具足山 妙顕寺 (みょうけんじ)京都最初の日蓮宗寺院 後醍醐天皇の勅願寺
京都市上京区に位置する。日朗聖人の弟子、すなわち日蓮の孫弟子にあたる日像(にちぞう)聖人の開山。元亨元年(1321)御溝(みかわみぞ)の傍、今小路に小庵を構えたことに始まる。京都における日蓮宗最初の寺院である。公武の帰依を得て後醍醐天皇の勅願所となり、暦応4年(1341)には四条櫛笥(くしげ)の地に移った。勝劣派である、法華宗本門流の派祖である日隆聖人、真門流の派祖日真聖人はこの妙顕寺の門流からの分派である。
[場所] 京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514
もとは京都六条でJR京都駅北西に大伽藍を有していた。しかし、本末解体などで末寺を失い財政が破綻して現在は京都市山科区に移転している。
もとは「本国寺」と号したが、第十九世日廷(にってい)上人の1680年代に水戸光圀の熱心な外護を受けたことから、本圀寺と改めるに至った伝わる。
開山は日静で、康永4年(1345)に鎌倉の本勝寺を京都六条堀川の地に移して本国寺と称したことに始まる。日静は足利尊氏の俗縁と伝えられる。公武の外護を得て発展し、妙顕寺と並び京都日蓮宗の二大法城となった。
本末解体までは末寺600を数え、身延山久遠寺を凌ぐ勢力を誇ったが、京都市山科区に移った現在、その勢いはない。[場所] 京都市山科区御陵大岩町6
具足山 妙覚寺 (みょうかくじ)往時は千ヶ寺の末寺を要した本山
妙顕寺、立本寺と並んで龍華(日像上人)の三具足山という。日像上人を開山と仰ぐが実質的には四世日実上人の開山。折伏、不受不施を貫く伝統にあって、歴代貫首に不受不施派の開祖たる日奥上人がいる。日奥上人の流罪と入滅により、一致派となるが1千ヶ寺を超える末寺が離反あるいは独立して江戸時代には150ヶ寺の末寺になった。現在は妙顕寺・本法寺の北側に位置する。
[場所] 京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
広布山 本満寺 (ほんまんじ)後奈良帝勅願所・徳川家累代の祈願所
応永17年(1410)左大臣近衛道嗣の子息、玉洞妙院日秀上人が弘宣流布山本願満足寺を建立したことを起源とする。後奈良帝の勅願所となり、徳川吉宗の病気平癒祈願より徳川家累代の祈願所となった。日蓮宗中興の祖といわれる、日重・日乾・日遠上人(重乾遠)が御歴代の中にある。
[場所] 京都市上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町16筆者の撮影した 本満寺写真集へ
迫害に絶え全国各地を布教した久遠成院日親上人の開創したお寺である。本法寺は京都日蓮宗の二十一箇本山の一つとして繁栄して重要な役割を果たした。本阿弥光悦、長谷川等伯をはじめとした芸術家も本法寺の信徒であり外護者である。 大伽藍の林立する京都では目立たないが、本法寺も大本山妙顕寺と甍を並べる大伽藍である。
[場所] 京都市上京区堀川寺ノ内上東側
具足山 立本寺 (りゅうほんじ)
説法で有名な日審上人が再興した霊跡
日蓮聖人の教えを初めて京都に弘通した日像上人を開基に、妙顕寺四世の日霽上人を開山と仰ぐ。
15世紀初頭、比叡山の圧迫と寺内の抗争によって、日像上人の霊跡たる勅願寺の妙顕寺も大変な時代を迎えていた。そんな混乱の中にあって、妙顕寺跡に本応寺という寺院が開創され、その本応寺が寺号を改めて立本寺となった。
立本寺は公家社会とも接近し、大いに栄えたが、他の日蓮宗本山と同じく天文法難で焼け落ちた。やがて、豊臣秀吉の命によって洛東今出川に寺地を得て再興するも、寛文元年(1661)に焼失した。これを復興したのが名説教師として名をはせた霊鷲院日審上人(第20世貫首)である。日審上人は「法を演ること一万余座、席上の法譚又一万余座、親ら満荼羅を書すること十万余幅、受法の者九万余人」と評され、死して墓に埋葬された母体から生まれたという逸話がある。
[場所] 京都市上京区七本松仁和寺街道上一番10
中山法華経寺第6世貫首日薩上人の弟子、日祝上人が土佐国守護の細川治部少輔勝益の外護を受けて、文明五年(1473)に創建した。京都二十一箇本山と共に隆盛を続け、16世紀に入ると法華一揆(京都町衆による京都防衛)の根拠地として重要な役割を果たすようになる。頂妙寺山門の二王像は運慶と快慶の作といわれ江戸時代には霊験ありとして盛んに信仰された。
[場所] 京都府京都市左京区仁王門川端東入
筆者の撮影した頂妙寺写真集へ
文明九年(1477)身延12世円教院日意上人が、身延山の日蓮聖人の御真骨と七面明神を奉り、都の身延山としての開創した寺院。日意上人は初め天台宗の僧侶であったが身延山11世行学院日朝に帰依して師事した。
[場所] 京都市左京区東大路二条下る北門前町481
瑞龍寺 [村雲門跡] (ずいりゅうじ) 豊臣秀次の母(秀吉の姉)瑞龍院妙慧日秀の開山。山号はなく、通称は村雲門跡ともいう。日蓮宗唯一の門跡寺院。
[場所] 滋賀県近江八幡市宮内町19-9