シルクロード
旅行記

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シルクロードの仏教

● 人物

・竺法護(239-316年)

 西晋代の訳経僧。中国西部から中央アジアにかけて居住した遊牧民族である月氏系帰化人の末裔で、敦煌に生れる。西域で多くの仏典を入手し、敦煌・酒泉・長安・洛陽などで仏教経典150部以上を翻訳した。鳩摩羅什以前の訳経では量質ともに最もすぐれている。

 『法華経』の最初の漢訳『正法華経』(286年)があるが、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』(406年)よりも難解で書き下し文にしづらい。私としては、『妙法蓮華経』で意味の取り方に迷ったときに、『正法華経』を参照するような読み方をしている。120年の差があるが、もとの梵本(サンスクリット)の系譜も違うようである。

・鳩摩羅什(350-409年頃)

 南北朝時代初期の中国を代表するような訳経僧。インドの貴族の血を引く父と亀茲国の王族の母との間に生れた。最初は原始経典や小乗仏教を学んだが、やがて大乗に転向して中観派(空仏教)の諸論書を研究。384年、亀茲国を攻略した呂光の捕虜となり、401年に後秦の姚興に迎えられて長安(西安)に入り、精力的な訳経をした。

・法顕(337-422年頃)

 インドに遊学した中国僧としては玄奘が有名であるが、この法顕もインドに求法の旅をして訳経をした僧侶である。399年に60余歳の老齢の身で他の僧らと長安を出発して、陸路インドへ向かった。
 敦煌から西域に入り、ヒマラヤを越えて北インドに至り、インド各地やスリランカで仏典を求め仏跡を巡礼する旅をつづけた。戒律などのサンスクリット経典をもって、海路帰国の途についたが暴風雨に遭い412年に現在の山東省にひとり無事に帰着した。帰国後6部63巻にのぼる経律を漢訳した。また法顕は中国西域やインドの弥勒信仰を中国に伝えた。
 法顕の旅行記『法顕伝』(仏国記)は当時のインドや中央アジアの実情を伝えた貴重な資料である。

・玄奘(602-664年)

 洛陽付近の出身。『倶舎論』『摂大乗論』などを学んだのち、仏教修学でおこった疑問点をインドの原典に基づいて研究しようと独力で629年に長安からインドに向かった。遊学の主な目的は唯識のインドの原典を求めた旅行といえる。唐の法律では国外への旅行が禁止されていたが、国禁を犯しての遊学である。
 途中、吐魯蕃にあった高昌国の使者の懇請で吐魯蕃に向かい、ここで国王の大歓迎をうけ、インドへ往復する20年間の旅費などの寄進をうけた。

 シルクロードを通り現在のアフガニスタンからインドに入り、中インドのナーランダー寺院にて唯識説を学び、更にインド各地の仏跡を訪ねた。仏像8体・仏舎利150粒、梵本(サンスクリット原典)657部を携えて、645年に長安へ帰った。帰国後、『大般若経』600巻をはじめ76部1347巻を漢訳した。鳩摩羅什などの積極的な意訳とは違い、玄奘三蔵の翻訳は忠実に逐語訳をなす特徴をもつそうである。
 玄奘三蔵の新訳経論に依拠して法相宗、舎宗が興った。
 玄奘三蔵の旅行記『大唐西域記』は7世紀前半の中央アジアやインドを知る上に貴重な文献である。

 玄奘三蔵と孫悟空で有名な『西遊記』は、13〜16世紀頃の成立と思われる。現存する最古の明刊本は1592年(万暦20)刊の世徳堂本。

● 玄奘三蔵の通った道

往路

長安 → 涼州 → 瓜州 → 伊吾 → 高昌国(旅費などの寄進) → 庫車(クチャ) → 天山山脈を越える → 天山北路 → 西突厥(統葉護可汗に会う) → アフガニスタン → 北インド → 中インドのマガダ国ナーランダ寺

帰路

ヒンドゥークシュ山脈 → パミール高原 → 和田(ホータン) → 天山南路(南道) → 長安

● シルクロードと仏法東漸

 仏教が中国に伝来したのは西暦紀元前後である。すでに道教や儒教が成立しており、中華思想の中国が他国の精神文化を受け入れるのには時間がかかる。当初は交易に従事した隊商や帰化人が帰依していたに過ぎないと考えられるが、1世紀中頃以後には中央の貴族・知識階層にも熱心な信者をもつようになってきた。当初は道教や儒教の類縁であることを表明して辛うじて存在を保持し、やがて仏教の勢力拡大とともにそれが修正されたが、その影響は現代までつづく。

 中国で撰述された偽経(中国撰述経典)が400もあることは、中国が仏教を純粋に受け入れようとしなかった、あるいは受け入れることが不可能だったことを表している。

 インド仏教学的(学術的)考察によれば、インドですら仏教の歴史は仏教が仏教でなくなる歴史という考えができる。まして、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈、チベット高原、タクマラカン砂漠などで地理的に区切られ、距離的にも文化的も遠い中国に仏教はもたらされた。仏教教義の変遷があるのは否めない。

 そうであっても、やはり仏教は中国人の精神生活に大きな影響を与えた。5〜6世紀にはゾロアスター教(松教)、7世紀前半にはネストリウス派キリスト教(景教)、7世紀末にはマニ教(摩尼教)など諸宗教がこのシルクロードを通じて中国に流入したが、中でも仏教の存在は大きい。そして、仏教は日本にもたらされ日本人の心の大きな影響を与えるに至る。

● シルクロード旅行の仏教的な意義

 我々の日本仏教は、中国仏教が伝えられたものであるが、やはりそれを日本化して受け入れている。日本の文化や伝統そして風土にあった仏教ということができる。お釈迦様が現在の日本仏教を見られたら仰天されるかも知れない。
 しかし、我々日本人は日本仏教という巧みな手だてとしてお釈迦様の教えにふれることができる。方便(巧みな手だて)は方便としてとらえる注意が必要だ。その方便によって約2500年前のお釈迦様が現代人にどんなメッセージを伝えているのか。それ考察することをおざなりにして、死者儀礼や祈祷などに終始しているとすれば、それは仏教でない。

 私にとってシルクロードの旅、ガンダーラ地方の旅、インド仏跡の旅といった仏法東漸を巡る旅は、歴史上のお釈迦様を求め、時代と道程をさかのぼる旅である。仏法は、途轍もない標高の長く険しい峠道を越え、途方もなく続く不毛な乾燥の大地を越え東漸した。また、その経由地の厳しい自然の中でで篤く信仰された。また変遷もした。その過程の一分でも肌で感じることができれば、この上ない喜びだ。

 一方では、私の宗旨の信仰を貫きつつも、学術的見地からの宗学やインド仏教学の検証を欠かさずにお釈迦様の根本仏教のありようを学びつつ。一方では、物理的に仏法東漸の経由地を旅して、古代人の信仰の霊気に触れながら、お釈迦様の仏跡を目指す。双方から、仏法が発する現代社会へメッセージを考察する。それが私の目下のテーマである。

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