後、遺言によってこの場所に建てられた天台大師の廟所がこの智者塔院である。眞覺寺、眞覺講寺、あるいは塔頭寺といわれることもあるそうだ。塔頭寺というと、日本では本山の横にある小さな末寺をさすが、ここにいう塔頭とは天台山の中心道場という意味合いがあるそうだ。
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真覚寺(眞覺講寺)への門
このあたりの標高は約750m。額には眞覺講寺とあるが、眞覺寺、智者塔院などともいわれる。
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智者塔院本殿
智者塔院の本堂に当たるお堂のようで、高さ約6mの智者肉身塔が中に納められている。
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智者肉身塔
智者塔院の本殿には遺言によって建立された天台大師智を祀った高さ6mの白い石塔がある。それを木造のお堂でかこったものである。目の錯覚だと思うが、実際に見たところでは6mあるようには見えなかった。
天台山のなかでも天台大師智棲神の地である。章安大師にとっても妙楽大師にとっても、日本から遥々入唐した伝教大師最澄にとっても、ここは特別な場所である。
できれば、ここでじっくり1〜2時間ほど留まりたかったが、自我偈(後半)と短い唱題だけで忙しく帰る羽目となってしまった。荘厳さを感じる暇すらない団体行動であった。ここは、ある意味では国清寺以上の霊場である。残念無念。
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智者肉身塔
本当に高さ6mもあったのかどうか。写真では白く見えないが実際は白い。
天台大師の遺骸はこの塔の地下深くに即身仏として埋葬されているそうだ。肉体をミイラ化させた即身仏なのかどうかは私にはわからない。
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左の智者肉身塔の中心部分
天台大師の木造が納められている。写真上部には「眞身寳塔」とある。智者肉身塔とか全身龕塔とかいろいろな呼称があるようだ。
聯(れん)には
右 壽量難思權化城而入寂
左 靈山未散宜遙多寳與同龕
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先師の画像
この本殿の壁には、天台大師智をはじめ妙楽大師・章安大師など中国天台宗の先哲の肖像が掲げられている。下記はその写真。
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天台智者大師像
余談だが、この智者塔院に掲げられている天台大師智の画像は、日蓮宗でよく用いられる日蓮聖人画像とよく似ている。お祖師様は天台大師の生まれ変わりか・・?
もちろん日蓮教学的には本化上行菩薩の再誕だと知ってのことなのだが。(笑)
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章安大師(章安大師灌頂) 像 (561-632)
天台大師の侍者となり、『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を受講し天台三大部などを編纂した。後の時代に天台大師の教説に触れることができるのは章安大師灌頂の業績によるところが大きい。
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荊渓大師(妙楽大師湛然) 像 (711-782)
唐代の中国天台第六祖で天台を中興した。荊渓尊者。妙楽大師と称される。唐代になると、華厳や禅が隆盛であり、新しい真言密教も伝わっていた。そのなかにあって天台大師の典籍を注釈しつつ、天台法華仏教がそれらに勝るとも劣らぬ教説であることを宣揚した。
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それにしても、下の写真の如く、「釈迦再現」「即是霊山」は天台山の意気込みを感じられる。天台大師智はお釈迦様の再現であり、天台山が即『法華経』がとかれたとされるインドの霊鷲山の浄土であるといった意味か・・・・。
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即是霊山
(即ち是れ霊山[りょうぜん]) |
釈迦再現 |
華頂峰
天台山の最高峰で標高
1138mである。国清寺から17kmでマイクロバスでいけるそうだ。天台大師智が悟りを開いた場所と言われているが、今回は足を延ばすことができなかった。これも残念。
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