明治40年に松竹より寄進された鳥居が、東海道線の尼崎駅の北側、尼崎港線の高架の土手の横に建っていました。
久々知妙見宮へのアクセスが、かつての有馬街道から鉄道に移ったために建立されたものだと伝わります。
経緯は知りませんが、この鳥居も昭和中期には広済寺西門に移設されておりました。
そして、忘れもしない阪神淡路大震災でこの鳥居は倒壊してしまいました。
近世より参詣者で賑わっていた久々知の妙見宮を物語るものとして、あるいは阪神淡路大震災の記憶を留めるものとして、倒壊した鳥居の柱を残すことと致しました。現在は境内の西側にモニュメントとして鳥居の柱と額を設置しております。