檀家参りなどで出かけていることが多いので、必ず事前に連絡をしてからお越し下さい。
住職(平成15年3月交代)は修法師(祈祷師)ではありません。インド仏教学、純粋な日蓮教学の立場からお話を伺います。霊や神祇のさわりなどについての
霊感を頼るような相談は専門外です。前住職(修法師)の相談は現在致しておりません。
どちらにしましても、自身にふりかかる問題を、先祖や水子せいにしてしたり、因縁のせいにしたり、仏壇の奉り方のせいにしたりするような回答を現住職は致しません。もちろん、死者儀礼は大切なことです。怠っていれば懇ろなる供養をお勧めします。因縁果報は仏法の基本的な考え方で法華経にもあります。仏事作法も大切なことです。しかし、
問題の責任を転嫁して自らを省みることをしないとすれば如何なものでしょう。
法華経の一番大切なお経の一つ『妙法蓮華経如来寿量品第十六』に次の如くあります。
自惟孤露無復恃怙。常懷悲感心遂醒悟。乃知此藥色味香美。即取服之毒病皆愈。
自ら惟るに孤露にして復恃怙なし。常に悲感を懐いて心遂に醒悟し、乃ち此の薬の色・香・味美きを知って、即ち取って之を服するに毒の病皆愈ゆ。
苦しみにあえいで神も仏もない、たのむものも何もないと苦しみの極地に達したときにこそ、お釈迦様の抜苦与楽の教えの尊さを実感できるものなのです。その手助けが私の使命だと思っております。
八代前の先祖、水子、野狐(やこ)、家や土地の因縁、仏壇の方向に責任転嫁している間は問題は解決しません。今の苦しい環境にある自分自身が、一念三千から明らかになる自らの
考え方や信仰の問題を自覚し、懺悔し、誓願し、抜苦与楽の教えを持(たも)ち続ける。そのような本来あるべき法華信仰に基づいた相談を法華僧侶はするべきだと考えます。