原始仏教はお釈迦様が入滅されてから約100年くらいまでの、部派に分裂する前の仏教をいいます。
原始仏教の意義
ともかく、現在の仏教は無数の宗旨に分かれています。それぞれが違う主張をしていてどれが本当なの?という疑問は古来多くの人々が感じてきたことです。たとえ同じ宗旨でも、歴代の先哲によって違う主張がなされたり、宗旨内で異見があったりするのは現在も昔もかわりありません。漢訳されたときの翻訳の誤差もあるでしょう。そのなかで、本来お釈迦様はどのようのことを説かれたのかということを探るには、原始仏教の研究は欠かせません。現在に伝えられている経典のなかで最古層のものは何か、そこに説かれていることは何なのかを探ることで、お釈迦様在世から入滅直後の仏教を推察することができます。
原始仏教経典に比して、後の部派仏教(小乗)や、龍樹以後の大乗仏教は、煩瑣で難解なものとなり、碩学の専門家による碩学の専門家のための仏教となってしまったところがあります。そうなる前の仏教を知ることは、碩学の専門家でない私たちにとって意義あることです。
さらに、仏教の歴史は仏教が仏教でなくなる歴史だと公言する仏教学者もいますが、その一つの理由はお釈迦様が否定したはずの過度な神秘主義や、積極的に言及されなかった形而上※1のことなど非仏教的なことが教義に編入されたことです。このことをあやふやにしたからこそ、インドの仏教は滅んだのかも知れません。
原始仏教の経典
現在、最古層の原始仏典として、『阿含経』※1の小部(クッダカ・ニカーヤ)の経典※2が注目されています。そこには、
『スッタニパータ』
『ダンマパダ』 (『法句経』)
『テーラガータ』
『テーリーガータ』
などがあり、また、
『サンユッタ・ニカーヤ』 (『阿含経』相応部)
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』 (南伝 『大般涅槃経』)
も特に古い経典であるそうです。
それぞれ中村元先生のパーリ語和訳が岩波文庫から出ております。なかでも『スッタニパータ』はもっとも古く、あるいはお釈迦様の生の言葉が韻文として伝えられているのではと考えられています。
原始仏典の問題点
原始仏典といでども、文字にされたのはかなり後代であり、それまでは口伝えの伝承でした。現代に伝わる貝葉(ヤシの葉)などの写本は最古のものでも1世紀をさかのぼることはできないそうです。お釈迦様の入滅から400~500年経っているわけで、その時代は部派仏教の教義も発展しあるいは展開しているでしょうし、その時代には初期大乗仏教も興起しています。
文字化されない丸暗記による口から口への伝承は意外と正確に行うことが可能なようです。しかし、どうしても教義の展開の影響を受けてしまいます。また、パーリー語和訳などに用いられている原始仏典の底本のスリランカの写本は意外と新しいと聞き及びます。そのような点から、最古層の原始仏典といえども、更にその最古層の部分を見極める必要もあります。同じ経典内でも古く成立した部分と、後から付け加えられたものがあるのは他の仏教経典と同じです。
原始仏教をどう私たちに活かすか
私は現在の宗派仏教を捨てて、原始仏典ばかり読むのを勧めません。むしろ、それは私たちに向かないことでしょう。原始仏教はやはり、古代インドにおける、出家による出家のための出家の仏教であります。そして、原始仏典といえども、必ずしもお釈迦様の生の声による教えを網羅しえていないでしょう。また、私たちは当時のインドとは、時代も、文化も、風土も、全く違う場所に住んでいます。
私たちにとっては現在の日本仏教がやはり足がかりとなります。しかし、その現在の宗派仏教も歴史の産物であり、展開と変遷を繰り返し、あるいは煩瑣となり、あるいは土着の信仰や習俗と習合したものです。
宗派仏教の修行をしながら、仏教の理想の境地を目指す末代のお釈迦様の弟子として、あるいは信徒として、その軌道修正になくてはならないもの。それが原始仏教であり、原始仏典であり、インド仏教学をはじめとした仏教学だと私は思います。
私たちの祖師の多くは、平安時代か鎌倉時代の方です。それらの方が、知りたくても知り得なかった原始仏教やインド仏教学のことを私たちは知ることができるのです。原始仏教やインド仏教学を無視するのが良いのか、それらを積極的に取り入れるのか・・・私どもの祖師は後者を選んだと思います。
※0 形而上
日常の具体的経験では得られない、抽象的で超自然的なこと。
お釈迦様が他の思想家達から世界の常・無常、世界の有限・無限、霊魂と身体との同異、死後の生存の有無など14の形而上学的質問を受けて論争を挑まれたとき、お釈迦様は沈黙を守って答えなかったことを無記といいます。このように、お釈迦様は経験的に思惟できない形而上のことを積極的に説かれようとされませんでした。
『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)の63経「毒矢のたとえ」には、お釈迦様が形而上のことを説かないことを言明してある。
※1 『阿含経』
パーリ五部
長部 | ディーガ・ニカーヤ | dīgha-nikāya | 34経 |
中部 | マッジマ・ニカーヤ | majjhima-nikāya | 152経 |
相応部 | サンユッタ・ニカーヤ | saṃyutta-nikāya | 2872経 |
増支部 | アングッタラ・ニカーヤ | aṅguttara-nikāya | 2198経 |
小部 | クッダカ・ニカーヤ | khuddaka-nikāya | 15経 |
漢訳四阿含
長阿含経 | ディールガ・アーガマ | 30経 | 法蔵部 |
中阿含経 | マドゥヤマ・アーガマ | 221経 | 説一切有部 |
雑阿含経 別訳雑阿含経 | サンユクタ・アーガマ | 1362経 | 説一切有部 |
増壱阿含経 | エーコッタリカ・アーガマ | 471経 | 大衆部系 |
雑蔵 (叢書なし) | 0経 |
*所属部派は漢訳に残るもの
※2 小部(クッダカ・ニカーヤ)の経典
『ダンマパダ』『ウダーナ』『ジャータカ』『テーラガータ』『テーリー・ガータ』『スッタニパータ』など