戒名

近松門左衛門の戒名、
阿耨院穆矣日一具足居士
について解説する。

阿耨院(あのくいん)

 この部分は院号だ。院号は元々皇族などかなり身分の高い人にしかつけなかったようで、現代でも地域によっては居士号より院号の方が格が高いとされることもある。

 阿耨は阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)という仏教用語から来ていると考えるのが一般的であろう。阿耨多羅三藐三菩提はサンスクリット語 anuttarrā saṃyaksabodhiḥ の音写で、無上の真実なる完全なさとり(無上正等正覚、無上正遍知)のことである。阿耨多羅は最高の(無上の)という意味。

穆矣(もくい・ぼくい)

 「穆」の音であるが、漢音が「ぼく」、呉音が「もく」である。日蓮宗では読経で呉音をとることが多いので、筆者は「もく」と読むのが適当と考える。

 「穆矣」を「大正新脩大藏經」巻1~32、天台宗典籍、日蓮聖人遺文に探したが見つからなかった。

 漢字の意味からすれば、「穆」は、ほんのりと暗く、見えにくくて、静まりかえったさま。おだやかでつつしみ深い。あいまい。そのような意味。

 「矣」は漢文の末尾について断定や推定の語気をあらわすことば。『妙法蓮華経方便品第二』の五千帰去でも用いられる漢字である。「穆」という文字を強調するニュアンスがある。さて、「穆」のどの意味を強調されるのか。

日一(にちいち)

 これは日号である。日蓮宗(法華宗)では熱心な信徒や宗門や寺院に貢献した人には、日蓮聖人の日を頂いて日号を授ける。『妙法蓮華経如来神力品第二十一』の「如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇(日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し)*1」から来る。

 広済寺の近松門左衛門墓碑の字を見ると「日」は「月」に見える。しかし、過去帳には「日一」とある。また、墓碑裏側の命日の日を見ても月に似た書体である。そもそも、日蓮宗で改宗開山に尽力した方の11文字戒名であれば日号が付くのが普通である。一部論文に「月」とあるのは間違いで「日」が正しい。

 「一」は近松の家紋が丸に一の文字から来ているのだろうか。また、「一乗」「一仏乗」「開三顕一」という法華経の大切な用語もあり、その意味もかけてあるかも知れない。

具足(ぐそく)

 具足の位置は若干不可解である。日号と位号(居士、信士など)の間には何も入れないのが普通でからである。一般には院号と日号の間に挿入されるものである。

 また、広済寺過去帳には「阿耨院穆矣日一」までは縦書き、具足は横書きにて太さの違う文字で記載されている。

 ともかく、戒名に具足とあるのは近松門左衛門の手紙の署名に「平安堂具足居士」とあることから推し量られる。

 さて、具足は仏教語としては、「完全」の意味として使われる。近松も信仰したであろう法華経の『妙法蓮華経方便品第二』に「欲聞具足道」(具足の道を聞かんと欲す)*2とある。この場合「具足の道」は法華経をさす。先述の「矣」も「具足」も天台法華教学にとって大切な『妙法蓮華経方便品第二』最初の部分の三止三請に出てくる。これも単なる筆者の推察であるが・・・。

居士(こじ)

 「居士」広済寺過去帳には居士の文字はない。「阿耨院穆矣日一具足」とある。広済寺過去帳の他の戒名も概ね同じである。墓碑には「阿耨院穆矣日一具足居士」とある。

 居士はインドのサンスクリット(梵語)では gṛha-pati で家の主人の意味。特に商工業に従事する資産者階級ヴァイシヤを意味した。中国では、学徳を備えておりながら仕官しない人を指したそうだ。日本では、在家で仏道の修行をする檀信徒への敬称として、戒名の位号として用いられる。信士より格が高いとされる。

*1 大正新脩大蔵経9巻52頁b
*2 大正新脩大蔵経9巻6頁c

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