阪神淡路大震災で倒壊の鳥居

明治40年に松竹より寄進された鳥居が、東海道線の尼崎駅の北側、尼崎港線の高架の土手の横に建っていました。

久々知妙見宮へのアクセスが、かつての有馬街道から鉄道に移ったために建立されたものだと伝わります。

経緯は知りませんが、この鳥居も昭和中期には広済寺西門に移設されておりました。

そして、忘れもしない阪神淡路大震災でこの鳥居は倒壊してしまいました。

近世より参詣者で賑わっていた久々知の妙見宮を物語るものとして、あるいは阪神淡路大震災の記憶を留めるものとして、倒壊した鳥居の柱を残すことと致しました。現在は境内の西側にモニュメントとして鳥居の柱と額を設置しております。

鳥居の左側は塚口から東海道線尼崎駅の上の高架を通って尼崎港に通じる土手
鳥居の左下にある碑文は、現在広済寺西門に移設してあります
大正11年8月14日発行の「近松のゆか里」より
阪神淡路大震災以来、長らく塀際に放置してありましたが、令和3年6月29日にモニュメントとして設置しました。
参詣者で賑わった往時の面影と、阪神淡路大震災のすさまじさを物語る遺構です。

苦滅の仏法 その本質へ