●梵本法華経と妙法蓮華経の違いについて
ここでは梵本(サンスクリット)法華経と『妙法蓮華経』との差異について述べる。
東アジアの漢字圏で一般に読まれている『妙法蓮華経』は鳩摩羅什による翻訳であるが、その訳は名訳の誉れが高いものの、現存する梵本(サンスクリット)とかなりの差異がある。そして、鳩摩羅什の訳はサンスクリットの底本を同定できるような逐語訳ではなく、積極的な意訳である。
そもそも、法華経はインドで成立したものであり、その本来の意味を理解しようとすれば梵本法華経を和訳するべきであろう。梵本の漢訳をさらに和訳するという重訳の作業は誤差を生じるもとであろうから。ところが、ここにはさまざまな問題が存在する。
●訳出した鳩摩羅什の仏教的な立場
逐語訳ではなく意訳をするとき、訳者の思想信条というものが訳文に混入することは十分考えられる。鳩摩羅什が意訳をしたとすれば、鳩摩羅什の仏教的な立場は何かということが問題になる。それは何であろう。
鳩摩羅什は中観派に属する。インドの龍樹(150-250頃)の一切皆空(すべては空)という空仏教の立場の訳者であり、その思想は「般若経経典群」をよりどころとしている。
般若経に基づいた信仰をしている訳者が、一切経のなかで法華経が最勝と主張する法華経を意訳したということである。そのことから、法華経翻訳に何らかの影響が出ても不思議ではあるまい。梵本法華経と羅什訳『妙法蓮華経』との差異を考えるときには、そのことを考えなくてはならない。
●序品冒頭から、いきなり違う梵本法華経と『妙法蓮華経』
鳩摩羅什がそんな訳をしていない。『妙法蓮華経』は絶対だ! 梵文(梵本)の法華経と『妙法蓮華経』が違うはずがない!。そういう方は『妙法蓮華経序品第一』冒頭を思い出して欲しい。あるいは調べて欲しい。
妙法蓮華経序品第一
如是我聞。一時佛住王舎城耆闍崛山中。與大比丘衆萬二千人倶。
この1~2行で梵本との差異がある。最後に「萬二千人倶」とあるが、これは1万2000人の意味である。ネパール系の梵本や他の訳本では、1200人である。
ケルン南條本(梵本)、ギルギット本(梵本)、『正法華経』は1200人
ペトロフスキー本(梵本)、チベット訳は12000人
ここで、ペトロフスキー本(梵本)は学者の間でも他の梵本(サンスクリット)との差異が指摘される梵本であるし、チベット訳は逐語訳といえども所詮はサンスクリットをチベット語に訳したものである。翻訳の初期は漢文から訳されたものもある。そもそもチベット語の翻訳は吐蕃の七世紀以後のものである。
1200人 と 12000人 の考察
また、他の経典は冒頭の比丘の数、すなわち釈尊当時の出家教団の規模が1200人か1250人というのが妥当であると聞き及ぶ。
『佛説長阿含經』冒頭 「與大比丘衆千二百五十人倶。」
というのもあるし、『妙法蓮華経』にも
妙法蓮華經方便品第二
阿若〓陳如等千二百人。 (T09n0262_p0006a28)
妙法蓮華經方便品第二
我等千二百 及餘求佛者 (T09n0262_p0007a02)
妙法蓮華經方便品第二
千二百羅漢 悉亦當作佛 (T09n0262_p0010a21)
妙法蓮華経譬喩品第三
是諸千二百心自在者。昔住學地。佛常教化言 (T09n0262_p0012b04)
妙法蓮華経五百弟子受記品第八
爾時千二百阿羅漢心自在者作是念 (T09n0262_p0028b23)
妙法蓮華経五百弟子受記品第八
告摩訶迦葉。是千二百阿羅漢。 (T09n0262_p0028b26)
とある。これらをみると、出家修行者の数は1200人である。
ただ、12000人派とすれば、
『大寶積經卷第十七』 與大比丘衆萬二千人倶。(T11n0310_p0091c07)
『方廣大莊厳經卷第一』 與大比丘衆萬二千人倶。(T03n0187_p0539a08)
『佛説無量壽經卷上』 與大比丘衆萬二千人倶。(T12n0360_p0265c07)
がある。どちらがどうということはさておき、差異があるということと、鳩摩羅什の翻訳も検証が必要だということは認識頂けたであろうか。
●梵本の種類の問題
法華経の梵本には、「中央アジア本」と「カシミール本」に大別できる。さらに「カシミール本」から「ギルギット本」と「ネパール本」ができたのではないかと学者は考える。
法華経はシルクロードによって、西域(中央アジア)から中国にもたらされたと考えるのが相応だろう。実際、『正法華経』『妙法蓮華経』の底本は「中央アジア本」の梵本に属するのではないかと考えられている。
もしそうであるならば、たとえリファレンス的な梵本ではあっても、ネパール本の系統の南条・ケルン本や、荻原・土田本をもって、中央アジア本の系統を底本とした『正法華経』『妙法蓮華経』の漢訳の相違点や問題点を指摘するのは無理があるように思われる。
一方、『添品妙法蓮華経』やチベット語訳の法華経はカシミール本(ネパール本、ギルギット本)の系統であると考えられているそうだ。
羅什の翻訳の妥当性を論じようとした場合、何よりも翻訳の底本そのものが現存しないのである。