アマラバティー(Amaravati)
ナーガルジュナコンダに引き続き、アマラバティーを訪問した。ここは、ナーガルジュナコンダからクリシュナー川を百数十キロ下ったところにある。この辺りになると、クリシュナー川も川幅が広くなって流れもゆったりしている。乾期であってもたっぷりと水を湛えている。
このアマラバティーはナーガルジュナコンダと同じく「地球の歩き方」にすら載っていない。ここで、情報発信ができることは、あるいは意義あることかも知れない。
このアマラバティーは都会ではないが、かなりの大きな町である。クリシュナー川の沐浴場の階段の欄干にはペプシコーラの宣伝で埋め尽くされていた。現地の方は幻滅しないのだろうか。
● 大ストゥーパ跡
ここには大きなストゥーパの跡がある。ただし、現地のガイドブックにはチャイティアとあった。
直径は54mもある大仏舎利塔の跡だ。現在は、数メートル掘り下げられた場所に高さ2m程の煉瓦で丸く囲まれた部分がストゥーパの跡だなとわかるだけである。あと、欄干の残骸のようなものが直径54mの煉瓦の外側におかれている。
私達が到着すると、どこからともなく役人のような人がやってきた。私がビデオに撮ろうと思うと、"No video !"
と叱られた。写真撮影はOKだった。ここでも、外国人は珍しいのか子供達が好奇心を持って寄ってきた。
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大ストゥーパ跡 往時は巨大だったのだろう
(御一緒した参加者よりの提供) |
● 博物館 博物館の屋内は撮影禁止だ。Ru 10
だと思ったがガイドブックが入り口で販売されている。ほかに、カラー刷りのパンフレットがあるが受付にはありません。
中庭には発掘されたストゥーパの復元模型がある。もちろんかなり縮小されているが、これを観ると往時の偉容が偲ばれる。とにかく、模型の小さな欄干の蓮の華の模様は実寸では70〜80cmもあるような大きなものである。ちなみにこのホームページの壁紙はその紋様を画像処理したものである。
仏舎利を間近に拝む
さて、日本から僧侶がわざわざアマラバティーを訪ねてきたことを館長さんに説得して功を奏したのだろうか。大ストゥーパから発掘された仏舎利(お釈迦様の骨)を見せて頂いた。
仏舎利を拝ませていただくことは希有な経験である。もちろん、写真撮影は禁止。ガードマンが部屋を警戒し、カーテンをしめ、大きな金庫の何重もの扉や、何重もの鍵を開けて出されるという厳重さだった。
仏舎利は1cmほどの白いものだった。水晶の器から恭しく、ピンセットで取り出して下さった。仏舎利を囲んで、みんなでパーリー語の三帰依文を唱えさせて頂いた。
「ブッダム サラナム ガッチャーミー ・・・♪」。館長さんはニヤッと微笑んだ。もちろん、私は心の中は南無○○○○○。
他には、直径1cmほどの蓮をかどった金箔のようなもの、純金の大きなネックレスのようなものを見せていただいた。
● アマラバティーの宿
大きなヒンズー寺院に向かって右側、クリシュナー川の河畔にある国民宿舎の様な施設で休憩した、まだ施設が出来たばかりで食事などができる体制ではなかった。ただ、ここが完成すればきれいな施設であり快適に泊まれるかもしれない。
チェナイ(Madras)
● チェナイ(マドラス) 州立博物館
さて、このアマラバティーから発掘された文化財の多くがイギリスの大英博物館とチェナイ(マドラス)の州立博物館の二ヶ所に保存されている。ここで発掘された彫刻が石灰岩ということで、大英博物館では一般公開されていないそうだ。
しかるに、アマラバティーで発掘された彫刻を堪能したい人にはチェナイ(マドラス)の州立博物館を訪れることになる。(右の写真)
チェナイ(マドラス)はインドの四大都市の一つで大都会だ。私はインドの旅行中初めて背広姿のビジネスマンや日本人技術者の姿を見た。
それはさておき、このチェナイの州立博物館のアマラバティーの遺跡の展示には悲しい現実があった。
なんと、貴重で美しい仏教彫刻が誰でも触れる位置に展示してあるのだ。白い石灰岩(大理石に近い)なのに、いろいろな人が触るので手垢で黒くなったり、手の油で表面が変質したり悲惨な状況だった。
それだけでも悲しいのに、落書きの彫刻までしてあった。悪いのは博物館の客ばかりではない。
博物館の展示の仕方が雑である。発掘された原型を気遣う気持ちがあるのだろうか?。出土品を壁やコンクリートに埋め込んである。
更に壁の塗り替え工事のときのことと推察できるが、壁のペンキが発掘された彫刻の石灰岩にまで塗られている有様だ。ひどく悲しい思いをした。
なお、この博物館も料金を支払えば写真を撮ることができる。フラッシュも自由だ。ただ、トイレは建物の外にしかないので注意が必要である。(インド旅行で下痢気味になる人が多いから・・・)
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